TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 メジャー すべてを麻雀に捧げた天才!!

南波捲[原作] + 伊賀和洋[作画] 竹書房 1995

  • 全1巻(単行本未完)
  • 小池書院より復刻版(全2巻)あり 完結


┃あらすじ
とある地方の高校。美術教師の高浜は生徒と麻雀を打って遊ぶ怠惰な日々を過ごしていた。ある日そんな彼の前に若園貫という男子生徒が現われる。卓についた若園はまばゆいばかりのオーラを放っていた。彼の打つ麻雀は高浜が見たことのない次元の麻雀、「本物」の麻雀だった。間もなく父を亡くした若園は「麻雀で生きる」ために上京。そして高浜もまた彼の情熱に感化され、教職を離れて若園をサポートすることを決意する。若園、そして高浜は今、真の麻雀を求め、プロ団体・出版社など、海千山千の山師たちが跋扈する世界への門をくぐった。彼等の追い求める真実の麻雀が「メジャー」となる日は来るのか!?




麻雀が「メジャー」となるまでの軌跡を描く驚異の麻雀漫画。
競技プロによる競技プロのための競技麻雀ではない、「メジャー」となりえる夢の麻雀が実現するまでを描いている。とにかくすごすぎ! 伊賀和洋の絵が!




ここには麻雀云々を突き抜けた得体の知れない狂気の世界が描かれている。
主人公・若園とライバル・花巻が本当に天才に見える。麻雀限定の天才ではなく、純粋な意味での天才と呼ぶにふさわしい。主人公は過剰を通り越して異常なまでに麻雀に打ち込む青年。それが設定でなく、本物の才気を纏った、そして一種の狂気を帯びた青年にちゃんと見える。というか、そうとしか思えない。
ここに描かれている夢の競技麻雀は本当に夢でしかない。しかし、伊賀和洋の狂気スレスレの絵によって鬼気迫る展開となり、すさまじい麻雀世界が出現する。劇画絵の麻雀漫画が発展したのもうなずける。これは少年漫画風やアニメ風の絵の作家には絶対描けない世界。「なんで麻雀なの?」という質問を一切させない、鬼気迫る内容となっている。




物語は若園をサポートし、若園や花巻の狂気に翻弄されながらも惹き込まれていく高浜の視点から描かれている。この高浜が「美大を出たものの、自分には絵の才覚がないことがわかり、美術教師をしてのらりくらりしている」という設定なのがナイス。この人、なんだかんだ言って教師に向いた性格をしているのがポイントで、若者たちの輝きのなかに夢を見つけて奮闘する中年の話としてもとても面白い。




この作品、麻雀漫画のくせに麻雀のシーンが異常に少ない。この作品は闘牌ウンタラよりも麻雀界の腐れ具合、麻雀を取り巻く魑魅魍魎の描写に異様に力が入っている。この原作者は当時近代麻雀系列誌で原作者・コラムニストとして活躍していた人物であり、別に干されていたわけでもハブにされていたわけでもなし、麻雀漫画にそんなもん託されてもというくらいのルサンチマンがほとばしっているのはなぜなのか、逆に気になる。

シーンとしては少ないものの、主人公やそのライバルの打つ超克の麻雀は見ごたえがある。最後のほうでは完全に常人の理解を越えた異次元の世界となっており、これはこれでナイス。もはや麻雀ではない。


↓主人公のライバル、花巻。対局前は動物園のヒョウに会いに行って闘う態勢をつくる。花巻が臨戦態勢になると闘気となってトラが背後に現れる(ヒョウはどこに?)。


↓振り込んだ瞬間点棒を払う。

はじめ一体なんのシーンなのかさっぱりわからんかったのだが、点数申告どころか手牌を倒す前、裏ドラ未確認だが、真のプロなら点数がわかる! 究極の差し込み! というシーンらしい。すごすぎ!



↓真実のプロたる者が持つ「白の心」



↓麻雀ってすごい




麻雀の修練に関する話はとても納得できる。
努力を惜しんではならない、牌譜・理論研究はやって当たり前でそれは基本以前のこと、フォームをそうコロコロ変えるものではない……。最も重視されているのが、天才だろうが何だろうが「プロたる者、努力と練習を怠るべからず」ということ。当たり前だが軽視されがちなことを、ほかのスポーツのプロならみんなちゃんとやってるでしょ、という話をつけ加えて説く。麻雀となると途端に舐めてかかり、他の競技に対峙するときにのような基本的な努力・修練を怠る風潮があるという著者が言いたいことは非常によくわかる。それをハッキ指摘し、主人公たちが地道に努力するさまをちゃんと描いているところに作者の誠意と良心がよく現われていると思う。その意味ではこの作品は超王道の麻雀漫画であり、近代麻雀にしかできない内容。
どうしても自分が絶対的に正しいと主張したいなら、この作品の登場人物たちのように実績でもって示すか、『幻に賭けろ』の今井のように他者に伝えるための言葉の研鑽を積まねばならない。それをせずただわめくのはあまりに幼稚。福田恆存くらいのイケメンが麻雀界に降臨しないもんなんでしょうか。書き手があまりに不毛すぎますよ……。かと言って、いい書き手が現われても教育できるノウハウがないんでしょうね。近頃は文芸畑の人も来ないし、ライアンとか福地さんが突如発奮というのは考え難いし。来賀友志と片山まさゆきが馬車馬のようにハッスルし続けるしかないのでしょうか……。




ところで、この作品、登場するプロ連中は実在の人物がモデルと推測される。
そのこき下しっぷりはすごい。邪念発しまくり。麻雀プロたちはすさまじい邪気を発し、主人公を篭絡し私腹を肥やそうと画策している。

そのなかで「格闘麻雀鬼神流」とかいう麻雀団体の話が冒頭でチラッと出てきたが、いつの間にかそれは立ち消えして、代わりに麻雀を人間修行と捉える軍装コスプレ麻雀団体「麻雀特戦隊」とかいうのが出て来た。いつもかたまって行動しているため競技プロたちからは嫌われてるけど、実はとても素敵な団体で隊長は超粋な男ということになっており、最後に隊長である赤城の正体が明かされる!ということになっていたはずなのに、なかったことにされてました*1。何かの圧力をかけられたのか、それとも実は関係者なのか、そのあたり気になるところ。なお、かの団体に関しては、主人公が言っている「同意できるところもあるけど同意出来ないところもある」が一番妥当な意見だと思います。




私はこの原作者を甘く見ていた。失礼ながらネームがクドく、お世辞にも話作りがうまいとは言えない。この作品も作話が特別秀でているわけではない。しかし、この作品はとてもおもしろい。
これは作画の伊賀和洋によるものが大きいと思う。伊賀和洋の狂気のようにクドイ絵が話にマッチしている。伊賀和洋、以前から「ちょっとキてるな」とは思っていたものの、それは小池せンせいがキているのであって伊賀和洋自身がキているわけではないと思っていた。のだが、それは私の間違いだった。伊賀和洋、すごいわ。こりゃ本物。
伊賀和洋はいろいろな絵にチャレンジしようとしているのか、初期/中期/末期で絵柄が違う。特に初期のすさまじい邪気と末期のスピリチュアルさには恐れ入谷の鬼子母神。コマ割りや闘牌シーンの見せ方に様々な工夫が凝らされているのも面白い(コマ割りはもとからすごいが)。

*1:一応ほのめかされますが