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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『伽羅先代萩』全段のあらすじと整理

2019年 大阪・国立文楽劇場 初春公演 第一部で上演される『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』は、現行の文楽では六段目、「御殿の段」前後の見取りのみが上演されている。

見取り上演の場合、「いきなり話が始まるので勢いについていけない」「『あんた誰』としか言えない登場人物が突然舞台に立っている」という事故が起こりがちなので最近は見取りの場合は事前に全段を読んでいるのだが……、『伽羅先代萩』については全段を読んでもこの六段目は他からはかなり独立しており、トーンも違う部分であることがわかった。独立上演できるのはここくらいで、「まあそりゃ見取りになるよな〜」とは思うのだが、他の段にも魅力的な登場人物が多数登場する。ご観劇の参考に、はならないが、せっかくなので、以下に全段の登場人物とあらすじを紹介する。

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┃ 概要

仙台藩・伊達家のお家騒動をモチーフとして、舞台を鎌倉期・奥州藤原氏の一族に移した時代物。お家転覆を狙う貝田勘解由とその陰謀に対抗する忠臣たちの戦いを描く。大望を抱いて梶原景時をバックにつけ、何事にも臆さない巨悪・勘解由に対し、忠臣たちはみな人間らしくスケールも小粒だが、その覚悟と情念のうねりが最後に奇跡を産む。

 

┃ 文楽と歌舞伎の『伽羅先代萩』の相互関係とその歴史

伽羅先代萩』は文楽と歌舞伎で同名で上演されているが、内容が一部異なる。『伽羅先代萩』の原型は、歌舞伎が先行していた。歌舞伎での初演後、そのまま人形浄瑠璃へ移行された。そのため、この時点では『伽羅先代萩』という題名は同じでも、現行文楽とは内容が異なる。では文楽で現行上演されている『伽羅先代萩』はどこからきたかというと、歌舞伎『伽羅先代萩』と、それを踏襲した作品である歌舞伎『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』をもとに、あらたに人形浄瑠璃用につくられた『伽羅先代萩』であるという複雑な成立過程がある。以下にその詳細を説明する。

伊達騒動を題材とした演目はそれまでも存在していたが、現在につながる歌舞伎『伽羅先代萩』は、安永6年(1777)4月、大坂中の芝居嵐七三座で初演された。作は奈河亀助(初世)・五十五十輔ら。内容は文楽現行および下記全段あらすじとは時代設定等が異なる(ただし御殿の段にあたる箇所は同様の内容)。これが全五段中の三段目までそのまま人形浄瑠璃に移入されて、翌安永7年(1778)9月、西京芝居竹本春太夫座で上演された。これには御殿の段にあたる内容が含まれている。

安永7年(1778)閏7月、江戸中村座で歌舞伎『伊達競阿国戯場』が上演される。これは足利時代を舞台として、伊達騒動の筋書きに、累・与右衛門の死霊解脱物語を合体させたものだ。*1人形浄瑠璃での同演目は、安永8年(1779)3月、江戸肥前座で初演された。

その後、天明5年(1785年)1月、江戸結城座にて人形浄瑠璃伽羅先代萩』が上演される。作は松四貫・高橋武兵衛・吉田角丸。これが下記全段あらすじに記す、文楽現行『伽羅先代萩』にあたるものである。内容は、歌舞伎の『伽羅先代萩』をベースに、同じく歌舞伎『伊達競阿国戯場』の一部要素を取り入れたもの。その一部要素とは、下記あらすじ四段目、南禅寺門前の豆腐屋一家のくだりである。これは『伊達競阿国戯場』に登場する豆腐屋一家の要素=累・与右衛門の死霊解脱物語の部分の換骨奪胎で、『伊達競阿国戯場』そのまんまではなく、死霊要素を省いて(そこ省く!?)、「傾城の在所に妹がいる」「傾城の妹を身代わりにして貴人を助ける」という要素を抜き出し、アレンジして使っている。この作品は初演後、通し上演がかかることは少なく、「御殿の段」を中心に見取り上演が繰り返された。

さらに時は流れて文政10年(1827)閏6月、大坂堀江荒木芝居で通し上演がされた際、外題は『伽羅先代萩』のままで、途中に『伊達競阿国戯場』の豆腐屋一家のエピソードの直接組み込みが行われた。『伽羅先代萩』になったときに省かれた、あの死霊解脱物語が蘇ったのである。実はこの死霊解脱物語とは、文楽現行で『薫樹累物語(めいぼくかさねものがたり)』「豆腐屋の段」「埴生村の段」「土橋の段」として上演されている演目である。

この特殊通し上演の慣例はその後人形浄瑠璃業界へ定着。徳川期末期から昭和40年代までの『伽羅先代萩』通し上演は、『伽羅先代萩』にこの「豆腐屋の段」「埴生村の段」「土橋の段」をビルドインさせたものだった。おまえら情報量多いなおい。昭和51年(1976)以降、外題名の分離・整理が行われ、現在は『伽羅先代萩』と『薫樹累物語』として、別演目として扱われている。

 

 

 

┃ 登場人物

* 印の人物は今回上演部分に登場

[お家サイド]

冠者太郎義綱
陸奥・出羽の五十四州を統べる奥州守だが、佞臣・貝田勘解由に誑かされ、放蕩の呪いをかけられている。ちなみに冠者というのは若い武将につける敬称、太郎は長男の意味。奥州を守る伊達冠者は対馬冠者と対になる探題職*2

秀衡公
名前のみ登場する先君で義綱の祖父。名君であった。愛樹の萩を和泉定倉に託す。

高尾(お種)
島原の傾城。義綱に身請けされ、その妻になる。実家は南禅寺豆腐屋。義綱の子を懐胎している。

貝田源之助
悪臣・貝田勘解由の子息だが父の計略には加担していない。というのも、松嶋と祝言を挙げたころから愚鈍となり、始終ぼ〜っとしているから。父勘解由も「もう、そういう子だから」と諦めモード。が、実は……

松嶋
伊達明衡の娘、源之助の妻。といっても夫婦らしいことは何もしておらず、ひたすら源之助の心配をする毎日。

伊達千賀之助
伊達明衡の長子で松嶋の兄。和泉定倉の娘・文字摺の許嫁。真面目な性格でストーリー中8割くらいは父のことを考えている。父への孝行を大切に思いながらも本当に逆意があれば諫言し、改められなければ父を討って自害しようと考えている。そのため若干文字摺のことが上の空。

稲妻郷助
義綱の忠臣。かつては神浪山左衛門と名乗っており、その頃もうけた娘をお沢に預けたまま行方不明になる。義綱・高尾を守護するうちに偶然その娘と再会するが……

熊川源五兵衛(浮世渡平)
義綱の忠臣。放埓を繰り返す義綱に異見して退けられ、主君のアホさにキレて浪人の身となるも再び臣下に戻る。勘解由に毒湯を浴びせられ大火傷を負うが、面相が変わったのを利用して浮世渡平と名乗って刑部の家臣・大木戸門兵衛に取り入ったり、刑部の息子・鷲五郎の手下として一味に入り込んだりと八面六臂の活躍を見せる。

伊達明衡
千賀之助・松嶋の父で政岡の兄。和泉定倉とともにお家の両輪と呼ばれた忠臣の一人。四角四面な頑固ジジイだと思われていたが、近頃様子がおかしく不忠を噂されており、息子・千賀之助ですら逆心を疑うようになっている。

和泉定倉
伊達明衡と並び称される忠臣。象潟御前の夫、文字摺の父。庭に植えた先君秀衡公の愛樹・萩を大切に守っている。

大場道益
忠義に厚い典薬。渡会銀兵衛の依頼でひとまず毒薬を調合するが、用途を聞いて立ち去ろうとしたところを勘解由に殺され、毒薬を奪われる。

お幾
南禅寺豆腐屋の看板娘で高尾の妹。隣家の重三郎に思いを寄せている。実は豆腐屋一家の実の子どもではない。

お沢
南禅寺豆腐屋の主、高尾・お幾の母。亡夫が秀衡公に仕えていたため、義綱の放蕩を招いた高尾を許さない。

重三郎
源五兵衛の息子。幼い頃養子に出されたが、先方一家がみな亡くなったため、実父を頼って京都へ帰ってくる。お幾と恋仲。

両拳
僧侶、高尾の知り合い。琵琶湖に住むカッパのふりをする。

鶴喜代君 *
義綱の子息、まだちびっこ。乳母政岡とその息子・千松が大好き。幼いながら大名の気風を備えている。

沖の井御前 *
鶴喜代君の後見人だった故・信夫庄司為村の妻。夫の忠義を受け継いだ慧眼の持ち主。

小巻 *
典薬大場道益の妻で夫に劣らぬ医術の心得がある。八汐の手下と思われていたが、実は勘解由に殺された夫の仇を討つ機会を狙って芝居を打っていた。

政岡 *
鶴喜代君の乳母、伊達明衡の妹、千松の母。佞臣たちから鶴喜代君を守るため、食事の世話もすべて自分の手で行う。忠義のためならすべてを捨てる烈女と思われていたが……

千松 *
政岡の息子で鶴喜代君の遊び相手(お伽小姓*3)、兼毒味役。鶴喜代君に仕えるため政岡に食事を抜かれているが、それに耐える健気な子。 

松ヶ枝節之助
鶴喜代君の忠臣だが、佞臣たちの悪計によってお側近くからは遠ざけられていた。怪力の持ち主。

象潟御前
和泉定倉の妻で文字摺の母。しとやかに見えて結構したたか、強気。

文字摺
和泉定倉と象潟御前の娘。千賀之助の許嫁で、祝言の日を夢見ている。

畠山重忠
心ある鎌倉の長官。その慧眼で全てを見抜いており、よきに計らってくれる。はずだが、命と引き換えになにかをさせようとすること2度など、やることが結構怖い。でもってわりかし悠長。

 

[逆臣サイド]

貝田勘解由
奥州の覇権を狙う大望を抱いた悪臣、源之助の父。梶原景時と内通し、刑部を利用してお家転覆を画策する。

錦戸刑部
義綱の叔父で彼を利用して権力を得ようとする悪臣。勘解由に比べるとしょぼい。

常陸之助國雄
義綱の祖父・秀衡に滅ぼされた常陸大掾國香の末子。変幻自在の秘術を会得しており、義綱の首を亡父に手向けんため、勘解由と手を組む。

奇妙院
貝田家に出入りするあやしい山伏。刑部の依頼で義綱に放蕩の呪いをかける。ってことは実は腕は確実?

大木戸門兵衛
錦戸刑部の家臣で、高尾を探して琵琶湖へ遊びにきた。アホ。生き物を殺すことがものすごく苦手。

渡会銀兵衛
鶴喜代君の小姓、のちに御前奉行。八汐の夫。立場を利用して鶴喜代君の食膳に毒を盛ろうとするが、政岡に見抜かれてことごとく失敗する。

八汐 *
渡会銀兵衛の妻。政岡を邪魔に思っている。脇が甘い。

栄御前 *
梶原景時の妻。夫の名代として「頼朝公からの見舞いの菓子」を鎌倉の奥御殿に持ってくる。脇が甘い。

錦戸鷲五郎
錦戸刑部の次男。父の命令で仙台の和泉定倉の屋敷へ赴く。都育ちのくせに身だしなみや言動が粗雑。

梶原景時
巨大な権利を持つ侍所の長官。勘解由の悪計に加担し、この梶原の息がかかっているがゆえに誰もが謀反を告発できないでいた。でも、うっかり連判状に名前を書いちゃったあたりが脇が甘くて可愛い。

 

 

 

 

┃ 一段目 発端・義綱の放蕩と貝田勘解由の陰謀《京都》

  • 奥州守・義綱の放蕩と傾城高尾
  • 家臣・貝田勘解由と錦戸刑部の陰謀、鶴喜代君暗殺計画
  • 家宝「乱髪」の紛失
  • 稲妻郷助、熊川源五兵衛登場
  • 貝田勘解由と常陸之助國雄の共闘宣言

放埓を極める奥州守義綱は寵愛の島原の傾城・高尾を連れ、都の外れ船岡で新婚さんごっこをはじめる。このような遊蕩を勧めていたのは義綱の叔父で彼に悪意を持つ家老・錦戸刑部(ぎょうぶ)だった。その新居へ、家臣・貝田勘解由(かげゆ)の子息・源之助とその妻で伊達明衡の娘・松嶋が訪ねてくる。源之助はまだ若くただでさえ頼りない上にちょっと……いやかなりぼ〜っとしているため、松嶋は気が気でない。国許にいる松嶋の母の依頼で義綱の放蕩に諫言すべくやってきたものの、当然のように刑部に追い返される。そこへ「引っ越しの振る舞い食い放題と聞いて」とやってきたのが熊川源五兵衛。源五兵衛はかつて義綱に異見して退けられ、浪人の身となった旧臣だった。高尾を殺してやると意気込む源五兵衛と刑部は一触即発となるが、そこへ貝田勘解由が割って入る。勘解由は佞臣のみを重用する義綱を嘆き源五兵衛のような忠臣が帰ってきたことを喜んで、源之助・松嶋を供につけて自らの屋敷へ案内させる。それを不思議に思うのは刑部だった。実は刑部と勘解由は内通しており、二人して義綱を幽閉の上、その一子・鶴喜代君に後目を継がせて後見となった後に殺害し、政権を握ろうと画策していたのである。答えて勘解由は源五兵衛を取り込むことによって国元の邪魔な忠臣たちを始末させるつもりだと言う。二人が話していると、稲妻郷助が早駕籠で義綱を迎えにくる。刑部はチャンスとばかりに荒灘風之助に後を追わせる。

