TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 ジャングル 麻雀狂時代

香月謙+嶺岸信明 竹書房 近代麻雀ゴールド連載(1991〜1994)
全4巻

┃あらすじ
昭和42年、函館。英二と駿はいつも一緒の無二の親友。彼らは雀荘を渡り歩いて日銭を稼ぎながら生活していた。あるとき、英二の腕を見込んだ冬村という男が現われ、ふたりを東京へと誘う。冬村は天性の豪運を持つ英二だけを賭場に連れて行き、駿に構うことはなかった。冬村はかつて宇城という男に裏切られており、英二を使って宇城に復讐しようとしていたのだ。賭博の深みにはまっていくにつれ英二は駿を顧みなくなる。ひとり町をさまよう駿は、フラリと入ったノーレート雀荘で競技麻雀と出会い……




対照的な親友同士を描く麻雀漫画。裏切りにつぐ裏切りに目を離せない。
裏切りの応酬でかなりハードな展開ながら、英二の駿に対する微妙な感情が描かれていることと駿の英二への揺らぐことのない友情と純粋さ、敗者への優しい視線が来賀系とはまた違った独特の雰囲気に仕上がっている。闘牌原作は馬場裕一による。




はじめは原作がついていたようだが、途中からクレジットが嶺岸信明のみになる。作画専門の作家がピンで描いたらがたがたになりそうなのに、この作品では全くそうなっていない。感情豊かなキャラクターがとても魅力的。英二も駿もすごく可愛くていい子ということが伝わってくる。
英二は負けん気が強くて自信家でそれに見合う腕と度胸があるやんちゃな青年。どんな境遇になろうとも駿への友情はいつも心の片隅に残っている。
駿は清らかな心の持ち主で、絶対に人を裏切ることをせず、自分を裏切った相手にさえ思いやりをかける。もちろん英二への友情はどんなことがあっても揺るぐことがない。駿の純粋さ、優しさは想像の3段階上をいく。
そしてなによりこの二人の表情の描写がものすごくいい!!! いや〜〜、男の子の友情ってほんっっといいもんですね〜!! 冬村と宇城の過去の友情ももっと描いてあればなおよかった!! 冬村と宇城に金を回す金貸しの正宗やその部下不動山もすごくよくて、キャラクターの魅力に溢れている。




博打の麻雀と競技麻雀との両極に進む親友同士の話というと安藤満+本そういち『麻雀無限会社39』があるが、39とは描き方が違っている。39は読了していないので勘違いもあると思うが、39は「ボクたち気があうと思ってたけど実は違うんだね、もう元には戻れないよ、でも友達だよ」という感じに思える。少年マンガの王道。しかし『ジャングル』では「ボクたち性格が違うと思ってたけどねっこは同じだったんだね、だけどもう元には戻れないよ、でも友達だよ」という描き方かな。いつになっても変わらない友情を描く、大人向け青春物。むしろ39より『てっぺん』のほうが近いか??


盛り上がるのが英二と駿の再会と対局。
正宗に裏切られた英二はぼろぼろになっているが、そんな気配を微塵も見せないし、懐かしい瞬と再会しても駿に甘えようとはしない。駿に絶対負けたくないばかりに意地を張り通すところがグッとくる。



ふたりはねっこが同じ、という「ねっこ」とは「勝負師の素質」のこと。竹書房80年代後半には勝負師の精神を扱った作品がいくつかあり、描き手によって「勝負師」の解釈が違う。『ジャングル』では具体的にこういうものが勝負師の素質であると描かれることはないが、来賀原作なら出てきて3ページで殺されそうなキャラの駿が実は最強の勝負師というのがすごい。普通の少年漫画に出てきたとしてもみんなの犠牲になって死にそうなタイプなのに。




麻雀描写としては、馬場裕一闘牌原作のため炊き込みごはん系の闘牌。
全雀連の名人・芥川の説く「間合いの麻雀」というのが麻雀の奥義として挙げられている。「間合いの麻雀」とは簡単に言うと押し引きの判断のこと。「間合いの麻雀」を極めると暗闇でも麻雀ができるという。


おそらく馬場裕一は嶺岸先生がピンになってから闘牌原作についたものと推測される。なぜなら、クレジットにある原作者が原作を書いていると推測されるごく初期のエピソードでは、冬村の求める「強運の持ち主」は-待ちの高目引きでメンピン三色を一発でツモり、なおかつ裏ドラを2枚乗せて倍満にする男だと描かれている。これは馬場裕一にはちょっとない方向性だと思う。はじめはこういったハッタリがかまされるが、駿が競技麻雀をはじめたあたりからかなり真面目な展開になる。ケレンをなくせ、という台詞もある。おそらく馬場裕一の考えが強く反映されていくのだろう。駿の根底は勝負師であるから競技麻雀であっても他の選手の言うようなこぎれいな麻雀を打つわけではない。そして最終的には勝負師の道を歩むことになる。それでも麻雀はすごくちゃんとしている。読んでいて納得できないような闘牌はなく、この作品に描かれている勝負師とは博打打ちのことではないことがわかる。




最後のほうは話をめちゃくちゃはしょっている。特にラストの2話。話がきちんとふくらめばおもしろかっただろうに、残念に思った。第一、針生がおもしろすぎる。




これ読んで気付いたんですが、嶺岸先生って女性が描けないんじゃなくて、女性に夢を見ていないから妄想で女を描くことをしないだけなんですね。たまに出てくるギンギン系は別として。
あと、嶺岸先生がピンになって以降のエピソードで、当代最強とされる名人・芥川のセリフに「相手をナメても麻雀をナメるな」という信念が出てくる。これは後に『天牌』に登場する名台詞。この作品に来賀友志の干渉があったかは定かではない。以心伝心?