TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『冥途の飛脚』国立劇場小劇場

一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥途の飛脚と

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『冥途の飛脚』は記録映像映画『文楽 冥途の飛脚』と内田吐夢監督の劇映画『浪花の恋の物語』で観たことがあり話を知っているので、初心者ながら予習はバッチリ。また、第一部・第二部とは別日に観劇したので、パンフレットの鑑賞ガイドを予めしっかり読んでおけた。おかげで筋の理解に気をとられることなく芸そのものに集中でき、ゆったりした気持ちで観劇できた。

 

 

淡路町の段。

送り出す荷物を搬出したり、為替金の問い合わせに客が来訪したりで忙しい飛脚屋・亀屋。亀屋は大坂の飛脚屋の中でも鑑といわれるほどの立派な店だった。その後家・妙閑(配役・吉田文昇)は不在にしがちな後継の養子・忠兵衛(吉田玉男)の近頃の素行の悪さを気にしており、小言を聞かされる手代(吉田勘市)はそのフォローと店の切り盛りに手一杯。帰ってきたものの家に入りづらくうろうろしていた忠兵衛は、店先で友人の八右衛門(吉田簑二郎)と出くわす。八右衛門は亀屋に届くはずの金五十両の到着が遅延しているクレームにやって来たところだった。忠兵衛は、実はその金はすでに到着していたが、それを田舎客に請け出されそうになっていた新町の女郎・梅川(豊松清十郎)を先に身請けしようと、手付金として勝手に使ってしまったと告白する。八右衛門は言いにくいことを正直に告白した忠兵衛への友情として、支払いは待つと言って帰ろうとするが、話し声を聞いていた妙閑が現れて八右衛門に上がってもらえと促す。八右衛門が仕方なく亀屋へ上がると、妙閑は忠兵衛に五十両を早く渡すようにと言いつける。もちろん五十両はどこにもなく、忠兵衛は仕方なしに鬢水入れを紙に包んで小判の包みに見せかけ、八右衛門もそれを承知して芝居を打って包みを受け取り、文盲の妙閑にはわからないようかたちばかりの受取を書いて帰っていった。
夜更け、遅れていた江戸からの荷物が到着した。その中にはさきほど催促を受けた堂島の武家の為替金三百両も含まれており、忠兵衛はさっそく客先まで金を届けに行くことにした。ところが忠兵衛、気がついたら遊里・新町の前に立っていた。忠兵衛は引き返して堂島へ金を届けに行くか、それともこのまま梅川に会いに行くか迷うが、羽織がはらりと落ちたことにも気づかず、ついに新町のほうへ足を向けてしまう。

忠兵衛のしょうもない、かわいい男感がすばらしかった。イヤー玉男様ーって感じだった。どれくらいしょうもなかわいかったかと言えば、休憩時間にトイレに並ぶ着物姿の奥様方がダメ男の話題で盛り上がっていたくらいである。近くの席のオッチャンも「いるよねーこういう人。公金横領した人とか」と盛り上がっていた。

そんな忠兵衛に代わってよく働く手代、人形だけに無表情で仕事を黙々とこなしているが、妙閑のお小言の「忠兵衛は鼻紙を妙に無駄遣いする」というくだりだけひゅっと下がり眉になるのがとってもかわいい。妙閑が本気で鼻紙の無駄を言っているのか、鼻紙の用途を揶揄して言っているのかはどうとでも取れて、どちらを言っているのかはわからなかった。しかし他の人へのお小言を本人の不在時にかわりに聞かされるとは、勤め人は大変だ。

家に入りにくい忠兵衛がタルを下げて酒屋へ使いに出かけて行く下女(吉田清五郎)を引き止めるくだりは、店の前で下女と忠兵衛と二人してウンコ座りでしゃべっているのがコンビニの前のヤンキーみたい。普通の人形は正座や床几に座るイメージできれいな姿勢で座るけど、下女は着物の裾をまくってひざから下の足を見せ、はしたなくひざを広げて座っていた。この座り方がいかにも下女っぽくておもしろい。そして、忠兵衛のクソぶりがキラリと光るシーンであった。ご贔屓さんだかの内々の会で和生さんがお染を遣い、久松に見立てたお客さんの肩に手を置いてクドキをやってくれたという話を聞いたことがあるのだが、それで言えば、私もこの下女役をやりたいです。

