TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『源平布引滝』国立文楽劇場

和生さん、人間国宝認定おめでとうございます。さすが和生さん、我がことのように、いや我がこと以上に嬉しいです。

 

 

 

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『源平布引滝』。平家から源氏へ翻意した武将たちと、源平の争乱に巻き込まれる名もなき一家の悲劇を源氏の白い旗をストーリーの鍵として描く話。『平家物語』の「実盛最期」の前日譚にあたるエピソードが含まれる。

 

 

 

義賢館の段。自分の勉強用にあらすじまとめ。

京都白河の木曽先生義賢の屋敷。源義朝の弟である主人の義賢は病に伏せ、懐妊している妻・葵御前(吉田文昇)は臨月も間近であった。義賢の娘・待宵姫(吉田簑紫郎)が気遣いをしすぎる継母・葵御前を労っていると、百姓・九郎助(吉田文司)が娘・小まん(豊松清十郎)、孫・太郎吉(吉田簑太郎)を連れて庭先へやってくる。九郎助は小まんの夫で義賢に仕える奴・折平が家をあけてもう長いため、暇をもらえるよう頼みにきたのだった。折平は主人の使いで不在のため葵御前は中に入って待つよう案内するが、折平と恋仲だった待宵姫は妻子の存在に動揺を隠せない。やがて使いから戻った折平(吉田玉志)が庭先で取り次ぎを願うと、人目もはばからず駆け寄った待宵姫が恨み言を述べる。そこへ主人・義賢(吉田和生)が現れ、源氏の末孫・多田蔵人行綱に宛てた書状は届けられたかと問うが、折平は行綱の館が見つからずそのまま持ち帰ったと状箱を返す。しかし義賢は書状の封が切れていることから折平こそが多田蔵人行綱であると見抜く。源氏でありながら平家に仕える義賢に、折平は自分を行綱として清盛へ訴え出る気かと疑いをかけるが、義賢は庭の手水鉢を小松で割ることで源氏に本心があることを示し、源氏の白旗を掛け置いていつか源氏を復興させることを誓い合った。

そこへ清盛の上使・高橋判官長常(桐竹亀次)と長田太郎宗末(桐竹紋吉)が館へ白旗の詮議へやって来る。平家によって義朝の首と源氏の白旗は後白河法皇のもとへ届けられていたが、法皇がその白旗を義賢に預けたことを清盛が勘付いたのだった。しらを切り通す義賢に二人は兄である義朝の髑髏を踏んで誓えと迫るが、義賢は無念を耐え忍んで髑髏を足にかけたにも関わらず、なおも拷問に及ぼうとする長田太郎を殺害する。逃げていく高橋判官の姿に、援軍を呼ばれて自らは討ち死にするであろうことを覚悟した義賢は行綱と待宵姫に源氏の行く末を託して二人を屋敷から逃がす。事の次第を聞いていた九郎助は葵御前を在所で預かると申し出る。義賢は源氏の白旗とともに葵御前を一家に託すことを決意し、生まれ来るおなかの子どもと別れの盃を交わし、平家の無道者に甲冑で立ち会っては武具の穢れと素襖姿に着替える。現れた高橋判官、進野次郎宗政(吉田玉誉)ら討手に取り囲まれる一行、九郎助らも義賢と共に応戦するが、源氏の旗は葵御前の手から奪われて横田兵内(桐竹勘介)に渡ってしまう。義賢が奪い返した隙をついて九郎助は葵御前と太郎吉を連れて館を脱出、義賢は取り付いた進野次郎とともに自らを刺し貫き、その場に残っていた小まんに白旗を託して壮絶な最期を遂げた。

和生さんの堂々たる義賢が良かった。去年、勧進帳で冨樫で出演されてたときは大きな人形で大変そうだと思ったけど、今回はなんだか悠々としておられるように見える。とっても顔色がよくていらっしゃった。義賢が小松で手水鉢を割ることで源氏に本意があることを暗示する場面、なぜ手水鉢を割ったらそうなるのかよくわからなかった。台詞で説明があるが聞いてもわからなかった。義賢が引き抜いた小さな松には立派な根っこがついていた。

葵御前は臨月も間近の妊婦という設定だが、人形は普通の着付けになっているのね。帯のつけかた等はもしかしたら違うのかもしれないが、おなかを大きくするなどは特にない。所作も普通で、特に見た目での変化はつけないのか。この後の段で駒王丸を産んだあと出てきても見た目が変わるわけではない。

折平のスモーキーなスカイブルーに金・黒のストライプの縁のついた着物が美しかった。そして玉志さんの出番が一瞬で終了したので悲しかった。いや、こういう一瞬で出番が終わる役こそこなすべき演技そのものや人形の見た目以上のものを表現できる人がやらなくてはいけないのはよくわかるのですが……。特にこういうナチュラルにすごいドクズ役は……。