そこへ慌てた様子の貝田家の若党がやってくる。源之助が山中で鳥を追ってゆき、行方不明になったというのだ。勘解由は驚いて自ら山中を探し回るが、そこに現れたのは常陸大掾國香の末子・常陸之助國雄だった。國香はかつて義綱の祖父・秀衡と争ったが敗北し、一族はみな討死。当時幼少でひとり生き残った國雄は深山に入って変幻自在の幻術を習得したという。國雄は勘解由の逆意を知っており、その智力と自らの幻術でもって共に義綱を討つことを誘う。勘解由は、元々刑部はその権威を利用していただけであり、ことが済めば始末するつもりだったとして共闘を承諾する。そして、国を混乱させるために家宝の刀「乱髪」をすでに盗んであると告げた。國雄は勘解由に源之助を返し、二人は再会を誓って別れるのだった。

 

 

┃ 二段目 定倉の密書《京都・義綱の上屋敷

  • 義綱の二人の忠臣、伊達明衡と和泉定倉
  • 定倉が稲妻郷助に手紙を託す

義綱の一行は上屋敷に到着するが、いくら声をかけても門は閉ざされたまま。酔いつぶれた義綱を高尾が必死に介抱している。騒ぐ荒灘に、前門の門番・伊達明衡は近所の子どものイタズラとしてますます守りを固くしてしまう。後門に回るとそこを守っていたのは和泉定倉。定倉は一行のなりを見て一家に悪評を立てさせる偽物だというが、なにか様子ありげである。そのとき、酔った義綱の隙をついて荒灘風之助が斬りかかるが、稲妻郷助が刀を打ち落として成敗する。定倉は稲妻を褒め称え、一通の手紙を彼に投げよこす。稲妻はひとまず義綱・高尾を連れて上屋敷を後にする。

 

 

┃ 三段目 若君毒殺計画と源之助の孝行心《京都・貝田の屋敷》

  • 義綱にかけられた伽羅の下駄の呪詛
  • 勘解由、毒薬を入手する
  • 源之助の真実、その孝行心と忠心
  • 源五兵衛、絶体絶命

貝田勘解由は北野の北方に広大な屋敷を構えていた。狂言の稽古をしても冴えない源之助に思い悩む松嶋。源之助は親が決めた許嫁ではあるが、彼女にとってはその以前から心に決めていた男である。しかし祝言を挙げて間もないうちに源之助は「健忘」となり、それ以来様子がおかしいままで、人に侮られていることに悔し涙を流していた。そこに兄・千賀之助が国許へ帰るべく、旅装束で挨拶にやってくる。兄の許嫁で国許では姉妹同然に仲の良かった文字摺に宜しくという松嶋の言葉に返した千賀之助の「源之助殿にもご堅固を」という何気ない返事に当惑しつつ、彼を送り出す松嶋。

一方、座敷では源之助を追いかけて騙り山伏の奇妙院が祈祷の数珠を揉み、それを源五兵衛がからかっていた。源五兵衛はひとしきり笑い話をすると、酔いつぶれて寝てしまう。奇妙院はなおも源之助を追いかけて病魔調伏の祈祷をするが、源之助は彼の術を信じず相手にしない。奇妙院は自らの力を証明すべく、義綱の放蕩は刑部の頼みによって自分が履かせた伽羅の下駄の呪詛によるものであり、自らの懐中にある秘書に記された薬を飲ませればたちまち治るであろうと口を滑らせる。すると源五兵衛がむっくり起きだして奇妙院を殺してしまう。

そのころ、屋敷の奥の書院では、小姓・渡会銀兵衛、典薬・大場道益が勘解由を訪ねてきていた。道益は銀兵衛から依頼されていた毒薬を勘解由に差し出すが、毒薬の用途を聞かされた道益はその忠義から血相を変えてその場を立ち去ろうとする。しかし銀兵衛に道を塞がれ、勘解由に切り捨てられるのだった。

勘解由は松嶋を呼び出し、茶釜の湯で茶を点てさせる。松嶋が茶を差し出すと、勘解由はこの毒を鶴喜代君の食膳に混ぜれば即時に殺すことができるであろうと高笑いし、松嶋に茶を飲むように命じる。勘解由にとって松嶋の父・伊達明衡は計画に邪魔な忠臣であり、その娘は始末しておかねばならない存在だった。松島は舅の命令に逆らうつもりはないが、源之助とは夫婦と言いながらいまだ枕交わさぬ仲であり、無念なので命を助けて欲しいと乞い願う。そこへ慌てた様子の銀兵衛が戻ってくる。鶴喜代君の膳番を買収し食膳に毒を入れたものの乳母政岡に怪しまれ、膳番が首謀者を問い詰められたという。居合わせた刑部が膳番はじめその場にいた者すべてを手討ちにしたため詮議は逃れたが、いま評議の真っ最中と。それを聞いた勘解由は毒殺失敗にため息をつくが、他に逆意ある者を仕立てて罪を着せればよいとして銀兵衛を刑部のもとへ行かせる。

勘解由は松嶋へ向き直り、いよいよ生かしておけないとして刀を振り上げる。しかし逃げ惑う松嶋を斬ったのは突然現れた源之助だった。さらに源之助はその刀を自らの脇腹に突っ込むと、驚く父を前にしていきさつを語りだす。父の逆意を知っていた源之助は、それも子のためのことだと思い、愚鈍になったふりをして父に不忠の罰が下ったと思わせようとした。松嶋を斬ったのは妻に迷って父を妨げるわけではないという覚悟を示してのこと。子に迷って悪事をなし貝田の家名を汚すことのないよう、思い止まってほしい。瀕死の松嶋はその立派な言葉を聞いて喜び、現世の縁は薄くとも未来も夫婦でとすがりつく。しかし勘解由はそれを嘲笑い、子が死のうとも大望を翻すことはないと告げた。

そこへ現れたのは源五兵衛だった。すべてを聞いていた彼は勘解由に掴みかかろうとするが、源之助に取り縋られ、悪人であっても実の親、自分の四十九日までは父を殺すのを待って欲しいと懇願される。源五右衛門は源之助の孝行心に免じて勘解由を見逃すが、庭でその家臣に取り囲まれる。剛力で家臣たちを投げ飛ばす源五兵衛だったが、勘解由に投げつけられた茶釜の毒湯を浴びてしまう。毒におかされ目が眩む源五兵衛は最後のひと暴れと並みいる貝田の家臣たちを投げ殺し、蹴り殺していくのだった。

 

 

┃ 四段目 高尾の懐胎、稲妻郷助の忠義《南禅寺豆腐屋

  • 傾城高尾の実家、母と義妹
  • 隣家の謎の男・浮世渡平の登場
  • 定倉の手紙の中身と稲妻郷助の忠義
  • 義綱の伽羅の下駄の呪詛が解ける
  • 義綱の隠居

京都・南禅寺豆腐屋。店先ではこの家の娘・お幾を隣家の息子・重三郎が手伝い、焼き豆腐を作っている。隣家の主人は浮世渡平といって、火傷で顔が黒光りした素人には見えない男である。その渡平を訪ねてきたのは刑部の家臣・大木戸門兵衛だった。渡平の隣家の豆腐屋は傾城高尾の実家であり、義綱と高尾がここに逃げてきたときには始末して欲しい、そうすれば士分に取り立てると、渡平は屋敷での博奕の際に大木戸に目をつけられていたのだった。大木戸はひととおり念押しをして帰っていく。

ところでお幾と重三郎は恋仲だった。重三郎は以前は養子に出されていたが、その一家がみな亡くなったので実の父を頼ってここに住むようになったのだ。昼間っからイチャイチャするのを中断して、お幾は南禅寺へお参りに行っている母・お沢の迎えの支度をする。

そこへ町人に身をやつした秀綱と高尾が訪ねてくる。酔った秀綱はお幾に下駄を脱がせて足を洗わせ、証として履いていた下駄をやるから妻になるように言いつけ、ふらふらと家へ入る。お幾は姉高尾との久々の再会を喜ぶが、母は高尾のことを言い出すと不機嫌になると話し、なにはともあれ休息をと秀綱・高尾を奥の間へ通す。

その夕方、秀綱と高尾に遅れて稲妻郷助が南禅寺にやって来る。稲妻は豆腐屋を見つけ、ここが目当ての店なのかと来合わせた女に訪ねようとするが、その女は驚いて「神浪山左衛門様」と声をあげる。そして今度は逆に稲妻が「お沢様」と驚く。実は二人は旧知の間柄だった。16年前、稲妻はある女と馴染み女の子を産ませたが、女はほどなく亡くなった。その娘は辰の年・辰の月・辰の日・辰の刻の珍しい生まれだった。お沢は幼い娘がいたことを幸いにその子を引き取って乳を与え、実の子とともに姉妹のように育てたが、稲妻はある日何も言わず失踪してしまった。お沢の亡夫は実の娘も義理の娘も分け隔てなく育てようと言い、お沢は独り身となった今日まで大切にその娘を可愛がってきたという。稲妻は今の身の上を説明し、傾城高尾の親里を訪ねてきたと明かす。するとお沢は高尾は自分の実の娘・お種であると言ってまたお互い驚く。その様子を聞いていたお幾は本物の父に会えたとして稲妻に取り縋る。続いて高尾も走り出でて母との再会を喜ぶが、お沢は高尾を突き飛ばして戸口を締め切ってしまう。驚く高尾、しかし母は身に覚えがあるだろうという厳しい言葉。実はお沢の夫で高尾の父である高橋幸内教俊というのは秀綱の祖父・秀衡の家臣であり、いかに零落しても主君である秀綱に悪名をつけたことは先祖に申し訳が立たない、もう片時も高尾を秀綱と一緒に置いておくわけにはいかないという。馴れ初めの頃は秀綱に異見もしたが、次第にいとしくなって引き止めるようになり、このような自体を招いたと高尾は涙に暮れる。そして自分のお腹には秀衡の胤を宿していることを告白する。高尾はこの子を産むまでは自害もできない、せめて一緒にいさせて欲しいと戸を打ち叩くが、母が許すことはなかった。そこへ突然隣家の渡平が腕を伸ばし、高尾を家に引きずり込む。

深夜。稲妻は畠山重忠からの書状に思い悩んでいた。それは上屋敷を追い出されたときに定倉が投げよこしたあの一通だった。そこに認められているのは、秀綱の放蕩はすでに将軍頼朝の耳に入っており、本来ならお家お取り潰しのところを先祖の戦功を配慮して助けおかれている、その放蕩の原因となった高尾の首を討って家中を固め義綱を補佐すれば、重忠が将軍へ万事執り成すという内意だった。稲妻はお家のためと思ってこれを承諾したが、娘を長年育ててくれた恩人・お沢の実の娘を殺すことはできないと考え、高尾と年輩の近い自分の娘・お幾の首を討って偽首にするしかないと忍び泣き、奥の間へ去る。

入れ替わりに渡平が現れ、こっそり豆腐屋へ入り込んで仕掛けてある酒や田楽をひとしきりつまみ喰いする。そしてなにやら良い匂いがするといって、お幾が義綱から預かった下駄をくすねて戸棚に入り込んでいった。

一方、お沢はお幾に重三郎と別れるように言いつけていた。お幾はうろたえるが、現れた稲妻が親の異見を聞かぬ恩知らずと言って胸ぐらを掴み、外へ引き出そうとする。するとお沢が稲妻を引き止め、偽首が露見してはそれこそただでは済まされないとして、正しく高尾の首を討って欲しいと言う。お沢は先ほどの稲妻の独り言を聞いていたのだ。稲妻とお沢は互いに譲れない義理で争うが、お幾が「姉の身代わりになるので、願いを聞いてほしい」と言いだす。願いというのは身代わりをひと月、あるいは四・五年待って欲しいというものだった。稲妻は未練者と一喝して逃げ惑うお幾の髻を掴み、首を討ち落としてしまう。隣家から飛び出てきた高尾とお沢はお幾の死骸にすがり泣きし、稲妻もまた涙をこぼす。ところがそのとき、稲妻はお幾の髻に手紙が忍ばせてあることに気づく。そこには高尾の身代わりの覚悟はしていたこと、父がいざというとき臆さないよう未練者を演じてわざと首を討たれること、いままで育ててくれたお沢のことは真実の母と思っていること、そして、最後にひとつ願いがあるが、父の手前恥ずかしくここには書けないので推量して欲しい旨が書かれていた。お沢はそれは重三郎のことだろうと言って貧苦の不幸の中死んでいったお幾に涙を流す。

