TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ダブルフェイス

木村直巳 竹書房


┃あらすじ
大学4年生の灰谷隆輝は、就職活動もせずに探偵研究会の部員たちと麻雀を打って遊んでばかりいた。ある日灰谷はいらだちを紛らわそうと街のやばそうな雀荘に入る。そこには「黒部」というすさまじいハメ手の博打麻雀を打つ男がいた。灰谷は黒部にボロ負けし、「財布がふくらんだらまたおいで」という捨て台詞を残される。数日後、友人・三原に勧められて競技麻雀教室へ赴いた灰谷が見たのは、あの場末の雀荘で出会った黒部…… ……かと思ったのは、その麻雀教室の講師にしてJCMPの若き王者・白川静夫。白河は競技麻雀の頂点にふさわしい理知的な打ち手だった。灰谷は白河の唱える競技麻雀セオリーに疑問を覚えるも、白河に腕を認められてアマチュアオープン戦に出場、優勝して20万円の副賞を手にした。あぶく銭を手に入れた灰谷が向かったのはあの場末の雀荘。そこには白河によく似た男、黒部が灰谷を待ち構えていた。その夜、黒部に導かれた灰谷は「本当の麻雀」を知ることとなる。白河の「競技としての麻雀」と黒部の「賭博としての麻雀」、その二つのあいだで揺れ動く灰谷は……




サイコサスペンス麻雀漫画。
競技麻雀を象徴する白河、博打麻雀を象徴する黒部という二つの人格を持つ男と、彼と数奇な運命で結び付けられた青年・灰谷の麻雀を描く。
90年代前半から続くサイコサスペンスブームで『多重人格探偵サイコ』等の多重人格もののコミックが流行しており、それを受けて描かれたものと推測される。なお、作者の木村直巳はこの直前にも不動チカラ原作でサイコサスペンス麻雀漫画『殺気ゆえ』(竹書房, 近代麻雀ゴールド連載, 1996〜1997?)を描いている。




最大の見どころは、黒部と白河の打つ麻雀の違い。
白河と黒部の打ち筋の違いはヴィジュアルや口調だけでなく、闘牌にはっきり表されている。
打ち筋の全く異なる二人の人物を主人公に据えた麻雀漫画は多い。この作品ではひとりの人間の中に宿る二面性を打ち筋の違いとして表現している。二面性を競技麻雀と博打麻雀に分けたのはうまいと思った。攻撃/守備とか華やか/堅実だとただのヘンな人になってしまう。競技麻雀と博打麻雀なら双方とも「近代麻雀」の読者に十分に受け入れられているモチーフだし、ルールによって打ち方が変わることは誰にでもあるという認識もある。

ここで描かれる競技麻雀と博打麻雀の違いとは、簡単に言えば白河は筋引っ掛け等の下品とされる行為を一切しないが黒部はそれを多用する、といった感じ。普通は筋ヒッカケや迷彩等を漫画で見せられるとうざくなりがちだが、この作品ではキャラのひとつとして描ききっているため古びた印象がなく、おもしろく読める。『むこうぶち』などもそうだが、ハメ手ものって麻雀がよくわからない人でも読みやすいと思う。なにがどうなってこうなったっていう因果関係がシンプルでマンガ的にわかりやすいから。
反対に、手変わりを最も手広くカバーできるのがこの一打で、こっちを引いたときはここを切ってこうして……と、なにがどうなっているかわかりにくい白河のパートは感想戦や打牌解説場面で詳しい解説をつけ、フォローしている。




例えばこんな感じ。
誌上対局で芸能人と打つ白河の手。

東一局 子
 ツモ ドラ

灰谷はここで黒部ならドラのを切ってスジのをつり出す(あるいは黒部でなくともそう打つ)と推測するが、白河の打牌は違った。白河はを切り役なしテンパイに取る。次巡を引いて切り、他家がリーチしたのを見て追いかけリーチ、一発でが出て以下のアガリとなる。