忠兵衛が淡路町を出てつい新町へ向かってしまう場面は背景書割がスクロール。窓の明かりもちゃんと一緒に動く仕掛けで、風景が普通の街中から色里へうつりかわっていくさまを表現していた。文楽の人形は歩き方が特徴的で、実際の人間よりゆっくり歩く(=一瞬うしろに下がってから歩き出し、大きい足取りだがその動作ほど前には進まない)と思うのだけど、この忠兵衛の動きと背景効果があわさって、前方席のほうで視界いっぱい背景の状態で観ていると空間認識が歪んでちょっと酔う。

最後に現れるぶちいぬ。人形と比べるとむちゃでかくないか。スコティッシュ・ディアハウンド的な。しかし、忠兵衛はなぜあの犬に石を投げつけたのだろう? あの犬だけがもういちど正気の世界へ立ち返る最後のチャンスのようにも、またはその逆、忠兵衛の心の迷いが形をなしたもののようにも見えた。

淡路町の奥(竹本呂勢太夫鶴澤清治)はとてもよかった。清治さんは盛大な拍手を受けていた。

 

ところで私が観た回、為替金の問い合わせにきたお侍(吉田文哉)が亀屋へ上がって座るとき、左遣いの方が腰から刀を外すのに失敗して刀身が鞘からスポッと抜けてしまい、ちょっとあせっておられたのがかわいかった(失礼)。話の流れを変えてしまうようなミスはまずいが、刀を飾り程度に差している人形でもちゃんと抜ける刀を差してるんですね。ふたたび立ち上がって刀を差すとき、人形がうしろにふりかえって、文哉さんが刀を差す位置を人形の手で「ここ、ここ👇」とジェスチャーでフンフン示していたのもかわいかった。それとも、刀をなおしてる演技? そういえば、うまいことチケットが手に入ったので、別の日にももう一度第三部を観たのだが、その日は八右衛門が亀屋に上がるとき、忠兵衛&介錯の黒衣がのれんをまくった拍子に門口の柱にのれんが引っかかってしまった。介錯の人は気づかなかったようだが、忠兵衛がちょうどのれんの引っかかったほうの柱の影にいたため、玉男さんが人形の手でそっとのれんを直していた。自然な仕草で、かわいかった。

 

 

封印切の段。

女郎・梅川が茶屋・越後屋へやって来る。とんと音沙汰もなく身請けの残金の支払いもない忠兵衛が来ていないかと訪ねてきた梅川は、忠兵衛が手をこまねいているあいだにあの田舎客に身請けされてしまったらどうしようと悲観していた。仲間の女郎たち(桐竹紋秀、吉田玉勢)は場を盛り上げようと、竹本頼母の弟子だという禿(吉田和馬)に浄瑠璃を弾き語りさせる。しかし禿が語ったのは女郎がその悲しい身の上を嘆く内容だったので、梅川はさらに暗くなり、座敷はよりいっそう沈んでしまう。そこへ八右衛門がやって来た。八右衛門は女郎たちや女主人(吉田簑一郎)を呼び出し、忠兵衛が来ても取り合わないように言いつける。彼は金がないはずの忠兵衛がここへ来ればまた人様の金に手をつけるだろうことを心配していたのだ。八右衛門が小判に似せた鬢水入れの包みを見せると一座は驚き色めき立ち、八右衛門を敬遠して一座に交わらず二階から様子を見ていた梅川も身請金の正体に泣き伏した。ところがこれを忠兵衛が立ち聞きしていた。ふらふらと越後屋へ入ってきた忠兵衛は、いますぐ八右衛門へ金を返してやると言い出す。八右衛門はよその金に手をつけてはただではすまされないと止めるが、忠兵衛はついにふところにある小判の包みを切ってしまう。ばらばらと落ちた小判を拾い集め、八右衛門に投げつける忠兵衛。梅川は階段を駆け下り、忠兵衛にすがりついてその金を本来の届け先へ早く持っていってくれと懇願する。しかし忠兵衛はそれをかえりみず、これは養子に来た時の持参金だと言い張って、残った金で女郎や店の衆に祝儀を配り、梅川の身請けの残金を払ってしまった。八右衛門は納得しない様子で越後屋を後にし、女主人や女中たちは身請けの手続きに出かけてゆく。残されたのは忠兵衛と梅川のみ。忠兵衛は、さきほどの金はやはり堂島のお屋敷の急用金だと梅川に告白する。武家の金に手をつけては死罪は免れない。忠兵衛は生きられるだけ生きようと、梅川とともに大坂から逃げることを決意する。