そこに渡平が現れ、奥の間に義綱がいるだろうとして通ろうとするが、怪しんだ稲妻が「証拠があるか」と引き止める。渡平が先ほどの下駄を火鉢へ投げ込むと周囲は伽羅の香に包まれ、伽羅の下駄を履いているのは日本広しといえども義綱よりほかにないと言う。渡平と稲妻は斬り合いになるが、渡平がお幾の死骸で稲妻の刀を受けた拍子に彼女の血が火鉢にかけられた燗酒へ流れ込み、渡平はその酒を提げて奥の間へ消える。それを追う稲妻の前に重三郎が仇と立ちふさがるが、攻防激しく、転んだ拍子に重三郎は一突きにされそうになる。そこへ「早まるな」との声、現れたのは奥の間で泥酔していたはずの義綱と、それを守護する渡平だった。義綱は、佞臣の悪計により正体を失い酒色に溺れていたがやっと正気を取り戻した、忠義のため娘を殺した稲妻には不憫をさせたと語りかける。様子のわからない稲妻だったが、代わりに答えたのは渡平、実はその正体は貝田の屋敷で毒湯を浴び容貌の変じた熊川源五兵衛その人であった。山伏・奇妙院の懐中の書に記された「義綱の呪詛を解く秘薬」とは、辰の月日が揃った生まれの女の肝の臓の血液を酒に合して伽羅で燗したものであり、お幾はまさにその秘薬の核心となる血を持った生まれだったのだ。稲妻と源五兵衛の忠義によって秘薬調合の条件が揃い、義綱にかけられた呪いが解けたのである。

義綱は二人の忠臣を持ったことを喜び、しかしながら家宝「乱髪」紛失の責任を取って鶴喜代君に跡を譲り、自らは砂川に隠居すると告げる。源五兵衛は、高尾は一旦義綱と離したほうがいいとして、重三郎に高尾の供を命じ近江路・真野へ向かわせる。また稲妻は高尾に仕立てたお幾の偽首を持って定倉の屋敷へ向かう。お沢はひとりの娘には生き別れ、ひとりの娘には死に別れ、ただひとり残される身を嘆く。こうして人々はそれぞれに別れ行くのであった。

 

 

┃ 五段目 大木戸門兵衛の琵琶湖漫遊《近江路》

  • 刑部家臣・大木戸門兵衛の高尾探し旅 with 浮世渡平

錦戸刑部の家臣・大木戸門兵衛は、浮世渡平ら家来を連れて近江路へやって来る。というのも、義綱の子を懐胎している高尾は定倉が首を討たせたと聞いているものの、実は落ち延びて近江路のどこかにいるとの間者よりの知らせ。高尾もろとも義綱の子孫を始末するため、刑部から家宝の刀「波の平行安」を預かってこの田舎まではるばるやって来たのであった。しかし大木戸は生き物を殺すのがものすごく苦手だったので、代わりを頼もうと渡平を連れてきたのである。しかし高尾の隠れ家は見つからず、疲れてしまった大木戸はみんなで休憩しようと言い出し、近辺の生まれであるという渡平からこの地に住むというカッパの噂を聞きつつ、浮御堂を眺めてのんびり琵琶湖観光をはじめるのであった。

 

 

┃ 道行  カッパ冠者登場《近江路その2》

  • 高尾・重三郎の旅と僧侶両拳との出会い
  • 琵琶湖に住むカッパ冠者、大木戸のケツの穴をしつこく狙う

重三郎と傾城高尾は夫婦の旅人に身をやつして近江路を急ぎ行くが、二人の心にあるのはそれぞれの恋人のことだった。道中で高尾は旧知の僧侶・両拳と出会い、同道することに。

やがて一行が浮御堂近くに差し掛かると、大木戸門兵衛がドヤって立ちふさがる。大木戸の堂々たる名乗りを無視して重三郎が斬りつけると、その豪剣で大木戸のMY刀はアッサリ折れてしまう。ビビった大木戸は渡平に高尾・重三郎の捕縛を命じ、ダッシュで逃げていく。邪魔者がいなくなると、渡平つまり源五兵衛は息子に何やら耳打ちし、高尾と重三郎に縄をかける。と、大木戸がダッシュで戻ってきて、都へ引っ立てよとドヤる。逃げられては問題になるのでここで討ち首にしようという渡平に、大木戸は人間の首討つとかマジ無理!倒れちゃう!と言い出す。そこで渡平は大木戸に向こうを向いているように言って、ひそかに二人の縄をほどき、傍の畑にあったスイカを叩き斬る。渡平はひたすらナンマンダブと唱えている大木戸に首実検を促すが、大木戸は怖すぎてそれを直視できない。しかし指の隙間からそーっと見てみると、生顔と死顔は相好の変はるもの……とはいえどうも目鼻がないような……っていうかスイカ? 浮御堂の側で血を流した咎で琵琶湖に住むおカッパ様に化かされてる? だから討ち首はヤダって言ったのにぃ〜! と大木戸が独り合点しているところへ家来たちが走り寄ってくる。大木戸はそれをカッパが化けたものと思い込んで騒ぐが、一同の説明でやっと本物の家来と認めてひと安心する。

そして大木戸が帰ろうとしたところへ両拳が立ちふさがる。両拳は浦島太郎十代目の末裔カッパ冠者乗好(のりよし)であると名乗り、大木戸にケツの穴を差し出すことを迫る。びびった大木戸はカッパの氏子?である渡平に金での取りなしを頼むが、カッパ冠者は金(玉)じゃなくてその後ろのケツの穴だと言って譲らない。カッパ冠者と「龍宮詞」で何やら相談した渡平は、龍宮界もおととしの飢饉で米価が上がりおカッパ様も金に困っている、有り金全てと「波の平行安」を差し出せばケツの穴は許してくれるらしいと大木戸に耳打ち。大木戸は有り金全部出すと帰りにソバも食えなくなっちゃうと渋るが、渡平は強引に財布を奪ってカッパ冠者へ差し出す。渡平はこれでカッパ冠者の機嫌が直ったと言い、皆には大福長者になる呪文が授けられるという。そうして渡平の教える“「龍宮詞」は難しいから日本詞に直した呪文”を囃しながら、大木戸一行はテンション高く帰っていった。

 

 

┃ 六段目 乳母政岡の忠義《鎌倉・奥御殿》 *今回上演部分

  • 鶴喜代君とその飯炊きをする乳母政岡、千松
  • 八汐・栄御前の来訪と毒菓子、梶原景時の介入
  • 千松の死と政岡の忠義
  • 家宝の系図書を巨鼠に盗まれる

鎌倉山にある義綱の奥御殿には、幼くして家督を相続した鶴喜代君が暮らしていた。しかし近頃は具合が悪く男性を嫌っているとして家臣らは退けられ、御殿は静まり返っている。

そこへ諸士頭信夫庄司為村の後室・沖の井御前、御前奉行渡会銀兵衛の妻・八汐が幼君の見舞いに訪れる。二人の訪問に、鶴喜代君、その遊び相手で政岡の息子・千松、そして乳母政岡が出迎える。食が進まないという幼君にと沖の井御前が食膳を差し出すと鶴喜代君は喜ぶが、政岡に睨みつけられ、やはりいらないと言う。続いて八汐は典薬大場道益の妻・小巻を招き入れ、夫に劣らぬ医術を心得ている彼女に鶴喜代君の脈を取らせる。すると小巻はこれはもう間もなく死ぬ脈であるという。しかし幼君はいつもと変わらない顔色であったので、沖の井御前や政岡は不審がる。そうやっているうちに沖の井御前が何かに気づき、長押の薙刀を取って天井をひと突きすると、曲者が落ちてくる。縛り上げられた曲者は、鶴喜代君暗殺をある者から依頼されたと告白し、その依頼人は政岡だと告げると、八汐はもともと政岡には目をつけていたと言う。証拠があるのかと問う政岡に、八汐は鶴ヶ岡八幡宮の神木の根元に埋められていた一通の願書を示す。そこには鶴喜代君を亡き者にして我が子を出世させたいという望みと、署名に忠臣であるはずの松ケ枝節之助、そして政岡の名が記されていた。政岡はそれは偽筆であると反論するが、八汐は政岡を牢に打ち込んで糺明し、今日からは彼女に代わって自らが乳母をつとめると告げる。それを聞いた鶴喜代君は自分も政岡と一緒に牢屋に入ると泣き出してしまった。そこに沖の井御前が割って入り、政岡は犯人ではないと言う。政岡は常々若君の側に仕えており殺す機会はいくらでもあるのに刺客を仕立てるのはおかしく、曲者が現れたのも小巻の診断とあまりにタイミングが合いすぎていて怪しい。またそのような大事を企む者が願書に名前が残るような下手を打つわけがない。沖の井御前はそう言い切って、曲者を拷問し真実の黒幕を吐かせるべきだとした。しかし八汐はなおも詮議が必要であるとして、沖の井御前・小巻と共に御前を退出する。

人がいなくなり、鶴喜代君は政岡に八汐の持ってきた食膳を食べたいとねだる。政岡は鶴喜代君が先ほど食膳に手をつけなかったことを褒め、しかし、現在この御殿に出入りする者誰も信用できないと言って、自らが食事の用意をするまで待ってもらえるように、鶴喜代君に空腹を我慢させているぶん千松の食事も一日一食に減らす忠義をさせているのだと話す。千松は武士の子なので「ひもじい」とは言わないと言い、また、鶴喜代君も大名は何も食わずに座っているものだと殊勝なことを言って、政岡の食事の支度を待つ。政岡は飯が炊けるまで千松に歌を歌わせて鶴喜代君の気をそらせようとするが、ひもじさのあまり歌声が涙交じりになってしまう。政岡がそれを紛らわせるように声をかぶせて歌っていると、愛犬の狆がやってくる。鶴喜代君は狆に先ほどの食膳をお下がりとして与えながら、自分も狆になりたいと言う。政岡は奥州を統べる大名である鶴喜代君に畜生に劣る辛抱をさせていることに涙するのであった。

やがて飯も炊き上がり、政岡が千松に毒味をさせていると、梶原平三景時の妻・栄御前が来訪したとの声がかかる。八汐を伴った栄御前は頼朝から鶴喜代君への病気見舞いとして菓子を持参していた。喜んだ鶴喜代君が手をつけようとすると、政岡は病気に障るとしてそれを遮る。栄御前は頼朝の仰せに背くのかと迫るが、奥に下がらされていた千松が走り出てきてその菓子を口に入れる。すると千松は菓子箱を蹴散らして苦しみ出し、それを見た八汐が突然懐剣で千松を刺す。八汐は頼朝公の菓子を足蹴にしたから成敗したと言うが、政岡はとっさに鶴喜代君を自分の部屋に隠しただけで、我が子が目前で死んだというのに顔色を変えない。それを見た栄御前は沖の井御前と八汐を下がらせ、政岡と二人きりになる。栄御前は日頃からの大願が成就したであろうと政岡に擦り寄る。我が子の出世のため、政岡はひそかに千松と鶴喜代君を入れ替えており、目の前で「千松」が死んでも動じなかったのはそのためだろうというのだ。栄御前は政岡も自分たちと同じく奥州守に逆意を持つ者、景時の指図は後ほどとして悠々と去っていった。

そうして政岡は一人きりになる。慎重に周囲を伺った政岡は死骸を抱き上げ、大きく嘆く。死んだ子どもはやはり千松で、幼いながら母が言日頃い聞かせていた忠義を心得て、鶴喜代君が食べるはずだった菓子を毒とわかって先に口に入れたのだ。千松が死んでは鶴喜代君を病死と見せかけて毒殺する計画が露見するため、焦った八汐が毒死する前に千松を刺し殺したのである。我が子が目の前で殺されたことに動じなかった政岡を見て、政岡の取り替え子の噂を耳にしていた栄御前は彼女も味方と独り合点してその奸計を告白して去ってゆき、鶴喜代君と奥州は千松の命によって守られたのだった。親というものは子どもの毒になるものは食べないように叱るはずだが、それとは逆に毒と見れば食べて死んでくれと思っていたという忠義ゆえの自らの非道さを嘆く政岡。烈女と思われていた政岡もまたひとりの母親であった。

だがそれを聞いていた八汐が姿を見せ、計画を聞かれては生かしてはおけないと迫る。しかしさらにそこへ沖の井御前と小巻が現れて、不義不忠の企みを明かせと言う。実は小巻は八汐らの悪計に加担するふりをして勘解由に殺された夫の仇を討つ機会を狙っており、政岡が取り替え子をしているという虚報を流したのも彼女だった。八汐はもはやこれまでと懐剣を抜き政岡に挑みかかるが、政岡に刺されて死ぬ。しかしそのとき縁の下に人の気配がして多数の忍びが姿を見せ、駆けつけた松ヶ枝節之助が応戦する。そのすきに巨大な鼠が家宝の系図書をくわえて走り去ろうとするが、節之助がその頭に向かって小柄を投げると炎が立ち上がり、異形の者が姿を見せる。異形の大鼠はこの系図書が目的であった、大願成就だとして節之助に小柄を投げ返し、姿を消すのであった。

