TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 shoichi ショーイチ 桜井章一伝 20年間無敗の男

神田たけ志 竹書房 1989


┃あらすじ
昭和30年代、静岡県S市。街の雀荘では「新宿(ジュク)の桜井」と名乗る男(マギー司郎似)が大勝ちしていた。出張で静岡に来ていた青年実業家の桜井(はンさむ)は現地名士の引き合わせで「ジュクの桜井」と卓を囲むことになる。「ジュクの桜井」はサマを使って快調に飛ばすものの、異変は三回戦のオーラスに起こった。青年実業家の桜井が天和をあがったのだ。1本場、青年実業家桜井はトリプル役満をあがってつぶやく。「もう桜井章一の名は使わない方がいいみたいですよ。いつご本人に会わんとも限りませんから。」――これは、「桜井章一は心にカミソリを当てて打つ」と言われた伝説の雀鬼桜井章一の物語である。




雀鬼漫画。
雀鬼」という言葉が苛烈な麻雀打ちを指す一般名詞ではなく桜井章一を指す固有名詞になったのもこの作品と並行してのことかと推測される。
雀鬼雀鬼漫画を馬鹿にしてる人こそ読むべき作品。なぜあなたは雀鬼がイヤなのか……、それを考えるときがきたのです*1




イカサマを扱う麻雀漫画としてはその頂点。
この作品で描かれる闘牌はほぼ裏芸(イカサマ)。学生時代パートは一般的な麻雀漫画に近い普通の闘牌だが、青年時代パートではこれが顕著となる。この作品では、裏芸はあさましいものとして描かれていない。勝負は麻雀それ自体でつくのではなく、よりハイレベルな職人技を披露した者が勝者となる。その勝負は苛烈を極める。
私はイカサマものの麻雀漫画が嫌いだが、この作品はアリだと思う。私がなぜイカサマものが嫌いかというと、対等であるべき勝負の前提をぶちこわすから。はじめから裏芸のテクニックで競い合っているなら麻雀とは別次元の勝負の物語として楽しめる。お互いの裏芸の裏を読み合い、かいくぐることが勝負のキモとなる。そこにイカサマもの麻雀漫画によくあるわけわからん屁理屈はない。ただし、最後はイカサマを排した一般的な意味での麻雀漫画になるが、これはこれでおもしろい。
「さむいけどリーチだ」「熱いからリーチだ」「ヒラッコ」など、オリジナリティ溢れる謎の語彙もナイス。明らかに他の麻雀漫画とは一線を画す謎のオーラを発している。




この作品の最大のみどころはなんといっても第1話で登場するニセショーちゃん。
「新宿(ジュク)の桜井」と名乗るマギー司郎似の男である。リアルショーちゃんに激似である。しかも単行本では巻頭カラーページにはリアルショーちゃんの写真が載っている。私を笑い死にさせる気か。この「ニセモノ(だが実物にはクリソツ)」のショーちゃんを「本物(だが実物からはほど遠い)」のショーちゃんがやっつける。
このシーンはエクスキューズである。このエクスキューズはこの作品にとって非常に重要な意味を持っている。




この作品で有名なシーンのひとつに、「銀座の夜の帝王」エピソードのラストシーンがある。
主人公・ショーちゃんは銀座の夜の帝王との超高レート麻雀を終えたあと、「億近い金が動いたというのに」「50円のラーメンを啜った」。*2
私、このシーン、心の底から「どうでもええわ……」と思った。
要するに、ショーちゃんは金にこだわってんじゃないんだパン!と言いたいシーンなわけなのだが、むしろ金にこだわってるとしか思えない。ショーちゃんでなくて作者が。悪い意味で作者の顔が見えている。これではショーちゃんとっての「麻雀」の大切さが忘れ去られ、全く見えてこない。この手の金の話オチは北海道に接待麻雀に行くエピソードにもあり、この場合は「五百万円はあった日当もホテルの金庫にそのまま置いてきた――という」という言葉で締めている。これさえなければ普通にイイ感じで締まるものをなぜつけ足す。ショーちゃんは金に頓着してないという描写があるにも関わらず、同時に成功した青年実業家だと描かれているところも謎。ねこ耳ブルマ。青年実業家が道楽で麻雀に興じる話ならともかく、あまりにも男のドリーム丸出しすぎ&都合がよすぎ&盛り込みすぎ。個人的には、麻雀漫画のヒーローには麻雀以外の名誉はいらないと思うのだが……。




