TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 赤坂文楽 #16『本朝廿四孝』奥庭狐火の段 赤坂区民センター

赤坂文楽は、東京公演会期付近に赤坂区民センターで行われている単発公演。夜7時開演とはいえ渡世の義理に縛られた身では平日夜のお出かけは難しいのだが、つばさがほしい、はねがほしい、とんでいきたい、とばかりに馳せ参じた(きつねの霊力はないので東京メトロ利用)。

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第一部は勘十郎さんのひとりトークショー

いままでは勘十郎さん・玉男さんのふたりで映像を流しながら昔の師匠の話などをコメントしていたそうだが、今回は「相方がいない」ということで、勘十郎さんがおひとりでお話をされていた。トークショー中も舞台上に灯篭や泉の橋など「奥庭」の上演用のセットが出しっぱなしになっており、そのセットの解説もあり。以下、トーク内容まとめ。

 

┃ 「お初」の役 〜2月東京公演所感、4月大阪・5月東京公演に向けて〜

  • きのう(2月20日)までの2月の東京公演は『曾根崎心中』でお初の役をいただいた。おかげさまで、1月の大阪につづき2月も大入り袋が出てよかった。東京の『曾根崎心中』では玉男さんが相手役だったが、4月の大阪公演では清十郎が徳兵衛。この配役は初めてなのでどうなるのか、自分でもわからない。
  • そして5月の東京公演でもまた「お初」の役。同じ「お初」でも、『加賀見山旧錦絵』の召使お初。これは思い出深い役。14年前の襲名公演のとき、夜の部で『加賀見山』が出たが、お初役の一暢さんが病気休演されて、お前がやれ!と代役が回ってきた。お初は甲斐甲斐しく世話をするなどやることが多く、大変な難役。そのときが初役で、昼の襲名公演がどーでもえー!となるほど頭が真っ白になった。いや、どうでもよくはないです、ちゃんとやりました!

 

┃ 八重垣姫

  • 1月の大阪公演は『本朝廿四孝』の八重垣姫を初めて「十種香」「奥庭」通しで遣った。「奥庭」はよくやっているが、「十種香」は初めて。いままで誰がやっていたかというと、師匠(吉田簑助)。師匠は「十種香」が好きでいつも「十種香」を師匠が遣い、あとやれ、で「奥庭」が来ていた。
  • 今回、各人に配られる配役表の封筒を開けて、「十種香」の八重垣姫が自分になっていたので驚いた。しかも師匠が腰元濡衣役で驚いた。今年は自分が師匠に入門して50年の節目にあたり、短い時間でもいいから師匠と共演したかったので嬉しかった。自分は芸歴50年、師匠はもっと上で75年。歳は20歳離れている。この歳で、現役で師匠と一緒に舞台に立てることがほんとうに嬉しい。
  • 「十種香」の八重垣姫は難しい。八重垣姫は「三姫」といわれるお姫様役の中でも最高位で、座頭がやるような役。複雑なストーリーが展開する『本朝廿四孝』のうち「十種香」「奥庭」は典型的な四段目で華やかな場面だが、「十種香」の八重垣姫は冒頭の十数分じ〜っとしており、そこが難しい。存在感がないとお客さんに観ていただけない。後ろ姿で芝居をしなくてはならない場面で、気苦労が多かった。しかも腰元役の師匠がず〜っと横におるし……。
  • 師匠は何も言わないが、「入門から50年経ったんか〜やってみ〜」という気持ちでいつも自身がやっている役をくれたのかなーと思った。上演中、ときどき師匠が「チラ」とこっちを見ていて、「50年でそれか〜」と思われているような気がした。いままでの修行の成果を出すべく、全力で頑張った。(お客様には)「またきつねか〜」と思われるかもしれないが、好きなんです。

 

