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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 4月大阪公演『楠昔噺』『曾根崎心中』国立文楽劇場

初めて文楽劇場へ行ってから1年が経った。短い1年だったような、長い1年だったような。 しかし1年前は今にも増してものがまったくわかっていなかったのに、よく大阪まで行ったな。勢いだけで行ったわけだが、勢いというものはすごいものだと思った。

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『楠昔噺』。

「祖父は山へ柴刈りに 祖母は川へ洗濯に」の角書きの通り、昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました^^ お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました^^ から急転直下に始まる文楽的悲劇。南朝北朝が争う太平記の時代を舞台に、「桃太郎」や「舌切雀」、あるいは端午の節句の風物を織り交ぜながら語られる、とある家族の物語。話が複雑なので、あらすじをまとめながら書いていきたい。

 

碪拍子の段

河内国松原村の百姓、徳太夫(人形役割・吉田玉男)と小仙(吉田和生)はそれぞれ再婚同士の仲の良い夫婦だった。二人はきょうも連れ立って出かけ、徳太夫は山へ柴刈りに、小仙は川へ洗濯にと二手に別れた。時が経ち、山仕事を終えた徳太夫が川岸にいる小仙を迎えに来ると、小仙は徳太夫が再婚前に勘当した息子・竹五郎から自分宛に密かに詫言状が来ており、そこには実母でない自分のことを「母様」と書いてくれていたと告げる。しかし徳太夫は、婿の正作にさえ面倒をかけていない自分が出世したという竹五郎を赦しては養って欲しさと思われる、勘当を赦すつもりはないと言う。それより小仙の連れ子のおとわは赤の他人の自分を大切にしてくれる、これ以上に可愛いものはないと。しかし小仙はおとわの夫の正作が牛博労でずっと家をあけたままで不安であり、竹五郎に家に戻ってもらいたがっていたのだった。話はどこまでいっても平行線で、二人はこの話はもうしないことに。

そこへ川上から流れてくる見事な花橘の枝。小仙が拾い上げたその枝を徳太夫が欲しがった。どうせ孫への土産にしたいのだろうと小仙が言うと、孫への土産はもう山で見つけてあると徳太夫は懐から雀を取り出す。雀のほうから袖口へ飛び込んできたのを、孫に与えようと捕まえておいたというのだ。それを見た小仙は雀を欲しがり、二人は花橘と雀を交換する。しかし実は二人は花橘と雀を孫の土産にしたいわけではなかった。徳太夫の欲しがった花橘は橘氏の出である婿の正作の瑞祥、小仙の欲しがった雀は竹五郎が羽を伸ばす吉兆(竹に雀)であると思っていたのだ。

二人が連れ立って帰ろうとすると、団子売(吉田簑一郎)が通りかかる。団子売は後醍醐天皇の臣下・橘正成と鎌倉幕府方の武将・宇都宮公綱が戦う天王寺の決戦を見てきたと話す。楠木正成が幕府方の六波羅軍を破ったと聞くと、なぜか徳太夫が喜ぶ。次に落武者(吉田玉勢)が通りかかり、宇都宮公綱が現れると楠木正成は彼と一戦も交えず逃げ出したと話す。すると今度は小仙が喜びをあらわにする。二人はお互いに楠や宇都宮に縁があるのかと気色ばみ、小仙は花橘を川へ投げ捨て、徳太夫は雀の嘴を折って追い放ち、仲違いしたまま家路についた。 

絵本の昔話のように「むかしむかし」から始まるほのぼのした雰囲気の浄瑠璃。九十九折の山道を表現する、奥行きのある重層的なセットが印象的。幾重にも重なった山を徳太夫の人形がゆっくり登っていくと、途中の坂から人形が遠見の人形に差し代わる。遠見の人形は普通の人形の半分くらいの小さい人形だが、普通サイズと違わず細かく作られており、ちゃんと三人遣いだった(みな黒衣)。山を登っていく徳太夫を川岸で見送る小仙が「いとしや去年まではあのやうな足許ではなかつたに、モウ一年々々弱りが見える」とつぶやくのが妙にリアル。

小仙の人形はすそを捲るので足が吊ってあり、三味線(鶴澤清友)のメリヤスに乗せて足踏みしながら洗濯物を踏み洗いしていた。これが結構難しいとのことだが、自然にフミフミしているように見えた。小仙、和生さんが遣っているせいか、田舎の一般人婆さんだが穏やかな品があり、娘婿に武将がいてもおかしくないなと思わされた。

