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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 明日泣く

http://asunaku.com/



劇場公開の麻雀映画としては『病葉流れて』以来だろうか*1。東京ではユーロスペース(渋谷)で12/16までレイトショーでのみ上映していた。今後は大阪、名古屋、北海道でも順次上映されるらしい。

あらすじ
新人賞を取って以来まったく何も書いていない新人作家・武は、編集者に追われつつも雀荘や裏カジノに入り浸る自堕落な生活を送っていた。彼は高校時代のある同級生のことを回想する。彼女、"キッコ" は圧倒的なピアノの才能に溢れた少女だった。彼女に入れ込んだ音楽教師の熱心な指導を受け、音大への進学を目指していたが、卒業直前になってその音楽教師と心中事件を起こし、武の前から姿を消した。そして現在。武は知人のジャズドラマーに連れられて入ったジャズクラブで、前座をしていたキッコと再会する。彼女は心中相手の音楽教師と結婚し、ジャズピアニストとして成り上がろうと様々な男を利用する生活を送っていた。武は彼女に引き付けられながらも、ジャズピアニストとしては決して一流に届くことはない彼女を冷たく見つめていた。やがてキッコは念願叶ってアメリカから来た有名ドラマーと組み、「定岡菊子トリオ」を結成するが、客の不入りが続き、ドラマーに払うギャラが持ち出しとなる。キッコは武に金を借りようとするが、ギャンブルに明け暮れる武も金は持っていない。追いつめられたキッコは武と雀荘に巣食うオヤジどもにある提案をする……



原作から大幅に改変されており、原作既読の自分でも最後まで緊張感を持って鑑賞できた。実は麻雀のシーンはほとんどなく、ジャズがメイン。演奏シーンはとても素敵で、ジャズはジャズ映画でしか聴いたことがない私でも感動。かなりの大音量での上映だったため、音楽を存分に楽しむことが出来た。ヒロイン以外のミュージシャン役はたぶん本職の方、手付きもカッコイイ。昔の日活のジャズ映画のように絵ヅラとしてゴージャスな演奏シーンがあるというわけではないが、ジャズクラブのシーンでは目を閉じていつまでも音楽を聴いていたくなった。



さて、ここからは、本作を含めた「映画における麻雀」について書いていきたい。
正直言って、麻雀パートの出来はかなりいまいち。麻雀が好きな人から見たら完全にアウトの部類。
本作は色川武大の原作そのまま、60年代を舞台としているので、麻雀の描き方(観念)がかなり古い。天牌など最近の麻雀モノに馴れている人には辛いものがある。主人公が自堕落な社会落伍者麻雀打ちという設定を2011年公開の新作に採用すべき設定なのか、かなり首を傾げる。私からすると「なんでわざわざこんなつまらなくなる設定にしてるの?」という感想。監督の内藤誠は『不良番長』シリーズ*2など60〜70年代に東映でプログラムピクチャーを撮っていた人。当時の作品でも麻雀シーンをふんだんに盛り込んでいる。その麻雀シーンは今見ても決して古臭くないのだが……。



そう思っていたら、監督インタビューに以下のような発言があった。

――色川武大、というか阿佐田哲也といえば、麻雀のシーンも欠かせないわけですが……。
内藤 僕は麻雀のことはよくわからないんだけど、参考にTVで麻雀番組なんか観ると、すごく退屈なんですよ。あれは実際に自分でやらないとまったく面白くないものなんだな。麻雀牌が並んでるところをアップで撮ったりしてもさ……。これじゃあ駄目だ、と思って、撮影では麻雀の先生に指導を受けながら、できるだけテンポを早く、軽口を交えながらやってもらったの。拳銃線やってるような麻雀にしなきゃ駄目だなと思ってね。和田誠さんの『麻雀放浪記』(84)なんかもそうだけど、やっぱり映画で麻雀撮るときは、やってる人間の表情で勝負しないと駄目だね。
http://intro.ne.jp/contents/2011/11/23_1717.html

