TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『祇園祭礼信仰記』全段のあらすじと整理

祝・初日、大阪国立文楽劇場 2019年4月公演 第二部で上演されている『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』の全段あらすじと登場モチーフの元ネタをまとめる。

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┃ 概要

宝暦7年(1757)12月、豊竹座初演。室町期を舞台に、幕府転覆を狙う大悪人・松永大膳を討たんとする小田信長・真柴久吉(此下東吉)らの活躍を描く絢爛たる時代絵巻。

人形浄瑠璃の技巧発展期の作品にふさわしく、入り組んだストーリーやどんでん返しの連続といった作劇上の技巧、舞台装置を用いる人形演出としてセリを使うなどの上演上の技巧、すべてが超絶盛り盛りで、満艦飾のデコトラ軍団が爆走しているがごときデラックスな仕上がりになっている。極彩色のペイントにランプや行燈びっかびか、正月公開の『トラック野郎』みたいなもんですよ。今回の公演では四段目切にあたる金閣寺の段〜爪先鼠の段が上演されるが、素浄瑠璃を含めると上演可能な段はそれなりにあるようで、ぜひ半通し上演を見てみたい演目でもある。

 

 

┃ 登場人物

*印は今回上演部分に登場する人物

源義輝公
室町十三代将軍。殿。アホ。

花橘の君
九条の遊女。義輝公に気に入られ御台候補となる。実は雪姫の実姉で、父を亡くした後、家のために身を売った。松永大膳が後見となっているが、大膳に騙されて義輝公を殺してしまい、自害する。

松永大膳 *
執権。幕府転覆を企む大悪人。びっくりするほどいろんな悪事を思いつく上、やることが細かく、目配りが緻密でアフターフォローも入れてくる。これだけ仕事ができればアホの将軍を差し置いてそのまま幕府の実権を握れそうだが、クーデターを起こし要塞・金閣寺へ立てこもった。雪姫に懸想し、しつこく追い回している(なんでそこだけ行動が中学生男子?)。

三好存保
修理太夫。故三好長慶と父子二代にわたる忠臣で、度々君を諌めていた父長慶は大膳に殺されたのではと疑っている。

朝倉義景
越前の城主、信長の敵。松永大膳の仲間。悪人。出番少なめのまま首がコロリ➰🍙

慶寿院 *
殿のママ、つまり十二代将軍義晴の妻。ものすごくしっかり者。長男・義輝の放埓を心配し、出家した次男・慶覚に戻ってきて欲しいと思っている。趣味は美術鑑賞。

雪姫(小雪)*
慶寿院の腰元。絵師雪舟の孫娘で、絵ウマ。花橘の実妹で、義輝公から「姫」の名を授かり「雪姫」と名乗る。狩野助を慕っており、慶寿院の計らいで直信の弟子=妻になる。わりとものをハッキリ言うタイプ。

狩野助直信 *
イケメン絵師。雪姫の恋人。父は絵師・狩野元信。ジブリ映画の少年主人公役程度しか出番がない地味なやつ。わりとまじでなんにもしない。

小田信長
義輝公の忠臣で上総の太守。名将とうたわれている。牛頭天王を篤く信仰し、参拝を欠かさない。

お園
祇園八坂神社の近くで歌占いの店を開いている娘。町娘のレベルを超えた教養と器量の持ち主。

輝若君
義輝公と先御台の間に生まれた一人っ子。まだちびっこだが、かしこい。

慶覚法師
奈良一乗院の僧侶。慶寿院の息子、義輝の弟。慶寿院や信長から足利家を立て直すため還俗を勧められるが、断り続ける。

森蘭丸
信長にいつも付き従う小姓。出番はあるけど意外と役目少なめ。40代前半くらいの人形遣いさんが配役されそうな感じ。

山口九郎次郎
八坂神社で非人を買収して芝居を打って信長へ近づき、普請奉行に取り立てられた浪人。就職した後は仕事を怠けたりしているが……?

松永鬼藤太 *
松永大膳の弟。出番は多いが特徴もやることもあんまりなく中身もないという若干残念な役。

侍従
輝若君の乳母。本名はおちゑ。父は住吉の薬屋・是斎。

柴田権六勝重
信長の家臣。絶妙に玉輝さんがやりそうな役(わかってほしいこのニュアンス)。

此下藤吉(真柴久吉)*
信長の中間。信長の命で八坂神社へ赴き、義輝公の急事を知らせた手柄で普請奉行に取り立てられる。

お菊(薗菊)
藤吉の妻。茶をガブ飲みしたり、すごいいいタイミングで茶を差し出す田舎風の女房だったが、夫の取り立てにより、園菊と名乗る御内室待遇になり……?

作兵衛
信長の城の工事現場の棟梁。出てくるだけで特に物語上の役目はない。

市介
工事現場の日雇い。山口と内通している。そのせいで出てきてすぐ死ぬ。

几帳の前
信長の妻。信長の子を懐胎しているが……?

小次兵衛
あることないことわめきまくる遠州闇金。法外の高利子で金を貸している。江戸時代は大阪ではなく静岡が闇金の本場だったのだろうか。ものすごく図々しく、そしてものすごく聡い。岸野村へやってきて、是斎への借金のカタにお露を女房にしようとしている。

持兵衛
岸野村の庄屋。いろんな人の付き添いが仕事。

十河軍平 *
松永大膳が住吉へ派遣した代官。面倒がきらいらしく、なんだか仕事を適当にやっているようだが……?

是斎
住吉で漢方の薬屋を営む老爺。返せない借金の罰に手錠をされているが……?

お露
薬屋の娘。先代主人・龍雲の子で、是斎にとっては義理の娘にあたる。都で奉公している義姉が贈ってくれた櫛をいつも頭に差している。店の下働きの新作に惚れており、小次兵衛をキモがっている。

おさじ
お露の母。薬屋の前主人・龍雲の妻。

礫の三・勘太・どすの木蔵
岸野村をうろつくどろぼう。

新作
薬屋の下働き。お露に惚れられている。親は京都の鞘師だった。

百姓
岸野村に住む勢いある百姓たち。新作に偽人参を売りつけられたり、干していた桔梗の根っこを盗まれたりして大激怒している。

川嶋忠次・石原新五・乾丹蔵 *
おつめが経営する浮世風呂の常連客の侍三人組。職場は京都市北区。おしゃれな手ぬぐいを持っている。

おつめ
都で浮世風呂を経営する太腕繁盛記なおばちゃん。下働きのイケメン・久七を婿にしようと画策している。

 

 

 


┃ 初段 発端・松永大膳の反逆

  • 義輝公の放蕩
  • 信長の祇園詣と慶覚法師
  • 浪人・山口九郎次郎の信長仕官
  • 二人の絵師、雪姫と狩野助の恋
  • 義輝公射殺、慶寿院の誘拐
  • 執権・松永大膳の反逆宣言 

 

大序 九条の廓の段

室町時代。十三代将軍・義輝公は執権・松永大膳にたぶらかされて遊興に溺れ、九条の遊女・花橘の君に入れあげていた。そしてこの正月も、大膳、越前守・朝倉義景に担ぎ上げられ遊郭で放蕩三昧、くじ引きで役を決めての庶民ごっこをしていた(金持ち独特のむかつく遊び)。そんな上機嫌の義輝公は、足利家の家宝「小袖の鎧」を大膳に授けるという。一方、故三好長慶の嫡子・存保はこのような放蕩を苦々しく思っている。その席へ、義輝公の母・慶寿院のもとへ腰元として仕えている小雪が二本の扇を届けにくる。彼女が持参した扇は昨日、義輝公の母・慶寿院の絵合せに用いられたものだった。絵師・狩野介直信によって描かれた扇の絵柄はそれぞれ「雪解けの雫が五重塔の軒を伝う図」「紫宸殿の階段のもとにある橘の花の梢が折り取られている図」。義輝公はナンジャコラという顔。しかし大膳と三好はその絵に覚えがあった。扇の絵は恋に寄せた謎解きで、前者の扇の絵は小雪への恋心、後者は花橘への及ばぬ恋心を象徴していた。大膳は(?)絵の内容はただならぬこととして、この二本の扇の注文主を糺そうとするが、小雪は扇を大膳と三好へ渡して話を終わらせる。ところで小雪は花橘の実の妹だった。花橘が妹との久々の再会を喜んでいると、義輝公は彼女を身請けして御台へ迎えようとしていることを語り、小雪にも「姫」の称号を与えるという。小雪は「雪姫」と名を改め、慶寿院のいる室町の屋敷へと帰っていった。

それと入れ替わりに、小田信長が正月の挨拶に参上する。信長は手土産に花籠を持参していた。籠を開けると、中に入っていたのは足利家の家宝「小袖の鎧」。信長は、昨日室町の御所付近で鎧櫃を背負った不審な者がいたので咎めたところ、これを捨てて逃げていったと語る。義景が盗賊を取り逃がした信長を問い詰めようとすると、信長は鎧櫃を運び込ませる。その中にはなんと盗賊の死骸が入っていた。実は信長は盗賊を捕えており、拷問をして真犯人を吐かせていたのだった。信長は明日帰国する、詳しいことは室町の御所でとだけ言い残して退出する。

 

祇園女歌占いの段

一方、ここは祇園八坂神社。鳥居前の通りに、歌占いをするお園という女が店を構えていた。客が和歌が書きつけられた短冊を引くと、お園がその読み解きをして占いをしてくれるというのだ。綺麗な文字が書けて容姿も美しく、もしや公家の落とし子じゃないかと噂されるお園の店は大繁盛。今日もたくさんの客が詰めかけていたが、その中に覆面頭巾姿の浪人がいた。お園は浪人の願いとは立身出世だろうと言い、引いた短冊の歌からそれが叶うことを答えると、浪人は礼として多額の謝礼を置いて立ち去る。それを見ていた非人たちが浪人のもとへ寄ってきて、以前の施しの礼をしようとするが、男は頼みがあると言ってさらに金を渡す。そこへ先払いが現れ、慶寿院のおなりだと言う。非人たちはうなずきあって隠れ、お園も店を片付けて去っていった。

やがて鳥居通りに慶寿院と義輝公の子息・輝若君、乳母の侍従がやって来て、下河原で一休みする。そこへ僧侶・慶覚法師が偶然来合わせる。慶覚は義輝公の弟だったが、出家して奈良の一乗院で修行していた。母子が久々の再会を喜び合っていると、信長が通りかかり、一行に挨拶する。信長は慶覚に還俗して輝若丸の後見になって欲しいと頼むが、慶覚は取り合わない。すると慶寿院が割って入り、花橘の君に溺れ政道を怠る義輝公の情けなさ、花橘の兄(後見)であることを盾に威をふるう大膳の邪を語り、共に室町へ帰って慶覚から義輝公へ諫言して欲しいと言う。幼い輝若君からも室町へ帰ることを頼まれ、慶覚は勧善懲悪も出家の役目として室町へ同道することを決める。慶寿院は信長へ、吉野から禁庭へ届ける預かり物「神璽の小箱」のこと、輝若君のことを頼み、そのしるしとして三条小鍛冶が打ったという長刀を授けて室町の館へ帰る。

信長は、大膳の処遇、そして慶覚をなんとか還俗させられないかに頭を悩ませつつ帰国を急ぐが、立ちふさがったのはさきほどの非人たち。非人らは信長の家臣・蘭丸と押し問答になるが、信長は神前での流血は禁忌として無視させようとする。そこへあの浪人が現れ、非人たちを残らず斬り捨てる。浪人は覆面を脱ぎ捨てて山口九郎次郎と名乗り、信長へ狼藉を働いたために非人たちを斬ったと言うが、信長は参道を血で汚してしまったとして帰ろうとする。すると山口が詫びとして切腹すると言い出すので、驚いた信長はそれを引き止め、家臣に引き立てて千五百石を与えると言う。山口は礼を述べ、信長とともに帰国するのだった。


室町御所の段

二条の義輝公の奥御殿では、新御台・花橘の君を祝して昼夜を分かたぬ酒宴が行われていた。女中たちの噂にのぼるのは、松永大膳が雪姫に懸想して追い回してること。でも、姫は御所一番のイケメン絵師・狩野助直信の秘密の恋人なんやて〜! うわほんま〜? いや〜うちも狩野助の弟子になりたかったわ〜! とやっているところへ当の大膳が現れ、女中たちを叱りつけて追い払う。実は大膳にはこれから密談があった。大膳、その弟・松永鬼藤太、そして朝倉義景が寄り集まってゴニョゴニョ話しているのは、「神璽の小箱」を盗んで義景へ預けること、そして慶寿院と輝若君の仕儀。この三人は悪巧みの仲間なのであった。鬼藤太と義景が去ったところへ、狩野介が雪姫を慕って庭の切戸へ忍んでくる。その心が通じたのか、ちょうど雪姫が廊下を歩いてくる……ところへ大膳が擦り寄り、やっと会えたとばかりにヒゲを姫へ擦り付けて言い寄る(キモ)。狩野助は怒りにまかせ飛び出そうとするが、雪姫に制せられて耐える。雪姫は大膳に説教するも全く通用しない。そして後ろの障子の隙間からその様子を見ているのは慶寿院。そこへタイミングよく義輝公が大膳を呼ぶ声が聞こえ、大膳はブツクサ言いながら去っていく。

