TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『夏祭浪花鑑』国立劇場小劇場

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今回は『夏祭浪花鑑』の現行で上演できる段をすべて出す半通しだった。

まず言いたいことは、一寸徳兵衛がどういうキャラクターなのか、やっとわかったということ。『夏祭』は一昨年(釣船三婦内・長町裏)、昨年(住吉鳥居前・釣船三婦内・長町裏)と2回観たけど、徳兵衛が「何この人??」っていう印象だった。正直な感想は、まあ、とりあえず出てくるだけの、捨てキャラかなと。そういうイメージ。それで今回、人形は文司さんが配役されてるのを見て、え、ベテランすぎでは?すごい落ち着いた配役だな〜と思っていたけど、徳兵衛、文司さんで納得だった。徳兵衛は若気の至りとかバカ正直、直情という性根ではないのね。品格がある男伊達なんだと思った。特に今回は最後に団七内の段がついていて徳兵衛の内面描写・演技時間が相当長いので、がんばってます程度じゃ間が持たない。お辰が夫の顔を立てるとしてあそこまでやるに相応しい男でなくてはならないんだと、パチパチとパズルがはまっていった感覚があって、話の筋が通った。ありがとう、文司サン。

以下、あまり出ない段はあらすじをつけて、感想。

 

 


住吉鳥居前の段。

人形の配役は三婦=吉田玉也、お梶=豊松清十郎、市松=吉田簑之、こっぱの権=桐竹紋秀、なまの八=吉田玉翔、玉島磯之丞=吉田勘彌、団七=桐竹勘十郎、大鳥佐賀左衛門=吉田玉勢。

去年観たばかりなのに内容をかなり忘れていたので(アホ)、新鮮に楽しめた。今回は席がよくて人形がよく見えたのだが、三婦ってユーモラスで可愛い顔してるんですね。ほかのお人形とはちょっと顔立ちの方向性が違う。することも顔立ちの通りちょっとユーモアがある、ゆったりした雰囲気なのが面白い。あと、血色がすごくいい。

磯之丞が出てくるところ、駕籠かきの二人とモメて駕籠の中からワタワタ騒ぐくだりは、人形遣いが自分の人形が見えていない状態で演技をしていて、これは大変だと思った。

 

 


内本町道具屋の段。

団七の計らいにより、磯之丞は内本町にある道具屋に「清七」という名で預けられている。彼は手代として働いているうちに、娘・お中〈吉田文昇〉と恋仲になっていた。清七は来訪した田舎侍〈吉田玉男〉に頼まれ、仲買・弥市〈吉田文哉〉から「浮牡丹の香炉」を買い取ろうとするが、元手がない。そこに番頭・伝八〈吉田簑二郎〉が助け舟を出してお屋敷の為替だという五十両を渡し、清七はその封を切って渡してしまう。ところが田舎侍は香炉を買う約束などした覚えはないという。金を戻せという伝八に、清七は田舎侍から金を取ると言って聞かず、田舎侍は清七を斬ると言い出して揉め事になる。そこへ魚を売りに来た団七が顔を見せて仲裁に入るが、田舎侍の正体が舅・義平次であることに気づいてお互いに間が悪くなる。店の騒ぎに気付いた主人・孫右衛門〈吉田玉輝〉が姿を見せ、弥市という仲買は聞いたことがないと言って件の香炉を確かめると、それは真っ赤な偽物であった。弥市を捕らえるといきり立つ清七を抑える団七。しかし彼もまた舅への怒りを必死に抑えている。そうこうしているうちに義平次はあたふたと去っていく。この件を鑑み、孫右衛門は金の沙汰が済むまで清七を一度団七のもとへ返すと言って、顔を隠す笠を渡して店を出させるのだった。

その日の深夜。お中は清七の後を追おうとこっそり店の戸口へやってくるが、錠が下りている。彼女が嘆いていると、戸口の表には清七が。清七は昼の一件を手引きした伝八をぶち殺そうと舞い戻ってきたのであった。お中は父から清七宛として難儀を助けるように五十両を預かったという。孫右衛門の心遣いに清七が涙を流していると、店の奥から伝八が姿を見せたので、清七は向かいの番小屋へ姿を隠す。伝八はキモくお中に擦り寄って、清七が追い出されるよう仕組んだのはお中を自分のものにするためであり、へそくりを持ってくるから駆け落ちしようと言って店の戸口の錠を開け、お中を番小屋へ押し込む。そうして伝八がグヘッているところへ提灯を下げた弥市がやって来て、昼間の分け前だと言って金の包みを渡す。実は弥市・伝八・義平次はグルだったのだ。伝八は弥市にお中を宿に連れて行ってくれと頼み、店の奥へ姿を消す。弥市は張り切って番小屋の戸を開けるが、出てきたのは清七。清七も弥市の姿を見ていきり立ち、彼を袈裟斬りにしてしまう。弥市の持っていた提灯の灯が消えたところに伝八がやって来て、暗闇の中で清七を弥市と勘違いし、宿の支度をとへそくりと分け前の金を預けてまた店の奥へ戻っていく。清七、お中の二人はこれ幸いと、手に手を取って闇の中へ姿を消すのだった。

磯之丞ってクソじゃない?(素直感想)

お中って「嫁入り盛り」って言ってるけど、人形のこしらえからすると相当若いっていうか幼いよね。団七も義平次を殺すより先にそこのアホにいっぺんグーパンしたほうがいいのではと思った。光秀も「無道の君を弑するは民を休むる英傑の志」と言っている。まあ団七は頑張りどころがおかしいサイコパスだから仕方ないか。

あとは番頭伝八役の簑二郎さんが似合いすぎていて爆笑した。死にかけのセミが暴れまわってこっちへ飛んできたときかのような、唯一無二の絶妙のキモさ加減だった。さらには人形と人形遣いの顔が同じでどっちが人形かわからなくなることがたまにあるが、それが起こっていた。今回はこっぱの権役の紋秀さんもわりかし人形と双子の兄弟状態になっていた。

侍に化けた義平次が出てくるとき、首の後ろにコヨリのような札がついているのが「クリーニングの札がつきっぱなしの人???」状態で不思議に思っていたが、貸衣裳のタグってことね。団七にチクリと言われたときにピョコンと抜いていた。これは表向き上品ぶってそれが成功していながら微妙にツメが甘く抜けているという表現だが、上演資料集によると、むかしはどれだけ偽侍ぶるかに細かい演技(刀を持つ方向が間違っているなど)をつける人がいたらしいので、つぎ観るときにどれだけ偽演技を盛っているか、もう少しよく観察しようと思う。

ところでこの段、団七が魚を入れた天秤を下げて出てくるが、団七って本当に魚売ってたんだ……。お梶に生活全部面倒見てもらって、自分は家でゴロゴロしてるのかと思ってた。しかし普通にああいう客商売してたら義平次よりクソな客がいくらでもいると思うけど、そこはどうなっているのか不思議。やっぱりたまにしか働いてないのかな……。

 

 

 


道行妹背の走書。

あてどなく逃げる清七とお中は、安井の森にたどり着く。清七の故郷の和泉で二人一緒に暮らしたいと言うお中に、弥市を殺した罪は逃れられないので切腹すると言って清七は事の次第を記した書置を用意している。その言葉にお中が泣いているところへ提灯を下げた三婦が追いついてくる。早まるなという三婦に清七は書置を見せるが、三婦は弥七という者は元々大騙りなので犯人の詮議も深いものではあるまい、しばらく身を隠していれば済むから自分に任せよと言う。二人がほっと安堵しているところへ、「お中」と娘を呼ぶ声が聞こえてくる。三人は提灯を吹き消して、そっと姿を隠した。

