TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 追悼・赤木しげる*1 第一夜 マリンカリンいつまでも?

「スクリーンの妖精」とも呼ばれる女優・オードリー・ヘプバーンは、違う時代を生きる我々を今も魅了するほどに、なぜあんなにも美しく可憐なのだろうか?
彼女自身の美しさもさることながら、それには物語装置としての「オードリー・ヘプバーン効果」が働いているからであると考えられている。
オードリー・ヘプバーン効果」とは、映画評論家M氏*1により提唱された概念で、「おっさんばっかのむさくるしい群れのなかに、若い子が混じると妖精が降臨したかのように見える」という効果を持つ映画の演出法である。全体を華やかにするのではなく、ごく一部分のみに華やかなものを配置することで周囲との差異を際立たせて「引き算」的に物語構図を盛り上げる高度な演出技法であり、オードリー・ヘプバーンが出演する多くの映画の中でこの効果が確認されていることから「オードリー・ヘプバーン効果」と名付けられている。


さて、ここで思い出されるのは、近代麻雀のハシラに掲載されているコミックス案内の『アカギ』のキャッチコピーである。

『アカギ〜闇に降り立った天才〜』
赤木、13歳。麻雀を知らない少年がその天才性で大人たちを翻弄してゆく!!

福本伸行の『アカギ〜闇に降り立った天才〜』の構図は、オードリー・ヘプバーンが出演している映画と酷似している。むさくるしいおっさんだらけの雀荘に突如現われ、その自由奔放な振る舞いで周囲を翻弄しながらも魅了してゆく年若い少年。オードリー・ヘプバーンはその多くの出演作品において、「やんちゃ」「美しい」「可憐」「上品」「気品がある」「優雅」「おてんば」と形容されている。13歳アカギはこれらの点をなんとな〜く押さえており、正直あれで13歳は詐欺、福本の絵がヤバすぎてそれどころではない、ていうか福本はどうしてあんなに赤木が好きなのか、おまえはおとうさんか…等の困難を乗り越え、「オードリー・ヘプバーン効果」により「赤木しげる」という登場人物は非常に華やかなキャラクター性を獲得した。全体的に登場人物が個性的で華やかな片山まさゆき作品とは対極に位置する登場人物造形である。


他誌で連載している麻雀漫画『天牌』を含め、現在の一般的な漫画では片山まさゆき的な「様々な個性を持った登場人物が物語を彩る」形式のキャラクター造形が多い。どちらかというと主人公と脇役が等価に並ぶ構図である。『アカギ』から好きな登場人物をひとり選べと言われたら鷲巣様とどっちにしようかなとちょっと迷いながらも「赤木」と答えられる自信があるが、『天牌』からひとり好きな登場人物を選べと言われたらイケメンが多すぎてものすごく困る、というヤツである。※例外的に『ミリオンシャンテンさだめだ』では主人公が一番地味なことで「逆・オードリー・ヘプバーン効果」となり、主人公としての個性を獲得している。
しかし近代麻雀は明らかに成人?男性向けな雑誌でありながら、なぜかスーパーイケメンがワラワラ出てくるイメージがある。これは「オードリー・ヘプバーン効果」は『むこうぶち』や『哭きの竜』にも見られることからであると考えられている。特に『むこうぶち』の場合は傀を「わしのアイドル」「美しく残酷な悪漢」とはっきりと書いていることから、福本のような天然ではなく、明らかにこの演出を意図していることが伺える。加えて、以上のような「オードリー・ヘプバーン効果」は一概に近代麻雀においては「魔と華を合わせ持つ」と形容される人物に適用されることが多く、少々ミステリアスさを加えることによって効果を増長させる傾向があるようだ。また、当然麻雀は強くなくてはならない。以上のような傾向を持つ登場人物で「オードリー・ヘプバーン効果」が見られない例は『ノーマーク爆牌党』の爆岡弾十郎である。ノー爆においては爆岡のみに注目が集まるような「オードリー・ヘプバーン効果」が適用されないことで、逆に爆岡のキャラクター性が確立しているとも言える。


「オードリーヘプバーン効果」によって、『アカギ』及び近代麻雀は、女性向けコミック誌を一撃死させるほどの破壊力を持ったコミック誌となった。さきほど福本は天然と書いたが、福本伸行自身がインタビューで「赤木は森の奥の泉の精霊」と、ちょ…ちょっとおじちゃん何言ってるの的な発言をしていることから、福本氏はある意味意図的に「オードリー・ヘプバーン効果」を使っているのかもしれない。ド天然で。なんにせよ、我々と福本氏の中で赤木が永遠のオードリー・ヘプバーン的存在なのは間違いない。

*1:私の映画史の先生。少しどうかしている。