TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

黒川能 王祇祭 2019[二日目・春日神社]山形県鶴岡市黒川

王祇祭一夜目・当屋の記事はこちら。

一夜目の演能を観終え、上座当屋から雪道を歩いて王祇会館へ戻ると、休憩所内は明かりが落とされており、先に戻っている人たちは仮眠をとっていた。すでに5時半を過ぎていて時間的にあまり寝られないので、ちょっと休憩するくらいにした。7時頃、事前に申し込みしていた朝食の弁当(1000円)を受け取る。昨夜の仕出し弁当の朝食版(ものすごい辺鄙な場所にあるほぼ親戚の家状態の民宿の丁寧だけど雑な朝ごはん風)と味噌汁。アツアツの手作り味噌汁がありがたかった。

 

 

 

春日神社へ 〜朝尋常〜

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2月2日。二日目の春日神社は事前申し込み不要のフリー参加、当日神社で受付すれば誰でも観覧ができるという案内だった。

春日神社は王祇会館のすぐ隣にある小さな神社。上座側から下座側に向かって土地が小高くなっていくような場所にあり、黒い木立に囲まれた、いかにも地元の鎮守といった佇まい。真っ赤な鳥居の両脇に背の高い「奉納 春日神社」と書かれた白い幟が立てられており、凍る風を受けてはたはたとたなびいている。お祭りらしく、数軒ではあるが鳥居前に屋台が出ていて、現代的な意匠のけばけばとした原色のテントが静かな雪の風景に眩しい。神社向かいの雪の山には穴が掘られていて、中に長い木材が突っ込んであり、火があかあかと燃えていたが、それが何なのかはわからなかった。

春日神社の祭事は8時から受付、8時30分から祭事と案内があったので、8時ジャストくらいに拝殿に着ければいいかと思い、神社の石段(雪で埋まってひとりしか通れない極狭通路)をノロノロ上がる。途中、上座の人たちの行列が木立の隙間から見えた。どうも王祇様を運んでいるようである。

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そうこうしているうちに階段の一番上、拝殿前へたどり着くが、受付時間だというのにあまり人がいない。そもそも拝殿正面の扉が閉め切られていて、どこから入ったらいいかわからない。中に出入りしているのは地元の関係者ばかりのようで、みなさん衣装や道具が入った風呂敷包みやらトランクを持ち「おめでとうございます」と声をかけあって拝殿に上がっている。しかし扉をすぐにぴしゃりと閉めてしまうので、一般の観覧客が入れる雰囲気ではない。どこで受付をしているのだろう? 拝殿の周囲は全部雪で埋まっていてよくわからないし、拝殿の中を小窓から覗いても人気はなく、地元の人しかいないみたいだし……。しばらく拝殿の軒下に立っていたら、参道脇の両サイドに高く土手状に盛り上げられた雪の上に民俗芸能・祭事マニアらしい人や観光客が徐々に陣取りはじめてきた。昨日受け取ったプログラムで「朝尋常」と書いてある何かは、どうも社殿前で行われるようだ。しかし今日の私のメインイベントは演能なんだし、この神事の見学のための場所取りより先に演能の受付をしたほうがいい気が……?

結局、「行ったれ」と思って拝殿の周囲に巡らされている縁を伝って拝殿下手側へ周り、社務所を発見。なんとか受付する。受付おっちゃんズ、紋付袴姿なので祭事・神社関係者かと思ったら臨時のお手伝いの人だったようで、ローカルルールしかわからないおっちゃんとローカルルールがわからない私とでまったく話が通じ合わなくて、面白かった。ここ、地元の人か、「わかってる」人しか来ないんでしょうね。私も文楽の小規模なイベントに行くと独自のローカルルールでの運営ぶりにびっくりすることがあるので(先方も余所者の出現にびっくりされているだろうが)、こういう待遇は慣れている。事前に「玉串料と、写真を撮りたい人は撮影料が必要」ということがわかっていたので、文楽での経験を活かし、玉串料(5000円)と撮影したい旨を話して撮影料を渡し(3000円)、なんとか手続きをしてもらう。というか、自分で会計した。

受付をしたはいいが、拝殿への通路はすべての扉が締め切られていて中へ入る方法がわからなかったため、一旦、なにかが始まるらしき拝殿前へ戻る。すると、いつの間にか両側にある雪の土手上に黄黒のロープが張られていて、一般客はそのロープの外へ退避させられているではないか。何がはじまるのか? 雰囲気的にロープの内側にいるとまずそうだなと思ってロープをくぐろうとしたら、脇にいた男性がロープを上げてくぐらせてくださった。雰囲気から外来者かつ民俗芸能・祭事マニア関係と判断、毎年の常連客かもと思い「これってどうなってるんですかね?」と話しかけてみたところ、その方も初めて来たということでわからないらしい。「上座・下座で何かを競う」ということだけご存じで、何が起こるのか一切わからずそのまま待機。しばらくすると地元の若いモンが来て、ロープのキワキワに立っている私たちを制して「危ねっからもうちょっと下がって」と声をかけてきた。「危ない」とは……? 「何かを競う」とは、よほど勢いがあることなのか……? 深まる謎の中、次第に大粒の雪が降りはじめる。参道を通るのは演能の出演者らしき風呂敷包みを持った人ばかりだったが、それも途切れ、雪の土手にたっつけ袴に襦袢姿の若い衆が集まってきて、円陣を組んでジャンプしながら回転して気合を入れている。寒くないのだろうか*1。若者たちは土手上に散って一般客をガードしはじめる。土手上で待機している一般客(というか祭事マニアのおじさんたちと私)に流れる「これヤバいんでは……?」という空気。

しばらくすると参道階段の下がざわつきはじめ、人の気配が……? と思ったら、王祇様を担いだ上座・下座両座の若者たちが両サイドの雪の土手の上を駆け上がってきた。「ここを通るの!?まんなかの通路じゃなくて!?!?!?」と驚く見物一同、ふたつの王祇様は一瞬にして社殿扉の左右にある小窓へそれぞれ打ち込まれ、「バシン!!!!!」とものすっごい勢いでその扉が閉じられた。王祇様がまじで目の前、数十cm先を走っていくので、びびった。このあたりすべて無言で進行。完全に置いていかれる部外者。

↓ 階段の両サイドの雪の土手部分を駆け上がってました。

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┃ 拝殿内

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社務所の脇の木戸から拝殿内に入れるらしいことを察し、拝殿に上がる。

春日神社拝殿内はよくある普通の神社とは構造が異なっていた。拝殿内の参道側、つまり通常の神社でいう上り口の部分には、拝殿奥の祭壇に向き合うようにしてつややかに光る大きな能舞台が設置されている。昨夜のような臨時式ではなく、据え置きなのか、重厚な設備である。舞台は拝殿床面からは20cm程度高くなっているだけだが、よく手入れされ磨き上げられているので、その上だけ空気が違っているように見える。能舞台の上には無数の棟木が渡され、能太夫の肖像や演能を描いた多数の扁額が絵馬堂のように所狭しとかけられている。能舞台左右両翼の空間には扁額に加えて春日神社の紋が入った巨大な提灯、金属の黒い灯篭も吊り下がっている。拝殿内の空間を重く古めかしい印象にしているのは、この入り組んだ棟木と重厚な扁額、古びて文字もかすれた提灯やいかめしい灯篭の光によるものだろう。

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能舞台直上を見上げると、舞台左右両側、高さ2m強ほどの位置に、1畳ほどの広さの棚のような台が吊られていて、ござのようなものが畳まれてそこに置かれている。さらにその上の左右の棟木には、松の葉を添えられた薄く平たい餅が縄によって銅鑼のように縦に留められている。この台と餅は後々の祭事に使われるもののようだ。

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再び床面に目を戻す。能舞台奥の中央には太い柱が立っていて、そこに上座・下座の王祇様が立てかけられ、その側に両座の当屋頭人、提灯持ちの若者たちがそれぞれの正装でシンメトリーに居並び、控えている。能舞台奥の左右には廊下状の板敷きが伸びており、低い手すりが設置されて橋掛かりになっている。春日神社の能舞台能楽堂や神社等に設置されているそれと異なるのは、この橋掛かりが舞台左右シンメトリーに設置されていて、合計2つあること。橋掛かりの先にはそれこそ文楽の小幕にような暖簾がかけられていて、その先はそれぞれの楽屋になっているようだ。舞台向かって下手(左側)が「上座」、上手(右側)が「下座」の楽屋になっているらしい。さきほど拝殿正面から出入りしているのが関係者だけなのはそういう事情だったのか。上座・下座の配置が客席側から見た場合通常の舞台・撮影用語でいうところの「上(かみ)「下(しも)」と逆転しているのは、神社祭壇に対しての上下なのだろう。

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そして、能舞台周囲には、多数の柱の間を埋めるように、高さ70cmほどの大きさの春日神社の紋入りの提灯がびっしりと置かれている。この提灯の橙色がかった光が能舞台の床面をつやつやと光らせているのだ。能舞台と拝殿奥の祭壇のあいだは、他の床面とは異なる材質の板で廊下のように結ばれていた。そこはとても座れるような雰囲気ではないので、上手側の舞台キワ、提灯守り(? 村の役員さんらしい)のおじさんの背後に座らせてもらうことに。場内前方部かなり混み合っていてほとんど身動きが取れず、おじさんのものすごい真後ろになった。関係者でもないのにこんなところにいていいのだろうかと思いつつ、腰を下ろして、周囲をよく見回してみる。舞台の縁に並べられた提灯は、よく見るとひとつひとつ大きさや骨組みの作りが異なっている。同じ提灯は昨夜当屋に置かれているのを見かけたが、歴代の当屋で使われたものを並べているのだろうか? この提灯を守っているおじさんたち、肩衣の色が山吹色の人と栗色の人がいる。私が座っている舞台右手はみなさん山吹色。左側はみな茶色のようだ。上座側・下座側で色が異なっているということだろうか。

ところで、あたかもはじめから人がびしっと揃っているように書いていますが、当屋頭人とか提灯持ちの若者とか、その他提灯守りのおじさんとかは、まばらに集まってきます。ほかにも神主さんなどざわざわ人が出入り。時間通りに段取り良く進行とかそういう概念はこの世界にはない。このあたりのフリーダム感がいかにも地方の祭事っぽくていい。あと、柱に立てかけらた王祇様が時々倒れそうになるのがドキドキした。転倒しないよう、若者が時々位置をメンテナンスしていた。で、提灯守りのおじさんたちはキリッとした顔で舞台を見守っているかと思いきや、めちゃくちゃリラックスしておられます。各自大きなポットをご持参で、それを横に置いて座っていらっしゃるんだけど、そのポットの中身が酒であるということは昨夜の状況からすると明白。みなさん仲良しらしく、隣の方と楽しげにキャキャキャキャキャとお喋りされている。そして、やっぱりその場でたばこ吸ってますし、時々、いなくなります。

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┃ 神社祭事のはじまり

春日神社での祭事も、一番最初は神事からはじまる。祭壇の左右に設置された壇に神社関係者や祭事関係者が正装で並んで座り、順番に祝詞を上げるなどして何かをやっていたのだが、このあたりの記憶すべて揮発。最後に神職さんの指示で拝殿に上がっている人全員が祭壇に向かい、礼をしたことだけは覚えている。玉串料自腹で出して拝殿へ上がるなんていうことをしたことがないので、何が起こっているのかまったくわからない私。とりあえず言われたままに従う。

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宮司さんらの指示にしたがってアッチを向いたり、コッチを向いたりするうち、天井に細かな装飾画が描かれていることに気づく。だいぶ古びてよく見えなくなっているが、格子状になったそれぞれのマスに細かな絵が描かれていた。牛や虎などの動物や、植物、富士山などの絵のようだ。また、祭壇のほうは能舞台より一段天井が低くなっているのだが、その段差になっている部分(なんていうの?建築用語わからず)にも豪華なあしらいが施されている。何の絵だろう? 天岩戸? この拝殿も出来た当時は相当華麗な内装だったのだはないだろうか。

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┃ 演能

 

上座 能「絵馬」

春日神社の演能では、前夜の当屋とは上演順が逆転し、各座の脇能一番ずつ、合同で式三番、各座の大地踏という番組になっている。

まずは上座の「絵馬」。囃子方がそれこそ神への供物を持つように楽器を高く掲げ、恭しく入場してくる。同じ演目を昨夜上座の当屋で見たばかりだが、囃子方の一部を除き、出演者はすべて変更されている。また、昨夜は公民館での演能だったので習い事の発表会っぽい見た目になっていたけれど、古びた神社で演じられるとかなり雰囲気が出る。橋掛かりがあるためか、役者が舞台へ入ってくるときの印象も大きく変わっていた。昨夜は蛍光灯の白い光のトップライトの印象が強かったが、今日は足元にある提灯の橙色の光(と言ってもこれも電球だけど)に照らされてのフットライトでの演能になり、装束や面が美しく映えている。天井に蛍光灯もあかあかとついているが、天井や梁の木の色を受けて光全体は赤みがかっているので、人工的な白さがそんなにも気にならなかった。