ここで「麻雀の先生」と言われているのは麻雀指導でクレジットされている連盟の増田隆一氏だと思われる。確かに観ていて切るのが速いのはいいなと思ったけど、それとは違う指導が必要だったような……。ストーリーテリングとしての麻雀ができていない。こういうのこそバビィとか来賀先生が闘牌指導をすればいいのに。
ちなみに内藤監督は『ビューティー・ペア 真っ赤な青春』というプロレス映画で革新的なカメラワークを用い、それが実際のテレビのプロレス中継にも影響を与えた(らしい)という人である。本作でも麻雀カメラワークを革新してくれたらよかったんだけどな〜(他力本願)



闘牌そのものについては、最後の「大勝負」がおそろしく大味。
おもいっきりネタバレで恐縮だが、ラストは安っぽくて雑な麻雀漫画によくある「オーラスに大物手が入って逆転」というアレだった。「麻雀は作品の主題ではないのでそこに文句をつけるべきでない」という意見もあるだろうが、もうちょっとなんとかしてくれ。大物手をアガること、それ自体はかまわない。だが、その大物手がイカサマなのか本当に引いてきたのかまったくわからないのは問題があるだろう。劇中で二回ほど、主人公が喫茶店で麻雀牌をカランと落とすシーンがある。麻雀作品に馴れている人からすると、主人公がイカサマ(スリカエ)用の牌を身に付けていると思うだろう。だが、これについての説明がその後出てくることはなかった(もちろん、私が見落としていることも考えられる)。最後の大勝負は主人公とヒロインそれぞれの命運、そして主人公とヒロインの関係を決定づける重要なものだ。それをこんなに雑に描いていいのだろうか。



今回、麻雀のシーンを見るにつけ、「麻雀漫画って本当にレベル高いんだな……」としみじみ思わされた。
同監督が60年代に撮っていた『不良番長』シリーズや70年代に中島貞夫が撮った『まむしと青大将』の麻雀描写は今見ても見劣りしない*3。それにひきかえ、『麻雀放浪記』は60年代を舞台にしていることを差し引いても古さが際立つ。いい映画だとは思うが、描かれている麻雀に魅力を感じない。一般のお客さんからしたらどうでもいいことだろうけど、そういった一般のお客さんに向けて魅力的な麻雀描写を提供できないというのが問題なのだ。ジャズなんて知らない私にもこの映画のジャズは魅力的に感じた。同じように、麻雀もまた魅力的に描くことは不可能なのだろうか。

映画と麻雀については、また機会を見て書いていきたい。



なんだかんだと文句をつけたが、いま80代の内藤監督がこんなフレッシュな青春映画を撮っているのが一番衝撃的だった。60年代の作品もフレッシュだったけど、いまだもってフレッシュな感覚を持っているとは。こういう青さは歳をとれば失われていくものだとばかり思っていたので、驚いた。若者の青さを優しく描いている、そんな印象だった。




【追記】
書き方が悪く誤解を招いたようなので補足します。ここでいう「レベルが高い」とは闘牌のことではなく、麻雀をめぐる世界観の描写のことです。世界の中で麻雀がどういう意味を持っているか(重くても軽くても)、登場人物たちにとって麻雀とは何なのか、彼等の人生にどんな影響を及ぼすのか(これまた重くても軽くても)がきちんとわかるかという意味です。なので、それがしっかり描かれ、ストーリーに反映されている『まむしと青大将』は、闘牌がほぼない(それこそマンガみたいなイカサマ主体)という作品ですが、私は高く評価します。

*1:いや『哭きの竜』も一応シネマロサで特別上映的にかかってたけど。

*2:若かった頃の梅宮辰夫主演。オツムを使ったペテンで金儲けをしようとする梅宮辰夫がヤクザと対決するアクション映画。梅宮の仲間役に山城新伍、安岡力也ほか、ゲストに菅原文太、渡瀬恒彦などが出演していた。

*3:『まむしと青大将』は麻雀の描写、世界観が素晴らしいので、是非多くの方に観て頂きたい。私個人は『麻雀放浪記』より遥かに上の評価。