やって来たその追っ手は伝八だった。お中、お中と呼ぶ声に、お中はわざとらしく走り出て、清七を呼び求めるふりをする。清七に捨てられたなら死にたい、と騒ぐ彼女を捕らえた伝八はその懐を探って金子をゲットし、それほど死にたいなら見逃してやると言う。お中が刃物がないので死ねないと言うと、首吊りをすればいいと告げる伝八。その首吊りはどうやって?と教えを請う彼女に、調子こいた伝八は傍の木に帯揚げを引っ掛け、その輪の中に首を差し込んで爪先立ちになって見せる。と、その背後から近づいてきた三婦がおもむろに伝八に足払いを食らわせたため、伝八はバタバタ暴れて、やがて動かなくなってしまった。三婦は、弥市殺しの罪は伝八に着せれればよいと言って、清七の書置をその死骸のそばに置き、二人を連れて去っていくのだった。

道行といえど目的地にはすぐ着いてしまい、大半が普通の芝居になるという不思議な道行。

この段から学べることは、「俺が教えてやる」としゃしゃり出てくる教えたがりの男性は「首◯りのやりかた教えてぇ💓」と言って調子ぶっこいて実演指導しはじめたところに背後から足払いを食らわせるととても静かになる✌️ということですね。さすが古典芸能は勉強になる。でも、伝八はこっちから教えを請うまで出しゃばってこないあたりぜんぜんカワイイ。簑二郎伝八のキモさ絶好調ぶりは最後まで最高で、テンション上がった。まったくもってdisってるんじゃないですけど、あそこまでキモく演技できる人そうそういないと思う。こういうキモ番頭・キモ腰巾着役って、たいていの人がチャリ感を可愛い方向に転ばすから。このキモさ(しかし見苦しいとか不愉快であるとかではない)の純粋性はえらい。とにかく死にかけのセミが玄関前でビチビチしていて家の玄関ドアを開けられないときの感情と同じものを感じた。

 

 

 

釣船三婦内の段。

いままでこの段の冒頭で磯之丞と琴浦が謎の痴話喧嘩をしているのが可愛らしいと思っていたけど……………………。三婦に後始末を任せて普通に三婦の家でのんびりしている磯之丞、おかしくない? え? 何なんこいつ?? 三婦も若様だからと言って甘やかさないで、庭の木に逆さ吊りとかにしといたほうがいいのでは????

簑助さんのお辰の演技は、昨年大阪で観たときと多少違っていた。そのときはたしか三婦のセリフに結構細かく反応していて、三婦に「磯之丞は預けられない」と言われていきり立ったり、かと思えば「こなたの顔に色気がある」と言われて今度はぽっとなったり、特に最後に「わが手にしたこと」と微笑むくだりが凄艶で、人形でしか出来ない独特の媚があったが、今回は三婦へのリアクションを抑え、自分自身の心の動きを表現しているように思われた。結構大人っぽい方向に振っているというか……。とはいえ、浄瑠璃のひとことひとこと、あるいは他の人形が芝居している間などもかなり細かい対応をしていて、お辰の演技を見ているだけで情報量がいっぱいいっぱいになるくらい。扇子をゆったりあおぎながらおつぎと世間話をしているときの普通のおかみさん風の様子と、最後ついに三婦から磯之丞の身柄を頼まれたあとの、頰の火傷の痛みをこらえるような仕草が興味深かった。それと驚いたのは、鉄弓を頬に押し当てる場面で人形の顔を隠さなかったこと。人形を客席から見えなくなるまで後ろに倒したりせず、ほぼそのままに見せていた。なぜそうしようと思われたのだろう、普通できないことだと思う。

おつぎ〈桐竹勘壽〉は磯之丞・琴浦と話をしつつ魚を焼いているが、その所作の優雅なこと。串に刺した魚を皿から火鉢へ移して炙って、ちょっと裏返して、火鉢に差した火箸が乱れたのをいつのまにか直していて……、普通の所作なんだけどうーん、この普通さがいい。あとは火鉢の仕掛けが細かくて、ちゃんと焼いているときだけ煙が出るようになっていた。しかしおつぎって三婦の年齢からするとなかなか若い奥さんのような気がするが、なんでそうなってるのかは今は断絶している段でわかるようになっているのだろうか? 忠臣蔵の本蔵は奥さん(戸無瀬)が若い理由は一応あるというか、そこが味なポイントになっているよね。三婦はおつぎを奥さんにもらってからおとなしくなったのだろうか?

ここからは義平次・団七の人形遣いはコスチュームチェンジでそれぞれブラウン、オフホワイトの着付にお着替えされていた。玉男さんはいい役でも着付が普通、袴もおしゃれだけど遠目地味のことが多いので、もうけたと思った(?)。

 

 

 

長町裏の段。

ここの何がいいって、義平次が三輪さんなところ。三輪さんここにも出るのーーーーー!?!?!? さっきも出とったやーん!!!! とまず床の配役にビックリした。でも玉男さん義平次はビシッとした上品な下衆ジジイ(?)だったので、三輪さんの声質と義平次のいやらしさの方向性がうまくマッチしていて、「なるほど……」と思った。確かにここの義平次に技量のない人は配役できない。団七より華美にせず、でも的確に。若い人が伸びていくために、こういう部分に回ることができるベテランって人数少ないのではないだろうか、と思わされた。

さすがに人形も見ごたえがあり、面白かった。私、個人的には団七には一切同情できなくて、義平次が団七に言う「一人前にしてやったのは俺だ」的なことはある意味本当で、にもかかわらず義父を殺した団七は、やっぱりこいつはどこかおかしい、ヤバい奴だったんだと思っている。

しかし当たり前だけど勘十郎さんはそうはやってないですね。真正面から同情できるように演じていると思う。織太夫さんもそのようにピュアな方向に語っておられるだろう。でも勘十郎さんってそのピュアさを上回る、役(演技)そのものに対する執念が滲んでますよね。そのせいで余計にヤバいサイコパスに見えるところに計算外の深みが生まれているように思う。私は本当は団七は玉男さんにやって欲しい。その方が団七のピュアな狂気は直球で出るだろう。この複雑な狂気は、勘十郎さんの団七ならではなだなと思う。

 

 

 

田島町団七内の段。

長町裏での一件から7日後、田島町の団七の自宅。お梶が父義平次の墓参りから帰ってくるが、その足取りは重い。息子・市松は祖父を斬った犯人を見つけたら自分が殺してやると言う。それを屏風の内で寝たふりをしながら聞いていた団七は胸が塞がる思いなのだった。そこへ徳兵衛が玉島へ帰るからと暇乞いにやってきて、父を亡くしたばかりのお梶を労う。市松に起こされて出てきた団七に、徳兵衛は一緒に玉島へ行かないかと誘う。団七はお辰に失礼だし船は嫌いだと断るが、徳兵衛とお梶はしきりに玉島へ下ることを勧める。団七はお梶を一喝してさらに断るが、徳兵衛はお梶に茶を頼んで座敷から退かせた上で、懐から山形に丸印の入った雪駄を取り出して見せる。それは自分のものだという団七に、徳兵衛はこれは長町裏で拾ったものだ、だからやはり玉島へ行こうと重ねて誘う。しかしそれは先日祭り見物の際に犬に取られたものだと言いつくろう団七。徳兵衛は、片袖を取り交わした仲でどうしてそんな隠し事をするのか、もしこの雪駄の詮議があれば自分の雪駄も山形に丸印だと言って代わりに引かれようものを、相談してくれればいいのにと涙を落とす。それでも団七は早く玉島へ帰って磯之丞の面倒を頼むと言うのだった。

徳兵衛がどれだけ説得しても団七は口を割ることはせずそのまま奥の間へ入ってしまい、入れ替わりに茶を盆に乗せたお梶が戻ってくる。お梶は帰ろうとする徳兵衛の帷子がほころびているのを見て繕いを申し出る。遠慮する徳兵衛だったが、お梶の押しに負けてついに着物を脱いで彼女に預ける。その繕いをするお梶の顔をじっと見ていた徳兵衛は、突然お梶に不義を仕掛ける。その徳兵衛をお梶が針で刺しまくったりしているところに団七が飛び出てきて彼女の縫っていた帷子を投げつけると、徳兵衛は居直って悪口を叩く。怒った団七と徳兵衛は刀を抜いての喧嘩になるが、そこへ通りかかった三婦が止めに入り、団七に落ち着くように言いつける。団七は思い直して硯箱を取り出し、なにやら一筆。それを三婦に預けてまた奥の間へ入る。お梶が取り上げてみると、それは離縁状だった。泣き沈むお梶は市松とともに戸外へ締め出されるが、実はこれはみな計略で、団七を怒らせて離縁状を受け取っておけば「義父」殺しの重罪を彼がかぶらずに済むだろうとして、示し合わせて芝居を打っていたのだ。