昨日から気になっていたのだが、普通(というか五流では)、能面は能役者の顔より小ぶりなものを用いて、顎が出るようにしてかける。顎が出ていることによって、そこからその能楽師の歳ばいや体格等を読み取ることができる。あれ、はじめは「おっちゃんは顔がでかいからはみ出てるのかな……」と思っていたのだが、能楽師のインタビューで読んだところによると、これは意図的なことで、出ていないとむしろ落ち着かないそうだ。しかし、黒川能では面は役者の顔をすべて覆い隠しており、役者がどのような人であるのかを察することはできない。一夜目の記事で、黒川能の面をかけた舞い手が文楽人形のように見えると書いたが、血肉を持たない人形のように見えるのは、面自体ののっぺりとした印象に加え、生きた人間の肉体性を感じさせない面のかけかたもひとつあるのだろうと感じた。

しかし「絵馬」、長すぎて、かなり、疲れた(正直)。2時間以上あった。謡を伸ばし気味に平坦に唱えるので(もはや「唱える」なんです)、五流の同演目より時間がかかっているのではないだろうか……。そして、拝殿内、とにかく寒い。暖房設備がないので、室内でも外気温と同等と思われる。吐く息が白い。しかも床は板張り。玉串料をおさめたときに貸してもらった座布団をお尻の下に敷いているけど、極寒の中ずっと座っているのはかなり辛い。とはいえ、きついのは体勢だけで、周囲の人と仲良くなったので変な緊張や遠慮はいらず、気持ちの上では過ごしやすかった。

それにしても場内騒々しい。いや、率直に言う。めちゃくちゃやかましい。謡聞こえんがな。さすがに前列のほうにいる外来者は舞台を見ているばかりなのだが、能舞台から離れた後方、火鉢(というか炭火が入った箱)の側等にいる地元の方々は演能中でも楽しげに歓談されていて、かなりざわついた状態になっている。昨夜の「これ喋らないほうがいいな……」という状況とは打って変わっての喧騒。当屋での観覧応募の当選者に送られてくる書類に「二日目の春日神社は祭事のため騒々しい中での上演になる」という注意が書かれていたが、こういうことか。地元の方々的には、地域の面々全員が会する二日目のほうが盛り上がるようだ。

っていうか、このやかましさに関して一番ウケたのは宮司さんらしいおっちゃんがMYコップを持って提灯守りのおじさんたちのところを回ってきて、がばがば酒飲みながら最前列でキャキャキャキャキャと歓談しておられたことだ。おっちゃんおっちゃん、舞台に神さん出とるがな。天照大神住吉明神は他人なんでしょうか。確かに鶴岡からはだいぶ遠くに住んではる(?)けど。宮司さんはかなり出来上がっていらっしゃった。どのくらい出来上がっていたかというと、藤蔵さんくらい出来上がっていた(藤蔵さんは出来上がっていません)。

 

 


下座 能「高砂

下座の番になると、囃子方の座順が上座とは逆転する。右側から太鼓、大鼓、小鼓、笛。役者の入場も舞台右側の橋掛かりからとなり、後見も右の橋掛かりに座ることになる。ふだん観る演能と左右逆転しているので、少し不思議な雰囲気。今日も翁のおだんごはミイのように縦長で、嫗はちびっこちゃんである。熊手を肩にかけた翁の立ち姿は端正で、印象的だった。

後シテの住吉明神が出てからは、神社での演能ならではの荘厳な雰囲気。住吉明神は濃いネイビーブルーに金で大きく紋の入った狩衣、輝くような朱色にこれも大きな金柄の半切袴をつけ、透冠(?)に長い黒髪を両脇に垂らして、色黒のマイケルジャクソンのような面をかけている。住吉明神ってあんなハワイ帰りみたいな感じの人(?)なのだろうか。大阪在住だから派手なんでしょうか(?)。調べると五流では「高砂」の住吉明神には「邯鄲男」という面を使うことが多いようだが、ああいうすっと上品な色白の貴族風の顔ではなくて、肌はかなり濃い茶色、小さな金の目をやや下向きに剥いていて、口を四角く開き歯を見せてつけているかのような表情の面だった。そして、ゆらゆらとした黒い前髪が面に描かれている(これがマイケルジャクソン感をかもしだす)。何の面なのだろう。装束の色彩の強いコントラストとあいまって、異界の鬼神のような、不思議な神の姿だった。

ちなみに「高砂」で一番有名であろう「♪高砂や この浦舟に帆を上げて」の部分、ここを謡うワキのみなさんがお若すぎて、「♪海は広いな 大きいな」的な唱歌童謡の世界になっていて、可愛かった。うーん、楽しそう。橋掛かりに控えている後見の方も一緒に地謡を詠っていたのが印象的だった。

普段、能楽堂で能を見ていると、登場人物に対して背景が動いていくような、絵巻物を繰っているようなイメージを受ける。特に道行は、その謡に合わせて背景……鏡板の松のことではなく、桜が満開の吉野の風景や波の音が響く静かな海辺の風景が見えるのである……が左から右に向かってゆっくりと流れていくように見える。しかし、ここでは背景は一枚ずつの絵になっていて、場面ごとに屏風を取り替えていくようにパタパタと切り替わっていくようなイメージ。能楽堂のほうが背景が整理されていて、抽象度が高いせいだろうか。それとも所作等の違いによるものなのか、不思議だった。

このあたりで12時頃。舞台に出ている人が頑張ってやっているのはわかるんですけど、空腹の限界、玉串料をおさめたときにもらった軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込みご飯)を食べる。もぐもぐもぐもぐやっていると、提灯守りのおじさんがなんとお弁当を分けてくださった。提灯守りの方々は一日中そこに座りっぱなしになるハードなお仕事なのだが、そのぶん、重箱に詰めた素敵なお弁当を持参されている。というか、祭事の最中に奥様が届けにきたりする。私の隣にいた人がそのおじさんたちと仲良くなっていたので、私もおこぼれを頂戴できたのである*2。おじさんは重箱一段をまるごと分けてくださったのだが、中身は謎の山菜(ザーサイと白菜の中間みたいな柔らかくくにゃっとしたもの)をあっさりとした薄味で煮たもの、食べやすい小ぶりなサイズの塩味の卵焼き、自家製のお漬物などなど、おじさんの奥様が作ったであろうごくごく普通の家庭料理がいっぱいに詰まったもので、とても嬉しかった。アルミホイルの仕切りに包まれてぎゅうぎゅうにされた、すべていちから手作りのおかずたちがたまらなく愛おしい。冷えてもおいしいメニュー。謎の山菜の煮物が特においしかったのだが、私には正体がわからなかった。お弁当を分けてくださったおじさんが名前を教えてくれたけれど、それは地元での通称で、私は知らないものだった。あとから横にいた別の提灯守りのおじさんが「〇〇〇〇とも言う」と教えてくれたんだけど、それもわからなかった。周囲の人はわかっていたので、メジャーなものなのかも。さんざんむさぼり食ったが、おじさんご自身はそのお重に手をつけていなかったため、まるごと全部食っていいかわからず、微妙に少し残した(謎の遠慮)。

全然関係ないが、このあたりで目の前に座っている提灯守りのおじちゃんの肩衣が曲がっていて気が気でなくなる。文楽人形の塩谷判官のように「ぴっぴっ☆」と自分で直してくれればよかったのだが、まったく意に介していらっしゃらないご様子で、昭和のロボットアニメの巨大ロボの肩飾りみたいな感じで最後まで曲がり続けていた。

 

 


式三番

春日神社の式三番で特徴的なのは、囃子方を両座から出しているため、各パート2人ずついることだ。小鼓の人が3人くらいいたような気がするけど、幻覚かもしれない……。

翁の袴は白ではなく浅葱色だった。昨夜も思ったけれど、洗練されていないというか、技量が異様に秀でていない人がやっていないことが逆に効果的で、神に身近感があるというか、翁にすごく親近感が湧く。三番叟は昨夜より若い方だった。個人差だろうか、籾種撒きの所作ではより深く腰を曲げていて、能舞台すみずみまで丹念に種を撒いていた。鈴の段って、やっぱり、種撒いてるんだなということがよくわかった。

パンフレット等の解説ではよくわからなかったのだが、帰ってから調べてみると、黒川能王祇祭の式三番は五流の演じる式三番とは異なっており、上座では翁が「所仏則翁」、下座では三番叟が「所仏則三番叟」といって、特殊なものとなっているらしいことがわかった。そして、春日神社の式三番では翁は上座、三番叟は下座から出すというしきたりになっているらしい。それで三番叟が当屋(上座)と違ったわけか。

 

 


大地踏

上座・下座それぞれの大地踏みを再び行う。配役は昨日から変更され、上座はもう少し声の大きな子になったが、やはり何を言っているのかはわからなかった。広げた大きな扇を見つめて、何かを一生懸命唱えている。下座の女装の子はかなり可愛くて(化粧されてるのかな?)、観衆にサービススマイルを振りまいていた。しかしこの演目のイイところは、神事の最中ではございますが突然鶴岡市の市長サンが登場し(一応紋付)、大地踏をした子がそのまま能舞台で市から額入り感謝状と箱みかん等の副賞をもらえることだな。「感謝状」というのがよくないですか。ローカルイベント感もりもりで、癒された。

このあたりで提灯守りのおじちゃんにオヤツのかっぱえびせんをいただく。めっちゃ食いもん持ってる。

 

 

 

┃ 王祇祭のクライマックス 〜棚上がり尋常/餅切尋常/布剥ぎ尋常〜

ここからが祭事の大詰め。このあたり、興奮しすぎて記憶が混沌としているので、間違っていたらごめんなさい。

式三番が終わると能舞台宮司さんがやってきて、提灯の電球の火を本物のロウソクの火に差し替えていく。ここまでは能舞台の縁に置かれている提灯は舞台台座についているコンセントから電気を吸って点灯しているのだが(ついてるんですよ、コンセントが。能舞台に。祭事中に提灯守りのおっちゃんがザツに座ったためかプラグが抜けて、提灯が消えたのを見た見守り人が焦って飛んできたのめっちゃ笑った)、宮司さんが提灯の覆いをはずし、電球をどけて中に仕込まれたロウソクに神灯から取ってきたらしき火を移していく……んだけど、宮司さん酔っているのか、1個目の提灯をつけるために神灯をつけたロウソクを傾けたそのとき手元が狂い、垂れてきた自分のロウでロウソクが消えた。

宮司さん、提灯守りのおっちゃんズ、私&見物一同「「「「「「あらあああああああ!!!!!!」」」」」」

するとすかさず肩衣姿の世話役のおっちゃんが飛んできて、自分のたばこ用ライターで点火したのでめちゃくちゃ笑った。神灯をとりなおしに行かんのかい。このざっくり感、最高だと思った。宮司さん&肩衣のおっちゃんはその後も舞台を回ってせっせと提灯に(おっちゃんの私物ライターで)本物の火を点火していった。これを一個ずつやるのでかなり時間がかかる。点火しながら提灯の位置調整が行われ、能舞台と祭壇をつなぐ通路に降りる部分に人が通れるよう空きを作っている。また、見物客はその通路部分からどくようにという指示がくる。いよいよ何かがはじまるようだ。ぎゅうぎゅうになる見所。

……と、しばらくぎゅうぎゅうにされたまま、謎の時間が経過。世話役の人がやってきて、通路キワに座っている人に「もう少し下がって、この板くらい」等言ってくるのだが、これから何が起こるのか。また何か勢いがある行事なのか。ふと祭壇側を見ると、何かお膳のようなものを通路中央に並べて支度をしている。頭に白い布を巻いて、黒い蘇芳のような着物に縄でたすき掛けをした若者が4人おり、2人ずつ左右に別れてそのお膳を挟んで向かい合って座っている。舞台の上には襦袢にたっつけ袴姿の若者が上座・下座に別れて集結し、朝と同じように円陣を組んでぴょんぴょん跳ねながら「わ〜〜〜〜っ」と叫び、クルクル回転して気合いを入れている。「祭壇の前にいる4人の若者」「通路の人払い、提灯をどける」「能舞台上に集結している若者」……これはもしや、と思ったら、祭壇の前にいた4人……というか、上座・下座各2名の若者が盃を一気に飲み干し、能舞台に向かって走り出す! 舞台上の若者たちは彼らをリフトし、能舞台上の棚の上へ飛び上がらせる!! さらには王祇様をかつぎ上げて棚上の若者へパス、棚の上の梁へ横向きにして乗せた!!! この間数秒、一瞬で終わる競合祭事に驚き。これがプログラムに書かれていた「棚上がり尋常」というものらしい。

