TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 雀剣示源流

吉田幸彦[原作] + 北野英明[作画] 実業之日本社 1983



┃あらすじ
鹿児島は士学館高校の剣道部員、黒神剣士と伊集院学は、野球部の豪腕投手・国分の投げた麻雀牌を竹刀でたたき落とした。ふたりの剣術の腕は互角に見えたが、剣士のたたき落した牌には傷ひとつついていないにもかかわらず、伊集院の落とした牌は粉々に砕けた。「死を極め初太刀に生命を燃焼し尽くすのが示顕流の精神」とマネージャー・忍にたしなめられた剣士は稽古をさぼって雀荘へ。そこで剣士は「麻雀の理論を雀理と呼べるんなら剣理と相通じるところがあるかもしれん」ということに気付く。剣士は剣道の稽古とともに麻雀の稽古をはじめ、剣士の親友である伊集院もまた麻雀に惹き込まれてゆく。南国・桜島を背に、麻雀と剣道に青春を賭ける若者たちの物語がはじまった。




ローカル色豊かな剣道麻雀漫画。
桜島をはじめとした鹿児島の風景が美しく、魅力的。北野英明の病的背景描写がプラスに作用している。いまのところ私の読んだことのある北野英明作品でトップクラスの出来*1。北野のうんざり絵(失礼な言い方ですみません)も輝いて見えるほど原作の出来がよい。




剣道+麻雀の悪魔合体でキワモノ化が心配されたが、思いのほかグッド。



たとえばそのひとつのキーワードとして「間合い」がある。
間合いは剣士が修行する一大テーマである。新陰流には「肋一寸」という剣理がある。「肋一寸」は敵の太刀先が己の肋骨一寸に切りかかるときに己の太刀は敵の死命を制しているという剣理。これを利用し、ピンズホンイツ指向の南家と持ち持ちになっていたことを悟った剣士は、危険牌でもあるを切り出して南家に鳴かせ、チンイツに走らせることでを落とさせる。

 ロン ドラ

ただ、親でこの手なら誰でもは落としますよねえ。作戦云々ではなく。と思ってしまった私は甘いでしょうか。

剣道で学んだ「春駒問答」*2を踏まえ、敵が食い散らかしてスピード麻雀に出ていようとも自分はそれに簡単に乗らず冷静に手を進めていくことで高い手を成就させたり、雲耀の剣*3を会得するため剣道の稽古を積んだ剣士と伊集院はどんな速さの積み込みも見抜くことができたりするのだ。





逆に、麻雀から学んだことを剣道に活かすパターンもある。
勝ちがすぎたがために雀荘で目をつけられてしまい、南州墓地で私闘を挑まれた剣士。もしここで木刀を持って私闘に応じれば自分か相手のどちらかがケガを負うことになり、剣道部のみんなにも迷惑がかかる。そこで剣士は百点棒を木刀のかわりに使うことを思い付く。これで少なくともこちらは丸腰ということになる。剣士は大きく木刀をふりかざした相手のスキをついて懐に入り込み、相手の喉元に百点棒を突き付けて相手を降参させることに成功。
つまり、大きな手をテンパイしている相手は暴牌になりがち。そこを小廻りのきく安い手で立ち回って刺すという麻雀のテクニックを剣術に活かしたのだ。

うーむ、全然関係ないけど、『黒棒三四郎*4という題の麻雀漫画を思い出したというか、ポケットに点棒忍ばせてる奴っていうと、麻雀漫画によく出現する点棒をちょろまかす小賢しい雑魚キャラを思い出すネ。
ほか、麻雀で一気通貫指向の捨て牌は一色役に見えやすいということを利用した剣理「一色攻撃」(太刀筋をわざと読ませて誘い受け)など、こちらもさまざまなテクニックが披露される。



