TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10月地方公演『桂川連理柵』神奈川県立青少年センター

10月の地方公演は横浜公演の昼の部『桂川連理柵』だけ行った。

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六角堂の段。長右衛門の妻・お絹〈吉田勘彌〉が六角堂へお百度参りに来ている。ポッポポッポ。そこへ義弟・儀兵衛〈吉田幸助〉が現れ、長右衛門とお半の仲をちらつかせてお絹を脅迫してくるが……ポポッ。

儀兵衛のウザさがすごい。なぜあんなにウザく生きていられるのか。そして文楽人形特有の膝とか肩に顔をこすりつけてくワンコめいた謎のセクハラ。あらゆる演目で気になることだが、あの謎のセクハラの度合いはアドリブでやっているのだろうか。時々やりかたがまじでキモい人がいるのが気になる。される側の演技で言うと、去年観た『伊勢音頭恋寝刃』で岩次(玉輝さん)にセクハラされるお紺(簑助さん)がものすごい勢いで顔をそむけ、メッッッッッッッッッチャ嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。人形だから顔は変わりませんが、そう見えたんです。

 

 

 

帯屋の段。儀兵衛とその母・おとせ〈吉田簑一郎〉は長右衛門を陥れ、家督を横取りしようと画策していた。2人は帰宅した長右衛門〈吉田文司〉に消えた為替の行方を詮議し、さらにはお半からの恋文を読み上げる。義父・繁斎〈桐竹勘壽〉もそれには助け舟の出しようがなかったが、お絹は……。

しょっぱなから恐縮だが、長右衛門役の文司さんの「隣のおじさん」感はんぱねえなと思った。話の内容はスキャンダラスなのに安心してしまうのはなぜだろう。地方公演のリラックスした空気によるものだろうか。それとも文司さんの癒しオーラによるものか。

詮議の証人(?)として呼び出された隣家の丁稚長吉〈吉田清五郎〉と儀兵衛のやりとりはしつこすぎだけどかわいい。長吉がアホすぎて手紙本文の詮議にいくまでにかなり時間がかかる。儀兵衛に「まあまあその洟から片付けてくれ。アゝきたな。すゝりこんでしまいよったがな」と言われる長吉の鼻水(鼻からなんか出てる)はかしら自体に仕掛けがあるらしいが、一瞬で消えたのでよく分からず、その鼻水が小さいきゅうりみたいで面白かった。個人的にはすすったというより持っていたはたきで拭いたように見えてそれはそれで不気味だった。お絹が長吉にいくら渡したかはわからないが、小遣い程度の金であそこまでいうこと聞くのはほんまアホなんやろなと思った。

そして夜更けになってチョロンと現れる、一輔さんのお半のそこはかとないおぼこ感がすごかった。おぼこ娘をやらせたら日本一になる人かもしれないと思った。おなじお師匠様についている女方の人で、おなじような人形を持っていたとしてもまったくおぼこには見えない人もいるのが不思議。そのへんはやっぱり人形遣いご本人の持っている「佇まい」によるものでしょうか。

あと、清治さんが頑張っておられてびっくりした。呂勢さん以上に頑張っておられたのではないだろうか。清治さんにはすさまじいバイタリティを感じる。

 

 

 

道行朧の桂川。お半を背負った長右衛門が桂川の川岸に現れる。長右衛門は自分だけが死ぬのでお半には生き残って欲しいと頼むが、お半は聞き入れない。

なんだろうこのほのぼのとした感じは……。普通におじちゃんと女の子が川に来ました^^的な……。 長右衛門が幼い女の子に慕われそうなおじちゃんというのはよくわかりましたが(そのニュアンスはむちゃうまい)、とても心中しそうにないこのナチュラル感あふれる空気……。いや「この人ら心中せんでしょ」な人らはいままでも見てきたし、ひどい場合はド他人同士にしか見えない場合もあるのでここでだけ取り立てて言うのも申し訳なく(ド他人になってる場合は逆にここには書けない)、許容範囲ではあるのだが、なんかほっこりしちゃったんで……。床は浄瑠璃の内容通りのそのもの、思い詰め感を表現していたと思ったけど、人形のほのぼの感とがアンバランスで不思議なことになっていた。

 

 

 

中堅でがんばるぞー!という感じの回だった。

文楽では普通に考えて絶対ありえない非常識な話が芸の力によって説得力を持つというミラクルが時折発生するけど、そこまでうまくいくのはなかなか難しくて、複雑に要因が絡み合っているんですね。

個人的にはお絹役の勘彌さん目当てでチケットを取ったため、お絹の見せ所はそことは別なのでそれはそれでいいのだが……。お絹は細面の健気なエロ奥さんな佇まいがあってよかった。

ところで今回上演前解説で「劇中の内容に遠慮なく反応してください」的なお話があったが、客席が相当静かな会場でもあったのでしょうか。

 

 

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