この後、長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い待ち時間が発生。棚の上に上がった4人の若者はそのままあぐらで座ってじ〜〜〜〜っとしている。いったい何の待ち時間なんだ? あの子たちトイレ行かなくて大丈夫? と思ってふと振り返って祭壇のほうを見たら、神前で両座の代表者らしき肩衣姿の人が派手な飾り花の鉢の前に正座して、何かゴソゴソしている。よく見ていると、飾り花の鉢に挿してある無数の小さい飾りを取って細い竹の棒に取り付け、小さな造花のようなものを拵えている。何本も、何本も、何本も。ここでわかった。一夜目の王祇会館での事前説明の際、「二日目の春日神社へ行く方は帰りに“小花”を受け取ってください」と言われるのだが、”小花”が何なのかは説明されず、“小花”って何?と思っていたら、もしやあれがその“小花”。ということは、この拝殿にいる玉串料をおさめた全員分をいまここで生産しているということである。そりゃ時間かかるわ!と納得した。そしてこの小花作りは、この後1時間ほどかかることになる。

ところで、祭壇前では小花作りと同時並行して食膳のようなものも用意されており、祭事の関係者に配ったり、それを上座・下座の楽屋等へ運び込んでいるようだった。それを受け取ったらしい楽屋から声が聞こえたりするのだが、何をしているのかはやはりわからない。この最中、青い肩衣姿の若者が人や祭具を持っていったりきたりするのに神職さんたちが付き添っていて、進行を知らなけど運搬等をしなくてはならない若者ズが女性の神職さんに「早い!! まだ!!! 待って!!!!」とビシバシ指導されていたのが面白かった。それにしてもこの時点でもう4時半過ぎてるんだけど、まだまだ見物から見えないところで延々何かが進行中。声だけが聞こえる。この祭事、いつ終わるんだろう。隣の方と「5時終了って聞いてたけど、これ、めっちゃ押してますよねえ……」と会話。

一方、能舞台奥では襦袢姿の若者たちがやっぱり円陣を組んで「わ〜〜〜っ!!!!」と叫びながら飛び跳ねている。もしかして、あれは気合い入れではなく防寒対策なのだろうか。若い子は本当元気だねえ。みんな今っぽい普通の子なんだけど、かっこつけてる子もおとなしげな子もみんなピュアそうで、一緒になってキャキャキャキャキャとずっとはしゃいでいる。きゃーきゃーやってみんなのウケを取ろうとする子、酔ってテンションが上がってる子(途中から酔いつぶれて寝てた)、それをちょっと離れて見ていて世話を焼いている子……、みんな仲良しでいいねえ……。みんなが着ている襦袢はおばーちゃんの古い着物のリメイクとかなのかしら。純粋な下着的なものではなく、セルリアンブルーや紺等、落ちついた色味ながら、ちょっと華のある細かな柄が入ったものなんだけど、よく見ていると柄がお揃いの子がいたり。ご兄弟とかいとこ同士とかなのかな。いいねえ。そして、その若い子たちの中に、仲良しらしいおっちゃんが混じってたりするのも良い。おとなしくさせようとしているのかと思いきや、一緒にはしゃいでいて、混ざっているようで混ざっていないようでやっぱり混ざっているって感じで味がある。

きゃーきゃーやっている若者たち、延々続く小花作り、楽屋から聞こえる挨拶の声に注意を引かれていたが、ふと周囲を見回すと、午前中には報道のカメラしかいなかった能舞台両脇に、いつの間にか観覧客が増えている。服装や様子からするとほとんどが地元の人のようだ。若い女の子も多い。そしてしきりに皆スマホ能舞台に向かって構えている。いよいよ何かが始まるというのか。

このあたり記憶が完全にあいまいなのだが、何かの合図をきっかけに突然舞台上が混沌として、棚の上に座っていた若者たちが棟木に固定してある餅を落とした! 固定している縄を切らなければ落ちないわけだが、あまりに一瞬で落ちたので、どうやって縄を切って(外して?)落としたのかわからない。上座側はすぐに落ちたのだが、下座側がなかなか落ちない! 下座の若者たちは餅に向き合って一生懸命なにかをしているが、餅はびくともせず、能舞台脇にいる地元の女の子たちがもはや怒号とも言えるものすごい声で叫んでいる! 彼氏や旦那さん、幼馴染、同級生への応援!? すごい騒ぎ!! この餅落としと同時に、梁の上に上げられていた王祇様を舞台上へ下ろし、下で待ち構えていた若衆たちが巻きつけられていた細長い白布を持って祭壇へ走る! このあたり本当に一瞬で、ものすごい喧騒の中行われるので、何が起こったかまったくわからなかった。

…………………なにがなんだかわからず座っていたら、提灯守りのおじちゃんに「終わったよ〜」と言われた。おじちゃんたちも帰ろうとしているし(っていうか私より先に帰った)、地元の人たちはすでにだいぶいなくなっている。プログラムには祭事の最後の部分に「餅切り」「布剥ぎ」というのが書かれていたが、何だったのだろう。と思っていたのだが、帰ってから調べてみると、どうも「餅切り」というのは本当に餅を切るのではなく、先ほどの餅を落とす神事のことで、「布剥ぎ」というのはそれとほぼ同時にゴッチャゴチャの中で行われていた、王祇様と王祇様に巻かれた布を祭壇へ運ぶ動作(布は祭壇の前にいる人が受け取るというか、巻きつけられていたらしい)を表しているようだった。「餅切り」って、餅を固定している綱を切るってことだったのね。餅を切り分けて食わしてくれるのかと思い、周囲の人とワクワクしてた……。しかし、朝見た参道を駆け上がるやつもそうだったけど、両座で競うような神事でも、どっちが勝ったとか、そういうことじゃないのね。別に勝敗の判断はされていなかったし、誰も気にしていないようで、若衆たちは両座とも、終わったらまたみんなで円陣を組んで飛び跳ね、「わ〜〜〜〜〜〜〜っ」と叫んで盛り上がっていた。両座で同時にやること、みんなで盛り上がることに意味があるのね。

このあたりで午後5時過ぎ。タイムテーブルに「午後5時頃終了」となっていたその通りに終わった。意外。終了後、祭壇側をふと見たら、祭壇前に座って祭事を見届けていた一番格上らしき神職のおじいちゃんが爆睡していたのが良かった。笏を持ったままめっちゃ傾いていらっしゃった。誰も起こさんのかい。

帰り、社務所へ立ち寄り、玉串料をおさめたときに受け取ったIDカードホルダーを返却すると(よく考えるとすごい管理方式だけど、玉串料をおさめたかどうかはIDカードを下げているかどうかで判定されるのです)、さきほど神前でせっせと生産されていた小花がもらえた。三色の薄紙を重ねて花びらを作り、長めのお箸くらいの長さの竹の棒の上方に小さな豆で留めた、風車状のアイテムだ。昨日の王祇会館での説明によるとこれには厄除けの効果があるんだそう。拝殿内で床に落ちていたIDカードも一緒に渡したら、「拾ったのー? まいっかー」と1輪おまけ(?)してくださって、2輪いただいてしまった。

 

 


┃ 王祇祭の終わり

一日神社の中で過ごしたので時間の概念がまったく消えていたが、外に出ると周囲は薄暗くなっていた。雪はもう降っていない。帰路については、黒川・JR鶴岡駅間のバスは土日運休(衝撃)なので、タクシーを呼んだ*3。王祇会館前でタクシーを待っていたら、王祇会館のスタッフさんが「このあと地元の人だけでの行事があるので」と帰っていかれた。やっぱり地元の人全員参加で祭事を行っているんだな。地元の人は翌日も事後行事などがあるようだった。周囲はもう誰も歩いておらず、車も通らない。普通の田舎の集落に戻っている。暗闇の中にヘッドライトが見えて、タクシーが来た。きょう一日を一緒に過ごした方と握手して、挨拶をして別れる。路面にまったく積雪がないほど天候がよく、渋滞等もなかったため、スムーズに鶴岡市街へ戻ることができた。王祇会館からJR鶴岡駅まで迎車込みで4000円弱だった。いや、迎車料入っていたかわからん。運チャン、そもそもだいぶ走ってからメーターのスイッチ入れてたし……。

こうして私の王祇祭、黒川での濃密な2日間は終わった。

 

 


┃ 祭りの高揚を後に

私感だが、結果的に、一番話題性のある(?)一夜目の当屋での演能より、二日目の春日神社のほうが面白かった。何が起こるか一切わからないのがとにかく最高だった。一夜目と違い、本当に誰も何も説明してくれないので、目の前で起こっていることが何なのか、まったくわからなくてめちゃくちゃ面白かった。もう、なにがなんだかよくわからないけど、興奮。なにがなんだかわからないって、楽しい。

二日目の観覧客は客層が変わり、玉串料を納めて拝殿に上がっている人にはかなりやる気のある人が多いようだった。拝殿内は狭いので、観覧客の絶対数も減っていると思う。玉串料は安くないし、演能は当屋と同演目だし、朝8時半から夕方5時までの長丁場なので、こっちはさすがに「本気」の人しか来ないのだろうか。私は気まぐれ、興味本位にしか過ぎなくて、もともとは当屋を見終わったら山形県内を観光して帰ろうと思っていた。「でも、せっかく鶴岡まで来たんだし……」という貧乏性的な気持ちで参加したのだが、本当、行ってよかった! もし王祇祭を観てみたいという方がいて、当屋の観覧に落選した*4or応募期間が過ぎてしまって観られないとしても、二日目の春日神社だけ観るのでも十分楽しめると思う。地元の方々がより楽しそうだったのも二日目である。一夜目は本気、二日目はお楽しみ、なのかな。*5

しかしすごいのは、やっぱりこの日も観光客扱いは一切されないことである。観光客扱いどころか案内もしてもらえないのですべて自力解決。「←受付こちら」くらいの張り紙をしておいてくれてもいいのに。ここまで観光的な概念と隔絶されているとは思っていなかった。本当、あくまで地元の祭事なんですね。それにしても地元のおじさんは、お弁当まで分け与えてくれながら、こちらの細かいことには全然干渉してこないのはすごいと思う。お弁当を分けてくださったのは、おっちゃんのただの「素」なんだと思う。

春日神社では、周囲の方々(祭事・民俗芸能マニアの方々)と一日中わいわいお話しできたのも楽しかった。自分は趣味を社交ツールとは捉えておらず、趣味を通じて友人友達を作りたいとは考えていない。しかし、趣味関係の場で偶然出会う人って、初対面でも盛り上がれて楽しい。趣味そのもの、例えばこの王祇祭なら民俗芸能、能楽の話だけでなくその他の興味領域も近かったり、逆にいままで興味がなかったことや知らなかったことに関してお話を伺えたり。謎の待ち時間も楽しく過ごすことができた。

とにかく、純粋に楽しい2日間だった。

民俗芸能は地元の祭事に付随していることが多くて、開催日や場所柄なかなか観に行くことができないけれど、今回の王祇祭に参加できたことは自分にとって貴重な体験だった。一夜目の感想にも書いたけれど、民俗芸能というのは観劇でなく「体験」で、「参加」なんだね。よそ者ではあるけれど、その地域や地元の人々の暮らしにほんの少しだけ、触れることができた気がする。過度に神聖視して持ち上げるのは、不誠実な気がした。

 

 


個人的な二日目のチェックポイント。

  • 玉串料奉納でもらえるもの
    拝殿に上がるには玉串料5000円が必要。玉串料をおさめると授与品がもらえる。内容は、春日神社のパンフ、お札、お神酒の小瓶、神饌(お供え物的な砂糖菓子2個)、軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込み御飯)、あとお茶の小さいペットボトル(ホット!)。これらのものを袋に入れて渡してもらえる。ほか、座布団を貸してもらえる。