という感じで、無理のないレベルで剣道と麻雀の悪魔合体が成功している。




この作品を魅力的に見せる要素として、物語の舞台である鹿児島への愛に溢れているという点がある。

桜島をはじめ、天文館桜島へ渡るフェリー、蘇鉄が生えた洋館?、教会、サボテンの生えた公園(磯庭園)など、背景に描かれる鹿児島の風景がとても素敵。
ただぼんやりと鹿児島が舞台になっているだけではない。話の途中で桜島は噴火を起こす。それは比較的規模の大きい噴火で、桜島に実家のある剣士は麻雀勝負を中断して急いで桜島に帰り、また、その勝負の相手である東京の学生・尼子(修学旅行で鹿児島に来ていた)も桜島に同行し、剣士の幼馴染みの実家の民宿に積もった火山灰や飛んできた岩を片付ける手伝いをする。
降りしきる火山灰のなか、静かな表情をして噴煙を上げる桜島を眺めている剣士に、尼子は「桜島に腹が立たないのか」と問う。これに対し、剣士はこう答える。

剣士「桜島に腹が立つ……とんでもない。自然が相手ですからね、ましてや桜島に腹を立てて何になります。オイが生まれた年の大噴火はこげんもんじゃなかったと聞いています。火山弾が雨のように降り火山灰が何十センチも大地をおおいつくしたということです。」
尼子「……それでも桜島は……鹿児島は何度でも生き返るというわけか……」
剣士「ええ、桜島があるから薩摩隼人があるんです。」

桜島は鹿児島の人々の生活に大きい影響を与えていることを小学校で教えられた。そういった、いつ起こるかわからないが確実に起こる、人間が絶対たち打ちできない自然災害と共存している人たちは、その対象をどう思っているのだろうか? この作品での桜島の描写からは畏敬と愛を感じた。もちろん地元の人からしたら「全然違う! 桜島を舐めるな!」ってこともあるだろうけどね。


ちなみに桜島が噴火したとき剣士の手は国士無双テンパイ。尼子はそれに振りこむ寸前だった。麻雀漫画的に、桜島は麻雀に興奮して噴火する山なんだろうか……。桜島も興奮なさっていなさる。


あとは鹿児島弁が濃くて注釈がないと意味がわからんとこがあった。原作者が鹿児島出身なのかしら。




おまけ
┃今日の桜島 http://camera.painter.co.jp/sakurajima.html
桜島の様子をライブカメラで見ることのできるサイト。1秒1コマくらいのリアルタイム動画で見ることができる。対岸からの桜島の様子のほか様々なアングルから桜島を観察でき、また、天文館や西郷さん像前など、鹿児島市の名所にあるカメラも見ることが可能。噴煙を上げる雄大桜島を見たり、湾内を航行する船を見たり、天文館のアーケード前を走る路面電車を見たりと楽しみ方はさまざまの私の癒し系サイト。今日はさすがにアクセス殺到でメインカメラに接続できなかったものの、毎日観ていると、噴煙をあげたりあげなかったりする桜島の刻々とした変化を知ることができる。

*1:いまのところというのは「3巻を読んでない」という意味で、3巻がクズだったらあっけなく評価急降下するのでそこんとこよろしく。

*2:示顕流の始祖・東郷重位とその高弟・東郷与助が交わした問答。春の野にいる馬が窮地に立ったとして、そのとき大空にむかっていななくのが示顕流の意地でしょうかと与助が尋ねたのに対し、重位はそのときこそ平然として草を食らうのが示顕流の意地であると答えた。つまり、窮地に立たされたときこそ猛反撃に出るのではなく、悠然と構えるべきだということ。作中ではなんかこむずかしい書き方がしてあったのでいまいちよくわかりませんでしたが、こういうことだろうと勝手に思っています。なので信用しないでください。

*3:示顕流の極意。雲耀とは稲妻のことで、稲妻の速さで太刀を打ち込むこと。

*4:原作・吉田幸彦(『雀剣示顕流』と同じ)、作画・みやぞえ郁也。広済社コミックパック、1981年発行。