TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

昭和残侠伝 ―昭和BL邦画列伝 第1夜―

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突然身も蓋もない話で恐縮だが、昭和を代表するBL映画と言えば東映の任侠映画「昭和残侠伝」シリーズだ。*1

 

「昭和残侠伝」シリーズは、1965年から1972年の任侠映画全盛期にその代表的映画会社である東映で全9作が制作された。

 「昭和残侠伝」がどんな話かというと、花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)という二人の渡世人が運命的に出会い、友情、確執、怨恨、様々な経緯がありながらも悪玉ヤクザのもとへ共に殴り込みに行くというのがおおよその筋書きである。

この「運命的に出会い」というのがシリーズ構成上のポイントで、シリーズと言ってもご都合主義なプログラムピクチャーらしく、各作で話はまったくつながっておらず、主人公の二人だけが固定登場人物であり、時代設定を含めてその他のシチュエーションは毎回異なっていて関連性は一切ない。いわばパラレルワールド。しかし、どんな状況であっても、かならず二人は出会うことを繰り返す。そのため、シリーズをずっと観ていると、何度転生を繰り返しても必ず出会う運命で結ばれている二人を描く大河物のように思えてくる。というか、むしろこのシリーズはその二人の運命の螺旋を見守るのための映画とも言える。

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本シリーズの華は、なんと言っても高倉健池部良というスター俳優の組み合わせの妙だろう。*2

この高倉健×池部良のカップリングは天才的としか言いようがない。

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高倉健はご存知の通りの戦後日本映画の代名詞ともいえる男優で、長身かつスタイル抜群で一重まぶたの東洋的美形だけどぱっと見朴訥……というかごめん、はっきり言ってイモに見えるという素朴さもある非の打ち所のないスーパースターである。若い時分や『網走番外地』ではブッキラボーな役もあったが、任侠映画ではきわめて清楚な役を演じる東映きっての清純派。ただ清純派といっても途中までは常に身綺麗にしていて裾をさっと押さえて座るなどの楚々とした振る舞いをしているのだが、クライマックスの殴り込みではもろ肌脱いで上半身裸になったり(そのために相当鍛えているし)、裾をおもいっきりはだけさせたり、サービスがすごいことになっている*3。本作は間違いなく男性客向けに作られた映画だが、なんで昔はこんなに男性向け男性お色気表現が炸裂しまくっていたのだろうか。ちなみに『昭和残侠伝』第1作(1965年)出演時は34歳。

 

 

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一方、池部良は高倉より13歳年上(第1作出演時47歳)、戦後東宝を代表するスターであり、知的でやわらかな雰囲気のある俳優だ。東宝でこなしてきたのは知的で都会派の清潔感ある美男役という、本作とは真逆の方向性。なで肩でたおやかな容姿のほか、ホンワカフンワリした独特のイントネーションの喋り方に特徴があり、おっとりした癒し系なのだが、女性的な容姿なわけではなくてよく見ると結構デカくて割とガッシリしているため(さすがに健さんよりは少し身長は低い)、ウドの大木感があるのが良い。あっ。ダイコンではないですよ。ウド、ウド*4。そのせいか東宝での若い頃の出演作はハッキリ言ってパーにしか見えないことも多かったが、松竹で出演した篠田正浩監督『乾いた花』(1964年)では大きくイメージを変えて退廃的でクールなヤクザ役を演じる。映画自体の出来が正直あんまり……な中、池部良は本人の演技力と雰囲気でもって異常に光っており、これが大人の崩れた色気をたたえていて良いのである。で、これを見た東映の俊藤浩滋プロデューサー(任侠映画制作を先導した東映のプロデューサー)が「是非うちの高倉と」と東映への出演依頼をしたそうだ。

 

 

 

この二人のビジュアルの均衡がすばらしく取れていて、二人が連れ立って歩くとき、私はスクリーンに向かって手を合わせて拝みたくなる。このカップリングでなくてはこの映画は成立しない。健さんは背が高くてがっしりしていてスタイルが良い。池部良は同じく背が高くてスタイルがよいのだが、しかしなで肩でたおやかな雰囲気があって、剛と柔の対をなすイメージが大変に美しい。演技の面でも生硬さのある高倉健の演技を池部良を上手く受け止めていると思う。