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  • 防寒対策
    拝殿内はむちゃくちゃ寒い。火鉢やストーブはだいぶ後ろに下がったところにしかないので、能舞台キワで見物したいとなると外と同様の防寒具、カイロ必携。とにかくものすごく寒い。室内だけど息が白い。温かい飲み物を入れた水筒は本当に役に立ってくれた。
  • 荷物の整理
    事前に特にそのような案内はないが、場内とくに前方(いわゆる正面席)はかなり人が密集する。自分ひとりコンパクトに座るので精一杯、大きな荷物を置く場所はないので、手荷物を小さくまとめて行ったほうがいいと思う。ただ、荷物預かり等をしてくれる場所がないので、近隣の民宿に泊まっているor王祇会館の休憩所を申し込んでいる(一夜目・当屋の観覧申し込みをしていると、荷物を置いておかせてもらえる)or自分の車で来ている等でないと、どうしようもない問題だと思うけど……。
  • 撮影許可とカメラ
    春日神社も許可制で撮影が可能(要撮影料3000円)。社殿内、かなり光量があるので、コンデジで十分な撮影ができた。一夜目に続き、ここでも演能中・祭事中の撮影ができる。ただ、祭事中はともかく、神社の儀式に属するような神事中(宮司さんから脱帽等の指示がある)はさすがにシャッター音を立てるのはマナー違反だと思うので、遠慮したほうがよいと思った。
  • 資料ゲット
    一夜目からずっと「何が起こっているのかわからなかった」と書きまくってきたが、実は王祇会館では黒川能や王祇祭の祭事を解説した書籍が販売されているらしい。買ってこればよかった……。五流の定例公演等に行くとロビーに「本日の使用面リスト」が張り出されていて、使用している面の種別(名称)がわかるけど、当然ながらここにはそういうサービスはない。そして、提灯守りのおっちゃんや世話役の肩衣姿の人、各座の提灯持ちの若者にも役職名があるらしくて、そういう地元の人しか知りえない情報も書かれているのかもしれない。

 

*1:やっぱり寒いらしい。寒いと言っていた

*2:我々がきゃっきゃと話しているので、おじさんが「あんたらお連れさん?」と聞いてきたが、隣の人は「赤の他人です。さっき会いました」と本当のことを真顔で答えたので、おじさんは「……?」となっていた。

*3:王祇会館受付にタクシー会社の電話番号を聞いたら、すでに呼んでいて割り勘相手を探しているという人を紹介されたが、遠慮した。割り勘相手を探している人は何人もいらっしゃった。私とは逆にタクシーに相乗りしてくれる人を探したい方には楽な環境だと思う。交通の便悪すぎの件に関しては、民宿等に泊まっている人は宿の方が送迎してくれるようだった。タクシーは早めに予約しておいたほうがよさそうだった。タクシー会社は何社かあるのだが、地方なので台数自体が少ないため。

*4:王祇祭当屋は収容人数に制限があるので事前応募制で、当選者のみが観覧できる。しかし、春日神社で知り合った方に伺ったところによると、今年は応募が少なく、全員当選だったらしい。当日ビジターでの観覧の受付もしていたそうだ。

*5:次回また来るとことがあれば一夜目は下座へ行ってみたい。王祇様の配置の仕方や能舞台の構成が違うらしいので。

黒川能 王祇祭 2019[一夜目・当屋]山形県鶴岡市黒川

黒川能」は山形県鶴岡市黒川地区に伝わる民俗芸能の能楽で、鎮守の春日神社の氏子によって継承されている。その演能の中でもとくに有名なのは、毎年2月1日から2日にかけて行われる「王祇祭(おうぎさい)」だろう。黒川能自体は出張公演もあり、国立劇場の民俗芸能公演にも出るので蛇のように待っていれば東京でも観られるのだが、こういうのはやっぱり現地で観てこそだよねと思い、観覧に応募して黒川へ行ってきた。

 


 

┃ 黒川へ

2月1日、上越新幹線特急いなほを乗り継ぎ、JR鶴岡駅へ到着。

山形へは初めて来たが、海側だとそんなに雪は降らないのね。外気温は氷点下だけど、これなら雪道に慣れていなくてもなんとかなるかも。と思っていたら、黒川地区へ向かうバスに乗ったあたりから天候が急速に悪化し、すさまじい地吹雪になる。周囲の一面の田んぼから舞い上がる粉雪で視界がホワイトアウト。バスは謎のルートを通っており、経路の小道(農道?)と周囲の田んぼが均等に真っ白になってしまっていて、どこが道だかわからない。バスの運転手さんはなぜここが道だとわかるのでしょうか。と打ち震えているうちに、約40分で黒川へ到着。

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黒川は山間部ではないが市街地から離れた場所で、かなりの積雪。雪かきされていない場所は1m以上積もっている。いちめん白と淡い水色、それに埋もれて枯れ木と家々が黒く見える、雪国らしい世界。周囲に人がいなくて、車等も通らないので、まったく音が聞こえない。少し散歩したかったが、路面がすごい積雪なのと、大粒の雪も降ってきたので、室内へ退避することに。

王祇祭1日目の一般公募の参加者は、「黒川能保存会」という地元組織(公益財団法人)からの紹介というかたちで祭事に参加する。観覧者は春日神社の横にある「王祇会館」という黒川能の記念館的な場所で当日15時までに受付せよという通知が来ていた。王祇会館は地方によくある郷土資料館のようなものらしく、博物館的な展示スペースとちょっとしたミュージアムショップ、大変広い集会室、会合用の座敷等を備えた大きな建物だった。

まずは座敷になっている小部屋で受付をして参加証や資料を受け取り、撮影料等の精算などの事務手続きを行う。ふと見ると、受付の座敷の隣の間に紺の着物姿のおじさん二人組がちょこんと座っていて、受付した人に三重になった盃を三方に乗せて差し出してお神酒を飲ませていた。その横に「寄進料」という紙の下がった三方が置いてあって、お札が乗っかっている。お神酒を頂いた人は座敷に次々と並べられてゆく二つのお椀の乗ったお膳を食べているようだ。何だこれは。早くも地元独特の風習の世界が始まっている。三方に乗った盃は文楽人形たちや東映任侠映画のヤクザたちが受け取っているのを数え切れないほど見てきたが、いざ急に差し出されるとどうやって取ったらいいのかわからない。そして盃を取ったはいいけどおじさんが注いできたこの酒、一気飲みしていいんでしょうか。盃はお椀の蓋みたいなサイズで結構大きくて、お清めにしては結構な量注がれてる気がすると思いつつ一気飲み。自分は日本酒が苦手なので、やたら酒が出てくるこの手の行事は結構厳しいのだが、甘く飲みやすいものでよかった。盃の返し方もわからなかったが、テーブルの上にそのまま置くので合っていたようだ。お金が乗った三方は、外来者は氏子ではないので寄進料として気持ちを横の三方に置くんだけど、観覧料(当屋への寄進料という形になっている)は事前に振り込んでいたのでこんなことになるとは思わず、万札しか持っていなかったのでめちゃくちゃ焦り、小銭で置いてしまった。「寄進料」……、民俗芸能趣味のトラップだと思った。

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二つのお椀が乗ったお膳の振る舞いは「当屋豆腐」と呼ばれているもので、お椀には「上座」・「下座」(後述、黒川の二つの演能座のこと)それぞれの味付けにされた焼き豆腐が入っている。左側のお椀は下座で味噌味。山椒の爽やかな風味の利いたゴボウが乗っていた。右側は上座、焼き豆腐がしょうゆ味のおつゆに浸かっていて、ジューシーだった。

受付の後は集会スペースを利用して設営されている休憩所でお茶を飲んだり、荷物の整理等をして過ごす。この休憩所は事前申し込み制(2500円)で、1日AM10:00頃〜2日AM10:00にかけて出入り自由で利用できるようになっていた。お湯、ホットコーヒー、温かい麦茶、スティック式の甘いインスタント飲料、茶菓子(カントリーマアム、チョコレート、あられ等)がフリーで頂ける。休憩所内はござ敷きになっていて、床に座ってくつろげる低いテーブルのほか、デスク&チェア、こたつが設置されていた。場内はかなり広く、人がぽつぽつ座っている程度なので、周囲に気兼ねなくゆったりと利用できて良かった。ここぞとばかりにカントリーマアムを食った。

15時30分から一般観覧者向けの説明を受ける。事前に送られてきた資料にも書かれていたが、観光客ではなく祭事の当事者のひとりとして参加して欲しいということだった。今年の一般参加者は94人で、約50人ずつ上座・下座に割り振られているらしい。正式申し込み時に提出する書類に、上座と下座どちらで観覧したいかを記入する欄があったが、よくわからないので上座にしていたけど、王祇会館からは上座のほうが距離が近いらしく、上座に人気が集まったので人数調整したとのことだった。後々、下座で観たという人と話してわかったことだが、上座・下座のどっちが良いとかはなく、後述する「大地踏」での稚児の扱いが違うだけのようだ。

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午後4時10分、さきほど受付横でお神酒の授与をしていたおじさん二人組(実は神社関係者等ではなく、一般観覧者のお世話係の人だった)に連れられ、当屋へ向かって出発。このころには地吹雪はおさまり、路面は一面真っ白だけど、なんとか大丈夫。集落の中とはいえ田舎なので建物の間隔等にゆとりがあり、風景がのんびりとしている。雪が積もったのどかな風景を見ながらみんなでテクテク。それよりさっきからおじさんが「夜中に帰る人は道案内誰も立ってないから道覚えといて」とかなんとか恐ろしいこと言ってるんですが。田舎だから目印になるようなものはないし視界が雪に覆われていてどこがどこだかわからない、やばい。そうやって5、6分歩いているうちに「当屋」へ到着。

 


 

┃ 上座当屋

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王祇祭の初日夜の演能は、集落内の「当屋」で行われる。

黒川能の能座は「上座」と「下座」に分かれており(多分、春日神社の拝殿に向かって「上座=上手=右」「下座=下手=左側」という意味なんだと思う)、それぞれの能座の氏子の輪番で王祇祭の幹事(=当屋)を執り行っているようだった。本来は当屋の自宅でやっていたのだろうけど、現在はそれぞれの地区の公民館のような場所で演能しているらしい。私が割り当てられた「上座」も地域の公民館のようだ*1。しかし、ちょっとした会合向けの小さな公民館ではなく、結構大きな建物。天井高がかなりあり、全部の仕切りを取り外して大広間にできる構造になっていた。おそらく演能を見越して設計されているのだろう。内装が新しく、わりと最近できたような、綺麗な建物だった。

公民館内は畳張りで、パーテーションがすべて取り外されて横長の大広間になっており、入り口すぐの天井が高い正方形の間に能舞台、神棚が設置されていた。能舞台は仮設のようだが、重厚で立派なつくりのもので飴色に光っている。高さは20cmくらいだろうか? 床面からはほとんど差がなく、ほぼ地続きのような感覚だ。臨時設置なので橋掛り等の設備はなく、楽屋から直接舞台に上がる構造。楽屋の入り口に下がっている幕も能楽堂の揚幕のようなものではなく、文楽の小幕みたいな感じの普通ののれん的なもの。能舞台の周囲の長押には、「奉納 一金拾萬円」など、寄進の明細を書いた紙が無数に下げられていて、これが地域の祭事であることを物語る。お金じゃないものを寄進している人もいて、「大豆 参俵」「干柿 六百個」などがあった*2

そして入って右手側、座敷中央には突然の謎のお社。古びた衣装箱みたいなものの上に黒屋根の古色を帯びた小さなお社が置かれていて、紙に包まれたおひねり形状のお供え物が周囲を取り囲んでいる。そして最も右側、突き当たりの座敷後部の壁際手前側には、一段高い台に幔幕を張ったスペースが設置されていた。四隅には仮の柱を立てて櫓のようなものが組まれ、上部にしめ縄のような白い布と木でできた何かが吊られている。左側には朱赤で春日神社の紋と「上」の大きな文字が入った巨大な提灯。

その台の上には黒い紋入りの古びた素袍のような衣装を着て頭に白い布を巻いたおじいいちゃん1人と、黒紋付に青い肩衣でこれも頭に白い布を巻いた若者2人がリラックススタイルで座っている。じいちゃんは体育座りしてるし(実はこの人が当屋頭人)、若者はまわりにペットボトル置いてスマホ見てますけど、これ、どういう状況なんでしょうか……。後方さらに奥側には床の間状になった部分があり、紋幕をかけて神鏡をおいた祭壇がしつらえてあって、その前には異様に派手な紅白合計4個の造花の鉢(例えが悪いけど葬式の花輪みたいな感じ)が2つ置かれていた。黒川まで来る途中に見たセレモニーホールに出ていた花輪もかなりデラックスな感じだったので、これは地域性かもしれない。

始まる前からあまりに情報が多すぎて、余所者には何がどうなっているのか謎の空間、どこに座ったらいいかまったくわからんと思っていたら、世話役のおじさんに「保存会の人(保存会経由で来ている観覧者の意味)はこっち座って〜」「それ(お社)はなくなるから大丈夫〜」と、お社の右側(舞台上手〜地謡座側)に座るように言われた。お社がなくなるとは???すでに四周をめっちゃ人が取り囲んでるんですが???と思ってマゴマゴしていたら座る場所がなくなり、最後列になってしまった。個人的に能楽は後列席がいいんでまあいいかと思い(だって人間ってめっちゃでかいから)、自分が座るスペース+荷物置きのスペースを確保。場内はかなりギュウギュウになると聞いていたが、後ろのほうだからかそこそこスペースがあり、自分がゆるめに座って横に畳んだロングコートや靴・お弁当等の荷物を置けるくらいの余裕はあった。