山から帰ってきた徳太夫が小仙の洗濯が終わるまで待っている場面、小仙が着物の裾をたくし上げて洗濯の仕上げにかかろうとすると、徳太夫が「そんなところを通りがかりの仙人が見かけたら、通力を失って落っこちる〜!」と言い出すのがかわいい。受けて小仙は「それは五十年前の話」と言っていた。

この段ですごかったのは、雀の舌を引っこ抜く徳太夫と、ビキニアーマーよりやばい格好の落武者。雀の舌、目の前でブチィと引っこ抜かれてびびった。引っこ抜かれた舌はわりと大きい赤ピンクのぺなっとした物体で怖かった。さっきまで小仙の左遣いさんが手に持った雀(原寸サイズのリアルな小道具)をぴこぴこしてあげていたというのになんという無惨。当たり前だが玉男様完全に真顔で閻魔大王状態になっておりますます怖い。落武者は裸に鎧だけを着た大胆な人形。ビキニアーマーは江戸時代からあったんだ。いやビキニじゃないけど。厚紙でできてんじゃねえかというペラッペラの鎧の胸板の両サイドからまあるいポッチ乳首がWではみ出てるのが気になって、ヤツが舞台に出ている間浄瑠璃一切頭に入らなかった。人形が動くと鎧が揺れて乳首が隠れるのではと思っていたが、隠れなかった。こだわりの着付けなのかもしれない。人形の動きはちゃんとしているのだが、客は乳首しか見てなかったと思う。文楽におけるビキニアーマーの無限の可能性を感じた。

 

徳太夫住家の段

翌日、徳太夫の家。徳太夫の義理の娘・おとわ(吉田文昇)が端午の節句のちまき用の粉を石臼で挽きつつ息子・千太郎(桐竹勘次郎)を遊ばせていると、家の前を物売り(吉田玉志)が通りかかる。千太郎を褒めそやす物売りにおとわは機嫌をよくしてオモチャの槍と長刀を買い求める。にわかに雨が降り出し、おとわは物売りを牛小屋で休ませてやることに。入れ違いに奥の間から徳太夫が現れ、婿の正作は牛博労に行ったのではなく、今は後醍醐天皇に召されて楠木正成と名乗る武将になっていると知っている、しかし小仙にはこのこと他言無用だと告げる。

やがて日が傾く頃、門前に場違いな籠がつけられ、身なりの良い女(吉田勘彌)が徳太夫はいるかと訪ねてきた。小仙がどなたかと尋ねると、自分は竹五郎の妻・照葉であり、伴っている少女は娘・みどり(吉田玉彦)だと名乗る。照葉は竹五郎=宇都宮公綱の天王寺の合戦の陣中見舞いに行く途中で、徳太夫に勘当を許してもらおうと立ち寄ったのだという。小仙はそのことは徳太夫には黙っていてほしいと頼み、二人を奥の間へ通す。

また入れ違いざまに徳太夫が現れ、小仙に仲直りしようと言いだす。お互い、竹五郎は宇都宮公綱となり、正作は楠木正成となって今や敵味方に別れて争っていることを知っていた夫婦は、孫である千太郎とみどりに祝言をあげさせ和睦の筋にしようとする。しかしそれを聞きつけた照葉は、逃げ足の早い正成の息子と縁組んだと言われては家の恥と猛反対し、祝言の盃を取り上げて叩き割る。正成を侮辱されたおとわは、正成は公綱の面目を立てるために軍を引いたのだと照葉に楯突く。言い争う二人をあとに、肩を落とした徳太夫と小仙は仏壇へ灯明を上げようとを奥の間へ消える。おとわと照葉はそれぞれの息子娘に徳太夫と小仙の行動を見守るように言い含め、二人の後について行かせる。

そのとき突如庭から烽火が上がる。すると山へ次々と篝火がともり、鬨の声が聞こえる。宇都宮公綱の使いが現れ、公綱の軍勢はいま見えた遠篝に恐れをなして散り散りになった、照葉には早く陣へ来てほしいと告げる。駆け出そうとする照葉とおとわが争っていると、奥の間から斬り合う音が聞こえ、障子に血飛沫が飛び散る。血まみれの姿で現れる徳太夫と小仙。徳太夫は、正成が軍を引いたのは公綱が徳太夫の息子であり、公綱に武勲を立てさせ徳太夫を喜ばせるためだったと言う。先ほどの狼煙は徳太夫自身が上げたもので、それを合図に仕事仲間に山へ篝火を灯させ鬨の声を上げさせて公綱の軍勢を威嚇し退けるという、正成へのせめてもの返礼だったと。そして、公綱を思いそれを止めようとした小仙と斬り合いになり、二人はお互いわざと刃にかかったのだった。徳太夫は嘆く照葉とおとわの前で石臼に自らの血文字で二人の戒名を記し、公綱が後醍醐天皇へ味方すれば勘当を赦すと言って息を引き取った。