この二人のコンビは「花と風」と呼ばれている。つまり、役名が「花(田秀次郎)」と「風(間重吉)」と対になっており、その分かちがたい美しさが表されているのだ。

池部良は、出演条件の関係上、シリーズほぼ全てにおいてクライマックスの殴り込みの際に命を落とすことになる。これは池部良が当時俳優協会の理事をしており、ヤクザ賛美には賛同しかねるゆえの最低ラインを守るための条件だったそうだが、これが逆に話を盛り上げる。なぜかって? 殴り込みのさなか二人はバラバラになり、池部良は志半ばで後を高倉に託して地面に倒れ伏すのだが、それに気付いた高倉はなんとも言えない表情でかれの身体を抱きしめるのである。この色っぽさ。

この「遺骸を抱きしめる」はアウトローものの映画ではかなりオーソドックスな見せ場で、当時はみんなやっていた(例えば日活の『錆びた鎖』という映画で石原裕次郎小林旭を抱きしめるシーンは有名)。

……って、色っぽさとか書いておいて申し訳ないのだが、実は正直なところ、個人的にはまったく何の感情も湧かず「ふーん。」程度にしか思わないが、私の観測範囲では男性客が結構食いついているので、東映は間違っていなかったようである。

食いついている人の例: 『昭和残侠伝』全作鑑賞 : 佐々木譲の備忘録

 

 

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二人のコンビ姿は、並んで歩くときがいちばん映える。

二人がいつ並んで歩くのかというと、それは「道行き」のときである。

「道行き」とはなにか。映画のクライマックス、高倉健池部良がふたり並んで殴り込みに行く場面のことである。このシーンのアンダートーンの色気にはすさまじいものがある。高倉健が暗い夜道を長ドスを携えて歩いて行く途中、街角に池部良が待っており、すっ、と高倉健の前に立ってひとこと「ご一緒させて頂きます」。そして二人が並んで歩いてゆくところに主題歌の「唐獅子牡丹」がかぶさってくる。この美しさ。「道行き」とは一般的には歌舞伎・文楽などで男女が駆け落ちや心中などに向かう旅の場面をさす言葉だが、本作においてはまさに二人の「殴り込み」=「心中」であり、「道行き」という言葉がふさわしい。

 

 

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シリーズでもっとも有名なのは、第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(監督=佐伯清/脚本=山本英明 +松本功/1966年)の雪の降る晩の、相合い傘の道行きだろう。 

 

こまかい雪がはらはらと降りしきる中、池部良は黒の着流しに白い和傘を手にして高倉健を待っている。

ストーリーは政府事業への石材納入を巡る石切り場経営会社同士の諍いがメイン。二人は宇都宮のとある石切り場の女経営者に義理のある渡世人(高倉)、そして長い間旅に出ていたそこの使用人(池部)として出会う。

本作は『沓掛時次郎』をベースにした、まるでおとぎばなしのような清楚なストーリーだ。実は高倉は女経営者(三田佳子)の夫(菅原謙二)を“渡世の義理”で殺害しており、刑務所からの出所後はその罪滅ぼしとして対立会社から執拗な嫌がらせを受ける三田を影から助けていた。何の説明もなく手助けをしてくれる高倉を三田は不思議に思うが、彼の人柄に好感を抱き、幼い息子ともども彼を歓待した。しかし時間が経つうち良心の呵責に耐えきれなくなった高倉はついに罪を告白する。そのころ、長く旅に出ていた池部が宇都宮へ帰ってくる。高倉が先代殺しの犯人だと知った池部は高倉と決闘することになるが、三田の必死の制止でそれは“お預け”になる。そうこうしているうちに対立会社の悪行は一層加速し、大きな被害の出る事件が起きてしまう。

 

クライマックス。高倉は石切り場を離れどこかへ旅立つと言って、ひとり暗い夜道を歩いている。高倉は道端に立っていた池部と出会う。傘をさしかけてきた池部が「ちょっと用足しですよ」というので、じゃあ、そこまで……という体で二人は夜道を連れ立って歩くが、駅への分かれ道にきても高倉はそちらへは歩みを進めない。「まだ用足しが残っているんですよ」。二人は見つめ合う。時間は止まる。

