TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 赤坂文楽 #17『義経千本桜』赤坂区民センター

今回の赤坂文楽は玉男様メインで幽霊知盛・碇知盛。前回はものすっごい後ろの席しか取れず浄瑠璃聞こえねえ事件が起こったが、今回は頑張って前方席をゲットした。

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上演は『義経千本桜』二段目「渡海屋・大物浦の段」より、幽霊知盛および碇知盛の部分の抜粋。この幽霊知盛と碇知盛の上演のあいだに1時間玉男さんのトークショーを挟むという形式。

開演してから気づいたのだが(遅い)、ものすっごい簡易なセット&人形の数がミニマムで、本当、知盛(吉田玉男)のみの演技を純粋に見てもらうという上演だった。出演者の人数の制約からか、お安(安徳天皇)や内侍局ほかの登場人物の人形がいないのが驚き。これ本公演ならまだ他の登場人物いますよね? 知盛以外素浄瑠璃状態。「と娘の手を取り上座へ移し奉り」って、あれ? 娘、いねえ〜! 「昔の日本映画では天皇の姿は恐れ多いとして基本的に登場させないため、周囲の俳優がエア演技状態」になっていた。前回の赤坂文楽の記事にも書いたけど、会場の赤坂区民センターは講演用ホールのような場所で、ステージも大変に狭く、ものすごい庶民感溢るる場所。セットも会場備え付けの暗幕の前にL字型の障子(納戸、いわゆる「一間」)を立てただけのものすごい簡易なもので、これで脇役もいないとなるともはや現代演劇状態と申しますか「玉男様にこんなショボい舞台でやらせんな💢😡」と思ったのだが、知盛の人形が舞台に出てくると、白糸縅の鎧に白く輝く衣装を着た知盛の周囲だけ空気が違い、そこだけが現代の赤坂ではなく『義経千本桜』の世界になっているようで驚いた。最後、出陣のまえに、ステージ手前側に知盛が降りてくるくだりでは人形の大きさに驚き。どんな人形でもそうだけど、ちょこんと置いてあるとそんな大きく見えなかったり、逆にこけしのように棒立ち胴長で美しく見えなかったりするが、やはり人形遣いさんが持っていると違うのだなと思わされる。前述の通り今回は結構前のほうの席が取れたため、国立劇場よりも間近で観られる感覚で長刀(人間サイズ!)を振るう演技を迫力満点で観ることができた。

 

 

トークショーは高木秀樹さんを司会に、赤坂文楽のテーマでもある「伝統を受け継ぐ」について、玉男さんに先代玉男師匠から受け継いだ芸・心についてお話ししてもらうというもの。玉男さんはふんわりとしたやさしい口調で、柔和な雰囲気。渋い外見とのギャップに驚き。結構ビシッとした感じの方かと思っていたけど、とても自然体というか、落ち着いたほんわか癒し系の方だった。以下、お話内容の簡単なまとめ。

 

┃ 知盛の役について

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  • (会場で配布されていた資料に載っている「渡海屋の段」の舞台写真*1、知盛役の先代玉男師匠と、お安役の当時のご自身を見て)この写真は15〜6歳、入門して2年目ごろだと思う。太夫は津太夫師匠、三味線は寛治師匠(6代)だった。お安は実は安徳天皇なので身分の高い役だが、そのころはどう遣ったらよいか、まだよくわからなかった。先代玉男師匠は三段目のすしやの維盛でも出演していた。そこには勘十郎くん……そのころは簑太郎くんも六代君の役で出ていた。師匠は平家の“七盛”を遣っていた。師匠は栄三師匠を大変尊敬していたが、最終的には、栄三師匠より知盛を遣った回数が多かったと思う。

  • 大役の主役の足を遣えるようになるには、10年くらいかかる。知盛の足は1、2回しか遣ったことがない。そのうちに玉輝くんや玉志くんが入ってきて、左遣いになった。NHKから出ている『義経千本桜』のDVDに入っている映像は文楽劇場開場記念のもので、師匠は知盛、その左がぼく、足が玉志くんだった。師匠の左は25年くらい遣っていた。左遣いは舞台全体を見ていなければならないので、大変気を使う。

