TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 鉄砲


┃あらすじ
八幡で雀荘通いばかりの浪人生活を送っていた山籐弘明は、大学合格を機に上京した。東京を制覇すると息巻いていた弘明だったが、とある雀荘で「アオケン」と呼ばれる男・青山健吾に惨敗。アオケンを追い、彼が店主をやっているという幡ヶ谷の雀荘「七宝」に足を踏み入れた弘明は、「天狗の会」と名乗る若者たちと出会う。「天狗の会」はアオケンを中心に結成された麻雀集団で、生意気ながら実力派の青年が揃ったグループ。弘明はそのメンバーのひとり、阿部と打つことになる。「天狗の会」のメンバーたちは阿部に計10万円の外ウマを張るが、弘明に乗るものはいない。そのとき、卓の上に10万円の札ビラが投げられた。なんとアオケンが弘明に乗るというのだ。この勝負の行方はいかに……!?





青春麻雀群像劇。
「天狗の会」という若者麻雀グループを中心とした、ヤングたちの青春物語。原作者は「注連木賢」とクレジットされているが、これは来賀友志の別ペンネーム(らしい)。




いや〜、若い男の子ってほんっっ……とうにいいもんですねぇぇぇぇ〜〜!!!
登場するのは、麻雀に青春を賭け、切磋琢磨しあう若者たち。高レートがどうしたとか、裏社会の代打ちがどうしたとかいうダークな話は全くない。こう言うのも何だが、『天牌』の若い子キャラ(よっちん、遼チャン、北岡チャン)がああいった代打ちたちが凌ぎを削る場で出会ったのではなく、そのへんの雀荘で出会っていたら……?という感じ。
「天狗の会」の面々と弘明がいつの間にか仲良くなっているのがいいなあ。西川とか阿部とか小川とか、はじめは「なんじゃこいつ?」とか「自分とは合わないな〜」と思った相手でも、いつの間にか仲良くなっている。弘明の麻雀に惹かれて人が寄ってきたり、弘明もまた興味ある麻雀を打つ人に寄っていく。自分も学生時代、自分と通じ合うような作品やおもしろい作品を作ってる人を見たら、全然知らん人でも話しかけたりしてたな〜。作品で自己紹介するというか。そういうきっかけで生まれる人間関係って、すごくいいもんです。演出上計算してやっているわけではないだろうが、そうだよな〜と思って読まされた。




麻雀パートはかなり凝っている。
闘牌が凝っているというより、各キャラのパワーバランスに注意が払われている。各キャラには、わずかずつだが異なる雀風がある。その雀風は、作中では「記録」と表現されている。「天狗の会」のメンバー・大西は弘明に「健さんの元で天狗の会を根城にして行くんなら他人には絶対に負けねぇ記録ってのを持ったほうがいいぜ」と言う。たとえば西川なら14連勝、大西ならラスなし半荘263回、阿部なら半荘の全暗記、ケンケンはなんと133回ノー放銃というように。具体的にどういう局面に強いのかがわかり、麻雀パートはそれを活かした構成になっているので話に入っていきやすい。キャラの個性=パワーバランスの凸凹ではないところがいいね。
また、マンガとしてのキャラの強さが麻雀の強さ(大会の順位)と一致していない点もおもしろい。ぱっと見、弘明が持ち前の運と度胸でどんどん勝ち進んでいく話になりそうだが、実はそうはならないのだ。登場人物の中に意味不明にブチ抜きで強いキャラがいないからなし得たバランスか。
また、マンガとしてこのキャラに勝たせてあげたいと思うキャラが勝つわけでもない。端的に言うと、麻雀は4人の勝負なのに実際は2人の勝負になっていたり、「めくりあいだ」とか言っても実際は誰がツモるか決まってる(なんとなくわかる)、麻雀漫画にはそういうことがよくあると思う。いや、むしろそういうのはほとんど。『鉄砲』にはそういう暗黙の了解や予定調和がないのだ。誰が勝つのか本当にわからない。そのため、麻沼杯の最後はマジ「めくりあい」状態! 最後まで目が離せなくてドキドキした!




