TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 野望の砂漠

五條敏[原作] + 甲良幹二郎[作画]


┃あらすじ
全国に263の支店を持つ大手麻雀店チェーン「雀王」グループの副局長・勝呂明夫は野望に燃える男だった。彼は直属の上司である局長・久我とともに雀王グループの頂点に立つことを目指す。あるとき、勝呂は配下の店を増やすため、巌として店を譲ろうとしない店主の老女に対して一計を案じる。己の野望のためなら人の道を外すことをも厭わない勝呂の取った手段とは?



ビジネス麻雀もの。
これはすごい。ビジネスとしての麻雀が描かれきっている。しかもプレイヤーではなく仕掛ける側から描くというのも斬新で、かつ小さな雀荘ほのぼの物語ではなく、大手チェーン組織の内部抗争を舞台としているのが面白い。未単行本化の来賀作品の中ではブッチギリの面白さ。いや、単行本化されている作品を含めても上位に入ってくる内容。これが単行本化されていないのはもったいなさ過ぎる。
※五條敏は来賀友志の別ペンネーム。




大手雀荘チェーン組織の内部抗争と、グループを成長させるために麻雀をどう使っていくかを描くという非常に珍しいテーマの作品。通常の麻雀漫画では、すごい麻雀があれば勝手にファンがついてきて盛り上がるかのように描かれているし、実際従来の来賀作品もそういう傾向があるが、ここではビジネスとしての麻雀を描くことに徹している。言ってみれば、ビジネスが主で麻雀が従である。麻雀が主でビジネスが従ではない。来賀先生がここまでの割り切りを見せるとは思ってもいなかったのでこれには少々驚いた。いや、元来メディア側にいた人だから麻雀で商売を成立させることに関しては非常にシビアだろうとはわかっていたが、あ、いつも描いてるのは夢の世界だってわかって描いてたのね、ということがハッキリわかってびっくりしたのだ。

麻雀をビジネスとして捉えている者は麻雀漫画においてはダーティーに描かれる。例えば『ノーマーク爆牌党』に登場する企画屋・棘原は、麻雀を利用し宝燈美を客寄せパンダに仕立てることで小銭を儲けようとする小汚くシビアな人物としてコミカルに描かれている。この作品の主人公である勝呂も彼のパートナーである久我も、ダーティーでシビアな人物として描かれる。しかし、そのダーティーさはこすっからいものではない。麻雀で小銭を拾おうとする気は微塵もなく、麻雀がメジャーになれば儲かるだろうという安易な発想もない。彼らにあるのはビジネスとして雀荘チェーンが成功するにはどう麻雀を扱っていくべきかという視点である。
例えば物語中盤で雀王グループが麻雀番組を企画する場面があるのだが、よく議論になる「ルールの統一」に関して、全国ネットで自社のルールでゲームを行う麻雀番組が流れれば、一見の客でも来店時にルール説明しなくともすでにルールを飲み込んでいる、という描き方がされている。はっきり言ってミもフタもないが、まさにその通りとしか言えない。メディアとはちょっと違うが、麻雀ゲームでリャンシバがあるタイプのルールに親しんでいる人は、リャンシバを当然だと思っていることが普通にある、というか、リャンシバがないルールがあること自体知らない人がいる。全国ネットで流れればどんなルールもそれが標準という既成事実は作られるだろうし、実際、本気で統一したいならそれしかないだろう。
ほかに、店内での直接的な金銭のやり取りをしないためにパチンコと同じ換金方法を作る、大会の賞金額の上限を上げるために関係省庁に根回しするなど、なかなかエグい手段でもってビジネスとしての麻雀を進めていく様子が描かれる。「麻雀を社会に認知されたビジネスに育てる」という麻雀漫画はそこそこあるし、結果としてビジネスとして成立できた(社会認知された)という麻雀漫画はたくさんあるが、ここまで地に足がついた作品はいまだかつて読んだことがない。来賀先生、平生コラムなんかでキッツイことを言うだけのことはあるのだ。