下手側は地元の人の席になっているらしく、この時点では開演まで1時間半以上あるせいかまだほとんど人がいなかった。能楽の正面席にあたる場所の上手下手の有利不利ってあるのかな?外来者が上手に座らされるのにはどういう意味が?と思っていたが、なぜ外来者が上手に座らされるかは後々わかることになる。 

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┃ 王祇祭のはじまり

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王祇祭が始まるのは18時と聞かされていたが、17時40分くらいから何かが始まった。何かが始まったと書いたのは、何が始まったのか、わからなかったから。この時点では後々があんなに謎の事態になるとは思わずメモを取っていなかったので、うろ覚えの記憶で書くので内容順序が間違っていたらごめんなさい。

まず、能舞台の周囲を取り囲むように燭台が設置され、奉納された巨大なロウソクが6本立てられた。正しく言うと、巨大なロウソクのレプリカ(?)の上に、本当に燃やす用の20cm弱くらいのロウソクを立てて、そこに点火している。それぞれの燭台にひとりずつ火の番の若者がついており、ロウソクが燃えてくると割箸で芯を切ってお椀に入れていた。若者たちはもうひとつお椀を持っていて、そこには塩のような白いものが入っていたんだけど、それが何なのかはわからなかった。このロウソクの火だけで蝋燭能的に上演するのかと思いきや、フルで電気つけっぱなし、蛍光灯の真新しい白い光の中で祭事は進行した。ロウソクは出演者に対する目付柱的な意味(ここまでが舞台という目印)でつけているのかな。

そうしてしばらくすると若者たちがやってきて、客払いをすることもなく謎のお社のまわりに置かれた賽銭や供物を持って来た袋にざざーっと流し込んで片付けてしまい、おもむろに社を持ち上げて楽屋へ運び込んでいった。そして若者がまた戻ってきて、土台にされていた2つの衣装棚も奥へと運んでいく。全然ついていけず「??????」となる外来者一同。

次に、紋付肩衣姿のおじちゃんたちの指示のもと、後部の幔幕席に座っていた若者がしめ縄を下ろし始める。それは実はしめ縄ではなく、「王祇様」と呼ばれるこの祭事のご神体らしい。王祇様は、てっぺんに白い紙のフサフサがつけられた3mくらいの三本の真新しい白木の角柱で、その間に綱と白い布を船の帆のように張ってつなげられている。え?何??なにかの民間信仰???春日神社のご神体とは違うの????どうも上座と下座にひとつずつあるらしいけど、なぜご神体が二つあるのか??????と頭の中にハテナマークが無限に湧いてくるが、説明は一切ないので全然わからない*3。青い肩衣の若者たちは祭事の実務を執り行う若衆のようで、おじちゃんたちにアレコレ言われながら巨大な王祇様をかつぎ、提灯をかかげて舞台側にえっさほいさと運んでいく。

このあたり、すべて無言で進行。すべての進行が唐突すぎて、正直、ほとんど記憶がない……。写真が残ってなければすべての記憶が飛んでいた……。撮影許可取っといてよかった……。(以下、写真は貼りませんが、演能中・祭事中も撮影可能でした。)

 

 

 

┃ 演能

 

大地踏

一夜目の演目は上座・下座それぞれで別番組となっており、当屋2箇所において同時進行で上演される。演能は式能形式で能五番狂言四番を上演するのだが、その前に両座とも、黒川能独特の「大地踏」という演目が入る。

手前に提灯が置かれた舞台へ、金の烏帽子を被り、黒の小袖に紺地金柄の衣装を羽織った稚児が登場。ずいぶん若い子だと思って配布資料を確認したところ、4歳だそう。うしろに肩衣衣装のおじいがついていて、しきりにこそこそと話しかけ、その子の身長の半分くらいありそうな扇を持たせたりしている。若い衆がさきほどの王祇様を扇状に広げて子どもに覆いかぶせるように傾け、その中で子どもが王祇様へ向き合ってなにかをやっているのだけれど、後列からはよく見えない。それが何を意味しているのかもまったくわからない。それが終わると、稚児は朱鞘の太刀を肩にかけ、舞台の四隅を回ってなにかを小さな声でつぶやいている。このセリフは本来大きい声で言うようだが、聞き取れない。時折、おじいの誘導でとたたたた、と小走りになったり。何が起こっているのかまったくわからないまま、「大地踏」終了。

翌日、一夜目を下座で観たという方と話すことができたのだが、下座ではこの稚児(男の子)が女の子の格好をするということになっているらしい。写真を見せてもらったらものすんごい可愛い子で、素で女の子かと思った。

 

 

能「式三番」

翁、千歳、三番叟が舞う。ほぼ儀式の延長。

全身、さらし木綿のような素朴な白い装束をまとった翁が現れ、黒く大きな重箱に入った面を舞台上で取り出し、かけて、舞う。やっている人は、言うまでもなく、もろ素人。誰がどう見ても素人なのだが、そういう人が翁をやっているというのは、やはり衝撃的である。

不思議なのは、デフォルト姿勢の際、構えた両手の人差し指を立てていること。常に両腕を鳥の仕草のように軽く広げ、その両手人差し指を一本立てている。これはみんなそうだった。はじめは役による袖の掴み方なのかと思っていたが、どの役もみなそうしているので、ここでの所作の基本姿勢となっているようだ。それと、ここでは基本姿勢では直立しないということになっているのだろうか。特にワキ方、まっすぐに立たないというか、狂言師のように、若干前傾気味で棒立ちのような姿勢になっている。はじめは慣れてない人がやっているからかと思っていたが、まっすぐ立っている人も多いものの、この前傾寄姿勢の人も多かったので、なにかそういうルールがあるのかもしれない。

装束は、時代を感じさせる古びたものが多かった。能の装束では唐織をはじめピンピンに綺麗なものしか見たことがなかったので、一般人役の文楽人形が着ているような「長年着てますぅ〜」的な、いや、文楽人形さんたち、別に好きで長年同じ衣装着てるわけじゃないと思いますけど、そういう、日に焼けたり、ほころびができている、古色とこなれのある質感が逆に新鮮だった。装束を見るためにオペラグラスを持っていってよかった。

それにしても翁や千歳より三番叟のほうがおじいちゃんというのが衝撃的だった。式三番って五流でも観たことがないが、そういう配役が普通なのだろうか? いやいや普通翁を一番格上の人がやるはず。正月とか、たいてい宗家がやってるし。三番叟って活動量が一番多いと思うが、大丈夫なのだろうかと思ったが、そこは熟練の技だった。野趣溢れるというと紋切り型表現なのだが、洗練をまったく目指していない、その人独特の演技というか……。腰を大きく曲げてメリハリを強くつけた動作。セルリアンブルーの古びた装束を着て鈴をたずさえた三番叟の舞は、儀式的・舞踊的というより、いわゆる、自然な動作だった。たぶん、実際の種籾まきの動作に近いのだと思うが……、独自の動きだった。こういう素朴さをやたら持ち上げるのは感性の怠慢であると思うので好きじゃないため、もって回った言い方だが、その方のいままでの能役者としての経歴がこれに現れているのだろうと感じた。そこによしあしというものはない。翁、千歳は三番叟に比べると若い人で(といってもおじさんですが)、目線の浮き方から緊張が伝わってきた。

この式三番では、当屋頭人(主人)のおじいちゃんが大鼓を打っていた。囃子方は始めと終わりに、ぺたりと地に伏すように深々とした、しかし形式的な礼をするのも印象的だった。普通の演能なら礼はしないと思うが、春日神社の神に向かって礼をしているのだろうか。

 

 

能「絵馬」

予習せず行ったので(演目を現場で受け取ったプログラムを見て知ったアホ)、内容がまったく理解できなかった。こういうときのために公式パンフレット(1500円)を頼んでおいて助かった。

帝の勅使であるワキが出てきてぼそぼそとなにかを言い始めたとき、これはやばいと感じた。「式三番」のときから若干察していたが、謡がまったく聞き取れない。いや、五流の公演でも聞き取れないが、それよりはるかに聞き取れない。違う意味で聞き取れないのだ。特にワキは抑揚がまったくなく、祝詞のように平坦なトーンのため、言葉を捕まえられない。舞台で何が起こっているのかがまったく追えない。これはこういうものなのか、演者の力量によるものなのか……。あまりに棒読み状態すぎてわからない……。いや普通にやってはここまで棒読みにすることは難しいので、これも稽古のたまものだと思うが。シテはまだ少し抑揚がついているのだが、全体的に微妙に訛っていて聞き取りづらい。庄内弁? なんで帝の勅使が訛ってんだ? みやこびとでは? いや、義太夫も舞台が江戸だろうが東北だろうがおかまいなく全員大阪弁で喋るので世の中こんなもんか……。むしろ大阪弁のイントネーションがおかしいと師匠から叱られるし客からは叩かれるからな。合点承知之助!!!(すでに意識が朦朧)

天照大神をはじめとした女性の面がなんとも不思議だった。「能面」というと古色を帯びたもの(であるほど良い)というイメージがある。実際、新作は五流の定期公演等の演能には使われないと思う。しかし、ここで使われている面は新品のように顔がまっしろだ。ちょうど文楽人形のごとく胡粉で化粧されているかのようで、白くマットな肌をしている。翁や黒式将などは古い面をそのまま使用しているように思ったが、女の面だけは常に手入れして使うという風習があるのだろうか。経年による肌の色ムラ、細かいひび割れや顔料のかすれ等が見えず、本当に人形のようで、舞い手の表情を率直に映し出している。ある意味で文楽人形に見えが近い。舞い手も能楽師としていわゆる上手さがあるわけではなく、照明も蛍光灯の光の下でやっているので、かなり不思議な雰囲気だった。

ほかには、前半に登場する翁の髷がかなり大きいのも不思議だった。前側に曲げて結うよくある髪型ではあるのだが、結っている部分が頭頂部で大きくおだんご状になっており、扇状にされたその先端は面にかかるほどに大きく散らしている。間狂言の獅子の精も妙にばさばさと乱れた鬘で、よく見る端正な能狂言の世界からは少し遊離した印象だった。

この途中で、事前に頼んでおいた弁当(1000円)を食う。ふだんは上演中飲食可能のイベントでも「先方は真剣にやってるんだから」と絶対ものは食わないが、この「絵馬」、2時間もあって、あまりにお腹がすきすぎたので……。弁当は田舎の法事で出る仕出し弁当としか言いようがない弁当なのだが、実はそういうの大好きなので嬉しかった。弁当は地酒のカップ酒付き。さっきお神酒を飲んだ上にこれを飲んだのが失敗。のちのち眠くなってしまった。

 

 

狂言「末広」

「絵馬」が終わったとき、突然、地謡のおじさんがたばこに火をつけた(衝撃)。いえ、たばこ休憩はわかるんですけど、地謡座でそのままたばこ吸ってもいいの? 狂言方の人が入ってきて次はじめちゃってるんですけど?? いや、むしろ全員リラックス遊ばされているというか、お菓子を取り出して食っているおじさんがいる。そしてアメちゃん分け始めた(目に良いブルーベリーキャンディ)。ところでそのおもむろに傾けているヤカンの中身、もしかして、白湯じゃなくて、酒ですかね。情報量が多すぎてついていけない。狂言が頭に入らない。なんだこの時空は。横に置いたMYバッグ(サラリーマンが持っているようなやつ)をごそごそあさる地謡おじさん。正座してないとか、誤差の範囲でしかない。

この祭事、休憩時間というものは後述の「中入り」しか存在しない。「能楽堂で休憩挟んでやりまぁす」的なお客さん向けプログラムではなく、あくまで神事なので観客の存在を想定しておらず、休憩なしでぶっつづけで演じつづける。役者や囃子方は交代していくんだけど、地謡のおじさんは最初から最後までそこにいるのだ。そりゃリラックスするわと思った。良かったのは、基本紋付でちょろついてて、演能中に地謡座で袴つけてるおじさんね。そんなんありなのか。自分でうまくつけられなくて「なんかヘン〜💦」ってなっていて、隣にいるおじさんにつけてもらっていた。あと、地謡が入るときですらずっと寝てるおじさんがいたけど、誰も起こしていないのが最高だった。

地謡は、普通?後列奥側から順に格の高い人が座ると思うが、ここではそういう座順ではないようだった。神棚の下が一番えらい人なのだろうか? 後列手前(神棚)側のおじさんだけが地謡の番でなくともずっと謡本を見て進行を確認しており、次の動作がわからない子方の世話をしつつ、セリフ飛び等のトラブル等に対処しているようだった。でもこの混沌世界、単にしっかりした人なだけかもしれない。

