TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 今週の天牌のアオリは「この一牌が、運命を分かつ!!」

  • 来賀友志+嶺岸信明天牌第572話……挑発
    • どうでもいいことですが、私が買ったゴラク天牌の最後のページの上半分の印刷が薄くて、津神先生ピンチでした。
    • 荘さまのツモずらしで津神先生安目を引く、の巻。許くんがわりと可愛い顔になってきた。中釜さんは少し落ち着くべき。
    • 無駄な時間延ばし……
    • ズラ…… ズラし……
    • というわけで今回は津神先生がいろいろ自爆してました、で以下次号。年内にこの半荘終わるんだろうか……。



土曜日に発売された『天牌外伝』20巻の感想。
天牌外伝』20巻は収録エピソードが粒ぞろいで、天牌外伝を初めて買う人にも自信を持ってお薦めできる。来賀先生がさりげなく描く人の心の微妙な機敏、これが最も上手く出ている巻と言える。私は、人の感情を安直に描くようなわかりやすく泣ける話は最も低俗な娯楽だと思っている。しょっちゅうド演歌お涙頂戴がおっ始まってしまう天牌外伝ではあるが、全編通じて、人の心の微妙な動きを安直に描くことはない。今回の収録エピソードで良いと思うのは「引き摺った過去」と「本手と感覚」。どこまでが天然でどこまでが意図的な描写かは判然としないが、この2話は、人情ものとしての天牌外伝の最も良い面が出たエピソードだとう。

「引き摺った過去」は、黒沢さんがまた会いたいと思っていたかつてのライバルと奈良で再会する話。かつてのイケメン麻雀打ちが今はしかせんべいを売っているという気が狂っているとしか思えない設定に気を取られがちだが、イケメンしかせんべい売り・丸岡さんがなぜ黒沢さんの大三元に差し込んだかには深いものがある。黒沢さんはそれを差し込みだと気付いているものの、なぜ彼が差し込んできたかはわからない。二人の間に横たわる深い溝に気付かない。ストーリー上、丸岡さんは奥さんの言葉で麻雀を諦めたことになっているが、それはあくまできっかけにすぎず、彼が麻雀を諦めた理由は別に存在しているように思われる。本当は麻雀より大切なものがあるかどうかは関係ない。

「本手と感覚」は、自由に生きる青年・コウジさんと古銭屋の爺さんがくっつく話。なぜこの二人がうまくいっているのか、若いよっちん(あるいは読者)にはわからないという描写がうまい。よっちんや黒沢さんの見ていないところで二人に何があったかを全然描いていないというのがこのエピソードのキモ。世の中には自分の価値観では理解できないことが往々にしてたくさんある……ということをきわめて自然に、サラッと描いている。まあ、よっちんは以前も何のとりえもないメンバーの男の子に突如可愛い女の子が惚れてきて二人は付き合いはじめるという「来賀先生、何か変なラブコメでもお読みになられましたか??」的なエピソードでもなんで二人がくっついたかわかっていなかったし、よっちん自身も静香ちゃんや花屋の女の子となんともならなかったので、よっちんが鈍いだけなのかもしれないけど。

あ、あと、黒沢さんが青かったころに出会った不思議な魅力を持つ男性との思い出を語る「酒の呑み方」はナチュラルにすごい。来賀嶺岸の最も得意とするパターンの話だが、なんかこう……すごいとしか言いようがない。ここには名前は書かないが、この人はモデルが実在するということで、そのままの名前で検索すれば引っ掛かるし、実際の偲ぶ会の写真も出てくる。それを見たら「あ、この人知ってるわ」って人も多いだろう。しかし、息子さんとかこれ読んだらどう思うんだろ。すごいんですけど。