TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ロックの雀風(かぜ)

須賀五郎[原作] + 北野英明[作画] 日本文芸社(1985年)

 


┃あらすじ
Who knowS tomorrow!?*1 誰にも明日のことはわからない竹の子族が躍り狂う原宿に、イカサマのカドで追われフラフラになった男が現われた。竹の子娘の礼美が気まぐれで助けたその男は、人気絶頂のロックバンド・ローリングスの元キーボード奏者、山吹零司だった。零司はケガがもとでバンドを脱退し、麻雀に溺れた生活を送っていたのだ。既存のイカサマではすぐに見破られてしまうことを悟った零司はピアノの黒鍵の並びを模した「黒鍵積み」を思いつくが、そんな彼の前に希代の雀豪・毘沙門ファッツが現われる。毘沙門ファッツに対抗意識を燃やす零司だったが、そんなおり、躍進を続けるローリングスのメンバーたちと再会し……




ロックンロール麻雀漫画。
「ロック」とつく麻雀漫画はヤバいの法則(例:高橋のぼる「ジャンロック」)を裏付ける作品。そういえば「さあ(ルンバ)を踊ろうぜ若いの」ってのもありましたな(小池一夫+ふんわり「花引き」)。ヤバいロック劇画仲魔としては滝沢解+川崎三枝子『炎のクイーン』を思い出しました。




ロックとか抜かしといて別にロックと麻雀は関係ないんだろ。
と思ったら大間違い。実は多いに関係がある。零司の必殺技「黒鍵積み」はピアノの黒鍵の配置をヒントにあみ出されている。元キーボーディストならではのアイデア。一般的な積み込みは途中でポンチーが入るとツモ順が変わってしまうため失敗しやすい/見破られやすいが、「黒鍵積み」は予め鳴きを想定して積み込むため、積み込みがバレにくい。

意図的に他家を鳴かせることで自分に有利に運ぶという点では「爆牌」(ノーマーク爆牌党)にイメージが近い。しかしこれ、どう考えてもとんまな技。まず、積み込みが複雑すぎて実用性が皆無。配牌になる牌を積み込むわけではないので、積み込んだ役がテンパイするまでに8巡以上かかり、配牌とは噛み合ない牌を積み込んだら地獄行き。それに他家が役牌だろうと絶対ポンするわけではないし、ポンされたとしたら対面は2巡目で役牌確定するわけで、下手すると自分がアガるより先に対面がアガる可能性が高いような気が……。これを見ると鳴かせて即直撃という「爆牌」の戦術的完成度の高さは目を見張るものがある。





てか、はっきり言って麻雀のことはどうでもいい。この作品で最も注目すべきなのは、当時の若者風俗。


主人公・零司は女性ボーカルを擁した5人組バンド「ローリングス」の元キーボーディスト。「ローリングス」は学生バンドとして活動していたが零司がケガで脱退したと同時にメジャーデビューし、大人気を博しているという設定。この「ローリングス」が歌う「ヒッカケハイスピードロックンロール」という曲がすごい。どんな歌か聞いてみたいって? よーしそれじゃ行くぜっ! ワンツー

ヒッカケハイスピードロックンロール (ローリングス)


そこの女よ聞いとくれ
俺は孤独さ あんたも一人
天国に行く道ァ 一つだけ
ヒッカケハイスピードロックンロール
ヒッカケハイスピードロックンロール
バイク飛ばしてウサ晴らーし


そこの男よ聞いてくれ
あたしゃ寂しい今夜も独り
………(歌詞不明)………
ヒッカケハイスピードロックンロール
ヒッカケハイスピードロックンロール
ロック歌って燃え尽くす

(作詞・作曲:山吹零司)

ローリングス1stアルバム、『ロックナンバー1(ワン)』より、「ヒッカケハイスピードロックンロール」でした。
ここでいうロックとはオシャレな洋楽ロックではなく、横浜銀蠅やキャロル的な意味、ローラー族的な意味での「ロック」。なお、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」を歌った横浜銀蠅のデビューは1980年(解散は1983年)。バンドが演奏するのはあくまで地獄のようにダサいロックンロールであり、決してYMOヒカシューみたいなオッシャレーな音楽ではない。
また、ヒロイン礼美は原宿で躍り狂う竹の子族。タケノコネーム(?)として「グレイス」という名前を持っており、独特の言葉を使う。1979年〜80年代前半に流行した竹の子族もまた予め下位とされるカルチャーである。エアコンの効いた部屋でペリエとか飲みながら「でも僕は哀しい」とか言ってる*2種類の人間とは決定的に違う魂を持っている。
↓竹の子用語?



上記の「ロックンロール」及び「竹の子族」はヤンキー文化の系譜である。80年代のダサいユースカルチャーを牽引したヤンキー系カルチャーを知る参考文献として、五十嵐太郎・編『ヤンキー文化論序説』河出書房新社、2009)を挙げる。
世の中から蔑視されるドメスティック洗練ナッシングバッドセンス仲間として麻雀漫画もヤンキーセンスを受け継いでいてもおかしくはないのだが、なぜかヤンキーセンスに溢れた作品はあまり存在しない。片山まさゆきのセンスは80年代スノッブであり、片山の描くヤンキーはあくまで正統なおしゃれファッションとしてのヤンキー。一見ヤンキーセンスを備えていそうな来賀友志は、ヤンキーを通過して何か違う次元のものになっている。
そのかわり、現実で活躍している女性プロはどう見てもセンスが工藤静香系な方が多い。芸名がかなりキていなさる方が多いことからもそれは言える。男性プロでも古久根英孝プロはその昔ソリコミ長ランのバリバリの不良だった*3らしいし、須田良規プロ吉田光太プロの文章センスはどう読んでも文学青年のそれではなくヤンキーのポエムである。おそらくいずれも古久根さんのような真・不良転生だったのではなく、魂がヤンキーに在り、なのだろう。ベースとしてはバッチリンコだと思うのだが、やはり麻雀は都会のトッツァンの遊びなのか、ヤンキーセンスというよりトッツァンセンスに支配されているのであった。昔雀荘で見たトッツァンのファッションが忘れられない(パンチ+民族工芸かと思うほどすばらしく手の込んだワンちゃんの刺繍の入ったセーター+金時計金ネックレス金指輪)。私が今迄に学んできたデザインという概念がアホに見えるほどの超インパクトでした。


そんなことより最大の問題はこういうものを北野英明が描いていることで、ただでさえダサいヤンキーセンスが地獄のようにダサくなっているってことです。てか、代々木公園で礼美が躍っているシーンで竹の子族たちを取り囲む観衆も、ローリングスの歌うライブハウスの客席の観客も、雀荘で背後の卓で打ってるトッツァンも、みんな同じように描いてあるのがかなり……。あともう「毘沙門ファッツ」っていう雀ネームは救いようがなさすぎてどうしたらいいのかかわりません。



┃ 参考リンク

*1:原文ママ

*2: (c) 柏木博

*3:ソースは倉田真由美「てんぱい娘」(近代麻雀オリジナル掲載)。どうでもいいですけど、前原雄大プロが昔競技カルタのプロを目指してたってのはマジですか。