池部良が、傘を持つ手を持ち替え、高倉健の肩の雪を手拭いで払ってやる。そしてゆっくりと一歩一歩、相合い傘で雪の降りしきる暗い夜道を歩いてゆく。ストーリー上、本来は池部は高倉に加担する必然性が1ミリもないのだが、それを圧倒する美しさと説得力を持っている。

本作では設定上二人は出会って日が浅いということがあって、動作自体は親密な雰囲気ながらも、会話は他人行儀に「秀次郎さん」「三上さん」とお互い「さん」づけ、敬語で喋っているのがとても良い。(この時点では役名が「花田秀次郎」「風間重吉」に固定されておらず、池部の役名が「三上圭吾」となっている)

また、この道行きのシーンの背景美術はきわめて簡素であり、はじめこそセットの街並みがあるのだが、カットが切り替わるにつれ、二人の歩くあぜ道と降り続ける粉雪を残して背景がただの真っ黒、漆黒の空間となるのが象徴的だ。

 

高倉健が亡くなった冬、丸の内TOEIで行われた追悼上映会で本作が上映されたとき、クライマックスのほうで周囲の人が何度も洟を啜っているので風邪が流行っているのかな……と思っていた。エンドマークとともに、場内は大きな拍手に包まれた。客電がついて立ち上がると、なんと周囲の人が皆泣いていた。あれにはビックリした。名画座だと終映後に拍手が起こる上映というのは時々あるのだけれど(とは言えトークショー付き上映で関係者ゲストでもない限り、大きな拍手は滅多にないが)、あそこまで周囲の人が皆泣いていたのはあのときだけだった。言うまでもなく、私も二人の道行きのあまりの美しさに泣いていた。(たぶん皆が泣いているのはそこじゃない)

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二人の出会いのシチュエーションはさまざまである。あるときは親分と客分として。またある時は敵対する2つの組織の子分客分同士として。二人は幸福に出会うとは限らない。刃を交えることもある。ひとりの女を争うこともある。しかし、最後にはかならず「道行き」を共にする。

シリーズでいちばん出会いのシチュエーションが凝っているのが、第7作の『昭和残侠伝 死んで貰います』(監督=マキノ雅弘/脚本=大和久守正/1970年)。シリーズの中でも最も有名な作品なので、観たことがなくてもタイトルだけはご存知の方も多いことかと思う。

舞台は昭和初期の東京。深川の老舗料亭・喜楽はいまは往時の勢いも衰え、板長の風間重吉(池部良)が盲目の女主人を支えて細々と続けられている。この家には本来家督となるべき男子がいて、しかしその長男は家出したきり帰ってこない。あるとき、流れ者の高倉健が現われ、池部は彼を板場の下働きとして雇う。……のだが、実はこの家の行方不明の長男というのが高倉健なのである。高倉健はもとはと言えば父が後妻(=現女主人)を迎え妹が生まれたことで遠慮して家を出たのだが、やくざに身を堕として親不孝をしている間に父と妹は逝去、後妻は盲目となってしまった。そのため、突然現れた流れ者・高倉健こそがかつて行方不明になった長男・秀次郎だとは誰も気付いていないのである。

ところが、あることを切っ掛けに彼が行方不明だった秀次郎だとわかり(このエピソードが本作の最大の見所)、高倉健池部良の主従関係が逆転する。

 本作で絶賛されるのは大抵、先述の「下働きとして入った健さんが実は行方不明の長男だったとわかるエピソード」や「健さんの恋人役の芸者・藤純子とのエピソード」なのだが、これらを吹き飛ばしかねないすごい逆転設定。初めて観たときは「そこ!?!?!?!?」と思ったものである。ぶっちゃけた話、本作の藤純子の演技にはかなりツラいものがあり*5、個人的にそれがあまりにツラすぎて本作はあまり好きではないのだが、「高倉健と、池部良が、リバ」ということで、異常にインパクトが残っている作品だ。いや、私以外でそこに食いついている人、見たことないけど。

