TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 追悼赤木しげる 第2夜 弥勒

問:情痴とは何か?
答:色情に狂って理性を失うこと。(広辞苑


それでは「情痴小説」とは何か。
北上次郎・著『情痴小説の研究』*1によると、情痴小説の主人公=ダメ男は以下のような傾向を持つとされている。

  1. 主体性に欠ける。
  2. 優柔不断である。
  3. 反省癖がある。
  4. 自己弁護がうまい。
  5. 何ごとにも熱中しない。

以上の傾向がある男性はダメ男の素質があるか、或いはダメ男である。情痴小説とは本来、以上のような傾向を持つダメ男が、(多くの場合)色恋沙汰にぐだぐだうじうじなよなよしている様を描いた私小説を指し、代表的なものには、徳田秋声『仮装人物』、田山花袋『蒲団』、高見順生命の樹』、吉行淳之介『暗室』がある。


さきに挙げた傾向が満貫以上ある情痴なる男は、福本伸行作品にもよく出現する。最も有名なところでは地獄チンチロ時代のカイジを挙げることができるが、この傾向が最も顕著に現れている人物は『天』の最終エピソードにあたる通夜編でのひろゆきである。
1巻登場当初、理知的で純粋で常識的ないい子として登場したひろゆきだが、16巻時点では誰もが認めるダメ男となっている。というかむしろ情痴な男ってのは井川さんのためにある言葉?と思ってしまうほどだ。その近年(?)稀に見る見事なまでのダメっぷりは多くの読者の共感と涙を誘った。そしてそんなダメ男を救ってくれるのは、土地神が今来の神を勧請しその神を主神として社を譲る神社の縁起のごとく、いつの間にか主人公になっていた男、赤木しげるである。赤木は56億7千万年経ってもいないのに現世にダメ男を救いに現われた弥勒菩薩のようなものである。どんなゴミカスだろうが「何でもいいから言ってみ…!」と言って苦しみ・悲しみから救ってくれる、まさに凡夫どもの菩薩(原田は見捨てられたが)。月下の棋士でいうところの 「わしの菩薩じゃ〜〜〜」大和天空・談 である。(?)


かくして、『天』は、情痴なる男が情痴たることを止めることでその幕を閉じた。なんで通夜編は麻雀やってねーんだよという疑問も「これはひろゆきを主人公とした情痴小説なのです。純文学なんです。」と思えば湧いてこないはずである。
ただ、最終話でのひろゆきの台詞、「気が付くといつも赤木さんのことを考えている」は情痴うんぬんでは済まされない、あんたどうしちゃったの的境地に到達している気もするが…、そのへんは井川さんの私小説だからいいのである。通夜編をひろゆき視点で小説にしていたら、福本伸行文学賞を取れていたと思う。私は。すごく「…」(三点リーダ)が多い小説になりそうだけど。

*1:ちくま文庫に収録