TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『玉藻前曦袂』国立劇場小劇場

第2部を観劇する日の朝、中平康監督の『才女気質』(日活/1959)という映画を観に行った。京都の表具屋一家の人間模様を描いた作品で、途中に南座文楽見物をするシーンが入っている。そこで上演されているのは『生写朝顔話』大井川の段、出演は竹本南部大夫、野澤八造、吉田栄三。朝顔が大井川の標柱にしがみつくあたりから段切れまでが入っており、三味線の手元や床の二人アップ、人形の背後からのショット、客席(下手桟敷席)からのショットが織り交ぜられ、映像的にも見応えがある。しかし衝撃的なのは義太夫のうまさ。人形の映像がOFFになっていても義太夫はずっと流れ続けているのだが、それがうますぎてまじびっくり。記録映像や音源でむかしの名演を聴いたことはあるけど、映画館の大音量で聴くとよりすばらしい。今後、私がこのような義太夫を生で聴ける機会はあるのだろうか。残念だがおそらくないのではないか……。そう思うとテンションが激烈下がった。そして、上演まではそう思っていたのだが……

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清水寺の段。

謀反を企てる鳥羽天皇の兄・薄雲皇子〈人形役割=吉田玉也〉は着々とその準備を進めていたが、懸想する桂姫が何度召しても応じないことに不満を抱いている。桂姫が思いを寄せていたのは、実は陰陽頭・安倍泰成の弟、采女之助〈吉田幸助〉だった。皇子は家臣・犬淵源蔵〈吉田勘市〉に、鷲塚金藤次を姫のもとへ遣わしてこれ以上従わないならば首を討ってこいと命じ、方丈へと去っていった。やがて薄雲皇子と入れ替わりに桂姫〈吉田簑二郎〉が清水寺を訪れる。姫は来合わせた采女之助に恋しい胸の内を訴えるが、采女之助は取り合わず、現れた犬淵が彼女を連れ去ろうととするのを追い払うのだった。

これは……、もう色々仕方ないのはよくわかっているのだが、床が……。いや、頑張っておられる方もいるのは重々承知で申し訳ないのだが、情景がマジ全っ然わからん! なんとかするか、上演しないかのどっちかにしてくれ! と思った。

 

 

 

道春館(みちはるやかた)の段、ここが一番の出色。

主なき藤原道春の館には、後室・萩の方〈吉田和生〉と二人の娘、姉姫の桂姫と妹姫・初花姫〈吉田文昇〉が暮らしている。初花姫は采女之助を想うあまり取り乱す桂姫を心配していた。桂姫は萩の方に呼び出され館を訪ねた采女之助に走り寄るが、采女之助は自分のことは諦めて入内せよとつれない態度で退ける。現れた萩の方は采女之助に何者かによって盗まれた獅子王の剣を奪還して欲しいと頼む。

そこへ薄雲皇子からの上使・鷲塚金藤次〈吉田玉男〉が訪れる。金藤次は萩の方に獅子王の剣か、皇子に靡かない桂姫の首、どちらかを差し出せと迫るが、獅子王の剣は差し出したくとも叶わない。萩の方は、実は桂姫は血を分けた娘ではなく夫婦の間に子どもがなかったことを憂いた道春が清水寺近くの神社参籠のおり五条坂で雌龍の鍬形とともに拾った赤ん坊であることを明かす。神から授かった子どもを殺すことはできない、妹の初花姫を身代わりにして欲しいと頼む萩の方だったが、金藤次は聞き入れず、どちらの首を差し出すかは二人の双六勝負で決めさせることになる。白装束で現れた二人の姫は互いを助けるため負けようとするが、勝負は桂姫の勝ちに終わり、喜んで首をさしのべる初花姫に金藤次は刀を抜く。ところが金藤次が斬り落としたのは桂姫の首だった。萩の方は憤り、長刀でもって金藤次に立ち向かうが、あえなく縁から蹴り落とされてしまう。それを影から見ていた采女之助が金藤次を刺すと、金藤次は苦しい息の中、ことの真相を語る。実は桂姫は金藤次の実の娘だった。かつて金藤次は東国の武士で、生国を追われ流れているうちに女房が女の子を生み、その子に雌龍の鍬形を添えて五条坂に捨てたというのだ。そして、獅子王の剣は仕官の条件として自分が道春館から盗み出したことを告白し、娘の首を抱いて嘆き悲しんだ。