この上座で一番えらい人=太夫は、後見に座っていた紋付姿の人かと思う。役者や地謡としての出演はなく、一晩中舞台下手で後見をされていたのだが、こんな勘壽さんみたいな歳の人に徹夜させていいの!?と思った。さすがにシテが出ていても時々不在だったり(不在中の衣装直しやトラブル対処、鬘桶の出し入れは地謡おじさんが対応)、正座用の小さい椅子を使って立て膝で座ってらしたけど、地謡についで大変な役だ。

というわけで、出演者の方は大変頑張っておられるものの、「末広」自体にまったく目がいかなくなるほどの混沌……、いや地元の方にとっては普通の風景の中、22時頃、「中入り」を迎える。

 

 

中入り

王祗祭での「中入り」とは、役者の食事休憩の時間を指す。「末広」が終わって場内がざわつきはじめ、外の空気を吸おうと屋外に出たとき、入り口のガラス戸を閉めようとしたら地元の方に「開けたままにしといて」と声をかけられたのだが、それは「暁の使い」を迎え入れるためだった。

中入りの際、上座には「暁の使い」という下座からの使いが提灯を持ってやってきて、上座の一同に挨拶をする*4。儀式的なものかと思ったらさほど格式ばったものではなく、かなりさりげなく入ってきて、かなりさりげなく挨拶がはじまった。ほぼ流れ作業だ。何をしているのかは、場内がざわついていて人の出入りが多く、よく見えない。能舞台両サイドに地謡が4人ずつ分かれて座り、舞台手前に当屋頭人と提灯持ちの若衆2人が座って、舞台奥に座った下座の使いを迎える。使いは楽屋にも回って挨拶をしているようだった。楽屋等での挨拶が終わると、当屋の方々が能舞台上に集まり、談笑しながら食事。盛り上がってます。能舞台の上で飯食ってもいいんだ。ここでは一般観覧客にも豆腐とお神酒の振る舞いがあった。

このあたりで一般の観覧客はほとんど帰ってしった。みなさん近隣の民宿等を押さえていらっしゃるようだ。おかげでこれ以降はだいぶ前のほうで観ることができた。地元の方も出入りはあるものの、人数が激減した。祭事は翌日も続くので、皆さん一旦帰宅されたようだ。一般客が正面上手側(奥側)に座らされるのは、地元の人の出入りの激しさを見越してのことだったのか。ちょっと観てくだけ、という人は公民館の玄関に立ってご覧になっていたり、通路に座って観ていたりされていた。

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能「熊坂」

これは観たことがあるので内容は理解できた(ほとんど忘れていますが……)。熊坂長範役の方は端正な舞だった。その装束はさすがに金襴で美しいものだった。間狂言の所の男役の方がかなり上手かった。間狂言って一般の能の公演でも正直カットしてくれと思うことが多いのだが、間が持っていた。この方には惹きつけられるものがあった。

 

 

狂言「膏薬煉」

これも観たことがあるので、言葉があまり聞き取れなくても内容がわかって助かった。薬売り二人が自分の商う膏薬の吸引力を巡って戦う話。能楽堂だとどれだけ狂言師が下手でも多少わざとらしくあろうと笑っている人がいるものだが、そろそろ深夜になってきて誰も笑っていないのがやばい。狂言方の二人はお若い方ふたり。そこまで詰めに詰めた稽古ができるわけではないだろうに、結構息が合っている。お友達同士なのだろうか。

 

 

能「吉野天人」

なぜか内容の記憶がまったくない。舞台正面に出された桜の作リ物が邪魔でよく見えないと思った覚えだけが……。謡が聞き取れなさすぎると集中力が低下するということがよくわかった。シテの方は息切れしていて、謡がぶつぎれになりがちだった。慣れていない人が面をかけてそれなりの動きをして声を発するとなると、大変なのだろう。間狂言は猿婿入りだろうか? 以前、和泉流で観たときはもっとたくさん猿がいた気がするが、少人数でやっていた。

 

 

狂言「柿山伏」

正直に言うと、「柿山伏」をやってる間、そのへんをうろうろして休憩していた。この「うろうろ」、出演者からしてみれば失礼なのだが、なかなか楽しい。当屋は普通の能楽堂の間取りではないので、一般客でも狂言方の背後に回り込んで観ることができたり。出演者アングルで見所を見ると、みなさんリラックスされてますね……。って感じだった。能楽堂感覚でボケ〜ッとしていると、すべて見えている状態だった。

 


能「船弁慶

義経を連れ大物浦へやって来た弁慶が、大荒れの海上で知盛の怨霊と出会うという話。能では見たことないけど文楽では見たことあるからわかります(わかりません)。

義経役の子方が着ていた装束がボロボロなのはわざとなのだろうか。抹茶色に金の模様が入った狩衣のようなものを着ているが、色がくすみ、ところどころが破けて、布自体もへたって退色している。それともその装束しかないということなのだろうか。弁慶より服がボロい義経

静御前役の方の謡がかなり上手かった。この方は単に地元の習俗のための稽古の範囲を超えて、普通に好きで謡を習っているのではないかと思う。レベルが全然違うというか、きちんと抑揚がついていて、普通(?)の謡に近い。あとこの人だけ訛っていなくて、イントネーションが普通。謡の上手さはナンバーワンだった。

後シテ・知盛役の方は細身長身の方で、黒髪長髪の鬘とあいまって「CLAMP作画のイケメン!!!!!!」と思った。かなり背が高い方で、烏帽子をかぶっていることもあり、自身がたずさえている長刀くらいの身丈があっただろうか。能舞台が若干狭いので、長刀を振るう舞に迫力がある。目が覚めた。舞台キワのギリギリまで行けているところを見ると、かなり慣れている方だと思う(他の出演者では舞台キワまで迫る際に足元を見てしまっている方もいたので)。舞や所作そのものが上手いだとか洗練されているというわけではないが、幽霊となった知盛のイメージを率直にあらわしているような佇まいで、とてもよかった。クリーム色に金で波の模様が入った袴も美しかった。

弁慶役の方はかなりお若くて、緊張のあまりセリフが飛んで目が泳ぎまくっており、知盛に気圧されていた。一生懸命頑張っていらっしゃる姿が好ましかった。

あとはこれも間狂言(船頭役)の人が大変に上手かった。やはり結構訛っているのだが、何を言っているのかわかり、内容に対する語り口も的確な印象だった。

このあたりになると一般枠の観覧者は3分の1以下になっていた。残っている人も寝ていたり、空間がカオスになってきている。しかし逆に地元の人は増えていて、みなさん起きていて熱心に舞台をご覧になっている。知り合いが出ているところに来ているということなのか、うまい人が出るところに来ているということなのか。私の感覚としてはどうも後半のほうがうまい人が出ているように思えて(面をかけているので出演者の年齢層等はわからないが)、途中で帰った人はもったいないことしてるなと思った。せめてこの「船弁慶」まではいた方がよかったと思う。

そして自由な地謡のおじさんたち、普通に弁慶が必死にあーだこーだ言ってるのに、地謡座でのんきにうどんをすすっていた。2杯食ってる人もいた。強い。それよりだしの香りがおいしそう。鍋に山と盛られた細めの麺を各自でお椀によそって、あおさ?もみのり?のようなトッピングを乗せ、ヤカンに入っているだし汁をかけて食べている。見ていて空腹の限界。義経がどうしたとかだんだんどうでもよくなってくる。もう勝手に流浪してくれ。私は飯が食いたい。

 

 

狂言「節分」

夫の留守を守る美しい人妻に懸想した鬼が散々貢物をして家へ上がり込み、亭主気取りで寝はじめるが、女に豆を投げつけられて退治されるという話。悲惨。人妻はもはやひょうたん型になっているおかめの面をかけているのと、言葉がもうものすっごい訛っており、あまりに自然体すぎて美人感がぜんぜんないのと(失礼)、全体的におっとりのっそりした雰囲気が場所に似合っていて、楽しかった。シーズン合わせで選定された演目だと思うが、本当に豆(というか落花生)を撒いていた。

終演後、サービスで後見の人が客席にも落花生や柿の種の小袋を撒いてくれた。ちょっと恥ずかしそうに「おには〜そと……ふくは〜うち……」と声をかけていらっしゃったのが良かった。こちとらマジで腹が減っていたのですかさず柿の種の小袋を掠め取った。

ところで、落花生をまいていたのはあとで片付けをする都合上だと思っていたのだが、豆まきを本当に落花生で行う地域があるんだな。というのも、2日目の春日神社終了後、鶴岡市内に泊まって地元のスーパーへ買い物へ行ったとき、店内アナウンスで「節分の豆まきに、落花生がお買い得になっています♪」というのを聞いたので。ここはそういう地域ということか。

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能「鷺」

集中力と眠さ、疲労に限界が来て、ほとんど寝てしまった。気づいたら鷺が舞い降りて、いなくなっていた……。

 

 

 

┃ 夜明け

午前5時頃、地謡の人が短い祝言(?)を謡って、特に終了とも言われず、終了。

最後まで残っていた一般観覧者が「???」となっていたら、地元の方が「終わったよ」と教えてくれた。演能に使われた装束が楽屋から能舞台へ運び込まれて中央に山積みとなり、片付けがはじまっている。祭事の進行プログラムを見ると翌朝の春日神社までの間にも何か行われているようだが、部外者がここに残り続けることは不可能であろう雰囲気とあまりの眠気に王祇会館へ戻ることに。外へ出ると雪は降っていないがかなりの寒さ。路面も積雪が凍結して歩きにくい状態になっている。そして、当然ながら全然人が歩いていない。巨大な除雪車がゴインゴイン走っている。『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の最後に出てくるお城カーみたいなすごいのが走っててびびった。爪が怖いよ。周囲になにもなく、真っ暗すぎてここがどこだかわからない。帰れるか? と思ったが、なんとかヤマカンで道をたどり、王祇会館まで戻ることができた。遭難しなくてよかった。

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一夜目を終えて感じたのは、民俗芸能ってやっぱり観劇ではなく体験なのだなということ。祭事の参加者と同じ場所にいて、同じことをして、同じものを見ることに意味がある。先述の通り、民俗芸能公演は国立劇場の主催公演にも出るけれど、やはり、現地に来て、祭事の当日に観るのが一番だなと思った。何の説明もなく次々に起こるよくわからん出来事や、地元の人とのちょっとした交流がおもしろい。

それと、感じたこととしてはこれが一番大きいのだが、黒川能と王祗祭は地元の人にとってはあくまで日常の一部で、普通の日々から少しポコっと突出したハレの日なんだなということ。日常から隔絶されたものではなく、地続きである。黒川能関連の書籍や観覧した人の感想ブログでは「五流からは隔絶された世界」というイメージで神聖視されていることも多いと思うが、儀式ではあるけれど、格式ばったものや異様にテンション高いようなものではなく、集落の人にとっては普通の年中行事なんだなと思った。特別なものでないからこそ今まで伝承されてきたんだろうなと。若者たちが儀式の進行をよくわかっていなくて、年配者がその場その場で教えていくというのも、毎日の暮らしの中にまぎれこんだ田舎の祭事ではありがちなことだ(自分の実家のさらに実家の盆行事などは、常にこういう状態になっている)。地元の人々が自然体で祭事に参加しているのがとてもいいなと感じた。

演能そのものについては、当然だが、謡や仕舞を五流と比較する意味はない。とはいえ、普段は五流でしか観ないので、一切比較しないということはできないけれど。私は、文楽と能には洗練と技量を求める。「一生懸命やってます」「頑張ってます」程度の人は、見る気がしないし、まったく興味がない。しかし、うまいとかへたとかは、ここでは関係ない。とくに若い人は途中で謡が出てこなくなっていて(そういうのは五流の公演でも時々あるが)、その際は地謡のおじさんたちが教えてあげていた。普通に考えたら謡を覚えていないような人は舞台へあげられないと思うが、それでも若い人を舞台に立たせているというのが良かった。お若い方は戸惑いがあったり、拙かったりしても、一生懸命に取り組んでおられるのがわかった。子方も、もはや自分が何やってるかわからなないような子が小さい子が出ていて、へんなところへ行こうとしたり、立ち上がるタイミングがわかっていないときは地謡のおじさんが捕まえていた。また、義経役のような一般的な子方だけでなく、巫女や嫗、従者など、本来大人のワキ方が出るであろう役に義務教育年齢のお子さんを出していたのも印象的。二日目の春日神社でも思ったのだが、翁はそれなりの歳の人だけど、嫗がちびっこという組み合わせはなかなか面白い。