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「昭和残侠伝」は、この世でもっとも美しい作り話である。

昏い夜の道行、交わされる視線、何度も繰り返される運命。

リアリズムを捨て去った、すべては虚構の世界。

ここまで色々書いたが、これらは私が映画の内容を意図的に曲解して「そうとも受け取れるよね」ということを書いているわけではなく、制作上の意図として確信的に二人の同性愛的な雰囲気が演出されている。1作目『昭和残侠伝』で、悪玉組織に攫われた子分を助けるため撃たれた健さんの、左腕に撃ち込まれた弾を池部良が摘出してやるシーンなどが顕著だろう。ただそれをド直球でやらず、あくまで雰囲気にとどめていて、暗い世界観の中、そのロマンチックな雰囲気をいかに美しい絵として見せるかの工夫がそのまま映画の見せ場になっているのが上手いと思う。

 

本シリーズがかなりヒットしたためか、高倉健池部良東映作品において他作でも共演しており、たとえば『渡世人列伝』(1969年)では二人は同じ刺青を入れた兄弟分ながら離ればなれになってお互いを探している渡世人となり、現代にまで時代が飛んだ『冬の華』(1978年)では仲の深い兄弟分であったにも関わらず組織の内部抗争で対立し、高倉はやむを得ず池部を殺害することになる。ここで突然理論が飛躍して恐縮だが、「ありがたい」としか言いようがないわ……。 ありがたや、ありがたや……。 

 

 

 

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おまけ 全作レビュー

 

┃ 昭和残侠伝(第1作)

  • 監督=佐伯清/脚本=村尾昭、松本功、山本英明/1965年
  • 二人の関係:渡世上の主従(高倉健=テキヤの次期頭目、池部良=妹を探して旅をする渡世人

本作のみ、戦前ではなく、戦後間もなくが舞台。健さんはストーリー冒頭には登場せず、口火を切るのは東宝からのゲスト・池部良という意外性のある構成。健さんは復興しつつある浅草の露天商たちを統率するテキヤの次期頭目を期待されている青年だが、まだ戦地から復員していない。その間に、旅中の渡世人池部良が一家へ身を寄せる。この池部良が軒先で仁義を切るシーンが見どころ。また、一家は博徒系でなくテキヤ、そしてストーリーも店子にあたる露天商の自立を促す内容なので、作中の倫理観も比較的現在と近く、シリーズの中では最も見易い。健さんのかつての恋人に三田佳子、彼女の現在の夫で健さん一家とは別途に商売を営むテキヤ親分に江原真二郎。健さんの弟分として若き日の松方弘樹、梅宮辰夫が登場する。二人とも純粋で健気なキャラクターで、可愛い。のちのちあんなおっさんズになるとはここからは想像もできない……。


昭和残侠伝(予告編) 

 

┃ 昭和残侠伝 唐獅子牡丹(第2作)

  • 監督=佐伯清/脚本=山本英明、松本功/1966年
  • 二人の関係:衝撃の「ほぼ他人」(高倉健=旅の渡世人池部良=石切り会社の一員)

ストーリーの大筋は前述の通り。任侠映画の悪役は判で押したような悪人が多い中、本作では敵役(水島道太郎)にも事情があり、あからさまな悪事に走った部下を叱りつけるなど、一概に悪人とは言えない設定になっているのが特徴。水島道太郎の息子で、ひまなとき……っていうか台詞がとくにないときはあやとりをしているファザコンキャラ(?)の山本麟一など、変な登場人物も出現する。健さんがシリーズ中でも最も清楚なキャラクターに設定されているのも見どころ。大谷石の石切り場での殴り込みロケも印象的。


昭和残侠伝 唐獅子牡丹(予告編)

昭和残侠伝 唐獅子牡丹 [DVD]

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┃ 昭和残侠伝 一匹狼(第3作)

