TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『新編西遊記 GO WEST! 玉うさぎの涙』国立文楽劇場

おこさま向け公演。初の平日観劇だが、場内ほんとうにおこさまがいっぱいで驚いた。というか、周囲、私以外みんな親子連れ。所々に普通の(?)文楽ファンの方の姿も混じっているが、おこさまがびっしりしていて気絶しそうになった。「親子劇場」と銘打たれているが、本当に親子劇場だったんだ……。はりきって最前列を取ってしまい浮きまくる私、開演15分前の三番叟に怪訝な目を向けるおこさまたち、所々にひそむ一般文楽ファン年配者、さてどうなってしまうのか。

 

本編上演に先立ち、『五条橋』と「ぶんらくってなあに?」という解説コーナーが付されている。『五条橋』のみ出遣い・字幕ありで通常公演と同じような形態で上演されるのだが、おこさまたちが口々に引率の父上母上に「ど~して牛若丸は女の格好をしているの~?」と聞いている。衣装そのものはそんなに女性的ではないので、浄瑠璃の詞章を理解しているのか、それとも絵本などで知識として知っているのか、あなどれぬおこさまたち。

「ぶんらくってなあに?」は会場から3人のおこさまをステージに上げて、人形遣いの体験をさせるというものだった。人形遣いさんのお手本通りの立役の型を、おこさま3人組が小坊主の人形を使ってそれぞれ主遣い・左遣い・足遣いとなって演じるのだが、まあ、出来ないよね。おこさまでなくとも「円を描くようにくるっと回って、手をぱちんと合わせて、両手を広げる」自体が難しそう。案の定、途中から人形が大きく傾いてきて、あらら……と人形遣いさんたちが立て直してあげていた。おこさまの世話をする左遣いさんと足遣いさんがおこさまたちにデレデレになっていたのが面白かった。

 

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西遊記』の原典をもとにした書き下ろし新作で、今までも『西遊記』を上演しているらしく、なんとすでに天竺へ着く寸前まで話が進んでいる。ストーリーは、いよいよ明日が天竺入りという三蔵一行がある寺院で休んでいると、不思議な娘が現れるというところから始まる。 以下あらすじ。(※結末まで書いています)

新編西遊記 GO WEST! 玉うさぎの涙

ついに天竺国へ差し掛かった三蔵一行は、今夜は布金禅寺という寺の軒を借りて休むことに。ところが八戒が何やら夢にうなされて「嫦娥さま、嫦娥さま」とうるさく泣き叫ぶ。八戒はかつて天界にいたころは天蓬元帥という水もしたたる二枚目で、嫦娥という月の女神に恋をしていたのだった。ところが天からウッカリ滑り落ち、地上へ落下した拍子にブタにぶつかり、いまのような姿になってしまったという。そんな八戒が月を見上げて恋しがっているところにひとりの娘が現れる。彼女は実は天竺の王女で、いまの王女は自分の偽物だと言う。悟空は娘を狂女扱いするが、三蔵は嘘かどうかはわからないと言い、翌日王宮へ赴くことに。

次の日、王宮前広場は大勢の男たちで賑わっていた。きょうは「天婚」、王女の婿を決める日で、王女の投げた鞠に当たった男が婿となり次の王となるという。やがて昨夜の娘にそっくりな王女が姿を現す。鳥に化けて王女を偵察していた悟空は、彼女の影が逆さま、つまり王女は妖怪変化だと気づき三蔵に報告するが、彼女の投げた鞠は三蔵に当たる。

謁見の間に連れて行かれた三蔵は僧侶として妻帯はできないと天婚を固辞するが、国王は三蔵に一目惚れして譲らない。そこで一行は灯明をかざして宮殿の壁に逆さまになった王女の影を映し、彼女の正体を暴露する。

ぴょんぴょん飛び跳ねて王宮から逃げ出す王女、もとい化物を追い、一行は山岳地帯へ。やがて昨夜の布金禅寺へたどり着くと、そこには二人の王女が。水の中から覗けばその者の正体を見ることができる沙悟浄が偽物を見破り、偽王女は追い詰められるが、そのとき月の女神・嫦娥が現れ、うさぎに変化した偽王女は彼女の胸に飛び込む。

偽王女の正体は嫦娥に仕える玉うさぎだった。玉うさぎはかつて月の宴で踊れるようになりたいと願って人間にしてもらったが、正体がうさぎゆえぴょんぴょん跳ねてしまってうまく踊れず、前世で月の宮の仙女であり踊りの師匠であった天竺の王女にシバかれたのを遺恨に思っていたという。前世の無礼を詫びる王女に、それで結果的には踊れるようになったのだから感謝しこそすれ自分のやったことは逆恨みと謝ると玉うさぎ。八戒嫦娥に玉うさぎを罰しないように頼む。己の醜い姿を恥じる八戒嫦娥は、ひとの値打ちは姿形にはあらず、いまのような優しい心を持つ八戒が好きだと言う。そして王女と玉うさぎが入れ替わる前まで時間を巻き戻し、王女は元どおりに暮らすようにと告げた。

嫦娥に抱かれた玉うさぎは天へ去ってゆき、三蔵一行は再び天竺を目指すのだった。 

 『西遊記』は学生時代、岩波文庫版で頑張って読んでいたので、なんとなくだが原典の雰囲気はわかるため、いかにもな子ども向けでなく、原作に寄せたストーリーが楽しかった。非常にテンポの速い展開で、幕間なしで上演し、舞台装置転換中はツメ人形が簡単な会話をするシーンなどでつないでいて飽きさせない。