そこへ牛小屋で休んでいた物売りが姿を見せる。話は聞いていた、お悔やみをと告げて物売りが立ち去ろうとするところにかかる「宇都宮公綱待て」の声。どこからか聞こえる「楠多聞兵衛正成対面せん」との言葉に、物売りは商人の化を捨てて本性・宇都宮公綱の姿を顕す。公綱は奥の間の鎧兜姿の人影へ矢を放つが、矢が命中すると鎧が剥がれ落ち、中身は藁人形であったことが知れる。再び現れる障子の奥の鎧兜の人影に矢を射るも、当たるとこれもまた藁人形であった。そして現れた本物の楠木正成(吉田玉佳)と仕込み槍で立ち会う公綱だったが、徳太夫の亡骸が起き上がり、槍の柄をバラバラにして二人の揉み合いを制する。実の子も義理の子も思う徳太夫の魂魄に一座は涙して、二人は二親の四十九日が明けてからの勝負を約束し、公綱は小仙の亡骸を、正成は徳太夫の亡骸を抱えて別れ行くのだった。 

情と義理とに引き裂かれ巻きおこる惨劇。文楽、ふだんは人を刺そうが首を切り落とそうが直球の怖い表現はないのに、突如障子に飛び散るダイレクトな血飛沫(本当に障子に真っ赤な血飛沫がビシャア!とかかる)。突然のスプラッタ展開にどよめく客席。本当は怖い昔話。

ここでは前段のなにげない要素が伏線として回収されていて驚いた。いまわのきわの徳太夫と小仙に孫たちを会わせてやろうと、子どもたちを起こそうとする嫁たちを制する徳太夫が「(孫たちが起き出して)おいら二人を尋ねるなら、祖父は山へ柴刈りに、祖母は川へ洗濯にと言うてすかしてたもいなう」と告げるくだりには涙。だから角書きが「祖父は山へ柴刈りに 祖母は川へ洗濯に」で、出だしも「祖父は山へ柴刈りに、祖母は川へ洗濯に」から始まるんですね。そういえば徳太夫が小仙に仲直りをもちかけるくだりも、自分の話を昔話の中のお爺さんに例えて話しているし、冒頭で徳太夫の柴刈り仲間たちが出てくるのも、篝火を焚く仲間の伏線だったんだな。

この段での一番の見所は宇都宮公綱が鎧人形を射る場面。豪奢な衣装の大型の人形が本当に大きな弓を射るのだ。弓を構えたときはどうするのかな〜と思ったが、本当に弓をびゅんと飛ばしていてびっくり。しかもちゃんとまっすぐ飛んでいた。てっきり途中で後見の人が差し替えると思ったから……。人形は文楽でも一番大きい部類でかなり重いだろうに、公綱役の玉志さんはスッと綺麗な姿勢で弓を引いていた。しかもあそこまでちゃんと飛ばすとは、生身の役者がやっているならともかく、文楽人形は三人遣いで右手と左手は別の人が遣っているのにすごい。私が見た回は2本ともパーンと見事に飛んでいた*1。玉志さんは昨年5月東京の『絵本太功記』の武智光秀役でも、最後、瓢箪棚に下がる瓢箪を一発でタララララーッと綺麗に切り落としたのを覚えている。そのときあまりに普通に切り落としたのでびっくりしたのだが、今回もあまりに普通に飛ばしたので、私と私の周囲のお客さんは「!?!?!?」となっていた。公綱の射る矢の2本目はおとわの人形が射程範囲に入るので、文昇さんが微妙に警戒していた。そして宇都宮公綱と戦う楠木正成は飾り人形のような美麗さで、最後に出てくるだけある立派なものだった。

この後半は千歳さんが大変に頑張っておられた。この公演の出演者一番の熱演ではと思わされた。「人形見てるより千歳さん見てるほうが面白いらしい」と聞いていたが、確かに面白かった。

