TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 麻雀の未来 明るく?

いろいろな方、いろいろなことに対して今さらな話題で大変申し訳ないのですが…今年の5月5日に発行された、麻雀サークルS&Cの同人誌『麻雀の未来』を読みました。

『麻雀の未来』は、麻雀ブログの最高峰・izumick氏を中心に、麻雀界の著名人の方が執筆者一覧に並んだ本で、発刊された当時は話題騒然だったため、御存じの方・或いはお求めになった方も多いかと思います。かく言う私は買ってなかったんですけど…、このほど編集役の方からこの本を頂きまして、やっと読めました。ありがとうございます。

拝見してまず思ったのは、この同人誌は大変意義のあるものである、ということです。
私はデザインを学ぶ学生だったころ、教授にいつも「デザイナーは社会に貢献するものを作らなくてはならない。社会的に意義のあるものでなければどれだけ美しいものであろうとも価値はない。」と厳しく言われてきました。大学は学問の場であり、学問としてデザインをやる以上、自己満足的なものは一切許されず、常に「誰の為に・何の為に・何を・どうしたいのか・そしてそれは社会に対しどういう価値があるのか」を意識していなければなりませんでした。しかしそれを満たすことは大変難しく、安易な逃げに走る人も多かったし、卒業制作の時期は私もその辛さにいつも涙目になっていました。しかし、これはデザイン学生やデザイナーに限ったことではなく、ものを作る人間にとっては最も重要なことであると私は考えています。例えそれが叶えられない境遇におかれても、絶対に忘れてはいけないことです。デザインというとどうしても上辺だけのことだと思われてしまいますが、少なくとも私はうわべだけのものには一切価値を認めません。
『麻雀の未来』を読んで、久しぶりにそのことを思い出しました。
正直な話、麻雀の未来は決して明るいものではないと思います。そもそも明るいとか暗いとかが議論されるところまでいっていないでしょう。そこに問題提起を置いていること自体、大変な価値があります。また、麻雀は、多くのマニアック学問がそうであるのと同様に、知識を持っている人はたくさんいるが、それを他者にわかりやすく伝えることができる人は少ない、という状況にあると思います。知識自体に価値はなく、それがより多くの人に共有される知識となることにこそ価値があるのではないでしょうか。マニアックであるからこそ、もっと、他者に伝えるということを重視しなければならない。殊に「文化」の部類に入る学問は須くそうであるべきです。


私、麻雀界のこと全くわからんのに随分とえらそうなことを書きまくりました。すいません。麻雀界のみなさん。でも、私の周囲には、麻雀のルールが分かる人、やったことがある人、麻雀のプロが存在することを知る人はほとんどいません。そしてその人たちが麻雀に興味を持つことはないでしょう。これが私の周囲の圧倒的現実です。でも、少しでも興味を持った人がより一層麻雀に興味を持ってくれる足掛かりになるものを作ることは、それがどんな些細なことであっても、理想論でしかなくても、麻雀の未来にはとても価値のあることだと思います。


とか言うと、麻雀界に圧倒的に貢献しているのは福本伸行だよなぁ…と思います…。うん…。
(↑※ふろく?に頂いた、福地誠さんとizumickさんの麻雀漫画対談小冊子を読んだ上であえて書いています。)


あまりの『麻雀の未来』のアツさにアテられて長々と自分の考えを書いてしまったので、中身についての感想はまた明日以降に書きたいと思います。



とりあえず今日は『天牌・外伝』をやっと買ってきました。この漫画、別ゴラでも断片的に読んでいるので、話の順序が頭の中でメチャクチャになっています。