TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 西子(にしこ) 或る女雀師の一生

山松ゆうきち 竹書房(1983)
近代麻雀オリジナル 1983.1〜11 連載
全1巻


┃あらすじ
幼い頃里子に出され、母と別れた西子。義理の両親は西子を可愛がってくれたが、西子の心にあるのは福知山の実母のことだけだった。中学生になった西子は、福知山の母に会いに行くため、映画館の親父に体を売った。しかし、やっと再会できた母は西子に関心を持たなかった。西子は義理の父母のもとを出て旅館で客を取りながら学校へ通う。あるとき麻雀を覚えた西子は、雀荘へ通うようになる。やがてそんな西子を愛してくれる男が現われ、東京へ駆け落ちするが……




「西子」という女の生涯を追った麻雀漫画。
雰囲気は文学的というか旧青林堂系というかで、すごく味わいのある作品。大昔は近代麻雀にもこんなにも漫画として完成度の高い作品が載っていたのね。





麻雀はあまり全面に出てこない。しかし、何も信じず金のためならなんでもするリアリストながら、男から愛されることで得られる「幸福」という幻のようなものを求め、荒廃した人生を歩む西子には麻雀が似合っている。




泣かせようとする話は読む気が失せる。世の中には泣けないくらいもっと悲惨で救いようのないことがたくさんあるはず。私には救われることより救われないことのほうが多いのに、なんで他人の作り話ごときで泣かなあかんねん。私は人様が可哀想な状況だってなことで泣けるほど、優しくもおめでたくもない。
ただ、問題は、その作品が本当にどうしようもなく救いようがない話で、そのどうしようも救われない登場人物と目線が合ってしまうようなときが恐い。そういう作品がたまにある。そういうのは泣けるというより、恐い。なかでも「取り返しがつかなくなってしまうこと」が私は一番恐い。取り返しがつかないどんづまりに佇んでいる登場人物がいると、心を奪われてしまう。




西子の生涯は本当に救いようがない。
西子は誰のことも、なんのことも信じていない。金も信じていない。愛も金も追い求めたけどそれをつかみとれなかった。
なにより、西子には絶対的に信じられるものがない。途中で登場する、12年間雀荘で昔の男を待ち続けるおばあちゃん。男はもう帰ってこないだろう。だけどおばあちゃんは12年間その男を待っている。帰ってこないだろうことはわかっていても、待っている。そのおばあちゃんより西子はずっとどんづまり。西子が生涯唯一信じられたかも知れない男はもう二度と西子のことを思い出さないだろう。西子がその男のことを思い出したのは、あまりに遅すぎて、取り返しがつかなくなってからだった。




恐いんだけど、いろいろと涙が出ます……。




とにかく、読んでみていただければ、と思います。




ところで、まったく頭のなかで結びついていなかったが、山松ゆうきちって、ちょっと前にいきなりインドに行って平田弘史血だるま剣法』をインド人に売り込もうとした*1あの人ね。
血だるま剣法・おのれらに告ぐ』は復刻版を人様からお借りして読みましたが、あれ、インド人どころか、いまどきの日本人の若者にすら受け入れられにくいような気がするんですが……。私は好きですけど……。インドではどうなったんでしょうか……。
いろいろと意味がまったくわからないけど、山松ゆうきち、すごすぎ。

*1:ヒンディー語版『血だるま剣法』は中野ブロードウェイタコシェで売っているらしいです。丸尾末広の海外出版まんが(「風呂の入り方」「落ち葉の掃き方」の絵本で、海外の丸尾末広マニアが執筆依頼したらしい。)は置いてあるのを見たことありますが、ヒンディー語版『血だるま剣法』も置いているのか……。