やっと狩野助に会えた姫は、いままで話せなかった家の苦難を語る。実は雪姫は、絵師・雪舟の孫娘だった。雪舟唐土へ渡ったとき、明帝から名刀「倶利伽羅丸」を拝領し、それは姫の父・将監雪村が受け継いだが、ある日雪村は河内慈眼寺の滝本で何者かに殺害され「倶利伽羅丸」も奪われてしまう。主を失った一家は困窮し、姉は九条の遊里へ身売り、母は病を得て死去。母の雪姫への遺言は、「倶利伽羅丸」を手がかりに父の仇を討って欲しい、名刀を欲しがるからには犯人は武士であろうという旨。そして姫は慶寿院に仕えるようになり、絵を好む慶寿院のもとへ出入りしていた狩野助と出会ったのだった。姫は狩野助に、自分を弟子にして雪舟の家を興して欲しいと懇願する。狩野助もまたみずからの父は絵師・古法眼(狩野元信)であると言い、絵師同士、仇を探し出して助太刀すると誓う。

そこへ慶覚を連れた慶寿院がやって来る。慶寿院は今日は先の御台の命日であること、慶覚をもう5ヶ月も留め置いていることを語り、その慰みに雪姫・狩野助へそれぞれ松と竹の絵を頼んでおいたことを話す。慶覚は二人から差し出された絵絹を見て、さすが雪舟と元信の子孫であると感心し、狩野助が描いた竹の絵を奈良への土産にすると言う。慶寿院は雪姫の描いた松の絵を手に取り、突然その絹を割く。慶覚は、割いて乱れた絹はその末が納まらないことから、還俗し乱れた糸を結べという母の願いを読み取るが、それでも一度仏門に入ったからには浮世へ戻るつもりはないと答える。常緑の松の絵を割いたその心は、足利の千年の治世ももはやこれまでということかと慶覚が問うと、慶寿院は答えず、割いた絹を狩野助と雪姫に与える。そして、雪姫が狩野助の弟子となるからは、師匠の苗字を継いで「狩野雪姫」と呼ぶといい、狩野助も雪姫をいたわるようにと申し付ける。二人の仲を知ってのこの取り計いに、狩野助と雪姫は顔を赤くして伏すのだった。

その夕方。先の御台の菩提所へ参っていた輝若君、そのお付きの三好存保と乳母の侍従が帰ってくる。館の騒ぎを見た三好は、義輝公の不甲斐なさと、それを諌めていた父の急死の原因は毒を盛られたためではないかと疑いつつ今日まできたことを侍従へ語る。そして、先春の扇の絵合わせの際、松永大膳から、花橘の君を口説き落とせば義輝公も家臣の恥を身の恥と思って目を覚ますだろうと言われたものの、その傾城を館へ引き込んだ大膳の心底が読めないと言う。花橘さえ館にいなければ義輝公の身も安泰であるという三好に、侍従は万一のときにはかつて武士だった父を頼りにと考えていることを話す。輝若君は二人の大人の長話に飽きてしまい、早くばば様のところに行きたいとねだる。それと入れ替わりに、「神璽の小箱」を小脇にかかえた松永鬼藤太と朝倉義景が抜足差足で逃げていく。

と、さらにそこへ酒に酔った花橘が歩いてくる。三好はここぞとばかりに花橘を口説き、館から去らせるべく駆け落ちをしようと誘いかけるが、花橘は相手にしない。次第に言い合いになっていたところへ大膳が姿を見せ、不義者と大声を上げたので、義輝公が刀を持って現れる。義輝公は、本来三好は縛首にするころ、親長慶の忠義に免じて自分の手で成敗すると言い出す。三好は乗じて、そこまで忠孝善悪を弁えているならどうして役目を忘れた放埓をやめないのかと諫言するも、大膳が割り入り、役目は自分が仰せつかっているので問題ない、お前は切腹しろと嘲笑する。三好はたまりかねて大膳を道連れに死のうとするが、そこへ慶寿院の声がかかる。慶寿院は不義者はほかにあると言い、雪姫を引かせてくる。さらには義輝公の家来にも不義者がいる、それは大膳であると告げる慶寿院。大膳は驚き否定するが、雪姫を口説いた現場を抑えられており、反論ができない。慶寿院は大膳に今後を嗜むよう言い渡し、雪姫の誠の不義の相手は別人であるとして、狩野助を呼び出す。雪姫と狩野助の二人は白州になおるが、今日は先の御台の命日、その追善に命は助けるとして、慶寿院は二人に暇を与え、夫婦力を合わせて本望を遂げよと言葉をかける。花橘は涙ながらに妹へ別れを告げ、雪姫と狩野助は館を去っていく。

大膳はなおも三好を詮議しようとするが、慶寿院はそれを遮り、新御台に不義の噂が聞こえては言い訳立たないとして、花橘は大膳に預け、三好は自らが預かって館の別棟に隔離することを提案する。三好はその仰せに従い、慶寿院とともに退出する。二人がいなくなると、大膳は義輝公になにやら耳打ち。義輝公は満足げに去っていく。花橘がそれを追いかけようとするところを大膳が引き止め、三好は慶寿院と組んで花橘を陥れようとしているに違いないと言い、三好を殺して義輝公の疑いを晴らせと種子島を渡す。夜忍んでくるであろう三好を狙い撃てばばいいと言われた花橘が庭の茂みで筒を構え待っていると、大膳に花橘のもとへ行くよう吹き込まれた義輝公が歩いてくる。それを三好と思い込んだ花橘は足音の主を撃ち、不義者討ち取ったりと声を上げる。御所中が大騒ぎになり、死体が改められるが、それは義輝公だった。花橘は義輝公が下げていた刀を抜き、喉を突く。家臣らは大膳の姿が見えないのは事件の黒幕であるに違いないとして我先に追っていく。慶寿院は、忠臣の諌めも聞かずに命を落とし、花橘まで死なせることになった息子の不孝を嘆く。そこへ信長の家臣を名乗る侍たちが迎えにきたとして現れる。慶寿院は慶覚に「神璽の小箱」を頼み、足利の御旗を持って輝若君、乳母の侍従とともに館を後にする。残された三好が今後の対応を考えていると、慌てた様子の侍従が輝若君を抱いて走ってくる。なんとさきほど現れた信長の家臣を名乗る者たちは偽物で、実は大膳の徒党の者であり、慶寿院はさらわれてしまったというのだ。館はすでに大膳の大軍に取り囲まれていた。三好は侍従に輝若君を連れて一旦身を隠すことを命じ、侍従は若君とともに館を旅立つ。一方、慶覚は「神璽の小箱」が盗まれていることに気づく。

そこへ「小袖の鎧」を着した大膳が現れ、長年の計略が実を結び将軍職と国家が手に入ったと笑う。大膳が首をとろうと義輝公へ乗り掛かったところへ三好が斬りかかるが、虚しくも松永軍の鉄砲に斃れる。三好の首をかき切り、大和信貴の居城に帰るまえにまずは金閣に立て籠らんと宣言する大膳のその姿は、阿房宮を焼き討ちした項羽安史の乱を起こした安禄山のような、伝説の反逆者のさまであった。

 

 

 

┃ 二段目 此下東吉の策略

  • 信長中間・東吉の出世と叡知
  • 信長の津島神社潔斎
  • 山口九郎次郎と几帳の前の秘密
  • 慶覚の還俗と祇園祭・山鉾行列の復活

 

信長居城割普請の段

北国・朝倉義景と対立する信長の居城では、破損した外廓の修復工事が行われていた。家臣・柴田権六勝重の来訪を出迎えた蘭丸は、中間・此下東吉が信長の代参として牛頭天王をまつる祇園八坂神社へ参ったまま帰ってこないと話す。そこへ東吉の妻・お菊がやってきて、夫が帰らない心配を語り茶をガブ飲み。そうこうしているうちに状箱を肩にかけた東吉が戻り、帰城に時間がかかった仔細はここに記したとして、守り札に書状を添えて蘭丸へ渡す。

蘭丸が御前へ向かった後、東吉は柴田へ京都での次第を語り、出立から随分日が経っているのに外廓の修復工事が終わっていないのはどういうことかと言う。すると普請奉行の山口九郎次郎が現れ、たかだか二合半の扶持しか貰っていないヤツが千五百石のオレに何言っちゃってんのと馬鹿にするので、東吉は扶持は違えど主君のためなら遠慮はしないと反論する。

二人が言い合いになっているところへ柴田が戻ってきて、京都の騒動を報告した褒美として東吉に千五百石を与え、山口とともに普請奉行の役を任じるという信長の上意を伝える。東吉とお菊は突然の取り立てに大喜び、山口は渋い顔をする。東吉がさっそく外廓修復工事の完成予定を山口に尋ねると、600人の大工を使って今月中に終わらせるつもりとのこと。東吉がもっと早く完成できそうなものを言うので、山口は大工の棟梁・作兵衛と日雇いの市介を呼び出してヒアリングすることに。作兵衛が高塀1間あたり6人の人手をかけて工事していることを話すと、東吉は200人の人手を足せば明日中に完成させられると言う。山口は疑うが、追加200人のうち40人は食事の調理係、80人は道具の受け渡し係、80人は食事の運搬係にすると語る東吉。こうすれば大工たちは十分な食事をとれて道具の運搬に煩わされることなく、最大のパフォーマンスを発揮できるというのだ。柴田はすぐその通りにと作兵衛と市介へ手配し、明日中に仕上げるようにと命じる。二人は承知して去っていくが、山口と市介はなにやら目配せをしているのだった。

そのとき、信長の御台所・几帳の前がやってくる。几帳は信長がさきほどの話を聞いていたと話し、東吉にはさらに五百石を加えて二千石を与えるという上意を伝える。東吉とお菊は信長へ謁見するため奥へと入っていく。残された山口のもとへ市介がやってきてゴニョゴニョしていると、衣服を改めた東吉とお菊が戻ってくる。山口が侍なら武芸を鍛錬しなくてはならないと言うと、東吉はそれなら指南を受けようと答える。山口は刀を振り上げ、まずはこの下を潜ってみよと言うが、東吉は畳を蹴り上げ、刀の柄をもぎ取ってしまう。その拍子にデコに刀が当たった山口は庭へ転がり落ちて気絶、飛び出てきた市介は東吉に袈裟斬りにされる。東吉は慶寿院を奪いかえすために出兵すること、敵・松永大膳は各地に郎党を放っており、山口もその一員で、生きて帰すことはできないと語る。そうこうしているうちに山口が息を吹き返すと、東吉は砂を払って刀を拾ってやり、山口の手討で市介が死んだと話す。山口はなにも返答できないのであった。

 

信長下屋敷の段

信長の下屋敷。芥子の花壇の前にしつらえられた凉み床で、主は蘭丸にうちわで扇がれながらお昼寝中。その傍には几帳の前と東吉の妻・園菊が控えていた。凉み床の花生けには、ひとつの茎に赤と白の花がついた珍しい芥子が差してある。それは信長自らが生けたものだった。几帳が夫へ被(かづき)をかけてやろうとすると信長は目を覚まし、懐胎中の几帳の体を労う(歩くのはいい運動になるよね!的な)。信長は、今川公を討ち取ったときに牛頭天王を祀る津島神社へ願掛けしていたことにならい、今回も逆臣大膳を討ち義輝公の仇を報いるため、三十七日の潔斎の願掛けをしていることを語る。今夜はその満願であり、几帳と園菊もここに一宿することを命じる。

夕方、山口が座敷へ燭台を持ってくる。すると信長は、毎夜の外出は潔斎ではなく、隠し妻のもとへ通っているのだと言う。山口は嗜むよう諫言するが、信長は余計として蘭丸に山口の額を打擲させた。山口は知行を預かる身として無念をこらる。蘭丸が退出すると、信長は隠し妻のもとへ行くと言って、身代わりとして山口に几帳が残していった被をかぶらせ、出かけていく。

やがて几帳と園菊がやってきて、被をかぶった夫=実は山口に暑気払いのお神酒を差し出す。山口はかぶりを振って酒も煙草も断るが、それならと二人はうちわで扇ぎ始める。すると風で被の薄衣がめくれてしまい、正体が山口だということがバレてしまう。山口は信長が夜毎隠し妻のもとへ通っていること、それを諌めた自分を打擲し額に傷をつけたことを几帳へ喋ってしまう。几帳はその話に怒り、自分が被をかぶってここで夫を待つと言い出す。

 

芥子畑の段

そうして被をかぶった山口=実は几帳だけが残された座敷に、信長が上機嫌で帰ってくる。信長は隠し妻との逢瀬をルンルンで語り、それをじっと聞いている隣の者にふざけて抱きつき、被を取ると……、几帳の前。几帳からどこへ行っていたと激詰めされた信長は、ヤレ信濃善光寺へ参った、筑紫羅漢寺へ参ったと嘘八百を並べ立てる。几帳が妾を作るのは構わないが、なぜ神仏に参るという嘘をつくのかと涙を流すと、信長は花生けの芥子を手に、この花が咲いたことは天の啓示であり、夫の胸中をこれをもって察せよと語って退出する。

几帳が思案していると山口が現れ、小田の旗印を象徴する赤い花を斬って几帳を打ち据え、兄の命令が聞けないのかと詰る。実は几帳は山口の妹で、信長を暗殺するため送り込まれた刺客だったのだ。山口は、赤白の芥子の花を渡されたのは信長が兄妹の計略を見抜いた印だと言う。几帳はせめてお腹の子を産むまで待って欲しいと懇願する。しかし兄は聞き入れない。自ら信長を討とうと急ぐ兄を引き止め、必ず討つと誓う几帳。山口は、討つ機会さえ作れば良い、この影を障子に写すのを合図にすれば信長は自分が討つと言って、白だけが残された芥子の花を妹へ渡し、身を隠す。ひとり残された几帳は、白い芥子の花を手に、芥子の花は夫のため命を捨てよとの信長の言葉だろうと考え、自分が信長の身代わりになることを決意する。