※注 文楽座現行上演は一部相違点あり。詳細は公演感想記事にて。

 


┃ 七段目 忠臣明衡の豹変《奥州》

  • 伊達明衡と和泉定倉の不和
  • 両家の許嫁、千賀之助と文字摺

国許、奥州。今日は秀衡公の命日である。和泉定倉の妻・象潟御前(さきがたごぜん)と娘・文字摺が定倉に代わっての参廟の道中に休憩していたところ、京都からの上使、そのもてなし役の伊達千賀之助と行き合わせる。象潟御前らに同道していた和泉家の家臣・萩原藤治は上使に、旧来よりの定倉の領地が急に伊達明衡の配下に置かれることになった意を尋ね、領地を戻して欲しいと頼む。藤治の意図はこの一件が両家の確執の元になってはと考えてのことからだったが、上使は領地配分は鶴喜代君のみならず梶原景時の内意によるもので、このような尋ねは定倉の差し金であり、後日それなりの沙汰があるだろうと大上段に答える。藤治と上使は一触即発となるが、象潟御前が割って入って取りなし、渋る藤治を定倉のもとへ帰す。上使は象潟御前の茶のもてなしを横柄に断るも、千賀之助が袖の下を渡すと途端にご機嫌となり、象潟御前とともに幕の内へ入っていった。

残されたのは千賀之助と文字摺。千賀之助の父・明衡と文字摺の父・定倉の二人はお家の両輪と言われた忠臣であったが、近頃両者は不和であり、千賀之助は刑部や勘解由といった佞臣らと通じているらしい父の様子に不審を抱き思い悩んでいた。しかし文字摺が気にしているのは千賀之助との婚礼がいつかということで、お家のことばかり考えている千賀之助に恨み泣きする。すると向こうから当の明衡がやってくるではないか。千賀之助はこのような体を見られてはと姿を隠す。出迎えた象潟御前に、和泉家は娘の縁談を利用して領分を取り戻そうとしているのだろうと言う明衡。象潟御前は聞き捨てならないとして懐刀に手をかけて詰め寄るが、明衡はそれを躱し、縁談は破棄すると言って立ち去ろうとする。そこに隠れていた千賀之助が飛び出て、日頃に似合わぬ父の不忠の言動は、よもや勘解由や刑部の陰謀に加担しているのではないかと異見しようとするが、象潟御前が遮って、明衡の本心の善悪がわかるまでは千賀之助を人質にと、千賀之助と恥ずかしがる文字摺をひとつ駕籠に押し込めて館へ向かわせる。

 

 

┃ 八段目 明衡・定倉の本心《奥州・和泉定倉の屋敷》

  • 和泉定倉屋敷の先君遺愛の萩
  • 錦戸鷲五郎の明衡告発
  • 謀反の証拠、連判状の存在
  • 千賀之助・文字摺の覚悟
  • 明衡・定倉の計略と明衡の京都出立

その後日、奥州衣川の和泉定倉の屋敷では、返り咲きした庭の萩の木を眺めながら主人・和泉定倉と千賀之助が庭仕事の休息をとっていた。萩の木は定倉が秀衡公から賜り、自ら手入れしている愛樹だった。そこへ象潟御前と文字摺も加わって一家で一献傾けているところ、文字摺は父に千賀之助との祝言を今夜挙げさせて欲しいと頼み込む。しかし定倉は明衡の本心を見極めてからとして退ける。千賀之助は父明衡の忠心は定倉が一番よく知っているはずであり、しかし父が不忠を働くのであれば定倉から諫言して欲しい、もし父に逆意あれば父を殺して自分も切腹すると言う。定倉はその健気さに感じ入る。

そこへ錦戸刑部の子息・鷲五郎がはるばる京都から訪ねてきたという知らせが入る。鷲五郎を迎えた定倉が来意を尋ねると、国許に潜伏する逆徒を捕縛するためだという。その国賊とは明衡であり、今度の領分変えも梶原景時の名を騙ってのことだと言い、鷲五郎は定倉に武装蜂起を促す。父を侮辱された千賀之助が証拠あってのことかと迫ると、鷲五郎は一通の書状を取り出す。それは明衡が松ヶ枝節之助に宛てたもので、妹・政岡と共謀して鶴喜代君を毒殺せよと命じるものだった。千賀之助は偽筆であると言って逆上し、なおも明衡親子を嘲る鷲五郎と斬り合いになりそうになるが、取り成した定倉が鷲五郎を連れて奥の間へ入る。

しばらく後。庭の萩の木の陰から曲者が現れ、座敷へ入ろうとしたところを奴・栂平(とがへい)が捻り上げる。来合わせた定倉が曲者の落とした書状を開くと、定倉を討てば金子を与えるとした明衡からの証文。するとそこに伊達明衡来訪の知らせが入る。定倉は明衡を迎え入れ、先ほどの書状を突きつけて悪計を白状せよと言うと、明衡は偽筆をもって謀るとは愚かであり、武士ならば勝負せよと言う。二人はついに刀を抜き合わせるが、そこへ象潟御前が割って入り、二人がここで殺しあってはそれこそ不孝不忠であり十分思案すべきであると引き止める。二人は象潟御前の賢慮に刀を納め、別々の部屋に下がる。

一方、庭先では鷲五郎、曲者、栂平が密会していた。実は鷲五郎は刑部の命で定倉・明衡の両人を同士討ちさせるために来訪したのであり、栂平は実はその仕込みのために和泉家へ入り込んだ間者だった。鷲五郎にはもうひとつ目的があり、それは国許に残した謀反の連判状の回収で、栂平の働きによってそれを落手した鷲五郎は定倉に見つからぬようにと曲者に託し、京都の刑部のもとへ届けさせることに。栂平はあとに残り、三者は表へ裏へと別れていった。

一方、明衡と二人きりになった千賀之助は父に差し寄り、先ほど鷲五郎が差し出した偽筆は明衡と定倉を同士討ちさせるための計略であり、本当に逆心がないのなら定倉にそれを打ち明けて共にお家の危急を救って欲しいと涙する。しかし明衡は腕を組んだままで返答をしない。そこへ突然障子を引きあけ定倉が現れる。文字摺が定倉に勘当を願い出たのだ。文字摺はこのようになっては千賀之助との話は破談であり、それなら親と縁を切って武家の義理を捨てても千賀之助と添いたいという。一方、千賀之助は無言の父に業を煮やし、お家に仇なすなら自分を勘当して先祖への忠義を立てさせて欲しいと乞う。すると明衡は弓を射って奥の襖に描かれた雪持ち松に当てれば勘当してやると千賀之助に告げる。また一方、定倉も文字摺を絶縁するか否かは八幡神の教えに従うとして、同じように襖の雪持ち松を射るように命じる。千賀之助、文字摺は涙の中、同時に親子別れを決める弓を取るが、文字摺は的を外し、千賀之助の放った矢は雪持ち松を射抜く。明衡は見事的を射抜いた千賀之助を褒め称え、自らは京都へ赴き、千賀之助は勘当の上その行く末を定倉に任せるという。

驚く千賀之助と文字擦に、二人の父たちはいきさつを語り出す。明衡と定倉は勘解由・刑部の鶴喜代君暗殺の陰謀に気付き、京都の内裏へ注進に向かおうとしていたが、一味が梶原景時と内通しているゆえに非常に危険な役目であり、その忠義をどちらが取るかでは、子どもたちに弓矢の勝負をさせて勝ったほうと約したという。明衡が勘解由らに近づき、定倉との不和を装っていたのは逆臣たちの目を眩ませ時間を稼ぐためであった。明衡は早々に京都へ発つといい、千賀之助は定倉を父と思い、文字摺を妻とせよと告げる。

そこに鷲五郎が現れ、様子を聞いた上は全員を始末するとして狼煙の鉄球を庭に投げつけると、昇り立つ煙とともに萩の木に咲いていた花はすべて散ってしまう。この狼煙を合図に刑部の軍兵が蜂起すると言う鷲五郎だったが、現れた以前の曲者が軍兵は定倉の計らいで全滅した、尋常に観念せよと言う。なんと曲者の正体は熊川源五兵衛であり、かの連判状も彼の手の内となっていた。悔しがる鷲五郎は仕掛けておいた地雷で地獄へ道連れにしてやると凄むが、定倉は萩の返り咲きによって地雷による土中の陽気の異変を察し、密かに衣川の水を引き入れて地雷を破壊していた。さきほど萩の花が急に散ったのは、地雷の陽気を失ったためだったのだ。定倉はお家の凶事を知らせる萩の木に、先君秀衡公への畏敬を込めて「先代萩」と名を付ける。鷲五郎は死にもの狂いで定倉に斬りかかるが、逆に刀を奪い取られて首を討たれてしまう。

これで両家の疑念は晴れたとして、定倉は妻に千賀之助・文字摺の祝言の支度をさせる。明衡は連判状という確かな謀反の証拠を手に入れたからには息子の祝言を待たず京都へ上るというが、定倉はそれを押しとどめて逆臣の中にただ一人十分に注意をされよと言う。千賀之助は国許の守りを固めるとし、勇む源五兵衛は野に伏勢あるときは帰雁列を乱すとして松の枝に潜んでいた栂平を手裏剣で撃ち落とす。こうして明衡は一同に見送られて京都へと旅立つのであった。

 

 

┃ 九段目 お家騒動の評議《京都・決断所》

京都。訴訟の裁判を司る決断所では、幕府の重臣畠山重忠梶原景時の二人を前に、伊達明衡が貝田勘解由の謀反を訴え出ていた。勘解由は明衡の追求に言い逃れを続け、梶原はその肩をもつが、重忠は謀計の証人があるとしてひとりの男を呼び出す。それはあの連判状を携えた熊川源五兵衛だった。重忠はお家転覆に賛同した者の名の入った連判状を披見せよと言うが、焦った梶原は確認するまでもないと押し止めようとする。しかし明衡が巻物を開いてみると、中身はまったくの白紙。梶原は白紙を証拠として決断所を謀るとは大罪であり、明衡ひとりの所存でなく鶴喜代君の指図に違いないと声を荒げる。

一方、貝田家屋敷の奥座敷では鼎を前にした常陸之助國雄がおどろおどろしい姿で呪文を唱えていた。いまこそ奥羽国を転覆し父國香の仇をとる時と、彼のこの呪法こそが連判状を濯ぎ白紙にしたのである。その背後から外記左衛門が國雄を斬ろうとするが、呪法に気圧されて逆に自分が真っ二つになってしまい、その血が流れ込んだ鼎は水が逆巻いて炎が燃え立つ。この血の穢れを受けて國雄の呪法は霧散し、来合わせた松ヶ枝節之助が彼を追い詰める。節之助は鎌倉の奥御殿から家宝の系図書を奪った大鼠の正体もこの國雄であると見破る*4

さらに一方の決断所。梶原はお上を欺く白紙の連判状は鶴喜代君の落ち度であるとして、お家断絶の上、一家もろとも縄をかけて牢に打ち込むようにと言い立てる。しかし重忠は白紙の連判状は明衡ひとりの計略であろうと言い、明衡ひとりが切腹すれば鶴喜代君に累が及ばないように計らうことを示す。明衡は切腹を受け入れ、ほくそ笑む勘解由は介錯を申し出る。明衡が差添に手をかけようとしたそのとき、評議の間に系図書を携えた節之助が駆け込んできてそれを押しとどめる。節之助は、勘解由と手を組んだ國雄を葬ったこと、高尾が義綱の隠居先で無事姫君を産み、それを狙った間者を捕らえたことを告げる。勘解由はなおも白紙の連判状が無実の証拠だと反論するが、節之助は國雄の幻術が解けた今、元通りに文字が戻っているはずだと明衡に促す。明衡が連判状を開いてみるとそこにはまさしく謀反に賛同した者たちの名が連ねられていた。しかしその名前を読み上げ終わらないうちに明衡は勘解由に切り捨てられる。勘解由は飛鳥の如く逃げ、節之助がすかさずそれを追う。あまりの勢いに梶原はドン引きするが、重忠は悠々とあの一刀両断こそ盗まれた名刀「乱髪」の威力であり、勘解由の謀反の証拠だと言う。勘解由と節之助の激しい斬り合いの中、重忠は休憩〜とばかりにノンビリ構えるが、梶原は恐ろしさのあまりものすごい勢いで逃げていった。そして源五兵衛と節之助はついに勘解由を追い詰め、成敗する。重忠は家宝「乱髪」と系図書が無事に戻ったことを喜び、錦戸刑部は遠流の刑に処すとして、源五兵衛・節之助ともどもお家の栄えを寿ぐのだった。(おしまい)

 

 

 

┃ 参考文献

 

 

 