梅川は透明感があって、下級女郎でも心は清楚なイメージが出ていた。着付けはわりと雑ないでたちだけど(わざとやっているそう)、動きが澄み切っていて綺麗だった。梅川は始終嘆いてばかりだが、演技に飽きを感じることはなかったので、客が気づかないレベルでいろいろな工夫をされているのだろうと思った。

忠兵衛は八右衛門が越後屋で皆に鬢水入れの一件を話して以降のシーンはかしらが変わり、鬢が触覚状に左右ひとすじ垂れ、髷の部分も固定が外れてフワフワ浮く姿になり、がらりと様子がかわる。封印切りをしてしまったあとの梅川のクドキのあいだ、この忠兵衛が首をすこしかしげて肩をいからせ気味にうつむいているのが感じが出ていてうまい。わかってる、わかってるよ、わかってるんだけど、やっちゃたんだよ! という雰囲気が出ている。おなじようにじーっと聞いている演技でも、このあとの道行のときとは印象がまったく違う。ただじーっとしているだけでも、こころのなかで何かを考えている感じが出せるんだなと思った。このへんはやっぱり人形遣いさんによって上手い下手がある。脇役だと、ときどき、上司のお説教を上の空で聞いてるサラリーマン状態のお人形がおりますな。

肝心の封印切りのシーン、ぱらぱらぱら、きらきらきらと小判が流れ落ちていくさまは見事。動きはそんなに派手なわけではないが、義太夫や人形の演技によって劇的だと感じるイマジネーションの世界。人形の動きを近くでよく見ていると、落とすより結構先に封を切り始めている(小判をずらしはじめている)のがわかった。ここは塊でぼとっと落とさないよう、バラバラと落とすのがコツだそうだ(初代吉田玉男文楽藝話』より)。

 

禿ちゃん=和馬さんがとても一生懸命三味線を弾いておられた。変化の多い曲調が難しく、まだ曲を覚えきっておられないのだろう、はじめは富助さんの三味線と右手のフリが合っておらずドキドキしたが、左遣いのお兄さん(だよね?)にリードされて途中からうまく弾けていた。富助さんが棹を「トントン♪」とされるのとばっちりタイミングで左手が「トントン♪」としてお客さんも湧いているのにあわせて、うまくノってきたみたい。ようがんばった、ようがんばった(泣)。うしろに下がっているお兄さん女郎たち(変な日本語)も禿ちゃんをじっと見守っていた。お客さんとおなじくらい、ドキドキしておられたことであろう。

仲間の二人の女郎のうち、玉勢さんが持ってる方の子(鳴渡瀬)がなんだか身長が高く見えた。身長170センチはありそう。よく見ていると、他の人より人形を持っている位置が高い。玉勢さんご自身の身長が高いのもあるが、清十郎さんやもうひとりの女郎役の紋秀さんより腕を曲げて高めの持ち方をされていた。これがわざとなのかはわからないが、着付けがコンパクトなのもあり、すらりとした姿に見えて、「すっとしたお姉さんタイプの子なのかな」という感じがした。鈴木則文の映画のような、端役の脇役でも個性の見える子を配しているみたいに思えて、印象深かった。

そうえいば、八右衛門のきせる入れは茶色の革にシルバーの飾りがついていて、コンビニの前にいるヤンキーが腰履き半ケツのズボンの尻ポケットにさしている財布みたいだった。

 

 

 

道行相合かご。ここは改作版上演とのこと。

大坂をのがれ、忠兵衛の故郷・新口村へ向かっていた二人は道の途中で籠から降り、人目の少ないあぜ道へ入る。空からはみぞれ・あられが舞っていた。梅川は京都にいる母を思い、忠兵衛もまた新口村の父へ梅川を紹介したいと思っていた。しかしそれも今世では叶わないだろう。忠兵衛と梅川は来世を思いながら歩みを進めるが、天候はますます悪化し、その風雨の音を追っ手の物音かと驚き怯える。忠兵衛と梅川はお互いを庇い合いながら道を急ぐのであった。