妹の合図を待ち、槍をたずさえて息をつめる山口。そのとき火影に照らされた芥子の花の影が障子に写り、山口は槍の切っ先を突っ込む。が、山口が障子を開くと、そこにあったのは花を掲げた蘭丸、縛られた几帳、そして槍の切っ先を掴んだ信長の姿だった。山口が逃げようとすると、信長が「明智十兵衛光秀、待て」と大声を上げる。実は山口の正体は北国・朝倉義景に仕える明智光秀だったのだ。信長は、祇園八坂神社での出会いから不審を感じていたこと、几帳の様子から計略に気づいたこと、そして額を傷つけたのは気を急いて正体を現したところを不意打ちしようという計算だったことを明かす。山口は否定するが、信長は確かな証拠があるとして園菊を呼び出す。園菊は、山口が祇園で非人を買収していたことや歌占いの文句を語る。実は園菊の正体は祇園の歌占いの女・お園だったのだ。

そのとき貝鐘と陣太鼓の音が鳴り響き、軍装に身を包んだ柴田が現れる。柴田は軍師・東吉の命で比叡山の山法師に擬して朝倉を攻め、「神璽の小箱」を奪還して朝倉を生けどりにしてきたという。明智をこの下屋敷に引き入れてとどめおき、そのすきに朝倉を生けどりにしたのは東吉の戦略だった。信長は、小田に仇する明智の妹ならわが子を懐妊中といえど自らの手にかけるとして、几帳へ長刀を振り下ろす。しかしその切っ先が斬ったのは、彼女を縛っていた縄目だった。信長は彼女を兄と同心ではないと判じ、お腹の子を無事に産んでほしいと語る。捕らえられた朝倉は歯噛みして明智を責め立てるが、明智は朝倉へ仕えていたのは武者修行の腰掛けで(ひどい)、信長公に妹を助けられたからには小田家の誠の家臣となり、忠勤を尽くすとして朝倉を抜き打ちにする(ひどすぎる)。そして信長もまた明智の本心を認めるのだった。

信長が柴田のかつぎこんだ神輿の扉を押し開くと、中から「神璽の小箱」を持った烏帽子直垂姿の慶覚が姿を見せる。京都での騒動の際、東吉は慶覚を守るために当地へ連れ帰っており、信長は彼を津島神社に隠していた。潔斎や妾通いのふりをした夜毎の外出の真相は、彼に還俗を勧めるための社通いだったのだ。そしてついに今宵慶覚は還俗し、十四代将軍足利義昭となることを決意した。義昭はすぐに津島の社へ帰るというが、信長は押しとどめ、絶えて久しい祇園会(祇園祭)を復興させたいとして、山鉾行列を仕立てようと言う。信長は、慶寿院から賜った長刀で几帳の縄目を斬ったことは祇園祭の始まりを告げる注連縄切りを暗示していたのだろうと語る。こうして慶寿院から授かった鉾(長刀)をたずさえた蘭丸を先頭に、足利義昭となった慶覚の御供をした数々の鉾が行列となり館を出ていくのであった。

 

 

 

┃ 三段目 住吉の薬屋の秘密

  • 輝若君・侍従の岸野村到着
  • 薬屋是斎の借金と代官・十河軍平
  • 是斎の正体、真柴久吉との由縁
  • 若君の真実 

 

道行憂蓑笠

乳人の侍従は輝若君を連れ、涙ながらに親里住吉を目指す。

 

岸野の里の段

大坂のはずれ岸野村。遠州闇金・小次兵衛は、村の薬屋・是斎への貸し936両を取り立てるべく出張に来ていた。庄屋・持兵衛を付き添いに連れた小次兵衛は、道で出くわした松永大膳の配下の代官・十河軍平に、明日が期日のその貸しを必ず返させるように頼む。軍平は、違法の高金利をはたらいておきながらお上に訴えるとはじぶん神経ごん太やねと言いつつ、是斎には手錠をかけた上で薬屋を営業させてあると答える。そして持兵衛に、室町家の落人を探しているので都から来たらしい者がいたら生け捕りにせよ、さすれば褒美は望みのままと告げて帰っていった。

そこへひょっこり現れたのは流れの盗っ人、礫の三・勘太・どすの木蔵。話を聞いていた三人はその落人を見つけて大金をせしめようと散り散りになっていった。

一方、毘沙門参道の道端にいる上燗屋。代官のお成りで人がはけてしまったので商売があがったりになっていたが、人が来るのを見てお面をかける。近づいてきたのは薬屋の娘・お露。お参りの行きがけだという彼女は上燗屋の客引きに乗らず、そのまま去っていく。すると今度は下向の客がやってくる。上燗屋はお面を脱ぎ、下向客へ「拾った」というビッグな人参を見せる。客が4〜5両の価値はあるだろうと見立てると、上燗屋は買い取ってくれと言う。1両に値切ろうとする客、上燗屋はそれなら売らないと言い出し、結局3両で客が買い取る。上燗屋がこれで元金が揃ったなどと言っていると、木蔵がぬっと現れる。木蔵は上燗屋にさっきの金を出せと言うが、上燗屋がごまかそうとするので刀を見せて脅しをかける。そこに戻りがけのお露が来合せ、上燗屋の顔を見て驚く。上燗屋の正体は薬屋の下働き・新作だった。お露は大切にしているタイマイの櫛を金のかわりに出そうとするが、さっきまで頭に差していたはずの櫛がない。仕方がないので懐にあったわずかばかりの金を渡すと、木蔵はご機嫌で引き下がっていった。

二人になると、お露は新作にかねてよりの恋心を打ち明け、小次兵衛から借金と引き換えに女房にと迫られていると涙ぐむ。新作もまた下働きの自分にずいぶん心をかけてくれるお露の気持ちを知っていたが、心懸かりは主人・是斎の借金。その返済の足しにしようと、新作は毘沙門さまの縁日に上燗屋の荷を借りて(盗んで?)商売してみたが儲からず、いろいろと商売を試していたと語る。そして、さきほどお露に声をかけたお面の上燗屋は自分であったと告白し、話しかけたすきに抜き取った櫛を返す。その櫛は京へ奉公に出ているというまだ見ぬ義理の姉(義理の父の娘)が贈ってくれたものだった。お露はこれも金に替えて返済の足しにと言う。しかし新作は櫛をお露の頭に挿してやり、金の算段はできているから大丈夫だとして、是斎の手錠が外れお露の母の許しを得たときに返事をすると話して彼女を帰す。

そんな新作の前に、百姓軍団が立ちふさがる。彼らは新作のインチキ商売に騙された&干していた桔梗の根を盗まれた被害者の会だった(さっきの人参、実は桔梗の根っこだったんです)。大激怒の百姓たちは新作を袋叩き。根元に藁が積まれた松の木へ彼を縛りつけると、火ィつけて焼き殺したる、いや一旦代官へ断ってからと騒ぎつつ去っていった。

 

住吉海道の段

月が傾き夜も更けた頃、村へ侍従と輝若君がたどり着く。草の露をすくって飲ませ、足をさすってくれる輝若君の優しさに涙する侍従は、もしもの時は見苦しい死に際を見せず、敵の名を尋ねて西を向き、手を合わせれば父が迎えにきてくれると幼君に教える。そこへ忍び寄るのは以前の盗っ人三人組。刃物をちらつかせてくるならず者に侍従は必死に切り結ぶが、逃げ回るうちに若君を見失ってしまう。侍従は輝若君に住吉を目指すよう叫ぶも、その声で三と勘太に見つかってしまう。一斉に侍従に襲い掛かった盗っ人二人はその拍子に転んでしまい、侍従はその機に乗じて二人を殺すも、彼女もまた深手を追っているのだった。一方、木蔵は輝若君を探すうち、松の木に縛られている新作を見つける。小判をやると言われた木造が新作の縄をほどいてやると、新作は松の木の上に金を隠してあるという。そこで木造が松に登ろうとすると、新作は棒で彼を滅多打ち。自分の代わりに松の木へ縛り付けて面をかぶせる。そこへ代官の許可を得た百姓たちが戻ってきて藁にファイヤー。新作はそのすきにスタコラサッサと逃げていくのだった。

 

天下茶屋是斎内の段

ここは住吉、是斎の薬屋。借金の罰に手錠をかけらた主人に代わり、その女房・おさじと娘・お露、下男・新作が供え物の用意をしていると、遠州闇金・小次兵衛と庄屋・持兵衛がやって来る。金を返せないなら娘を差し出せとお露にグイグイ迫る小次兵衛に、新作は小判6枚を叩きつける。これで元金は返したという新作に、小次兵衛は貸した金は小判ではなく大判で6両であり、小判換算で43両2歩。それに利子が2割ついて8年で909両、これに閏月27両の利子を算入してしめて936両を返せと騒ぎ立てる(突然はじまるナニワ金融道)(でも小判6両はいちおう受け取る)。どうせ返せないだろうと小次兵衛がお露にタコチューを迫っていると、是斎がやって来て小次兵衛をひっつかんで引き離す。是斎は借金のカタに義理ある娘を渡すことは出来ないと言う。是斎は入り婿(先代没後に迎えられた跡取り)で、お露は先代・龍雲とその妻・おさじの間にできた子だった。小次兵衛は今度は水牢へ入れてやると息巻き、是斎を連れて出て行った。

おさじは毎日帰りが遅かったのは金を作るためだったのかと涙ながらに新作へ手を合わせる。新作は当然のことをしたまでと言って、朝食の用意をするために勝手口へ入っていく。一方、なにやら騒がしい門前では、大勢の子供達に輝若君が取り囲まれていじめられているではないか。棒でつついてくるガキ大将たちに小太刀で必死に応戦する輝若君。見兼ねたおさじが子供達を追い払い、家の中に入れてやると、輝若君は祭りの用意にしめ縄を張った床の間へちょこんと座る。ずいぶん変わった服装をしている輝若君を見て、おさじは祭りの練り物行列の子かそれとも住吉のお社務様の子かと考えていたが、もしや噂の室町からの落人でないかと気づく。輝若君がさきほどから乳母がどうこうと言っているのを聞いたお露は、櫛を贈ってくれた是斎の娘=義理の姉が室町で乳母をしていると聞いたことを思い出し、是斎を頼って子供を連れ訪ねてきたのかもしれないと考える。しかしおさじがいくら身元を尋ねてみてもらちがあかない。お露が丁寧な口調で尋ね直すと、輝若君は、乳母の姿が見えないので尋ね回っていたところ、土地の子供にいじめられた、悔しいと泣き出す。

茶碗を持って様子覗きに来た新作は輝若君を見てびっくり。昨夜見かけた乳母連れの子供が無事逃げ延びてきたのかと驚く。新作がお腹がすいているだろうと輝若君に声をかけると、若君ははよ膳を持てとご催促。ところが新作が突き出した茶漬けを見るなり、こんなさもしい膳では嫌だという。そこでお露が床の間に供えていた三方に乗せて改めて膳を出しなおしてやると、輝若君は大喜び(そこなの?)。京へ戻ったら沢山の知行を取らせると言って箸を取るが、ネムネム。しかし乳母がいないので、輝若君はまた泣き出してしまう。母娘は昨夜寝ていないであろう若君を不憫に思い、汚れた足を洗ってやろうと奥へ手を引いて行った。

残された新作は、若君を代官へ訴人すれば褒美が手に入り、是斎の危難を救うことができると考える。たらいの中で甘えている若君を見ると涙が出てくるものの、背に腹は代えられぬとして急いで役所へ向かうのだった。

一方、迷子が将軍義輝の子であると気づき、その話から室町の事件を知ったお露とおさじは、輝若君の言う乳母、つまり是斎の娘(連れ子)の身に何かあったのではと考える。昨日輝若君と乳母を目撃しており、何か知っていそうな新作もとへ輝若君を連れて行こうとしたそのとき、薬屋に代官・十河軍平と数多の捕手が現れる。母子は驚いて若君を隠すが、軍平は新作からの訴人状を読み上げ、若君を出すように迫る。様子を見た輝若君は乳母の言葉を思い出し、お露らに西はどちらかと尋ねるので、そのけなげさに母子は涙を流す。すると輝若君もつられて最後に乳母に会いたいと泣き出すが、軍平が構わず若君を縛り上げてしまう。輝若君は、自分がいなくなった後に乳母が尋ねてきたら坊やは花を見に行ったと言って欲しいと言い残し、連れられて行った。

それと入れわかりに、庄屋の持兵衛が是斎を連れて戻ってくる。水牢は三日間お預けとなったので手錠だけ打ち直して帰されたというのだ。そして、是斎の頼みだと言って飛田の道端にあったという死骸を家の中に運び込ませる。おさじとお露は、それは若君の乳母ではないか、室町の姉ではないかと口々。すると是斎はこれは自分の娘・おちゑであると言う。泣き伏す女房に、是斎はさっき口走った若君とは何かと問う。事のあらましを聞いた是斎は悔し涙を流すも、新作の行動は忠義の心からのことで、叱ることはできないと言う。是斎はおちゑの死骸を改めると、なまくら物の刀傷で急所は外れているため、大明流の秘術を以ってすれば蘇生できるとして、薬の準備を始める。ところが薬箪笥を開けた拍子に、打ち換えたばかりのはずの手錠がすっぽりと外れてしまう。役人の手心かと不思議に思うも、是斎は秘薬の調合を完成させ、おちゑの口に流し込む。するとたちまち命脈が戻っておちゑはむくりと起き上がり、若様、輝若様と叫ぶ。是斎が抱きしめるとおちゑはやっと心つき、父との再会を喜ぶ。