 ロン

なぜ役なしテンパイにとったのかという取材に白河はこう答える。

白河:にくっつけばいいわけですし、なにが来るかによって流れを確認できるのです。
記者:……ですがドラを切ってリーチすれば高めのがかなり出やすくなります。大方の打ち手はこちらを選ぶと思うのですが。
白河:それは人を欺く手すなわち欺手です。何にもならない安めツモの可能性を濃く残してまでスジヒッカケを重視するのは欺手に他ならない。私はこの筋を好みません。


白河は勝ち目のあるなしでない判断基準で打っているため、時に最善の手を打てないことがある。そのためにやがて卑劣な者たちによって陥れられることになるのだが……。




麻雀漫画としてだけでなく、サイコサスペンス漫画としてもなかなかおもしろい。
白河が目を背けたがってるバクチ麻雀を体現しているのが影の人格・黒部。白河がプロの矜持よりも勝利や熱狂を求めたとき、黒部は現われる。いまは白河の人格のほうが表に出ている時間が長いが、白河は黒部の力が強くなってきていることを感じていた。灰谷は付き人を勤める白河だけでなく、黒部にも魅了されてゆく。
この作品と同時期に発表されたサイコサスペンスを扱うアニメ―ション映画に、今敏・監督『パーフェクトブルー』がある。この作品は多重人格や現実と妄想の境界の消失のイメージが高レベルで映像化されている。誰が一連の事件の犯人だったのか、誰が多重人格だったのか、誰が誰だったのか、どこからどこまでが現実だったのか、最後まで観てもわからない。それらの謎がとっちらからずまとまってちゃんと(?)「妄想」になっている。
この作品も、はじめは白河と黒部が同一人物とはわからないとか、白河/黒部は自分が多重人格であることに自覚がないなどの謎をひっぱり続ける設定で読んでみたかった。ちょっとわかりやすすぎかな。物語終盤、灰谷と黒部/白河の関係が明かされていくところが大いに盛り上がる分、勿体ない。何度も同じ牌姿に巡り会ってそのたびに違う選択をして何度も違う結末を迎えるとか、麻雀がらみでもいろいろとやれると思う*1
ていうか、私、この話はすべて灰谷の妄想であり、黒部は灰谷が作り出した幻影だと思ってました。あるいは灰谷(読者視点)も黒部も白河の妄想で、その妄想を見ている白河自体も妄想の一つかと思ってました。最終的には「私が麻雀の夢を見ていたのか、麻雀が私の夢を見ていたのか」ってことでここはひとつ。やはり麻雀だけで表現された狂気と妄想の世界といえば、来賀友志作品が最も素晴らしいね。来賀原作で「私が麻雀の夢を見ていたのか、麻雀が私の夢を見ていたのか」的作品を読んでみたい。いや、『ナイトストーン』がすでにそういう話か?




この作品も2巻以降が刊行されず、単行本では最後まで読むことができない。以下の折り畳み部分で単行本未刊分のあらすじを解説する。

競技麻雀界は白河の押し進める異常なまでのクリーン麻雀に支配され、黒部が姿を表さなくなってしばらくの時が経っていた。灰谷はひょんなことから黒部の過去を知るという男・カバ山(青山とかいう名前だった気がしますが全然名前呼ばれないのでわからなくなってしまいました……)と出会う。カバ山はカバのような見かけによらずまっすぐな麻雀を打つ男。カバ山はかつて代打ちをしていたが黒部に負けて引退し、そしてまた黒部も姿を消したとのことだった。



ある夜、灰谷はカバ山に連れられてとある外科病院へ忍び込む。そこにはとある賭場で黒部に負けて指を切り落とされ、狂気に陥った男がいた。灰谷はその男から黒部が勝負しているという秘密の賭場へ入るための刻印の指輪を受け取る。