つまりこの作品、私にとって、話としてはおもしろいけど演出が致命的にげんなりする。
ショーちゃん自体は確かにカッコいいのだが、演出が不要にウザい。おそらくこれをとても面白い、かっこいいと感じる人も絶対いる。私は自分のセンスがよくてその人たちをセンスが悪いと言いたいのではない。本当に好みの問題(世代の問題?)。
冒頭のふたりのショーちゃんエピソードも作者なりのオチャメと推測されるが、私にはオッサンのさむいギャグ(自慢付き)にしか見えない。私はイケメンがカッチョよくバチコーンとツモる麻雀漫画が読みたいンですッ!!! それ以外は一切不要なンだッ!!




昔のトッツァン漫画のヒーロー像は、今見るとカッコ悪いものがある。絵柄や話がどうこうではなく、語り方や演出手法が古くさくて読めないものが多数存在する。例えば自分のバックに大物がいることをちらつかせて凄み相手を威圧するなど、今の漫画ならダサい悪役がやること。いや、昔でも確実にダサかったと思うのだが、トッツァン漫画には普通によくある。これが謎。太古の仁侠映画でもカッチョイイ主人公はこんなことしてないと思うのだが……。
もう一つ気になるのは、ショーちゃん自身がどういう人物なのかはほとんど描かれていない点。むしろショーちゃん自身の描写を意図的に省いてると推測される。原作者が完結によせて書いた解説に、主人公に心身とも贅肉がまったくないことを意識して書いたという記述がある。このあたりの影響なのか? 主人公のまわりを取り巻くオプションについてのみ描写することに関してはトッツァン向け娯楽小説みたいというか、70年代的麻雀漫画ヒーロー像に回帰している印象がある。トッツァンになった70年代麻雀漫画世代が読むための漫画なのだろうか。
原作小説が出版されたのは86年、漫画の連載は89年〜93年。とってもバブルそしてバブル崩壊。当時は上記のような物質文明礼讃?や梶川良が書いたとされる「20年間無敗の男」というコピーが有効だった時代なのか。トッツァン漫画業界は世間様とは時間の流れが違いすぎてよくわからん。




『SHOICHI』のショーちゃん描写と対極的なのが赤木しげる(@天)の描写。
赤木のかっこよさ描写で着目すべきなのは、赤木は強いからかっこいいのではないということ。これはとても重要。鳴りもの入りで出てくるが、鳴りものを鳴らすことはない。赤木のストイックさは既に枯淡の領域に達している。「無欲」「サバサバ」「ゆるふわ」が同居した「自然体」なキャラクター造形。もちろんそれらは天然ではなく、すべて赤木の強い意志に基づくもの。なお、福本先生は天然と推察される。
逆に『SHOICHI』と魂が近いと推測されるのが、梶原一騎。なんていうか、かっこよさ語りのセンスが近い気がする(偏見と憶測)。確か「BS麻雀マンガ夜話」の『SHOICHI』の回でも梶原一騎センスが指摘されていたはずだが、ログが残っていないので確認不能。テキストファイルが残っているなら再アップを希望!
個人的には、さいとうたかを小池一夫の漫画は普通にカッコいいと思う。しかし、昔の漫画評論本を読むと、さいとうたかを小池一夫を馬鹿して梶原一騎を持ち上げているものがある。昔の人のカッコよさ定義は後世のヤングには理解しがたいものなのか……。




