TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ナグネリアン 麻雀黄金期から来た男

南場捲[原作] +畠山耕太郎[作画] 竹書房 1996

 


┃あらすじ
197X年、東京。名久根肇。彼は麻雀新撰組に憧れ、東京で麻雀で名を成そうと九州から上京してきたのだった。地元の友人を尋ねて左翼闘争でバリケード封鎖された大学へ赴いた名久根は、そこで左翼学生たちと麻雀を打つことになる。自信満々な名久根だったが、そこで女学生にコテンパンにのされ、負けのカタに成田空港の建設反対運動の援農として五里ヶ丘へ派遣される。機動隊と左翼学生の争乱に巻き込まれそうになった年寄りをかばおうとした名久根は機動隊の砲撃?を受け、その衝撃で地割れの中へ転落。そのまま気を失い、そこに溜っていた冷水に「チルド」された。
そして長い時が過ぎ……1995年。現代。しがない旅館の息子・猿田圭吾は空港二期工事に伴う遺跡発掘のバイトで五里ヶ丘に来ていた。さぼり中にうっかり地割れの中に転落した猿田は、水の中で毛むくじゃらの男が眠っているのを発見する。その男――20年ぶりに目覚めた名久根がそこで目の当たりにしたのは、なにもかもが変わった世界だった!




タイムスリップ麻雀漫画。
麻雀黄金期であった70年代から現代にやってきた青年が活躍する話で、雑誌の企画ものっぽい設定ありき漫画。近代麻雀系列では話が飲み込みやすいたぐい*1。「ナグネ」とは韓国語でさすらい人、旅人、よそものの意味。




麻雀漫画だと身構えず、手軽に読みはじめられるところがよい。展開が速くて説明台詞が非常に多く、設定とあらすじだけで話がどんどん進むので、快適な進行を望む人にはいいかもしれない。一般的な青年誌に載っている漫画はこういうものが大半なんだろうけど、麻雀漫画はまったり進行するものが多いのでちょっと驚く(アカギを批判しているつもりは毛頭ござらぬ)。あらすじ(と後述するルサンチマン)しかないのがある意味すごい。あらかじめ書いておいたあらすじに沿って話を進めている印象はあるものの、ルサンチマンにつき動かされてか、たいやきをかじったらお尻のあたりからあんこがにゅっと出てきたような不思議なほころびが所々にあり、そこに味を感じる。もうちょっと連載期間が長ければたいやき大爆発!となって超おもしろくなっていたのかも。

ただ、SF的考証や名久根が過去から来た人間であることに現代の人間が殆ど違和感を抱いておらず、名久根もまた現代に来たことに違和感を抱いていないのはさすがにちょっと苦しいかな。




この設定だと古い麻雀と新しい麻雀の対比を見られるのかと思ってしまうが、実は違う。

この作品で描かれている対立は「古い麻雀戦術vs新しい麻雀戦術」ではない。
私は70年代の戦術論に明るくないが、主人公・名久根は70年代の戦術論に添った打ち方をしているというわけではないと思う。おそらく時代考証はしていないだろう。また、現代の強者・篠ノ井も現代的な麻雀を打つわけでもない。名久根と篠ノ井の基本的な雀風は劇的に違うわけではなく、作者は70年代後半と90年代後半の違いを描くという意識自体なかったと推測される。篠ノ井は若者というわけではなく名久根と同年代だったりするし。
なお、雀風の違いによる麻雀観の対比は名久根vs篠ノ井でないパートで描かれていて、これがまたベタでありながら着地点に味があってよい。『はっぽうやぶれ』みたいに露骨にやらないところが大人っぽい。これが描けるのに名久根vs篠ノ井の対比をやらなかったのはますます謎。




それとも戦術でなく印象論として、「現代的な麻雀」は味気ない、「昔の麻雀」は魅力的だと描きたかったのだろうか?
ウッスラとそれを臭わせる台詞等はあるものの、「昔の麻雀」の魅力を積極的に伝えたいとか「今の麻雀」を叩きたいわけではないように思う。名久根の特徴が「大物手狙い」なのはわかりやすくてよい。だが、大物手を狙うのだけが昔の麻雀ではないし、大物手をあがることだけが魅力的な麻雀ではないのは自明のこと。揚げ足を取るようで悪いが、篠ノ井は大物手狙いでなくとも支持者を集められるような魅力的な麻雀を打ってきたからこそ今の地位にいるわけだし。名久根は楽しそうに麻雀を打つと説明されているが、その説明台詞がなければ単純に明るい性格なだけに見える……。




現代と過去のプロの姿を対比させるのでもない。
過去のプロ(麻雀新撰組)は名久根の幻覚の中のシーンで数ページ登場するに過ぎない。名久根はしきりと褒めそやすものの、麻雀新撰組自体が具体的にどういう活動をしていたのかはわからない。また、この作品では現代の代表を競技プロに設定しているが、連載当時(95年)の時点では競技プロが本当に現代麻雀の象徴だったのだろうか。競技プロが誌面を飾るなんて、それこそ70年代の話。しかもその競技団体がものすごく架空なためリアリティがない。そもそもなぜ競技麻雀を舞台にしたのか、今となってはよくわからない。95年には安藤満などの今とは比べられないほど人気のあるプロはいたんだろうけど、それは個人の人気であって、さすがにここまで競技麻雀自体が興行(大手メディアがついて金になる)として成立するほど大人気って世の中じゃなかったと思うんだよね。但し、当時のキンマの競技プロ特集記事はいまよりずっと扱いが大きくて、女流プロを写真モデルに使うだけの記事*2だけでなく、著名プロを招待しての誌上対局企画もたくさん載っていて、記事もカードも面白かったのは確かです。



ではこの作者は何が描きたかったのか?