┃ 奥庭の舞台装置ときつね人形

  • 今回の舞台の手摺は二尺六寸。基本(本公演)は二尺八寸だが、舟底のない通常の会場で二尺八寸にしてしまうと、手摺が高すぎて客席からは見上げの姿勢になってしまうため、会場にあわせて手摺の高さを調整している。場所によってはもっと低く設定することもある。
  • (奥庭用のきつねの人形を手にして)にほんごであそぼ」などではきつね色のきつねを使うこともあるが、文楽では基本的にきつねは霊性を帯びた生き物なので、白ぎつね(きつねの動きを実演。顔で背中をかく仕草など)文楽のきつねの人形は一見犬に見えるが、しっぽが違う(しっぽをポインとはねあげながら)。きつねの遣い方は(1)しっぽを上げない。上げると犬に見える。(2)顔を上げない。上げると妖しさがなくなる。という口伝がある。
  • 補遺:この実演のとき、勘十郎さんがきつねを遣っていないあいだはきつねはやはりただのぬいぐるみでぐったりしており、勘十郎さんが遣うと大きな動きをさせなくてもちゃんときつねに見えるのが不思議だった。しかし勘十郎さん、遣ってないあいだはきつねの喉をひっつかむというわりとラフな持ち方をされていて衝撃。狩られたきつねの死体のようだった。
  • 父の先代勘十郎はきつねを遣うため、天王寺の動物園へ勉強に行っていたが、何度行ってもきつねは寝ていた。父曰く、「動物園は朝行かなアカン。どうぶつはエサ食ったら寝てしまう」

 

┃ 「にほんごであそぼ」の文楽どうぶつ人形たち

  • 今日(2月21日)はNHKの「にほんごであそぼ」のロケで朝8時から船橋アンデルセン公園へ行った。風が強すぎて、予定本数が撮れなかった(この日は関東地方すさまじい強風)。そのロケに一緒に行った仲間を紹介します。

 

その1 いぬ(一人遣いぬいぐるみ)

↓ こいつ(驚異のぶりっこ写真帳、勘十郎様FBを貼っておきます)

  • イソップ童話で、水に映った自分の姿を見て吠えてしまい、口にくわえていた肉を落とすいぬ。自分で作った。耳が立つのと、目が開く(まぶたが動く)つくりにした(肉を落としてしまい、はっ!とする表情を実演、かわいー!!と客席大喜び)
  • 文楽にはあまりいぬが出てこない。『冥途の飛脚』の羽織落としで忠兵衛とぶつかるいぬ、『伽羅先代萩』で若君が飼っている狆くらい。あれらにはあまり仕掛けがなく、動かない。
  • 補遺:このいぬまじでかわいいです。ハンドパペットやミニぬいぐるみにして、NHKのショップで売ってほしい。ちなみにこやつ結構大きくて、奥庭のきつねよりひとまわり以上大きかったです。つよそうでした。

 

その2 かっぱ(三人遣い)

  • 文楽劇場にはハムレット、お岩さんなど、ずっと使われていないかしらがたくさん眠っていて、もったいなく思っていた。これはそのうちのひとつ、かっぱのかしらをリメイクして作った人形。からだは自分で作った。水かきもある(かっぱ、おてて広げてアピール)。体とかしらにはちりめんを貼った。
  • かっぱのかしらはとても古い。かつて紋十郎師匠がお客様に呼ばれて出るお座敷の座興のために作ったもの。「河太郎」という名前で、小唄にあわせてすすきをかついで踊る人形だった(このあたり話が高度すぎてよくわからなかった)。

 

その3 たぬき(三人遣い)

  • 文楽劇場の奈落で長い間眠っていたもの。NHKから「かちかちやま」をやりたいと言われ、たぬきもうさぎも人形がないんやけど……と思っていたとき、小さい頃のアルバムに、劇場の楽屋で姉と自分とたぬきの人形とで写った写真があったのを思い出した。小道具さんに頼んで探してもらい、奈落で見つかった。かなり古いものなので、おなかの白い部分を(とても大きいぽんぽんをなでなでしながら)あたらしく貼りかえてもらった。うさぎは耳が動くものを作った。
 