  • 幽霊知盛では、長刀の演技があるので左遣いが重要になる。師匠は初役で知盛を演じたとき、文五郎師匠に聞きに行ったらしい。なぜ女形遣いの文五郎師匠に?と思われるだろうが、文五郎師匠は知盛のかしらである検非違使を遣うのがうまかったらしい。検非違使にはピリピリ、キビキビした動きが必要で、文五郎師匠のそれは検非違使のかしらの性質をうまく表していたそうだ。
  • 知盛は「平家の大将知盛とは」のところで左手に持った長刀を大きく振る演技がある。このとき最初は刃を外側(上手側)に向けて振るが、上手には安徳天皇がいるため、畏れ多いとすぐに刃を内側へ持ち直す所作をする。これは師匠が文五郎師匠から教わったことだが、文五郎師匠が考えたわけではなく、口伝で伝わっていたことではないか。(ここでその所作を実演。左遣い・吉田玉佳さん、足遣い・吉田玉路さんのご紹介。ご自身で浄瑠璃を語りながら長刀を振って「ヤー♪」と掛け声をかける玉男様にキュン)
  • 幽霊の姿になると、銀平の姿のときとかしらが違い、手も違う。手は銀平のときはかせ手だが、幽霊の姿ではつかみ手(すみません、このあたりあいまい)。この手は5本の指が離れて動くようになっており、指先に真鍮が入っているのでチャキチャキ鳴る(実演)。最後に義経を討とうと出陣するときは「団七走り」。『夏祭浪花鑑』の団七は「韋駄天走り」で、これとは違う(と、知盛の人形で韋駄天走りの実演、玉男さん超笑顔)。「団七走り」は下手を向いて走っていくので客席からはわかりづらいが、人形には表情もつけている(舞台奥から手前へ向かって走る実演)
  • 自分はこんど64になるが、知盛のような大きい人形で腹のある役は「しんどい」。この人形の重さは10kg程度。師匠は最後、亡くなる2年前、85歳のときにも知盛を遣っていた。師匠は知盛の人形を自称「20kgある〜!!」と言っていた。「えーっ、ほんまですかー!」って……。……そこまではないです……そんなあったら持てません……(笑)。
  • 大きな立役の人形でも、弁慶は意外と軽い。4・5月第1部菅原の寺子屋・首実検の松王は大変重く、10kg以上ある。着流しであれだけ重いものはほかになく、左遣いの玉佳が助けてくれた。すべて自分だけで持ち上げているわけではなく、左や足がつくのでそこで少しラクになる。こういった大きな人形は若いころは重く感じるが、年をとると体力は落ちるはずなのにラクになる。それは経験を積んで力の抜きどころがわかるようになるからで、余計な力が入らなくなるのだろう。

 