6歳くらいの子供が来なかったかと尋ねるおちゑに、おさじらはその子はいま奥で寝ていると取り繕う。その子は義輝公の子供で、お前の乳で育てたのかと是斎が問うと、そうではないと答える。実は輝若君は、おちゑと修理太夫・三好存保の間に生まれた子供だった。おちゑはかつて父と別れ京へ上った後、三好家に仕えるうちに存保と恋仲になり、男の子を産んだ。ちょうどその頃、義輝公の前御台も男の子を産んだが、その子はすぐに亡くなった。慶寿院は赤ん坊の死を前御台に伏せたまま、すぐに存保とおちゑの子を引き取って将軍家の嫡子ということにした。そして前御台も産後の肥立ち悪く亡くなったため、慶寿院はおちゑを将軍家に引き取って乳母とし、彼女は名を侍従と改めた。そしていま、松永大膳が謀反を起こして義輝は殺され、存保もその死出の供についたこと、おちゑひとりで輝若君を連れてここまで逃げてきたことを語る。おちゑは死ぬ前にもう一度輝若君の顔が見たいと身悶えするが、若君を敵の手に渡してしまったというおさじの嘆きを聞いて息を引き取ってしまう。

おちゑの死に泣き沈む薬屋に、真柴筑前守久吉が来訪するという知らせが入る。五三桐の紋を掲げ若党近習を引き連れて入来したその男は、衣服名前を改めた此下東吉だった。東吉は家臣たちを残らず下がらせると、「松下嘉平次之綱殿」と是斎の前に平伏し、最敬礼で挨拶をする。実は是斎はかつて東吉が仕えていた遠江国の武将・松下嘉平次之綱だった。是斎=松下は声を荒げ、このように手錠を打たれる身になったのは、かつて家臣であった東吉の仕業であると言う。

8年前、松下は信貴城主・松岡大膳から出世の口があるゆえ具足を整えよと命じられた。松下が東吉へ闇金・小次兵衛から6両を借りて具足を整えよと申し付けると、東吉はその6両を持って逐電。松下は6両に暴利を乗せた小次兵衛から矢の催促を受けることに。このことから松下は落ちぶれ、小次兵衛の依願で代官から手錠を受けたのもそのせいだと言うのだ。しかし東吉は、金を盗んだのは元々松下の命令だと言う。それは、かつて松下が東吉に指南した「たとえ君主の命に背いても立身出世することこそ侍の誉であり、君臣の礼儀を違えたとしても武力を得て国を治めるのが勇士である」という軍書講釈によるものだと言うのだ。東吉は日陰者だった君主松下を引き立てようと、名将と名高い信長のもとへ行き主従の契約をして、いまこうして大膳を討つためこの住吉へやって来た。これまで何度か遠州を尋ねたものの松下の行方はわからなくなっていたが、今日偶然代官所で松下を見かけ、恩に報いるために役人に申し付けて手錠をゆるく打たせたと言う。そして、東吉は松下にも共に小田家に仕え軍師となって欲しいと言葉を尽くし低頭平身した。

しかし松下はいままで取っておいた東吉の奉公人請状を破り捨てると、命があるうちに頼みがあると言って東吉を上座へ座らせる。自らは大膳へ仕えていたが、大膳の反逆の意を察して遠州からここ住吉へ身を隠した。その予想通り、大膳は義輝公を暗殺。松下は大膳と対面したことがないとは言えど連判に名を連ねており、小田に仕える東吉とは敵同士だと。松下は小田家への仕官の儀は後ほど返答するとして、お露に東吉をもてなすよう言いつけ、奥の間へやらせる。

夫と二人になったおさじは松下の気分が晴れたことを喜ぶが、松下はなおも思案顔でなにやら書状を認める。するとお露が戻ってきて、東吉から悪人の大膳へ仕えず小田家に来るよう勧めて欲しいと頼まれたと報告する。しかし松下は、この書状と床の間にある箱を持って行けば返事には及ばないと言い、お露とおさじは書状を持って東吉のもとへ。

そこへ訴人の報奨金を受け取っているならはよ渡せと小治兵衛がやってきたので、新作は借金の証文と引き換えに褒美の千両箱を渡そうとする。しかし、松下が止めに入り、突然、輝若君が置いていった小太刀を腹へ突き立てる。驚く一同に、松下は、新作の訴人は忠義のためにしたことでありがたく思っていること、お露と新作を夫婦にしてやって欲しいと語る。新作は鞘師であった両親を亡くしたのち(?)、不甲斐ない身ながら松下の世話になった、これからも何事も言いつけて欲しいと涙する。嘆きを聞いた松下は、その正直な心を知ったからこその遺言であると言い、一同と別の間で聞いている久吉に自らの身の上を語り始める。

松下の正体は、明国・琳聖太子の子孫に仕えた宗設という唐人であった。そのころ明は朝鮮との国境争いで敗北。宗設=松下は報復の機会を狙って日本に渡り、琳聖太子の末裔である周防・大内義隆のもとへ身を寄せた。しかし再び朝鮮と戦を交える計略は逆臣の謀反により失敗。大内は死の間際、松下を呼んで琳聖太子の形見である衣装が入った箱を譲り、東国へ行って頼りとなる大将を見つけ宿望を達せよと言い残した。松下が床の間に飾っていた箱とは、この衣装箱だった。しかし東国へ来た彼は無念にも悪臣・大膳と契ってしまい、扶持を受けはしなかったものの、血判を押してしまっていた。松下はこの切腹の血で血判の血を濯ぎ、大膳と縁を切るので、これを小太刀の持ち主である孫・輝若君の手柄として取り立てて欲しいと語る。

障子の内で聞いていた久吉は、一件を代官へ報告しに行こうと駆け出す小治兵衛を見て「加藤虎之助正清引き止めよ」と声をかける。小治兵衛を止めたのはなんと十河軍平だった。軍平の正体は久吉の家臣・加藤正清だったのである。そして一同の前に、唐冠を被り琳聖太子の衣装に身を包んだ久吉が現れる。久吉は古主松下を探すため、家臣・正清を大膳のもとへ入り込ませたところ、住吉の代官に任命され松下を発見することができたと言い、小治兵衛の松下への暴利は見逃してやるとして、新作からの千両箱を与える。小治兵衛は金さえ返ってこれば用はないと千両箱を抱えて出て行こうとするが、それを久吉が引き止める。曰く、かつて下働きだった久吉を馬鹿にして、10両でも扶持を取れば首をやると言ったのを忘れたかと。これを違えては政道が立たず、また、正清を十河軍平と名乗らせて大膳の元へ入り込ませたことも感づいていた小治兵衛を生きて帰すことはできないとして、逃げだそうとする小治兵衛を捕まえて首を落としてしまう。久吉は衣装を正すと、松下の意思を継いで古主に代わって琳聖太子先祖代々の仇を討つべく、朝鮮を征伐することを約す。いまに伝わる久吉の朝鮮出兵はこの約束によるものである。

久吉は松下への餞として、正清に駕籠を呼ばせる。中から出てきたのは輝若君。松下は喜び、おさじとお露も嬉しさに遺骸となったおちゑに対面させる。彼女が本当の母とは知らない輝若君は、乳母が死んだなら自分も死ぬと泣き出す。久吉はそれに寄り添い、輝若君がお守りとして持っていた慶寿院の手紙で事情は知ったと言って、輝若君を抱き上げて子守唄を歌ってやる。久吉は輝若君を惣領として迎え、「久次丸」と名付けて家を継がせることを誓う。

新作は髻を切り払い、これからは若君のお伽役となると宣言する。彼の父は「そりとぬいてそろりとさす」ことのできる鞘を拵えた優れた鞘師だったので、自らもそろりと髪を切って曾呂利と名乗り、鞘師の家名をここに残すと言う。正清はそれを褒め称え、千両箱を新作に渡して若君の世話と松下の菩提を弔うことを頼み、自らはふたたび十河軍平として大膳に接近すると言う。

出立を急ぐ一同に、松下は女房と娘に襖を開け放たせ、高麗の地理を周囲の風景に例えて語り聞かせる。久吉は松下が授けたこの地理勘合の教えは天子の宝で、この村を今後「天下茶屋」と呼びならわそうと告げる。曰く、前主人・龍雲のたしなんでいた茶の湯の余情を残すため、この南に茶屋を構え通行人に茶を施すのが松下への追善供養だと。曾呂利はそれこそが自らの役目と受け止める。久吉と正清は出立のため馬に乗り、松下はおさじとお露に介抱されながら息を引き取る。久吉と久次丸もしばしの別れ、父たちの出立の行列に手を振る。こうして久吉一行は天下茶屋の古跡をこの御代に残し、旅立って行った。

 

 

 

┃ 四段目 大膳の要塞・金閣寺(今回上演部分)

  • 狩野助・雪姫の捕縛
  • 此下東吉の松永大膳への仕官
  • 倶利伽羅丸」の出現と鼠の絵の奇跡
  • 久吉の金閣寺攻略
  • 慶寿院の救出、「小袖の鎧」・足利家の御旗の奪還

 

浮世風呂の段

賑わいの都・京都。後家・おつめの経営する浮世風呂では、浴衣姿の湯上がり客が酒や肴と湯女の三味線を楽しんでいた。侍・石原新五と乾丹蔵がそうして遊んでいるところへ、風呂上がりの川嶋忠次が浴衣を引っ掛けてやってきて、二人はいいタイミングで上がって幸せだという。なんでも新五と丹蔵が上がった後に急にお湯がぬるくなり、体が冷えてしまったというのだ。するとおつめが飛んできて、風呂焚きの久七がどこかへ行ってしまったと言う。すぐに風呂を焚かせるのでそれまで酒でもと勧める女将。するとすでに酒が入っていた新五と丹蔵は蕎麦を食べに行こうとする。蕎麦と風呂は食い合わせが悪いといぶかしがるおつめに、侍たちは今では蕎麦を食って風呂に入るのがイケてると言って出て行くのだった。

客がいなくなると、おつめは湯女たちに当たり散らす。客に気に入られればウハウハなのに、下働きの娘・小磯のように年がら年中文弥節を聞いたような吠え面をしていてはアホだと。小磯を探して来いと言われた女たちは、小磯は久七と水汲みに行ったと答える。おつめはますます怒り、久七にくっつきたがる憎たらしい女と言い捨てて、湯女たちに客の機嫌取りを急かすのだった。

その後にやって来たのはこの店の馴染み客、十河軍平。軍平はおつめと軽口を交わしつつ、下女の小磯の正体は主人・松永大膳が探している雪姫に違いないと言い、小磯を大膳のいる金閣寺へ連れていけば共に褒美は思いのままと持ちかける。おつねはこれ幸いと、小磯を差し出してその後は久作を婿取りしたいと返すのだった。二人がそう話している店先に軍平を訪ねる深編笠の侍がやって来る。侍はおつめに風呂の注文をして場を退出させる。その隙に軍平と密談する侍の正体は久吉だった。金閣に攻め込む準備は整えているという久吉に、軍平は大膳から十分な信頼を受けているため金閣内部の構造は判明したが、2階は不審で、常に見張りがいると答える。久吉は3階に慶寿院が閉じ込められているであろうと推理し、自らも大膳のもとへ入り込むと言って帰っていく。軍平もまたおつめに小雪を騙して連れてくるよう頼んで町の会所へ向かい、おつめは忙しさでおろそかになっていた化粧の準備をはじめる。

そのころ、小磯こと雪姫、そして久七こと狩野助はようやく水汲みから戻ってきた。それを見つけたおつめはすかさず叱責するも、久七に執りなされ矛をおさめる。せっかく塗った口紅がはげないようハフハフ喋りになっているのを久七に言われたおつめはキャッとなって歯磨きへと走っていった。

二人になると、雪姫は盗まれた家伝の秘伝書を取り戻し一家の仇を討ちたいとこぼすが、狩野助はこの勤めの身ではすぐには叶わずとも必ず本望を遂げることができるだろうと言う。そうしているところへ中居がやってきて、客が久七を呼んでいるという。狩野助が出て行くとすかさずおつめが現れ、事情は聞いたので、大膳から逃れさせるべく小磯を知り合いの僧職へ預けてやろうと言う。久七には追って知らせると言い聞かされた雪姫は、おつめの用意した駕籠に乗ってしまう。

一方、狩野助は新五・丹蔵・忠次の三人に、小磯との恋をとり持つよう迫られていた。狩野助は風呂の中の三人がそれぞれ持った手ぬぐいを風呂の外から小磯に引かせ、当たった者の女房にすると提案する。アホ侍三人は大喜びで風呂へ入っていった。そうして狩野助が雪姫を探しているところへおつめがやってくる。グイグイ迫ってくるおつめに狩野助は、侍三人が女将に懸想しているので、自分がくっついてはどんな報復を受けるともしれないと言う。なので自分を加えた四人からの恋人選びの手ぬぐい引きのふりをして、自分の手ぬぐいは端を絞っておくのでそれを引いてくれればいいと諭す狩野助。喜んだおつめがいそいそと化粧をしているうちに、狩野助は手ぬぐいを風呂の戸に挟んで逃走。おつめは風呂から出ている手ぬぐいのうちから裾の絞ってあるものを引き、風呂の扉を開けるが、手ぬぐいのもう片方を握っていたのは丹蔵だった。久七を探すおつめに三人が小磯はどこかと尋ねると、 お尋ね者の雪姫は大膳のもとへやったと言う。それを聞いた狩野助は駆け出すが、実は大膳の家臣であった侍三人はこれまたお尋ね者の狩野助を探しており、喧嘩になる。愛しい男の危機におつめが参戦、風呂桶を侍たちに被せてポコスカ叩くも多勢に無勢、狩野助は縛り上げられてしまう。恋に生きる女・おつめは一緒に縛って連れていってくれと懇願するが、丹蔵に風呂の中へドブンと叩き込まれてしまうのであった。