  • 監督=佐伯清/脚本=松本功、山本英明/1966年
  • 二人の関係:仇だが心通じ合う仲(高倉健=旅の博徒池部良=旅の博徒

マグロ漁を巡る網元同士の対立が続く銚子の漁師町が舞台。前提として、池部良が健さんのかつての親分を殺し、また健さんがその報復に池部良の親分を殺しているという過去がある。そして現在。健さんは亡くなった弟分の妻(扇千景)を彼女の実家・銚子へ送り届けるも、父・潮政親分(島田正吾)は彼女がかつて潮政一家が仕える網元の子息との婚約をふいにして駆け落ちしたことをまだ許しておらず、冷たくあしらう。健さんは扇を連れ潮政のもとを離れるが、身体を悪くしている扇を心配した近所の小料理屋の女将(藤純子)が家に上げてくれる。この藤純子が実は池部良の妹。やがて池部が潮政と対立する網元・川銀一家の客分となって銚子に舞い戻ってくる。池部はすぐに川銀一家の悪質さを見抜き不本意に思うが、すでに渡世の義理を持ってしまっており、ここから話がこじれはじめる。

本シリーズに見られる定番として、ヒロインと高倉健池部良が三角関係になるパターンがある。これは要するに女を媒介にした二人の関係の話でもある。ただし本作では一人の女に健さん・池部良が惚れているのではなく、健さんにヒロイン・池部良が惚れているという特殊構造。しかも池部良のほうが先に健さんに惚れてしまう。というか、まあ、こっちのほうが一人の女を高倉健池部良で争うよりある意味リアルな設定だよな……。いま、ディアゴスティーニから「東映任侠映画傑作DVDコレクション」として東映任侠映画のブックレット付き廉価版DVDが隔週刊行されているのだが、このうちの『一匹狼』のブックレットにも健さんを巡る兄妹の三角関係萌える!!!!の旨が書いてある(やや誇張しました)。やっぱみんなそう思ってたんだね……。

浜辺が舞台なことがあってか、道行きで健さんがひとり歩くシーンが浜辺なのが印象的。また、シリーズにおいて道行きのシーンは健さんが青系の着物、池部良が黒系の着物を着ているのが定番だが*6、本作は夏が舞台のため健さんが黒の紗、池部良がグレーのしじら織りのような着物なのがちょっと新味。


昭和残侠伝 一匹狼(予告編)

昭和残侠伝 一匹狼 [DVD]

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 ┃ 昭和残侠伝 血染の唐獅子(第4作)

シリーズ他作のようなしんみりした暗さがなく、明るめトーンの作品。浅草の鳶集団がモチーフで、いままで建設事業を担ってきた鳶政一家に、東京博覧会工事を巡り新たに建設業を興した博徒系やくざの阿久津組が絡んでくる。工事事業者決定直前に鳶政の親分は急逝し、市役所と手を結んだ阿久津組に工事入札を妨害される。そこへ鳶政二代目・高倉健が除隊して帰ってくる。

健さんと池部良は子どものころからの親友だが、別々の組に所属しており、組同士が対立したことで引き裂かれてしまうというロミオとジュリエット型の話。さらに池部良の妹(藤純子)と健さんは恋人同士という王道設定。健さんは戦争から復員してきたばかりという設定で登場するため、登場してすぐは海軍の制服(?)を着ているのが見所。また、池部良は出演条件上、渡世人役でも刺青を入れない(脱ぐシーンがない)のだが、「昭和残侠伝」シリーズでは本作のみ刺青ありの役。道行きのシーンも、シリーズ他作のように抽象的な舞台装置風ではなく人通りのある通常空間(三社祭の夜)で二人揃って歩き始めるイレギュラー。

しかし、ストーリーのとある核心ネタにおいて、同じような……というかまったく同じ話が「日本侠客伝」シリーズにあり、監督お気に入りのモチーフなのだろうが台詞まで同じなのは正直どうかと思う。*7

惚れた芸者のために過ちをおかす子分役に山城新伍、健さんにチョロチョロついてくる役に立たなさげな子分に津川雅彦


昭和残侠伝 血染の唐獅子(プレビュー)

昭和残侠伝 血染の唐獅子 [DVD]

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 ┃ 昭和残侠伝 唐獅子仁義(第5作)