 

 

 

矢橋(やばせ)の段、竹生島遊覧の段。

白旗を持った小まんは矢橋の浦へたどり着くが、追手・塩見忠太(桐竹勘次郎)らに追いつかれてしまう。自慢の手荒さで男たちを投げ飛ばすもついに追い詰められ、小まんは琵琶湖へ飛び込む。(矢橋の段)

そのころ琵琶湖志賀の浦には豪奢な御座船が浮かんでいた。それは平家の公達・平宗盛(桐竹紋秀)の竹生島参詣の船であった。そこを小舟で通りかかった斎藤実盛吉田玉男)は清盛公の命により源氏の残党の詮議があるためと挨拶だけで去ろうとするが、宗盛の家来・飛騨左衛門(吉田文哉)に勧められて祝いの盃を頂戴するため御座船へ乗り移る。一行が盃を上げていると、勢田唐崎に松明船の無数の篝火が見え、実盛は溺れかけながら必死で泳いでいる女の姿を見つける。実盛は櫂を投げやって女−−小まんを船の上へと救い上げ、薬を与えて介抱した。小まんは実盛らに感謝の言葉を述べるが、これが平家の船と聞くと己の不運に身を震わせる。そこへ高橋判官が船で乗り付け、小まんが源氏の白旗を持っていることを一行に告げる。左衛門が小まんから白旗を取り上げようとしたそのとき、実盛が彼女の腕を白旗もろとも斬り落とし、小まんの右腕と白旗は琵琶湖の水中へと消えていった。(竹生島遊覧の段)

男勝り設定の小まんは、雑魚のみなさんを一本背負いしていた。小まんは、百人、千人にも勝るから小まんという名前らしい。パンフレット掲載の清十郎さんのインタビューには、小まんの演技は人形遣いの裁量である程度自由にできるというようなことが書いてあったが、ちょっと大人しめ、儚めのイメージにされてるのかな。御座船が平家の船と知った時点で早々にシオシオと儚くなりかかっていた。人によってはメチャクチャ強気の女に仕上げてくる人がいそうだがどうなのだろう。

文楽を前のほうの席で観ていると首等が目の前にすっ飛んできてびびることが多いが、今回小まんの腕が飛んでくるのは実盛が刀をスラリと抜いてウロウロしはじめた時点で目の前に飛んでくる予感がしたので、あまりびびらずにすんだ。とはいえ何も言わずいきなりばさっと斬り落とし、小まんの人形が後ろに倒れて小まんがどうなったのかわからないまま幕となるので驚くには驚く。

大変余計なことだが、実盛が乗っている小舟は実盛の人形のデカさのわりに小さく、前のめりに沈みそうだと思った。

 

 

九郎助住家の段。

小野原村の九郎助の家では、九郎助の女房(吉田簑一郎)が綿繰をしていた。そこへやって来たのが甥の仁惣太(吉田玉翔)。訴人すれば金になる葵御前がここにいるのではないかと探りに来た彼を、女房はそれは九郎助が孕ませたどこぞの飯炊き女だと言って追い返す。一方、葵御前はいつまで経っても帰らぬ小まんを心配していた。女房がおおよそ折平を追ってどこかへ行ったのだろうと安心させようとしていると、臨月の葵御前のために鮒を捕りに行った九郎助と太郎吉が何か獲物を持って帰ってくる。網に入っていたのはなんと若い女の片腕。草津川を流れてくるのを太郎吉がせがむので獲ったというのだ。太郎吉が女の手の持っている白絹を開いて見ると、それは件の源氏の白旗だった。一同はもしやこの腕は姿を消した娘のものではと顔を見合わせる。

そこへ源氏の胤を詮議する瀬尾十郎(吉田玉也)と実盛が、庄屋(吉田玉彦)と仁惣太に連れられてやって来る。褒美狙いの仁惣太が訴人したのであった。しらを切る九郎助に瀬尾は葵御前を出せと迫るが、実盛の執り成しで九郎助は子どもが生まれるまで待って欲しいと瀬尾に頼む。しかしなおも腹を割いてでも詮議すると強く迫る瀬尾に、九郎助の女房はいましがた生まれたと産衣の包みを抱いて持ってくる。瀬尾がその産衣を解いてみると、錦に包まれていたのは血に染まった女の片腕であった。驚き激怒する瀬尾に、実盛は中国で王妃が鉄球を産んだ故事を語り、このような不思議も世にあることと告げる。瀬尾は実盛の胸に思案があることを気取りつつ、清盛公へ言上するため腕を彼に預けて帰っていった。