 

金閣寺碁立の段(今回上演部分)

都の錦と謳われるここ金閣寺では、松永大膳が弟・鬼藤太を相手に囲碁を打っていた。二番続けて黒石で勝ち、白石=源氏を圧倒したことにご満悦の大膳は、侍三人組、川嶋忠次・石原新五・乾丹蔵を呼び出し、3階・究竟頂へ押し込めた慶寿院の警護を申し渡す。慶寿院はこの頃、天井へ雪姫か狩野助の筆で雲龍図を描かせよと言い出しており、大膳が雪姫と狩野助を探していたのもそのためだった。しかし二人は絵を描くことを拒否し、狩野助は牢へ入れられる。大膳がこうして慶寿院の機嫌をとるのはいざ信長に攻め込まれた際に人質として利用するためであったが、そもそも彼が大和信貴へ帰れず金閣寺へ引きこもることになったのは、その信長に家臣浅倉を攻め滅ぼされたせいだった。しかしその信長から浪人した此下東吉という男が大膳への仕官を望んでいると尋ねてくる。大膳はその裏の策略を察知しつつ、十河軍平の勧めもあり、敢えてその謀に乗って東吉を召し抱かえようとしていた。

東吉を迎えに行った軍平が帰るまで、大膳は遊興に耽ることに。隣の間の障子を開けると、踊る芸者衆に囲まれた雪姫が積み重ねられた布団の上に座らされていた(極楽責めだそうです)。大膳は雲龍図を描くか、抱かれて寝るかを迫るが(なぜか選択させてくれる)、泣き沈む雪姫は両方とも辞退する(NOが言える女)。雲龍図は雪舟から伝えられた秘伝書がなくては描けず、夫ある身ゆえ不義はできないとして、いっそ殺して欲しいと言う雪姫。大膳は両方拒否するなら狩野助を井戸に沈めて殺すと脅すのだった。

そこへ東吉を伴った軍平が帰ってくる。東吉は短躯ゆえ馬丁でも申し付けて欲しいと言うが、大膳は軍師の才覚は容姿によらず、人それぞれの持つ「癖」は許すものとして、東吉を自分の「癖」である囲碁に付き合わせる。その勝負が進むうち、雪姫は夫のために大膳に抱かれることを決意し、隣の間へ声をかけるが、大膳は碁に夢中でうつつ返事。劣勢になった大膳が思わず「斬れ」と言葉を発すると、狩野助を斬るとして軍平が駆け出す。慌てた雪姫は飛び出して引き止め、大膳の意に従うことを告げる。大膳は囲碁の勝負の最中なので夜まで待てと言い、姫が抱かれて寝たならその後で狩野助は釈放すると約束する。そうして続けられた碁の勝負は東吉の勝ちに終わり、短気な大膳は怒って碁盤をぶん投げてしまう。東吉は囲碁でも口論でも戦場でも後ろを取ることは嫌いだと言い、何番でも勝負すると語る。

その態度に満足を覚えた大膳は、採用の最終試験として東吉の智謀を試すという。大膳は碁笥(碁石入れ)を井戸へ投げ込むと、東吉に碁笥を手を濡らさずに取る方法を問う。すると東吉はすぐに庭の滝の水を井戸へ引き込んで水を溢れさせ、浮かんできた碁笥を回収した。東吉は碁盤を裏返してその中央に碁笥を置くと、信長を討ったそのときには碁盤を首実検の台にしようと言う。それを見た大膳は感心して東吉を召し抱えるとし、酒宴の準備をさせるのだった。

 

金閣寺爪先鼠の段(今回上演部分)

松永鬼藤太と十河軍平が東吉を連れて去ると、大膳は雪姫を閨へ連れて行こうとするが、やはりそれより先に天井へ雲龍図を描くよう言い渡す(えらいこらえ性のある男だな)。そのためには手本として雪舟の秘伝書がなくては描けないと言う雪姫に、大膳は腰に差していた刀を抜き、庭の滝にかかげる。すると不思議なことに滝の水へまるで生きているかのような龍の姿が映った。雪姫はその剣を奪い取り、これこそ探し求めていた家伝の名剣「倶利伽羅丸」であると言う。姫は秘伝書を探しているふりをして「倶利伽羅丸」が姿を現すのを待っており、これを持っている大膳こそが父を殺した犯人、姉の仇だと斬りかかる。しかし大膳はそれをかわして剣をもぎ取り、河内慈眼寺の滝本でこの剣を掲げていた老人を殺したのは確かに自分だと告げる。一族の無念、その志に免じ討たれてやってもいいが、自らは天下どころか王位を狙っていると言う大膳は姫を踏み倒す。戻ってきた軍平に大膳は狩野助を引き出して夕刻・五つの鐘を合図に殺すように申し渡す。そして鬼藤太には「倶利伽羅丸」を預けて慶寿院の見張りを命じ、東吉に雪姫を桜の木の根元へ縛り付けさせるのだった。

夕刻、桜が雪のように舞い散る中、雪姫の前を狩野助が軍平に引かれて通りすぎ、互いに嘆き悲しむ。雪姫は大膳が父の仇であることを狩野助へ伝えたいと思い、縄をなんとかほどけないかと考える。姫は、祖父雪舟が中国で僧侶であったころ、絵にかまけ学問を疎かにしたことからお堂の柱に縛り付けられたが、流した涙で床板に描いた鼠が本物となり縄目を食いちぎったという逸話を思い出し、足元へ桜の花びらをかき寄せて鼠の絵を描く。すると姫の一念が通じたのか、桜の花びらは白鼠と化して彼女を縛った縄を食いちぎる。喜んだ姫は狩野助を助けに向かおうとするが、鬼藤太に捕まってしまう。しかしそのとき鬼藤太を手裏剣が貫く。現れたのは姿を改めた久吉だった。久吉は鬼藤太の死骸から「倶利伽羅丸」を取って雪姫に渡す。雪姫が大膳を討ちに走ろうとするのを久吉は引き止めて、天下の敵大膳は自分が討ち、慶寿院も救出すると言う。姫は大膳を久吉に任せ、「倶利伽羅丸」をたずさえて狩野助と軍平のいる舟岡山へ走る。

深夜、月も傾いた頃。久吉は桜の木を伝って金閣2階・潮音洞へ侵入し、警護の川嶋忠次・石原新五・乾丹蔵を斬り払う。久吉が3階・究竟頂へ登ると、そこには「小袖の鎧」と釈迦三尊像を前に称名を唱える慶寿院の姿があった。久吉は彼女に信長からの迎えの意を伝え、慶覚が還俗し足利家を再び興そうとしていることを語る。そして合図の狼煙を上げると太鼓と法螺貝の音が鳴り響き、伏せていた信長の軍勢が一斉に蜂起する。久吉と慶寿院が庭へ降りると、そこには軍平と雪姫、狩野助が待っていた。慶寿院は天井画を頼んだのはそれにかこつけて雪姫・狩野助を呼び出し、大膳を騙して奪い返した足利家の旗を二人に託し、慶覚へ伝えるためだったと語る。

軍平が大膳の寝室を開けはなつと、そこには金網が張り巡らされ、中央に大膳が仁王立ちしていた。互いに腹に策略を持つ大膳と久吉は、大膳の本城・大和信貴での再戦を約する。こうして足利家の旗と「小袖の鎧」、「倶利伽羅丸」は久吉たちの手に戻り、花の都の金閣寺の滝は「龍門瀑」として今に名を轟かせている。

 

 

 

┃ 五段目 大団円

 

信貴山の段

信貴山付近に敷かれた信長の陣へ義昭公がやって来る。しかし陣ではなぜか久吉の命で舞楽が催されており、明智光秀は不審だと言うが、狩野助はこんなところへ将軍を呼ぶのも久吉の何かの計略だろうと言う。そこへ久吉が二本の扇を持って参上し、この宴は敵の油断を誘うためであると明かし、義昭公から賜った舞扇を信長へ渡す。信長はその扇から、軍の門出が末広がりの幸いであること、二本あることから日本が手に入ると読み取り、長久の御代を寿ぐ。そこへ偵察に出ていた柴田勝重が帰ってきて、勝負の時が近いことを注進する。久吉は浅倉討伐の返礼として明智へ城の正門攻めを頼み、自らは信長の側について大膳方の隙を狙うと言う。後陣へつくという柴田に促され、光秀は家伝の槍を携えて出陣する。

明智に正門を破られた松永大膳は生駒山の麓へ落ちのびる。大膳は気弱になる軍勢を引き立て、夜闇を煌々と照らすこの篝火は多数の軍勢があると見せかける久吉の罠だと言うが、鬨の声が上がり、多数の信長の軍勢が姿を見せる。大膳が東吉見参せよと声を上げると、軍平が自らは久吉の家臣・加藤正清であることを明かし、燃えている篝火は火にかけた松永軍の兵糧であることを告げる。正清は大膳に刀を投げ渡すが、運の尽きか大膳が手にした刀は岩に当たって折れてしまう。大膳を踏みしく正清、この地が焼米の焼尾山と呼ばれるのはこのことによるものだという。

義昭公を連れてきた久吉は、先将軍を害した大罪人として正清に大膳を逆さ磔にさせる。狩野助は雪姫との約束通り、舅の仇として大膳を刺し貫き、義昭公は兄の仇として大膳の首を落とす。こうして足利家の二引両紋の旗は再び豊かにたなびき、将軍家は栄華の門として栄えるのであった。

 

 

 

┃ 本作の趣向取り(モチーフ)に関して

雪姫
本作をはじめとする浄瑠璃に登場する雪姫は、実在の女性絵師・清原雪信をモデルにしていると言われている。雪信は本名を「雪」と言い、狩野探幽の門下四天王と謳われた久隅守景の娘だと言われている。夫は同じく絵師で探幽の門人・平野伊兵衛守清とされているが、夫よりも彼女のほうが評価・人気ともに高い。はあ、だから雪姫は意思強くいろいろと行動するが、狩野助はとくになにもせず始終ぼーっとしてるのね。

信長の草履打ち(二段目・信長下屋敷の段)
近松門左衛門浄瑠璃『本朝三国志』、読本浄瑠璃太閤記第三 信長記』にすでに草履打ちの趣向が見える。

山口・几帳の前の変装(二段目・信長下屋敷の段)
狂言 『花子』からの引用。夫は隠し妻のもとへ通うため、一晩座禅をしているふりをして太郎冠者に自分の変装をさせ、外出。しかし太郎冠者は妻に見つかってしまい、ガチ切れした妻が太郎冠者になりすまして夫の帰りを待つ。朝帰りした夫は調子をこいて隠し妻との逢瀬をウハウハ語るが……👹という話。歌舞伎にも『身替座禅』として移入されている。

光秀の障子越しの槍突き(二段目・芥子畑の段)
近松門左衛門浄瑠璃用明天皇職人鑑』に同様の身代わり趣向がみられるらしい。

是斎と久吉(三段目・天下茶屋是斎内の段)
近松門左衛門浄瑠璃『本朝三国志』三段目、四段目からの引用。該当作は太閤記物の嚆矢とされているとのこと。

画題の化現(四段目・金閣寺の段)
宇治加賀掾本の浄瑠璃『女絵師狩野雪姫』に雪姫と画題の龍の化現譚がある。守り袋を水に写すと雲龍が現れた的な話。詳細忘れたけど、「屏風の虎を捕まえろ」みたいな感じのすごい無茶振りを逆に絵でとんちこねて解決、無茶振りしたほうがギャフンと言わされる話の浄瑠璃があったはずなんだけど、何だろう。『女絵師狩野雪姫』はほかにも馬に綿帽子を被せ女に見せかけて妻の悋気を煽る趣向(うま? horse? なぜ?)、奪われた太刀が仇の手がかりになる趣向、雪姫が顔を描いたナス・ひょうたん・瓜が生命を得て動き出す趣向が本作の元ネタになっていると言われている。
また、近松門左衛門浄瑠璃『傾城反魂香』にある、囚われの身の狩野元信が血で虎を描き化現させる趣向も本作に影響を与えていると言われている。雪姫と狩野助の恋物語も『傾城反魂香』からの引用。『傾城反魂香』って、いろいろ喋くってたかつての恋人である遊女が実は……というところしか知らないんだけど、いろんな話が盛り込まれてるんですね。(頭の悪い感想)

 

 

 

┃ 参考資料

 

 

 

 

 

映画の文楽3 木下惠介監督『楢山節考』の義太夫 ― 木下惠介の浄瑠璃世界

ひさびさ更新「映画の文楽」。今回は文楽座から太夫・三味線が音楽出演し、義太夫節が効果的に使われている作品について紹介する。

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木下惠介監督の映画『楢山節考』(松竹大船/1958)は、深沢七郎*1の同タイトル小説を原作とした映画。「姥捨」の風習のある信州の貧しい山村を舞台に、まもなく「姥捨」=楢山参りを迎える老婆・おりん(田中絹代)と彼女を捨てねばならない息子・辰平(高橋貞二)、そしておりん一家の面々や近隣に住む村人たちの日々が描かれている。