おそらく、この作者が描きたかったのは、麻雀ではない。
まず、この作者にとって70年代は「麻雀の時代」ではなく「政治の季節が終わった時代」なんだと思う。物語の冒頭、名久根がいた時代は安保闘争が終息した頃。ほとんどの者が政治運動から離れていたものの、一部の若者はまだ闘争を続けていたことが作中にも書かれている。作者もこういう若者だったのではないか。政治運動をしていたという意味ではなく、自分は生まれたのが遅かったばかりにその闘争には参加できなかったけれど、「権力との闘い」 に憧れていた(けどできなかった)、という意味で。実際のとこどうだか知らんので、決めつけてはいけないのだけれど。いますぐ具体例が思い付けないが、こういう話は小説なんかではいっぱいあるんじゃないかと思う。




篠ノ井がこれと言って非道でもないのに悪役扱いになっているのは、彼が権力を持っているからだろう。
権力を憎む→篠ノ井を憎むという前提がわからないと、篠ノ井をなぜここまで非難してるかよくわからないのが難点。そもそも若い読者にとっては全共闘自体わかんないのでは……。「権力」というのが私にとってはあまりに仮想敵すぎる。権力に対して文句をつけてるだけじゃ何も解決せんだろ、全く別のアプローチを自力で行わにゃ、と思ってしまう。まさか競技プロ=権力とは思わなかったし。いまある競技プロへの批判というのは権力を独占する批判ではない。この件に関しては権力というより別の次元の問題。
また、篠ノ井は70年代当時は大学の掃除人をやっていて、へらへら遊んでいる学生闘士からも小馬鹿にされていたという設定。地べたから自分の才能ひとつでいまの地位に上り詰めたので、実は作品内で最も立派な奴だったりする。どうせなら篠ノ井を主人公にした階級闘争麻雀漫画にしときゃよかったのに。例えば今同じ設定でやるならそのほうがいいかな。

※単行本では全くその気配がないが、連載時はアオリ文句で「70年代、左翼闘争渦巻く大学へ入り込んだナグネ……」などと入っていて全共闘時代とその名残りが下敷きにあることはわかるようになっていた模様*3




てっきり新旧麻雀の対立話だと私が勝手に思ったので???と感じていたが、ここまで考えて、対比を描くというより「ある集団のなかに異物を放り込むとどうなるか」を描いていると言ったほうがいいと思った。そのほうがしっくりくる。タイトルも「NAGUNE-ALIEN」だしね。いろいろ書きましたが、普通にちゃんとおもしろいです。


┃参考リンク
同原作者による競技麻雀漫画『メジャー』(南場捲+伊賀和洋/竹書房*4のレビュー
http://d.hatena.ne.jp/pai-siri/20061010/1160469878(牌…知りそめし頃に…)




ところでこの漫画で一番権力の上にふんぞり返ってるのってあのなんとか協会の会長のジジイで、権力を使って何らかの団体を私有化してるのはヒロインの母(70年代の名久根を知る唯一の存在)では。




おまけ
この作品、そこら中に「ゲルピン」など70年代の若者&左翼用語がちりばめられていて、それにいちいち脚注が入っている。小物描写でも当時の人気漫画『男おいどん』などがわざとらしく出てきて、いかにも70年代ですぅ〜〜という煙をウチワで扇いでバフバフこっちに飛ばしてくる。てか、なぜ『男おいどん』。暗黒すぎる。
だが、現代(発表当時=95年頃)の描写が現代的かというと、なんだかバブル期っていうか80年代後半〜90年代初頭にしか見えない。ハイレグやボディコンのねえちゃんが登場したり、「三高雀士」という言葉が出てきたり。「三高雀士」って何だよ。「高」レート、「高」リスク、「高」金利? @むこうぶち
そもそも麻雀という遊び自体がちっともナウくないのがまずいよね。登場人物も自分で「今はむしろ麻雀ばっかやってる若者のほうが少ないよ」とか言って自爆してるのには笑った。

*1:同時期に連載されていたのは『幻に賭けろ』『ナルミ』『ウァナビーズ』あたりかね?

*2:当時の雑誌の「美人女流プロ」とか「美人雀士」のグラビアを見ると、いろいろと感慨深い。あと、それに混じってツッチーグラビアとかも載ってました。なんか指に麻雀牌はさんで新宿御苑みたいなとこでポーズきめてるような写真があった気がする。いや、確かにツッチーってはンさむですけどね。

*3:そんなことより当時の別近のみどころはみやわき心太郎の何かよくわかんないインタビュー漫画ですよ! これに来賀さんが出てくる回が最高! 前のほうのグラビアページでは悪意があるとしか思えないあきらかに写りの悪い写真が載せられてしまっている来賀さんでありますが、みやわき心太郎は何を思ったか超イケメンに描いた上、なぜかそれはウィンク姿でありました。スゲェー。しかも最後のほうで「こんなに麻雀への愛が深い人みたとない!感動しました!!」みたいなことを書いてました。やっぱみやわき心太郎は違うぜよ。

*4:『メジャー』は宇宙の果てに消えたけど、『打天使』は小池書院がいつのまにか単行本出しててびっくらこいた! かどたん(かたどんのほうが語感かわゆし)って小池門下なのか? 時代劇をたまに描いているのは知っていたけど。