そこへ帝からの勅使・中納言重之卿〈桐竹亀次〉が到着する。先の句会で初花姫が詠んだ歌が帝の目に止まり、玉藻前と名を改めて入内せよとの仰せ付けだった。萩の方と初花姫は喜んでそれを受諾し、姫は衣装を改めて玉藻前となる。

ここは床も人形も本当によかった。近くの席の男性が泣いていらっしゃったのも印象的。しみじみと美しく哀しい、すばらしい舞台だった。

奥の千歳さんは公演期間半ばだというのに早くもお声が枯れかかっていて、はじめは大丈夫か!?と思ったが、毎日ここまでの大熱演をされているのならお声も枯れようという次第。しかし、萩の方や初花姫の嘆きはその枯れかかった声が涙声の語りに相乗され、雰囲気のひとつになっていた。三味線も力強く素晴らしいものだった。いままで聴いた富助さんの三味線で一番良かった。登場人物のこころの動きがよくわかる演奏だった。出だしからここまでは正直「人形は良いんだけど、床が……」というのが否めず厳しいものを感じていたが、この千歳さん&富助さんには、きっとこれから文楽ですっごく良い浄瑠璃が聴ける、そう思わされた。

そして金藤次の人形! ほんとうにすばらしかった。いままでに観た玉男さんのしっとり系演技で一番よかった。前半の、こころのないような……、横柄で居丈高な振る舞いから一転し、采女助に刺されて髪をさばき、うつむいて過去を物語る姿には、長い間どうしているかと心に残っていた娘にやっと再会できたのもつかの間、名乗りもできず討たざるを得なかった金藤次の無念がよく滲み出ていた。派手な身振りはないが、うつむきかげんの表情の中に、ニュアンスと雰囲気だけで金藤次のこころのうちを伝えるすばらしい芝居だった。トークイベントでの玉男さんのお話通り、金藤次は桂姫が実の娘と知ってもすぐには表情に出さず冷淡なままであり、その悲しさに涙が出る。

ところで。文楽って同じ種類のかしらの人形が同じような衣装でおもむろに舞台に数人いたりすることがあるじゃないですか。あれ、まじで意味わかんなかったんですが、かしらというのはそれ自体で個性を出すものではなく、あくまで依り代である、アバターなんだなとこの段で突然思った。違いを見るのは語りや人形の遣い方。そういうことを感じた道春館であった。

 

 

 

神泉苑(しんせんえん)の段、廊下の段。

玉藻前として入内した初花姫は帝の寵愛を受け、多くの人に傅かれる日々を送っていたが、哀れ魔風とともに到来した金色九尾の妖狐〈桐竹勘十郎〉に食い殺されてしまう。妖狐が玉藻前の姿に変じ、御殿の奥へと進もうとしたところにかねてより彼女に目をつけていた薄雲皇子がしつこく口説きにやってくる。妖狐は自らの正体がかつて天竺と唐土を滅ぼそうとした老狐であることを明かし、皇子の謀反の企てに魔力をもって協力するかわり、成就ののちには日本を魔界とすることを持ちかける。それには八咫の鏡を穢すことが必要であり、ただひとつ恐れるのは獅子王の剣であると語る。皇子は鏡も剣もすでに落手していると語り、二人は御殿の奥へ消えてゆく。(神泉苑の段)

御殿の廊下では帝の寵愛を失った皇后・美福門院〈吉田清五郎〉と上臈たち〈菖蒲前=吉田玉翔、葛城前=吉田玉誉、千歳前=桐竹勘次郎〉が玉藻前の殺害を企てていたが、灯明を吹き消す一陣の風とともに現れた玉藻前は妖しい光を放って周囲を真昼の如く照らし出し、皇后たちを遠ざける。(廊下の段)

娘の貌と狐の貌、玉藻前の人形の両面のかしらの変化があまりにスムーズすぎて何が起こったかよくわからず客席全体???????となり、拍手がワンテンポ遅れていた。顔だけ狐になる変化には二通りがあり、前後に違う顔のついたかしらを使って髪をさばくと同時に顔そのものを変える「両面」のパターンと、娘の顔の上に狐のお面を下ろす「双面」のパターンがあった。「双面」のほうは『摂州合邦辻』の映像で観たことがあるので仕掛けはわかるが、「両面」のほうはまったくわからない。いや、仕掛けそのものはわかっているが、180度回してますと言われても回してること自体がわかんないんですけど……。なお、さいきん買った参考書『文楽のかしら』によると、「双面」の娘の顔は普通の娘のかしらと違い、つり目つり眉(狐眉)に描くそうです。

