TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 27年前の「麻雀で生きる」


古本屋で米長邦雄『泥沼流人生相談』(ネスコ、1985)という人生相談本を買ったら、このような人生相談が載っていた。

麻雀で生きることに不安があります
 私は六、七年、麻雀でしのいできました。しかし、このままでは彼女を幸せにする自信がありません。収入が不安定だからです。麻雀が市民権を得て連盟から給料をもらえるようには、あと十年かかるといわれています。それまで辛抱するのと、堅気の仕事につくのとではどちらが最善手でしょうか。ちなみに現在、年収120万円(プラス賭け麻雀280万円)。家の仕事は文具屋です。
(東京都 N・N男 24歳・日本プロ麻雀連盟参段)


この本は1984年から「週刊文春」に連載されていた米長邦雄による人生相談をまとめたもの。お答え役が将棋棋士とあって、勝負そして勝負とともにある人生についての相談も多い。その中で目を引いたのが上記の「麻雀で生きる」ことへの相談である。1984年となるとプロ連盟は発足間もない頃。そこに身を投じていた24歳の若者の、あまりにリアルで直球な悩み。これに対し米長はどう応えたのか。


 賭け麻雀で200万。ま、信じられないような強さであって(笑)、うらやましいかぎりである。
 さて、あなたの現在の局面には最善手はありません。人それぞれの生き方があって、どうしろ、ということはできない。が、私ならどうするかということだけはいえる。
 堅気の仕事につく。一生懸命仕事をして、麻雀はあくまで遊びと割りきってしまう。これは常識的な考えであろう。しかしながら、私なら麻雀の方を取るだろう。ただし、麻雀の世界に飛びこむにあたって、こう考える。自分が麻雀によって生計をたてる。麻雀というものに食わせてもらっている、というのではなく、自分が麻雀というゲームを世間に広める、イメージ・アップに貢献するという意気ごみを持ちたい。
 そうしてプロ麻雀の連盟からプロ雀士に給料を払えるようになるまで自分自身で努力を続ける。そのためにはどんな苦労をしても、どんなにつらい思いをしても俺は麻雀のために情熱を注ぐ、俺の一生を捧げるんだという気持になる。そんなつもりであなたが麻雀の世界へ飛びこむのならば、あなたは麻雀というものによって、人生を報われることができるだろう。
 そうではなく、麻雀によってあなたが生活ををする、単に収入を得る、麻雀を食いものにしようと思ってこの世界へ入るのであれば、あなたは博徒であり、つまはじき者、ドロップ・アウトした男ということになって、彼女を幸せにすることは到底できないであろう。
 ちなみに私自身は将棋で生計をたてているけれども、いつでも将棋界、将棋道のためにお返しをしたい、この世界に私が入って将棋界・将棋道のためによかったなあと思われるようにしたいと、心がけだけは常にしているつもりです。
 麻雀が市民権を得て連盟から給料をもらえるようになるには十年かかる、それまで辛抱すべきかというが、これがいかん。そうでなくて、今ただちに飛び込め。そしてあなたの力によって、市民権を得て、給料を払えるような仕組を作ろうとする、その気魄が大事なのです。その覚悟があれば飛び込みなさい。
 そうでなくて、麻雀で稼ごうとか、しのいできたとか、生活の手段にしようというのであれば、あんた、もうやめろ。


優しく丁寧な回答が多いなかで、この相談に対しては回答が非常にシビアである。回答内容は至極まっとうで、27年後の現在になってもプロであるだけでは給料出ていないし、むしろプロであるだけで給料貰えるようになると思ってること自体間違いなので、これくらいキツく言われたのは相談者にとってプラスになっただろう。
相談者は現在50歳前後になってるはずだが、今、何をやっているんだろう。そして、年収120万円がどこから出てきたのかはともかく、賭け麻雀での収入が280万円ってすごいな。来賀先生の話を伺ったときも驚いたけど、当時は本当に麻雀で食えたんだな。


おそらく、『ゴロ』はこの問題にひとつの回答を示そうとしている。
特にいまのエピソードは「麻雀で生きるとはどういうことか」というテーマがかなり直球に反映されている。安ちゃんは朝丘先生に「雀荘勤めとか原稿書きとか採譜で収入を得るのは自分の考える麻雀プロとは違う」と啖呵を切ったわけだが、麻雀という競技そのもの以外に麻雀で食う方法の存在も「麻雀で生きる」を考えるためには重要だと思う。80年代初頭その当時はまだ麻雀に夢が見られていた時代なんだろう(こんな人生相談が週刊文春に普通に載ったわけだし)。でも少なくとも来賀先生はプロではなく編集者の道を選んだわけで、そういう人物が出てきたら面白いと思う。