浅草蔵前一家の代貸・健さんはかつて敵対する雷門一家の親分を殺害。その仇として雷門一家の客分であった池部良と決闘する羽目になり、彼の左腕を切り落としたという設定。数年後、刑務所から出所した健さんは信州の林田一家へ逗留する。ところが同地には雷門一家に切り捨てられ酒に溺れ爛れた生活を送る流れ者になった池部良がいた。池部良は石材業を巡って林田一家と対立する樺島一家の客分となっており、二人は再び渡世の義理で対立することになる。ただ二人が再会するまでにはかなり時間がかかり、その間の持たせ方が本作の鍵になっている。道行きのシーンで隻腕の池部良のため、健さんが彼の手とドスを手拭で縛ってやるのが見どころ。あと、健さんがやたら早く脱ぐ。

年上の色っぽい雰囲気があるとは言えど清潔さとクリーンな印象を崩さなかった池部良が本作ではかなり煤けたキャラクターを演じている。ただ健さんと再会するシーンでは一切その煤けを見せず、別れたときと同じ、純粋な渡世人の清廉さでもって対応するのがポイント池部良の妻で怪我をした健さんを助ける芸妓に藤純子、健さんを趣味でつけ回すお金大好き緊張感ゼロの一匹狼コモノやくざに待田京介、健さんを匿う林田一家の親分に志村喬


昭和残侠伝 唐獅子仁義(予告編)

昭和残侠伝 唐獅子仁義 [DVD]

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┃昭和残侠伝 人斬り唐獅子(第6作)

皆川一家と東雲一家の争い絶え間ない浅草が舞台。健さんと池部良は元々から深い仲の兄弟分で、長く服役していた健さんは彼を頼って東雲一家に身を寄せる。おっいきなりハッピーエンドだねと思ったのもつかの間、その東雲一家というのが実はろくでもない組だったことが悲劇のはじまり。東雲一家親分(もう顔見た瞬間悪人とわかる須賀不二男)は玉の井遊郭の利権を狙う山師と内通しており、玉の井をシマとする皆川組親分の殺害を命じる。健さんは皆川組親分を斬って浅草を去り、二人は別れ別れになる。で、ここからどうなるのか?という話。

始めから二人の関係がある意味深いという設定になっている本作。池部良は道行きのシーンで「もうお前しかいない、死ぬときは一緒だ」と語る。そして、殴り込みにおいてイレギュラーにも最後まで二人とも生き残り、こんどは健さんが「死ぬ時は一緒だ」と池部良を抱いて雪降る町へ消えて行く。このあたりはBL的とは違う意味で監督の山下耕作のこだわりがある気がする。

健さんの元恋人に小山明子、皆川一家親分で小山明子の夫大木実、皆川一家代貸に葉山良二、浅草の争いを調停しようとする上野剣一家親分に片岡千恵蔵


昭和残侠伝 人斬り唐獅子(プレビュー)

昭和残侠伝 人斬り唐獅子 [DVD]

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┃昭和残侠伝 死んで貰います(第7作)

ストーリーは先述の通り。有名作だけあって、シリーズの中でも都内名画座では上映頻度がトップクラス。と言っても東映がプリント(上映用フィルム)を持っていないらしく、新文芸坐(池袋にある名画座)が執拗にフィルムセンター所蔵プリントで上映している状況。

しかし下記の予告動画、東映公式なんですけど、おそろしく直球なカバー写真だな。そんな話じゃねえだろとは思うが、これ1枚で昭和残侠伝のすべてを表現している。さすが東映。その三角形は永遠に丸くなることを知らない

昭和残侠伝 死んで貰います(予告編)

昭和残侠伝 死んで貰います [DVD]

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┃ 昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(第8作)

  • 監督=佐伯清/脚本=村尾昭/1971年
  • 二人の関係:ほぼ他人だがどちらかといえば対立した立場、でもお互いに好感(高倉健博徒池部良九谷焼職人)