若い子にこのような稽古必須の民俗芸能を継いでもらうのは本当に大変なことだと思う。そもそも若者の数自体も少ないだろうし、地方だと若いうちから働きはじめて忙しくなってしまう子も多いし、遠方へ進学する子も多数いるだろう。それでも結構たくさんの若い子が協力しているのが素晴らしいと思った。こんなところにこんなにも若者いるの!?ってびっくりしたもん。出演者にも祭事に参加する人々の中にも、大丈夫か!?というようなヨボヨボのじいちゃんから元気のいい働き盛りなおじちゃん、ちょっとチャラそうなイキのいいお兄ちゃん、一緒に出ている弟分を気にする素朴なティーンエイジャー、ちっちゃすぎて自分が何やってるかわかってなさげな子、全世代、まんべんなくいた(黒川能は出演者全員男性)。実際に行くまでは、もっと露骨に高齢化していると思っていたので、驚き、安心した。みんながみんな好きでやっているわけじゃないだろうに、「地域の行事だし、自分のできることをやるか」と取り組んでおられる姿がとても素敵。茶髪で眉毛細くして上演中でもたばこ吸ってるような若い子が、スマホを見ながらも燭台をちょこちょこ気にして、真面目にロウソクの芯切りやってるのって、いいよね。スマホ見ながら燭台と演能見て、ときどき居眠りしてるっていうのがいい。

狂言は何回も同じ若い子が出ていて大変そうだった。何番もよく覚えたなと思った。世間(?)では能より狂言のほうがとっつきやすくて人気ありそうだと勝手に思っているのだが。囃子方も、一般には習い事としてメジャーそうな笛と小鼓は何度も同じ人が出ていたり、逆にマイナーそうな大鼓や太鼓は毎回人が変わっていたり……。名跡があるようなので家ごとの世襲かと思っていたが、配布された町内会誌(?)に載っている関係者コメントを読むとパート変更ができるようなので、強い縛りがあるわけではないのか。しかし小鼓や狂言の人は出番が多いぶん、板についている感じだった。小鼓、笛の人は安定感があって普通に上手かった。

 

 

 

┃ 一夜目を終えて

一般観覧者については、事前には古典芸能(五流の能楽)が好きな人、祭事・民俗芸能が好きな人が多数かと思っていたが、少し違っていたようだ。

まず、近隣地域の人がかなり多いと感じられた。一般枠で入場していても、誘導や交通整理等の人と親しげに談笑されている人も。よそ者系では、なんというか、単にこういう「変わったもの」が好きな人というか、ハンドメイドのイベントとか、古本市(本気のやつではなくカジュアルイベント系の)とか、サブカルほっこりイベントにいる感じの人がそこそこいた。邪念ですいませんが、わかっていただけるでしょうかこのニュアンス……。ほか、当然ながら、純粋に観光客として来ている人も結構いるようだった。

多いと思っていた古典芸能好きの人(私もこの部類)はそこまでいないのではという印象。ただ、休憩所で国立劇場の主催公演関連の話をしていた人はいた。祭事・民俗芸能好きの人は結構いたと思う。スマホタブレットで撮影している人もいる中、結構いいカメラを持ってきてる人とか、細かくメモを取って観ている人とかはこの部類だろう。翌日の春日神社で仲良くなった人たちはこういったジャンルマニアの人だった。

地元の人は出入りが激しいが、かなりの人が見に来ているのではないか。能楽って東京で観ていると、趣味としては都市部の富裕層向けの特殊な娯楽のように感じられるが(特に好きじゃなくても教養や付き合いで観に行く的なことも含め)、ごく普通のそのへんの奥さんやおじいちゃん、ちびっこ連れのお母さんが来ているというのがいい雰囲気だった。ご出演の方も、ご自分の出番が終わったら私服に着替え、見所に回って舞台を見ていらっしゃる。地元の方々は振る舞いのうどんを食べたりしつつも、かなり真剣にご覧になっている方が多かった。家族や親戚、知人が取り組んで出演しているのを観に来ているのだから、当たり前。正直なところ、東京で公演される一流能楽師が出るような流儀毎の定期公演の客席より、真剣率が高いんじゃないかな。あからさまにだらだらした態度を取ったり、大声で話したり、前のほうででも寝ていたりするのは、外部の観覧者。地元の人はよほどのことでないと注意はしてこないが、外来の一般観覧者は所詮よそ者、祭事にお邪魔しているわけだから、恥ずかしい態度は慎んでほしい。

地元の方々は、こちらを観光客扱いして過剰に干渉したり、排除しようとしたりといった特別な態度は一切取らない。もてなしや特別扱い等を期待している人は抜けするだろう。でも、そこがいい。別にこちらを無視しているわけではなく、道端で転んだら「大丈夫〜?」と声をかけてくださって、次に会ったときに「もう転ぶなよー」と言ってくださったり(覚えててくださったのかとびっくりした)、「おっはよーーー!!!!」と気さくに挨拶をしてくださったり。ごくごく稀に法事で会う、親戚の親戚みたいな感じ。つかず離れずの適度な距離感で気持ちがよかった。

 

 


おまけ。個人的な一夜目の攻略ポイント。来年以降行かれる方のために、持ち物関連で。

  • 軽食の用意
    まずこれが個人的に一番失敗したと思うのだが、お菓子でいいから軽食を持っていったほうがいいと思う。事前申し込みで夕食用に仕出しのお弁当を頼めるのと、22時前後に入る中入りで豆腐の振る舞いがあるが、それでは朝方までもたない。深夜26時くらいにお腹がすきすぎて泣きそうになった。翌日の春日神社で会った「下座で観た」という人に聞いたら、下座では途中うどんの振る舞いがあったようだ。ちなみに王祇会館・春日神社付近にお店とかそういうものは一切ない。もっと言うと鶴岡駅前にもない*5。さらに手前で仕入れておかなければいけないのが難しいところ。
  • 撮影許可とカメラ
    撮影許可を取って、演能中の撮影ができたのは良かった(要撮影料3000円)。趣味で写真を撮る人のための設定だと思うが、自分はメモがわりに撮影をしたかったので申し込んでおいた。撮影自体に関しては、規定ではシャッター音・フラッシュ・三脚使用不可。シャッター音禁止は守っていない人も多かったが、自分はシャッター音のしないコンデジを持っていった。後列といっても舞台まで3〜4m程度だし、演能中も電気はフルでつきっぱなしなので光量が足りない等もなく、十分だった。
  • 使い捨てマスク
    場内ではロウソクががんがん焚かれているので、その煤煙対策に使い捨てマスクは必携。その旨、受付時に注意を受け、1枚使い捨てマスクをもらえるのだけれど、ススがついてだんだん黒くなってくるため、自分でも予備を持っていったほうが良いと思う。
  • モバイルバッテリー
    春日神社近辺にはカフェやコンビニ等の小賢しい施設はないので、民宿等を取っていない限り、王祇祭二日間に渡って充電できる場所はまったくない。スマホの電源を入れていないほうが楽しく時間を過ごせる祭事ではあるが、寒冷地ではバッテリーの消耗が激しいのと、深夜外出時は地図アプリが使えないと遭難して死ぬ可能性があるので、持っていたほうがいいと思う。
  • 水筒
    「持ってきておいてよかった!」と思ったものは、水筒。500mlの軽量タイプのタンブラーを持って行ったが、王祇会館の休憩所でお湯・お茶を自由に汲めたので、一夜目、二日目通して温かい飲み物の持ち運びにかなり役に立った。集落の中で自販機は王祗会館内にしかないので、飲み物類はあらかじめ多めにキープしていたほうがよいと思う。
  • オペラグラス
    装束や面を見るのに持って行ったオペラグラスも活躍した。一般の能楽堂でも同じだが、装束や面、鬘帯、扇の模様等を見るのに必要。倍率は後列からでも4倍で十分だった。

 


こうして一夜目が終わり、雪国の朝はしらじらと明けていく。二日目、ローカル色がより加速する春日神社篇に続く。

 

↓ 二日目・春日神社篇はこちら

 

 

 

 

*1:帰宅後調べたら「黒川上構造改善センター」というのが正式名称のようだった。

*2:聞いたところによると、下座には「雑巾 たくさん」という寄進があったらしい。老人クラブからの寄進物なんだって。たしかに能舞台の掃除に雑巾使ってた。そこ?

*3:黒川能保存会が発行しているパンフを買ったんだけど、記事が演能に特化していて、タイムテーブル・配役・詞章・過去の上演記録しか載っていないので春日神社関係の祭事の意義等はわからない。

*4:上座と下座の当屋は春日神社をはさんで存在しているので、結構距離がある。歩くと20分はかかるのではないだろうか。下座で見た人に聞いたら、この使いの人は結構前に中抜けして出発しているらしい。

*5:駅前にお土産等を販売する市の施設、駅舎内に小さなコンビニはある。少し歩けばセブンやファミマもあるけど。

文楽 2月東京公演『桂川連理柵』国立劇場小劇場

ときどき前を通る新聞店の店先に、腰ほどの高さのスチールのラックが据えられている。その上には常に清潔に掃除された水槽が置かれていて、中には一匹の大きなカメが住んでいる。両手に乗せても太い手足がはみ出すであろうほどの大きなカメだ。飼い主に磨いてもらっているのか、暗緑色の甲羅に汚れはなく、水に濡れてつやつやと鈍く光っている。カメは動かない。いつも、浅く張られた水面から頭を垂直につきだして、天をあおいでいる。朝も昼も夜も、暑い日も寒い日も、カメは同じ姿勢をしたままである。カメは動くことがない。カメは何歳なのだろう。カメはただずっとそこにじっとしている。

そのカメを見るたび、「玉男様……💓」と思っていたが、きょう見たら、めっちゃじたばたしてた。おなかすいてたのかな。

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桂川連理柵、石部宿屋の段。

桂川自体は11月に大阪で出たばかりだが、今回は冒頭に「石部宿屋の段」がつくのが見どころ。石部宿屋は滅多に出ないということなので、以下にあらすじをまとめる。

信濃屋の娘・お半〈人形配役=豊松清十郎〉は丁稚長吉〈吉田文昇〉と下女りん〈桐竹紋吉〉を伴い、伊勢参りの下向道。一行は関の追分で、遠州帰りの隣家帯屋の主人・長右衛門〈吉田玉男〉と偶然出会い、同道することに。

 

一行は京都へ着くまえに石部宿の出刃屋へ投宿する。その深夜、長右衛門の部屋へお半が駆け込んでくる。何事かと問うと、毎晩長吉がしつこく言い寄ってきて、いままではりんを起こして退治させていたが、今夜は彼女がどうしても起きないという。長右衛門はあまり騒ぎ立てては長吉がお払い箱になってしまうからとお半をなだめ、部屋に帰って寝るように諭す。しかしお半は戻ればまた長吉に何をされるかわからないので、長右衛門と一緒に寝かせて欲しいと懇願する。長右衛門は子どものことだと思い、彼女を布団へ入れてやる。

しばらくして、お半を探して長吉がやって来る。猫なで声でお半を誘い出そうとする長吉だったが、大方長右衛門のところへ入り込んでいるのだろうとその部屋の障子に聞き耳を立てる。不審な様子に中を覗いてびっくり。腹を立てた長吉はお半を盗られた意趣晴しに長右衛門が遠州の大名から預かった刀を盗み出し、刀身を己の旅差とすり替えてしまう。

やがて宿の者たちの朝食の膳の支度ができたとの声が聞こえる。長右衛門、お半は帯をしめ、一同は出立の支度をはじめる。

石部宿屋から六角堂までは人形黒衣で上演。

最初の、背の高い松がぽんぽんと間欠的に植えられた街道筋の絵が描かれた幕が降りているパートは原作でいう「道行恋ののりかけ」の部分のようだ。現行上演では最後に増補の道行がついているのでここを道行として処理していないらしいが、見た目は道行で、のんびりとした情景描写になっている。伊勢参り帰りのお半は来合わせた長右衛門にきゃーっと寄っていって、長吉をガン無視してイイコイイコされている。

幕が上がると宿屋「出刃屋」のセット。下手に入り口があり、中央が大きな上り口の間。宿の使用人が頻繁に出入りしている。上手に張り出すように障子の引かれた長右衛門の部屋。上り口の間と長右衛門の部屋の間、上手奥に向かって廊下が続いていて、見えないがその先にお半一行の部屋があるという設定。お半と長吉はここから出入りする。

お半は普通に長右衛門の部屋へやって来て、長右衛門も普通に彼女を布団に寝かしてしまう(っていうか、ちょこんと寝ちゃう)。この流れがかなりさりげない。長右衛門が布団に入るとすぐ障子が閉まってしまうので、事前に後の展開を知らないと話がわからない。襟袈裟の鈴の音がチャリチャリ聞こえるだけ(わざとやっているのかはわからない)。