三人が三様に嘆いているところへ捕手の太鼓が鳴り響き、四方を取り囲む人声、足音が聞こえる。徳兵衛は三婦にお梶と市松を預けて身を隠させる。間もなく現れた代官・門脇左膳〈吉田玉路〉に徳兵衛は自分に天下の大罪人・団七を捕らえさせて欲しいと願い出て、十手を預かる。そして屋根へよじ登ると、「とても逃れられない大罪、縄にかかれ」と大声を上げて自分の首にかけていた路銀の束を団七の首に投げかける。そして団七を突き飛ばして玉島で落ち合うことを約束し、団七は彼の恩義に感じ入りながら屋根を飛び移って逃れていくのだった。

最後の場面、すごーい、伊藤大輔監督の『御誂次郎吉格子』みたーいと思った。『御誂次郎吉格子』って初めて観たときは「え? なんであの女はそうも簡単に心から次郎吉(鼠小僧)を逃してやろうと思うの? 逃すと見せかけて背後から刺すだろう普通???」と思って全然意味がわからなかったのだが、その後文楽を観るようになって、何が言いたいかわかるようになった……ということを思い出した。あれが人形なら全部話の意味わかる。いや、実際には伊藤大輔の世界観って浄瑠璃ではなく歌舞伎狂言の世界観だと思うけれど。伊藤大輔に『夏祭』映画化して欲しかった……。

と、それはともかく、そこへ至るまでの前半が恐ろしく長い。上のあらすじのように要約すればイカニモ芝居というイイ話なんだけど、いかんせん浄瑠璃と人形にされると見せ場が全然ない。率直に言ってこれは上演されなくなるわと思った。今回、文司さんが徳兵衛に配役されていたり、ここに文字久さん清介さんが配役されている理由がよくわかった。ちゃんとした人を配役しないと間が持たない、謎の1時間になる。文字久さん本当頑張ってた。あ、でも、お梶に着物を繕っているところで徳兵衛が腹ばいになって肘をつき、足をパタパタさせているのは可愛かった。あとお梶に針でつつかれるところ(珍しく?セクハラに反撃する清十郎さん)。お梶は針仕事のまめまめしい所作も愛らしかった。

最後、団七が屋根から屋根へ飛び移る場面、上手には飛び移らないという手法を取っていた。芝居だから綺麗に飛び移ってもいいところ、リアリティ方向に振ってるのかな。セットがもっと豪華ならともかく普通の書割だし、段切だから余計な情報を乗せず普通に飛び移るのでいいと思ったが……。いろいろ試しておられるのかも。

 

 

 

今回は床の配役がかなり工夫されているように感じて、基本、適材適所、飽きないようにベテランを散りばめつつ、若い方にいいところも任せてと、どの段にも聴きごたえがあるようになっていた。小住さんとか精一杯頑張ってらっしゃったと思う。

人形だと、いちばん最初に書いた通り、やっぱり徳兵衛の筋が一本通っていたのが良かった。上演の仕方もあるけど、その上での人形の配役による感じ方の違いが大きいと思った。ありがとう、文司サン(2回目)。

あとは玉男さんが義平次をどう演じるのか興味あったけど、なるほど、と思った。琴浦を誘拐する場面以前に偽侍に化けて出てくる場面が先にあるからか、ちょっと上品めな雰囲気が活きていた。でもこれは義平次が出てくる場面2箇所で三輪さんが出演してるのもあると思う。あと、沼に放り込まれてからもかなり元気だった。義平次って年寄りだからまわりが甘く見てくれることにつけこむ弱者キャラじじいかと思いきや、わりと強気なアクティブシニアだった。たぶんにんにく卵黄通販してるね(古い)。

そして、半通しにすると、三婦がめっちゃ頻繁に出てくる役ということがわかる。大変な役だ。団七に負けず劣らず、毎回お着替えしてるし。なるほど玉也さんが配役されてるわけだよ、と思った。

 

 


今回も休憩時間には技芸員さんたちが北海道地震への募金活動を行っていた。今回は技芸員さんがいるときに行った(技芸員さんがいないときは募金箱が撤去されていたので)。募金箱にそっとお金を入れたら、和生さんがオフクチャン……っていうか良弁杉の志賀の里に出てくる腰元の人形でそっとおててにぎにぎしてくださった。そして、和生さんの左隣にお立ちになっていた玉男さんがしきりにオフクチャンの着物の袖を直しながら声がけされていて、「いい……」と思った。

「お父さんのfb」こと勘十郎様のfacebookに、オフクチャンと玉男様そして写りのクソ悪い勘十郎様のスリーショット写真が載っていた。自分の写りのいい写真アップすりゃいいのになんでこれを??? 突き抜けた自由な天然オーラを感じる。

 

 

 

おまけ。蝠聚会(ふくじゅかい)に行った。

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蝠聚会というのは三味線さんたちが太夫に回って浄瑠璃を語る会で、普段は大阪でのみやっているらしいが、今年は第20回記念で東京・国立演芸場でも行われた。

今回は『絵本太功記』夕顔棚の段を清志郎さん(三味線・清允さん)、尼ヶ崎の段が3分割で宗助さん(清友さん)・清介さん(清公さん)・燕三さん(燕二郎さん)、『一谷嫩軍記』脇が浜宝引の段を勝平さん・清馗さん・清𠀋さん・友之助さん・清公さん・藤蔵さん(團吾さん)が語っていた。

趣味の発表会的なノリかな?学芸会?と思っていたけど、宗助さん・清介さん・燕三さんのお三方は完全に本MAJI気だった。清介さんと燕三さんは「ワシの考えた尼ヶ崎を語ってやるっ!!!!」って感じで、かなりディティールを作って細かい情景・心の動きまで表現されていた。うまいなーと思ったのが、燕三さんの「雨か涙の潮境、波立騒ぐごとくなり」近辺の部分。泣いているのは光秀だけではないという、場そのものの描写を感じられて、三味線さんならではだなあというか、三味線さんって普段からここまで考えて弾いておられるんだなあということが感じられて興味深かった。言われればたしかにそうなんだけど(人形だってそういう演技してるし)、三味線さんはそういうつもりで弾いているんだ、全然三味線聴けてなかったなあと。あと燕三さんの十次郎はめっちゃ美少女化していた。清介さんは普段からこういうふうにやりたい!と思っておられるんだろうなと感じられた。配役上、清介さんがここを弾く可能性は少ないだろうけど、気持ち的には自分が弾くならこうしたいんだろうなと。そして宗助さんなんですが、あの、宗助さんて普段から義太夫お稽古なさってるんですか????? 本気というか、うますぎじゃないですか?????? 十次郎の述懐とかあまりにうまくて「????????」と思った。あれは負ける太夫さんいるでしょ。三味線清友さんなのでめちゃくちゃ「普通」だし。清友さんに弾いてもらうのずるい。でも宗助さんは語り出しの声量がかなり抑えめで、元気ある子の相手役の調子で弾いていた清友さんが三味線の音量いきなりメチャクチャ下げてきたのには笑いそうになった。おいちゃん普段ぜったいそんな弾き方しないでしょって感じでウケる。清友さんは正式メンバーじゃなくて教官役なのかな? 最後の挨拶にはおみえにならなかった。