工事入札を巡り三洲一家と稲葉一家が対立する金沢が舞台。健さんはたまたま草鞋を脱いだ先、前橋黒田一家親分の妾と駆け落ちした松方弘樹を追い金沢へとやってくる。この駆け落ちには理由があり、悪どい黒田の親分が松方の恋人を無理やり妾にしていたのだった。健さんはそれを承知だが渡世の義理だから仕方ない。松方らは三洲一家親分・鶴田浩二に匿われるが、黒田の親分が金沢へ乗り込んできて稲葉一家と手を結んだため、話が複雑化する。池部良松方弘樹の腹違いの兄で、鶴田浩二と懇意の九谷焼の職人として登場。そのため作務衣の衣装があったりする。池部良と健さんとは対立した立場で出会うことになるが、初めて会って目を合わせた瞬間から何か通じ合うものを感じる関係で観客の期待に応える。

何はともあれ話が複雑すぎるぜ……。本作はかなりイレギュラーな部分があり、高倉健池部良の殴り込みに鶴田浩二が介入してきて健さんと鶴田浩二が生き残るというオチになっている。しかも瀕死の池部良を抱き寄せるのは鶴田浩二。えっそっちだったの!? いやそれまでにも元渡世人池部良の下手くそな(?)九谷焼作品を買ってくれるのは鶴田浩二だけとか、前振りはあったと言えばあったが……。カプ違い許すまじの人は観ないほうがいいです。また、道行きが早朝で、はじめから二人一緒に歩いていくのも変わり種。

健さんがシリーズの中でもかなり常人離れした身持ちの堅い渡世人に設定されており、冒頭30分ほどはストーリー展開を兼ねて草鞋を脱いだ先での食事の頂き方や賭場へ入る際のマナーなど、旅の渡世人の作法豆知識が解説される。

鶴田浩二の妻で健さんのかつての恋人に松原智恵子、黒田一家親分に葉山良二、松方弘樹を追う黒田一家の兄貴分に沼田曜一、健さんが旅の先々で出会うお人好しの渡世人玉川良一

昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(予告編)

昭和残侠伝 吼えろ唐獅子 [DVD]

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┃ 昭和残侠伝 破れ傘 (第9作・最終作)

  • 監督=佐伯清/脚本=村尾昭/1972年
  • 二人の関係:渡世上の敵(高倉健=旅の博徒池部良=元博徒の堅気商売人)

郡山の大きな花会(賭場)の開帳権を争う地元ヤクザ同士の抗争に健さんが巻き込まれる話。かつては田舎者と馬鹿にされた寺津(安藤昇)も今では郡山で一二を争う親分となり、次の花会の開催権をめぐり老舗天神浜一家ともめていた。寺津は兄貴分である会津若松の鬼首親分(山本麟一)を盲目的に慕い彼の指示を仰いでいたが、実は鬼首は寺津を利用して東北全体の制圧を狙っていた。この鬼首のせいで寺津一家と天神浜一家は不本意に大きな混乱をきたすことになる。健さんは寺津の兄弟分で彼を補佐する旅の渡世人池部良は天神浜の身内だったが結婚のため堅気の造り酒屋になっていたが、組の窮地に再び渡世人に戻ることを決意する。健さんと池部良はそれぞれ別の組に所属する者同士となってしまったため、心を交わしていたはずの二人はやむなく対立することに。で、それはいいのだがさらにオプションとして健さんが久々に再会した初恋の女性(星由里子)の夫が池部良だったという縁がある。またかい。そしてここから導かれる「二人の邪魔をする人」がここでサクッと死ぬのがすごい。身も蓋もなさすぎだろう。なお、本作は二人とも生き残りEND。安藤昇悪徳兄貴分・山本麟一から健さんと別れろと言われるも、どうしても健さんと離れたくないと強弁するところが見所で、キャラクターとしても安藤昇には珍しい古典的な役。

「花田秀次郎」の名を騙る流れ者でやがて郡山へ流れてくる渡世人北島三郎、郡山の争いを調停しようとする新潟の親分に鶴田浩二


昭和残侠伝 破れ傘(予告編)

昭和残侠伝 破れ傘 [DVD]

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私の個人的なおすすめは1作目『昭和残侠伝』と2作目『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』。

その他の見どころとしては、シリーズ後半にいくにつれ池部良の髪型が何故かモヒカンになっていくのがかなり面白いので、ぜひ皆さん全作観てみてください。戦前にあんなモヒカンあったのか的時代考証以前に、昭和の時代にあんなモヒカンがあったのかよ……という感慨にふけることができます。ちなみにシリーズ初期だとすごいアイシャドーをしているので、こちらもチェックすると楽しいです。