さて、そういった大きなビジネスとしての仕事のほかに、勝呂は自分が任されている支店には頻繁に顔を出してメンバー教育をしている。彼がメンバーに教えているのは、いかに客に気持良く遊ばせるか。と言うのは簡単だが、自腹で打っているメンバーには客のことばかり考えて打つことは難しい。そこで、勝呂は彼らが安心して(?)客商売が出来るよう、待遇を勘案する。売上成績がよい店には他店から引いた分の実績給を出すし、彼の管轄下の店鋪全体の売上が上がればグループ全体から実績給を引っ張ってくることを彼らに約束する。そして実際に実績給を出す(しかも給与が振り込みじゃなくてゲンナマ)。この過程には説得力があり、確かに自分の上司が勝呂のような人物なら部下もやる気が出るなと感じる。勝呂は仕事の面白さを教えるのが巧いのだ。

もちろん、彼らの野望は前途多難である。勝呂と久我の足を引っ張る者、雀王グループ以外の大手雀荘チェーン、業界に絶大な発言力を持つ有力者、様々な人物の欲望が絡み合うその過程も面白い。




勝呂と久我は何かの固い絆で結ばれているが、作中ではその理由が説明されることは一切ない。
勝呂は久我ほどに冷徹ではなく、久我に猜疑心を抱いたり、彼に楯突くこともあるが、しかし心の奥底では絶対的に久我を信頼している。久我もまた勝呂を絶対的に信頼している。彼らのこの絶対的な絆はいったい何なのか?
序盤、勝呂は久我のためにある重大な決断をする。それは雀荘展開に邪魔な地回りのヤクザの組長を射殺すること。彼は苦悶の末それを実行するが、偶然の事故で勝呂は自らの愛人まで誤って殺してしまう。勝呂はこれにひどく動揺する。しかもその暗殺によって久我・勝呂管轄下の地域の業績がアップし、久我が副党首に昇進したにも関わらず、自分は依然副局長のまま。勝呂は久我を激しく詰り、心を離してしまいそうになるが、久我は彼の信頼に応えるため自らの足の小指を切り落とし恩義の証として勝呂に捧げる。久我の行動に心を打たれた勝呂はその指を神棚に祀って毎朝拝んでいる。
……狂っているとしか思えない*1。二人の関係は仕事上のパートナーや上司や部下の関係はおろか、友情や恋愛を超越した凄まじい関係である。その絆は他の人物にも奇異に映るらしく、勝呂に惚れてくる小娘が「久我さんたちっていつも一緒ね ホモみたい」と素直すぎることを言ってくる。それほどに二人を結び付けるものは何かという、この絆の理由を下手に描かないところは非常に巧い。かつ、甲良幹二郎にはそれを描かなくとも二人の絶対的な関係を描き切る力があるのだろう、何か言葉にはしがたい説得力を感じる。




ところでこの勝呂、来賀作品には珍しく常時女がいる。それどころか他人の女房を寝取ったり、アイドルに惚れられたり、家出娘が突然転がり込んできたり、それはもう大変な騒ぎである。甲良幹二郎の絵だから渋く読めるものの、漫画家によってはエラいことになっていたな。まあ、どの女も、勝呂にとっては久我には及ばない存在なのだが……。あと、別に言わなくてもわかると思いますが、男子にもモテている。特にはじめは子飼の雀ゴロだったが後に勝呂の管轄下の雀荘の店長になった柴田。妙にカワユイ子犬顔をしているが、こいつはなかなかの曲者。
ちなみに勝呂の少年時代はショッキングすぎる。いや、ホイチョイプロダクションの漫画でそういうネタがあるという話は聞いたことがあるが、甲良幹二郎の絵でやられるとシャレにならないというか、私も少年時代の勝呂と同様に大ショックである。いろんな意味で。来賀先生の自主規制ラインがどこにあるのかサッパリわからなくなった。



もちろん「深夜営業中に癲癇の発作で倒れる客」「並みいる雀ゴロどもを不眠不休で100人抜き(しかも香港で)」「孤高の牌職人」「東京ドームで麻雀大会」などの来賀先生が大っ好きなシチュエーションもばっちり入っているので安心されたし。あと、勝呂がすんごい広い倉庫を見て「麻雀大会なら100卓は立ちますね」って言ったのが爆笑だった。どんな広さの表現やねん。普通、テニスコート何面分とか言うやろそこは。来賀先生のセンス、最高すぎる。




というわけで、ここまで雀荘ビジネスをしっかり描ける来賀先生がいま『天牌』で「いやその店3日で潰れるやろ!!!」っていうギャル雀を書いているのが全く以て意味不明!!! そこはやっぱイケメン雀荘でいくべきやと思います!!!!!!

*1:っていうか、指を切り落として相手に捧げるって、江戸時代の遊女? 昭和どころの騒ぎじゃなく、江戸?