お師匠さんの相方として三味線を務めるために、普段からは考えられないほどにランクアップした部分を弾かれたお若い方々、本当に頑張っておられた。そして普段太夫さんに相当気を付けて弾いていると思われる燕三さんが、「師匠に合わせなきゃっ!!!」ってふうに必死に尼ヶ崎の切部分を弾いている燕二郎さんに合わせて語ってる部分があって癒された。燕三さんいまなんか突然伸ばし方おかしかったぞ!?三味線のほうチラ見したよね!?みたいな。

清志郎さんや宝引のみなさんは元気いっぱいに「わーいわーい☆キャピピピピ☆」って感じで楽しげにやっておられてよかった。宝引はほぼ元の詞章通りでしょうか? アレンジがあんまりなかったような気がする。それにしてもあの金的で死ぬ人はかわいそう。

あとおもしろかったのは、みなさん上演中になんかモゾモゾしておられたこと。普段と違う座り方だからおしりやおなかの座りが悪いみたいで、途中で座り方を直してゴソゴソしたり、見台に手をついてウゴウゴしたり。しかも見台に対して微妙にまっすぐ座れてないのがミソ。太夫さんがいっぺん座ったらまず動かないのはベテランの技だったのかと思わされた。

ところで、おみやげでオリジナル手ぬぐいを売っておられたのだが、1枚1000円で「商売っ気がなさすぎでは!?!?!?!」と心配になった。注染の数色使ってある手ぬぐいって普通に買ってももうちょいしますよね。技芸員さんからしてみれば普段お世話になっているお客さん向けの会の要素が強いのでこうなっているのかもしれないが……、次回開催の積立金だと思って2000円くらいにすればいいのに、素直に生きすぎ……と思った。そして休憩時間に買おうと思ったら、燕三さん宗助さん清介さんトリオが店番をしていて、めちゃくちゃ買いにくかった。買ったけど。

最後は出演者全員揃ってのプレゼント抽選会やちょっとしたお話もあり、ほっこりした楽しい時間を過ごさせていただいた。みなさん、すてきな一夜をありがとうございました^^♪(誰とも一切知り合いじゃないのに紛れ込んだヤツの恐ろしく図々しい感想)

 

 

 

文楽 内子座文楽『菅原伝授手習鑑』『団子売』内子座

今年は『菅原伝授手習鑑』の半通しということで、2年ぶりに行ってまいりました内子座文楽

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■ 

ふたたび訪ねてみて、内子座、すばらしい建物であると改めて実感した。和と洋が混じり合った大正期独特の空気感をいまもなお残していて、白壁にいかめしい瓦の乗った外観も、古色を帯びた木の色が艶やかな内観も、本当に美しい。コンパクトな芝居小屋だけど、大劇場の公演に向かない文楽にはかえって良い。今回も西桟敷席をゲットし、ゆとりある椅子席で長時間観劇の準備は万端。

 

 

 

まず午前の部は『菅原伝授手習鑑』茶筅酒の段〜喧嘩の段〜桜丸切腹の段。

人形の配役は、白太夫=吉田玉也、八重=吉田勘彌、春=吉田文昇、千代=桐竹勘十郎、梅王丸=吉田玉助、松王丸=吉田玉男、桜丸=吉田和生、百姓十作=吉田勘市。

ここでの見どころはやはり桜丸が和生さんという配役。和生さんの桜丸、凛々しい美青年だった。簑助さんの桜丸は少年風、中性的で儚げで危うい感じだったが、和生さんの桜丸はもっと大人っぽく青年風で、松王丸・梅王丸にすこし近い感じ。白太夫や八重が騒ぐのをじいっと腕組みして黙って聞いている仕草に覚悟のほどが滲んでいた。

そしてもうおひとり、いや、ぶち抜きでよかったのは八重役の勘彌さん。あまりの可憐さと美しさに思わず合掌した。もうこれで私も玉三郎や簑助様に合掌しているヤバイ爺さんをバカにできない*1。これからはありがたいもんを見たら合掌する。

八重は頭をさげる仕草の体の折り曲げ方がことに美しい。なんといえばいいのか、腰から背中、首、頭にかけてドミノ倒しのようになめらかに曲げていくというか……。普通の人間は腰だけを折って胴体や首は折り曲げないのが一般的だと思うが、芝居でのみ見られるこういう礼、美しいよね。あとはやはり人形の着付けが美しい。上方文化講座の勘十郎さんの話に、簑助さんは着付けの際に薄手の襟を好まれ、さらに人形の胴に縫い付けるときに襟をコンパクトに抑え込み、人形の首筋が見えるように着せ付けているというものがあった(この話の記事は後日アップします)。たぶん勘彌さんも着付けにこの手法を取っておられて、襟が低く、横顔になったときに人形の肩から首にかけての佇まいが美しく見える。襟の流れ方や肩から胸元の曲線のラインも自然で美しい。着付けだけでなく、簑助さんや勘彌さんは娘役の人形の体がかなりコンパクトになるように構えている。ほかの人より人形の体が華奢に見える。何をやってものーんとした大根娘な人も結構いるので、あの可愛らしさは貴重である。八重はほかの人形が演技しているあいだに横向きにじ〜〜〜〜っとしているだけでも、もう、すばらしく可愛かった。ほのかな桜の、いい匂いが、しそうだった。かわ…… か………………… か………🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏

そんな八重に対して勘十郎さんの遣っている千代は、もう少し禁欲的というか大人らしいすっとした直線性を出した着付けにされていた。あと、春と千代って着物の柄以外ほとんど見分けつかないよなあと思っていたけど、よく見ると髪型(後ろ側の結い方)が全然違う。しかも、千代はかなり細かい入り組んだ結い方をしていた。これは本公演では気づかなかった。席が西桟敷(下手)で舞台に近く、床面が舞台と同一(高い位置から人形を見られる)という内子座ならではの発見だった。

そして、役柄やその人形遣いの着付けの好みもあるだろうが、同じような衣装の人形が何体も並ぶと着付けによる人形の見栄えの違いがダイレクトに出ると感じた「茶筅酒の段」でもあった。

 

「喧嘩の段」を語った希さんはここまで出来る人になったのかと驚いた。梅王丸と松王丸の語り分け。前までこんなにも成人男性を語れていただろうか。驚いた。いやらしい感じではなく、それぞれの品位をわきまえた声色。人形遣いの演技でしか区別がつかないと思っている部分があったこの二人だが、ふーん、なるほど、希さんはそう解釈しているのか、なるほど、ということが伝わってきた。終演後に希さんを「いろんな人物を語ることができる」と褒めている人がいたが、その通りだと思った。

梅王丸はいきり立って突然着物の裾をたくし上げるが、パンチラの勢いがすごすぎてびびった。いや、男の文楽人形、しょっちゅうパンチラしてますけど、なんか久々に見た気がして、「ちょちょちょちょっめっちゃパンチラしてますで!!!!!!」と焦ってしまった。人形としての限界までたくし上げていた。歌舞伎なら女性のお客さん大喜びな場面だと思うが、文楽人形だとなんかこう、漠然と焦る。お人形さんの宿命として致命的チラリはしないようふんどしは太ももに縫い付けてあるけど、とにかく、すごいと思う。

 

「桜丸切腹の段」の床は千歳さん&富助さん。じっくり聞かせていただいた。変な言い方だけど、太夫と三味線が床で熱演しているのが聞こえるという印象ではなくて、人形の声が聞こえる?という感じだった。もともとこの世の音が全部浄瑠璃でできている感じというか……。なんというか、すごく自然だった。人形でも人形遣いがまったく気にならなくなって、誰が遣っているとかそういう感覚が消える(単に人形が動いているという現象だけが見える)ことがあるが、それに近い感じ。不思議だった。

 

ところで、内子座の桟敷席には、人形遣い自体がひざくらい、あるいは立つ位置によっては足元まで見えるという面白さがある。「おしゃれな舞台下駄履いてる人もいるんだな〜」とか「お外に出る人形さんに履物履かすのはカカトに何か引っ掛けてるのか〜」とか「ぱぱっと動くときは足遣いの人も草履脱いで演技することがあるのか〜」とか、普段気づかない発見が多々あり面白かった。それと、これは桟敷席だけの醍醐味だと思うんだけど、人形と客の目線の位置が揃うので、本当に「人形と目が合う」のが、本当にドキドキする。人形ってやっぱりなんというか「なんか、ちっちゃい人」で、けなげに一生懸命生きてるよね……と思うのであった。