↓勘十郎様FaceBookに変化の動画がアップされています。 (音声あり注意)

ただ、この段のみどころはそういったいかにもケレンな部分だけではない。人間のときの玉藻前(文昇さん)と妖狐が変じた姿の玉藻前(勘十郎さん)、双方ともおなじ役ではありながら全然雰囲気が違っていて驚き。姉姫の死の悲しみに暮れるあどけない少女のような人間玉藻前からは一変、妖狐玉藻前は飾り糸のついた檜扇の扱いも堂に入った悠々たる艶姿。鷹揚な身振りも麗しい。今回の『玉藻前曦袂』は「化粧殺生石」が目玉のように喧伝されているけど、先の「道春館」は当然として、妖狐の演技ならばこの「神泉苑」が見どころではなかろうか。皇子と密談を交わす玉藻前の老獪で妖しい高貴さには魅入ってしまった。勘十郎さんってあまり身分の高い役を演じることがないからよくわからなかったが、こういう捻れた気品ある役も良いですね。ああとにかく一刻も早く『シグルイ』が文楽化され、勘十郎様が伊良子清玄を演じてくださることを祈るばかりなり。

 

 

 

訴訟の段、祈りの段。

病に伏せる帝に代わり政を執り行っていた薄雲皇子だったが、水無瀬へ御遊に出かけた折に連れ帰った遊君・亀菊〈吉田勘彌〉を寵愛し、昼夜かまわず酒色に溺れる日々を送り政治を怠っていた。亀菊を女御として披露したいという薄雲皇子に、男の心は変わりやすいと傾城の姿を解かない亀菊。皇子は心変わりをしない証にと八咫の鏡を彼女に預け、訴訟の裁きをも任命した。亀菊は早速内侍の局〈桐竹紋秀〉と持兼の宰相〈吉田文哉〉の金の貸し借り、下女お末〈吉田簑紫郎〉と右大弁〈吉田玉勢〉の色恋沙汰を粋に裁いていく。(訴訟の段)

訴訟は陰陽頭・安倍泰成〈吉田玉輝〉の番になる。泰成は帝の病の原因を玉藻前、その正体は金色九尾の妖狐であると訴えるが、同席していた玉藻前は証拠不十分と反論し、亀菊も玉藻前の言葉を受けて泰成の訴えを退けた。泰成はそれでは帝の病ご平癒のため祈祷をしたく玉藻前を弊取の役にと願い出る。これには玉藻前も了承し、殿中へと去っていく。亀菊が一人になると、泰成の使い・采女之助が姿を現した。亀菊は薄雲皇子から預かっていた八咫の鏡を采女助に渡す。実は彼女は帝派、泰成の密偵だったのだ。ところがそこへ薄雲皇子が現れ、裏切りに憤って亀菊を刺す。なんとか采女助を逃し、皇子に改心を願う亀菊だったが、彼の決意は変わる事なく、亀菊は息絶える。

一方、禁中にしつらえられた祭壇では帝の病平癒の祈祷が始まっていた。壇上からわたしを化生の者と言うならばその証拠を見せてみよと嘲る玉藻前に、泰成は携えていた獅子王の剣を抜いて掲げる。その剣の威徳の光に玉藻前は憤怒の形相を顕して、日本を魔界にできずに終わる無念を語り、妖狐の姿に変じて虚空高く飛び去っていった。(祈りの段)

御殿に現れる突然の傾城!!!!!! 突如始まる傾城裁判!!!!! めっちゃ国傾いとる!!!!!!!!!!!

亀菊、ハチャメチャに浮いていてちょっと笑った。紅葉散らしたる打掛の、豪奢な衣装に身を包んだ亀菊はとても可愛く美しいんですけど、とにかく唐突感がすごい。いやそういう話なんだけどとにかく激浮き。禿〈文字野=吉田簑悠〉に身の回りの世話をさせ煙管をふかし、ゆったりと首をかしげる。亀菊には不思議な華美さがあり、清楚なたたずまいで首をわずかに動かすたびにちゃりちゃり揺れて輝く簪が印象的だった。そして、勘彌さんが遣っているからか、亀菊は可憐な非処女というこの世ならぬ魔導生物的な何かになっていて、とってもよかった。こういう芝居ならではの現実味のないキャラを演じられるのは女方人形遣いさんでもごく一部だなと思う。次々出てくるどうでもいい訴訟(というか人生相談)の原告の人々も面白い。

