TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10・11月大阪錦秋公演『花上野誉碑』『恋娘昔八丈』『日高川入相花王』国立文楽劇場

大阪は遠い。

大阪11時開演に間に合わせるためには家を6時半には出なくてはならない。6時半て、いまの時期日の出6時15分くらいなんでまだ薄暗いんですけど……。東京駅構内の喫茶店は新幹線改札内のスタバしかやってないしさあ……。これで文楽劇場に着けるのは10時半。リニア新幹線はやく開通して欲しい。

 

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今回は夜の回の『勧進帳』で花道を使うということで、場内に入ると歌舞伎の劇場のように舞台下手側から客席後部に向かって花道が伸びていた。文楽劇場友の会の入会特典でもらった無料券でパンフレットを引き換えてもらったり、場内ウロウロしているうちに開演15分前。大阪は前方列しか座ったことがないため、後列だとどれくらい見えるんかいなと思い、三番叟をやっているあいだに二等席・幕見席の後部にまわって見てみた。おお、わりと見えるね。音の聞こえ方もいい。観光でちょっと観てみるとか、ためしに一度観てみたいくらいの人なら全然いいね。大阪は二等席が一等席の半額以下で驚異的に安価というのもうらやましいのだが、今回の幕見席は500〜1000円で出ているようで、この点もますますもって大阪がうらやましい。常時満席でないことをうらましいというのは技芸員さんや関係者の方々には不本意かもしれないけれど、東京は観に行っておもしろかったからコレもっかい観たいと思っても、どうしても席の確保が難しいので……。

 

まず1本目『花上野誉碑』。先日読んだ有吉佐和子文楽ものの小説『一の糸』の最後に登場する伝説的演目で、難曲とされているそう。大阪では19年ぶりの上演だとか。『一の糸』で三味線弾きが若い太夫に事細かな稽古をつけるシーンがあるのと、三味線弾きの弟子たちが「不吉な曲だ」と謂れと内容を解説してくれるので、オチそのものは知っていたのだが、ふーんなるほどね。そのオチにいくまでが結構長いのか。はじめは何の話をしているのかよくわからないのだが、寺に預けられている口のきけない少年・坊太郎(配役・吉田玉翔)が亡父の敵である源太左衛門(吉田玉男)にとっつかまり、ふところから桃を転がり落とすところから話が急展開する。

この桃は殿への献上品として育てられており、献上するまでは本尊へのお供え物にでもとってはならないとされているものだった。禁を犯した坊太郎を縁から蹴落とす源太左衛門、そこへ走り込んでくるのがみずぼらしい身なりをした乳母お辻(吉田和生)。お辻は必死に坊太郎をかばいその場はおさまるが、桃を盗んだのは事実だと知り、ひとのものに手をつけるとは子どもながら恐ろしいと坊太郎を叱責する。ところがこの桃は、金比羅権現へ坊太郎が喋ることができるようにと願掛けをし、食事を断って果物に命をつないでいたお辻のために坊太郎が摘んだものだった。このへん、喋れない坊太郎は言いたいことを砂の上に文字を書き、それをお辻が読み上げるのだが、砂の上に書いているとは思えない超長文でいかにも語り芸の文楽って感じで驚く。お辻は坊太郎のその気持ちを喜ぶが(いままでの話は一体)、あらためて坊太郎の本復を祈るべく「南無象頭山金比羅大権現」と唱え、尋常ではない形相で水垢離を行う。

いままでに私が見た和生さんはいつもとても優雅で気品にあふれるお姿だったが、今回は激情に身を駆られ情念溢るる役でびっくりした。お辻も出てくるときは「むさい穢いなり」と表現されているが、物腰自体は穢い印象ではなくしずしずとした上品さはキープされているので、この変貌は印象的。「サアサア物を言はしやれぬか言はしやれぬか」「これほどに祈請をかけ、命を絶って願うても、やつぱり物が言はれぬか」と、超困惑する坊太郎にグワグワとつかみかかり慟哭する鬼気迫りっぷりがすばらしかった。

三味線、ご出演のみなさんよかったが、今回いちばんいいとこを弾くのは清介さんだった。ところでそれとは関係ないんですが、太夫さんと三味線弾きさんとふたりとも頭が光ってると「おっ、今日はなんかいいことありそう!」って思いませんか。私は思います。

 

2本目『恋娘昔八丈』。夫殺しの科により、馬上、黄八丈のうえに水晶の数珠掛け姿で引き回された材木問屋城木屋の娘・お駒(配役・豊松清十郎)の話だが……、こういう漠然とした美少女話って、文楽だと映えるね。映画で生身の人間がやっちゃうとどうしてもその役者の外見や過去の役に引きずられて目が曇る。私、この手の美人女優主体の映画がどうも苦手で、いくら世間で美人女優と言われていても、自分の好みの人じゃないと観ていてしらけてしまう。好きな人だと良いんだけど。そのへん人形だと客が勝手に自分の思い思いの美少女を投影できますからねぇ。いや、もちろん文楽でもちゃんと美少女に見えるのは芸の力によるものであるとは承知しているが、やっぱり生身の人間が直接演じておらず、セリフも別の人が言っているのは大きい。