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午後の部は引き続き『菅原伝授手習鑑』寺入りの段〜寺子屋の段と、オマケで『団子売』。

前解説の小住さんがイキナリ寺子屋のすべての展開を喋ってしまったのには驚いた。ネタバレとかそういう問題ではなく、いい大人の客に対してそこまで詳しく説明する必要あるのかと思ったが、ランチを食べたお店で隣のテーブルにいた午前の部を見たらしい人たちが「しろくろって誰?」と恐ろしいことを言っていたので、ここまで喋らないと理解してもらえないのかもしれない。上方文化講座の金殿の実演でも、隣の席の人が終演後に鱶七を指して「あれは何や?」と一切内容を理解していない発言をしていたし……。

と、小住さんの解説に不穏になりながら開演を迎える。人形の配役は、よだれくり=吉田玉翔、戸浪=吉田文昇、千代=桐竹勘十郎、小太郎=桐竹勘介、源蔵=吉田和生、春藤玄蕃=吉田玉佳、松王丸=吉田玉男、菅秀才=吉田簑之、御台所=桐竹紋臣、下男三助=吉田玉彦。

源蔵は首実検の直前、松王丸に凄む部分で体を前傾させて横を向く仕草の渋い凛々しさが印象的だった。最近とみに思うのだが、横向きポーズが綺麗な人ってかなり限られているよね。左遣いに相当うまい人が入らないとなかなかできない等もあるんだろうけど、一瞬で横を向いてポーズをぱっと決めるというのはやはりベテランの技なんだろうなと思う。あとこの部分、源蔵は刀をひざの下に敷いて、いつでも抜けるようにしているということなのかな。座ったひざの下にさっと差し込むような仕草があった。ところで源蔵は所々で戸浪を突き飛ばす演技があるが、今回その場面で源蔵は戸波を思いっきり突き飛ばしていた。戸浪役の文昇さん、派手に転んでいた(人形が)。本公演では戸浪=勘壽さんだったので、和生さんも遠慮されてたのかしら……。

松王丸の人形ってデカい。先述の通り、桟敷席だと人形遣いが立っている舞台の床面と桟敷席の床面が同じ高さになるんだけど、そうなると人形の大きさをはっきりと実感できる。めちゃくちゃデカいよ松王丸。私はふだんiPhoneに玉男様アルバムを作って隙あらば人に見せているんだけど、その中でもお気に入りの玉男様が松王丸を持っている写真を見せると「人形デカないですか!?」と言ってくる人がいる。「こんなもんですよ〜」と返していたのだが、すみません。やっぱめっちゃデカいです。ちょっとした小学生くらいあります。間近で見る松王丸の人形は天鵞絨の黒い衣装が重厚で美しかった。きらめく刺繍が豪奢。重そう。よくあんなもん1時間とか持ってるよなあ。と思い直した。

おもしろかったのが、寺子屋の冒頭で春藤玄蕃と松王丸が源蔵宅の前で村の子供達を検分する部分。人形遣いが右の舞台下駄を脱いで左足と右足に段差をつけて立膝状態になり、折り曲げた左膝の上に人形を座らせていた。本公演でもそうしているのかはわからないけど、人形を安定させる方法は台の上に足を乗せる以外にもあるのね、と思った。しかしなんというか、玄蕃も松王丸も人形がデカいので、膝に乗っている姿が「息子さんですか?^^」状態で可愛い。舞台の仕掛けでいうと、完全にどうでもいい話だが、最後に門火を焚くところ。ここも座席の関係で舞台上の段取りが見えていたのだが、火箱からにょろーんと延長コードが出ていて、黒衣サンがそのスイッチをパチンと入れていたのがおもしろかった。赤いランプがチカチカしだして、「そういう仕掛けか」と思った。

あとは御台所の紋臣さんが良かった。一瞬しか出てこない役をちゃんとした人にやってもらうと締まる。御台所が出てくる頃には話がだいぶどうでもよくなってきている(失礼)ので、いろは送りまで客の集中力を持たせるには重要な役である。

しかし、いろは送りの床はあまりにも速すぎではないか。テンポや緩急、メリハリがおかしいのは困る。「思い出す桜丸」のところなどは速めに流す手法もあるようで流しめにやってるんだろうなと思ったけど、ちょっと速すぎ。太夫三味線どちらの問題なのかわからないが、いい部分に配役されているのだから仕上げてきて欲しかった……。舞台の見え方として、床は本当に重要だとあらためて思わされた。

 

ところで、内子座には床がクルリンと回る仕掛けはないので、太夫三味線の出入りに時間がかかる。寺入りと寺子屋の間にも結構時間がかかっていて、その間は舞台に出ているよだれくりやツメ子供たちがちょっとした演技をして間をつなぐのだが、居眠りをはじめたよだれくりの上にツメ子供が瓦のように積み重なって寝始め、客の微笑を誘っていた。この手のちょっとした仕草でいうと、寺入りの冒頭でいちばん下手にいる柱にもたれかかってウトウトしはじめるツメ子供。寝入り方が自然でかわいかった。居眠り系ではこれまた寺入りのはじめのほうで千代が戸波に挨拶しているあいだに付き人(下男三助)が荷物をくくりつけた竿を柱にしてウトウトしはじめるが、そのウトウトぶりもかわいらしく自然でよかった。寝入り方が「居眠りしてるひとってこうだよな〜」って感じで、ネムネムだった。あっ、あと寺入りで千代が持ってくるおみやげ。つまみ食いをしているよだれくりが持っているのを見ると、本公演のような野菜の煮物じゃなくて大判焼きみたいに見えた。レンコンとかを駆使して大判焼き風に見せていたのか、本当に大判焼きだったかは不明。

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最後は『団子売』。団子売りの夫婦、杵蔵〈吉田玉勢〉とお臼〈吉田簑紫郎〉が団子をつきつつ歌って踊る景事。

まず、むかしの団子売さんってその場で団子ついてたの!? っていうか、団子ってつくもんだっけ!? という衝撃があった。いやその「ついている」という動作に詞章上の意味があるんだけど。こねるもんじゃなかったのか……。お人形さんたちが歌いながらかわいらしく杵と臼をトントンして団子をこさえていた。

団子つきが終わると、杵蔵・お臼が交代で踊るパートに。お臼ははじめは娘のかしらだけど、途中からお多福のお面をゴソゴソしていると思ったら、踊りパートではおふくのかしらに変わっていた。お面をつけたということね。お臼はそのまま最後までおふくのかしらだった。外れなくなった肉付きの面の呪いって感じで、なんかホラーっぽい。

しかし太夫の配役を杵蔵=希さん、お臼=小住さんにしてるのはチャレンジだなと思った。普通に考えたら逆にするだろうに、勉強のためにさせているんだろう。お二人とも頑張っておられた。

全体的に、微笑ましい感じであった。見終わって、みたらし団子が食べたいなあと思った。

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そんなこんなで、なかなか充実の公演だった。床を少人数で回しているので太夫さんのやりくりが大変そうだなとは感じたけど、人形はベストメンバーに近いと思う。和生さんの桜丸、勘彌さんの八重、ほんといいもん見た。ありがたや、ありがたや。

そして、印象深いのはやっぱり会場の雰囲気のよさだよね。案内をしてくれるスタッフのみなさんが感じ良いのが内子座のいいところ。たぶん近所のおじちゃんおばちゃん、お手伝い(させられている)中学生だと思うけど、「いいでしょ、この芝居小屋💖」と言わんばかりに楽しげに立ち働かれているのが気持ちいい。子供時代、夏休みに親戚の家に遊びに行ったときかのような、ほのぼのした気分になれた。