上記のような内容のため、闘牌もちょっと不思議で面白い。
来賀作品の特徴として、「オーラスが馬鹿盛り上がりするわけではない」という点がある。一般的な麻雀漫画では、それまで追い詰められていた主人公がオーラスで華やかに逆転するという形式のものが多い。このほうがマンガとしても盛り上がるし、読者もこれを喜ぶ。しかしなぜか来賀作品においてはこれがほとんど見られない。話の進行の盛り上がりと手の大小が関係ないのだ。なぜか。
『あぶれもん』のオーラスは驚異的なまでに地味……というかなんじゃこりゃだし、最近のことでいうと『天牌』の渋谷編の最後は超あっさり決着。ものすごく安い手を超とくいげ&派手にアガったかと思えば、天和が出ても「たいしたことねえな」とあしらわれる。ゴミ手でも押さればいけない時もあれば、役満からでも降りなければいけない局面が存在する。効率の悪い手順になってでも手を組み換える。
この不思議なバランスは何なのか? ずっと謎に思っていたのだが、オーラスがさほど派手でないことに関してはわかったことがある。10年ほど前のキンマのバックナンバーを読んでいたとき、来賀さんがコラムで「オーラスばかり偏重するのはおかしい」(大意)ということを書いていたのだ。原文を読むとどうしてそういう発言に至ったのかがわかるが*1、たしかにオーラスを偏重した言論がはびこりすぎやね。あの作風はそれに対するひとつの回答ということなのかしらん。
それでこの『鉄砲』だが、この不思議バランスがうまい方向に転んでいる。特に麻沼杯。なんていうか、1回戦ごとの盛り上がりというか、大会全体のトータルバランスがおもしろい。それにしても主人公のあしらい方がかなり上手いですわ。はじめは「うーん……」と思ったが、だんだん魅力的になっていって、いい感じです。


※追記:書くの忘れてましたが、麻沼杯は「オーラスのアガリやめなし」ルールで打ってます。終盤では競技(大会)ルールにあわせてフリー雀荘でもそういうルールを適用してました。渋っ!





……という感じで若者たちの元気いっぱいやんちゃっぷりも面白いが、アオケン(青山健吾)のキャラクター造形も面白い。

当初「なんですかなこのイケメンは」という感じで登場し、途中からホラーと化していたアオケン。謎めきすぎていた。謎めきすぎてて、個人的には「天狗の会」の面々をかたっぱしから喰いまくってるとしか思えませんでした。阿部ちゃんとか、アオケンに「こいつの麻雀が嫌い」って言われて顔を赤らめて走り去ってたし。カワイソー。
来賀さんのマンガでは「○○し」って名前のキャラは最強クラスのおにいさんキャラにいじめられて不幸になる運命なので*2、阿部ちゃんも「○○し」って名前かと思ったら、やっぱりというかなんというか「慎二(しんじ)」でした。濁点がついててよかったね! ついてなかったら非業の死を遂げるところでした。
ちなみに麻沼杯の参加条件は30歳以下らしく、アオケンもこれにエントリーしているところを見ると、ああ見えて20代のようです。マジで!?




麻沼杯、弘明の雀荘経営と話は続くものの、最後は打ち切りとしか思えないブツ切れ方をして終わる。
本当はアオケンや麻沼や小熊、古谷らとの絡みも今後予定されていただろうし、特にアオケンがほとんど活躍することもなく終わってもったいなさすぎる。おもしろいキャラだったのに……。
これには正直がっかり。というか、最後、もうどう見てもホントやけっぱちでこっちが驚くくらいなんですけど、編集部と作者サイドで何かあったんでしょうか。マジもう来賀さんはキンマでは描かないと思いましたもん。ほんと終わったなと思いました。あの最後を読んだとき。復帰してくれてよかったです……。

*1:いま現物がないので詳細は割愛します、すみません。

*2:隆(たかし)@天牌、武士(たけし)@あぶれもん。あぶれもんの清(きよし)がなぜ最後まで生き残ったのかは永遠の謎。