片山まさゆき漫画に登場するキャラクターのファッションの変遷と、現実のファッションのムーブメント(あるいは若者文化*1)について書こうと思っていたのですが、その前に。
『打姫オバカミーコ』はオシャレ漫画でしょうか。
ミーコは女流プロの世界を舞台にしているため、多くの女性キャラクターが登場します。当然、みんなカワイイ格好をしています。それを意識して描かれていることは明確です。
しかし、ミーコが果たして本当にオシャレかと言うと、私はそれには即答することはできません。確かに若い女性に流行のファッションが多数登場しますが、自分はあれをそんなにオシャレだとは思えないからです。
あそこに描かれているファッションは…極端に言っちゃえば、ファッション誌そのまま、ディスプレイそのままを買えば(描けば)いいだけなファッションだから。
そもそもそれがよいとか悪いとか言う以前に、記号程度に恭子やれいらが他と少し違うくらいで、キャラクターによる服装の趣向に違いが感じられないということもあります。そもそもミーコ自身ですらファッションに統一性がないし。女性のファッションとしてリアリティがありません。だからあんまりオシャレだとは感じられないのかな。まあ、現実でカワイイ服と、絵に描いてカワイイ服は違う、ということが一番大きいんでしょうけれど…。
…って、自分はファッション誌は『high fashion』などの実生活と無縁なものしか買わないのでよくわかりませんが…。単純に自分や自分の周囲の人間がミーコに出てくるようなファッションとは趣向が違うという環境にもよります。*2
ミーコをオシャレだと言う事ができるとしたら、それは、「おじさん世代の漫画家ががんばって若い女の子のファッションを調べて描いている」という片チンの涙ぐましい努力に対する評価です。つまり、オシャレなのはミーコたちなのではなく、がんばっている片チンなのです。それにそもそもこれ麻雀漫画だし、リスキーエッジに比べたら全然オッケーだし。
しかし、『ノーマーク爆牌党』は漫画それ自体がオシャレだと即答できます。
あれはオシャレなライフスタイルを提唱しているタイプのオシャレ漫画なのです。ミーコが『CanCam』だとしたら、ノー爆は『ku:nel』『Arne』みたいなもんなのです。
あれこそ真のオシャレです。
私は学生のとき、友人の家で朝食に残飯にしか見えない雑炊(友人曰く「リゾット」)を出されたことはあれどクラムチャウダーを出されたことはありませんし、ベランダに白骨化した鳥を放置していた(剥製にしたかったらしい)友人はいても部屋に手入れの行き届いた観葉植物を置いていた友人はいませんでした。
これらがなぜオシャレだと言えるかというと、「心の余裕」が存在しているからです。朝食にわざわざ手間をかけてクラムチャウダーを作る必要はありませんし、部屋に幾つも観葉植物など置いた日にゃー手入れがメチャクチャ大変です*3。心に余裕を持たないとこんなことはできません。そういうことができる心、それ自体がオシャレなのです。
そういうわけで、ノー爆に学ぶ「この点を押さえればあなたもオシャレに見える(かもしれない)ポイント」*4
- やたらつるむ。
- 朝食にクラムチャウダーを出す。
- 部屋に観葉植物を置く。
- たいしておもしろくなさげな映画をわざわざ見に行く。
- やたら喫茶店などにたまる。
- たそがれるために海を見に行く。
- マスターがカッパ。
ところで、先日、若い女の子に、「麻雀ってオシャレですよね。」と言われて本当に驚きました。