 

勝手なわがままを言うと、最後は『団子売』をつけるのではなく、『菅原』の最後の段を上演して欲しかったな。去年本公演で上演されたとき「寺子屋終わったあとってどうなるんだ?」と思って古典文学全集で読んでみたら、あのあとはもう最後の段で、菅秀才と苅屋姫が参内したところに時平が駆けつけてきてギャンギャン→家来たちが雷に打たれてギャフン(石井輝男監督の『異常性愛記録ハレンチ』状態)→時平は桜丸・八重の亡霊に苛まれ、ついに菅秀才に討たれて平和が戻るというオチになっていた。ここで最高なのが、「ありゃまー」みたいな他人事態度の春藤玄蕃に時平が「おまえが寺子屋で真面目に仕事しなかったからこうなったんだろうがっっっっっ!!!!」とブチ切れて張り倒すところ。玄蕃、早く直帰したいばっかりに(?)適当にやってたもんね。やっぱ怒られるのね。あと、時平が耳から蛇を出すところ。なぜ。どうやって。というくだりをぜひ舞台で観たいので、本公演の通しあたりでもいいので、上演して欲しい。

 

あとまじで本当に勝手なことを付け加えさせていただくと、寺子屋は千歳さんに語って欲しかった(素直すぎ)。12月の東京鑑賞教室の寺子屋は、床が千歳さん×富助さんで、松王丸が玉志さんの回があることを祈っています。っていうかそれしかないやろと思います。その配役がなかったら仇討の白装束で国立劇場に参上仕らなくてはいけないので……。

 

帰り、松山空港の凄まじい保安検査の行列に並ぶ〇〇様をお見かけ申し上げて涙がこぼれた。めっちゃ自然にほわほわ並んではったけど、やばい。その人、ただのほのぼのおじいちゃんちゃいますからっ! National Treasure of Japan ですからっ!!! わかります〜〜〜!?!? 日本最高クラスの Very Important Person なんですっ!!!!! と焦ってしまい、あやうく出発ロビーで絶叫して警備員に取り押さえられるところだった。

 

↓ 前回内子座文楽へ行ったときの記事

 

 

 

内子・松山紀行。休憩時間に売られていた柑橘味の炭酸飲料「じゃからサイダー」。「じゃばら」というかぼすのような甘みのない柑橘を使った大人の味。果実名の「じゃから」というのは伊予の方言の語尾「〜じゃから」とかけたものらしい。確かにランチを食べたお店の人、「海鮮丼はどこじゃったかの〜」と言っていた。その海鮮丼、私のです……。(混みすぎてお店の人がパニックになっており、最終的に客同士でホール内を運営)

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今年はちょっとだけ観光も。内子座から少し離れた場所にある、街並み保存地区。古い街並みながら、あくまで普通に人が住みつつ観光化しているせいか、小綺麗で不思議な雰囲気。まじでまったく音がしない、時が止まったような空間。時々トンビがピーヒョロ言ってるくらい。

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前日夜に行った道後温泉本館。内部構造のフリーダムな豪壮さが本当に良い。ここも親戚の家に行ったかのような親切かつ大味なお接待が良い。

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*1:その1。あるとき、歌舞伎座の三階席から花道に出ている玉三郎を見ていたら、花道脇の席に座っている爺さんが手を掲げている。ライトがまぶしいのかな?と思っていたが、よく見たら合掌していた。その2。国立劇場で前のほうに座っていたら、隣の爺さんが簑助様におもくそ合掌していた(ド直球)。

レンタルサイクルで巡る湖北の国宝・重文仏像 一日旅

上方文化講座でせっかく西日本へ行くことだからと、大阪へ行く前後に小旅行をくっつけた。これはそのひとつ。

琵琶湖の北部、いわゆる湖北と呼ばれる滋賀県長浜市には、京都・奈良のような都とは違った仏像がある……ということで、湖北の仏像めぐりに行ってきた。

ふだんの旅行では風景を見ながらのんびり歩くのが好きなのだが、今回はお寺の所在地がかなりばらけていて公共交通機関が少ないことから、自治体が提供しているレンタルサイクルを利用してサイクリングがてら回ること。木ノ本駅を9:00スタート・16:30ゴールと設定し、円を描くように長浜を一周するルートを設定した。


A JR木ノ本駅 Kinomoto Station

今回のルート設計では木ノ本駅を拠点にすることにした。前日は彦根に泊まり、北陸本線で8:55に木ノ本駅到着。お寺さんは営業終了時間が早いので、本来ならもっと早い時間から現地に入りたいところだが、観光案内所(レンタルサイクル)の営業開始が9:00からなのでこの時間に。駅のコインロッカー(200円)に大きな荷物を預け、身軽にしてからレンタルサイクルを扱っているという観光案内所を探す。googlemap的には駅隣接の場所に観光案内所があるらしいけど、それらしい建物はない……、どこ?と思ったら、駅舎併設の道の駅的な売店のカウンターが観光案内所になっていて、そこで手続きできるという仕様だった。山の中のお寺もあるので電動アシスト付き(1日1,000円、保証金500円)を選んで出発進行。

↓ 駅近辺の川。ウルトラのどか。

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  • 滋賀県長浜市木之本町木之本1543
  • 有人駅。コインロッカー、公営レンタルサイクル、トイレ、観光案内所兼道の駅的なおみやげ売店、自販機、改札外の冷暖房付き待合室あり。

 

 

 

B 黒田観音寺 Kuroda Kannonji

千手観音菩薩准胝観音)[重要文化財
平安時代/檜一木造/像高199cm

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木ノ本駅から2km、自転車で約10分くらい。のはずだが、レンタルサイクルの受付の方が親切すぎて出発が9:15くらいになってしまったり、田んぼを眺めたり、道がわかりづらくてウロウロしたりと余計なことをしまくったため、時間がかかって9:35ごろ到着。広大な田んぼの果て、田んぼと森の境目にあるちいさな集落、その少し奥まった外れに赤い屋根の小さなお堂が建っており、そこが黒田観音寺だった。

ここは普段は無人の予約制のお寺である。観光協会に電話すると世話方さんの電話番号を教えてもらえるので、あらかじめ連絡して訪問日時の約束をしておく。世話方さんには9:40ごろ到着と連絡していたが、私が着いたときにはすでにお越しになっていて、ちょうどお堂の木戸を開けていらっしゃるところだった。ご挨拶してお堂に上がり、厨子の扉を開けていただくと、なんとも大きく華麗な十一面観音像*1がその艶姿を見せる。木地にうっすらと残った彩色とふっくらとした腕が大変に妖艶で優美。そして、お堂に対してかなり大型の像である。ひろーい田んぼの中の静かでこぢんまりとした集落の小さなお堂に、こんな美しい仏像がまつられているとは驚き。あまりの麗しさに見入ってしまった。むかしむかし、娯楽もなかったころは、このような美しい観音さまが村人たちのアイドルでもあったんだろうなと想像。そんな時代にこんな美しい像を見たら、気がおかしくなってしまうと思う。あのむちむちした色っぽい腕が絶対私を救ってくれると思い込んでしまうだろう。外はあんなに日差しがどきついのに、お堂の中に回っている光は優しくて、暑さを忘れてしまう。お堂の中はおばあちゃんの家のような雰囲気で、建物も置いてあるものも古めかしいけど綺麗に手入れされている。つねに人が気にかけている気配がある良いお堂だ。

世話方さんにお伺いしたところ、この像はむかしは秘仏で地域の行事のときにのみ開帳していて、世話方さんも存在を知らなかったほどだが、最近の仏像ブームで観光協会に要請されて公開するようになったそうだ。世話方さんはこの観音さままじLOVE❤️らしく、電気を消して自然光で見せてくださったり、もっと近くで見てみてくださいと近寄らせてくださったり、像のつくりを質問すると学術調査が入ったときのアルバムを見せてくださったりと、いろいろお話ししながら拝観できて楽しかった。像の構造にもかなり詳しい方だった。伺うと、世話方の役割は集落で3軒ずつ交代の持ち回りとおっしゃっていた。不特定多数の人が来るだろうから、大変そうだなと思った。でも、今夏は地震や豪雨、酷暑から人が少なめなんだそうである。

