TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 『天国と地獄』

阿佐田哲也 角川文庫『雀鬼くずれ』に収録
麻雀放浪記』で有名な阿佐田哲也の短編。我らが兄ちゃんドサ健が主人公の麻雀小説。


「女衒の達」が経営していた上野の広小路裏のギャングバーで横暴を働いた「のっぽ」。達はその報復のため、「ドサ健」を誘い、寺の息子であるのっぽと高レートの麻雀勝負に挑む。その会場はのっぽの父が住職を務める寺。千点五千円の半荘キャッシュ即払い、負ければ地獄、勝てば天国の麻雀が開局する。のっぽは寺男「兼さん」をオヒキに使い首尾よくあがっていたが、兼さんを手酷く扱った為、兼さんはオヒキをやめて自分の意志で打ち始めてしまう。やがて場は進みオーラス、親はドサ健。トップの達とのっぽの2人リーチ、ドサ健はドラ暗刻抱えのダマテン。兼さんはのっぽのアガリ牌を暗刻で持っていたが、ツモリ四暗刻の手を崩してまで振ることはしない。のっぽと達は同テンで待つ。のっぽはもうツモるしかない。しかしのっぽが掴んだのはドサ健の高目・満貫のアタリ牌。勝負はドサ健の逆転勝ちに終わった。ドサ健は精算を迫るが、のっぽは今は現金がないと言う。ドサ健は現金の代わりに現物…墓で払うことをのっぽに要求する。真夜中の墓場、ドサ健はつるはしで墓を打ち壊しながら言う。
「でけえ面ぁしやがって、手前等ァ、どんないいことしたってえんだ、どういうわけで、のうのうと、こんなところで眠ってやァがるんだ―」
「俺のお袋なんぞはな―俺のお袋は、何千の人間とごっちゃになって、たったひとつの慰霊塔よ!」
「その慰霊塔の中にだって居ねえんだ。空襲で消えたっきり、骨も皮も残らねえ。さァこん畜生、手前等もおんなじようにしてやるぞ。天国か地獄かしらねえが、そんなところでおちついているない!」
その後の裏風もドサ健らが勝ち続け…、のっぽの地獄の夜は更けてゆく…


阿佐田哲也の麻雀小説のなかでも大好きな作品です。『天国と地獄』。
麻雀放浪記』を読んだときは、感情を上下させないイメージがあったドサ健ですが、この短編の中盤、墓を打ち壊すシーンでは感情を昂らせます。この作品でも出だしの時点では、阿佐田作品全体に漂うけだるさ・やるせなさ・しがなさといった、だんだんと目が霞んでいって、貧血を起こす直前の感覚がずっと続くようなイメージがあるのですが、墓のシーンは一転してものすごく強い意志のようなものを感じます。かぎりなく薄い半紙のような白っぽい視界に、いきなり、鮮やかなまでに真っ黒な墨汁をこぼすような感覚です。ドサ健が自分の身の上を話したことは本編では一度もなかったように思うので、墓を打ち壊しながら母親のことを語るシーンは、ものすごく鮮烈でした。そして、ラストの締め方もすごく好きです。


個人的に、これの漫画化をぜひ原恵一郎先生にやってほしいです!
ちょっといろいろどうかしちゃってるけど、原先生は阿佐田作品のけだるさ・やるせなさ・しがなさを描ききることができる唯一の漫画家ですから!どれだけ苛烈な勝負の世界を描いていたとしても、けだるさ・やるせなさ・しがなさ、諦め感が常に漂っている感じがするのが、阿佐田小説と原先生の漫画で好きなところです。


しかし、この作品は嶺岸信明さんが既に『哲也十番勝負』で漫画化されています。これはある方から薦められて購入したのですが、嶺岸版阿佐田世界もなかなかステキでした。なにしろ嶺岸先生の描くドサ健はスーパーCOOLなイケメンです。嶺岸先生の絵にある色っぽさが、とてもいい方向に出ていると思います。それなのに原先生のドサ健は、なんでああもバタ臭いことになったんでしょうかね…。いや…変なアロハシャツを着ているあたり、ある意味原作に忠実なんですが…あの前葉体みたいなふたこぶアフロが濃過ぎて……。でも、達さんは原先生の描く達さんのほうがカッコイイです。嶺岸版の達さんはまゆげなくてこわすぎです。