TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『女殺油地獄』を3回観る

技芸員さんのインタビューでは「1公演を1回だけでなく、3回見て欲しい」という談話がよくある。

いままで2回観た公演は何度かあれども、チケット手配の都合などで観劇日が近接していて、人形の偶発性に左右される演技の失敗成功等はあれど、パフォーマンスそのものにそこまでの変化は感じなかった。別にいつもうまいじゃん!みたいな。しかし鑑賞日程を離してみたらどうなるだろう。今回は玉男さんが与兵衛初役なので、結構変化を見られるかもしれない。いっぺん、1公演を3回観るっていうのをやってみたい。

というわけで、今回は2月公演第3部『女殺油地獄』を初週、2週目、3週目と、だいたい1週間おきに合計3回観に行ってみた。

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与兵衛〈吉田玉男〉。玉男さんは与兵衛初役とのことだが、私は『女殺油地獄』を観たことがないので誰かと比較ということはできない。なので素直に「へーおもしろーい♪」というのが1回目に観たときの感想。初回で一番印象に残ったのは与兵衛の青く固い野生の植物の茎のような雰囲気。演技そのものじゃなくて、演技が表現している役割上の性格が。ぱっと見何を考えているかまったくわからない若者の姿で、みずみずしいが固い、植物の青い茎のように思われた。それ以外には率直に言うと徳庵堤はちょっと不安定だなと感じたけど、河内屋内、豊島屋と進むうちに次第にそういったノイズがなくなっていくように感じ、短時間でも向上していくもんなんだなーと驚かされた(実際には左遣いや足遣いの人が違う等あるんだと思いますが)。

※『女殺油地獄』の詳細自体に関しては ↓ の感想が1回目観劇後のものなので、こちらをお読みください。

そして2回目を観てまじびっくり。1回目とかなり違っていた。見た目として一番違うのが豊島屋でお吉を追い回して油で滑るシーン。1回目に観たときはわりと物静かにスーッと滑っていくスケートのような印象だったのだが、このときは「確かに玉男さんてこんな感じだった!!!!今思い出したわ!!!!!」と思った。なめらかに流麗というより、かなり力強い、線の太い印象。単に激しいだけでなく「確かに玉男さんの演技」って感じだった。与兵衛は3回ほど上手から下手へ向かって滑ると思うんだけど、2度目に滑るときには思いっきり下手の門扉にぶつかっていた。玉男さんが。あの門扉ってあれくらいの体格の人が思いっきりぶつかってもグラグラ揺れる程度で、土台はしっかり舞台上に固定してあるんだなと感動✨……ではなく、初回は滑る演技そのものの加減を見ている状態だったのねと思わされた。2週目には演技自体のこつを掴まれて、その中にご自分らしさを出しておられたんだと思う。なるほど、文楽はシステム的に初役であっても演技ができないわけではないけど、回を重ねると「その人の考えるその役」というものがどんどん出てきて、役にピントが合ってくるんだなと感じた。1回目に観たとき感じた「こんなもんかな???」というふわっとした印象が消えて、ああ〜!!!なるほど!!!!!と思わされた。

3回目に観たときには荒々しさのバランスがうまくとれて、玉男さんらしい雰囲気になっていて感動。いや「玉男さんらしい雰囲気」ってなんだよと言われると思いますが、3回観て、やっと役の中に出るその人の「らしさ」がわかったのだ。うーん、確かに玉男さんって静動のピッとしたメリハリあるわ。みたいな。奥から手前への移動でのよろめきもすばらしかった。横移動のときのブレーキのよろめきだけでなく、これがあると、床一面が油まみれであることと与兵衛の心の焦りがよくわかる。さすがに3回目だと自分が見慣れてきていることもあって一挙一動をじっくり観察することができて、ブレや不意のアウトフォーカスがなくなり、自分自身もクリアにピントが合って十全に楽しめた。

こういった与兵衛の演技によってクライマックスがはっきりしたことで、しんみりと聴かせてくれる前半とのコントラストが明確になり、ひとつの段として立体的になったように思う。玉男さんが事前インタビューで答えておられた「愛のある人」というのもわかった。親の言葉を聞いて彼なりに改心したということおっしゃりたかったのね。普通に考えたらかなりヤバイ人の思考回路だけどなんか納得する演技だった。いや本当にそういう解釈をされているのかは知らんけど、私はそう受け取った。そして、最後まで青い雰囲気は残したままなのは良かったな。1回目は笹だったのが3回目は竹になった感じで、青く苦い雰囲気やしなやかさはありつつも、芯が太く強くしっかりした、とでも言えばいいだろうか。玉男さんらしい、って感じでした。玉男さんてなんか自然物っぽいよね。

