TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 牌賊!オカルティ

片山まさゆき 竹書房
近代麻雀 2000.5〜2004.4連載
全7巻+ファンブック『勝盛!!オカルト麻雀の逆襲』全1巻

麻雀界でデジタル打法が流行しはじめた頃に始まった競技麻雀漫画。いや時期はどうかわからんけど。デジタル打法とオカルト打法の闘いを描く不思議な作品。


┃あらすじ
若手プロ・朧夏月はデジタル派若手プロの研究会・デジタルクルーズに所属していたが、牌効率最重要視のその打ち方に、内心馴染めないでいた。そんなある日、夏月はギャル雀で「オカルトシステム発動!」と叫びながらプルプルと前髪を回し(本当に回る)、謎のジンクスをもとに勝ちまくる謎の男・群鴎*1刈人に出会う。彼はオカルトシステムと呼ばれるオカルティックな打法で手を進めるオカルティな男だった。夏月は実はプロだった群鴎とその後日も関わりを持つことになる。やがて夏月はAリーグに昇格し、タイトル戦などにも出場するようになり、夏月と立ち場の似ている若手プロ・岬や、和了までの最速手を作ることが出来るスピードキング・些渡ら、様々な打ち筋の雀士と出会い、夏月はだんだんと自己を確立させてゆく…



デジタルとオカルトの対立という構図がおもしろい漫画です。
ここでは、オカルティワールドでいう、聴牌確率・和了確率を最重要視して手作りを進める打法を「デジタル」と呼び、独自の理論・経験則で手作りを進める打法を「オカルト」と呼ぶことにします。オカルティでは、主人公・刈人が「オカルトシステム」と呼ばれる100コのオカルティックセオリーを実践してゆくことが裏テーマになっています。
『オカルティ』は、麻雀のゲーム的魅力を最大に引き出す、ロジック性「デジタル」とギャンブル性「オカルト」というキーワードを使い、麻雀というゲームの本質的おもしろさを魅せてくれる漫画です。将棋や囲碁とは違い、麻雀はランダム性が高く、ロジックの支配しない部分が大きいという点が麻雀の文化的評価が低い理由*2にもなっているのでしょうが、その偶発性は麻雀の最大の魅力でもあります。どんなに完全に打っても死ぬときは死するが麻雀!毎局ドキドキです。天和か地和引かないかナ〜♪と。
この漫画ではそのロジックとオカルトのバランス感覚が絶妙です。普通の人は完全デジタルでも完全オカルトでもなく、その両者が混じりあった考えで打っていると思いますが、この視点から見ると、主人公・夏月がその両者の間で揺れ動いている『オカルティ』はすごく身近に感じられておもしろい!んです。他の麻雀漫画で、「デジタルを信じるのか、オカルトを信じるのか、それとも自身で道を切り開くのか」という点に着目して描いているものは見かけないので、切り口がすごく新鮮な漫画だなーと感じます。というか、片山まさゆきの漫画以外ではあんまり見かけませんよね…「こういう状況になっちゃったけど、さあどう打つ?」というシチュエーションがメインの麻雀漫画。それを考えるのが実戦のいちばんおもしろいところのはずなのに、なぜかそれが欠落している漫画が多いです。地味だから…?


同じ片山まさゆきの『ノーマーク爆牌党』に比べ、オカルティは格段に読みやすいです。というのも、そもそもオカルティは、話がはじまった時点から各個人にかなりハッキリとした打ち筋があり(この打ち筋自体が話の根幹)、それを自分で解説しながら打っているので、ノー爆のように、
八崎「ここはこうだ!」
読者「何がどうして!?」
となりにくいです。梨積や刈人はもちろんそれぞれの中にあるセオリーを遵守して打っているし、そうでなくとも解説係(些渡さんとか無頼堂)が解説してくれるシーンも多いので、あんまり考えこまなくても読めるのがいいですね。特にスネークアイズカップでは些渡さんが「セオリーでは打○○だが●●プロはこう考えたのでこう打ちました」という解説をしてくるので、ノー爆のように「ツモり四暗刻に取る意味がわからん」とか「なんでそこでそう回す」とか本気で悩みはじめなくてすみます。
しかしこの漫画、すっごく純チャン三色が出るような気がするんですが…気のせいでしょうか。また、オカルティルールでは一発ウラドラあり(オープン戦では赤入り)の一般的なルールを採用しているほか、歳が若い登場人物が多く、タイトル戦も若手中心で進んでゆくので、今迄より格段にナウでヤングな印象が強いです。