*1:現行は文化5年(1808)3月に江戸市村座で上演された際に内容が改定された再演台本に基づく。初演時の台本は現存しないが、初演をもとに作られた人形浄瑠璃版との比較から、改作版も初演と内容がほとんど変わっていないのではないかと言われている。

*2:鎌倉〜室町期にあったポジションで、政務について裁決を行う要職、地方に置かれた。

*3:幼君の遊び相手をつとめる小姓のこと。

*4:原文ではそう読めるが、現行上演では貝田勘解由が鼠に化けていたと処理しているようです。

文楽 12月東京文楽鑑賞教室公演『団子売』『菅原伝授手習鑑』寺入りの段・寺子屋の段 国立劇場小劇場

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同じ演目の配役違いを手軽に楽しめるのが嬉しい鑑賞教室公演。大阪の鑑賞教室はすさまじいシャッフル配役で意外性のある配役や若手の抜擢も多いけど、東京は幹部を得意なところに配役して「初心者には一番最初に最高のものを」という雰囲気。だと思っていたが、今年はチャレンジ精神が入ったのかAプロ・Bプロでだいぶトーンが異なっていた。今回はAプロ、Bプロ両方の通常上演に加え、「Discover Bunraku 外国人のための文楽鑑賞教室」という特殊プログラム(出演者はAプロと同)へ行ってきた。

 

 

 

■ 

団子売。

 
 
 
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上の写真はBプロ(杵蔵=吉田簑太郎、お臼=吉田玉誉)。オニーサンなだけあって洗練されている。 Aプロ(杵蔵=吉田玉翔、お臼=桐竹紋吉)はちょっとおっとり上品な雰囲気で、団子売りに身をやつした敵討ちの旅中の武家姉弟みたいで、可愛かった。しかし、夫婦役が夫婦モンに見えるかは難しいね。

 

 

 

解説 文楽の魅力。

Aプロ=豊竹希太夫・鶴澤寛太郎・吉田玉誉/Bプロ=豊竹靖太夫・鶴澤友之助・吉田玉翔。

三業解説に関しては、やっぱり、希さんは鑑賞教室公演のたび毎回変更があって、お客さんを飽きさせない工夫があり、立派だと思う。今回でいうと、語り分け実演をタイムリーに『鎌倉三代記』局使者の段(三浦之助の母とおらちの会話)、『一谷嫩軍記』熊谷陣屋の段(藤の局が陣屋に突然現れて熊谷が抑え込む場面)にしていた。あと、『菅原伝授手習鑑』自体の解説で、これっていつごろ書かれた話?の例えとして「モーツァルト生誕の10年前」と話されていた。一般の方にも伝わりやすい例え……だと思って希さんは話してくれたんだと思うが、私は「え!?!?!?!?!?!?モーツァルトってそんな最近の人なの!?????????」と違う部分に驚いた。あと、ノゾミは源蔵をちゃんとサイコパスだと紹介していたので、えらい(してません)。いやちゃんと源蔵が一番狂った行動に出るってことを説明していたのだ。松王丸より源蔵のほうがクソヤバってこと、私も日本中の人に伝えたい。それと、床は人形の演技に合わせて演奏しているわけではないことを説明されていたのも正しい。技芸員さんにとっては当たり前すぎて意識すらしてないんだろうけど、これはもう絶対言わないといけないと思う。一般客は逆に床は人形の伴奏だと当たり前に思ってる可能性が極めて高い。総じて初見の観客を考えた解説でとても良いと思った。あとはカンタローと並んで座ってる姿に味があった。

昨年はあらすじ解説で使うレーザーポインタの光量が少なく悲しげな靖さんだったが、今年は巨大マッチ棒みたいな指示棒になっており、安心なさっていた。靖さんはあらすじを全部喋っちゃわないのがえらい。あと、玉翔サンの振り「『菅原伝授手習鑑』を自称・文楽業界の舘ひろし、豊竹靖太夫さんから解説してもらいます」に今年はちゃんと反応していた。(「自称はしておりません!」ヤス・談)

そして、玉翔さんは、『団子売』の内容を受けた人形解説をしていてわかりやすかった。人形解説では女方の人形には物理的な足がないことが必ず説明されるが、そうなると直前に上演している『団子売』のお臼には足が吊ってあることと矛盾してしまう。そこをフォローするために、着物の裾を上げている女方人形は糸足という小さな足を吊っていますとちゃんと説明していた。それと、左遣いと足遣いの子にも挨拶させて紹介していた。その心がけが本当に立派だと思う。ちなみに今回左遣いの小道具出し入れ解説でお園さんが取り出していた小道具はハズキルーペ〜〜!……じゃなくて白いメガネでした。たぶん清公さんのだね。

 

 

 

本編『菅原伝授手習鑑』寺入りの段〜寺子屋の段。

今回、Aプロ・Bプロ見較べて思ったのが、人形遣いによる余白の詰め方の違いだった。

余白の詰め方、というのは、その役の人物像に対し、どれだけ表現を行うか/あるいは行わないかということ。 余白が多いほど役の人物像に太夫・三味線・観客の想像力が介入し、少ないほど人形自体から直感的に人物像を感じ取ることができる(=人間の役者と同等に、人形のみで人物像が表現されている)。というイメージ。人形の演技でどれだけ説明をするか、とも言い換えられるかも。

一番気になったのは松王丸。

文楽の場合、演出が人形だけで成立しているわけではないので、通常はどなたもがフルフルに詰めてはこないと思うんだけど、Bプロ松王丸の勘十郎さんは「そこまでやるか!?」というほど細かく詰めてきている印象だった。一番顕著なのが、松王丸の2度目の出、頭巾姿で現れ、源蔵の家に入って下手側を向き「女房悦べ、倅はお役に立つたぞ」と泣く部分。ここがものすごい泣き方だった。かなり説明的+オーバー気味な演技で正直びっくりした。勘十郎さんも通常の公演では余程のことがない限り、ここまで細かく詰めてないと思うんだけど、鑑賞教室だからなのかな。勘十郎さんの松王丸役は生では初めて観たのでなんともいえない。歌舞伎だと役者主体なので、浄瑠璃の詞章関係なくオーバー気味にやっても見せ場になるのでおかしくないと思うが、文楽でここまでやる人がいるのかと思った。このあとの泣き笑いの部分が松王丸の演技で一番の見せ場だと思っていたので、ここでこんな大きい泣き落としをする人がいるんだと驚いた。

でも確かにこれくらいしないと、はじめて文楽寺子屋を観る人には、松王丸が何をして、何を思っているのか、わからないと思う。泣き笑いは、松王丸は口に出している言葉とは真逆の感情を抱いているという場面なので(これこそが文楽らしさであると思うが)、いちげんではわかりづらい。しかしあそこの演出はまず変えられない。となると説明するには確かにここしかない。でもこの詰め方は、たとえば『夏祭』の団七の詰め方とはまた違うので、気になった。団七の場合、勘十郎さんは細かい手数を増やして演技自体の華やかさを強調しているけど、団七の感情自体に装飾的な説明を過剰に盛っているわけではないので。率直なものいいをすると、松王丸が持ち役の玉男さんと競合するには同じ演技では自分がやる意味ないから、わざと変えてるのかなと思った。芸風の違い以上に、芸人としての戦略的な部分で。

Aプロ松王丸の玉男さんは通常通り、この部分では頭巾で顔を拭うだけにとどめて後の「笑いましたか」以降の泣き笑いに託し、装飾的な所作はカットしているので、違いがかなり際立っていた。ほかにも首実検の部分でどれだけ周囲を確認するかの動作量も違う。ここも玉男さんは余分な動作を大幅に切って端正な佇まいをつくり、視線の動きだけに観客の注意を引くやりかた。勘十郎さんはわりとキョロキョロしているというか、人形が揺れた状態になっていて、視線移動の動作が速く、多い。ただこのあたりに関しては、松王丸役自体の慣れによる演技の的確度の差のような気もする。

どう演じるかは、見取りで寺子屋だけ上演するにあたって、松王丸をどう演出するかの違いもあるのかなと思う。玉男さんだと松王丸が泣き笑いをするまでずっと、謎の人物に見える。動きから本心が読み取れないので、松王丸の感情が伏せられた状態になって、何を考えているかまったくわからない怪人物という印象。玉男さんの場合、人形の構え方として、松王丸が異様に大きく見えるというのもあると思うけど。それにくらべると、勘十郎さんは最初から「人間らしい」、等身大の、松王丸。最初から表情の豊かさがある。たしかに松王丸って極端に身分が高いわけでもなく、三つ子に生まれてバラバラに奉公することになったという境遇ゆえに、自分の意思ではなく悪事に加担するというハズレクジを引いてしまった普通の人。その普通の人に降りかかった受け止めきれない悲劇を人間味のある実感として見せる手法だと感じる。勘十郎さんにはほかの役でもこの傾向あると思うけど、結構、歌舞伎に近い感じイメージ。なるほどそういう解釈か、おもしろい見せ方だなと思った。

なんにせよ、いままで玉男さんの松王丸を何も考えずこれが普通だと思って観ていたので、勉強になった。玉男さんの演技上の意図を考える機会にもなってよかった。指先の曲げ伸ばしの表情演技が細かいこととか、これは手数のカットぶりとは逆に、勘十郎さんより玉男さんのほうが人形の指の仕掛けの「チャキッ」という音を鳴らす演技が多いことに気付いた。松王丸の輪郭をどう大きく見せるかも、お二人で違っていて、面白かったです。あとは正直なところ、左遣いさんが違うと思うので、その技量や慣れの差もかなり出ていると思う。

ちなみに私が玉男さんの松王丸の遣い方で好きなところその1は、最初の駕籠から出て、正面向いて立って、ちょっと喋って、玄関前に行く前に上手を向く姿勢。このターンの速さが日によって違う(びっくりするほど速いときがあり、そういう日は左遣いさんがものすごい勢いで後ろ側に回り込む)。その2は、源蔵の家に入るときに人形がくぐる動作をしないところ。松王丸は上使のあかしの紙の飾りを頭につけてるため、そこが戸口の上部に引っかかるから普通は松王丸をかがませる……んだろうけど(勘十郎さんは実際人形の頭を下げるかたちでかがませていた)、ご自分の体の位置そのものを下げてくぐり、松王丸の姿勢を崩さずまっすぐのままにしているところです。

 

以上に関してはAプロとBプロで観た回数が違うので、理解が足りず、検討不足の部分も多いと思う。 いろいろな方の意見が聞きたいところ。あとは、玉也さんとか、和生さんの松王丸も機会があるのなら見てみたい。

 

 

 

そのほかの部分に関して。

何といってもよかったのが、Aプロの源蔵、玉也さん。すばらしい源蔵だった。この源蔵を観るためだけに鑑賞教室行きたいレベル。腕組みして出てきて、家に帰ってきて、玄関先で頭下げて出迎える寺子たちを見て、上座へ歩いていく。その、玄関先で子どもらを見るところ。屋体に入ったときのほんの一瞬だけ見て、すぐに目線を逸らしてまた考え事をはじめる所作がよかった。本当に一瞬しか子どものほうを見なくて、「やっぱアカン」、という見切りと苛立ち。さすがにこの後初対面の子どもの首を飛ばすだけあるわこの人、と感じた。源蔵は本来、菅丞相に認められたほどの才気ある人物でありながら、戸浪と密通して勘当され、ここまで駆け落ちしてきた身。こういう登場人物って、ほかの狂言だと弱いところがある男(ゆえに魅力的である)という印象だけど、源蔵はまじ狂ってる(ゆえに魅力的である)。松王丸が見込んだだけのことはある。その狂気を十分に表現した源蔵だった。首実検の直前、一度渡した首桶に手をかけて松王丸に凄むところも尋常じゃない気迫でよかった。首桶の蓋がカタカタしてて、ドキドキした。

Aプロは床もよくて、寺子屋の前・千歳さん&富助さんコンビは期待通りだった。丁寧に、かつダイナミックに。浮わついた大げささじゃなくて、浄瑠璃が自然な物音のように聴こえたのが良かった。そしてその後・睦さん&清友さんにはビックリした。寺子屋、前後で分割すると途中で緊迫感が切れて浄瑠璃がつながらなくなり、源蔵と戸浪が「♪五色の息をいっときにホッと吹き出す」という部分、なにが??すでにホッとしとるんでは??ってなると思うんだけど、睦さんからは、前を引き継いだテンションを継続させようという強い意志を感じた。おふたりとも、最後まで熱演だった。睦さんには今年、何回も、いいなあと思わされた。「頑張ってる」以上のものがにじんでいる人だと思う。今後に期待。

Bプロの寺子屋・前は呂勢さん&燕三さん。燕三さんすごい良かったです。現状、こういう特殊な機会でもないと寺子屋の前には配役されないと思うけど、本当いいもの聴いたと思った。あと、このお二人、鯖みたいなテッカテカのメタリックブルーの肩衣で、鯖が食べたくて仕方なくなった。