床がちゃんと揃っていた。特に團七さんを筆頭とした三味線はきれいだった。

冒頭、大きな籠をかついでトントントンとあらわれる駕籠かき(桐竹勘次郎、吉田玉彦)がかわいい。籠の中を覗いて「キャッ❤️」となったり、たばこを吸ってちょっと休憩したり。フリも揃っていてよかった。

ラストシーンでは雪がたくさん降っていた。人形や人形遣いにもフワフワと積もっていたが、空調の風に吹かれて客席にも振り込み、私の席まで舞ってきた。終演してから拾って見てみると、薄い半紙を四角く切ったものだった。

 

 

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『曾根崎心中』が火力MAXの世界マッドマックスだとすると、『冥途の飛脚』は劇的だが静かに深く透明感のある世界だった。こういったクリアな質感は、文楽ならではのものだと思う。

それと、漠然とした印象だが、今回第一部、第二部、第三部と観て、三味線って、弾く人によって結構音の印象が違うもんなのだなーと思った。弾き方や旋律そのものの違いもあるけど、音の響き方の印象が人によって違う感じがする。ヲクリのひとばち目の音だけで、場の雰囲気をいっきに変える人がいたり。三味線の音で、空気がピーンと張り詰めたり、逆にほわっとほころんだ感じが急にすることがある。いままで、文楽では三味線で情景を描写するというのがどういうことなのかよくわからなかったが、すこしヒントを得たような気もする。

 

 

冒頭に触れた内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』は『冥途の飛脚』を題材にした劇映画だが、結構話を増補してるんだな。今回、原作の文楽を観たことで『浪花の恋の物語』のよさがよりわかった。「淡路町の段」までの前段をしっかり描き込むことにより、二人の立場上の、あるいは気持ちの上での閉塞感を存分に出している。そのへんはやはり劇映画ならではのうまさ。とくにうまいのが、封印切りがいかにヤバイかという話を事前に何度も繰り返している点。これがわかっていないと、封印切りの意味することがわからなくなってしまう。文楽と同じ通り、催促に来る侍が強い調子なのはもちろん、冒頭の人形浄瑠璃の芝居小屋のシーンでよその飛脚屋での封印切りの噂話を出して、その危うさをより印象づけている。そして、ストーリー全体の整理と見せ方に関しては、原作に触れてなお傑作だと感じた。原作のアンチョコになっていないのが本当に素晴らしいと思う。

『浪花の恋の物語』、ご覧になったことがない方は、DVDが出ているので是非ともご鑑賞を。近松門左衛門を主人公に、当時の人形浄瑠璃の芝居小屋の様子も描かれている(ただし人形は三人遣いにしているなど、意図的に時代考証を無視している箇所や史実改変あり。でも、文楽お詳しい方はすぐ意図に気付くと思います)。竹本座の座員を演じる文楽技芸員の方々は最も良いシーンで登場、当時の三和会、若き日の越路太夫師匠(つばめ太夫時代)、勝太郎師匠、紋十郎師匠らが出演され、ストーリーを盛り上げている。人形の撮り方がかなり特殊なことにご注目を!

浪花の恋の物語 [DVD]

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 この映画のくわしいレビューは、過去記事2016年ベストムービー5(旧作だけど) - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹に書いております。

 

 

ところでロビーでずっと流れている文楽研修生の募集ビデオ。

幕間にじっと見ていたら、昨夏頃見たものと内容が差し変わっていて、より詳しい内容になっていた。研修内容の詳細な様子が映ってるのだが、人形の部が結構面白かった。和生さんや清十郎さんがツメ人形のような簡素な女の人形で足の動かし方などをレクチャーしている映像があり、雑な顔のツメ人形なのに主役級にしか見えないすばらしい動きで、笑ってしまった。人形がどう見えるかって、やっぱり人形遣いの芸の力がいちばん大きいんですね。清十郎さんがおそらくアドリブであちこちに動いて、足を遣わせている研修生の子をついて来させるところ、スタタタタと動きが異様に速くて面白かった。ツメ人形(と清十郎さん)、ふだんそんな激しく動かんから。師匠格の方々ばかりでなく、玉翔さんや紋秀さんなど、お兄さんたちが横からサポートしてあげていた。どの研修でも研修生のみなさんとても一生懸命な表情で、またも親戚のオバチャンの気分になってしまい、大変やろけどがんばってな……待っとるで……(ホロリ)となった。