TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 青春!! 雀鬼颯爽

小島武夫, 志村裕次, 西塔紅一[原作] + 司敬[作画] 実業之日本社 1985



┃あらすじ
高知の小さな自動車修理工場で働く龍(りょう)。龍は定時になると仕事場を飛び出して、兄貴分・武市(タケ)のシケ込む雀荘へ。ここ数ヶ月、武市に教えられ龍の麻雀はめきめきと成長していた。上京して麻雀プロになるという武市に龍もついて行きたかったのだ。さて、龍と武市が武市の恋人・綾の実家のバーに入ると、そこには武市と綾の同級生で、いまは東京の大学に行っている木村という男の姿があった。木村は武市は麻雀で喰っていると聞き、彼に勝負を申し込む。プロとも打っているという木村の腕は相当のもので、追い詰められた武市はオーラスで面前の大三元をあがってなんとか勝利を得る。綾や仲間は武市の大三元に疑念を抱いていたが、龍はそれを考えたくなかった。翌日、武市と龍がいつもの雀荘に行くとそこには木村と彼の連れてきた東京のプロの姿が。木村に再戦を申し込まれもう勝てないと思った武市は、龍にイカサマを命じるが……(「青春!雀鬼颯爽」より)




青春!! 麻雀漫画。
司敬麻雀劇画傑作特選という謳い文句にふさわしく、収録作全てが漫画としてちゃんとしていて、読みごたえがある。
が、『青春!! 雀鬼颯爽』というタイトルは意味不明すぎてすごい。『雀鬼医者』『新嘉波雀鬼シンガポールじゃんき)』などタイトルセンスが超芸術な麻雀漫画は数あれど、ここまでアルティメット意味わからんのはそうない。「青春」と「爽快」のあいだに「雀鬼」ははさまらん、この世では。
中身では初期司敬さぶいぼ立つほどの青春が大炸裂で、わたくしのような植木鉢の下で青春を過ごすダンゴムシ人間にはまぶしすぎて直視できない内容。非竹*1だったせいかそれとも非竹だったおかげか、麻雀以外のところに信義を求めるという珍しい内容となっている。




この作品には、麻雀漫画では稀な「恋愛による救済」オチが登場する。
「青春!雀鬼颯爽」の主人公の兄貴分・武市は本当にしょうもない人間で、麻雀で生きているふりをしているけど麻雀の才能はなく、最後に恋人が妊娠し彼のすべてを認めてくれる彼女と結ばれバーのマスターになることで新たな人生を歩み始める。てっきりものすごく悲惨な過程を経て破滅して終わるかと思ってた*2。才能がないのに才能があるかのようにふるまってしまう可哀想な人間とその救済を描こうとしたのだと思われるが、なぜ麻雀漫画でこのオチ。「麻雀によってしか救済されない」のが麻雀漫画の主人公の王道。また、その救済は魂の救済であって人生の救済ではない。司敬の場合、ほかの作品もあわせて鑑みるに意図的にそれを回避していると推測される。個人的には「いかに覚悟が決まっているか」を競い合う麻雀漫画が大好き*3なので、このようなさわやかなものを見ると「お前は破滅しとけよ」と思っちゃうのねん。キャピッ☆
また、「明日に向かって走れ」は同窓会で再会して付き合い始めたカップル(交際4ヶ月)、ボクも彼女も冴えない地味な者同士だけど、ほのぼのマイペースの幸せを味わってますv みたいな話。あまりにどうでもよすぎて「特選麻雀」で読んだときはドン引きした。これを読んで、なぜ「司敬」は「倉科遼」になったのかということを深く考えてしまった。読者が中高生の漫画雑誌ならまだしもなんで麻雀漫画雑誌でこれをやるんだ。しかも「特選麻雀」。これ読みたい人いたんだろうか。
私は思った。「人間ってこうやって増えるんだな。」と。そして、気分が盛り上がっていると自分のツラをわきまえない行動に出たり、偏差値が30食い下がったような発言をしてしまうことがあるが、あれは本当に注意しなければならないなと心の底から思った。




以上は原作なしの司ソロ作品。以下は原作付き作品。
小島武夫原作「青春別れ打ち」、無神経なお涙頂戴もの。それ以外コメントなし。
志村裕次原作「鬼面の雀打ち」。一度死んで生き返った無敵の雀豪(麻雀で、でなくリアルで。フグの毒にあたって死んだが通夜で棺桶の蓋を「大三元四暗刻オーラスの大逆転じゃ〜っ」とか言ってぶっ飛ばして蘇生。なぜか鬼のお面をつけている)が麻雀の勝ちで手に入れたナオン(みみず千匹&かずのこ天井)とやりすぎて腹上死という意外すぎるオチを持つ作品。フグと腹(上死)をかけていることはよくわかったが、麻雀漫画としては全然わけわからん。話はすっからかんだが西家開門和*4をモチーフにしたイカサマなどのスパイスが効いていて、読み切りとしては十分満足させてくれる。そしてこれに司テイストなレーシングラグーン風独白が入ってくるので、サバの味噌煮かと思って食ったらサバのミルクチョコレート煮だったような口あたりに仕上がっている。
同じく志村原作「酒樽雀豪」では、雀荘で優遇されたいがため雀荘の一人娘をコマす主人公など、司ソロ作品にはないリアルに嫌な設定が光る。
最後に収録されている西塔紅一原作「オレの真珠牌」は原作の雰囲気と作画の絵ヅラがうまく融和している。しかし麻雀漫画としては特徴がなく普通の読み捨て劇画といった印象。処女の女子高生が優勝商品の麻雀大会で優勝した主人公に札束ちらつかせて「ゆずってくれ」とか言う政治家、それならはじめから女子高生に札束握ら……と思ってしまったが、そーゆーツッコミは麻雀漫画においては野暮の骨頂なンですッと思い直し、本を閉じた。




麻雀のシーンにみどころは特にない。
例えば、変なところをカンしてリンシャンツモ、カンしていなければ他家に振り込んでいた……という展開では、なぜ主人公はそこでカンしたのか・なぜ他家に当たりだとわかったのかは描かれていない。それを描くという概念自体がないタイプの作品で、なぜツモれたのかの必然性も語られない。しかし、麻雀パートの出来はド陳腐でベタながらも読者が主人公に「ツモらせてあげたい」と思えるような展開になっているのがすごい。いや、ほんと馬鹿にしてるのではない。人に納得してもらえないド陳腐は佃煮にするほどある。でも、ド陳腐を自覚し人に納得してもらえるド陳腐に仕上げられるって、本当にすごいわ。まさにプロ。
ただし、主人公がテンパイするまでの過程をご丁寧に全部描いてしまったりと麻雀漫画としての見やすさはには問題があり、闘牌演出まで手が回っていない。
というわけで、みどころは「主人公がツモれる説得力」です。

*1:たけにあらず……竹書房以外の出版社が出した麻雀漫画のこと。

*2:このオチ、ある意味バッドエンドなわけだし。数年後は地獄絵図になっているとしか思えない。

*3:ところでたまに「山口貴由+麻雀漫画」で検索して来なさる方がいらっしゃるんですが、そんなもんあるなら私も超読みたいです。もちろん全員半裸(はンら)で麻雀……というのはすでに『花引き』で読みましたので、ふんどし+たびとか眼鏡と白ランとかがいいぴょん。レートは臓物ぴょん。コミケではそういうの売ってますか?

*4:西家がゲンが悪いというジンクス