TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ノーマーク爆牌党

片山まさゆき 竹書房
近代麻雀オリジナル1989年2月号〜1997年4月号連載
全9巻

┃あらすじ
鉄壁保と当大介、九連宝燈美は雀荘「どら道楽」にたまっている仲良し三人組。ある日、いつものように常連客と麻雀を楽しんでいた三人の前に、ギザギザ頭のエライ態度の大きい男が現われた! ギザギザは大介をツキだけけのお調子もん、鉄壁を腰抜けと言い切る。腹を立てた大介はギザギザに勝負を申し込む。東1局早々鉄壁がギザギザから倍満をあがり、勝負は決まったものかと思われた東2局。大介の中・發フーロに白を掴んだ鉄壁は慎重にオリを決める。しかしトビ寸前のギザギザはそこに白を切ってリーチをかけた! ホンイツ小三元確定の三面待ちを維持するため白を鳴けない大介。暴牌だと言う大介に、ギザギザはこれは「爆牌」だと教える。大介は次巡鉄壁の切った白を鳴き、大三元をツモる。つまり、大三元は鉄壁のパオ! その後ギザギザは大介と鉄壁を圧倒し、ふたりは大敗を喫する。どら道楽を後にしようとするギザギザに鉄壁が尋ねる。「あんた名前はっ」「爆岡弾十郎」………「爆牌」とはなにか、麻雀に流れはあるのか、プロとは何か、努力家は天才を凌駕することはできるのか……!? この日から、鉄壁の爆岡への長い挑戦が始まる。




前回ご紹介の『理想雀士ドトッパー』に続き、片山まさゆきの麻雀漫画。
2副露でテンパイ濃厚、ってことで、麻雀漫画の金字塔にして永遠の名作、ノーマーク爆牌党をご紹介致します。



ノーマーク爆牌党』は、かつて近代麻雀オリジナルに連載されていた超本格派の麻雀漫画です。爆牌という不思議な打ち筋によってプロ麻雀界の頂点に上り詰めた男・爆岡弾十郎。彼を撃ち破ろうと努力する守備重視派のプロ・鉄壁守の因縁の物語。この二人に加え、ふたりの友人でラッキーボーイの当大介、鉄壁くんの彼女?にしてテンパネの点数計算を得意とする九蓮宝燈美、超アグレッシブな高目指向の八崎真悟、ツモの流れを重視し、自分のスタイルを守り通す茶柱立樹など、個性的なキャラクターが多数登場します。



話のメインは競技麻雀のプロリーグでのタイトル戦での闘いです。『牌賊!オカルティ』や『ミリオンシャンテンさだめだ!!』での競技ルールでは認められている裏ドラ・一発などの偶発性の強い役は一切なし、ノーテン罰符もなし、親のアガリ以外流局しても連荘なしというかなり厳しい競技ルールで打っており、確か喰いタンも認めていなかったと思います。
このようなセオリー超重視&ダマテン&降り姿勢が多くなるルールの中で爆岡は「爆牌」という場を読み切ったような打法で次次とタイトルをものにしていくのですが、この爆牌の秘密を鉄壁くんが解いていくことが物語の主軸となっています。
一方、登場人物はほぼ全員が純粋な競技麻雀のプロリーグの選手なのですが、その中で「プロとは何か」というテーマも描かれていきます。
特にいいのが岩田プロ(ちょう脇役)が終盤、ダンラスであったにも関わらずベタオリしなかった時に言った一言。
「観客が白熱する勝負を演出するのもプロ」
『牌賊!オカルティ』でも、トップ目だったら安くてもいいからはやあがりでバンバン場を流していけばいい、しかしそんな闘牌を見て、誰が面白いって言うのか?っていうエピソードがありましたが、プロは常勝するのは当然、いかに一般人を惹き付ける麻雀を打てるかが勝負どころ、といったところでしょうか。その点、ミステリアスな爆牌使いの爆岡はまさにプロの鑑と言えるでしょう。
しかし、ここで忘れちゃいけないのが八崎真悟。攻撃派かつ手役重視派の俺様最高な性格で、オーラストップ目だろうがリーチします。てか、八崎さん、不要ですその高目とつっこみたくなること多々。そして一言、
「リードってのは守るもんじゃない、広げるものだ。」
そしてツモの流れと面前手を重視し、どんな相手を前にしたときも揺るぎない闘牌を続ける茶柱立樹。彼はオリ際の判断力が高く、降りているような降りていないような…的打ち方は一切しません。もしかして通るかも、ではなく、確実に通る牌(現物や同順牌など)を面子中抜きしてでも打ちます。
「麻雀にまあいいかなんていう牌はない」
当たり前のことですが、意外と適当に打っちゃってる自分を反省します。チャバを見るたびに。チャバは私に多面張の重要性&有用性も教えてくれたし。



