TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 5月東京公演『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』国立劇場小劇場

東京第一部は4月大阪の第一部と同じ演目。せっかくなのでダブルキャストを勘案し、出来るだけ配役が異なる回のチケットを取った。その点交え、大阪公演と比較して感じた点を中心に書いていきたい。

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『寿柱立万歳』。大阪では床というか太夫さんの揃ってなさがいくらなんでもレベルだったが、東京で千穐楽も近い日となると慣れてこられたのか、さすがに揃ってきていた。人形は変わらず良かった。

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』。

茶筅酒の段。まず違ったのが大根の立派さ。「そこ?」と言わないでください。まじ立派な、ちゃんとした八百屋に行かないと買えないような40cm以上ありそうなご立派な大根だった。大阪ではちっちゃな大根で葉っぱは作り物だったのに、今回はちゃんと本物の生の葉っぱだった。これも千穐楽が近いことによる大盤振る舞いでしょうか。(大阪での大根は ↓ みたいな感じ)

大根がデカいせいで八重(吉田簑二郎)の首斬り浅ぶりがパワーアップ。それはそれは豪快な風呂吹き大根ができたのではないだろうか。

ところで、東京公演と大阪公演両方行かれる方はご承知のことと思うが、東京公演で販売されているパンフレットと大阪公演で販売されているパンフレットは内容・編集が異なっている。東京公演のパンフレットには鑑賞ガイドやあらすじ解説のほかに「上演作品への招待」という演目に関するかなり詳細な解説記事がついている。これによると白太夫(吉田玉也)は「茶筅酒の段」の段階ではまだ事態の深刻さを理解していないと書かれている。てっきり、事態の深刻さは理解しているが、さすがに実の息子のことなので行動を決めかねてカラ元気で通しており、その間にどんどん事態が悪い方へ転がっていくという流れなのかと思っていた。ふーん。やや暗い印象というか、悩んでいるようにも見えるがそうでもないのか。三方を出されたときなどはビクッとしているが……。

 

 

喧嘩の段。ここが大阪公演とは配役が違う。太夫=竹本小住太夫、三味線=鶴澤寛太郎、人形・梅王丸=吉田玉志。言うまでもなく、玉志さんと小住さん目当てである(カンタローすまんね〜)。

まず松王丸(吉田玉男)と梅王丸が兄弟に見えたのが大阪と違う点*1。それは喧嘩するところでとくにそう思った。意図か否かはわからないけど、基本的な雰囲気や動きがばらけていない。クセのなさの方向性や、すっと立っているときや人形が動き出すのときの雰囲気(動きそのもの?)の近さが兄弟っぽさを感じさせるのだろうか。玉男さん、玉志さん、おふたりともお師匠様が同じだから芸風が近くて揃って見えるのか。それとも単に人形遣いの身長差や体力差問題か。あとは梅王丸がお兄ちゃんに見えた点が違うかな。三つ子だけど一応長兄。桜丸切腹で最後に戻ってくるところの、やさしさというか、芯のしなやかさというかの、なんともいえない微妙なニュアンスが面白いと思った。春(吉田一輔)にこそこそと何か耳打ちする仕草の雰囲気とか。大阪の幸助さんはもうちょっと気が強いというか、芯が太い雰囲気だったな。ひとによって印象が結構変わるものだなと思った。

太夫は大阪で大変好評だったと聞く小住さん、たしかに良かった。お若いのに貫禄ある。あのプリツヤをキープしつつ、のびのび育って欲しいと思った。

そんなこんなで、大阪では中学生兄弟のそれだった松王丸と梅王丸の喧嘩だが、東京では高校生か大学生の兄弟の喧嘩くらいになっており、キャスト違いを楽しめた段だった。

 

 

 

訴訟の段〜桜丸切腹の段。

桜丸(吉田簑助)のあの儚げだけど意思のある雰囲気はどこからくるものだろうと思っていたが、桜丸は座ってからずっと、どこか遠くを見ているのだな。八重や白太夫に視線がいっておらず、つねにやや上向きで、客席の中空を見ているようだった。視線というのは、大切なことなのだなと感じた。

 

 

 

襲名披露口上。大阪とは口上のメンバーが変わり、太夫からは司会・呂勢太夫さん、太夫部代表・津駒太夫さんに。清治さんと勘十郎さんは大阪に引き続き挨拶。津駒さんは汗ダラダラで顔が(>_<)になっていて、この人口上でもメッチャがんばってる!?と思った。呂勢さんからは、若太夫師匠が若太夫襲名後も床本の表紙に「呂太夫」と書き続けた話があった。なぜ呂太夫と書き続けたのか。若太夫師匠ご自身はもう目が悪くなっていて本当は床本はいらないのだが、のちに呂太夫を襲名するひとにその名が入った床本を使ってもらうためだったという話だった。