あとは勘彌さんが武家の嫁さん役をやっていたので満足。個々の性格の方向性はどうあれ、貴人・武人の娘役は勘彌さんにやって欲しい。独特の「生まれながらにしてお前らとは身分が違う」感が漂っている。ああいう身分あります系の気品感は結構難しいものだと思う。

 

『楠昔噺』、昔話や節句にちなんだエピソード構成のみならず、話そのものも聴き応えがあり、文楽らしい話で面白かった。三段目のみの上演だが、短い中にも大きなストーリーのうねりや文楽のエッセンスがたくさん込められていると感じた。そして出演者も大変に豪華で、この4月公演の一押し演目だと思う。

 

 

 

『曾根崎心中』。 

2月の東京公演で観たばかりなのでどうかなと思ったが、色々と発見があった。『曾根崎心中』って名前が有名だから初心者向けっぽいけど、話が簡素すぎるため見所が出演者各個の芸になってきてむしろレベルが高い演目のような気がする。しかしながらその意味でまさしく出演者各個の芸を楽しめた回だった。

お初役は2月東京と同じく勘十郎さん。2月東京は超情熱的で超強火なお初で観客を圧倒していた。あの調子で相手役の徳兵衛が清十郎さんだと、清十郎さんは絶対食われるだろうなと思っていた。清十郎さんは絶対張り合ってこないだろうし。しかし今回はその情熱の炎は影を潜め、可憐で儚いお初像に振っていて驚いた。やはり相手役によって演技を変えているんですね。2月東京では古典作品といえども、こんな解釈や演技で普通のストーリーを新しく見せる人がいるんだと大変に驚いたが(それは相手役の玉男さんも含む)、今回の透明感のあるお初の演技にも驚き。個人的にはこちらのほうがストーリーから受けるお初のイメージに近い。ちょっとしたしぐさの一つ一つが細やかでかわいらしく、視界のそこだけ異様に解像度が高く感じた。お初だけ4Kみたいな。甘える仕草がとくに念入りで、かわいかった。

清十郎さんの徳兵衛は、いかにもちょっとした歯車の狂いで自殺に追い込まれそうな、細やかでしなっとした若者の印象だった。人形の顔が白い胡粉で塗られているからだけでなく、印象そのものが青白い感じ。遅かれ早かれこうなるというか、社会に適合できなさそうな清楚な雰囲気だった。死ぬ前からもう死んでいるような、そんな徳兵衛の胸に顔をうずめてこすりつけているお初のほうがちょっと姉さん女房っぽい。お初はひとりでも生きていけるが、情にほだされて一緒に死ぬみたいな……。

お初の全体的な方向性以外にも2月とは違うところがあって、特に天満屋の上り口でお初が徳兵衛を打掛の中に隠してやりとりするところは結構印象が違った。2月は打掛の中は二人だけのプライベートな空間で、まるで外界から切り離されているかのような色っぽい雰囲気だったが、今回は徳兵衛の仕草がシンプルで、芝居として見せることを優先しているように感じた。あるいは固いとも思ったが、それゆえの清廉さはいかにも死にそうで、2月よりもプラトニックな雰囲気。人によって、あるいは配役の組み合わせによって演じ方は違うのだなと感じた。

そんなこんなで今回のお初と徳兵衛はちゃんと心中しそうなカップルになっていた。実際に刺すシーンまでやっていたからだけでなく、もう死ぬしかない感が出ていた。

それと今回の『曾根崎心中』は太夫・三味線が大変豪華で密度が濃い。私のお気に入り・津駒さんは天満屋に出ていて一番いいとこだったが、ちょっと不安定で本領発揮じゃなかったみたい。また別の機会によく聴かせてもらいたい。

ところで、メインキャストではないが、生玉社前でワイワイやっているツメ人形たちには大変なやる気を感じた。『楠昔噺』の徳太夫住家の冒頭で物売りにまとわりつく近所の子どもや第一部の『菅原伝授手習鑑』寺入り〜寺子屋の段で登場するアホな子どもたちもそうだけど、今回の公演、なんだかツメ人形がやる気ある。

 

↓ 2月東京公演『曾根崎心中』の感想はこちら

 

 

今回は一泊ということで時間に余裕があったため、観劇前、大阪市内の近代建築巡りに連れて行っていただいた。中之島・北浜に残る戦前の建物はいまも現役として使われているところが多く、たくさんのお客さんで賑わっていて面白かった。

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*1:弓は小道具で弓道用のものとかではないので、安全の範囲で飛ばしていた。鎧人形に当たってはいない