で、この漫画の面白いところですが、先に述べたように、競技麻雀を主題としているところにあると思います。つまり完全ノーレート、名誉とプライドだけを賭け、超厳しいルールで打っている為、闘牌シーンのレベルが非常に高い。私は鉄壁くんが八崎さんを下す回を電車の中で読んでいて、降車駅乗り過ごしましたし。また、手役進行などについてほとんど解説が入らず、「うまい!」とかしか書いていないので、それがどううまいかは自分で読み取らなくてはなりません。『アカギ』や『哲也』のように、麻雀のルールがわからない人でも楽しめるような内容なのではなく、点数計算までできるような人向けです、この漫画。私は点数計算出来ないけど。4翻22符〜切り上げるんだよね〜これって〜…切り上げて30符はぁ〜…(丸暗記や暗算を諦めて点数表見て)…満貫じゃないのぉ〜とか言ってる私にはかなり高レベルな漫画です。ほとんどのコマが牌で埋め尽くされているので、麻雀のルールを把握し、麻雀を愛している人でないとかなりキッツイでしょうが、麻雀を愛している人にはたまらない漫画です。
そしてもうひとつは、鉄壁くんが爆岡を明らかに妬んでいたり、爆岡の失墜を願っている部分があること。圧倒的才能の前にかなわないっていう心情は、多くの人が味わったことがあると思います。そしてその天才を妬んでしまう。綺麗ごとだけではない、人間らしい心の葛藤がよいです。
でも、鉄壁くんは自分と爆岡以外にタイトルを取らせたくなくて、八崎さんの逆転トップ国士に差し込みしなかったんだよね…!あれはすごくかっこよかった!そして国士つっぱった八崎さんもかっこいい!
そしてもっと切ないのは爆岡。これは私の無理曲解なのですが、ストーリーが進むに連れ、爆岡の爆牌(というか他家の手牌やその進行を読み切る能力)は衰え、牌譜研究や一人麻雀やピント合わせを行わなければ爆牌が打てなくなっていきます。ポトミちゃんやそこいらの女に弱い自分を見せてこましているのは、演技ではなく本当のことで、トップを維持し続けることへの恐怖や不安、爆牌ができなくなっていくことへの喪失感で爆岡はいっぱいだったんじゃないのかと思えるのです。その反動で、わざと挑発的な態度、傲慢な態度に出てしまうのではないかと思っていました。物語が進むに連れ、爆岡はなんか目がトロンとしてきた、ちょっと神がかっちゃうのも涙を誘います(私の中で)。
なんていうか、主人公が神憑かりになる漫画やアニメ(ラーゼフォンとかも)って、個人的に見ていて痛くて、だんだん直視しづらくなっていくんですけど、ノー爆にはそれを感じませんでした。それは爆岡のミステリアスなキャラが完全に確立しているからでしょうね…。連載初期は「とっびま〜ん!」とか言ってたのに…。
※『麻雀やろうぜ!2』の爆岡は後期型ミステリアス爆岡。渋い。渋すぎる。



そして最終卓、爆岡・鉄壁・茶柱・八崎の決戦では、それぞれがゆらぐことなく自分のスタイルを貫き、この物語にも決着がつきます。



でね、私はこの漫画を初めて読んだとき、心の底から片山まさゆきってオシャレ!って思ったよ…。ファッションやライフスタイルがありえない程高レベルだったり、話がちょっとひねていたり、絵柄が今どきっぽいからその漫画がオシャレ、っていうことにはならないことを教えられました。片チン、もう、すっごくオシャレ。具体的にどこがどうオシャレかっていうのははっきり言えないけれど、片山まさゆきってやっぱりオシャレです。爆岡がポトミちゃんと映画館でデートしたとき、自分が映画館に連れていったのに、「映画面白かったか?(中略)俺様、あんま映画好きじゃないんだ。」って言って、ポトミちゃんが「うん」って言うシーンがすごく好きです。なんだかトレンディ。これをあの超単純明快な線のみで構成されたキャラでやっちゃうのがすごい…!



で、『ノーマーク爆牌党』はその名作さゆえ、名言も多数生まれています。私のお気に入りは
「世が世ならハネマン されど現世じゃニンロク止まり」
わ、わかるー!これ、高目だったらorウラドラ乗ってたら〜!という時に思わず呟いてしまいたくなる台詞です。他にもいろいろいい台詞はあるんですけど、なんでか、これがお気に入り。
しかし、ノー爆を読み返していると、無意味に泣けてくる。ノー爆は、そんなスウィートな麻雀漫画。今回だけでは語りきれないくらい、スウィート。