 

 

 

寺入りの段。大阪公演で謎だった「千代(桐竹勘十郎)が持ってくる手土産の中身」が判明。今回は手土産をめぐる流れが大阪と違っていて、子どもたちが勝手に開けて食べようとしたところで戸浪(桐竹勘壽)がすかさず近寄ってきて、バカッと蓋を閉めて箱ごと回収してしまった。あらら。が、よだれくり(吉田玉翔)が実は中身を少々ガメていて、寺子屋の段の冒頭で屋台のヘリに中身を並べたり、目に当てたりしていたため、中身がはっきり見えたのである。それを見るとどうもレンコンやニンジンの煮物のようだった。大阪公演の際に見えていた半月型の茶色の物体は半月切りにした何かの野菜のようだ。なぜ今回戸浪は蓋を閉めたのか。あの手土産には「四十九日の蒸物」の意味があるそうなので、全部食ったら最後の野辺の送りが引き立たないからか。

 

 

寺子屋の段。

人形がすごく良かった。大変力が入っていると感じた。ものすごく漠然とした物言いになってしまうけど、松王丸、千代がとてもよくて、ドキドキして、本当、観に来てよかった〜と思った。文楽を観ていると、時折舞台上に多少ノイズを感じることがあるけど、そのノイズが松王丸・千代の演技ですべてかき消されている感じ。終演後、うしろの席の男性が「よく子供殺したな〜」と感心したように言っていたのが印象的だった。よくぞ殺す決意をした、というニュアンスのようだった。話の内容からするときわめて正しい反応だが、これ言わせるだけある内容だった。この感想、現代の感性では普通は絶対ありえないよね*2。源蔵役の和生さん、戸浪役の勘壽さんも本当良かった。戸浪はちょっと婀娜っぽい別嬪奥さんてな感じですごく好きだった。千代とはまた感じが違うのが良い。

さて、大阪公演の感想で「寺子屋の段」は呂太夫さんが一人で語ったほうが良いと書いた。襲名披露の祝いに前後分割でしかも前はかわいそうという心情もあったのだが、一番の理由はその分割した前後がつながっていなかったから(主に声量)。あまりのつながってなさに、普段からこんなだったかと思ったのだが、今回は普通につながっていた。それには呂太夫さんが頑張っておられたのと、咲さんが調整されていたのがあると思う。が、咲さんは途中、千代のクドキの部分でかなり弱々しくなっていて、心配になった。燕三さんがサポートされていて、最後は持ち直しておられたけど……。そんなこんなで今回は結果的に前後がつながって普通に聞こえた。

 

 

 

大阪と東京の両方で同じ演目を見るのはどうかと思う部分も若干あったのだが、東京公演も観に行って良かったと思う。さすがに2ヶ月目の最後ともなると皆さんパフォーマンス上がっていて、明らかに良くなっている方もおられたのがわかったし、自分自身も話をよりよく理解でき、細かい人形の演技をよく見ることができて、満喫した。

あとはやっぱり大阪と東京の客席の雰囲気の違いを感じた。大阪だとお客さん皆さんワイワイキャッキャやってて盛り上がっている感じだけど、東京のお客さんは真面目に観ている感じ。『菅原伝授手習鑑』、人形の出で拍手があったの、簑助さんだけだった。拍手はともかく東京公演は上演中に喋ってる人がほとんどいなくて本当落ち着いて観られるのが良いんだけど、大阪公演では他のお客さんと一緒にヤンヤヤンヤするのが楽しいですね。

 

大阪公演『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』の感想はこちら↓

 

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*1:例えて言うなら、大阪はなんというか、『現代やくざ 与太者仁義』って感じだった。これ、私がいままでに観た映画の中でも最強に無理のある兄弟配役の映画でしてねえ……。なんせ池部良菅原文太田村正和が兄弟という設定の映画なんですよ。言うてもヤクザ映画やし兄弟言うても盃の兄弟やろって思うでしょ? 違うんです、ガチで血のつながった兄弟設定。無理ありすぎて初めて観た時には企画者の正気を疑ったものだ。でも、東京公演では『狼と豚と人間』くらいになっていた。これは三國連太郎高倉健北大路欣也が兄弟設定で、まだわかる(?)。という感じ。以上、よりわかりづらいたとえ話で失礼いたしました。

*2:ちなみに大阪での後ろの席の人の反応は「子供殺すのはありえないね」という現代人として至極尤もなものだった。ザ・素直!!!