TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 根こそぎフランケン

押川雲太朗 竹書房(1994.12〜2000.12 近代麻雀系列の雑誌に連載)
全8巻

根こそぎフランケン 1 (近代麻雀コミックス)

根こそぎフランケン 1 (近代麻雀コミックス)

┃あらすじ
小博打で糊口を凌ぐ竹井は、バカヅキの男・フランケンと出会う。その天衣無縫な打筋と人柄に翻弄されながらも、自分を慕ってくるフランケンとともに竹井は街を転々としていた。あるとき竹井は、かつて自分をハメた江藤という男と再会する。江藤は、カジノバー「レネゲ」の店主だった竹井を彼の部下・田村と組んで破滅させていた。竹井はフランケンとともに、かつての自分の店・レネゲで開催される、江藤主催の麻雀大会に参加する。




今までにここで読んできた中で、一番博打寄りの漫画。
博打(へのスタンス)を巡る、登場人物たちの個性がおもしろいです。この漫画の登場人物で、麻雀に命や人生を賭けている人物はひとりもいません。ただ、すべての主要登場人物が博打にすべてを賭けています。



私が一番おもしろいと思ったのはレネゲ編*1
屈折していて、レネゲの頃も今も、いろいろなことに対して諦めてしまったほうが楽なことを知っている竹井が、純真なフランケンに打たれて、真剣に勝負をすることを決意するところには心を打たれました。
竹井が終盤、真剣な勝負をするようになったとき、純粋なフランケンを逆に妬む(?)ようになるところもよかったです。私は、竹井ははじめから、真剣な勝負をしたいと、そう心の中で望んでいたように思います。はじめから「博打は勝負である」と思っているにも関わらず、そこそこの金を得る為に博打をしているんだ、と自分を説得していたのに、フランケンに出会って、博打を勝負としてやっていきたいと思い、実際そうなっていったんだけど、やはり純粋に勝負に徹しきれない(もしくはそれを今迄避けてきたが故その苦痛に耐えられるかが不安な)自分がいて、純粋なフランケンを見ているとそういう自分の汚れた面を直視しなくてはならなくなった。それで「おまえがきらいだ」と言う。それは本心ではあるけど本心ではない。多分竹井が嫌いなのは、フランケンを見てその純粋さに嫉妬している自分だと思うんですね。
で、そうやっていろいろあった竹井が、最後、2sをポンしなかったところがよかったな…。竹井があそこでポンしていれば麻雀での勝ちは確定。しかし、ポンしなければ勝負はどっちに転ぶかわからない。むしろフランケンがツモることを信じて、ハイテイを回してあげているように思える。
竹井はなんだかんだ言って、あらゆる登場人物の中で一番、希望や奇跡の存在を信じていて、夢見ていて、ロマンチックな人なんですね…。麻雀の勝ち負けと勝負の勝ち負けは関係がなく、最終的に長期的に見て金を得られる者が賢明である、ということがわかっていたとしても、それでもまだ夢を見たいと思っているところが。フランケン自身はそうではない。ある意味竹井よりもシビア。それは本心から勝負に徹しているから。



竹井と田村の関係もおもしろいです。田村は若い男の子っぽくて好き*2。ここで今迄に読んできた漫画にはあまりいないタイプでしょうか…。自分の中の「竹井をぎゃふんと言わせたい」*3という感情にバカ正直で、本当によいと思います*4。それにしても田村は本当にこけしみたいな顔してますね。トラ柄のタンクトップを着てきたときは死ぬほどおもしろかった。



ほかにもワニ蔵や江藤もいいですね。大好きです。この漫画はとてもいい意味でのキャラマンガだと思います。千夏は話の要点にいるわりに、この漫画の核心自体にはあまり関わっていませんね。



まーそれにつけても絵がアレですが。



というわけでいろいろと曲解しているような気がしますが、以上、私の『根こそぎフランケン』への感想です。竹井を褒めちぎってみました。2〜3巻を先に読んでから通しで読んだので、かなり歪んだ読み方になっていると思います。
まあ、私は博打は一切やらないんで、結局のところ、この漫画の真髄はわかんないですけどね。

*1:というか、はじめは何故か2〜3巻だけ持っていて、それだけを一生懸命読んでいたので、印象に強く残っているというのもありますが…

*2:というかあんなにマイナス方向に一途な若い子はいやだが

*3:若い子はぎゃふんとは言わないか…

*4:田村をカワイイと思えるかどうかは、自分の年令があがってきた事もあると思う…。とは言っても私と田村は同世代っぽいが。