個人的にすごいと思ったのは、Aプロ・千代の清十郎さん。会期中の向上ぶりに目を見張った。2日目に行ったときは松王丸(玉男さん)の演技に追いついておらず、特にいろは送りのところ、「この人まじで大丈夫!?」と心配になったけど、千穐楽前日にはキッチリ決めてきていて、元来お持ちの清楚な悲壮感が出ていてよかった。

あとは、全体のバランスとして、「この人どうしてこういうことしてるんだろう?」と思う部分は、ほかの登場人物(というか、立てるべき役)とのバランスでそうしてるんだなと気づく部分があって、おもしろかった。その点では、Aプロ・戸浪の文昇さん。ラフめというか結構ふつうの奥さん風のつくりで、はじめは「戸浪って元腰元なわけだし、もう少し上品めでもいいんじゃない?」と思ったんだけど、源蔵の出以降はかなり納得。玉也さんの晦渋な狂人という感じの源蔵に似合った奥さんだった。

「好きなもの=直行直帰」としか思えず、給料泥棒、会社員の鑑、『菅原伝授手習鑑』で一番共感できる登場人物No.1・春藤玄蕃は、Aプロ=吉田玉輝、Bプロ=吉田玉佳。玉輝さんの玄蕃は「早期退職募集狙いだが在職中はキッチリ仕事をするタイプ(退職後はバイトでいいから弊社営業部に来て欲しい)」、玉佳さんの玄蕃は「早く帰りたいけど色々やることがありすぎてしかもそれを真面目にやっちゃうため、結果的にサービス残業の常連タイプ(でも転職エージェントには登録してる)」感じになっていた。玉輝さんは上品すぎない適度なザックリ感、小者ぶりがあってよかった。

全体的にはAプロはいま文楽が出せる最大クラスの豪華配役、Bプロは中堅・若手を配置した積極配役という感じだった。Bプロは端正な人が多く、全体の調和は良かったんだけど、フックがなくて、多少独善的になってもいいからもう一歩踏み込んでほしかったとも思う。文司さんとか清五郎さんとか勿体ない。

 

 

 

 

Discover Bunraku 外国人のための文楽鑑賞教室。

東京では初めて外国人向け公演へ行った。『団子売』を上演せず、その分解説に長く時間をさいたプログラムになっている。配布パンフレットが多言語版のオリジナル仕様になっているほか、特別に日本語を含むすべての言語のイヤホンガイドを無料で貸し出すサービスをしていた。

最初は解説パート、1時間程度。司会のステュウット・ヴァーナム・アットキンさんによる解説は英語で、技芸員に話しかけるときのみ日本語(技芸員は基本日本語で解説、技芸員が話し終わったらアットキンさんが要点のみ抄訳)。もちろん、母語が英語でない観客も多いので、ゆっくりめのわかりやすい英語。

今回おもしろかったのは、「口上」も解説していたこと。通常公演のように黒衣サンに「トーザイ〜トーザイ〜 このところお耳に達しますは〜」というのをやってもらい、その後、口上の黒衣サン=文哉さんが頭巾を取って「東西」の意味や黒衣の仕事の解説。「東西」というのは「劇場に来場されているハシからハシまでのすべてのお客様に申し上げます(+ご静聴ください等)」という意味だそう。あとは普段のお仕事=左や足を遣う、道具の出し入れ、小幕の開け閉め、ツケ打ち等をしているというお話だった。文哉さん、東急ハンズにいるスゴイ切れる包丁の実演販売の人みたいな口調でおもしろかった。

次に希さんから太夫、寛太郎さんから三味線の解説。太夫は語り分け解説で『彦山権現誓助剣』瓢箪棚の段の冒頭の辻博奕の語り分け、『鎌倉三代記』「局使者の段」の冒頭を実演(観てからこの記事を書くまでに時間が経ちすぎて、なんかほかにもあった気がするけど、忘れた)。三味線は通常はバチ使いの説明くらいしかしないが、今回は情景描写演奏の実演が細かく入り、『日高川入相花王』渡し場の段の川の流れの音(たぶん清姫が飛び込む直前の部分)、『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段の寺院の鐘の音(九つの鐘が鳴る部分のお囃子抜き)の演奏があった。太夫三味線二人合わせての実演も長く、「寺入りの段」の頭を結構な長さで演奏していた。人形解説は通常と同。

解説は前述の通りゆっくり喋ってもらえるので、英語サッパリの私でもある程度は何言ってるかわかるのだが、途中、『リア王』に例えた解説が入ったのはついていけなかった。英語圏っていうかグローバル一般常識ではやっぱりシェークスピアは基礎教養なんですね……。

本編は英語字幕で上演。英語字幕、おもしろくて見始めるとクセになる。浄瑠璃は日本語がわかれば言葉遣いの格調の上下の激しさ、言葉遊びや韻の踏み方・掛詞等が楽しみどころ・聴きどころだが、字幕はそんなこといちいち訳してられないし、母語が英語でない人向けのやさしい文法でなくてはいけないので、「Yodarekuri is something of a fool」とかの豪速球な字幕が出ていてめちゃくちゃ笑った。あとはコタロウの父母はノーブルだろう、とか。おかしくてはじめはついつい見ちゃっていたが、源蔵が入ってくるあたりからはさすがに人形さんに失礼なので、やめた。

上演はかなりウケていた。会場、外国人のお客様が多かったが、やはりみなさん日本在住(滞在中)でしかも文楽に興味のある方だからか、字幕に関係なく太夫の語りで笑っておられる方が多数だった。逆に通常公演のほうが笑うところで誰も笑っていなかったり、太夫の語りでなく字幕表示で笑うパターンが多いかもしれない。この点でいうと、解説時に司会者から会場に向けて「文楽を初めて観る方は挙手してください」という投げかけがあったのだが、挙手は半分以下で、とくに前方席の人は全然手ぇ上げてなかった。やっぱりもとから日本の古典芸能に教養のある方が多いのね。 

 

 

 

今回も鑑賞教室公演、たくさんの発見があって、大変勉強になった。あらためてじっくり舞台に向き合う機会になったと思う。できるだけ毎回、新鮮な気持ちで鑑賞しつづけていきたい。

いつまでも、目の前のものを素直に受け取ることができる心でありたい。これがいま一番思うこと。余計な偏見や思念が入ると、つまらなくなるから。私は、ものごとをつまらなくするのは自分であるという経験が多い。ずっと素直な心でいることは、とても難しいことだとは思う。でも、意味のない意固地や自己の斜に構えた態度で趣味がつまらなくなるなんて、いやじゃないですか。あっ、でも、東西で同じ演目をやるのと、同じ演目2ヶ月もやってんのに会期中どんどん下手になる奴だけは断じて許さん。国立劇場の前庭に植わってる菅丞相の梅の木に逆さ磔にしてやる。

最後に突然妄想を開陳して真に恐悦至極ではありますが、個人的には松王丸=玉志さん、源蔵=玉男さんの配役で観たかったな。6月大阪の鑑賞教室公演・尼ヶ崎の光秀=玉志さん、久吉=玉男さんがめちゃくちゃ良かったので。いつか必ず拝見したい配役である。

 

 

 

今年の文楽はこの12月鑑賞教室・本公演にて見納め。今年もたくさんの充実した公演に行くことができて、楽しかった。来年もアクティブに楽しみたいと思う。

 

 

 

 

文楽 12月東京公演『伊達娘恋緋鹿子』国立劇場小劇場

『鎌倉三代記』で集中力を使い切ってしまい、客席まったりしているところで始まる『伊達娘恋緋鹿子』。なんかこう、それなら『鎌倉三代記』の現行で出せる段ぜんぶ出せばいいのではと思ってしまうのだが……。

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八百屋内の段

雪がちらつく本郷の町。八百屋久兵衛宅の前には、吉祥院の小姓・吉三郎〈吉田玉勢〉の姿があった。主君・左門之助が紛失した家宝「天国(あまくに)の剣」の行方詮議も今日が期限、今夜中に見つからなければ彼は主君とともに切腹しなければならなかった。そのため吉三郎はこの世の別れとして恋人であるこの家の娘・お七に会いに来たのである。そこへお使いの出がけの下女・お杉〈吉田簑紫郎〉が来あわせ、自分が戻ったらお七に引き会わせるとして吉三郎を縁の下へ隠し、いそいそと出かけていった。

一方、家の中ではお七〈吉田一輔〉が吉三郎への想いに打ち沈んでいた。親・久兵衛〈吉田勘市〉は今宵訪ねてきている釜屋武兵衛と内祝言を上げるようにと説得するが、彼女は聞き入れない。先日の大火で焼けたこの家を再建するために久兵衛は武兵衛から多額の出資を受けており、武兵衛はその対価としてお七を嫁にと要求していた。この祝言を断るなら久兵衛は武兵衛に大金を返さねばならず、身代すべて焼けてしまった一家にそれは無理。普通なら娘の気の進まない祝言を蹴ってこの家を出て、一家三人袖乞いになればいいのだが、お七の父は元々この八百屋の奉公人であり、先代の気に叶ってその娘を妻にもらい跡式を譲られた身ゆえ、先代の娘である妻を路頭に立たせるわけにはいかないと言う(先代の孫娘がクズの嫁へいくのは良いのか?)。無理を頼み込む久兵衛にお七は、そちらに義理があるならわたしにも義理があり、言い交わした男を捨てて他の男と添うことはできないと返す。お七と吉三郎の仲を知る久兵衛は、吉三郎は許嫁・お雛と夫婦になって安森家を継がねばならず、そこを邪魔しては吉三郎は咎めを受けて切腹となる。あるいは吉三郎が出家の身となるなら、出家と関係した女は死ぬ前から地獄の迎えが来て、男とともにその責め苦を受けることになると言ってお七を脅す。うまくつけこまれたお七は、自分が地獄へ落ちるのはいいが吉三郎に切腹させ地獄へ道連れにするのは嫌だと泣きじゃくるのだった。そこへ母〈桐竹亀次〉が加勢して、吉三郎を思い切って嫁入りしてくれ、しかし夫に気に入られる必要はないと言う。久兵衛は「嫁のつとめ」を果たさず怠けまくり&無駄遣いしまくり&旦那無視しまくりをしていればすぐに愛想尽かしをされて戻って来られるであろうと加えて、両親揃ってお七に手を合わせて嫁入りを頼み込む。そうして了見したお七は泣きながら両親とともに茶の間を後にした。

親子の話を縁の下から聞いていた吉三郎は三人の思いに声を忍んで泣き、雪の中をそっと立ち去る。それと入れ替わりにお杉が戻ってくると、お七が走り出てきてわっと泣きつく。てっきり吉三郎がお七と会えたと思い込んでいたお杉だったが、二人が会っていないことを知ると、彼を隠しておいた縁の下を改める。するとそこには蓑笠があるばかり。お七はその中に自分宛ての手紙があることに気づき、開いて読んでみると、そこには自分を思い切って嫁入りして欲しいこと、天国の剣の詮議は今宵限りで明朝には若殿共々切腹すること、そのため最後に一目と訪ねてきたが、名残になってしまうので会わずに帰ることが書かれていた。死ぬときは一緒だと言ったではないかと狂乱するお七を引き止め、お杉はなんとかして天国の剣を探し出し男を死なせない算段はないものかと思案する。

すると突然奥の戸棚が開き、丁稚の弥作〈吉田玉翔〉が現れる。弥作はなぜか「天国の剣は太左衛門が先ほど持ってきて武兵衛が腰へ差している」ことを知っており、それを奪って神田の左門之助宅へお杉に届けさせればよいと言う。するとお杉はお七のためなら盗みも厭わない、酔っ払っている武兵衛からは自分が盗んでくると言い出し、弥作も手伝うという。お杉と弥作は抜き足差し足、武兵衛のいる座敷へ向かうのだった。

世話物らしい会話劇。

「火の見櫓の段」だけだと派手な人形の振りしか見どころがない(と言ったら申し訳ないけど)ので、国立劇場としては浄瑠璃をしっかり聴かせるべく滅多に出ないという「八百屋内の段」をつけたのかな? と思いきや、「八百屋内の段」、全然意味わからなかった。いや、正確には「八百屋内の段」もモノスゴク話の途中で、もっと前から上演してもらわないと意味がわからない(ここまでの詳しいあらすじはこの記事末尾に付けてます)。

ストーリーがとくに複雑なわけではない。「お七と吉三郎は何かの事情で別れさせられた恋人同士」「お七は嫌な男に嫁がなくてはならない」「お七の両親はその男に多額の借金をしており、娘の嫌がる結婚は不本意だが、とにかく金がなくて断れないので説得に回らざるを得ない」というのが状況理解のポイントだと思うが、これに関して全員自分の意見を表明しているだけなので、話に入り込むとっかかりがないのだ。プロット上のギミック等もない。津駒さん&宗助さんがここに突然配役されている理由がよくわかった。情景描写や登場人物の語り口等がキッチリしていないと聞き応えも情感もなにもなくなるので、若手等ではこれは間がもたない。これくらいのベテランがキッチリ押さえ込ないと、大炎上してしまう。客席でも素で「津駒さんでよかった……」と言っちゃってる人がいてめちゃくちゃ笑った。