翌晩、いつもの通り「気に食わないものは排除する」誌上対局を終えた白河の姿が消えた。灰谷とカバ山が男に教えられた賭場に向かうと、そこには古代ローマの闘技場を模した地下闘牌場があった。対局の出場者は指輪に刻印されたゾディアックの名で呼ばれ、勝ち残れば名誉と大金と自由が手に入る。しかし負ければ……? 「牡牛座」灰谷は今迄に感じたことがない緊張感の中、前座の東風戦をやっとの思いで勝ち残る。見上げれば天上には人間が蠢く姿があった。ここは大金持ちたちが豪奢な観覧席「天国」から地底で蠢く博打狂いたちの決闘を見下ろし、外ウマを張って遊ぶための娯楽施設だったのだ。灰谷がメンツから抜け、メインショーの東南戦が始まったとき、天国のVIPたち、地獄の亡者たちの絶賛を浴びながら「乙女座」黒部が姿を現した。
灰谷の予想に反し、その対局で黒部の腕は冴えなかった。しかし、黒部は意図的にトビ寸まで振り込みを続けたのだ。彼をトバして自分は助かろうとした「山羊座」は黒部の誘惑……ハメ手に陥れられ、逆にトバされてしまう。山羊座は衛兵に牢獄へと連れ去られ、闘牌場には絶叫が谺した。そう、黒部は最も観客を楽しませる麻雀を打つ、この闘牌場最高のエンターテイナーだったのだ。
そして次の対局、「山羊座」の空いた席には「牡牛座」灰谷が指名された。黒部の存在感に圧倒される灰谷。他家ふたりは黒部の誘惑の差し込みに何度も手を倒した。黒部は灰谷にも何度も差し込みにくるが、灰谷は見逃しつづける。自分の信じる麻雀を打ちつづけた灰谷はついに自力でハネマンをツモる。灰谷は黒部に一緒にここを出ようと言うが、黒部は言う。「ここをどこだと思っている?」 黒部の言葉に他家を意識しすぎてしまった灰谷は手が縮み、黒部に倍満を振り込んでしまう。ふたたび黒部が問う。「ここを……」 灰谷は「地獄だ」と返した。灰谷は黒部に執拗に狙われ、オーラス前で残り1000点。このどたん場で灰谷は麻雀の楽しさを思い出す。灰谷はなんとかテンパイするも、彼は競技麻雀で禁忌とされている「逆転目のない者はトップ争いの邪魔をしてはならない」状況。しかし灰谷は自分の麻雀を貫くことを選んでテンパイを維持、全員テンパイで流局、連荘へと持ち込む。南四局1本場、より高目を目指して黒部の差し込みを拒否し、灰谷は四暗刻単騎でリーチをかける。そして、黒部は「よくやった灰谷」という言葉とともに灰谷のアタリ牌を切った。黒部の四暗刻放銃で灰谷は逆転トップ、黒部はトビラスへ。黒部は闘牌場の闇へと連れ去られた。



(このあとの1号読んでません。黒部は「処刑」として撃たれるも灰谷がかばったか何かでなんとか命を取り留めたって話みたいです。ご存知の方フォローお願いします。)



一週間後、黒部は未だ眠り続けていた。灰谷は黒部そして白河の過去を探るため、彼の生地である北陸へと向かうことにする。北陸へと旅立つ前、灰谷はJMCPの定例会へと立ち寄る。白河の消えたJMCPは過剰なクリーン麻雀方針を取りやめ、活況または停滞を取り戻していた。かつては強敵に感じた同期生の赤塚も、あの修羅場を乗り越えた灰谷にとっては話にならないものだった。競技麻雀へのふんぎりをつけ、灰谷は一路北陸へ。
北陸で灰谷が聞いたのは、黒部家はこの土地の名家であったこと、土地の人々に忌み嫌われていること、そしてもう断絶していることだった。黒部家の焼跡で灰谷は不思議な男と出会い、黒部家の秘密を聞くことになる。黒部家が断絶したときの当主にして白河と黒部の父であった黒部峡太郎は囲碁の5タイトルを制覇した有名な棋士だった。黒部は峡太郎とその愛人にして流しの博徒・紅(べに)との間に生まれた子で、あるとき紅は突如出奔、峡太郎は発狂して屋敷に火を放ったという。……ここまで聞いたとき、灰谷は何者かに頭を殴られ、気を失う……。

