TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 近代麻雀 2010年10/15号

さて、『ゴロ』は現在、競技麻雀(最高位戦)の立ち上げ期を描いているわけだが、『ゴロ』と同じ時代、競技麻雀の黎明期に取材した麻雀劇画は過去にも存在していた。
いまは亡き「麻雀ゴラク」に連載されていた「荒らぶる若獅子 ピン」という作品だ。原作は伊東一、作画は小島利明。連載期間は1992年3月〜1993年10月。

「ピン」の舞台は1977年。立ち上げ間もない最高位戦を舞台に、まだかたちをなさない競技麻雀に青春を賭ける若者たちを描く群像劇というところまでは『ゴロ』と同じなのだが、『ゴロ』の主人公が"哮るの会"(=謳いの会)の安藤満であることに対し、「ピン」の主人公は "渋谷若獅子戦" の久保谷寛(作中では久保川寛)。『ゴロ』でいうと渋谷の雀荘「東」のマスターにして "麻雀維新会" を主宰している窪田ハンである*1
「ピン」は、渋谷・並木橋にあった雀荘「東々」に集まっていた若者たちの集団 "渋谷若獅子戦" の視点から最高位戦での戦いを描いている。つまり、"哮るの会"(=謳いの会)視点から描かれている 『ゴロ』とは視点が真逆なのだ。"渋谷若獅子戦"のメンバーとしては高見沢治幸、堀江弘明、馬場裕一、井出洋介らが登場し、和気あいあいとしつつもお互い研鑽しあう仲間として描かれている。"渋谷若獅子戦" のライバルであり、シード権があるため本戦からの出場となる " 嗤いの会"(=謳いの会) の面々は、予め与えられた優位に安住する性格悪い若造どもとして相当悪どく描かれている。 もちろん、"嗤いの会" の中心人物として、我らが安ちゃんたる安藤満も出てくる(実力があるが寡黙というキャラにされており、さすがに悪くは書かれていない)。
しかしこの「ピン」という作品、何がすごいって、久保谷寛が何故かおめめキラキラな聖人君子キャラになっていること。真面目で努力家な面を強調するってのはわかるのだが、対局の前に愛は勝つ……悪は滅びる……」とつぶやいているのはすごすぎ。この久保川サン、晴れの舞台でなかなか成績が残せずツライ思いをしているのをみんなが心配してるんだけど、傷心のあまり東々に顔を出さず高レートに出入りしているという設定には相当なムチャがあるような気がいたす。そのムチャに作者も途中で気付いたのか、久保川サンがヨゴレキャラでいくことを決意する場面があったりなどする。てか、はじめっからほとんどの読者は久保谷寛を(少なくとも)キレイキャラだとは思っていないだろう……。なんでキレイキャラとして描こうとしたのか……。
この作品は麻雀漫画としてもかなり面白いので、後日改めて紹介したいと思う。
というわけで、前置きが長くなりましたが……


  • 来賀友志+嶺岸信明「麻雀群狼記 ゴロ」
    • ピンチな安ちゃん、ピンチだからこそ冴えるカンでなんとか東1局を乗り切る。対面の山岡さんは怪訝な表情だが、タヌキみたいな人は安ちゃんを気に入った模様。
    • 佐々村タンは朝丘先生のイチオシらしい。微妙な選択をうまく決める佐々村タンに朝丘先生もご満悦。
    • 可愛い顔してクソ生意気そうな佐々村タンだが、まあ、可愛い顔をしてクソ生意気ってのは意図的にそうしてるわけではなく、来賀先生と嶺岸先生がそれぞれ好きなように描いたらこうなりましたという結果論キャラか。来賀先生と嶺岸先生の萌えが悪魔合体したひとつの頂点的キャラになってくれることを期待しています。
    • 佐々村タンが伊原さんにモミモミされる予感で以下次号。まあ、読者の99%ははやく佐々村タンが伊原さんにモミモミされねえかなと思ってると思いますが、しばらくは安ちゃんが心配でスナ。
  • 哭きの竜、血迷いすぎ。
  • 神楽坂だと中央線の遅延はいいわけにしにくい。

*1:「ピン」の主人公は、実は別にちゃんといるのだが、それはまた別の機会に。