┃ 先代玉男師匠のこと、一門のこと

  • 人形は、主遣いが出している「ズ」というサインを左遣い・足遣いが読み取って動かしているので、事前に打ち合わせをしなくても演技ができる。……ちょっとは打ち合わせしましたけど、1時間くらい前に……(笑)。なので、いまいきなりアドリブで演技をすることも可能。時々舞台でもアドリブをやって足遣い・左遣いがついてくるか試すことがある。先代は毎日違うことをやりだすことがあり、勉強になった。毎日同じことをやったらつまらんでしょ。
  • 左遣い・足遣いは主遣いの指示に従っていればいいが、主遣いは自分が演技をしなくてはならないので、床本をよく読んでいなければならない。自分のセリフ、なぜそのような行動をするのかをよくわかっていなくてはいけない。
  • (玉男さんの楽屋に行くと皆さん一生懸命床本を読んでいるのが印象的、ほかの人形さんの楽屋ではそんなことはないと振られ)それは先代が床本をよく読まれていたから。先代はあれだけ遣った徳兵衛でも、いつも床本を読んでいた。
  • 昭和の近松復刻は、長く上演が断絶していて初演も同然だったため、床本と音から理屈に合った演技を考えて作っていた。天満屋でお初に足をつけるのは先代が考えたこと。当時お初役だった栄三師匠は昔の人で、遊女の人形に足を吊るなんてと大変嫌がったが、先代がどうしてもやりたいと、そのときだけ人形とは別途用意していた足を出すという方法で出せるようにしてもらった。天満屋は歌舞伎でも拝見したことがあるが、歌舞伎だと足に顎を乗せてるんですね。喉笛へカミソリのように足を当てるのは文楽ならではの良さだと思う。(え? 歌舞伎も喉笛へカミソリのように足当ててるつもりなんじゃないの? 玉男様の独自の感性によるご感想???)
  • 天神森は、初演当時は徳兵衛が刀を構えたところで幕となっていたが、海外公演でわかりづらいということで、お初を刺す→徳兵衛も喉を突いて上に倒れるという流れに変えたらしい。それが国内公演でも演じられるようになった。ぼくが入座したときにはすでに突くやりかたになっていた。徳兵衛の相手役、お初の役は栄三師匠、簑助師匠、文雀師匠、先代清十郎師匠が遣っていたが、先代は簑助師匠とよく組んでいた。
  • (先代は女形も遣われましたがと振られ)師匠は女形の役もあり、加賀見山の尾上、野崎村のお染、合邦の玉手御前、忠臣蔵七段目のお石、先代萩の政岡も遣っていた。ぼくは女形の足を遣ったことはないが、当時、すべてではないが左には入っていた。
  • (二代目にも尾上を遣って欲しいのですがと言われ)尾上は……それはちょっと……遣えませんわ……/// 先代の尾上の役は、先代の気品、品格によるもの。師匠は菅丞相など、気品のある役をよく遣っていた。
  • 5月東京公演『加賀見山旧錦絵』で遣った岩藤は八汐と同じで歌舞伎でも立役が演じる役。自分は10年前の4月に大阪で遣ったのが初めて。岩藤は憎く遣わなくてはいけないと言われる役で、そのときは「もうちょっといじめないかんのかな?」と思っていた。今回は「憎かったかな?」と思っている。
  • (先代は人を斬るときの気迫がすごかった、足遣いで密着しているとその気迫が伝わってきて、いまから斬るぞというのがわかったと聞いていますがと振られ)……??? そんなことないと思いますけど(笑)。でも、人を斬る役はゾクゾクする役。『国言詢音頭』の初右衛門とか。
  • (玉男さんや一門の方は人形を遣っているとき「わて知らん」という感じで、表情が出ませんねと言われ)そんなことありません、ぼくは若いので(笑)表情が出てしまう。力が入らないように、無表情でできればと思っている。
  • 直弟子は4人いる。玉路、玉峻、玉延、玉征。それと弟弟子を預かっている。若い人を見て、若い人に教えるのは大切なこと。いちいち「ああして、こうして」とは教えられないが、舞台をよく見て、床本を読むように言っている。ぼくはどうしても忙しいときが多いので、玉佳くんが軍曹として教えている。ぼくが忙しいときは玉佳くんに質問してもらう。玉佳くんは聞きやすい人だし。
  • (若手会には左などで出演されるのですかと聞かれ)ぼくはもう出ていなくて、監修の立場。玉佳くんたちが応援で黒衣で出る。いまの若手会は玉勢くん、簑紫郎くんたちが主だってやっている。
  • (知盛の役は先代玉男師匠から玉男さんに受け継がれ、次は玉佳さんに受け継がれるんですねと振られ)玉佳はずっと初代の足を遣っていて、ぼくの左についているので、よくわかっていると思う。

 

┃ 幽霊知盛と碇知盛

  • 渡海屋(幽霊)と大物浦(碇)では、渡海屋のあいだのほうが「しんどい」。これから義経を討とうと出陣する場面があるので。着流しの人形は基本的に自分も気持ちをゆっくりできるが、大きい役は腹にグッと力を入れて遣わなくてはならない。『菅原伝授手習鑑』の松王は「しんどい」役。「腹がある」役は気を使って遣わなくてはいけない。碇は手負いなのでそれに比べるとラク。髪を捌いている役はどんな役でも気分的にラク。だませるから……(←?)

  • 碇知盛は三味線のメリヤスに乗って登場し、軍兵の人形と戦うカラミがある。注目してみてください。
  • (ツメ人形でも、キャリアが長い方が遣っていることがありますね、玉男さんはいつまで遣われていましたかと振られ)ツメ人形は40代くらいまでやっていた。人手の少ない巡業や地方ではツメ人形で出たりすることもあるが。一人遣いのツメ人形は難しい。とくに『一谷嫩軍記』の「脇ケ浜宝引きの段」に出てくる百姓のツメ人形はやることが多く、難しいですね。
  • (付記:昨年9月東京の宝引きのお百姓ツメ人形のみなさんの写真がありました。下記twitter引用ご参照。たしかに出遣いでいいでしょうというような豪華配役。ツメ人形だけで長時間演技するので、技量のあるひとしかできないんでしょうね。……というか、みなさんご自身のお顔立ちとツメ人形の顔が似ているのは気のせい??) 