┃ 新作、こども向け文楽演目について

  • 30歳になるかならないかのころ、幼稚園で上演する用に「ひょうたんいけのおおなまず」という話を作った。こども向けの演目は必要ないと言われることもあるが、文楽は99%悲劇なので、こども向けにはたのしいもの、きれいなものをやりたいと思っている。古典になるものはまだできていないが、どんなに忙しくても、大阪の夏休み公演第一部のように、みんなで新作に取り組むようにしている。
  • 新作は作曲と本(脚本、浄瑠璃)が難しい。良い芝居は良い曲と良い本によって成立する。文楽では名曲と言われる『義経千本桜』の道行(道行初音旅)、『忠臣蔵』の道行(道行旅路の花嫁)でも、オペラのように作曲者の名が残ってはいないが、曲はとても大切な要素。自分が書いた新作は全部清介さんに曲をつけてもらった。作曲料は出世払いということにしてもらって……(はっとして)ぼくまだ出世してないんでまだ払ってないです!
  • 幼稚園で上演するにあたり、幼稚園の先生にあらかじめこどもが飽きないで見られる条件を聞いた。(1)15分以内、(2)動物が出てくる、(3)常に人形か舞台が動いている(人形が会話しているだけというのはNG)。「ひょうたんいけのおおなまず」は、釣り人と大鯰の対決の話で、いつもエサだけ取られて釣れない釣り人がついに大鯰を釣り上げる(が結局またエサだけ取られて逃げられる)だけの15分程度の短い演目。
  • 前半は舞台を下手「釣り人のいる池の淵(土手)」上手「なまずのいる池の中」に分け、釣り人がなまずを釣り上げるとなまずが上へ持ち上がって舞台転換し、舞台全体が上手側へ移動して、下手側からなまずが出てくるという仕掛けにした。これで飽きずに観てもらえた。
  • 現在、太夫・三味線・人形すべてで今までにないほど引き合いが多く、本公演以外も仕事が多くて忙しいが、そのなかでもみんなでいっしょに新作への取り組みを頑張っていきたい。
  • とか言って、あした締め切りの原稿まだ終わってないんですけど……

 

┃ 新著『一日に一字学べば…』

  • 宣伝みたいになってしまいますけど、『一日に一字学べば…』という本を出しました。(とか言いつつ別に本は持ってきていない勘十郎様……)
一日に一字学べば……

一日に一字学べば……

 
  • 題名の「一日に一字学べば…」は、『菅原伝授手習鑑』寺入りの段で菅秀才がいう台詞。菅秀才て、名前からして頭よさそうですね……。これは、1日に1文字ずつでも学んでいけば、360日(太陰暦の一年)で360文字を学べるという教えで、自分が好きな言葉。タイトルの語尾に「…」がついているのは、自分は学んだわけではないから。
  • 文楽の芸も一足飛びにうまくなることはなく、1日に紙1枚ずつ積んでいくようなもの。誰も見ていないからと言って無造作に束で積めば、狂いが生じてきて積めなくなってしまう。それが怖い。
  • 文五郎師匠は、出の拍手で「自分は人気がある」と調子にのってはいけないと戒めた。芸のわかる人は拍手をしないという。芸がよければ終わりに大きな拍手をいただける。しかし本当によかったら、お客様はうなづくだけだと。
  • 菅秀才といえば、小さいころ、歌舞伎の舞台で子役をやらされて失敗したのが思い出。寺子屋へ松王丸と春藤玄蕃が検分に来るときに並ぶこどもの役で、姉も出ていた。自分は頭が大きくて、子役用のいちばん大きなかつらでもきつくて、頭が痛かった。玄蕃が門口でこどもを順番に掴んで検分するのだが、自分の番が来たとき、わらじを履いてくるのを忘れて、履きに戻ってしまった。あとで玄蕃役の方から「そういうときはそのままでいい」と叱られた。よだれくりのようなこどもだった。(このあとちょっと上方歌舞伎の役者さんの話。知識なさすぎて何を話されているのかまじでまったくわからず)

 