寒村の口減らしの陰惨な因習という前時代的でセンセーショナルな内容を扱っていることで有名な作品なのかと思いきや、この作品の名を高くしている最大の特性は、美術・音楽・演出に舞台演劇(歌舞伎)の技法を用いていることだろう。たとえば舞台美術家・伊藤熹朔を起用した美術。いかにもロケが栄えそうな題材ながら屋外撮影を一切行わず、オールセット。背景には書割を使用し、極端な遠近パースのかかったセットを用いる等、舞台を思わせるセットが使われている。また、場面転換では手前にいる俳優に当たった照明を落としてセット(大道具)を左右に引き、背後の幕を振り落としてそのさらに後方に組んだ次のシーンのセットへ直接移行する等、演劇的な演出で映像が進行する。

 

 

 

このような演劇的演出で特に印象的なのは、ナレーションにあたる部分に義太夫が用いられている点。既存曲の流用ではなくオリジナル新曲で、義太夫の作曲と演奏は文楽座から出ている。当時二派に分裂していた文楽座のうち新作作曲に意欲的な三味線奏者が松竹(因会)に残っており、また、ほかのメンバーも外部とのコラボに意欲的だったことから実現したのだろう。*2

  • 作曲=野澤松之輔
  • 演奏=竹本南部太夫/野澤松之輔、野澤錦糸(先代)、竹澤団六(七代目鶴澤寛治

野澤松之輔は文楽座の三味線弾きで、多くの浄瑠璃の復曲・新作を手がけた作曲家でもある。昭和20年代後半から30年代の近松復曲期にはその中心となって活躍した。この『楢山節考』もそんな時期の作品だ。

また、オープニングで定式幕*3を前に口上する黒衣も俳優ではなく文楽座からの出演で、人形遣いの吉田兵次というこだわり。むかしの文楽の映像を見るとかならずこの人が口上をしているので、声を聴いたことのある方も多いだろう*4。口上は「東西、東西、このところご覧に入れまするは、本朝姥捨の伝説より、楢山節考楢山節考、東西、東西」。この声と拍子木の音とともに定式幕の上にタイトル・スタッフロールが表示され、それが終わると定式幕が引かれてゆき(歌舞伎踏襲らしく下手から開く)、義太夫の語りで本編が幕を開ける。

そのオープニングから冒頭部分にかけての3分間は以下で見ることができる。(Youtubeムービー・松竹公式提供映像)


楢山節考(予告)

 

音楽はすべて和楽器を使用。クレジットでは長唄の出演者の名前も並ぶが、基本的には義太夫か太棹三味線の独奏が入る。

木下惠介作品で音楽の特殊な使い方をしている作品といえば、話が狂っている上にそのナレーションとして熊本弁のフラメンコが入る『永遠の人』(松竹大船/1961)を思い出すが、この義太夫もそれに張るほどすごい。というより、その原型となった作品なのだろう。

 

 

 

義太夫の使い方は基本的に歌舞伎の義太夫狂言と同じで、セリフでない地の文の部分が義太夫になっているのだが、その義太夫の入れ方が抜群にうまい。というのも、すべてのシーンのナレーションを義太夫で入れているのではなく、いかにも浄瑠璃に描かれそうな情の行き違いを描く哀切的な部分のみに、効果的に義太夫が使われているのだ。

本作は老婆おりんとその息子辰平を中心にストーリーが展開するというのは先述の通り。この村では70歳になれば「楢山参り」といって、子どもに背負われて楢山へ行く(=村から離れた山の頂へ捨てられる)という習わしになっている。もう間もなく70歳を迎えるおりんはその「楢山参り」を受け入れており、山へ行く日に備えている。おりんは高齢ながら体が大変に丈夫でそれをつねに恥じており、楢山参りを待ちかねているようでもある。しかし、おりんの楢山参りについての本心は語られない。だがおりんの一家は辰平に後妻が来たり、孫・けさ吉が妊娠した女を嫁に迎えたりと、家族が急に何人も増え、口減らしをせずにはいられない状況である。けさ吉とその女房はおりんの楢山参りを心待ちにしていて、早く行けと露骨に進言してくる。辰平はおりんの楢山参りについて何も言うことはなかったが、あるとき、ふと涙を見せる。内心では、おりんに楢山へ行かないで欲しい、ずっと元気で家にいて欲しいと思っているのだ。おりんと辰平の親子は本心を見せあわずにいるため、表面上、言動がすれ違い続ける。このような親子のセリフなしでの感情のやりとりが行われる部分にナレーションとして義太夫が入り、浄瑠璃が効果的に使われている。語りや三味線に胡弓がかぶってきて、いかにも浄瑠璃といった哀切な雰囲気をかもしだす。

逆に義太夫が使われてないのは、浄瑠璃にはないような、人間の心のうちにある醜い闇=えげつなく生々しい人間味が描かれる部分だ。たとえば、おりんの家の隣に住む一家。この一家の親子はおりん親子とは真逆の性質である。おりんの幼馴染・又やん(宮口精二)は楢山参りを嫌がるために家族からひどく疎まれ、ろくな食事も与えられずこき使われている。又やんは、楢山参りをするくらいなら、このまま人間以下の暮らしをするのでいいと思っている。彼の息子(伊藤雄之助)は父に冷淡で、最後には無理矢理又やんを楢山へ連れていき、崖から突き落として殺してしまう。この一家が登場する場面には義太夫は入らない。また、近所へ盗みに入った男とその一家に村人たちが制裁としてリンチを加えるくだりがあるが、その部分にも義太夫は入らない。浄瑠璃もなかなかに怖い話が多いが、双方とも、浄瑠璃どころの騒ぎでない恐怖をおぼえる場面だ。ある意味、おりんと辰平の心のやりとりに匹敵するような人間味のあるシーンだが、浄瑠璃が描く清浄な世界観からかけ離れているため、義太夫を使わなかったのだろう。

 

 

 

義太夫を使う以上は、演技の間尺を義太夫に合わせなくてはならない。

例えば、孫・けさ吉が最初に登場するシーン。戸外から家の中へ体を左右に振りながらノシノシと入ってくるという動作は、義太夫に合わせてちょっと人形振りっぽくなっている。その出てくる間合いの音楽への合い方がなんとも映画とは思えないほど“カンペキ”すぎて、面白い。けさ吉役は三代目市川團子(三代目市川猿之助/二代目市川猿翁)で、本職だ。

また、辰平のあたらしい女房・玉やん望月優子)が祭りの日に初めて家を訪ねてくるシーン。ここでおりんは貧家にはとっておきのご馳走を彼女に振る舞うが、その食事の支度が映画にしてはかなり長い。普通の映画ならお膳が瞬間的に出てくるところ、義太夫がゆったり語られながら進行するので、「いつまで飯よそってんねん!! 政岡の飯炊きか!?!?」ってくらいに時間がかかる。文楽の場合、時間は義太夫の語りにあわせて伸縮するので飯の支度に時間がかかっても気にならないが(むしろ本当の食事のときのようなのんびりした気分になって好ましい)、映像で観るにはなかなか新鮮な間合いだった。

ただ、不思議な印象があるのはこの場面くらいで、ほかのシーンは風景ショットを長めに回すなどで義太夫の間合いがうまく処理されており、ほとんど違和感を覚えさせないつくりになっている。

浄瑠璃とのマッチングといえば、おりん役の田中絹代は人形の婆のかしらのような顔をしているので、浄瑠璃の世界にしっとりと馴染んでいる。むしろ映画としては、ものすごい田舎のものすごい貧家の婆さんがこんな上品な顔してるか?ってくらい。嫁・玉やん役の望月優子は人形でいうとオフクチャンみたいな顔ながら、性根が世話物の心優しくおとなしい奥さん風、かしらは細面の老女形って感じなので違和感があってちょっと面白かった。歌舞伎をよく観る方なら浄瑠璃に個性ある外見の生身の人間が乗っていることに違和感がないと思うんだけど、私、基本的に文楽しか観ないので……。辰平役の高橋貞二文楽人形にはいないタイプの性根と顔立ちであるが、清浄な雰囲気が浄瑠璃の世界に馴染んでいた。 

 

 

この義太夫の詞章は、実は木下惠介自身によるもの(脚本=木下惠介)。浄瑠璃ながら近世風の古語・漢語等は使わず、近代〜現代風の言葉遣いで聞き取りやすいようになっている。ニュアンスとしては明治作の『壺坂観音霊験記』をもうちょっと現代の言葉遣いに近づけたくらいの感じ*5。たとえば映画冒頭、さきほど動画を貼った部分の浄瑠璃はこんな詞章。

〽山また山の信濃路に、人も知られぬ谷あいの、流れも細き糸川の、川蝉の声哀れなる、日陰の村の物語

木下惠介義太夫の使い方のうまさもさることながら、浄瑠璃の詞章をこんなにうまく書けるとはなぜ?と思っていたら、実は子どものころから歌舞伎、とくに義太夫狂言が好きだったそうだ。長部日出雄による木下惠介の評伝『天才監督 木下惠介』(新潮社/2005, 2013)には、木下惠介が幼少時にどのような歌舞伎を観たかはわからないと書かれているが、実は幼少期の歌舞伎の思い出を木下惠介自身が語っている記事が存在する。

『演劇界』1958年8月号(演劇出版社)に掲載された、「映画と歌舞伎について」と題した木下惠介の本作撮影中インタビューの抜粋を以下に紹介する。

日本人にもっとも親近感のある、伝統の日本音楽だけで映画を作ってみたいという考えは、かなり以前からもっていました。小さいときからわれわれがききなれた、あの太棹の三味線の音や琴の音、笛の音など、みんななつかしいものばかりで、また日本映画の音楽として十分に表現能力をもっています。たまたまこんどの『楢山節考』という適切な原作をえたので、これを試みてみることにしたわけです。

(中略)

ぼくの生れた浜松というところは、芸事のさかんなところで、ぼくの子供の頃から、東京や関西の歌舞伎がよく巡演してきてましたね。ぼくのうちは両親が芝居好きだったので、ぼくもずいぶん小さな子供のころから、芝居小屋に通っていたわけです。桝で仕切られた桟敷の仕切りをとびこえながら、廊下の売店に行って、センベイやキャラメルなんかを買いに行った、なつかしい記憶がありますよ。そのころ浜松で人気があったのは、先代の幸四郎(引用者注:七代目)でした。年に二回、定期的にやってくるのが、いつも超満員。ぼくもこの幸四郎が好きで、来るのが待遠しいような気持でいたのを憶えているけれど、やはりいまのファンの気持とおんなじかもしれませんね。出しものでは、天狗の出てくる芝居、あれはなんといったかな……、そうそう『高時』という狂言だったかしら。それに『大森彦七』なんかも、ずいぶん何度もみましたね。

それからやはり同じころだけど、関西歌舞伎もよくきていましたね。先代の雁十郎、いまの鴈治郎(引用者注:初代)の大きな顔がまたいまだに印象に残っていますね。女形では梅玉(引用者注:三代目か)や秀調(引用者注:三代目か)も憶えています。関西歌舞伎はお得意の“上方もの”をよく出していて、ぼくもそのころ中学生になっていたのかな……。『紙治』*6や三勝、半七の『艶容女舞衣』なんかがとても好きだった。中でも三勝半七の後半の心中行のところなんか、二人の愛情の表現の、いわゆる色模様というやつがとても美しかったのを今でも思い出しますね。映画界に入ってからも、これをいちど映画にしたいな、と思ったこともあるくらいです

(中略)

近松ものに興味をもちはじめたのも多分中学二三年生のころだったように思います。あの心中物は、やはりそのころにひどく感動したものです。それからそのころ好きだったのは『朝顔日記』*7と『壺坂観音霊験記』。朝顔ではあの川止めのところ*8になるとさんさんと、涙を流したものですよ。壺坂ではあの川底の観音様が現れるところ*9が、なにか子供心にひどくひかれて好きになった。田舎に来る芝居の出しものには、これに『寺子屋*10や『先代萩*11といった悲劇調のものが多く、またそれがいちばんよくうけていたから、ぼくの好みもそんな方向に向いていったのかもしれないけど……。

このころからぼくは義太夫のあの太棹*12の音がとても好きでしたね。寺子屋の例の“いろは送り”*13のところなんか、今でもきくたびにいいなあと思うくらい……。まったく歌舞伎のチョボ*14の効果はじつにうまく作られている。そんなところからこんどの『楢山節考』の音楽構成のヒントが生まれたといってもいいでしょう。つまり子供時代から見ていた歌舞伎が、いつの間にか身についていて、それがこんどの映画に義太夫をとり入れるときに、とても役立っているわけですね。自分の知らぬ間に義太夫の素地ができていたのかな……。

こんどの映画の『楢山節考』には広い意味では歌舞伎のものをとり入れているといっていいかも知れません。セリフが義太夫の調子に合うよう苦心して書かれていることもその一例で、またこのセットの遠景が芝居の画割りみたいな感じを出しているのも、そうしたねらいの一部でしょう。本当は俳優さんもどちらかといえば歌舞伎の役者のように、うんと調子の高い、極度にはりつめたような感じの演技が欲しいのですが……。もし出来れば全体を歌舞伎調の衣裳と台詞でやってみたいという考えもありました。

もちろん、子どものころに観ていたというだけでなく、映画監督になってからも歌舞伎を観に行っていて、好きな歌舞伎役者として中村勘三郎(十七代目)、松本幸四郎(八代目)、中村歌右衛門(六代目)の名を挙げている。映画に向く歌舞伎俳優はと訊ねられると、すでに映画に出演歴のあった幸四郎は映画俳優としても立派に通用すると答え、また、多くの歌舞伎俳優が映画でも実績を出せるだろうと語っている。『瞼の母』での勘三郎の演技を見て映画でもいけると感じたと話すくだりも。実際、十七代目中村勘三郎はこの『楢山節考』の3ヶ月後に公開された山本薩夫監督の映画『赤い陣羽織』(松竹/1958)で映画へ初出演し、さらに1960年には木下惠介監督の映画『笛吹川』(松竹)へ出演することとなる。

