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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 完全な遊戯

完全な遊戯 [DVD]


「完全な遊戯」は、石原慎太郎の同名小説を大幅に改変し映画化した作品。ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映「日活青春グラフティ」でかかったのを観てきた。




映画は、小林旭をはじめとした主人公たち学生4人組が麻雀をしているというシーンから始まる。
4人が囲む雀卓のまわりをカメラが回り続けるという演出がたいへん凝っており、見ごたえのある場面だ。牌姿もはっきり見えて各人が何をやっているのかわかるし、メンバーのひとりが小手返しをし続けていたり、皆手付きがこなれていたり、しかも長回しであったりと、ヘタな麻雀もの顔負けの麻雀シーンが展開される*1
この後、こいつらボンボン学生とその仲間(岡田真澄武藤章生、柳瀬志郎、梅野泰靖)が軽い気持ちで始めた競輪詐欺が思わぬ事態に発展し、地獄ひいては畜生道へ落ちるというストーリーが展開される。彼等の計画とは、遠隔地で営業する競輪のノミ屋がレース結果を知るまでにかかるタイムラグを利用し、ノミ屋(葉山良二)が結果を知るより先にレース結果を手に入れて車券を買うというもの。その計画というのがあまりに偶然(ラッキー)に頼りすぎていて、観客は見ていてハラハラすることしきり。競輪詐欺はたまたま上手く行ったものの、調子こいてノミ屋の妹(芦川いづみ)を誘拐し、恐喝するところから地獄が始まる。




このストーリーにとって、冒頭の麻雀のシーンは暗示的だ。
首謀者が「完全な計画」と思って軽く捉えていたとしても事態は思わぬ方向へ転がり、メンバーの勝手な行動、離反、関係者の予想しなかった行為とそれに連鎖して起こる事件。そして最終的に首謀者は思わぬところから "刺される" ことになる。彼等が「完全な遊戯」だと思っていたものは、麻雀と同じくあまりに偶然に左右されすぎており、予想できないことが頻発する「不完全な遊戯」だったのだ。しかも、彼等自身はそれを全くわかっていない。
だが、あまりに浅はかで罪悪感のない彼等にとっては、あくまで「完全な遊戯」である。誘拐した芦川いづみは自殺、首謀者・梅野泰靖は葉山良二に復讐として刺殺され、葉山は逮捕されるも梅野以外については供述していないという。後に残されたのは、小林旭とグループの中でも最もアホな3人。アホ3人はこれで犯罪がバレずに済むとキャッキャと喜んでいる。自分達が引き起こした事態が許されざるものであることに気付くのは、誘拐した娘に接していた小林旭のみ。だが、この映画における小林旭の役……すなわち良心は、麻雀漫画読みすぎの私にはあまりに綺麗事すぎるように思える。むしろ小林旭が一番最初に葉山良二に惨殺されると思ったんだけどなあ。「私設銀座警察」ばりに。東映の見過ぎでしょうか。




映画は原作を大幅に改変しているらしく、この麻雀シーンも映画オリジナルかもしれない。劇場で観終わってから冒頭の麻雀シーンの意味に気付いたのでちょっとウロ覚えだが、冒頭の麻雀のシーンでアガる人物は最後、彼等の安易な行動によって妹と母を失ったノミ屋に刺殺される。はじめは調子こいていても、最後に予想だにしないところから逆転される……というのがまたちょっと麻雀ものっぽい。
60-70年代の娯楽映画は麻雀のシーンが頻出するが、それはあくまで風俗描写のひとつであることが多い。それはそれで当時の雀荘の様子や暇な若者の暇つぶしが麻雀であったことが知れて面白いものであるが、何かの象徴として使っているという意味ではこの作品は貴重である。もちろん私の深読みのしすぎかもしれないが、これくらい麻雀を上手く使ってくれる麻雀漫画があれば面白いだろうな。




最近映画をよく観ているので、麻雀漫画ブログながら映画の話題が多く失礼。しかし、60-70年代のプログラムピクチャーには男性向け娯楽の原型が多く含まれており、昭和の麻雀漫画を読んでいく上で参考になることも多い。とりあえずここ半年で100本ほど観てわかったのは、「東映天牌外伝はじまっとる」ということである。これについてはまたいつか詳説させて頂きたい。

*1:台詞を喋りながらの長回しなのでよく見るとトチッている部分もある。