脚本は外注で新作(作・壌晴彦)。太夫は若手中心、一役ひとりついているため、人数が多すぎて床に座りきれず、ステージにはみ出ている方が……。

三味線もすべて新作(作曲・鶴澤清介)なのだが、いつもより演奏多め、というか弾きっぱなしの状態、たたみかけてくる。清介さんはずっと一生懸命弾いていらっしゃった。天竺が舞台とあってか、三味線以外にも琴、胡弓、大弓などの他の楽器も。新作だからか通常のように暗譜ではないようで、足元に楽譜があるらしく、いつもと違い下を向いて弾かれていた。三味線の人がまっすぐ客席を見ていないのは不思議な気分。

人形はすべて黒衣。そして孫悟空沙悟浄猪八戒の人形がリアルすぎて怖い(監修・桐竹勘十郎)。ここでいかにもな子ども向きのかわいい人形でやってしまったら一般の人形劇になってしまうので、その線引きを守っているのだろうか。うしろの席のおこさまが「絵(https://twitter.com/bunraku09/status/737936835301646336)と違う……きもちわるい……」と言っていたのには笑った。それぞれ美しい人形ではあるのだが、この妥協のなさ、おこさま向けと言ってもナメてかからない意気込みを感じる。しかし通常よりアクション多めで、人形の動きの見た目だけでも楽しいつくり。悟空の変化の術や分身の術も楽しいが、自分に関係ない他の人の芝居の最中もチョコマカ小芝居をする八戒&沙悟浄が可愛かった。

 

ちゃんと文楽に落ちてる!と思ったのは、最後の玉うさぎの独白の長さ。そこまではアクション多めでおこさまにもなじみやすいようにしてあるが、玉うさぎが何故偽女王になろうとしたのかは通常の浄瑠璃のように太夫の長台詞で語られる。普通の人形劇や舞台ものではありえない長さ。人形の演技にふり被せてもいいところを、ここは妥協しなかったんだなと思った。ただ、古典浄瑠璃だと長台詞も気にならないが、口語に近い台詞回しだと若干長く感じる。説明台詞になりかかっているというか。また、理由の核心に芸人の心的なオチがついているのだが、これ、古典の浄瑠璃なら倫理観が違う前提があるので理解の範疇だが、おこさまたちには理解されたのだろうか。あの人らの芸の世界が特殊なのはわかるが、いまのご時世、口より先に手を出すのはアウトの風潮だと思うが……。っていうかおこさまたち、台詞聞き取れてますか? と色々心配になったが、でもまあこういうのって、ちょっと背伸びするくらいがいいんだよね。私の隣の小学校中学年くらいの子は『五条橋』のルビのない字幕を理解していたし。難解な固有名詞が多いのに立派(ついていけなかった大人)。

 舞台美術が結構凝っていて、外注とのこと(美術・大田創)。舞台は天竺ということで、インド風。象を大きくあしらった影絵風のフレームなど、通常の公演では見られない変わったセットを楽しめた。お金かけてる〜。と思った。

 

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おこさま名言集

  • 上演前、準備中の黒衣を見て「初心者だ〜〜〜〜!!!」
  • 「あの人たちって国家公務員?」
  • 「歌舞伎とどっちが給料高いの?」
  • 人形遣いってどの人がいちばんえらいの? 足遣いでしょ?」←足遣いのみなさん聞いてやってください。足遣いがいちばん働いているから、そうでなくてはおかしいと思ったらしいんです。そんなおこさまたちに引率のパパ上様(たぶん文楽通)は「人形は顔が命でそれ以外はどうでもいいんだよ^^」とおそろしいことを吹き込んでいました。

私の周囲は前列だけあってか、どうも親が文楽好きで子どもを連れてきているっぽかった。子どもの質問に対し、文楽そのものについても古語についてもさらさら答えている人が多かったので。こいつ完全に文楽マニアだろうという親御さんの姿も。あと、定式幕を見たおこさまたちは口々にせんべい食べたいと言っていました。そしてママ上様に「それは歌舞伎揚げ」と言われていました。

おこさまたちは私が思っていたよりはるかに文楽に理解があり、みな真剣に観劇していた。やはり子どもの感性というものはすごいなと思わされた。終演後、人形遣いさんたちが人形を連れておこさまたちのお見送りでグリーティングをしていたらしいのだが、私はおなかが空きすぎていたのですぐ出てしまった。ちっ。次の部に備えるべく、カレーうどんをおいしく頂きましたよ。

 

実はこのあと、前日に観た『薫樹累物語』『伊勢音頭恋寝刃』『金壺親父恋達引』があまりによすぎたので、続けて2部3部も観てしまった。あぜくら会会員だから割引あるし*1、最後まで観ても新幹線の終電間に合うしとか言って……。一日で全部観ると疲れるからと言っていたのは何だったのか。意外に疲れない(感覚が麻痺していて)。

しかし、同じ演目を二日続けて観ても面白いものだ。前日とはやはりそれぞれ少しずつ違い、特に偶発要素のある人形の演技は前日とは違う動きを見ることができて良かった。一発で決めなくてはならないような、やりなおせない動き、決めのポーズなどは、一日目よりうまくいく場面、二日目のほうが決まりきらない場面、いろいろ。髪を振り乱すのも、うまく振り乱すのは難しいもんだなと思ったり。『金壺親父恋達引』の金左衛門の、金壺の埋まっていた穴への頭の突っ込み具合が一日目と二日目で違ったのが一番笑った。日々ちょっとずつ変えてるのね。

 

 

*1:あぜくら会の会員証があれば現金を持っていなくてもチケットを購入できるのが感覚の麻痺を助長する。実は1万円くらい払うことにはなるのに。あなおそろしや。