それでは、木下惠介は古典芸能原作の映画にも挑戦する意欲があったのだろうか。インタビュアーは歌舞伎狂言で映画化したいものはないかとも質問しているが、それに適当なものはないとの回答だったようだ。

 

 

 

浄瑠璃では親の立場から子殺しの哀切が語られる名作が多い。木下惠介が少年時代に観たという義太夫狂言『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段」と『伽羅先代萩』(「御殿の段」)はともに親子の別離を描く浄瑠璃であり、子どもを殺さざるを得なかった親の立場からの悲しみや煩悶が描かれている。この二つの作品では、劇中で殺される幼い子どもが自らは死ぬべき境遇にあることをわかっており、親の心中や状況を察して自ら死を選んだという設定になっている。しかし子どもが自ら死に直面した心中、あるいは親から見殺しにされることへの心中を語ることはなく、その内面は伏せられたままで進行する。そして、その子どもの心中を察した親は、子どもを見殺しにせざるを得なかった社会境遇と、それを受け入れ犠牲になった子どもの健気さを嘆き悲しむ。

この映画『楢山節考』はそれをまるで反転したよう内容だ。つまり、境遇上死を選ぶことになる親=おりんの心中は徹底して伏せられ、子ども=辰平の立場からの葛藤や煩悶を中心に描かれている。このことが本作の浄瑠璃使用の理解のポイントになると思う。*15

この作品での義太夫の使い方を見ていると、木下惠介の戦時中の作品『陸軍』(松竹/1944 昭和19年)のクライマックスを思い出す。それまでは息子の出征に対し無反応かのように見えた母・田中絹代が、ついに息子との別れとなるラストシーン、軍歌の合唱の中、出征の式典で行進する息子を見送りの大群衆をかき分けて走って追いかける場面は、木下惠介の『伽羅先代萩』だったのだろう。主君を守るため、目の前で幼い息子・千松が殺されても動じない忠烈の乳母として振舞っていた政岡が一人になった途端に急に泣き崩れて心中を吐露するという「先代萩」でもっとも名高い場面を思い出す。『陸軍』は戦時中の国策映画であり、陸軍からの依頼で制作されたものなので、本来であれば息子の出征を母が喜んで送り出す内容になるべきだろう。しかし木下惠介は素直にそうせず、田中絹代が政岡のように、目の前で子どもが死を選ぶことになったとしてもそれをそのまま見殺しにする、せざるを得ない、「本心とは真逆の態度を取る」ことで、内容に文句がつけられないギリギリのところを攻めている。よくあれを作ったなと思う(っていうか、こんなん納品されて、陸軍の担当者、まじ困惑したと思う。そのうえ突然のBL入りだし)。

そう思うと、「……とは言ふものの、可愛やな、君の御為かねてより、覚悟は極めていながらも……」という政岡の語りは、ほんの数十年前までは生々しい言葉だったんだなと感じる。

 

 

 

 

*1:高校生のころに『楢山節考』を読んだとき、「この作家、露悪的なポーズを取っているのかな」と思った。若者が戦略的に前時代的でセンセーショナルな話題を扱っているようで、鼻白んだ。深沢七郎には、ハスに構えた態度で無邪気さ・無知性を押し出し、ひょうひょうとした現代的な態度を作為的に取っているようなイメージがあった。しかし、今回いろいろと調べてみると、深沢七郎は相当歌舞伎が好きらしいということに気づいた。木下惠介との対談企画(『中央公論』1958年6月号掲載「楢山を越えて」)でも歌舞伎の話をしているし、『楢山節考』が歌舞伎化されときの歌舞伎座の筋書きへの寄稿でも歌舞伎好きの人向けに文章を書いている。木下惠介は深沢との対談で『楢山節考』をはじめて読んだとき、子どもの頃に見た見世物の安達ヶ原の鬼婆−−妊娠した女の腹を裂き、鮮血にまみれた胎児を取り出す−−を思い出した、『楢山節考』にはそのような血のイメージがあると話しているが、深沢はドン引きして、僕は歌舞伎の『黒塚』のほうがイメージに近いというようなことを語っている。ふーん、ああ見えて(?)露悪的でえげつないものは嫌いなんだなー、と思った。この対談の中で深沢が「歌舞伎は歌舞伎、文楽文楽、映画は映画で、それぞれ違うものだ」と語っているのも印象的だ。

*2:この映画が制作される前に、『楢山節考』は菊五郎劇団ですでに歌舞伎化されていた(脚色=有吉佐和子。1957年6月歌舞伎座、7月大阪歌舞伎座で上演)。当時の歌舞伎座の筋書を確認したが、演奏者の記載がなく、純歌舞伎として上演したのではないかと思う。観劇した原作者深沢七郎の手記(該当公演の筋書に掲載)によると、突飛なことはせず、ごく普通に歌舞伎化されていたようだ。そのような「マネ」ととられかねない前例があったにも関わらず、浄瑠璃義太夫狂言)としてまったくの新境地を切り開いた木下惠介のガッツがすごい。
この歌舞伎座での『楢山節考』の公演に、当時文楽三和会の三味線弾き・野澤喜左衛門(二代目)が来場していたという話がある(『演劇界』1957年7月号、安藤鶴夫歌舞伎座の幕間 “楢山節考”と喜左衛門と」)。これは単なるシュミで来ていたわけではなく、武智鉄二演劇評論家)が小説『楢山節考』の発表(1956年)直後、喜左衛門へ『楢山節考』の作曲を依頼したことによるらしい。
経緯としては、この前年に武智プロダクションで企画した朝日放送近松」(石川淳原作)に豊竹つばめ太夫(後の四代目竹本越路太夫)・野澤喜左衛門が出演しており、同作が芸術祭で奨励賞を取ったことから、その次の作品として『楢山節考』を考えていたらしいのだ。喜左衛門はその参考にするために公演を観たらしい。当時三和会は三越劇場公演中で、その日は百貨店の休業日=休演日で、稽古のあいまにやって来たのだったそうだ。喜左衛門は内容に感銘を受けて帰っていったようだ。この武智鉄二の計画のその後については、私に当時の劇壇・放送等の知識がなくて詳細が追えず、どういう内容を意図していたのかや実現したかどうかはわからなかった。
もし喜左衛門が『楢山節考』を野澤松之輔よりも先に義太夫として作曲していたらどうなっていたのだろう。おそらくこの映画の企画自体が存在しなかったと思う。この映画は義太夫ありきで作られていて、かつ、野澤松之輔が引き受けたからこそ成立した企画だと思うので。喜左衛門が作曲していたら、東映など他社が手を出したかもしれない。それこそ内田吐夢あたりを立てて。それにしても、喜左衛門へいちはやく作曲を依頼した武智鉄二はさすがの慧眼だと思う。武智も『楢山節考』のもつ浄瑠璃性に気づいていたのだろう。
ちなみに、野澤松之輔は木下惠介義太夫使いのうまさに感心し、文楽のために新作を書いてくれと頼んだそうだ。これも実現していたらどうなっていたでしょうね……。この映画は浄瑠璃としてなんとかうまくまとまっていると思うけど、木下惠介大先生の叙情性というのは文楽が扱う浄瑠璃に描かれる情の世界観とはまた違いますからね……。
逆に、いま『楢山節考』を文楽で上演することになったら、おりんの人形配役は間違いなく和生さんだな。

*3:古典芸能や演芸の舞台で使われる、くすんだオレンジ・グリーン・黒の三色の太い縦縞の幕のこと。

*4:口上って、誰にでも出来るようで出来ませんからね。現在の文楽公演では若手や中堅の人形遣い数人が交代で口上を行なっている。しかし、出番や人手の都合などでたまに慣れていない人・初めての人が臨時でやっていると、間合いや声の調子・スピードなどに違和感があり、客は「こいつ初心者やな」とすぐにわかってしまう。本物と真似との違いを木下惠介はよく知っている。

*5:楢山節考』の構造は『壺坂観音霊験記』に似ている部分があると思う。草深い田舎の貧家で肩を寄せ合って暮らす主人公たち、お互いを思いやりあっているのに表面上すれ違う気持ち、神仏的存在がまつられた山、二人での山参り、相手を思うための自己犠牲、山での自死、残される側の悲しみ。文楽の『壺坂』では座頭・沢市が妻・お里とともに壺坂寺のある山へ登っていく(=死に向かっていく)道行が印象的だが、本作でも辰平がおりんを背負って山を登っていくシーンがクライマックスにくる。ただ、本文では触れなかったが、この映画がおもしろいのは実はこの楢山参りよりも前の部分であって、楢山へ登るシーン以降は正直言って陳腐というか、過剰演出だと思う。浄瑠璃風でまとめるなら、もう少しやり方があるはずだが……。『壺坂』もあの生き返りの展開はどうかと思いますけど、曲自体がいいのでなんとなく納得してしまう。

*6:心中天網島』。改作を含む場合がある。

*7:『生写朝顔話』。

*8:『生写朝顔話』四段目「大井川の段」のこと。

*9:『壺坂観音霊験記』「山の段」の最後の部分のこと。

*10:『菅原伝授手習鑑』四段目切「寺子屋の段」のこと。

*11:伽羅先代萩』。

*12:義太夫節に用いる太棹三味線のこと。長唄等に使う細棹三味線に比べ大型で、低音で大音量が出ることが特徴。……って、文楽鑑賞教室の三味線さんの解説みたいなこと書いちゃった。

*13:寺子屋の段」段切で、松王丸・千代夫婦が息子・小太郎の野辺送りをする場面の通称。いろは歌になぞらえた詞章がついていることからこう呼ばれる。

*14:歌舞伎での義太夫(竹本連中)の演奏。

*15:この映画、歌舞伎や文楽の知識があるかどうか(見慣れているかどうか)で見方がかなり変わると思う。古典芸能サイドからの映画評としては、歌舞伎評論家・郡司正勝による評(『映画評論』1958年8月号掲載「日本人の尾骶骨について『楢山節考』」)が的確であると感じた。たんに古典芸能の技法を取り入れているから云々というありがちな切り口ではなく、木下惠介浄瑠璃義太夫への理解がありすぎて、逆にこの映画の精度が鈍っているのではないかという「わかってる」感炸裂のキレまくった評である。そのうえ、のっけから『楢山節考』は『二十四の瞳』『野菊の如き君なりき』『喜びも悲しみも幾年月』に続く語り物映画の系列だと書いているのはことによかった。突然のオレの妄想開陳大会。郡司センセイが歌舞伎文楽ヲタというだけでなく、木下惠介大先生ガチ恋ヲタということが本当によくわかってとても良かったです。郡司センセイ落ち着いて。この映画、義太夫が使ってあるからアナタ批評に呼ばれたんです、木下惠介大先生ファン枠じゃなくて古典芸能枠ですから。それはともかく、『楢山節考』原作は古浄瑠璃的であるとの指摘には膝を打った。また、演劇評論家・尾崎宏次の、この映画は人形浄瑠璃であるという指摘も鋭い(『キネマ旬報』1958年6月号掲載「人形浄瑠璃と映画」)。ほかにもごく普通の婦人雑誌の「今月の映画♪」みたいなコーナーなのに書いているのがやばい文楽ヲタ(松之輔様命)というのがあって、細かいところまで実によく「聴いて」記事をものしていたりと(一般誌であの映画について簡単に説明するとしたら、一番誰にでもわかりやすいであろう映像を切り口にすると思うんですけど、そうではなく、胡弓の使い方をグイグイ説明している)、当時の文楽ヲタが好き勝手喚いている映画評が散見されて、どれも味わいがあって、良い。なかでもこの映画の義太夫は現代的であると書いている人がいたのは、さすがヲタの耳。

文楽 3月地方公演『義経千本桜』椎の木の段・すしやの段・道行初音旅、『新版歌祭文』野崎村の段 府中の森芸術劇場

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今回初めて知ったことがある。

地方公演では浄瑠璃の詞章字幕を舞台下手袖に設置した専用装置に表示しているのはみなさまご存じの通り。あの字幕表示機の名前を、上演前の解説時に技芸員さんが必ずドヤ顔で紹介してくることがずっと不思議でならなかった。字幕表示機を開発している企業が実は地方公演のスポンサーで、助成を受けているからには是が非でも宣伝せねばならない状況なのかと思っていた。しかし、今回、夜の部の小住さんの解説でやっと気がついた。あれは「G・マーク(じー・まーく)」=「字幕」という高度な小学生ギャグになっていたんですね。技芸員さんたち大阪弁に訛って発音してるから全然気づかなかった。小住さんは解説時に標準語で喋るからやっとわかったわ。なんで関西の人って外来語まで関西弁イントネーションに訛っているのか。あの人ら「テレビ」とかも訛ってるじゃないですか。わけわからん。(と言いつつ、自分も関西弁圏出身なので外来語も訛っているクチ)

解説つながりで言うと、公演パンフレットを手にした芳穂さんが「字幕があっても浄瑠璃は昔に書かれたものなので、難しい言葉が出てきます。たとえば権太が“台座の別れ”と言いますが、台座というのは笠が乗っている“台座”、つまり首(頭)のことで、荷物に粗相があったならば首と胴が“別れ”ても文句は言いません、という意味です。こういうわからない言葉は……」パンフレットに説明が載っているからパンフを買うてくれと言うのかと思いきや、「メモしておいて、家に帰ってから自分で調べてください」と素でおっしゃっていたのがとても良かった。
 