……気が付くとそこは雀荘「紅」の中だった。灰谷はその時が止まったような雀荘で「天国への案内人」と名乗る男と麻雀を打つ。灰谷は次のツモが見通せるかのようなその男に負け、幻を見る。……それは黒部と白河がまだひとりの人格であった頃……彼の母・紅との最後の対局……そして紅を「殺」し……紅はそれを穏やかに受け入れたときの記憶。なぜ黒部の過去を知らないはずの灰谷がこのような夢を見るのか? 気が付くと灰谷は廃虚となった雀荘の中で独り佇んでいた。同じく白河の過去を探るために北陸に来ていた緑山と合流し、灰谷は東京へと舞い戻る。



灰谷と緑山が病院で再会したのは、紛れもない「白河」だった。黒部の人格は深い眠りに落ち、起きてこないという。気をとりなおしてまた頑張りたいという白河と灰谷の前に、黒部家の焼跡で出会った「天国への案内人」が現れる。男は緑山を人質に、白河と灰谷に麻雀勝負を挑む。「天国への案内人」は紅が死に、黒部の人格が分裂したあの対局で惨敗を喫し、両手を斬り落とされた代打ちだった。彼・金城は機械の義手を手に入れたことで代打ちの世界へと返り咲き、夢ギャンブル秘密結社「ドラゴンスケイル」を立ち上げた。「ドラゴンスケイル」は紅を女神と崇め、ひりつくギャンブルを熱望する世界中のVIPたちによって組織されたそのすべてをギャンブルで決定する組織。その頂点に立つ人物を決めるため、金城は白河と灰谷を海の果てにあるドラゴンスケイルタワーの対局室「天国の底」へと誘う。



「天国の底」でのメンツは白河、灰谷、金城、そして闘牌場にいた「魚座」の男・黄。金城の武器は奇跡に近い的確な「読み」であり、白河のセオリックな麻雀は金城に完全に読み切られ、太刀打ちできない。灰谷は自分が勝負に行くも、彼の力では力及ばずだった。そのとき、白河に黒部の声が聞こえる。白河はその声を無視し自力で勝とうとするも、黒部の人格が現われ、白河の逆転勝ちとなる。このとき、灰谷の記憶もまた甦る。

灰谷は実は紅の連れていた子どもだった。紅は自分が殺した雀士の子どもを引き取って育てていたのだ。灰谷はその名もなき雀士の子ども。そして灰谷もまたあの紅最期の場におり、紅が黒部に負けて自害したところを目の前で見ていたのだった。そのとき幼い灰谷が黒部に斬り掛かったときにできたのが黒部の左腕の星形の傷。またこのとき黒部の人格は棋士である父のセオリックな性質を受け継ぐ<白河>、博徒である母への憧憬を抱く打ち筋の<黒部>に乖離した。

灰谷は母・紅の残した「誰かが戦いを終わらせねばならない」という言葉を胸に、黒部・金城・そして黄に代わって卓に入った「風」との最後の戦いに挑む。金城と黒部の戦いが続く中、灰谷はあることに気付く。それは「風」と呼ばれる4人目の男が親友の三原ということだった。ミステリ作家として成功した三原は「ドラゴンスケイル」に参加しており、この対局が終わったら灰谷のかつての恋人・水原と結婚するつもりだと告げた。彼はツキを武器に3人の戦いに割って入ろうとするが、高レベルの戦いにツキだけの人間が割って入れるはずもなく、灰谷に倍満を振って目ナシとなる。

こうして信じていたものすべてを失った灰谷は、母が死ぬ以前の人格と記憶にたちかえっていた。そして黒部もまたこの事態に異常を感じていた。黒部の力は弱まり、白河の力添えなくしては打てなくなっていたのだ。白河もまた自分が消えていく気配を感じる。ふたりは黒部と白河に別れる以前の人格、勝負師ではない子どもの頃の人格が甦るのを感じていた。金城は灰谷のリンシャンカイホー狙いの手が読めなくなり、混乱に陥って大きく沈む。勝負は灰谷と黒部の戦いになった。