本シリーズはiTunesなどで全作レンタル・購入可能。物理購入の場合はBlue-ray BOXが発売されているほか、東映から時々発売される廉価版DVDでも手頃に入手できる。また、先述のディアゴスティーニ刊行東映任侠映画傑作DVDコレクション」には詳細なストーリー梗概や人物相関図をおさめた解説ブックレットがついており、俳優名鑑や舞台(ロケ地)紹介、独自の豆知識コーナーも入っていてお勧めです。




 

 

*1:任侠映画について:お読みいただいている方のなかに「任侠映画」というものがよくわからないという方もいらっしゃるかと思うので、簡単に解説します。任侠映画とは、おもに戦前(明治・大正・昭和初期)を舞台とし、博徒あるいはテキヤを主人公として展開するやくざ映画のこと。プログラムピクチャー、ジャンル映画の一種。東映においては60年代に鶴田浩二高倉健らを主演として多く制作された。博徒とは賭博開帳をなりわいとするやくざのこと。テキヤとは祭などに出店する露天商を統率するやくざのこと。主人公は「一家」に所属している場合もあるが、フリーランスの場合(親分なし子分なしの独立営業)や一家に籍を置きつつ地元を離れよそに寄宿している場合(「旅」という。寄宿先での立場は「客分」とよばれる)もある。ストーリーとしては義理人情を重んずる古いヤクザ(主人公サイド)と、仁義を捨てた新興暴力団(敵サイド)の争いを主軸とする話が多い。たいてい主人公は理不尽な仕打ちを受けながらも何らかの制約によって即時報復することなくそれを耐えるが、あまりに許しがたい非道なふるいに至り「殴り込み」を行うというのがおおまかな進行。また、子分はもちろん、客分であっても一宿一飯でも享受すると縛りが発生し、「親分から白を黒だと言われたら、どう見ても白でも、黒だと言わなければならない」、いわゆる義理が発生し、それは「渡世の義理」と呼ばれて、大抵意に添わない暗殺などをやらされる。このようなテンプレの積み重ねによってストーリーは進行する。代表作は山下耕作監督・笠原和夫脚本で鶴田浩二主演の『博奕打ち 総長賭博』(1968年)、マキノ雅弘監督・笠原和夫+野上龍雄+村尾昭・脚本で高倉健主演の『日本侠客伝』(1964年)など。個人的には加藤泰監督・村尾昭+鈴木則文脚本、鶴田浩二主演の『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)が好き。

*2:当時は東宝東映・日活・大映といった大手映画会社が自社内で制作・配給を行っており、俳優や監督も映画会社自体に所属していることが多かった。各社によって作風が大きく異なっており、ことにジャンル映画ではそれが顕著。ざっくり言うと、東宝は都会的なホワイトカラー向けサラリーマン映画、大映は重厚で美術のクオリティの高い時代劇、日活は青少年向けの荒唐無稽なアクションなど、各社で得意とする分野があり、それぞれで独自の路線を開拓していた。東映は任侠映画など、男性向け路線の作品が有名。ここで言うと高倉健東映池部良東宝に所属しており、本来は同居しないようなカラー同士だった。

*3:裾がいい感じにはだけるモモチラは客吊りのため演技指導でさせられていたとの噂。

*4:ウコギ科タラノキ属の多年草。香りが強く、山菜として好まれる。

*5:本人の演技力の話ではなく、監督がつけている芸者演出の話。現代の感覚で見てしまうとかなり……本当に……ツラい。私は藤純子が女優の中で最も好きな役者なので、より一層ツラい。役回り自体はいいのだが……。

*6:健さんが青、池部良が黒でない場合は、どちらかがグレー系の細い縞柄のことが多い

*7:これはそもそも私が世話物的な話に関心がないタチなので、その分は差し引いていただければと思います。花柳もの的な演技とか、江戸町人文化的なトーンがかなり苦手なんで……。逆にそういうのが好きな人は好きだと思う。