TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 懸賞狼

梶川良[原作] + 辰巳ヨシヒロ[作画] 久保書店 1980年



┃あらすじ
名うてのギャンブラーだった本堂武は、今日をもって博打稼業から足を洗い、明日からは妻とふたりでオーストラリアで農業をして静かに過ごそうと決意していた。しかし、そんな本堂を大日本天地会の鬼島は放ってはおかなかった。出発前夜の本堂を拉致し、今度行われる大博打の舞台に立たせようとしていたのだ。なんとか鬼島から逃れ妻とともに空港へ向かう本堂だったが、鬼島の放った刺客によって事故に遭い、妻は死んでしまう。本堂は鬼島に復讐を誓い、鬼島を暗殺するためのマフィアへの報酬100万ドルを貯めるための果てしない旅に出る。




麻雀劇画。
辰巳ヨシヒロが作画ということで、従来の麻雀劇画とは趣が異なる。ここでいう「劇画」とは、さいとうたかを小池一夫梶原一騎らの描く「劇画」とは違う、ごく初期型の「劇画」。そのため、一般的に言われる「麻雀劇画」とは異なるものである。




作品最大の魅力は辰巳ヨシヒロ独特の世界。
旅打ちを続ける主人公が出会う様々な人々とその人生が味わい深い。雀荘のクソ親父にこき使われる少女、病気の妻のために麻雀で金を稼ごうとする博徒、蛭のような男に身売りをさせられ続けている女、花柳病の売春婦……。いずれもはっきり言って陳腐なキャラクターだが、陳腐でない独特の深みがある。その深みが画一的なものではなく、それぞれのキャラクターが各々独自の深さを持っているのだ。
これは実際に読んでほしい。言葉では表現できない、漫画だけが表現できる深みだと思う。現代の麻雀漫画でもこの手の「深み」を出そうとしているものはあるが*1、これを超えることはできないと思う。
救いはないが、静かな力強さをを感じる。




麻雀でのみどころは特になし。闘牌がどうこうという作品ではない。
ただ、イカサマはイカサマでも画一的にならないように工夫されており、三人麻雀や二人麻雀を入れるなど、だらだら平坦にならない工夫が施されている。自動卓もちょっとだけ登場。手牌をどう見せるかのカメラアングルや画面づくりも工夫されていて、ビジュアル的にも飽きない。
サンマでは以外にガリとして抜くルールで打っている。まあ、だからどうしたってわけでもないが。




しかし、話の出来不出来にはムラが多い。
辰巳ヨシヒロ梶川良とは食い合わせが悪かったのかなと感じる。申し訳ないが、あらすじとしての話そのものは全然おもしろくないのだ。おもしろい部分っていうのはどう考えても辰巳パワーによるおもしろさ。これで絵が北野英明だったら本当にヤバかったと思う。「週刊漫画TIMES」に連載していたという79年の段階でも既にこの内容は古かったと思う。最後のほうは「打ち切りでは?」というようなはしょり方をしており、このような話は読者にはもう通用しなかったのでは。




梶川良の「劇画」は辰巳ヨシヒロの「劇画」とは異なるものである。まずこれをはっきり認識せねばならない。詳しいいきさつは不勉強のためわからないが、辰巳は後期型の劇画に違和感を覚えていたと聞いたことがある。梶川良の劇画はその違和感を覚えていた劇画の一種ではないのか。目指す方向性が違うのは確かだと思う。そのためか、ところどころ「なんか違うな〜」という違和感がある。なんか微妙に間が変なんだよね……。特に麻雀のシーンがぎこちなく感じる。

この作品は梶川作品のうちでも初期のものと思われ、ほんまりう作画の『指ぐれ』のような完成度には至らない。麻雀漫画以外だとおもしろいと聞くが、麻雀漫画以外の梶川良品は殆ど読んだことがないのでわからない*2。とりあえず、麻雀漫画においては漫画家の地力にかかっていることが多いように感じる。自分で叙情性や雰囲気をつけ足せるような漫画家でないとかなりキツい……。この作品では梶川麻雀漫画によくある変な屁理屈やわけのわからん尻切れトンボは辰巳によって中和され、むしろそれが味に転化しているので安心されたし。辰巳がカバーできないほどのどうしょうもない話も混じっているが。




