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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

麻雀漫画と旧作邦画をめぐって(1) 黒澤明と木下恵介、来賀友志と片山まさゆき〜喜びも悲しみも幾歳月〜

「麻雀漫画について、旧作邦画を観るようになってから考えるようになったこと・気づいたこと」を少しずつ書いていきたいと思います。


スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫が書いた『映画道楽』という本を読みました。


鈴木敏夫氏は映画に大変詳しく、本書の中でも昔の日本映画について多くの言及があります。
その中で気になったのが、黒澤明木下恵介の比較でした。概要はこうです。

【要約】

「強い、弱い」が映画の主人公を描くときのひとつのキーワードだとする。
日本の多くの娯楽映画では特別な人(才能を持っているとか、剣が強いとか)を主人公として扱ってきている。


特別に選ばれた人=「強い人」を主人公した映画を作ってきた代表的な監督は、黒澤明
黒澤明は、わかりやすい言葉で言えば「強い人」を描いた。自分がある目標を持ったら、それに到達して実現させる。そんな黒澤映画の主人公の人物像は、「健気で一途でひたむきで一生懸命」、とにかく立派な人。そして、鈴木敏夫氏が一度だけ黒澤明に会ったときに感じたのは、黒澤明自身も「立派な人」であるということ。実像はわからないが、映画の主人公に課したことを自身にもあてはめ鍛えていったのではないか。


一方、もう一つの流れ、「弱い人」を主人公とした映画を作ってきたのが、木下恵介
二人は監督デビューの時期はほぼ同じだが、木下恵介は特別に選ばれた人じゃない人間に光を当てて映画を作ってきた。はたから見ればたいしたことはない、しかし本人にとっては意味のある喜怒哀楽を丁寧に描いた。

黒澤の強さと木下の弱さ。日本映画にはこの二つの大きな流れが存在する。

黒澤明は皆様ご存知かと思いますが、木下恵介が世間様でどれだけの知名度があるのか、私にはわかりません。昔はテレビドラマもやっていたそうですので、ある以上の年齢の方は映画ならずとも木下恵介作品をテレビでご覧になっているかもです。木下恵介は今年生誕百年で、いままさに記念上映会が開催されているところです。
木下恵介の作品ってそんなにたくさん観たことがないのですが、『喜びも悲しみも幾歳月』という作品が心に残っています。戦時中、各地の灯台を転々とする灯台守の夫婦を描いた作品で、特にこれと言って何がどうしたという展開もないすっごい地味な話なんですが、夫婦が人生経験を積み重ねていくさまの描写がすごく丁寧でうまくて、大好きです。



私がこの黒澤明木下恵介の比較のくだりではっとさせられたのは、黒澤明の『どですかでん』という作品の、ホームレス父子についての描き方の話でした。



どですかでん』は、スラム街に生きる人々の日常を描いた作品です。と言っても東映ヤクザ映画のように社会のド最底辺を這いずり回る者の哀しみを描いたリアリズム路線ではなくて、かなり幻想的でおとぎ話めいた演出になっています。セットもいかにもな作り物でド派手な色が塗られているし、衣装も舞台衣装みたいだし。だから、これはファンタジーなんだな、と思って観ていたんですが。
が、オンボロ車に住むホームレス父子に対する描写だけ、異常に辛辣なんですよ。ホームレス父子はいつか白亜の豪邸(プールつき)に住むことを夢見ています。だけど父親(三谷昇)はそのための努力をするわけでもなく、言い訳めいたことばかり言って息子にもたれかかって生活しています。息子はそんな父に文句のひとつも言わず、けなげに物乞いをしに行くんですが、この息子が病気になって、以下、「ええ〜〜〜(ドン引き)」という展開に……。他にも救いのない運命をたどる人々は出てくるんですが、三谷昇父子の異様な凄惨さには驚きました。
で、『映画道楽』にはこの父子の描写について、こう書かれています。

【抜粋】
(前略)黒澤映画版には、いつかプールのある白い豪邸に住むことを夢見る浮浪者の親子が出てきますね。原作(山本周五郎『季節のない街』)では、あの親子に温かい眼差しを注いでいます。でも、黒澤監督は親子を徹底的にバカにする。要するに「弱い奴は嫌いだ」と。この小説との違いに、黒澤監督の人間に対する見つめ方が出ていると思うんです。


ここではっとしました。
天牌』にも、そういうところがあると思ったからです。黒沢さんの隆さんに対する異様に冷たい態度。私は結構びっくりしてしまうんですよ。どうして守ってあげないのかって。弱い者に対する情け容赦ない切り捨てがあまりにストレートというか……。『天牌』だけじゃなくて、来賀友志作品は全体的にそうだと思います。健三さんの武士に対する態度とか、すさまじいじゃないですか。目すら合わせていない。これは悪い意味で言っているのではありません。才能信仰、強さへの賛美と、その裏返しとなる弱者への無慈悲さ。その力強さが作品の魅力でもあるので。ストレートなものの光輝というのはたいへんな力がありますから。「健気で一途でひたむきで一生懸命」というのも、まさに来賀作品の主人公像そのままですしね。
来賀先生って、実際に黒澤明がお好きなんでしょうね。黒沢さん(黒沢義明)って、黒澤明から名前もらってるんでしょうし。作風からしても、麻雀漫画界における黒澤明系と言って差し支えないと思います。*1


では木下恵介にあたるのは誰かと言うと、片山まさゆきだと思います。
私が申し上げるまでもなく、片山まさゆきはずっと「弱い人間」を描いています。主人公が作中最強人物って設定の作品って、あまりないですよね。片山まさゆき作品って。たいていは普通の子か、普通にも劣る子。麻雀が弱いだけじゃなくて、心もそんなに強くない人間が多い。そういう人たちの悲喜こもごも、何気ない日常をとても丁寧に描いています。たとえば『ノーマーク爆牌党』の鉄壁君たちの日常描写って、素晴らしいと思うんですよ。みんなでお泊まりしたときは朝食にピザトーストとクラムチャウダーを作って、とか。あれって本筋からするとどうでもいいことですけど、とても重要な描写だと思うのです。



というわけで今夜は来賀友志=黒澤明片山まさゆき=木下恵介説を唱えてみました。
両監督の作品をご覧になったことがない方は、ぜひともこの機会に黒沢作品、木下作品をご覧になってみてください。

*1:でも、来賀先生は少し慈悲があるところが良いです。普通の人を描くのも、実は巧いけど、あんまりそういう作品を書く機会がない(求められてない)んでしょうね。