所要時間約30分、次の予約もあるので10:10ごろ出発。ここはもっとゆっくり見たかった。

 

 

 

C 西野薬師堂  Nishino Yakushido

薬師如来立像[重要文化財
平安時代藤原期/一木造/欅材・漆箔・古色/像高159.4cm
千手観音立像[重要文化財
平安時代藤原期/一木造/桧材・漆箔・古色/像高166.7cm

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黒田観音寺から5.9km、自転車で約30分。ひたすら広大な田んぼの中を流れる川の側道やサイクリングルートを経て、高月まで移動する。googlemapでは平坦な道と出ていたが、のんびりした川の側道(堤防の上が道になっているアレ)はのんびりマキシマムすぎて未舗装でかなりガタガタ、お尻が痛かった。大きい通りに出るとサイクリングルートになっているので走りやすい。が、またも途中で道を間違えて謎の農道に迷い込んで犬に吠えまくられたりしてしまったので少し急いで走り、予約時間通りの10:40着。ここは黒田より集落が少し大きく、ビッグな案内看板が出ていたので、集落に入ってからはすぐにたどり着けた。無人のお寺とは言いながら公園風に整備され、綺麗に掃除されたちょっとした広場つきのお堂。ひとつの敷地に2つのお堂が建っており、そのうち大きなお堂のほうに薬師如来立像と十一面観音立像が安置されている。こちらも予約制のお寺で、観光協会に連絡すると予約専用携帯電話の番号を教えてもらえるので、そこに電話してあらかじめ訪問日時を連絡をしておく。

私がたどり着いたときには世話方さん(もうひとつのお堂と合わせてお二人)はすでに到着されており、お堂の前で待っていただいていた。すぐにお堂を開けていただく。堂内は集会所風で、ここも人がよく出入りしている気配。手作り風に電化されており、自動で開閉するカーテンがついているのにはびっくり。看板や前庭の整備とあわせて見るに、集落の人が「うちの村の宝をちゃんとおまつりしよう!」と思っておられることが伝わってくる。仏さんたちの足元には緊急時に像を持ち出せるよう、避難用の白布が準備してあった。世話方さんの口調も「うちの自慢の仏さん♪」という感じで、愛されぶりが伝わってくる。

かけていただいた解説テープを聴きながら拝観。像は漆箔が残っているのか、肌の部分が赤くてらてらと光っている。素朴なずんとした像で、集落ののどかな雰囲気と合っている。しかし像自体は大きく、ふたつもあることから、かつては随分と大規模な寺社であったのだろう。

このふたつの像がおさめられたお堂以外に、境内にもうひとつ小さなお堂が建っており、そこには「千手千足観音像」という小さな仏像が安置されている。ふつうの千手観音は手がいっぱいだが、この像は足もいっぱいで、急いで!衆生を!助けに!行こうと!している!さまを表しているそうだ。像自体は金箔貼りだが、不思議なカラフルペイントを施された土台に乗っておられるのが不思議。木製で、雲を表現しているのかなと思わされる少し荒い削りにフレンチポップな彩色がしてある。世話方さんもいつからこのような土台がついているのかご存じないということだった。

所要時間はふたつのお堂合わせて30分弱、またもビッグなお見送り看板のわきを通り過ぎて自転車を高月駅方面へ走らせる。

↓ノリのいいお見送り看板

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D 渡岸寺観音堂向源寺) Doganji Kannondo

十一面観音立像[国宝]
平安時代/檜材一木造/彫眼/像高195cm

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西野薬師堂から3.9km、自転車で約20分。田んぼ道をひたすらまっすぐ走ると、国道8号線に出る。のちに飲食物を買うにはここ近辺しかないと知るが、まあいいかとスルーし、駅近辺にあるなつかしい雰囲気の町中を通り抜けて渡岸寺観音堂へ。

琵琶湖一有名な国宝の十一面観音。本堂ではなく保存庫に収蔵されており、美術品的に鑑賞することになる。厨子やケースに入っておらず、展示室中央にそのまま置かれているため、背面もじっくり観察可能。木の古色そのままの堅実な美しさながら、痩せているがうっすらと脂肪がついたような肢体、足を踏み出して少し腰をひねった方が艶めかしい。

像自体がかなり大きく、また、さすがに国宝ともなると(?)周囲に広く柵があるので、拝観の際は双眼鏡持参が望ましい。頭部に頂いているチッコイ像の並びが通常の十一面観音と違うらしいが、双眼鏡があればその細部も見られる。アゴあたりに割れ?のようなものがあるのもチェックチェック。6倍の観劇用双眼鏡を持って行ったが、十分だった。

それはともかく案内の方が「うちの観音さんは身長195cm❤️年齢1000さい❤️❤️体重42キロ❤️❤️❤️」と言い出して爆笑した。なんでアイドル体重やねん(木材の割れを防ぐために内刳がされていると言いたかったらしい)。

ただここ、道に迷わず平坦な道路だったためかなり早めに着いたものの、案内の方の話がめちゃくちゃ長く、像を見ている時間よりお話を聞く時間が長いという事態になってしまった。お話はおもしろいんだけど時間の制約もあるので、案内を受けている人数がそこそこいて出入りもあったのをいいことに、失礼して途中から案内を無視して勝手に見ることにした。しかし照明の向きをいじったり覆ったりしている観光客にはかなり辟易した。拝観の邪魔なので案内の方以外は設備に触らないで欲しい。長浜界隈のお寺は静かに見られていいなと思っていたけど、やはり有名どころは品の悪い人もいるので気をつけなくてはならない。って、気をつけようがないけど。ああいう大人(40〜50代)にはなりたくない、ならねえと固く決意した。

この時点で12:15ごろ、お昼どき。このお寺の隣には「高月観音の里歴史民俗資料館」という施設があり、さらにその隣に観光客向けにやっているらしい食堂があったので、そこでランチ。鮎寿司を頂いた。妙に人なつっこい看板猫がいて、私の食事中、なぜか真後ろの窓枠に座ってスヤスヤ。つまみ食いをしないのはさすが食堂の猫、えらい。また、私しか客がいなかったためか、店のご主人が地元の仏像を集めた写真集を見せながら色々とお話しをしてくださった。鮎寿司は素朴な料理。淡い味付けの中に少し柑橘系の風味づけがしてあるのか、爽やかで食べやすかった。しかしさっきの案内長すぎ事件によって時間がかなり押してきていたので、少し急ぎめに食べて、向源寺界隈を後にする。

拝観45分、食事30分弱で、次のお寺へ向かって出発。

↓食堂のねこ

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E 石道寺 Shakudoji

十一面観音立像[重要文化財
平安時代後期/一木造/彩色/像高173cm

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渡岸寺観音堂から3.9km、自転車で約20分……くらいのはずだが、通行止めの箇所があったり、道に迷ったりでもう少しかかった。googlemapが指し示す田んぼの中の用水路脇の道を走り抜け、のどかな山里方面へ。細い用水路ながら水力発電もしているらしく、水路を流れるわりと激しい水音が爽やか(?)である。石道寺近辺の集落に入ると中が入り組んでいて、googlemapを見ていてもどうやって石道寺へたどりつけるかわからない。googlemapはどう見てもよそ者のメンタルでは入れないような家と家のすきまの通路を指している。人間が通っていいのかあやしいほどの未舗装の細道。この先はどうも自転車では入れないようなので、ひとまず拝観と関係ないお寺さんの前に自転車を停めさせてもらい(すいません)、蔵の裏と畑の間を縫うすきま通路(引き返そうかと思ったよ!)を入っていくと、木々と雑草に覆われた細い道の先に小さなお堂が見えた。*2

