TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 雀士ロマン 牌師(ワザシ)

山根泰昭[原作] + 北野英明[作画] 双葉社 1989

  • 全3巻(既読は2巻まで)

 


┃あらすじ
大都会・東京の雀荘で出会う様々な麻雀打ちたち。それぞれの人生、運命、夢が卓上で交錯する。
……新宿のとある雀荘。メンバーはある客の打ち筋に興味を抱く。その客は高目を崩してでも的確に他家のアタリ牌を止め、自分のアガリ番をつくっていた。客はさも偶然かのようにおどけているものの、メンバーはその男が確信を持って打っていたのではと感じていた。そして、男を見つめるもうひとつの視線があった。店のマスターは、その男がかつて雀王位戦を三連覇した伝説の雀士・広瀬修二であることに気付いていた。やがて広瀬の入っている卓が欠け、広瀬を見ていたメンバーが本走に入ることになる。若きメンバーと打つうちに、広瀬は十年前の、四連覇がかかった雀王位戦オーラスを思い出す……(「邪道」より)




渋い麻雀漫画。
山根(土井)泰昭のひとつの最高到達点と言われている作品。『勝負師の条件』『幻に賭けろ』には超一流の麻雀打ちたちの熱い勝負が描かれているが、この作品には普通の人それぞれが持つ人生のドラマが描かれている。




この物語は凄腕の裏プロたちが究極の麻雀を目指して切磋琢磨する物語ではない。
主人公は麻雀を人生のよすがとして生きる普通の人々。彼等はみな麻雀を打ってばかりの自分は脱落者であると知っていて、こんなことは長く続かないとわかっているが、それでも麻雀にすがり、愛し、大切にしている。
主人公は結構年齢がいっているおじさんが多く、彼らは麻雀を通して過去を思い出し、現在と向き合う。話の展開や結末も主人公がおじさんならではの渋いものが多い。
特にドラマチックであったり盛り上がったりすることはないが、登場人物のちょっとした人となりの描写が盛り込まれている。かつての恋人の裏切りに対する返答、意外な場所での旧友との再会。主人公たちは静かにすべてを受け入れていく。同じ山根(土井)原作の『勝負師の条件』『狼の凌』といった作品でも、登場人物たちの麻雀と関係ない人となりの描写(『勝負師の条件』だと桂木が勝負に負けた自転車屋に密かに勝ち金をあげたり、剣城がソープの女の子のところに克己のことをよろしく頼むと言いにいってたり等)はあった。麻雀劇画にしては主人公たちがいい人すぎてちょっと謎だったが、この作品ではそれが違和感なく前面に出ている感じ。これを書いた時点では山根(土井)はまだ若かったと思うが、かなり波乱の人生だったのでしょうか……。

はじめは作画が北野英明というのがかなり引っ掛かった。当時はかわぐちかいじほんまりうも登場済みで、能條純一嶺岸信明らが活躍しており、麻雀漫画においては力強く華麗な劇画風の絵が人気だったと思う。北野英明はいくら麻雀漫画の大家と言えど、絵柄として時代遅れになっていただろう。なので読み初めは「えー、原作山根泰昭なら絵は嶺岸先生がいいなー」と思っていたのだが、これ、作画を北野英明にして正解だわ。登場人物のしょぼこさが的確に表現されている。力強く華麗な人物なんて出てこない。登場人物たちの先の見えなさ加減が北野英明のひたすらげんなりする絵(失礼)で的確に描き出されている。キャラに個性が皆無なのもいいね。それでも北野英明も往年の泣きたくなるほどしょうもない麻雀漫画時代とは構図や見せ方がかなり変わっている。麻雀のシーンには竹書房系の麻雀劇画からの影響が伺えるし、キャラクターのデザインも劇画風の意匠(前髪ちょろりん等)を取り入れていて、時代の変遷とそれに置いていかれた者の哀愁が感じられる。




闘牌は捨て牌からの「読み」を披露するものが多い。
自分からゴリゴリ押していくというよりも、相手の出方に合わせて手をつくっていく。その読みとそれに対する押し引きの判断は随所で丁寧に記述されていて、読者に対しする説明が手厚い。実戦で使える(使えた)かというより、こういうことを考えてる人もいるんだーと思って読める。極端な臆病が故に押し引きのラインを見極めることができ裏の麻雀界の頂点に上り詰めた男、10年前の完璧だったはずの一打の傷に気付き麻雀のおもしろさを改めて知った男など、話との絡ませ方もうまい。イヤミとかわざとらしさといった贅肉がなく、話も麻雀もともに静かで美しい。

山根(土井)泰昭は最新作『代打ちたちの晩夏―勝負師の条件III』(作画:嶺岸信明, 竹書房, 2009)でも高度な「読み」に基づく押し引きをテーマとしていたが、この人、こういう読み&押し引きの話をかれこれ20年してるのね……。確かに『勝負師の条件』でも『幻に賭けろ』でもそういう話してたわ……。恥ずかしながら気がつきませんでした。




最近、島村利正『奈良登大路町・妙高の秋』(講談社文芸文庫, 2004)を読んだ。
短編小説とエッセイ計8本。回想がただ淡々と語られる。ドラマチックなことも、ちょっとしたことも、嬉しかったことも、哀しかったことも、すべてが静かに描き出されている、静謐で美しく、端正な世界。
島村利正は文学好きのおじさんから絶大な支持を受けていると聞くが*1、よくわかるわ。人間ある程度生きてれば誰にでも多少のドラマはある。それを飾り立てて歓心を買おうとする人はたくさんいる。しかし、そういう自己顕示欲の枯れたおじさんたちは、こういうのにキュンとするんだろうな……。作家もその読者も、この心境に至るまでにはいろいろあったろうに……。いまさらわざとらしく語ることはないけど、それぞれの胸の中だけにある大切な思い出を見せてもらっているような感覚。


で、その島村利正と『牌師(ワザシ)』と何が関係あるのかというと……、おじさんならではの世界は素晴らしいということですよ。
ぶりばりエンターテインメントな作品は若造でも描けますけど、こういう話はおじさんにしか描けない。私は、いかにもマンガっぽい要素をちりばめることに価値があるとは思わない。設定のつじつまが合っているだとか、伏線張り/回収ができているだとかはどうでもいいです。そういうのは誰でもできるっていうか、いくらでも代えがきくことなので。そういう要素を全部取り去ってもあとに残るもの、その作家にしか描けないものが見たいのです。麻雀漫画は読者の年齢層が高めだと思うので、下手な若者向けよりも落ち着きのある作品がもっと多くていいと思います。
とかえらそうなこと言って、「白竜」と「天牌」と「ミナミの帝王」で大喜びしている私が言っても1ミリの説得力もないと思いますが。




おまけ
重要なネタバレになるが、第1話「墓標」で、自分とライバルの名前を連名で刻んだ墓をおっ建てる奴が出てくる。ストーリー的には納得いくのだが、ぱっと見るとかなり……。こういうの、世間様じゃ比翼塚と言うと思うのだが……。しかも墓石屋や菩提寺の和尚がそれに対してツッコミを入れないのが謎。墓石屋も和尚も、相当仕事できる人ですな。私なら0.1秒でツッコミます。

*1:先日ささま書店が大量入荷していたが、1日で完売していた。