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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 顔役

昭和の銀幕 1971 大映


 本作は麻雀を主題としたものではないが、私がいままでに観た中で麻雀の「撮り方」が最も秀でていると感じたため、ピックアップして取り上げる。ソフト化されていないが、たまにCS等で放送されたり名画座で上映されることもあるので、ぜひご覧頂きたいと思っている。



 まず最初に説明しておくと、本作の映像はきわめて主観的とでも言うのか、目で見ている世界そのものというより、頭の中の世界を映像に起こしているような印象を受ける。説明的な要素を徹底的に排除し、自然な世界を構築していると言えばいいのだろうか。
例えばすごくおなかがすいたときに定食屋に入ってとんかつ定食を頼んだとする。待つこと10分、ごはん、みそ汁、おしんこ、とんかつ+キャベツの千切り+櫛形に切ったレモンというラインナップが出て来たとして、そのとき、自分の視界はどうなっているだろうか? 皿がのっかっているお盆の四角いフレームでなんか見ていない。そのとき「本当に」見えているのはとんかつだけだ。揚げたてでサクサクきつね色の衣、断面から覗く薄桜色の豚肉だけが眼前に広がっているのではないか? 割り箸なんか、目で見ていなくたって手がオートマチックに箸立てから抜いてパチンと割ってその次の瞬間とんかつをつかみ取っているだろう? だったら、見取り図みてぇな俯瞰構図でとんかつ定食撮ってねぇで、衣と断面どアップで映さにゃおかしいだろ! レンズに油がつくくらいに接近して! という感じで、ものごとに対峙した際に脳内に見えている光景を映像化しているという状態なのだ。何度もリフレインする妄想のような白昼夢的風景も、対象物が常に遮られ視界がやたらと制限されるのも、眼前の現実の世界とは関係なく主人公の脳内で見えている世界だと思えば違和感がない。




 主人公・立花(勝新太郎)は悪徳刑事である。彼は暴力団との癒着や博奕を厭わない、しかしながら刑事としての仕事はキチっとする、手段を選ばずに。本作の後半で、この立花が課長(大滝秀治)に裏切られて捜査の強引さを詰られ、警察手帳や手錠を突き返して行方をくらますくだりがある。後輩刑事が立花と懇意だったストリップ小屋の親父(伴淳三郎)を訪ねるが、伴淳は知らないという。しかし実は、立花はストリップ小屋の2階で、二晩麻雀に明け暮れていたのだった。




昼間でも薄暗いバラック建て家屋の二階には簡素な麻雀卓が置かれており、伴淳の知り合いらしき小汚いオヤジたちがたまっている。
場はオーラスも中盤(河がダラダラ並んでいるのが一瞬だけ映される)。伴淳がリーチをかける。隣のオヤジが点数確認で伴淳に持ち点を尋ねるが、伴淳が「18000」と言うのを信用せず、点棒見せいと言う。実際見ると、28000点あるのだった。伴淳はここで「二日も夜通ししたらなあ、目も霞みまっせ」と返す。これは本当なのだろうか。本当のようにも嘘のようにも感じられる。



傍らでそんなやりとりがありつつもオーラスは進行し、立花の手牌が映される。右端の9枚だけが見え、左側は見切れて見えない。手持ちカメラはブレていて、ナチュラルな(あるいは隠し撮りのような)視界になっている。

二筒二筒四索四索三索三索一索一索六索 ツモ五筒

チートイで、映っていないところもすでに面子になっているのだろうなとわかる。ここから六索切り。五筒待ちでテンパイする。このとき、立花はどことなく視線が定まらない様子で鼻の下を触っているのだが、次の瞬間、一瞬だけ卓上が写り、ドラ表示牌に中が出ていることがわかる。本当に一瞬(1秒以下)で、しかも「リーチ」というかけ声がかかって対面がリーチ棒を出した状態として風景描写っぽく映る。これが後に鍵になる。
ちなみに立花が六索を切った瞬間、伴淳がすごい目でこっちを見るカットが一瞬入る。やはり点棒申告はわざと間違って教えていたのだ。




また次の瞬間、卓がなめるように映る。これまた1秒以下の一瞬なのだが、下家と対面の河に四筒が1枚切れ*1五筒が2枚切れなのが見える。
これ、本当に一瞬しか映らないんだけど、劇場のスクリーンで観ると不思議と「あっ、五筒はあと1枚だ、しかも対面のリーチの現物で下家も1枚切ってる、これは出る」ってわかるんですよ。スクリーンがでかいと、一瞬しかものが映らなくても視認できるんだろうか。スローモーションで見えたくらいの気がした。テレビだと見えないと思う。
この直前には、下家と対面が舐めるような目つきで立花を見ているカットが入り、立花が追い込まれていることがよくわかるようになっている。




