TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 あぶれもん

来賀友志+嶺岸信明 竹書房

  • 「別冊近代麻雀」1985年11月号〜1989年1月号連載
  • 全5巻(新装版全4巻)

麻雀漫画の名作にして金字塔*1
ずっと以前、知人に「おもしろい」と紹介して頂いたのですが、当時の私が掴んできたのは『天牌』でした(おしい)。長らくその存在を忘れていたのですが、最近になってまた別の方にお勧めを頂き、興味を持ちまして購入、地味に古本屋で探し続け、本日やっと全巻揃いました。まさに金字塔という謳い文句に違わぬ名作!


┃あらすじ
横浜にほど近い弘明寺という小さな町には、日本を代表するとまで言われるふたつの麻雀荘があった。ふたつの雀荘…「善元」には轟健三、「かり田」には新堂啓一という強力な打ち手がいた。「かり田」の啓一は、麻雀を愛し麻雀で生きたいと願う純粋な少年だったが、あるとき観音橋で「善元」の健三を見かけ、彼を意識しはじめる。後日、裏世界の元締・甲斐が両雀荘の対決の場を立てたことにより、啓一は健三と卓上で出会い、その運命を自らの意志で大きく変えてゆくこととなる。


まずひとこと感想を申し上げますと、ものすごくロマンチック。
劇画調の絵ヅラといい話といい麻雀というモチーフといい、ロマンチック要素が皆無なはずなのに、とてもロマンチックな展開の作品でした。理論的でありながら理詰めではない狂気と夢とロマンがあります。
特に、純粋だった啓一が健三の影響を受けてどんどん鬼畜になってゆくのがよいです。少年の成長物語(ビルドゥングスロマン)というと、いろいろな経験を経て人格者に育つような内容が連想されますが、啓一は完全に修羅に育っています。どこに出しても恥ずかしくない立派な鬼畜です。
はじめは啓一と健三さんは対称的な者同士のように感じましたが、啓一が麻雀打ちとして成長してゆくにつれ、根っこの性格は違えど、勝負に対する姿勢が同じになっていきますよね。根っこの性格とは違うところに存在する、啓一の狂気がいいですね。




以前に少し、東浩紀の著書をもとに漫画における「想像界」「象徴界」「現実界*2について書きましたが、『あぶれもん』はこの3つの構造がかなりはっきりと出ている漫画です。「象徴界」の意義のウェイトがとても高い。麻雀や強力な打ち手の介在によって少年はいままで知らなかった世界を知り、自己と社会(の関係)を認識することで、超越した世界へ到達する。『あぶれもん』の場合だと、「かり田」で勉強のように麻雀を打っていた啓一が、健三さんや凄腕の打ち手たちと出会い、その人と麻雀で渡り合う事によって社会を知り、(来賀的)神の領域へ到達する。これはおそらく原作者(来賀氏)の中のセオリーなのでしょうね…。全39話とコンパクトな長さなので、それがはっきり全面に出ているのではないかと感じました。



麻雀の場面としては、リーチで桜島がドッカーンでイッパツツモ!など、かなりアツい展開もおもしろかったです。いい男は麻雀も強いっていうセオリーも最高。健三さんに惚れます。日本全国を巡る旅打ちもさることながら、弘明寺での土砂降りの中の最終決戦が燃えました。少年が青年になってゆく展開というわけで、少年漫画的アツさと青年漫画的渋さ・格好良さを合わせ持つ漫画で単純におもしろい!、男の子っぽい漫画です。英才教育に使えますねこりゃ。


ひとつだけ「う〜ん」と思うことを挙げるとすれば、「ヒゲオヤジの顔の区別が全くつかねえ」ということです。そんな入星さんと津神さんの見分けもつかない私でございました。




それにしても、漫画好きの方でも、麻雀漫画はあまり読まないものなのですか?
純粋に、漫画として、かなりおもしろいと思うのですが。

落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。


現実のクリスマス

*1:2002年に出た新装版の帯に「これぞ麻雀漫画の再高峰!不滅の金字塔!」と書いてある

*2:ここでのこれらの言葉は、ラカンの定義に従うのではなく、想像界=自分の等身大の世界、象徴界=社会、現実界=自分自身を越えることで到達する(すべき)世界という意味で便宜上使っています。私は専門家ではないのでこれらの言葉について解説することはできません。このテキストの二次使用や引用を行った際の弊害には責任を負いかねます。