 

  • 碇知盛は碇を持って極まるところが見所。段切で知盛は碇を頭上にかつぎ、頭から後ろ向きに海へ落ちる(入水する)。文楽はこの碇についているヒモが短い。歌舞伎はものすっごい長いですね。海に飛び込むところは歌舞伎ではバク転するけれど、文楽の場合空中で人形が逆さまになってゆっくり落ちる。このときポンとそのままひっくり返したら足の形がメチャクチャになってしまうので、足遣いが足を綺麗な形に作るのが大切。師匠は余韻が残るよう「跡白浪とぞなりにける」でゆっくりやるように言っていた。ここは三人以外にもうひとり介錯がついて、四人遣いのようになる。
  • 大物浦のセットはずっと昔から島状になっていて、小島と千鳥(とりピーピー)を出していた。なんでかな?と思うんですけど……。小舟で行かんでいいんかな?と思うんですけど……。(このあたりよくわからなかった。玉男様の独自の感性の話でしょうか)

 

トークショーはここで時間切れ。玉男さんの意外な一面を知ることができて、面白い1時間だった。人から「玉男さんはボソボソとしか喋りませんよ」と聞いていたのでトークショー1時間もあるのがとても心配だったのだが(クソ失礼)、聞き上手の高木さん相手だとお話されやすいのか、マイペースに楽しげにお話されていた。でもやっぱりお人形を持ってお話されているときが一番いきいきされているね。そして、上記まとめではニュアンス伝わらないと思うけど、玉男さんは玉佳さんを本当に頼りにされているんだな〜と感じた時間だった。

 

 

 

最後は碇知盛の実演。これも暗幕前というセットも何もない場所での実演だったが、前半とおなじように人形はその空間から次元が切り離され、くっきり浮いて見える。呂勢さん燕三さんもそうなんだけど、本当この厳しい状態でよく間が持つなと思う。イベント等でのお若い方のデモンストレーションだと、この間が持っていない(本当にデモンストレーションにすぎない)ことも多いので、さすがベテランは違うと思わされた。この部分の冒頭では左遣いが転倒するという意外な(?)ハプニング。倒れる寸前に左手をきれいな形にしてすぐ離されたので、人形の演技には影響なかったが大丈夫でしたでしょうか……すぐ介錯の子が飛んできて、もとのポジションに戻られたので平気かと思うが。余計なこと観察してても失礼なんだけど、ものすっごい狭くて背後余裕なし、手すり超ギリギリの場所でやっているからだろう。本当大変だわと思った。

段切、碇をかついで海に飛び込む部分のみ岩場と海のセットを出して上演。足場が悪そうでみなさん無茶苦茶な姿勢になっておられたけど、見事だった。話題になっていた、入水するときの足の形やスローモーションのようなゆっくりした動きもなるほどと。この最後の部分、私が最初に観に行った昨年2月の東京公演だと知盛が勘十郎さんで、そのときは一瞬で碇と一緒に落ちていた。私は知らなかったのでそういうものかと思っていたけど、どうもそれは文楽の定法の型ではないらしい。その一瞬で落ちるという演出については色々な意見があるようで、今回のトークショーでも話題に出た(振られても玉男さんはそうらしいですねーとしか返していなかったが……)。歌舞伎では役者が普通に重力に従って落ちるようだが、文楽は人形が演じているため重力にとらわれない動きができるので、ゆっくり落下するという人形浄瑠璃であることを活かした演出になっているようだ。

 

 

今回は床の正面になる席が取れたため、太夫さんの語りも三味線の音も満喫。音響悪い会場だなとは思うけど、以前のように「太夫の声が琴の音より小さい」という悲惨な事態にはならず、十分楽しめた。でもやはり悪い環境でも輝いて見える人形が一番印象的だったな。ダイジェストなのが勿体無い。次に本公演でこの段が出るときには、知盛役は玉男さんで観てみたい。

 

 

 

 

*1:調べたところ、その写真は1970年(昭和45年)4月朝日座公演の通し上演の時のもののようでした。