そういうわけで、この段の一番のみどころはその障子の中を覗き見て大騒ぎする長吉の可愛さ(?)。長右衛門の部屋を覗いた長吉がほっかむりをして出直してきて、古手屋八郎兵衛がどうたらと言って芝居の真似事をするところ、後ろ姿のキメがアホそうで良かった。長吉はこのあとの帯屋で鼻水をすするタイミングも良かった。長吉は配役された人形遣いによって鼻水をすするタイミング、すすり方が結構違うと思うが、文昇さんのすすり方はかなり良かった。「ずずっ、ず、ずずっ、ずずーーーー!!!!」って感じで少しずつすすり上げていて、まじキモかった。ここ最近の文昇さんで一番良かった(?)。

宿屋の朝の場面で、寝床に落ちたお半の簪を長右衛門が拾って挿してやる演出が入っていたが、落とす簪が最後の道行で「おねだりして買ってもらった簪」というもの(向かって左に挿している手毬状のもの)ではなく、逆のほうに挿したもの(花束状のもの)だった。お人形さんは必ず右利き(左手での細かい演技は基本的にしない)という文楽人形の宿命によるものだと思うが、買ってもらったものを落としたほうが意味が出るしよいように思うが。落とす簪は誰が決めているのだろう。プログラムの解説を読むと、落とすときと落とさないときがあるようだが……。ただこの簪を挿してやる演出、素でキ……、いえ、なんでもないです。逆に長右衛門が清十郎さんならキモくないと思う(清十郎の清楚感への全面的な信頼)。

心の底からどうでもいいことだが、最初の追分松原のところで長右衛門がわらじの紐を結び直すためにかがむシーン、席の関係上、パンチラしそうだった。思わず覗きそうになった。文楽人形は絶対パンチラしないのでよかった。

 

 

 

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六角堂の段。

儀兵衛〈吉田玉佳〉の絶妙なキモさが最高。お絹〈吉田勘彌〉に擦り寄る距離感と手つきの不気味さは神技だった。床机の横に腰掛けてくるときの、一応距離はあけてるんだけど、にしては異様に密着しているなんともいえない距離感。人形が床机に座るときって、普通、二人連れでも二人とも真正面向いて座るじゃないですか。でもヤツはお絹のほうに体を向けて座るんですよ。キモっ。しかも、やたら大げさな身振り手振りをする、そのとき袖がお絹に当たってるの。それと、微妙にお絹のほうに重心が傾いているというか……。めちゃくちゃキモい。こういうウザキモい人、いるよね。そして、セクハラも玉志さんのような一発お縄系のやばいやつではなく、ギリギリ言い逃れができるレベルのまじキモい下卑たタッチ。至芸であった。

お絹の色っぽい人妻感も最高。奥様らしい、親しみやすいが優美なゆっくりとした動作で、中年の女性のもつ美しさと色気を感じる。去年から延々勘彌さんのお絹を見ている気がするが、毎回、隣家の男子高校生になった気分になる。回覧板を持っていくのを口実にすこし喋るのだけが無上の楽しみで唯一の接触、みたいな……。そのお絹が長吉に与える小遣い、かねてよりどれくらいのモンかしらと思っていたところ、上演資料集の解説に「3〜4万円相当(通常無給の人に対して)」と書かれていた。それなら私も言うことを聞くと思う。長吉が受け取る小道具の紙包みの内側に、銀色のシールみたいな感じでお金が規則正しくはりついてるのも笑える。

六角堂の段が終わって昼休憩に入ったとき、近くの席の方が「宿屋の最後のほうで“帯締め……”って言ってたけど、ほどいたってこと???」と物語の根幹を揺るがす SUGOI SUNAO QUESTION を口にされていた。たしかに人形の演技だけ追っていると何が起こったかわかりづらいのだが、あそこで帯解いてなかったら、第一部、11時24分で終演してしまう。

 

 

 

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帯屋の段。

長吉、石部宿屋→六角堂→帯屋と順を追ってアホになっていってませんか。プログラムの解説にも書かれていたが、知性がダダ下がりというか……。石部宿屋では杉坂屋の丁稚くらいの知性はあったのに、帯屋では酒屋の丁稚レベルのな〜〜〜〜〜んにも考えていないアホになっていた。アルジャーノンに花束を的な何かだろうか。太夫の語りにかなりムラがあるのもあって(というか声質や技量のバラつきが要因だと思うけど)、人物の一貫してなさがすごい。これ、人形さん(文昇さん)的にはどういう解釈になっているのだろう。知らなかったが、原作では「石部宿屋の段」のあとに「信濃屋の段」というのがある。*1そこでの長吉にはかなり知性がある。六角堂で金をもらって実利をダイナミックに得たため、考えることをやめてアホになってしまったのだろうか。

母おとせ〈桐竹勘壽〉は煙管で背中をかいたあと、ひざで吸い口を拭いていたのが細かい。今月は勘壽さんが働きすぎで心配。5月の妹背山では豆腐の御用の御馳走配役なので、今月は働いてもらうということでしょうか……。

お絹が長吉に目配せするところ、お人形が両目を「……ばちん!」としばたかせるのがいい。キャッ❤️となった。あんな小娘より絶対お絹のほうがいい。長右衛門の寝姿を気にしながら暖簾の奥へ去る姿も美しかった。

お半はかなり稚気に振った印象で、勘十郎さんのような意思の強さを感じさせる確信的な様子はなく、純粋に長右衛門を慕うあどけない娘という印象だった。ただ、見え方の不安定さが気になった。特に帯屋の出。後ろ向きの姿、もう少し詰められるように思う。室内に入ってきてからは幼稚な雰囲気が可愛らしくて良いんだけど。白痴っぽい可愛さは映画などで人間の女優にやらせるとかなり痛いが(監督や脚本家が)、人形ならギリギリで持つなと思った。清十郎さんはそっちで行こうとしているのかしらん。どういうお半像にしたいのか、すこしピンボケしているようだった。お半は元々理解不能のキャラクター造形なので、勘十郎さんのようなサイコパスみがある人のほうが有利かも。あとは勘彌さんのお半が見たい(ただの願望)。

ひとつ疑問があるのだが、お半は長右衛門を起こすとき、家の中を伺いながら「長右衛門様(ちょうえみさん)……、……おじさん……」と呼びかけながら近づいてくる。この「おじさん」呼びは原作にない入れ事として有名だが、お半は幼い頃から長右衛門を慕っていたという設定のはず。お半が幼い頃、長右衛門は20代半ばくらいで「おにいさん」だったと思うが、いつから「おじさん」と呼ぶようになったのだろう。母親を「ママ」と呼んでいたボーヤが「おふくろ」と呼び出す境目のようなものがあるということだろうか。でも私が長右衛門なら、いちばん最初に「おじさん」と呼ばれたときにはショックで卒倒すると思う。もうデオドラントグッズとか買いまくりですよ。いやでも江戸時代なら20代半ばは完全にはじめから「おじさん」か……。ていうか、まあ、一番最初にこの入れ事をやりだした人が「おじさん」呼び萌えだったんでしょうね。よかったね〜。私も素直に生きよう!と思った。

あとは玉男さんがずっとじっとしていて、すごく満足感があった。じっとしている玉男様は値千金。動きがある部分は上品だがかなり線が太い印象だった。それはいいんだけど、お半を激しく抱きしめている日があり、長右衛門の演技としては正しいのだが、「こいつ反省してねぇな」と思った。

 

 

 

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道行朧の桂川

悪くはないのだが……、最後の部分で人形のフリがあまり揃っておらず、さすがに11月のほうが良かったというのが素直な感想。それぞれ細かい所作の処理は綺麗なんだけど、フリが揃っていないと心中しなさそうに見える。床は逆に今月のほうが上達していて、良い。

先にも書いたが、石部宿屋とここで演出に使われる簪が違うのが気になる。通常増補の道行しか出していないところに石部宿屋がごく稀にくっつくため違和感が出るのだろうか。長吉の知性が急降下することに比べたら誤差の範囲?

 

 

 

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11月は玉男さん勘十郎さんコンビで「うん、やらかしそう^^」感がすごかったが、今回は今回で「や、やらかしそう……(冷や汗)」という感じの配役だった。先にも書いたが、お半は決めなきゃいけない部分部分がどうにも惜しい。11月に玉男さん勘十郎さんで出たばかりなので、清十郎さんは比べられたらそりゃ不利ではあるが、出来ると思うので、頑張って欲しい。

 

 

 

2月公演は淫行心中、姦通逐電、美少女拷問、美女拷問となかなかスパークした演目選定だった。

第一部は石部宿屋がついていたのが良かった。第二部は人形の出演者が渋く豪華なので大変満足。第三部はさすがにこの短期スパンで同じ演目を繰り返されると厳しいなと感じていたのだが、結果的には出演者のパフォーマンスの上昇度が一番高く、もっとも満足感を得られる部になっていた。ただ狂言自体への理解の難易度も一番高くて、見た目の派手さと相反する難しさであるとは思った。

 

 

 

*1:信濃屋の段あらすじ:石部宿屋の一件から5ヶ月後。お半にお絹の弟・才次郎との縁談が持ち上がり、その結納品を仲人の長右衛門に代わって儀兵衛が信濃屋へ持参、お半の母・お石が歓迎する。連れの衆がお石から振る舞いを受けている影で儀兵衛と長吉はコソコソ密談。お半を狙う長吉、お絹を狙う儀兵衛は利害が一致し、二人で組んで長右衛門を陥れようとしていたのである。儀兵衛はお半が必ず長右衛門へ付け文をするとしてその手紙を盗むように頼むが、実はすでにチャッカリ盗んでいる長吉。また、儀兵衛は石部宿屋ですり替えた預かりの脇差を自分が発見したふりをして長右衛門を蹴落とそうとするが、すぐに受け取ってしまうと目に立つので長吉の兄・本間の五六へ一旦預けることにする。その二人がウッシッシと去ったあと、仲人として礼装姿の長右衛門が信濃屋を訪問する。するとお半が走り出てきて、自分を嫁入りさせようとする長右衛門をなじり、寺子屋の師匠から娘たる者、夫と決めた男はただひとりとしなさいと習ったこと、そして妊娠していることを告白する。長右衛門は当惑し、年端もいかない身での不憫さにお半を抱きしめる(すべてお前のせいだろ)。長右衛門の来訪に気づいたお石が迎えに出たところ、玄関先にひとりの武士が現れる。その男は今日の結納を取りやめにして欲しいと言う。婿の才次郎には隠し女がいて、その女から才次郎の妻にして欲しいと頼まれたというのだ。お石は固辞するが、男はそれでは武士が立たないとして玄関先で切腹すると言い出す。結納を血で汚されてはたまらないとお石は金を包んで切腹をやめさせようとするが、侍はその金をスマイルで見つつ「切腹する」と言い張り、押し問答になる。するとタバコを吸っていた長右衛門が割って入り、おもむろに「人が切腹するとこ見たことないな〜見たいな〜」と言ってお石の阻止を引き止める。どれだけ切腹のそぶりを見せても動じない長右衛門に、武士はスゴスゴ逃げていく。実はその侍は結納を邪魔しにきた長吉の兄・五六だったのだ。お石は長右衛門の機転を喜び、お半を呼び出して結納の盃を取らせようとする。しかしお半は拒否。するとお絹がお半にとくとくと意見した上で、無理に嫁入りさせては互いに無益として破談にすると言い出す。実はお絹は長右衛門とお半の関係に気づいていたのである。お石は取り縋るが、お絹はそのまま帰ってしまう。その夜、お半は、どう考えても長右衛門とは夫婦になれないこと、母やお絹への申し訳なさから、カミソリを取り出して自害を企てる。と、その手を長吉が掴んで止める。そこまでは偉かったが、なおもしつこくお半に迫る長吉。その変なタイミングで縁の下に潜んでいた五六が脇差の受け渡しを催促する。長吉は懐に隠していた脇差を股座から五六に差し出すが、そのせいで手元がお留守になり、お半とりんがいつの間にか入れ替わっていたことに気づかない。行灯が吹き消された暗闇の中で、長吉は門口で待ち構えていた儀兵衛に女を託すが、その声を聞きつけて燭台を持ったお石が現れる。その火に照らされた脇差を見てお石が声を上げるが、お半(と思い込んでいるけど実はりん)を背負った儀兵衛は闇へ消えていくのであった。……という話。帯屋のくだりに話題に出る才次郎とその恋人・雪野の一件は六角堂の段の後半(現行上演ではカット)に登場。また、帯屋の段の最後、長右衛門が出て行ったあとのくだりが現行ではカットされており、その部分で長吉の兄・五六が実はいい人だったという正体をあらわし、長吉・儀兵衛・おとせが追い詰められるという結末がついている。五六がいい人なのは結構なのだが、なぜ実の弟まで裏切るのかはよくわからなかった。悪事を暴露する前に説諭したほうがいいのでは。以上、『新潮日本古典集成 浄瑠璃集』新潮社/1985 参考。