『牌賊!オカルティ』で残念に思うことは、登場人物が全体的にキャラが薄いことです。ちょっとアッサリしすぎな気がします。ノー爆やドトッパーやさだめだにあったスウィートさがなかったのも残念。正直螺子ちゃんがいる必要はあったのか、最後のAリーグ決勝に百舌さんがいたのが意味不明などの点も、細かいところだけどスウィート的には大きなところゆえ、残念感がつのります。
また、『ノーマーク爆牌党』『理想雀士ドトッパー』と競技プロはどうあるべきかという話が続いた後の作品でしたが、オカルティではプロとは何か?からは少し離れ、『ドトッパー』でも後半に触れられていた、「自分はどう打つのか?」「自分の打ち筋を信じることができるか?」というテーマのウェイトが改めて高いようです。これはデジタルとかオカルトとかいった打ち方自体とは関係なく、片チン漫画の「麻雀が強い人」の必須条件でしょう。普通に考えれば、デジタル打法でタイトルを取る梨積や、オカルト打法で400連勝する刈人を見ていたら、どちらかの打法のまねをしてしまいそうです。で、実際に(オカルティワールドでは)その打ち方がはやっている。しかし、夏月も無頼堂も岬もそれをしないのがすごい。逆に、梨積や刈人を見ていることによって、だんだんと皆、自分の打ち方になっていっている。このあたりはすごいいい話だと思います。夏月は当初ちょっと引くほどおかしい子だったのにしっかりした子になりましたもんね… ひろゆきはやさぐれサラリーマンになったのに…

ところで、私は、岬は実は強いんじゃないのかと思っているんですが…。なんだかんだでタイトル決勝には残ってくるし、Aリーグだし。些渡さんの弟子だったころから、スネークアイズカップ、ひいては最後のシャインリバーAリーグに至るまでに、夏月以上にメンタル面が成長してる気がします。最後にはデジタルクルーズにつくけど、身は売っても心は売らないところがいい。


それでは最後に私のお気に入りオカルトシステム!

No.01 対戦相手にリスペクト!
No.27 相手にもたれかかって打つ!
No.33 ツイてない親を見たら親っかぶりリーチ!
No.58 チャンス手の目の前で他の手に差し込まれたら終わり!
No.98 会場まわりの神社仏閣を押さえろ!


システムは存在する…

*1:漢字が変換で出ないのでこれで赦して下さい。本当は森鴎外の正しい字のほうの「おう」です

*2:麻雀自体の研究をしている人はともかく、大室幹雄氏や中野美代子氏といった中国文化の研究書を多数記している研究者でさえ麻雀の文化的価値に触れてくれている人はあまりいない。囲碁に触れた著書は多いのに。麻雀に文化的価値などないっ…!と言われたらそれで終わりだが。ただ、大室幹雄氏は著書で「麻雀は天地創造を模した遊戯です」とかほんのちょっとだけ書いてくれていた気がする。雀卓が四角いのは天円地方の延長線上であると、確かそういう話だった。天円地方というのは、古代中国の宇宙論で、天はまるく大地は四角いという世界観のこと。つまり、雀卓上で小さな世界がうまれたり(配牌)なくなったり(和了や流局)しているということなのか?東南西北の座順が実際の方角と異なるのも、地上(雀卓)から天(それを司る者)を見上げたときの方角(星座盤と同じかきかた)になるからなのだろうか。ところで、中国からの輸入書籍の麻雀教本は密かにおもしろいです。