津駒さんはいつも超一生懸命な顔になっておられるが、今回は世話物だから軽く、かと思いきや、超一生懸命な顔で語っておられて、感動した。当たり前だが、津駒さんはいつも本気なのだと思った。お七パパの商売人らしい軽妙な印象や、お七を説得する手練手管(?)に合わせての口調の変化が面白かった。「まだ肝心はの、コレ」と声を潜めて新婚早々離縁されるテクを伝授してくるが、その前におんしは金の算段なんとかせえやとしかいいようがない絶妙な適当加減で良かった。あと、冒頭でお杉が家の前にいる吉三郎に気づいて驚き、「ヲゝ怖」と言うところ。いちばん最初に拝聴した3日目だと、「うっわっ」って感じでお杉が素で驚いたようなトーンで語られていたが、後半日程では調子を抑えて、前後とつなげて浮かないようにされていた。どういうご意図なのだろう。お杉の素の驚き声、微妙に声を潜めた感じがいかにも商家の下女というか、いまでいうなら中高大一貫の女子校育ちの女の子が女の子同士でいるときに発する地声調で面白かったんだけど。

どうでもいいが、文楽太夫さんって、床が回った後、三味線さんからものすごく離れて座りなおす人と、ほぼそのままの位置で語り出す人がいる。津駒さんは猛烈にずれているが、一体何の間合いなのだろう? 体格がいい人同士ならそりゃ邪魔だろうから離れた方がいいだろうけど、宗助さんはチョコリンとしてるからそのままポジでもよさそうだが。いや、宗助さんのほうが汁をかけられたくなくて、三味線が濡れちゃうからとかなんとか言って津駒さんに離れてくれって言ってるのかも……。一方離れないのが千歳さんで、逆に富助さんは千歳さんを邪魔だと思っていないのかが気になる。千歳さん、なんかときどき、プレーリードッグっていうかオットセイみたいな感じに、にょきっと伸びながら何かをスプラッシュしているから……。それが客にかかっているということは富助さんにかかってないはずがないもん……。その点で言うと、歌舞伎で義太夫狂言が出るときの竹本の太夫さん三味線さんは床がちっちゃいのでどんな大曲だろうがめっちゃ密着しているが、あれはツラくないのかしらんと思う。

しかし途中で突然戸棚をガラリと引きあけて出現する丁稚のまったく意味わからなさはすごかった。誰???ドラえもん????ってか玉翔よくそんな狭いとこから出てくるな?????とどよめく客席。あの絶妙な空気感は来場できなかった方々にも共有したい。

ところで突然脈絡のない発言をするが、女性役の人形さんで、袖でそっと涙を拭く仕草が居酒屋のオシボリでゴシゴシ顔を拭くオジサンになっちゃってる人がいて、乙女でございという顔はしていてもやっぱり正体はオジサンなんだなと思った。あと、娘役の人形で、背筋は伸ばすってか軽くS字湾曲状にしつつ真っ直ぐにして、首だけ急にカクッと下げて強く顎を引いた状態にしてシオシオ泣いている表現をする人がいると思うが、人間でそのポーズをすると二重顎になるか、首元で皮膚がモタついて美しくない。人形にしかできない可憐さだなと思う。以上、無軌道発言でした。

 

 

 

火の見櫓の段

お杉と弥作が武兵衛から天国の剣を盗んでいるころ、町中へ迷い出たお七はいかにして剣を本郷から神田まで届けるかを思案していた。江戸では夜間は何人たりとも屋外の往来を禁じられており、町の門も閉ざされるのでとても神田へ行くことはできない。そしてはやその合図となる九つの鐘が鳴るのだった。そんな中、火の見櫓を見たお七はあることを思いつく。火事の知らせの半鐘を鳴らせばさすがに町々の門も開き、お杉も神田までたどり着けるはず。みだりに半鐘を打った罪でこの身が火刑とされても恋しい男ゆえ後悔はないと意を決し、凍結した火の見櫓の梯子に足をかける。

一方、お杉はなんとか天国の剣を盗み出し、久兵衛宅を駆け出てくる。それを追ってくる武兵衛〈桐竹勘介〉と太左衛門〈吉田玉路〉、そしてお杉を助ける弥作。お杉・弥作と悪人二人が剣の奪い合いになり大騒ぎとなる中、櫓の上へたどり着いたお七は半鐘を打ち鳴らす。すると町々の門が次々と開いてゆき、お杉はなんとか掠め取った剣を携え、吉三郎のいる神田へ急ぎゆくのだった。

よくある外部公演ではお七が火の見櫓を登るところだけ見せるので、お七役の人形遣いのみが目立つ演目というイメージだった。

なので、今回も一輔さんのファン以外は観てもしょうがないだろと思っていたが……、むしろ一輔さんのファンのほうが可哀想だった。今回は前段から上演するためか、通例カットとなるお七以外の脇キャラのみなさんが登場してしまい、下界では掴み合いになったり剣をトスしたり雪をかけたり用水桶に叩き込んだりというドリフが始まるため、イチスケ、全然目立たねえ……。つぶらな瞳で(一輔さんが)けなげに半鐘打ってるだけになっておられた。

脇キャラも先ほどの段に引き続き登場するお杉・弥作の二人だけでなく、「誰???」としか思えない二人(武兵衛・太左衛門)が突然出てくるので、客の視線はソッチに釘付け。しかもなんでこんなパンチが利いた人形配役やねん。みんな元気がありすぎ、お前ら頑張りどころが間違うとる。下界のみなさんも中日あたりからはお七が目立つよう、大人しく(?)やってらっしゃったが、普通にお七だけが登場する外部公演のほうが見応えがあり、この演出この仕打ち、国立劇場の配役担当者は火の見櫓に逆さ吊りにされてもおかしくないと思った。楽しそうなのはいいんだけど、さすがに本公演なんで……。

ところでパンフレットによると、お七が禁忌を破り鐘を打ち鳴らす展開は『ひらかな盛衰記』神崎揚屋の段で、遊女梅ヶ枝が夫のため、打てば現世では富貴を得られるが来世では無間地獄に堕ちるという「無間の鐘」になぞらえて手水鉢を打つシーンを受けて作られているらしい。フーン。普通の「八百屋お七」の話を受けて、放火したかに思えて実は放火しておらず、火事騒ぎには理由があった的なことをアナザーストーリーとして見せるのが趣旨なのかと思っていたので、意外だった。

 

 

 

読了が観劇後になったが、本作も全段を読んだ。それにより話全体をやっと理解。武家の家宝を巡りテンション高い人々がテンヤワンヤするストーリーで、お七が登場するに至るまでになかなか長い展開がなされていた。以下、今回上演以降も含んだ全段のあらすじ。(参考=土田衛・北川博子・福嶋三知子=編『菅専助全集 第二巻』勉誠社/1992)