獅子王の剣を突きつけられた妖狐が飛び去るところは宙乗り国立劇場小劇場はステージが狭いせいか、なんかほのぼのしていて可愛かった(?)。

 

 

 

化粧殺生石(けわいせっしょうせき)。

那須野原に飛来し、巨石「殺生石」と化した妖狐だったが、その禍々しい妖気は近づく者の命を奪い、草木を枯れさせていた。長い年月が流れる中、殺生石に閉じ込められた妖狐の霊魂は夜な夜な様々な姿に化け出でて踊り狂う。

この段はこれまでのストーリーから完全に切り離された景事。妖狐がコスプレ……もとい「七化け」を見せるお楽しみ会。

妖狐は、たんこぶのあるおもしろ「座頭」→うぶエロい「在所娘」→突然のおっちょこちょい「雷」さん→祭りの提灯みたいなのを掲げた「いなせな男」→こう見えても純朴で身持ちの固い「夜鷹」→おたふく顔が可愛らしいほっこり「女郎」→おおらかな「奴」さん→玉藻前と早変わりで変化してゆく。個人的には雷さんといなせな男が良いと思ったな。雷さんは四肢ののびのびとした動きがよかった。

イメージの違う役を巧くぱっぱっぱっと次々遣い分けてていくのが見どころだけど、勘十郎さん、余裕あるな! 悠々とやっておられるように見えた。実は私の席からは早変わりの仕掛けが一部見えてしまっていたのだが、あせることなく落ち着いてやっておられるのがよくわかった。私がいままでに観た勘十郎さんの技術上の驚きとしては『本朝廿四孝』の奥庭が一番驚異的で(あれだけ速い動きで人形の姿勢が崩れないのは本当にすごいと思う)、これはあそこまでの速い動きではなく浄瑠璃のテンポに乗ってぽんぽんやっていくので余裕に見えるし、ほぼ舞踊なので見ている方も気負いなくヤンヤヤンヤと気楽に楽しめる。って、実際には絶え間なくずっと踊りっぱなしだし、勘十郎さんには珍しく汗をかいておられたので、本当はとても大変なのだと思うけど。

この段、戦後の文楽では演じたのが先代の玉男師匠と勘十郎さんしかいないのかな? 我がバイブル、吉田玉男文楽藝話』に1枚この七化けのところの舞台写真が載っているのだが、「イケメンが狐のぬいぐるみ抱っこしとる!?!?!?!?!?!?」状態で爆笑した。いや、キマりすぎてて笑えない。ほら、勘十郎さんは愛嬌あるお顔立ちだからさ(disってないです)。あの写真1枚でもこの本買う価値あります。イケメンが狐遣ってる絵面がまじすごいんで。

 

 

 

道春館ではしっとりと浄瑠璃を楽しみ、以降はケレンに満ちた演出を楽しむ充実度の高い演目だった。観に行く前とはじめのほうの段では「人形はよくても床が……」という念がどうしても拭えなかったのだが、そのもやもやは道春館ですっきりと晴れた。この段だけでももういちど観たかったわ……。道春館がしっかりしていたおかげで後のケレン味の強い話もシンプルに楽しめた。

ところで今回、パンフレットの技芸員インタビューが勘十郎さんだったんだけど、完全に勘十郎様ワールドが炸裂していて爆笑した。インタビューページの図版ってみなさんだいたい「ワシも若い頃はイケメンやったんやで〜」的な若い頃の思い出アルバムとか載せているが、勘十郎様はご自分で描かれたキツネ姿の童子のイラスト、作ったぬいぐるみ(ブランド物にいろどられたしっぽを持つ“求美の狐”)の写真、蔵王キツネ村に行って小ギツネを抱っこしたときの写真を掲載されていて、オリジナリティ溢れすぎるページと化していた。でも勘十郎様ってほんとこだわり派だよね。単純に手先が器用なだけじゃなくて、なにごとにもこだわりと研究・研鑽をもってやってらっしゃるんだと思う。それが化粧殺生石に現れているんでしょうね。*1

 

 

 

 勘十郎様メッセージ動画

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*1:私なんかむかし『不思議の国のアリス』の眠りネズミのぬいぐるみを作ったら、不器用なくせに何の研鑽もしなかったせいで変なところから足を生やしてしまい、そのぬいぐるみ、友人一同から「ボッキー」と呼ばれてましたわ……