TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 麻雀地獄旅

灘麻太郎+森義一 グリーンアロー出版社(1986)
全1巻

┃あらすじ
昭和30年代後半。若かりし日の灘麻太郎は旅打ちの日々を過ごしていた。その旅の途上で出会った様々な麻雀打ちたちとの勝負の物語。





若き日の灘プロってこんなバタ臭ぇ顔しとったンけぇ〜? とツッコミたくなるものの、灘青年の旅する地方の様々な情景に引き込まれる旅打ち麻雀漫画。情景描写が素敵で、旅に出たくなる。神戸のシーンに出てくる花時計はいかにも往年の地方都市といった風情で良い。



旅の舞台は北陸、豊橋、大阪、姫路、本土復帰前の沖縄、神戸。
ただし、ローカルルールを活かした闘牌はない。大阪で一瞬ブー麻雀のシーンがあるが、「この十日間私はブー麻雀ばかり打っていた」の一言でサラッと流されている……。丸印が描いてある白(キラ)があり、これを1翻とするルールは登場(ただし一発ツモ時のオールマイティー扱いはなし)。なにより基本的にイカサマネタが多く、現代の読者は辟易するかも……。
しかし、沖縄と神戸では特殊ルール麻雀が行われる。これが非常におもしろい。
沖縄・那覇の米軍兵の出入りするバーで、米軍兵と対戦が行われるのは以下のような麻雀牌を使ったゲーム。

ストライク(仮称)

  • ゲームは1対1の対戦。
  • 一人はマンズの一通とパイパン、一人はピンズの一通とパイパンを持つ。
  • サイコロを2個用いる。
  • 自分の番になったら2個のサイコロを振る。牌に描かれた数の合計になるよう、牌を切る。
  • たとえばサイの目が3・3で6と出たとする。その場合から一枚だけ切る方法と2枚を切る方法、の2枚を切る方法がある。
  • 同時に2枚以上は切ることができない。
  • はジョーカー(オールマイティー)。
  • 交互にサイを振って目通り牌を切り、先に手牌のなくなった者の勝ち。
  • 例えば最後にが手牌に残ったとすると、サイコロの目の合計が6以外のものが出た場合は切る牌がないので負け。
  • 手牌が綺麗になくなったら「ストライク」。そのプレイヤーの勝利。

これは麻雀牌を使ったゲームとして広く認知されているんでしょうか。かなり丁寧に解説してありました。
しかし、これ、米軍兵が常勝である理由は「好きなサイの目を出せる」という心底どうしようもないもの。しかも灘青年、結局この勝負には勝てなかったし。うまく描けば引っ張って描き込めるネタなのに、勿体ない……。


最後の神戸で行われる特殊ルールは、捨て牌は河に置くのではなく、各自の席に備え付けのザル(というか、絵はどう見ても「びく」。中は誰にも見えないようツボ状になっている。)に捨てていくというもの。牌を捨てるときは相手によく見せてからザルに入れる。相手がどんな捨て牌をしているかは覚えておかないとわからなくなってしまうし、自分の捨て牌を覚えておけないようではフリテンになる。
これまた、ほかの三人の面子がただの和尚・旅館の女将・そのへんの旦那のわりに全員記憶力が恐ろしくよくてゲームに精通しており、一方灘青年は自分の手に溺れるあまりフリテンこいてチョンボするなどして負けてしまい、須磨海岸でたそがれてリベンジすることもなく終わりというのは……アカンやろ……。

往年の麻雀の姿を見るという観点では、(ほかのグリーンアロー麻雀漫画でもそうだが)起家マークが丸形だったり、手積みだったりでのどかで良い。



昔の麻雀漫画のビジュアル的演出について
麻雀シーンの抽象的なイメージ画風の描写もおもしろい。昔(昭和)のカット集とかまんがの描き方とかを見ると、確かにこういうヘンな抽象的描写が載っている。当時のデザイン界でもわけのわからん抽象表現は多いので、時代的な流行か。

また、和了で牌を倒すときは効果音「ジャラ〜〜ッ」で端からドミノ倒しのように華麗に倒れる。端から順番に倒れていくのって『哲也』でも見たことがあるが、昔はこういうビジュアルのトリッキーな描写が流行ったのだろうか。現実に端から「ジャラ〜〜ッ」と綺麗に倒すのは難しいと思うが、マンガ的には「ジャラ〜〜ッ」と倒れたほうがおもしろい。

「ロン」とか「ツモ」の発生が描き文字であることも特徴か。しかし、描き文字というのは絵柄のなかに埋没しがちで、通常の台詞の活字より目立たない。私の世代には、描き文字の濫用はものすごい昔の漫画の技術というイメージがあり、どうもバタ臭く感じる。いまの麻雀漫画のようなフキダシ自体を大きくして活字を級上げするほうが視覚的効果は高い。今後の麻雀漫画に期待できる描き文字としては、書家の書いた文字のような筆文字が効果的なのではないだろうか(えらそう)。



しかし、麻雀漫画のカッコイイヒーロー像って、ほんと、時代とともに変遷しているんですね。いまではこの灘青年や『SHOICHI』のようなキャラ造詣は流行らないどころか嫌われると思います。