入れ替わりに葵御前が太郎吉を連れて実盛の前へ現れる。実盛は葵御前に自らの本意は源氏にあることを語り、その腕はたしかに自分が源氏の白旗を守るため琵琶湖の船上で斬り落とした女の片腕だと告げる。実盛の話によるとその腕は小まんのものに間違いはなく、一同は娘の死に嘆き悲しむ。そこへちょうど近隣の漁師たちが娘が斬られていたと小まんの遺骸を届けにきた。太郎吉が母は自分に何か言いたいことがあったはずと嘆くので、実盛は斬り落とされた腕に白旗を持たせて遺骸に継げば霊魂が戻るかもしれない、この片腕に温もりがあるのも不思議なことだと言って小まんの遺骸に腕を継いでやる。すると小まんの体が起き上がり、太郎吉の名を呼ぶではないか。驚く一同、小まんは太郎吉に何か言いかけるも再び息絶える。九郎助は小まんが言いたかったのは自身の筋目のことではないかと皆に告げる。実は小まんは九郎助と女房の実の子どもではなく、堅田の浦に捨てられていたのを拾って育てた子で、彼女が懐に持っている合口はその親の形見、さらには彼女は平家の何某の娘であるという書付が添えられていたというのだ。本当の親が迎えに来るのをおそれていたのに、それより先に死んでしまうとはと、九郎助が小まんの遺骸へ取り付いて泣いているところへ葵御前が産気づく。夫婦は葵御前を奥の間へ連れてゆき、実盛は柱に白旗を飾って無事の出産を願う。葵御前は無事男の子を出産し、父義賢の幼名をもらって駒王丸と名付けられた。この男子がのちの木曽義仲である。九郎助は太郎吉を駒王丸の一の家来にと願い、実盛も太郎吉に手塚太郎光盛という名を与えて執り成すが、葵御前は平家の血を引く者とあっては念のため成人して手柄を立ててからと一旦それを退けるのだった。

そこへ一部始終を影から見ていた瀬尾十郎が赤ん坊を取り上げようと踏み入ってくる。実盛は立ち塞がって見逃しするのが武士の情けと言うが、瀬尾は聞き入れず、思えばこの女のせいで平家方は夜も寝られないと小まんの遺骸を足蹴にする。それを見た太郎吉が形見の合口で瀬尾の脇腹を刺す。瀕死の瀬尾は、平家譜代の侍の自分を討ち取る手柄を立てたのだから太郎吉をいますぐ駒王丸の家来にしてやって欲しいと葵御前に懇願する。実は瀬尾こそがかつて小まんを堅田の浦に書付を持たせて捨てた父であり、太郎吉は彼の孫だった。太郎吉が平家の縁と嫌われ一生埋もれぬよう初奉公の手柄にと、瀬尾は自らの首を搔き落とす。これには葵御前も太郎吉をすぐに若君の家来にすると喜んだ。太郎吉は母の仇である実盛に挑もうとするが、実盛は太郎吉と若君が成人して挙兵したそのときこそ改めて討たれようと告げ、軍馬の手綱を取る。どこからか出てきた仁惣太が事の次第を平家方へ注進しようと駆け出すところへ実盛は鉤縄を投げ、仁惣太の首をかき落とした。太郎吉はおもちゃの馬に乗って時期を待たずとも今勝負と声を上げるが、実盛は歳月が経っても太郎吉に自分の顔がわかるよう、髪を黒く染めて出陣しようと約束し、馬に乗って去っていった。

まず言わせてもらいたいが、文楽時空、首とか腕とか転がりすぎではないか。武家社会の云々で首がすっ飛ぶのはもう仕方ないと思うが(それにしても転がりすぎだとは思うが)、川をどんぶらこっこと腕が流れてきて「とって〜」とせがんでくる子ども怖すぎ。ただの死んだ腕が何故怖いってお前が怖いわ。

九郎助の家へ詮議にやって来る二人の使い、瀬尾十郎と実盛は実盛のほうが正使なのかと思っていたが、瀬尾のほうが正使なのかと思うくらい、瀬尾のほうがのし!のし!と歩き、家のどまんなかにドーンとすんごい居丈高に座る。どんだけデカいジジイやねんというくらいドーンと座っていた(床几に座っているんだそうです)。実盛は控えめに上手に座っていた。ここは二人の座り方の違いで人物像やポジションの違いを出しているのだと思うが、やはり人形は姿勢のつけかたひとつで見え方が全く変わるんだなと思わされた。ここだと大きいはずの実盛の人形も瀬尾との対比でそんなに大きく見えないのが不思議だった。

