TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 雀鬼

板坂康弘+和田順一 芳文社(1978)
漫画ルック掲載(連載は1977年9/21号〜)
全2巻

 

┃あらすじ
嵐の夜、雀荘役満を2回もアガッて懐を暖めた夏目五郎がアパートに帰ると、同棲していた恋人・夏美が殺されていた。夏美が全裸で抵抗のあともなかったこと、凶器のナイフがアパートにあったものであること、五郎が夏美に多額の保険金をかけていたことから、刑事は五郎を犯人ではないかと疑う。五郎は夏美を殺した犯人を自力で捕まえることを誓い、刑事の監視を振り切って北へと逃亡した。五郎は逃亡先の青森で自分の知らなかった夏美の裏の顔を知ることとなる。犯人ははたして誰なのか……? しかし、そんな五郎に刑事の追っ手が迫る。




サスペンス系旅打ち麻雀漫画。
サスペンスとしては「……」。主人公の女がすさまじいアハズレでござったというのが主な筋書き。主人公は最後までドリーミー発言を連発し女の不実を疑っていないが、どう考えてもその女がアハズレだったのがすべての原因としか思えない。しょちゅう雀荘に行っていて家を空けまくっていた自分を主人公がミジンコも反省していないのもすごい。刑事も疑うはずだ。

真犯人をつきとめた後、主人公が本物のさすらい雀鬼(自称)となって不動明王のような雀鬼になるため修行?に励むパートのほうがおもしろい。




麻雀シーンでのみどころは、霊界ラジオから聞こえる死んだ友の声でトウシをするシーン。
いや、正確には、機械いじりが趣味だった友人の遺品の小型受信機から死んだはずの友人の声が聞こえるよ……もしかしたら死んだ友人が主人公を助けてくれたのかもしれないネ☆というあったかゴーストストーリーなのだが。てか、なぜイヤホン差して卓につくのか、なぜ敵はそれを許すのか。




……というのは冗談で、真のみどころは後半に登場する雑賀(さいが)という男の「コンピュータ麻雀」。
雑賀は主人公に配牌で「対子がない」「対子が1組」「対子が2組」「対子が3組」のうちどれが多いと思うかと問う。

雑賀は大阪電電コンピュータ室長という肩書きを持つエリートサラリーマンで、数理の組み立ての奥義を掴む者が麻雀の強者となれると主張する。ここでいう数理とは、印象論や経験則からではなく、数値で麻雀のなかで起こる現象を捉えて戦術に活かしていこうとする試みのことで、とつげき東北の『科学する麻雀』の昔版。雑賀は相手の手を読み切るというとつげき東北が到達していない(というか読むことを否定している*1)領域にまで達している。
いまのコンピュータ解析を用いた戦術論といえば、自分の手の分析が中心で、いかに自分がアガるか(あるいはオリるか)を論点としている。実際は他人がなにをどうしているかなんてのはノイズにすぎず、自分がいかにアガるか・オリるかのほうがはるかに重要なことは皆知っている。なのになんで漫画となると相手の手に視線がいくのか。それはファンタジーの領域だからだよね。発表当時はコンピュータを使えば未知も既知にできるかもしれないという夢があった時代だったのだろうか、コンピュータを使った解析で相手の手を読むことに視線が向けられている。ちなみに数理を用いてどう相手の手を読むかは書かれていない。捨て牌から読んでいる様子もないのに主人公の待ちを一点で止めるその技術。その理論が一番聞きたいんですけど。
ご多聞に漏れず主人公もオカルト戦術で撹乱するが、雑賀にそれは策のための策でしかなく正攻法ではないと言われ、主人公それを認めてシュンとなる。こういったデジタル発言をするキャラはどうも小物として扱われがちだが、雑賀はひとつの強者の姿として描かれ、主人公もまた雑賀に敬意を払う。ここまでデジタルキャラの思考が正当に描かれているのは、私の読んだ麻雀漫画のなかでは『牌族!オカルティ』の梨積港くらいしか。

雑賀
「読みとは麻雀では半分の力や……テンパイの推理は負けんと自分では思っておる……しかし……コンピュータは何も生み出すことはでけん……整理し分析し……悲しげに何かを見つめているだけや……」

雑賀は読みを武器にした麻雀には限界があるという。で、残りの半分の力というのが人間の思考だというのならカッコイイのだが、続きを読むとどうも「カン」らしい。まあ「カン」も人間の思考と言えば思考なので、「運」や「流れ」でないだけよかったか。




主人公が「一風麻雀」を打つ場面がある。いまでいう東風戦のこと。主人公は東京のフリー雀荘で「一風麻雀」に加わる。

一風麻雀は今ひそかなブームになっている。せっかちな日本人に向いているらしい。東場だけでは大きな点差は生まれないから順位……ウマを争うのがポイントである。

とか解説がついているわりには東南戦と同じようにのた…のた…と打っていたりする。


ほかにはオプションルールネタが充実。
「天地」というサシウマを主人公が持ちかかるエピソードがある。「天地」は「上下」とも言い、「馬身」のように順位ではなく、点差にどれだけ開きができたかにのせる。ここに登場するのは千点十万円の天地。レート自体は千点千円なのでちょっと高過ぎのような……。
関西で旅打ちしている場面では「競馬」という遊びも登場。いわゆるソトウマで、外野の見物人はそれぞれ乗る馬(打ち手)を決め、点棒の出し入れがあるたびに現金でやりとりをする(1局ずつ精算)。ここでのレートは千点千円。打っている人たちのレートより高い……。

麻雀ではないが主人公が木賃宿で「チョボイチ」という博打に加わるシーンもある。



旅打ちとしては「いなほ」はつかり」など往年の名列車が登場するのがポイント。主人公の逃亡先の青森や新潟の風景もいい。




名場面集


↓貴様が言うな。


↓キミもこのセリフであこがれのアイツを誘ってみよう!


↓コスプレ雀荘というわけではないッ。素性を隠すためなのだッ。

*1:以前、とつげき東北の講演会に行ったとき、「七対子は読める」の説明を聞いているときはわかっていたのに、講演会が終わった瞬間なんで読めるのかを瞬殺で忘れた。あとで周りの人に聞いたら、説明された状況なら七対子であることが読めるのは当たり前のことだと言っていた。なら私にもう一回説明してちょんまげ。