お駒が自分に惚れていると勘違いし、めでたく舞い上がる番頭丈八(吉田簑二郎)もかわいい。文楽に出てくる番頭とか店の下働きとかのバカっぽい顔のヤツが調子に乗って踊りながら何か喋る、微妙にイラっとさせてくるあの感じ、ウザかわいくて好き。

ところで肝心の婿殺しのシーンが飛んでいたが、今回の上演に入っていないのか、それとも、もとからないのか。そこが飛ぶので、番頭が謎の勘違いをして独り合点したあと、いきなりお駒が引かれてくる場面になり、マジでこの女がやったんじゃないのとも取れる、良い意味でちょっと不思議な印象になっていた。

 

3本目『日高川入相花王』。恋い慕う僧侶・安珍を追って紀州日高川の川岸へやって来た清姫(配役・吉田勘彌)だったが、安珍に言い含められた渡し守(吉田勘市)が船を出してくれず、姫は大蛇に化身して川を渡るという話。姫が川に飛び込むとき、本当に人形遣いごと飛び込むのか、驚いた。

大蛇の姿は着ぐるみ等でダイレクトに表現しているわけではなく、白い着物姿に長い帯をはためかせるかたちで巨大な白蛇を表現していた。かつ、早変わりで普通の姫の姿と入れ替わりで大きくうねる波間に現れるので、はっきりとは見えない。イロモノっぽい筋書きだなと思ったけれど、あんまり華美・下品な方向にはしないのね。そして川を渡りきり、柳の木にしがみついた姫は化け物の表情になっていてポーズを決めるのだが(仕掛けのあるかしら)、ここはすごい万雷の拍手だった。

しかしこれ清姫役やるかた、大変だね。上演時間は短いけど、体力ないと息が切れてしまいそう。ご本人の雰囲気との取り合わせか、勘彌さんは黒い振袖姿の美しい清姫がとてもお似合いだった。義太夫もとてもよかったし、満足の1本だった。

 

 

第1部、一体なんの3本立てなのかと思っていたら、激情に身を駆られる女3本立てだった。

 

激情に身を駆られる女といえば、『花上野誉碑』のところに書いた有吉佐和子文楽ものの小説『一の糸』、とても面白かった。若くして師匠を凌ぐ腕を持つ文楽の三味線弾きと、彼の音に惚れた東京の大店の箱入り娘の数十年にわたる縁の話で、大正〜戦後の文楽関係の実在の人物・出来事等をモデルにしていているのが読みどころ。もちろん文楽の有名な演目も出てきて、話の内容と演目の内容がちゃんとリンクしていたり(三味線弾きが20代と若いのに格が高い設定なのはいいとこを弾かせるため?)。前半は普通?の恋愛もので、恋に狂った娘が三味線弾きを追い地方巡業先の大垣の宿まで訪ねていって……など、有吉佐和子らしい女の情念がドロドロ煮えたぎる感じなんだけど、後半が文楽の内幕の話になっていて、こっちは話の方向性が違ってくる。文楽が好きなかたはこの後半のほうが読み応えがあるんじゃないだろうか。その内幕の話というのが、三味線弾きが長年連れ添った太夫と夫婦喧嘩をして「別れる!!」と騒ぎはじめ、ふたりは大スターなので周囲は必死になだめるが……という筋書き。え!?!? さっきまでヒロインとのロマンスの話してなかった!?!? 一区切りついた途端そっちにシフト!?!?! 三味線弾きは太夫の若いころからのお気に入りで、大師匠の死後その太夫から請われて組んで25年、喧嘩していてもお互いの芸を認めあっていて、共に床をつとめることが一番だとわかっており、しかも一緒に出演するとゴキゲンで、なんどもモトザヤにおさまりそうになるのだが……。三味線弾きの心中は会話のかたちで描かれているが、相手の太夫の心中は最後まで行動そのものでしか描かれないのが読みどころ。そして、決裂が決定的になった最後の舞台でふたり揃って出演する『絵本太功記』の十段目、「こんな殿御を持ちながら、これが別れの盃かと……」という場面には涙がこぼれる。本作、kindleでも読めるので、みなさまぜひご一読を。*1

一の糸(新潮文庫)

一の糸(新潮文庫)

 

 

 

*1:あと、この小説の中だと人形遣いはもろに身分が低くて、完全に見下されてました。本当かどうかは知らないが、むかしはここまで身分差あったんだ……内幕でそんなことせんでも……と思いました。