灰谷は穏やかな表情だった。それはこの戦いは自分が終わらせるという強い意志のもとにあるものだった。オーラス、灰谷は緑一色、黒部は九蓮宝燈をテンパイする。金城はW役満でないと追いつかない状況だったが、火事場の馬鹿力で小四喜字一色西待ちをテンパイした。灰谷と黒部はそれぞれ金城のアタリ牌・西を掴み、手を崩して西待ちに切り替える。そしてラス牌の西をツモったのはやはり灰谷だった。
灰谷は御神体として祀られていた母・紅の遺体を海に沈め、崩れゆくドラゴンスケイルタワーから三原と水谷を逃がした。



そして……――



やさぐれた街の雀荘「龍」。「龍」には夕方になると近くの工場に勤める人々が仕事上がりに牌をつまみにやってくる。「今日は新人がいるから、マスター、揉んでやってくれや」と紹介された新人は、マスター……灰谷がずっと待ち続けていた「あの男」だった。初めてだから手加減してくださいというその男に、灰谷は言う。「命を賭けましょう」。ここからまた新たな物語が始まる。
おわり

……というわけで、単行本未収録分はめっちゃ長く、はじめの競技麻雀vs博打麻雀の対立構図から路線変更し、最後は何だか知らんがとにかくよし!な麻雀世界に突入。
「闘牌場」はいいとして、ギャンブル秘密結社がその総帥を決めるのに麻雀で勝負だ!って……。
おそらく競技麻雀では切磋琢磨する麻雀やギリギリまで追い詰めらる心理、勝負の熱狂を描き続けるには舞台が狭いと判断して競技麻雀パートを切り捨てたと思われるが、博打麻雀もまた然りというか、博打を通り越して何か違うものになっている。もちろんこういった麻雀漫画ならではの麻雀原理主義展開はおもしろいし、ギリギリセーフ。しかし、残念ながらこういうパワフリャーな力押し展開は木村直巳の作風とあんまり合っていない。才能の方向性が違うというか、マンガ的マンガを描くのが上手い人がやることではない。
麻雀パートを除外しても、話のいきあたりばったりさはちょっと気になる。途中で女子キャラ二人をおもいっきり切り捨てたのには笑った。「こんな女まわりにいたらマジうざそう……」という似たようなキャラ設定×2、かつ麻雀に関係ない設定だったためか最後は話をスムーズに進めるための小道具と化していた。竹書房麻雀漫画にはお色気要員ポジションが存在しないため、本人も麻雀を打たない限り話の根幹に関わりつつ最後まで出てくるのは難しい。麻雀漫画史上最強の女性キャラは『てっぺん』の片平(議員秘書で一輝の上司)あたりですかね。まあ女子と言えども『てっぺん』で最もオットコマエな奴でしたけど。



非常によかった点は、黒部が最後まで非常に魅力的であること。やさぐれキャラとしての立ち回りが『北の狼』の仁より格段にレベルが上がっている。性格設定と行動と打ち筋がラストシーンまで一貫している。




なお、外伝「組長暗殺」は紅の面影を追い続ける若き日の黒部が流れ流れた先で抗争に悩むヤクザの若き跡取りのために代打ちをするという、ものすごくベタな話。しかもそのひよわな若さま、黒部の麻雀を見て抗争はもう俺の代で終わりにしようと強い意志をもって決断するとかじゃなくて、黒部の果敢な打ち筋に勇気づけられ、ワシの命に代えてでも親父の敵とったる!とか言い始めてすっげえ抗争がおっ始まるど!って話でした。じゃあはじめっから麻雀で勝負しなくていいじゃん。謎。

*1:なんかそういうの『むこうぶち』にあった気もするけど。