人形遣いの修行と今後

  • 足遣い、左遣いの頃、師匠から「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ものすごく脱力した深いため息)」と言われた。「早い」「遅い」と言ってくれればいいが、言ってくれない。そのうち、何も言われなくなる。それがいちばん怖い。
  • 師匠が『伽羅先代萩』で政岡を遣ったとき、自分は左遣いで入っていた。政岡は左が難しい役で、まま炊きでうちわを振るときなどは細心の注意を払って遣ったつもりだったが、師匠は「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と言ってきた。おそらく、左遣いとしてはよく出来ていても、政岡の左になっていないという意味だったと思う。
  • 師匠もかつて、その師匠に「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……… お前もそのうちわかるわ〜〜〜……」と言われたそうだ。自分が師匠の足、左だったとき、同じことを師匠から言われた。そしてまたぼくもいまそれを実感している。
  • 文楽の研修生制度について、人形に関しては講習2年は長いと感じている。太夫、三味線は色々とやることもあるのだろうが、ぼくは人形は1年経ったら舞台・楽屋実習をさせている。舞台の袖から上演を見るほか、できることから経験させている。失敗しながら学んでいってほしい。
  • 先人の教えで「言われたことはすぐ忘れる」「聞きに来い、聞きに行かないならわかっていると思われる」というのがある。といっても聞きに行くと、「まだ早い」と言われる。これはどういうことかというと、あまりに自分の力に見合わない、例えば自分の力が2のときに5のことを聞いたということ。基礎ができていないときに教えると、変なくせがついてしまう。先輩たちはよく見ている。
  • 足遣いは大変な仕事。(腰を落とし、実際に足遣いの人の姿勢をしてみせながら)こういう姿勢でいつづけるのは若いときしかできない。人によって10年、15年と経験期間は違うが、自分は足遣いが面白いと感じるようになったころに左がつきだした。そのときは、端役の主遣いを振られるより、主役の足のほうをずっとやっていたいと思っていた。
  • 左遣いは、足遣いより体勢的には楽だが、常に気を張っている。昔は主遣いが倒れたとき(その瞬間かしらを受け取って構える仕草)、すぐ交代できる人が左遣いと言われていた。いまは若い子にも左につかせているので、少し違うが。
  • 昔は足遣い、左遣いのままで一生を終える人もいた。しかし、人形遣いとして名が残らなくても、左遣いとして座頭が頭を下げて左を頼みに来るほどの人もいた。かつて栄三師匠が八重垣姫を遣うとき、桐竹亀三郎という左遣いの名人にいつも左に入ってもらっていた。「十種香」の冒頭、八重垣姫は上手側で客席に斜め後ろの姿を見せて座っており、左手側が客席を向く。なので左の演技が肝心で、このとき左遣いが失敗すると完全な後ろ姿になってしまい、客席から祈る姿が見えなくなる。また、「十種香」では八重垣姫は打掛を着ているので、左遣いがしっかりしていないと打掛の重さがすべて主遣いにかかってしまう。
  • 自分は動く人形であればなんでもやりたい。体力は年齢とともに落ちていくが、気持ちは落とさずやりたい。若い人に芸を形を崩さず受け継ぎたい。襲名も名前を預かっているだけなので、「桐竹勘十郎」の名前を落とすことのないよう、できれば上げることのできるよう、今後も頑張りたい。

 

やさしい口調で1時間淀みなくのお話。11月の三井記念美術館の対談式トークショーではあまりにおっとりされていて不安になったが、おひとりで人形の話をされている今回のほうがはるかにイキイキとされていた。基礎知識的内容なので上では省いたが、三人遣いの発祥の解説などは年号含めかなりスラスラ喋っておられた。勘十郎さんはおひとりのほうがパフォーマンスが上がるタイプなのかも。そしてやはりお人形を持っておられるときが一番楽しそうなご様子だった。

 

 