演技内容の向上だけでなく、演技の細部の研究もされているようで、徳庵堤で小菊〈吉田清五郎〉に機嫌を取られる与兵衛のくだりも1回目と3回目で異なっていた。1、2回目に観たときだと小菊に擦り寄られて「いやあ……」のような首の後ろに手をやるイケメン風のポーズをとっていたけど、3回目にはそうはしていなかった。さすがに他の客に連れ出されるのを出先まで押しかけるくらいの相手なので、そこで突然照れるか!?ってことなんでしょうか。照れるのも何も考えていないアホ丸出しで私は好きだけど。友達2人が北関東のヤンキーみたいな格好してる中(大阪のヤンキーです)、ひとりだけ育ちのよさ(?)丸出しのちゃんとした服装でチョロチョロしてるのとも合ってるし。

 

与兵衛の変化に伴って印象が変わったのはお吉〈吉田和生〉。

はじめに見た時は、おせっかいは焼いてくれるけど、本質的には与兵衛に対して無関心な、あくまで隣人という立場の人なのかなと思っていた。特に「不義になつて貸してくだされ」と迫られた後、お吉は「ぴょこん!」と立ち上がって拒絶を示すが、これが初めは無関心ゆえに振り払っている、冷めた態度のように思われたのだけど、与兵衛に対応してか回を重ねるごとにその仕草が熱を帯びるようで、2回目は感情的、3回目には怒りをにじませて「ぴょこんっ!!!」と立ち上がっているように思われた。

そしてもうひとつ。これは自分自身が何度も観ることで気づけたことなんだけど、最後に与兵衛に対抗して次々と油桶を倒し、柄杓等を投げていくくだり。あれってどれも威勢よくやっているわけではなく、一番下手の油桶を最初に倒すこときはそれこそ威勢がいいけれど、2つ目、3つ目と倒すうちに弱ってきて動きが不安定になり、最後には力なく押し出すという感じになっているのね。本当に細かいところまで考えて遣ってらっしゃるんだなあと思わされた。

しかしお吉、本当良かったわ〜。商家のおかみさんらしく楚々といているんだけど、なまめかしい雰囲気もあって……。じ〜っと見つめていると頭がぼーっとしてきて、よく手入れされたあの白い肌……、あの頰には熟れた桃の実のようにこまかく透明な産毛が生えていて、まだ若い彼女の情熱でしっとりいてるんじゃないかしらと思わされた。別にお人形自体がリアルな人間の顔をしているわけじゃないんだけど、人間と変わらず艶やかな髪を潤んだ瞳を持ち、少し肩を上下させて息をしている彼ら彼女らにはとてつもなく生々しい雰囲気がある。時折大道具や手すりに腕がぶつかってカラリと音をたてるときだけ、彼ら彼女らはやっぱり肉体を持たない木の彫り物だったんだと知る。

 

ほかに「おお」と思わされたのは、河内屋内の段に登場するおかち役の簑助さん。何度か観たことで、簑助さんほどのベテランでも色々やってるんだなー!とよくわかった。与兵衛が父徳兵衛〈吉田玉也〉を踏みつけにするのを止めようとする演技で、舞台上手の寝床から下手側(与兵衛、徳兵衛の左側)へどのタイミングで移動するのかを回ごとに計っておられるようだった。1回目に見たときは与兵衛が踏みつけてからあわてて移動という演技にされていて、その一生懸命ぶりに観客もおかち&簑助さんが心配💦って感じだったんだけど、2回目は与兵衛と徳兵衛が言い合いになった時点で「ああ……!」と下手側を気にしてよろよろと這い出す演技。しかし3回目はあわてて止めに入る方式に戻されていた。動き出すのがあんまり早いと、余計な情報がお客の目に入るからだろうか。それとも1回目や3回目も私が気づかなかっただけで、早めに移動してた?

それはともかく、1回目と3回目、おかち、与兵衛の人形じゃなくて、与兵衛を遣ってる玉男さん本人におもいっきりしがみついていたのがめちゃめちゃインパクトあった。距離的に与兵衛の人形に届かないからか、(なぜか)玉男さんにしがみつくのだが、ことに1回目は猛烈な勢いでぎゅーっと抱きついていてビビった。2回目は早めに下手に移動していらしたので、玉男さんを土台(?)にして与兵衛に接近して流麗な印象にされていたが、タイミングを元に戻した3回目は玉男さんの後ろに回り込んだ時点で玉男さんにタックルしていて、闘志(?)がすごかった。確かにそこを攻撃するのが一番有効ではありますが……!? しかしながら、3回目が一番自然な流れで与兵衛に接近してすがりついておられたと思う。玉男さんもそっと微妙に簑助さんのほうに寄っていっていてちょっと可愛かった。

簑助さんがおかち役なのは体力を考慮しての配役だと思うんだけど、とにかく簑助さんの出番があれだけしかないというのは完全に正しい意味での「役不足」で、おかちの役に対してやる気と技術が大幅にはみ出して異空間になっていた。うしろのほうにいても父や兄の様子を気にしてまごまごする、クルクルした仕草がどの回も大変に愛らしかった。はちゃめちゃに可愛すぎて、ありがたさがはんぱなく、3回分チケット買っといてよかったと思った。かわいすぎ。まじ、国宝。(本来の目的を見失った)

 