瀬尾は葵御前が産んだと言って見せられる女の腕にものすごい勢いでびっくりしていた。腕より瀬尾のリアクションのほうにびっくりした。床几から転がり落ちるくらい驚いていたが、武士なのにそんなにびっくりしてくれるとは、首やら腕やら足やらがフランクに転がる文楽業界においてなんとありがたい人だろうかと思う。

実盛の人形もこの間に何かちょっとしたお芝居をやっているらしいが、瀬尾のリアクションが大きすぎて目に入らなかった。いや確かに時々なにか……、いやなにかって眉毛とか目とかがピコピコしていたのだが……。中国の故事を唐突に語り出して瀬尾をケムに巻くところは、「莫耶の剣」ってそういうふうにできたんだーと違うところに感心した。そして突然「手孕村」と名付けるところとか、これも突然太郎吉に「手塚太郎光盛」という名前を授けるところでは、浄瑠璃ならではの謎のダイナミズムを感じた。あとはもう書くまでもないが、小まんがこうなった琵琶湖での経緯を語る「物語」の部分では、扇子の扱いなどの所作の丁寧さが光った。実盛って目立つ動きのある演技はこの物語と馬に乗るところだけなので、はじめは良い役ながら地味だなーと思ったのだけど、しっかりした人でないと、物語部分やじ〜っとしている間の間が持たないんだろうなと想像する。

瀬尾は一番良い役。一度は九郎助の家を後にするが、小まんの死体とともに笠で顔を隠しながら戻ってきて(デケー人形なので頭隠して尻隠さず状態なのが可愛かった)、家の中の話をこっそりと聞いている。瀬尾はいつから小まんが自分の娘だとわかっていたのだろう?もとから知っていた?話を立ち聞きして知った?太郎吉がすぐには駒王丸の家臣にしてもらえなかったことを聞いて、わざと太郎吉に討たれる。そのとき、大人になって手柄を立ててからでは埋もれてしまう、若いうちから家臣としてついていないと出世できないということを言うのが妙にリアルだ。瀬尾が首のうしろに刀を当て、鋸引きのようにして自らの首を落とすシーンは生々しくて怖かった。文楽は人形がやっているから生々しくない、怖くないと思いきや、人間の俳優が演技しているよりも生々しくおろそしかったりするのが不思議である。

あとは実盛の馬がめちゃデカかった。玉男さんが手摺の上部くらいの高さにまで位置が上がっていたがあれは本当大変だと思う。少しとはいえ、実盛、馬に乗ったまま移動するし……。でも文楽のお人形さんは本当うまく馬に飛び乗ることよと思う。ものすごく颯爽と飛び乗っていた。本当に生きているかのようピョコンと飛び乗るのが可愛いし、客席にお尻を向けて飛び乗るというのがうまいよね。実盛はぴんとした姿勢で馬に乗った姿が凛々しく美しかった。その隣でちいちゃなオモチャの木馬に乗る太郎吉が可愛らしい。

それにつけても仁惣太が何回も出てきたのには笑った。玉翔さん今回出番多いな!と思った。最後に実盛に馬上に持ち上げられ、首を落とされるところは大変見事に首が落ちたので驚いた。ほぼ手品状態でどうやっているのかよくわからなかったが、あまりに見事な首コロリぶりに客席「おお〜」と盛り上がっていた。文楽劇場のお客様は首が転がってもおかしい年頃。

しかし何はともあれ九郎助住家、床が4交代するのは交代しすぎだと思う。太夫さんによって登場人物の語り分けのしかたが異なるので、誰が喋ってるのかわかんなくなるのが一番困る。とくに実盛と葵御前が人によって語り方が結構違い、つらい。ぶっちゃけ誰が喋ってんのか人形見ないとわからない太夫さんもいるし。それに交代しているあいだに待っているお人形さんが不憫すぎて……。でも、いつも滝汗の玉男様が床が回っている間に目立たないようひっそりと汗を拭いておられて(人形が後ろを向いているのです)、そこだけはキュンとしたので今回は特別に許そうと思う。

 

 

 

舞台としては全体的に落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと浄瑠璃を楽しめて良かった。やはり文楽はゆったりした気分で観られるのが良い。

正月の『奥州安達原』や2月東京の『平家女護島』では浄瑠璃のバックグラウンドへの知識がなく、いきなりはじまる話についていけず「????」となったが、今回の『源平布引滝』は『平家物語』を少し知っていたのでまだついていきやすかった。こういった登場人物の入り組んだ争乱の話も、すこしとっかかりがあると理解しやすい。それと、浄瑠璃が有名なモトネタに何を・どこに話を盛っているかがわかると、より話が面白く感じられる。この「何を盛っているか」が意外と(?)理解の鍵になると思う。やはり『平家物語』は文楽、能の観劇には必修の一冊だなと感じた。 

 

 

 

 

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