 第二部、『本朝廿四孝』奥庭狐火の段。

ステージは間口がかなり狭く、本公演のような船底・段上の2段に別れる綺麗なセットの組み方ができないようで、かなりコンパクトに入り組ませた立て込みになっていた。

ネガティブなことから書いてしまうが、会場、義太夫節を聴く環境として悪すぎる。おそらく講演会用のホールで音楽用の音響設備ではないというのも大きいんだけど、会場の建築構造上、床を客席に張り出して設置できずステージ上手袖に設置しているため、そもそもが音が聞こえづらい。私の席は上手かなり後列だったこともあって、いちばん奥側に座っている呂勢さんの声がかよわくしか聞こえない。三味線の音も本公演の会場のようなピーンと張った響きがまったくなくて、かなり華奢。ステージ上の音がどれくらい聞こえないかというと、藤蔵さんの掛け声が気にならないくらい聞こえない(クソ失礼)。唯一はっきり聞こえたのが琴(鶴澤寛太郎)。なぜなら、床が狭すぎて琴を本公演のようにまっすぐ置けず、床に対して斜めに置いているため、客席上手側正面を向いて弾いている状態になっており、上手に座っている私からすると琴の音が真正面になるため、一番大きく聞こえた。というか、太夫の声が負けそうになっていた……。前列席だとまた聞こえ方も違うだろうが、ご本人たちはいつも通りやっているだろうにこれはなかなか辛い。なお、私の席は上手寄りすぎて上手側の舞台袖に隠れてカンタローの姿が見えず、「連れ弾き、誰?????」状態だった。

そんなこんなで冒頭部分〜きつねが演技をしているあいだは「どうしよう……」と思っていたのだが、きつねが去って、カラカラと履物の音を響かせながら八重垣姫が現れた瞬間ステージの空気が変わった。ステージが狭く立て込みも特殊という劣悪な環境で人形のパフォーマンスが下がらないのがすごい。八重垣姫の演技は本公演とかわらず鳥肌もので、これは誇張でなく実感として、人形のまわりだけ時空が歪んでいるようだった。本公演だと客電落とした客席含め劇場空間すべての雰囲気が変わり異界に飲み込まれるイメージだけど、この公演だと客電つけたままで上演していることもあり、八重垣姫の半径1m以内だけ異界になっている印象。

ちなみに八重垣姫は狐の霊力が乗り移ってからも左、足は黒衣。引き連れている白狐は2匹でこれも黒衣でした。

 

 

とはいえ、トークショー付きで派手な演目を豪華な配役でやるというのはやはり引きが強い。価格設定は5,500円と本公演並みだが、それに見合った内容と言える。ステージの狭さは目をつぶるとして(こじんまりとした演目ならむしろいいのかもしれない)、これであとは音響さえよければいいんですけどね。会費上がっていいから会場変えてくれないかなぁ。

トークショーは初心者向けではなくファン向けのハイコンテクストな内容で満足度が高かった。イベント自体は一応初心者もターゲットのようだが、さすがにトークショーは勘十郎さんのキャリアをある程度理解していないとよくわからないと思う。演目選定は初心者の私からしても初心者向けにとても良いと思う。

会場キャパ400席で満席だったが、客筋は大阪公演か若手公演のような雰囲気。東京本公演のようにたしなみ感覚で来ている人はあまりいないようで、後列までほぼ全員が固定の文楽ファンだろうと感じた。年齢層は本公演より若めで、会社帰りの人が多いか? 開演ギリギリに来る人も多く「7時はちょっと厳しい」と話されている方の姿もあった。私も開演7時半くらいのほうが嬉しい。

次回5月は玉男さんと燕三さんがご出演ということで、四つ足で駆けてでも行かねばと思っているが、なんとかして少しでも前列下手の席を取らないとせっかくの燕三さんの三味線が勿体無い。この赤坂文楽太夫さんや三味線さんのファンの人はどうしてるんだろう。やはりみなさん何がなんでも前列を取っているのだろうか。それとも音響に目をつぶって……いや、耳をつぶって(?)おられるのだろうか。同じように外部主催による単発公演・にっぽん文楽でも後列席だった方は床の聞こえ方に対してかなり強い不満があったようだが、本公演以外は会場状況が事前に予測できず、やはり色々と当たり外れがあるなと感じる。