麻生竜也 芳文社(1981)
全1巻
┃あらすじ
サラリーマンが集うとある雀荘で、精算の金が足りないという同卓者に、現金がないのであれば親の形見の指輪でも置いて行けと凄む男、安藤正人。彼が麻雀と金にがめついのには理由があった。正人はかつて麻雀好きの麻雀下手であり、麻雀でできた借金のかたに妻が堀止五郎に強姦され自殺していた。彼は雀鬼となり世の中の雀士と堀止を屠るため寝食を忘れ修行に励み、そしてついにテレビ公開対局で堀止と相見える。(「雀鬼暁に死す!」)
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麻生竜也劇画による麻雀漫画短編集。麻生竜也ピン作品に加え、高山潤、三木孝祐、中川知子原作の作品が収録されている。洗濯機が二槽式から全自動へ移行しようとしている頃にトレンディだったと思われる風俗描写が散見される。
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なんといっても絵やコマ割りが映画的で斬新。
日活とか大映とかああいう系統と言えばよいのかな、映画に詳しくないので例を出せないが、和製ギャングストーリーぽいというか、レトロオシャレ日本映画・テレビドラマのようでカッコイイ。スピード感のある絵で、昔の劇画にも関わらずトーンがたくさん貼ってあって華やか。70年代風のスカーフや柄ブラウスなど、登場人物のファッションもおしゃれ。
話は全体的に古い。
いや、当時としては古くなかったのかもしれないけど、「古きよき漫画でスナ」という印象。しかし、表題作「雀狂一代」はいくらなんでも話が古すぎる。刑務所に入っていた着流しの代打ちが出所し*1、現場復帰したものの彼は昔の人間となっており新しい者たちに馴染むことなく自分の道を全うする……という話、当時でも古かったのではないか。古いことを自覚的にやっている仁侠映画風味。
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「雀鬼暁に斃る!」ではテレビ公開対局が出てくる(なぜしょぼい雀ゴロがテレビで対局しなければならないのかという質問は却下する)。
テレビでショーとして麻雀を見せることを漫画化しているのはおもしろい。昔の麻雀番組*2について明るくないのでわからないが、11PMの影響?
テレビ向けだからどうのという展開はないが、テレビ放送向けらしく?ルールは東風戦。2万点持ちで、持ち点が2万点を割ったらその場で終了というルール。これがよく意味がわからないのだが……、ゲーム中に2万点を割った時点で「てっぺん」*3のように打ちきるという意味でなく、精算時に原点を割っていたらという意味だとしても、安藤と堀止は脇の二人からはアガれず(フリテンなし)二人もアガらないというルールになっているので、安藤か堀止のどちらかは確実に毎回原点割れするのでは。よくわからない。
解説者は大橋巨泉風?なのか、イラッとくる口調で喋る。となりにいる着物のおじさんの役割は不明。なお、カメラから観た視線になるコマは枠線が角丸で描かれており、テレビ画面を意識しているのがおしゃま。
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最後の「麻雀キャラバン」は少し毛色が違っている。
キャンピングカーを改装して移動雀荘にした麻雀キャラバンカーの運転手が主人公。
麻雀キャラバンカーにはいろんな客が乗って来て、さまざまな人生が交錯する……だと面白いのだが、主人公の昔の女が婚約者を連れて乗ってきて、その婚約者が麻雀で拵えた借金を帳消しにするため借り主と麻雀をするという話。キャラバンカーの意味があまりない。
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しかし、昔の麻雀漫画の主人公はよく風車の弥七のように麻雀牌を投げる。
どっから出てくンねんと思っていたら……そうか、ポッケに麻雀牌を忍ばせてるからなンだねッ! でも、ポッケに麻雀牌を入れたまま雀荘に行くと、恐いおにいさんに捕まったとき大変なことになっちゃうんだ! よいこは真似しちゃダメだよ♪
*1:なんかキンマものにもこういうのあったような気がしますが……
*2:昭和40年代の麻雀界の隆盛については「福地誠blog」の記事「麻雀新選組とその時代」を参照のこと。→http://fukuchi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_2f2d.html、http://fukuchi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_2c77.html、http://fukuchi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_0f19.html
*3:持ち点が一定点を超えたプレイヤーが出た時点でゲーム打ち切りにするルール。何点に到達した時点で打ち切りとするかは店の取り決めによって異なるが、6万点程度が一般的らしい。詳細は「麻雀業界日報」の記事「「テッペン」の普及率」を参照のこと。→http://d.hatena.ne.jp/izumick/20030521