また次の瞬間。下家がツモってくる際に山を崩して牌がこぼれ落ち、4枚先の四筒が落ちたのが見える。落ちた四筒だけが超クローズアップされる。これは立花の視界である。




また次の瞬間、リーチをかけたからかぼーっとしてしまい、人に肩を叩かれて自分のツモ番を知って指で目をこじ開けてツモってきた牌を確認するような雑な打ち方になっている伴淳の切った牌で下家からカンが入ってしまい、カンドラがめくられる。リーチ入っとるのにカンすんな〜というような声が聞こえてくる中めくられたその表示牌が一筒。つまり二筒にドラが乗ったのだ。王牌のクローズアップからそのまま立花の手牌までクローズアップのままパンして、さっきまで見えていなかった手牌の左側が映される。立花がおもむろに二筒2枚を手牌の左端に並べ替えるため、集中して観ていない観客、あるいは麻雀のルールがわからない観客でも二筒に意味があることは感じられるつくり。
それよりこのカットで驚くのが、見えていなかった左の4枚が、白白三筒三筒なこと。元からのドラ表示牌中により、白もドラであり、立花はドラ4ということがわかる。はじめのほうでやたらソワソワしていたのは、その時点でもチートイドラ2だったからなのだ。カメラはさらに卓の下で指を折って翻数(というか金勘定か?)を数える立花の左手にパンする。

白白三筒三筒二筒二筒四索四索三索三索一索一索五筒

場の雰囲気からして誰かが突き抜けている様子はなく、オーラスであがったもん勝ち的な状況らしいことから、この手をあがることに意味があることが察せられる。しかも他家から2軒リーチが入っていて、カンしたヤツもカンするだけの手牌のはずだ。五筒もうまくすれば出る、のだが、それより、先ほど下家がこぼした四筒が鍵になる。これは立花のツモ牌になる。ここで冒頭、立花が鼻の下を触っていたことが活きる。なんと立花はツモってきた四筒に丸めたハナクソをつけ、五筒にしてしまうのだ。
「ロン……ツモ、ドラ4のチートイや」
立花は何気なくハナクソ五筒を持ち上げるようにチョコチョコと触って他家の目をそらす。このときカメラは五筒に超クローズアップ。そしてすぐ手をガシャっと崩してしまうのだ。すでに頭がだいぶぼんやりしている伴淳らは五筒が偽物であることに気づかず、あーあやっと終わったよと言わんばかりに清算を始めてしまう。
ちなみにこのシーン、新文芸座では爆笑であった。




この麻雀のシーンはわずか2〜3分しかないが、かなり精密である。かなりラフな映像のように見せかけながら、見せるべきところをキッチリ見せる無駄のないカット割りと進行手順に舌を巻いた。昔の日本映画ではわりに麻雀のシーンが出て来るが、ここまで緻密なものは見たことがない。
登場人物たちの行動は寝ぼけて雑になっているのだが、その雑さすら全てが伏線になっているのだ。超クローズアップを多用した映像も、やたら素早くパンするカメラも、麻雀中の自然な視線になっており、また、何より進行が超速いのが自然さを増している。ストーリーの核心とは関係ない場面なのでさっと流していくのは当たり前なのだが、さっと流すからといって適当に撮られているわけではないのだ。こういった何気ないシーンもキッチリ作る勝新太郎には驚かされる。そう、これ、勝新監督なんですよ。色々な関連本を読むと俳優としても監督としても相当のこだわりを持って映画・ドラマづくりにあたっていたことが書かれているが、本当にそうだと思う。こんな一瞬しかない麻雀シーンでさえキッチリ作ってあるんだから。
加えて、極めて主観的な映像も独特の緊張感を生み出している。待ちだとかドラが乗ったところしか映らない、河が映るのは一瞬といった、目の動きや感情の動きに合わせたカメラワーク。なんてわかりにくい、説明を排した写し方なんだろう。しかし、麻雀がわかる人なら待ちが何枚切れているとかドラが何だとかは無意識レベルでチェックするので(私ですらわかる)、わざわざ映像としてわかりやすく説明する必要なんてないのである。当時の観客は今よりもっと麻雀がわかる人比率が高かったろうから、これで全然問題なかったのだろう。何より観客への信頼が伺える。
勝新太郎は役者として映画に関わるのではなく、監督や演出といった映画の根幹に関わるようになたっとき、説明くささを排除しようとしたそうだ。わざとらしい説明台詞や、前後をつなげるための説明カットを省いた。そのためシーンが切り替わると何が起っているか・何が映っているかわからない箇所が続出している。しかしそれゆえに、既存の麻雀モノに感じていた「説明臭さゆえのウザさ」(背後で解説しているヤツはどんだけ不自然な独り言言ってんだとか、心の声で説明するのはやめてほしいとか)がいっさいなくなり、しかしながら何が起っているかはわかり、なおかつシンプルゆえに内容が際立つという最もプラスな現象が起ったのだ。



今回は麻雀シーンだけをクローズアップして解説したが、『顔役』は映画としても普通に面白いので、鑑賞の機会があればぜひご覧頂きたい。ぱっと見は何の意味があるのかわからない映像が連続し、トリッキーな映像で話がつながっていないように思えるのだが、全体通して観ると驚異的に映像と話が整合しているのがわかる。その感覚は「伏線を回収している」といった次元を超えた何かになっている。おすすめ。





┃参考

天才 勝新太郎 (文春新書)

天才 勝新太郎 (文春新書)

*1:加えて1枚切れているはず。さっきの表示牌が映るシーンで四筒が下家(下家の前に王牌がある)の河に切られているのが見える。ただ、なんかそのシーンと河が違うように見えるんだよなあ。雑に切ってるからかもしれないけど。