  • 京都・吉田神社へ、近江国守・高島左京太夫の嫡男、左門之助が禁裏の所望により家宝・天国の剣を持参してやって来る。左門之助には家臣・安森源次兵衛と軍右衛門が伴っていた。源次兵衛は天国の剣を社壇へ奉納し、禁裏の使者を迎えに退出する。そこへ島原の傾城・花園がやってきて、近頃寄り付かない左門之助の無精をなじる。花園は軍右衛門から左門之助が吉田神社に来ることを聞いて出張ってきたのであった。しかし、左門之助が彼女と別れて使者の出迎えに退出したすきに、謎の宮仕が天国の剣をナマクラ物とすり替えてしまう。そうこうしているうちに禁裏の使者・渡辺隼人と相役・鳴島勘解由(かげゆ)が現れる。隼人が剣を改め偽物であると言うと、軍右衛門は左門之助が傾城に放埓を尽くしていることを暴露し、金を作るために天国の剣を売り払ったのだろうと言う。左門之助と源次兵衛は禁裏よりの所望品を盗まれた責任を取り切腹しようとするが、隼人がそれを引き止め、100日以内に行方を詮議して再度献上するようにと事態を取り成す。源次兵衛は近江へこれを報告しに帰り、左門之助は天国の剣を探す旅に出る。
  • その夜、二条河原では軍右衛門と勘解由が密会していた。実は二人は天国の剣をめぐる悪党仲間だったのである。勘解由は左門之助がいなくなればかねてより懸想している花園は自分のものとほくそ笑み、軍右衛門もまた源次兵衛が失脚すれば、現在江戸へ追放されているその子息・吉三郎も帰参が叶わず、彼の許嫁であるお雛が自分のものになるだろうとテンション上がっていた。そこに天国の剣を携えたあの宮仕がやって来る。実は宮仕の正体は釜屋(万屋とも)武兵衛といって軍右衛門の乳兄弟であった。三人は左門之助を始末する相談をして、うなずきあって帰っていく。
  • 一方、国に帰れず行く先に迷う左門之助が寂しく河原道を歩いていたところ、突然多数の非人たちに取り囲まれる。その窮地を救ったのは渡辺隼人だった。吉田神社からの帰りに勘解由が姿を消したことを怪しみ、戻ってきたのだった。隼人は非人たちを買収したのは天国の剣を盗んだ者であると推察する。あのような名剣は京都で売り払うことは出来ず、出現するなら諸国の武士が入り乱れる江戸であろうと言い、左門之助に路銀を渡して江戸へ送り出す。
  • 近江の国。安森源次兵衛は天国の剣紛失と左門之助の放埓の責任を取り、屋敷で謹慎していた。源次兵衛の妻・お町は、夫がこのような状況の上、主君に異見したことで勘気に触れ、江戸の吉祥院へ預け置かれることになった息子・吉三郎の身の上も気になって仕方がない。そこへ城からの上使が到着する。上使が伝えたのは、吉三郎を赦すので江戸から呼び戻して安森の家を継がせよという大殿の言葉だった。喜んだ夫婦は早速、家臣・戸倉十内を江戸に迎えに行かせる準備をはじめる。
  • そこへ花嫁が到着したという知らせが入り、屋敷へ嫁入り道具が次々に運び込まれる。現れたのは高島家家老・鈴木甚太夫とその娘・お雛だった。吉三郎の帰参が許されたため、かねてよりの許嫁であった吉三郎とお雛の祝言をという上意により早速やって来たのだった。ところがそれを迎える源次兵衛は白無垢の無紋の裃の死装束。源次兵衛が甚太夫から贈られた引き出物の箱を開けると、そこには三方に乗った扇とともに刀が入っていた。源次兵衛は左門之助の品行不方正と天国の剣紛失の責任を取って切腹しようとしており、大殿も本来は彼を殺したくはないが、赦免しては政道が立たないとして、涙を飲んでその介錯に甚太夫を遣わしたのだ。吉三郎の赦免は安森家を断絶させないためのせめてもの厚情だった。一同が祝言と別れの杯を交わしているところへ、検使としてドヤりにドヤった軍右衛門がやって来る。言いたい放題言いまくる軍右衛門を大殿の命令だと言ってギッタギタにして追い払う甚太夫。これも実は大殿の心遣いで、ふだんから軍右衛門に苦慮していた源次兵衛へせめて目の前で憂さ晴らしをさせてやるべくわざと軍右衛門に検使を命じていたのだ(ダイナミック・トノ)。軍右衛門は大泣きしてキャンキャン逃げ帰っていった。
  • 旅立ちの準備を終えた十内に、源次兵衛は次のように言い渡す。十内は源次兵衛に代わって江戸へ吉三郎を迎えにゆき、二人で天国の剣の行方を探すこと。若殿・左門之助を探し出し、帰国できるようにすること。嫁入りしたばかりのお雛を江戸へ連れていき、吉三郎と添わせること。100日の期限以内に天国の剣が見つからなければ、左門之助切腹に伴い吉三郎にも追腹を切らせること。そう言って源次兵衛は別れを惜しむ十内とお雛を追い立てると、苦悶のうちに切腹する。それを密かに見届けた十内とお雛は形見の扇を受け取り、涙ながらに近江の国を旅立つ。
  • 夏、江戸。傾城花園は吉原へ移っていた。客の座敷へ出ているにもかかわらず沈んだ様子の彼女に、仲間の遊女たちが何故京都を離れ江戸へ来たのか尋ねると、花園はそれには二つの理由があり、恋しい男を追ってきたのと、それゆえに転売されてきたのだと答える(このあたりよく意味が取れず)。そのとき紙衣姿の「恋の伝授書」売りが外を通りかかる。花園が覗いてみると、その紙衣の男はなんと左門之助だった。近場の女郎たちが伝授書売りに何故そんな姿になったのかと尋ねると、左門之助はこのように答える。かつてわたしは京都で人に使われる身であったが、若気の至りで色街へ出入りするようになった。しかし主人に露見し通えなくなると、その傾城は金がない男とわたしを見限ってどこかへ消えてしまった、と。それを聞いていた花園はブチ切れて「誠なしとはふざけんな!その傾城も男を追って廓を抜けようとしたところを捕まり、遠国へ売り飛ばされたのだ、そして昼も夜も男会いたさに泣き暮らしているというのに!」と客の胸倉に掴みかかって泣きじゃくる(客ドン引き)。そんな大騒ぎが起こっている街角へ勘解由が現れる。会ってはまずいと笠で顔を隠して立ち去る左門之助。勘解由は島原を離れた花園を探し求めて暇を乞い、はるばる江戸まで追いかけてきていたのだった(衝撃的なアホ1号)。キモく言い寄る勘解由だったが、花園につれなく突き飛ばされ、腰をしたたかに打って帰っていく。
  • その頃、江戸へ辿り着いた十内は吉原間近の衣紋坂でやっと吉三郎を捕まえる。吉三郎は用事でしばらく吉祥院を離れており、会えなかったのである。一方、そのすぐそばに軍右衛門と武兵衛、そしてその仲間の油屋太左衛門もやって来ていた。軍右衛門はお雛が江戸へ発ったと聞いて浪人し、追いかけてきたのだった(衝撃的なアホ2号)。三人は天国の剣の質入れの算段をして散っていく。そうやって人の行き来が途絶えたすきに、左門之助が戻ってくる。花園は左門之助に抱きついて彼の身の難儀を嘆き、左門之助も自分のために苦労した花園の身の上を憐れむ。そこに軍右衛門と勘解由が現れて左門之助に飛び蹴りをかます。左門之助は二人が一緒にいるのを見て天国の剣を盗んだ犯人を推察するが、軍右衛門はもう俺は浪人の身の上だもんね〜!と構わず左門之助を踏みつける。そこへ十内と吉三郎が現れ、左門之助と花園を保護する。十内は軍右衛門・勘解由と斬り結び、左門之助と花園、そして吉三郎を逃すのであった。
  • [ここから今回の上演に関係する部分]吉祥院の小座敷では、火事で焼け出されこの寺に仮住まいする八百屋一家の娘・お七が吉三郎から茶の接待を受けていた。お七は吉三郎にしきりにちょっかいを出すが、吉三郎は彼女に「あなたは家の普請を世話してくれた釜屋武兵衛へ嫁入りする談合ができている、夫ある娘にはもう関われない」と言う。しかし、お七は火事のおかげで吉三郎に出会えた、家が焼けたのも苦にならずむしろ火元を拝んでいる、吉三郎を捨てて嫁入りするようなわたしではないとカッ飛んだ返しをして、下女のお杉もそれに口添えする。吉三郎もお七から渡された起請文で彼女の心底を知るが、そこへお七の父・八百屋久兵衛がやって来る。お七と吉三郎の仲を承知している久兵衛は店の再建の目処がついたのを機にお七を迎えに来たのであるが、お七とお杉は抵抗。久兵衛は院主へ挨拶に行くとして座を後にする。お杉がお七と吉三郎を二人にしてやろうと算段しているところに、話を盗み聞きしていた寺の小僧・弁長が現れる。お杉は院主へコトの次第をチクろうとする弁長を張り倒す……のではなく、ソデノシタを渡して買収、弁長はお七と吉三郎を密会用の囲いの中へ押し込むのだった。弁長はお七の起請文が落ちていることに気づき、これが院主に見つかっては一大事とそっと懐に隠す。それを見ていた武兵衛と太左衛門は弁長を浄瑠璃本で買収しようとするが、乗ってこない。しかし寺の前で小僧がお七と吉三郎の色事の取持ちをしていると叫んでやると脅されると、そんなことをされてはお七が可哀想だと思った弁長は、誰にも見せないようにと言って起請文を二人に渡してしまう。
  • 悪党二人が一杯やりに去ったのと入れ替わりに、戸倉十内が吉祥院へやってくる。院主に面会した十内は大殿の赦しが出たため小姓として預けられた吉三郎を返して欲しいと頼むが、院主は一旦弟子とした者を簡単に返すわけにはいかないと拒否。十内は怒って無理にでも吉三郎を連れ帰ろうとするが、居合わせた八百屋久兵衛が取り成して落ち着かせる。するとそこへ酒に酔った武兵衛がやって来て、久兵衛にお七を早々に寄越せと催促する。久兵衛は家が落ち着いた来春にでもと言うが、武兵衛はお七と吉三郎が不義を働いた上、吉三郎の父・源次兵衛は主君の宝を盗んだと言い立て、先程の囲いを引きあけてお七と羽織を被った吉三郎を引き出す。ところが羽織をはがしてみると、吉三郎に見えたのはなんと院主。院主は不義の科は自分にあるとして、お七には自分との恋を思い切り親に尽くすように語るが、これは吉三郎を庇った院主の芝居であった。武兵衛はそんな芝居を打っても証拠を押さえていると嘲笑って起請文を読み上げようとするが、開いてみるとそれは御影講の紙袋。弁長にしてやられていたのである。武兵衛はそれなら院主の不義は間違いないと彼を打擲するが、十内が割って入り、逆になぜ一般人が源次兵衛の失敗を知っているのかと詰問してコテンパンにしてしまう。悪党二人は「代官所へ院主の不義を言い立ててやる」「いやそんなことをしてはお七まで捕まってしまう」などと騒ぎながら逃げ帰っていった。
  • 囲いの内では吉三郎が院主の思いに涙を流す。一方、久兵衛はお七を引き掴み、よくも親に恥をかかせ院主に悪名を立てさせたと拳を振り上げる。吉三郎は割って入って平身低頭するが、今度は十内がそれを引き掴み、源次兵衛の腹切り刀に添えられていた扇で打擲する。父の切腹を知り驚く吉三郎。十内は父母が吉三郎をずっと心配していたにもかかわらず、本人は他人の大切な娘に手をつけ師の顔に泥を塗った、これでは安森の家も終わりであると拳を握り涙を流す。その様子に吉三郎は扇を押し戴いて先非を悔やむ。院主は互いを思い切ってそれぞれの許嫁と添うのが孝行と説得するが、二人は納得しない。その様子に十内は切腹、院主は寺を出ると言い出したので、二人は当座逃れに別れを約束する。こうして吉三郎は十内、お七は久兵衛に連れられて吉祥院を後にするのだった。
  • 師走。瀬戸物町にある十内の仮住まいに吉三郎とお雛も一緒に住んでいたが、二人の仲は打ち解けることがなかった。お雛は吉三郎にお七が忘れられないのだろうと恨み言を言うが、吉三郎はそれに加えて天国の剣の行方と左門之助の身の上を案じているとしてつれない態度。そこへ神田にある左門之助の隠れ家を訪問していた十内が帰ってくる。甚太夫の計らいで花園の身受けの相談もまとまったが、天国の剣の行方は未だ知れない。ここにきて軍右衛門がこの仮住まいに勘付いたらしいので、今夜のうちに夜逃げして左門之助宅へ引っ越してしまおう。家賃もおさめてないし。と言っていたところへ夜逃げの気配を察した家主がやって来る。十内は家賃の代わりに家財道具すべてを渡すと言うが、お雛に惚れている家主は金はいらないから彼女を寄越せという。十内は家主にお雛との逢い引きの算段をするとして「夜、行灯の火を消しておくので表から猫の鳴き真似をして入っておいで」と丸め込むと、家主は有頂天で帰っていった。それと入れ替わりに仕送り屋が借金の取り立てにやって来る。十内は相場で大儲けした作り話をするが、聡い仕送り屋は騙されず、夜にまた来るとして去っていった。さらにそこへやって来たのは家主の女房。十内に惚れている女房はグイグイ言い寄ってくるが、十内は「夜、行灯の火を消しておくので裏からネズミの鳴き真似をして入っておいで」と丸め込んで帰すのだった。やがて夕刻。まとめておいた荷物を取り出し、行灯を吹き消して三人は夜逃げする。そして寄り集まってきた家主、仕送り屋、家主の女房の三人が鉢合わせて……???(怪談)
  • さらに暮れも押し迫った頃。先ごろ大火に遭い丸焼けとなった本郷にも新宅が立ち並び、正月の準備で賑わっている。防火のため、新しい街の四つ辻には火の見櫓が設置されている。そして夜間は防犯のために屋外の通行は厳禁、それが許されるのは火災を知らせる半鐘が打ち鳴らされたときのみという新しいお触れが回っていた。今夜はついにお七と武兵衛との内祝言、八百屋久兵衛宅へ町の名主を仲人に伴った武兵衛がやって来る。久兵衛宅の台所では下女お杉が忙しく立ち働き、丁稚弥作は戸棚で居眠りを決め込んでいた。久兵衛夫婦はお七が嫌がっているので祝言は来春にして欲しいと言うが、武兵衛はお七に吉三郎という虫がついているのは知っている、そのお七を得んがため火事で焼け出された久兵衛一家に店の再建費用200両を投げ渡したのだ、娘を渡さないならいますぐ200両を返せと迫る。夫婦は口惜さに悔し泣きしつつ、ひとまず奥で武兵衛らに酒を振る舞うことに。一方、雪がちらつく屋外には油屋太左衛門が忍んできていた。太左衛門は座敷を抜け出てきた武兵衛に、天国の剣は500両で買い手がついた、軍右衞門には200両で売れたと嘘をついて100両を渡し、残り400両をコチラで着服しようと持ちかける。武兵衛は喜び、お七のことも算段がついたのでこっちで一杯と、太左衛門を屋内へ引っ張り込む。(この後、今回上演の「八百屋の段」「火の見櫓の段」へ続く)
  • その後日、代官所。お七らの働きにより天国の剣を取り戻した左門之助は、代官・長芝栄蔵と渡辺隼人に面会していた。そこには吉三郎、武家の妻の身となった花園、十内も同伴していた。左門之助はかねてより嘆願していたお七助命を再び願い出るも、代官は不憫ではあるが国法を曲げることはできないと言う。涙に沈む一同に、隼人は左門之助夫婦には帰国を促し、吉三郎へは江戸出立の準備のための「暇」を与えてお七が処刑するのは鈴ヶ森であると教える。
  • 鈴ヶ森の刑場へ引かれていくお七の心にあるのは、なおも吉三郎のことだけだった。(この部分、道行なのでこれといって中身はない)
  • 見物人が詰めかける鈴ヶ森の刑場。弱々しい足取りで現れた久兵衛夫婦は、ただ一軒家を建てたために娘をこんな目に遭わせる羽目になったと嘆き悲しむばかり。そこへ名主とお杉が走ってきて、お七と会ってしまったら来世の迷いになるので処刑を見ずに帰ったほうがよいと説得し、後ろのほうへと下がらる。やがてお七が刑場へ連れられてくる。代官・長芝栄蔵は罪状を申し渡し、言い残すことはないかと尋ねる。答えてお七は、処刑は覚悟の上だが、名残に父母に会いたいと言う。久兵衛夫婦はあらん限りの声を上げるも、人混みにまぎれお七には届かない。夫婦は目眩で倒れてしまい、周囲の見物に介抱されて遠くへ連れられていった。そこへ吉三郎が駆けつけ、主君左門之助の帰国が叶い、自身も家名を継ぐことができたにも関わらず、その恩人である彼女を死なせねばならない悔しさに号泣する。しかしお七は吉三郎が左門之助と共に身を立てられればそれで幸せ、自分とは来世で夫婦になってほしいと答えた。吉三郎は夫婦のしるしとして髪を切って差し出す。いよいよ処刑の時となり見物人の回向の声が高まる中、その人ごみの中に吉三郎を狙う軍右衞門の姿があった。そこへ丁稚弥作が太左衛門を引きずってやってくる。太左衛門が天国の剣盗難の黒幕を軍右衞門と白状したというと、代官は吉三郎に先ほど暇を与えたのは軍右衞門をおびき寄せるためだったと告げる。続いて縄を打った武兵衛を引き出し、三者に獄門・打ち首・国へ引き渡しと、相応の処罰を申し渡した。この見事な取り捌きにお七・吉三郎の恨みや未来の迷いは晴れ、正しき政道によって治めらるこの国のこの娘の物語は、後世に語り伝えられているのである。(おしまい)

 

上演企画に対して率直に言うと、八百屋内の浄瑠璃を聴くのは面白かったけど、私が文楽に求めているカタルシスと、この作品が持っている「見どころ」があまりに違うので、やっぱり『鎌倉三代記』の現行で出せる段全部を出す方式にして欲しかった。

『伊達娘恋緋鹿子』はどこかの単発公演でちょっとだけ見るとか、お七の配役が驚異的に豪華なら話は別だが(たとえば勘十郎さんがやって半鐘が本物・舞台のセリを使い火の見櫓の高さをさらに高くする等の特殊な演出を加えるとか)、国立劇場の本公演、しかも中堅公演で出すには厳しいと感じた。話がつまらん場合、配役とその芸でしか満足感が得られないので……。人形浄瑠璃の上演演目の保持・伝承の意図は理解しますが……。

とはいえ私は私の姫たちがいい役をやれれば演目はなんでも構わないんですけど、それならなおのこと津駒さんには「寺子屋」か『鎌倉三代記』の時姫のセリフが多い段に出て欲しかったです。以上、素直意見でした。