辰巳ヨシヒロの絵は本当にうまい。絵がうますぎて話から浮いているほどうまい。主人公・本堂は下手な漫画家が描いていたら読者がイラっとするだけのキャラになっていただろうに、独特の雰囲気を持った魅力的なキャラクターに仕上がっている。はじめのほうはどういう絵を描いていこうかという迷いがあるのか少し不安定な絵柄だが、途中からは梶川良の世界観を魅力的に見せる絵になる。特に雪や雨が降っているシーンが雰囲気があってよい。


辰巳ヨシヒロの麻雀漫画はこのほかに花登筺原作の『ザ・ギャンブラー』(少年画報社 1977)がある*3。2007年に出た『懸賞狼』復刻版の上巻に収録されている辰巳ヨシヒロのあとがきには、『懸賞狼』を描くまで麻雀を全く知らなかったことが書かれているので、本格的な麻雀漫画はこれが初の作品のようだ。辰巳は麻雀牌を見るとタマゴのお寿司を思い出して仕方がなかったらしい。できればこの人ピンで書いた作品を読みたかったが、そこに至るまで麻雀に興味がなかったのかな。もし描いていれば山松ゆうきち『西子』に匹敵する名作になっていたと思うのだが……。こういうものを描ける人はとても限られているので……。




復刻版下巻に収録されている解説は大西祥平
私、この人信用できないんだよね。なぜかと言うと『マンガ地獄変』の麻雀漫画レビューが的外れで非常に不愉快だったから。「90年代に入ってからはそのナローな妄想世界は急激に萎縮し、過去のメタファー的作品や、現実的かつ中庸な麻雀マンガばかりが目立つ(絵はお上手だが)。」とか抜かしやがって、じゃあ絵がお上手な過去のメタファー的作品や現実的かつ中庸な麻雀マンガを具体的に挙げてみろっての! ぜぇぇぇ〜〜ったい『ノーマーク爆牌党』とか『麻雀蜃気楼』とか読んでねえだろ!! それとも読んでてあれが駄作だと言うのか!! 誰がどう考えても麻雀漫画史に残る超傑作だろ!! とかなりブチキレてしまった。麻雀漫画はダウナーであるという発言も何も考えてなさすぎな適当発言だと思う。
刊行当時(1997年)大西氏はかなり若く、リアルタイムで進行する竹書房系麻雀漫画を客観的に評価する視点がなかったか或いは読んでいなかったのと、当時はまだ漫画レビューの倫理が成立していなかったろうから*4、いまはこのような認識ではないと思う。解説にある「本作には、そんな(梶川)氏が、原案の段階で従来の辰巳ヨシヒロ作品のイメージを十二分に意識して手がけたシナリオが提供されているように思う。」という文は、大西氏の良心が書かせたような気がする。だって辰巳ヨシヒロ好きだったら、私よりももっと違和感を感じるところが多いと思うから……。(初期劇画を踏まえた)麻雀劇画として傑作というのは本当だと思う。




おまけ

麻雀単語帳。しかも何待ち問題。こんなんやってるとこ人に見られたら恥ずかしくて死んじゃう!


刑務所に入れられた主人公が独房で作っていた、パンでできた麻雀牌。パンを練り固め、靴墨と血で模様を描いた。唯一の食事であるパンを麻雀牌作りにまわしてしまったため、主人公は栄養失調になって夜盲症を患う。……のだが、なんで食事を抜いてまで麻雀牌を作っていたか忘れているとしか思えない展開がオチャメ。

*1:いま載ってるあの山田玲司の漫画、あれ、何なんですか? 70年代の麻雀漫画かと思ったんですけど。驚異的なまでにどっかで読んだことがある内容だけど、山田玲司ってもとからああいう作風なの? それとも最後に大どんでん返しがあるとかですか??

*2:昔の漫画雑誌を調べているときに読んだはずなのだが、何を読んだかすら記憶がない……。これは梶川良のせいというより私の記憶力のせい。

*3:と言っても私、1巻しか持ってないので本当に麻雀漫画なのかは不明。1巻では麻雀のシーンが10ページちょっとしかない。

*4:倫理観において今のおもしろ漫画レビューに悪影響を与えたことは否めないと思う。それは置いといてこの本、おもしろ麻雀漫画レビューで内容をよくパクられている。『風の雀吾』も『海雀王』も『麻雀鳳凰城』も『少林寺雀法』も、すべてこれに載っている。丸パクとしか思えないサイトもあるが、最近のヤングはそういうの気にしないのかしらん?