3回観たことでじっくり演技を見られてよかったなーと思ったのはお吉の夫・七左衛門〈吉田玉志〉。登場する場面が少なく、人物描写もあまりないが、なるほどお吉が与兵衛をまったく相手にしないのもわかるという凛々しい男前ぶりだった。与兵衛はボーヤだね(その生硬な雰囲気が良いんだけど)。たぶん、玉志さんも役に対してやる気がにょろっとはみ出ておられるんだと思うが、ただならぬや!る!気!オーラを感じた。徳庵堤で勝手に拡大解釈&誤解して茶屋ののれんの前へ走っていく(でもキュッと立ち止まる)勢いが最高だった。

 

 

 

もちろん人形のみなさんだけでなく、床のみなさんもとても良かった。特に徳庵堤のヤングのみなさんは1回目はかなり不安定な様子で心配だったが(2日目だったし、大変なことがあった直後なので無理もないと思うが……)、翌週聴いたときにはなんとかまとまりができて、3回目には結構安定しておられた。出だしが舟唄風?で雰囲気づくりが難しいと思うけど、靖さんお疲れ様でした。そして森右衛門役の小住さんはめっちゃ良かったです。最終週に聴いたときにはほんとすごいと思った。森右衛門の剛毅な雰囲気がとてもよく出ていた。時代物のジジイ武士役もやってほしいな。

そして本当とっても良かったのは河内屋内の津駒太夫さん。津駒さんはどの回も大変にすばらしかった。キモ山伏、優しすぎる義父、可憐で儚い妹、強気な母、不孝者のドラ息子、それぞれの心情がしみじみとにじみ出ていて素浄瑠璃ででも聞きたいくらいに良くて、3回分買っといてよかった〜と思った。第一部の『心中宵庚申』も2回観たけど、第一部の千歳さん、第三部の津駒さんはお二人とも「二部を挟んで火花を散らし合ってるのでは!?」という力の入り具合で、そのドキドキ感も同時に楽しめてとても良かった。去年12月の新口村でも火花が散っていたお二人だが、このお二人には通常の公演でも一段まるごとで語ってほしいな〜。と思う。

 

 

 

同じ演目を3回観るというのは、私にとって大変にスリリングな体験だった。

演技の向上というのは、人形であれば流れのスムーズさ等の演技そのものに対する熟練もさることながら、その人らしさをどう出していくかというのも大きいのだなと感じたのが一番。よく考えれば当たり前のことなんだけど、実感としてそれを知ることができてよかったと思う。出演者の技芸の向上は当然のことながら、自分自身の鑑賞眼の向上も感じられた。……とえらそうに言うほどオツムは向上しなかったが、さすがに2回目以降は落ち着いて見られるので、1回のみ鑑賞よりも「実は出演者はものすごーく細かいところまで配慮した芝居をしている!」と気づけたことが大きかったと思う。古典芸能だと毎回内容にそこまで変化がなさそうに思えるがそうでもないし、逆に古典芸能は基本的に「ネタバレ」したからといってつまらなくなるような話ではなく、何回見ても楽しめる強度を持ったストーリーであり、出演者の芸が主眼ということがよくわかった。芸……本当は「藝」と書くべきか、それってとてもわかりづらくて一部の好事家だけが理解できる概念のように思っていたけれど、なんとなくだがその鱗片に触れられたような気がした。

席は1回目上手、2回目中央、3回目下手(いずれも前方席)と変えてみたけど、いろんな席で観て聴いたというのも自分にとってはとても良い経験だった。太夫の声や三味線の音の聞こえる聞こえない、人形の演技は角度によって見える見えないもあるので。しかし人形観るなら下手寄り結構良いですね。視界にすべての人形と人形遣いが入るから……(そのまんますぎる結論)。

と、いろいろ書いたけれど、実は3回とも「わーい😇わーい😇」というピュアネスすぎる気持ちで観てしまったので、頭にはほとんど何も入りませんでした。その最たるものが逮夜の段で突然登場する、紋秀さんが遣っている爺さん。3回観てもあの爺さんが誰なのかわかりませんでした。近所の人でしょうか。

 

 

 

番外編、面白かったこと。

2回目に観たとき、徳庵堤の段で口上の黒衣サンが5人並んだ太夫さんのお名前を途中からド忘れしてしまって大ピンチになったのがおかしかった。

コール中に妙に開く間!!
俺!俺!と言わんばかりのコスミさん!!
ひとまずは思い出した順(?)に言って緊急回避するも、もう次は言うしかない!!!
「たけもとぉ… ぉ…… …… ……😭」と弱々しくなる声!!!!
緊迫する客席!!!!!!
どうなる黒衣サン!!!!!!!!!

でも最終的には無事思い出されて、全員のお名前を口上して大拍手でした。大ピンチ丸出しなのが可愛かったです。黒衣さん、あとからコスミさんに追いかけ回されなければいいですが、コスミさんより黒衣サンのほうがお兄さんかな? お兄さん権限で逃げ切ってほしいです。

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