 
 
 

義経千本桜』椎の木の段。

3月の地方公演で一番楽しみにしていた配役、権太=吉田玉男。権太の、何を考えているかわからない、本心の見えない不気味な大男ぶりが映えていた。作為の透けない、ナチュラル粗野な仕草。たとえば小金吾から受け取った金を足で引き寄せる動作。体をあまり傾けず、すこしだけ足を出してささっ……と素早くいやらしく引き寄せる。本来は小金吾を怖がっている表現だと思うが、シンプルな雑さや下卑さがある。権太が最後に合羽をかぶるのは小金吾におびえているという意味のようだが、玉男さんの権太だと紋秀さんの小金吾の首を簡単にねじ切りそうで、なんで怖がってんのかわからない、そこも別の意味で良い。性根の見えなさ、あいまいな雰囲気があり、このあと善太と突然遊びはじめるくだりも活きていた。玉男さんは本心が見えない(あるいは伏せられている)役がうまい。

うまいなと思ったのは、小金吾から受け取った荷物を改めるとき、行李の中の浴衣をきれいに広げなかったこと。ぐしゃぐしゃの状態のままに左右に引っ張っていたが、それが正しいと思う。なぜならおにんぎょうさんのいしょうのゆかたはせなかにおおあながあいているから……。それがバレると、金がどうこう以前に、現代人は「着物に穴をあけられた!」とタカるのかな、と思っちゃうからね……。というか、浴衣を人形の衣装の流用ではなく、小道具として別途用意できないところに文楽の悲哀がある。しかし小道具の扱い系で言うと、このあと「すしやの段」で梶原景時から受け取った陣羽織を広げなかった(内側に書いてある句を見せなかった)のはなぜだろう。受け取ってすぐなどの広げやすいタイミングで見せるのは不自然であることは確かだが。

そのほかの登場人物では、冒頭、小仙〈桐竹紋吉〉と善太〈吉田簑悠〉の出で、小仙が善太の鼻をかんであげるのは詞章の「女房盛の器量よし。五つか六つの男の子、傍に付き添ひ嬶様と、言ふで端香も冷めにけれ」にかかってるんですね。ぽわっとした可愛い親子だった。

若葉の内侍〈桐竹紋臣〉はふんわりと優美な雰囲気。苦労の多い旅の中にも気品を失わない優しいお母さん。しかしあんなのが延々真横にウゴウゴしていて、小金吾は気が狂わないのだろうか。結構色っぽい感じがあって、小金吾は2回権太にいきり立つところで若葉の内侍に腕につかまられて引き止められるが、あんなに寄ってこられたら困るのではないか。討死する前に正気を保てなくなって自害しそう。それと、小金吾の足の方、どなたかわからないですけど、うまい。きりりとまっすぐに足を下ろす仕草、血気に逸るみずみずしい若者感ある足取り。ちょっとした動きでも、ピタッ!と揃えて立ち止まる足元の行儀良さだった。もちろん紋秀さんもぴりっと一本気な感じに凛々しくて良かった。

上演内容とは関係ないが、この段の名称は「椎の木の段」なので、六代君〈吉田玉彦〉たちが実を拾う舞台中央の大木は椎の木だと思っていた。が、帰ってから角田一郎・内山美樹子=校注『新日本古典文学大系93 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(岩波書店/1991)を読んでいたら、あの木は栃の木とあった。詞章を確認しなおしたら、たしかに浄瑠璃に「機嫌取榧(きげんとるかや)栃の実を……」とある(脳を全然使わずに見ている奴)。では椎の木はどこに? 謎。
 
 
 

すしやの段。

配役が大変に良く、誰か襲名披露でもするんですかという感じだった。床にしても人形にしても、すしやに人を固めているのかな。

床は前・津駒さん、後・織太夫さんで両方よかった。津駒さんは10月公演の後に続き前を担当ということで、今回はお里のクドキのところが当たって、お声の質にも合っていてとても良かった。権太がママ〈桐竹勘壽〉を騙して泣き真似をするところ、三味線〈竹澤宗助〉は泣きのメロディ(?)を演奏しているものの、どうにも「ポロリ」といかない絶妙なラインをいっているのがおもしろかった。津駒さん&宗助さんはますます「しあわせをよぶマスコット」感が増していて眼福だった。織太夫さんは先月、今月とかなり良い。表現の幅が広がった気がする。

お里〈吉田簑二郎〉、めちゃくちゃ元気。勢いがすごい。弥助〈吉田和生〉が帰ってきてからははしゃいでグルグルついて回って顔を覗き込みまくっているが、簑二郎さんの相手の男を覗き込む・覗き込まないの加減が全然わからん。こないだの『壺坂観音霊験記』のほうのお里では全然沢市の顔を見ていなかったのに。あれとはまた別の意味でものすっごいハイテンション娘だった。ボディで維盛をつっつくところはえらい大胆やなと思ったけれど、弥左衛門〈吉田玉志〉が「今日は離れで寝るわ」と言うところで過激な返答をかますので、田舎娘というのは別にウブである必要はなく、こんなもんなのかもしれない。いや、簑二郎さんの辞書に恥ずかしがり屋のおなご萌えの項目がないだけかもしれないけど。とにかく勢いがすごい。いかにも在所娘なお里でおもしろかった。失恋から速攻立ち直りそうな感じも良い。

維盛の和生さんは出のさりげなさが印象的。さらりと出てきてさらりと帰宅するけれど、まさしく「絵にあるような」美しく浮世離れした姿。お里が元気一杯の在所娘である分、より高貴さが際立つ。ものすごい身分違い感だった。本当に「雲井に近き」オーラ。あのメンツの中では和生さんは確かに浮くよね……。若葉の内侍もそうだが、ほかの人物とは時間の流れが違っていた。

弥左衛門は玉志さん。田舎者ながらちょっと品のある雰囲気のカクシャク・ジジイで、夜の部の久作〈吉田玉也〉より結構若そうなイメージ。あとあと出てくる、弥左衛門はかつて重盛卿の御用を受けただけのことはある身分(船頭として)ということを踏まえているのかな*1。でも単に玉志さんの個性のような気もする。お里と弥助を残して一旦奥へ引っ込む直前に、ひょいひょいとちょっとだけ踊る仕草が可愛かった。権太がおどけて踊るところも可愛かったけど、可愛さの質が揃っていて、親子って感じ。動きのせわしなさでは、弥左衛門とお里も親子って感じだった。

そして梶原平三景時が清五郎さんで衝撃的だった。清五郎さんがあんな大きい人形持っているの初めて見た。というか、普段全然あんな役来ないのに、よくあんな大きい人形をあれほど安定して持っていられるなとびっくりした。そりゃ清五郎さんは体格良い方だけど、立役で身長があって体格が良くても、人形がガタガタしていたり華奢に映ってしまうことがあると思うが、慣れていない人ならますますそうなりそうなところをきちんと安定して持って、威厳を示されていた。梶原景時は出からずっと横向きのままで浄瑠璃が進行し、家に上がるまでなかなか真正面を向かないので、その中で威厳を出すのは結構難しいと想像するが、立派な鎌倉武士ぶりだった。驚いた。

権太は自分なりに色々手を尽くしたが、何一つ報われずに悲惨な末路をたどる。にも関わらず、それが同情を誘うような、お涙頂戴でない雰囲気になっていた。人形浄瑠璃的な世界観だ。話そのものは悲哀に満ちているけれど、そこでもって共感されることを拒絶しているように思う。時代の大きなうねりの中ではそれも仕方ないと思えるようなドライさを人形が体現しているというか……。涙を誘う共感性、「泣ける」的なもの、そういった、ある意味でのわかりやすさを突き放している。誘導をせず、判断を観客にまかせているような。表現として面白い。これは装飾性や過剰さを避ける玉男さん個性と人形浄瑠璃の特性、そして戯曲の特徴が複合した結果このような状態になっているのだと思う。人形ならではの表現で、寺子屋の松王丸でもこのような演技をしていると思うが、どういう効果を生んでいるか、もう少し研究したいところ。幸い6月大阪の鑑賞教室公演で寺子屋がまた出るので、そのときに他の方と比較して見てみようと思う。

浄瑠璃では内面が徹頭徹尾変わらない登場人物が多いと思うけど(たとえば松王丸は寺子屋の前と後で行動は変化するが、内面は変わっていない)、権太は途中で内面が変わる。途中と言ってもその変わり目は観客の見えないところであり、おいおい何箇所か本心を覗かせるところがあるとはいえ、どこからが本心を隠して行動しているのか、表現が難しいと思うが……、どこで内面が変化したとしているのか、演技をどう設計しているのかも興味深い。

あっ、でも、ママからお金をもらって(というか自力で戸棚をピッキングして)ウシシとなっていたところに弥左衛門が急に帰ってきて、慌ててお金を入れた鮓桶に腰掛けて隠すところはピュアに💩しそうで、可愛かった。
 
 
 

義経千本桜』道行初音の旅。

清五郎さんが狐忠信役というのが衝撃的だった。いや、清五郎さんがいつも頑張っていらっしゃるのはようわかってます。これくらいの役がいつ来てもおかしくない人やと思います。去年の大阪鑑賞教室の十次郎もとても良かったし。でもすごい。こんな派手な役が来るとは。クルッとターンする等、急激にポーズを変える所作が綺麗に決まっていて、凛々しくてとても良かった。狐の部分が微妙に迷い気味というか、照れ気味というか、ドキドキ感があるのも良かった。左も慣れてない人をつけてるんだと思います。本当大変だと思いますが……、あれくらいの歳の方が(いえ、清五郎さんがおいくつか存じ上げませんが)本当に一生懸命頑張ってる姿を拝見できるのって、すごいことで、文楽ならではだと思います。
 
 
 

『新版歌祭文』野崎村の段。

衝撃の床配役。もう、太夫が全員「ここは若手会か!?!?!?!?!?」状態のso youngぶりで仰天した。椎の木の段とすしやの段にベテランを固めた結果、こっちがすごいことになっていた。中(いちばん最初)の碩太夫さんと富助さんとか、孫とじいちゃん状態。もうほんと頑張っていらっしゃった。フレッシュだった。

そして、人形も小助が紋臣さんで「そこ!?!?!??!?」と思った。紋臣さんって普段の配役はほぼ女方で、立役があったとしても舞踊演目だと思うんですが、衝撃の1ミリも可愛くないキモ手代……。わ、私の姫が……。いや、動作は紋臣さんらしくクルクルしていてとってもウザカワなんですけど、顔がキモくて不思議な時空に……。玉也さんの久作は声はピチピチなのにものすごいジジイぶりでウロウロしてるし(あの「もう歳で体がこわばってよう動きません」の範囲でシャキシャキ動いている感)、清十郎さんのおみっちょは素早さ&おきゃん度が上昇しているし、久松の玉佳さんは困った顔してるし、床も人形も情報量が多すぎて脳が処理しきれなかった。 

清十郎さんのお光はとても可愛かった。やっぱり悲惨な役は清十郎さんにやってもらわなくては。たとえば勘十郎さんがやったらお染〈吉田一輔〉を威圧して自殺に追い込みそうなので(失礼)。お光は可憐で清楚な雰囲気なのだけれど、在所娘らしく仕草が速くて、ちょっと粗野なところがあるのがキュート。清十郎さん的にも調子がとても良さそうで、今年度最大クラスの可愛さだったと思う。まわりの席の方々もしきりに可愛い、可愛いとおっしゃっていた。

久作を囲んで久松が肩を揉み、おみつが灸を据える場面はとてもとても可愛らしかった。お人形さんたちがきゅっと寄って人形遣いの姿がほとんど見えなくなり、絵本に描かれた風景のよう。そして、ここの部分を聴いて、小住さんて良くなったよなと思った。
 
 
 

3月公演は安定配役と衝撃配役の混在ぶりがおもしろかった。人数が少ないのか、基本的にみなさんランクアップした配役が来たり、二役ついていたり、床も人形も普段は絶対ありえない意外性のある配役がたくさんあって楽しめた。ある意味、マニア向け?

それとやっぱり勘壽さんが働きすぎなんですが大丈夫でしょうか。人数少なくて人形はみなさん大変だと思うけど、勘壽さんまでこんなに働くなんて……。勘壽さんて結構なご高齢だと思っていたが、実はそうでもないのか。帰りに勘壽さんをお見かけ申し上げたが、まったく追いつけないレベルのものすごい速さで歩いておられて一瞬で遠ざかっていかれてしまい、元気すぎると思った。あれを拝見すると玉志サンの遣うジジイの異様なカクシャクぶりも間違っていないと思う。好き。あと、この方には私服ではピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いていていて欲しいと思っていたお方もお見かけしたが、ピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いておらず、フツーのおじさん風だった。でもきっとあのコートの裏地は紫とエメラルドグリーンとエンジ色のペイズリー柄だろう……と新たな夢を持った。

ところで今月から巡業系の仕事では太夫さんの見台は全員共用になったのだろうか。いままでは個人のものをお使いになっていたように思ったが、今月はみなさん文楽座の紋(小幕と同じもの)が入ったもので統一されていた。にっぽん文楽も多分そうだったと思う。輸送費の節減対策とかなんでしょうか……。あと、パンフ掲載の出演者顔写真が新調されたようなので、来月パンフ買うのが楽しみ。
 
 
 

↓ 10月地方公演の感想

 

 

 

 

 

*1:弥左衛門の過去について、今回上演の床本では「船頭として預かった時に過失で金を盗まれた」としているが、原本では「弥左衛門ら船頭が共謀して盗んだ」という設定になっているらしい。時折原本で上演することもあるようだ。