TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 近代麻雀 9/1号

  • 天牌大阪編がマッタリモードなぶん、こっちに全力投球! というわけで目を疑うほどのイケメン新キャラ・伊原さんが投入された「ゴロ」、バイニンたちの舞踏会がはじまるそうです。てか何よりここに伊原さんが現れないと話になんないっすよね。安斉×北田×窪田×伊原で立てるのかな。やばいドキドキしてきた! で、安斉クンの下家の人は若き日の中釜さんですか?
  • 「マボウ」、全ページ爆笑。やっぱキンマはこうでなくちゃ! パチ屋に現われてなぜ麻雀!? そのうえ全フロア雀荘って、全然意味わからん!! オーナーも会長も度胸花吹雪すぎる!! 「外道坊」が終わったスキをついて連載化希望!
  • 新耳袋・雀、「この世ものもならぬ髪の長い女が雀荘に現れる」ってネタが2つあるのはだめでしょ。去年あった「イーピンに噛まれた!」みたいなバカなやつがよかった!!!
  • おもしろいんだけど、違和感というか疑念がもりもり。オカルティで何年もかけてやって結論を出せなかったテーマの答えが、いまなら出せるとでもいうのか? 本当のデジタルとは何かとか、アナログサイドの言い分とかは正直どうでもいい。今回のポイントはやはり出島。出島は競技プロをバカにしてるのになんで競技プロになったのかとか、出島にとってのプロとは何かとか、そのあたり、今後どうなるかがあらゆる意味で楽しみです。てか、いつのまに小倉孝プロが取材協力に? 「ミーコ」。
    • ミーコ感想がエキサイトしてるのは、ここ最近、片チン作品をすべて読み返したから。近作になればなるほどその傾向があるように思うが、特にミーコは提議と帰結の論旨のずれが大きい気がする。去年の女流撲滅でも存在館から指摘された欠点を改善して勝ったわけではない。存在館が女流に対して持っていた不満(プロとしての技量の徹底)は全く解決されてない。存在館が持っていた不満は一般のファンも確実に持っている不満だろう。枕木は「20年前は麻雀界に若い女の子がいなかった、今はやっと若者や女性にも受け入れられるようになった」とか言っていたが、現状維持をしたいというだけで、じゃあ今後はどうしてゆくのかのビジョンが全くない。この点は「オカルティ」のほうがはるかに自然に、そしてうまく描けている。梨積が提示した明確なビジョンには読者までもが惹き込まれた。また、刈人や些渡といった異分子の、彼ら独特の信念にも目を奪われた。しかし、「ミーコ」にはビジョンは存在しない。ミーコが自分自身で何がしたいのか全くわからない。ミーコ自身の内面はほとんど描かれない。現状では腰掛け半分で競技プロをやっているように見えてしまう。『ノーマーク爆牌党』や『牌賊!オカルティ』を読んで競技プロに憧れる人はいても、『ミーコ』を読んで競技プロに憧れる人はいないだろう。『ノーマーク爆牌党』を読んだあとだと、むしろ「こんな甘い世界なの?」と思ってしまう。レクチャーするだけなら競技麻雀の世界を舞台にする必要はなかったわけで、しかも最近「グッドプレイヤーズクラブ」をはじめちゃったから、ますますミーコの競技麻雀の意味が薄まってきている。もちろんマンガとしては面白いのだが、なんだか不満なのだ。だって、いまのところ「競技プロの意義」を描ける麻雀漫画作家は片チンだけ。ほかに誰がいるというのか。ぜひ今後もこのテーマで描いてほしいのだ
  • 次号から原先生がキンマ本誌に復帰! よっしゃ!! ……てことはオリは完全に廃刊になったんですか? まあ、言っちゃ悪いけど結果オーライ!!