ヒーロー像演出の時代性はマンガだけの話ではない。
リアルショーちゃんが好きでないヤングは、ショーちゃんそのもの以前に、ショーちゃんを持ち上げる手法に拒否反応があると思う。例のコピーは今となっては意味がないどころかマイナスイメージにしか繋がらない*3
気になるのは、リアルショーちゃんファンの若い子はどういう雀鬼漫画が読みたいかということ。いま雀鬼漫画を作るとしたら、この作品や「近代麻雀ゴールド」末期のような内容では若い子は読めないだろう。若い子が憧れてるショーちゃん像って、『shoichi』に描かれているようなショーちゃん像じゃないだろうし。やっぱりみやわき心太郎『マル秘牌の音ストーリーズ』とか?




この漫画、神田たけ志の漫画によく出てくる、マジで目が恐い人(かにとかえびのような甲殻類的何考えてるかわからん目つき)がやっぱりいっぱい出てきて結構ホラー。ショーちゃん自身の目つきもかなり恐いが、雀荘に弁当持って「出勤」してくる「会社員さん」、恐すぎ。突然背中がもこもこしてバリバリィ!とかいって人間のきぐるみを破り、中からすごいギーガーな宇宙生物が出てきてショーちゃんが超科学兵器(もちマージャン)で応戦、って展開になってもおかしくないくらい恐い。




なお、本作はVシネ化されている(『雀鬼』主演・清水健太郎、監督・小沼勝、徳間ジャパン)。このシリーズは麻雀Vシネのなかでも最高傑作とされ、外部のファンからも絶大な支持を受けている。私はまだ見たことがないので、そのうち観たい。

*1:雀鬼が何かわからない人はこれより先にみやわき心太郎『マル秘牌の音ストーリーズ』を読んで下さい

*2:備考:昭和30年代の物価について……値段史の本を見ると、昭和35年のラーメンの価格は45円程度(店舗の価格か屋台の価格かは不明)となっている。作品内とほぼ一致。初任給は銀行(大卒)15,000円、公務員(大卒)10,800円、小学校教員9,100円。第1話の扉でショーちゃんがもたれている壁に貼られているのは石原裕次郎主演の「錆びたナイフ」で、これは公開が1958年(昭和33年)公開。映画館入場料金は昭和32年で150円、35年200円、38年350円。麻雀場の遊戯料金(東京都公安委員会の告示による上限額、同資料によると平成7年の1人1時間の料金は620円)は昭和34年で1卓1時間200円、37年で1人1時間50円。以上、当時は高度成長期にあたり物価の上昇が激しかったことを踏まえご参考までに。参考文献:『値段史年表 明治・大正・昭和』朝日新聞社, 1988、『戦後値段史年表』朝日文庫, 1995

*3:関係ないですけど、『超絶』が文庫化していて吹きました。しょっぱなから説明一切なしで身内麻雀がはじまってますが、あれ、書店でいきなり手に取った人は全然意味わからんのでは? プロはともかく道場生は全然わかんないです。「牌の音の常連」って肩書きの人も登場。牌譜が1見開きに1つずつ載ってる文庫本って時点ですごすぎ。ところで先日、近代デジタルライブラリーで明治時代の苦学生話本(鈴木明『苦学奮闘録』民友社, 1912)を読んでいたところ、「余の苦学生活」という章の「僕も相応の教育はある。頭もある。」という部分に読者によって傍線が引かれており、「アゝ小人はよく自慢スル」と書き込まれていました。この本、「俺はまだ本気を出していない。俺は本当はすごい奴だ。それが理解できないから皆俺を軽視するのだ。そういう奴は馬鹿。俺が本気を出せば(以下略)」とか「○○しようと思ったがいろいろあってできなかった。ていうかしなかった。だが実行していれば間違いなく成功していた」という話が延々綴られており、こういう人って明治時代からいたんだなということがわかります。ツッコミを入れている読者は著者が相当鼻持ちならなかったらしく、所々に「なんとかな犬ほどよく吠える」的キッツイつっこみを書き込んでおり、それもまた見物となっております。