ここはかなりひっそりした雰囲気のお寺で、お堂の扉は常時閉ざされているが、詰所に声をかけると世話方さんが通用口を開けてくれる。締め切った堂内に入ると、中央に厨子、狭い内陣にも関わらず脇侍の持国天多聞天立像が置かれている。この寺はかつて山の上のほうにあったが、衰退に伴って人が世話しやすい里近くへ引っ越してきたそうで、仏像たちはいまのお堂の規模に似合わない立派なものである。厨子を開けていただくと、これもまたなんとも立派な十一面観音。厨子内は暗いため、世話方さんが懐中電灯で照らしてくださる中に浮かび上がる像は痛みが進行しているもののわずかに彩色が残っており、唇の赤みが色っぽい。かつては極彩色の像だったそうだ。都風の洗練された華麗な像とは異なり、素朴な表情が愛らしく、優しげな雰囲気。おっとりした目元には飾らない美しさがある。村娘の姿を借りて化現した観音さまと言われるのも納得である。勧められてかなり近くまで寄らせていただくと、木が痩せて衣紋に木目が浮き出てきていた。肉眼でそれが見えるほどに近づかせてもらえるのが、この地域の仏像拝観形態の特徴でもある。

世話方さんによると、このあたりはかつては天台宗が栄えていたが、現在ある寺院はすべて浄土真宗で、地元の人に十一面観音への信仰はないとのこと。しかし、それとこの観音さまとは別!!で、みんなで観音さまを大切に守っているそうだ。なるほどお堂は小さいけれど、たしかに人の気配がして、観光化された寺院とはまた違う空気を醸し出していた。

ここの境内から鶏足寺へ上がることもできるそうだが、今回は時間がないのでパス(さきほどの食堂のご主人が「あそこが鶏足寺」と指さして教えてくださった場所が鬼のような山の上だったので)。鶏足寺は最近は紅葉の名所として大人気だそうで、じゃあ秋にまたゆっくり来ますねと申し上げたら、本当に人がすごいからと言われた。ものすごく狭いお寺と参道なのに、どんだけ人が来るのだろう。あと、近所にはサルやクマが出るそうだ。サルはなんもせんから、と言われたが、じゃあクマは一体……。

拝観時間は約30分。次の己高閣への行き方を聞いて石道寺を後にする。

↓己高閣へ向かう最中、集落の中を流れる川

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F 己高閣・世代閣 Kokokaku・Yoshirokaku

十一面観音立像[重要文化財
平安時代初期/一木造/彩色/像高173cm

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石道寺から1.4km、自転車で約10分ほど。このあたりから山里風になってきて道のアップダウンがはじまる。小さな集落の中の細い道の果てにあるため道がわかりづらく、石道寺の世話方さんから「村に入ったら3つに分かれた道があるので、そのまんなかを入っていく」と聞いていたが、それを伺っていなかったら完全に道に迷っていた。道があまりに細すぎて私道としか思えず、この道で大丈夫なのかと思いながらおそるおそる進んでいくとなんとか道が広がり、突然大きめの看板が出ており*3、安心して無事到着。

文化財収蔵庫と聞いていたので空き地にいきなり建ててる系かなと思ったが、廃寺?になったお寺(神仏習合しているため神社も同居)の境内に収蔵庫を建てているらしく、そのお寺のお堂にさめられている仏像たちも一緒に拝観できた。ここ、近隣の廃寺になったお寺からいろんな仏像を寄せ集めてきているようで、かなり狭い暮らしをされている仏さんも……。観音さん二体と天部衆が全員集合でビッシリひしめいているお堂とか、田舎の盆正月の仏前の広間状態になっていた(田舎者にしかわからない表現)。そしてお堂にダイレクトに郵便受がついているのが不思議だった。仏さんに直接手紙が届けられる仕様でしょうか。

己高閣は滋賀県(?)が建てた収蔵庫。かつて栄えた大寺院・鶏足寺の本尊であった十一面観音立像など、多数の文化財がおさめられている。十一面観音立像はまるまるしたお顔だちで顔のパーツが真ん中に寄っており、岡田茉莉子風の風貌。世話方さんによると頭と胴体は別の人が作ったということで、ボディはなぜかスレンダーで不思議なミスマッチであった。あと、向源寺や石道寺の十一面観音のようには腰をひねっておらず、一応、右足を一歩前へ踏み出してるポーズなんだけど、なんか、真面目そうにまっすぐめに立っていた。ほかには兜跋毘沙門天というかなり破損した不思議な木像が印象的だった。両腕はすでに失われ、木地がだいぶ露出した天部像であるが、足元にこの神将を支える地母神がおわすのが珍しい。

世代閣は地元の人が自力で建てた収蔵庫。世話方さんによると、かつて、すべて揃っていた天部衆の像が2体盗まれてしまい、「こんなことでは仏さんをお守りできないっ!!」となってみんなで建てた!!いまはセキュリティがしっかりしているのでこれで安心!!とのこと。確かに所蔵されている仏さん方もちょっと安心した表情をされている、かも、しれない。こちらには堂々とした薬師如来立像がずずーんと立っておられたり、盗まれなかった天部衆の皆さんがきゅうきゅうと寄り添っておられたり(ものすごいいっぱいひしめいておられた。2セットくらいいないか?)「魚藍観音」というウオ入りの魚籠を持ったお嬢さん風の観音様さまが安置されていたり、神仏習合時代の名残をのこすプチな権現像のみなさん、はたまた石田三成関連の手紙などが展示されていたりともりだくさん。とくに仏画はたくさんあって全てを展示できず、時々入れ替えをしながら展示しているそうだ。

さてこのあたりで時計は14:15を示している。次の医王寺を医王寺を15:00で予約しているが大丈夫かしらんと思ったが、世話方さんいわく「電動アシストなら大丈夫ちゃうかなー」とのこと。電動アシスト自転車ほんと便利、あれに乗ったらほかの自転車にはもう乗られん、という話でしばし盛り上がる。あと、近くの川の上流にはオオサンショウウオが住んでいるという話。ほんとにいるんですか!?と聞いたら、「夜行性やから今行ってもおらん!」とのこと。しかし、大雨が降るとこの近くまで流されてくるという。世話方さんも見たことがあるけど、「天然記念物やから触ったり捕まえたりしたらあかん!」ので、近くにひとりだけいる「オオサンショウウオに触れる人」に電話をして、上流へ連れて帰ってもらっているそうだ。大自然……。あとやっぱり鶏足寺は最近紅葉の季節はものすごい人出で、観光バスが何台もつけてるよなどととお話ししていたら、時間が14:30になっていた。世話方さんとお別れして、今回の旅でも山の最深部、医王寺へ急ぐ。

 


G 医王寺 Ioji

十一面観音立像[重要文化財
平安時代/楠材一木造/像高152cm

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己高閣・世代閣から4.5km、自転車で約30分。己高閣の世話人さんから医王寺までの行き方を伺うと、「一本道やから!道に迷うことはない!!」とのことだったが、本当に山の中の一本道だった。あまりに一本道すぎて逆に不安だった。拝観予約の電話をしたとき、観光協会の方が「山の中なので電波が通じないことがある」とおっしゃっていたのでビビっていたが、電波は通じていた。ニョロニョロ曲がった山の中の道を駆け抜け、美しい渓流や吊り橋を見ながら森の奥へ奥へと向かう。山と言っても思ったより傾斜は激しくなく、林道のような感じ。電動アシスト自転車ならターボモードにすれば漕ぐのもまったく苦労しない。道は生い茂る樹々で木陰になっているため涼やかでここちよい風が吹きわたる。空気が爽やかで気持ちがいい。だが午後の部に突入してからルート上に全然お店や自販機がなく、500mlの水筒に入れたお茶も飲みきってしまったため、のどが渇いてきた。そろそろ辛いなと思いながら走っているうちに人里に出て、どうもここが医王寺らしいぞという場所を発見(道路脇の狭隘なスペースに突然ある)。予約の15:00までまだ5分あるのをいいことに、自転車をお堂の前の駐車場(という名の空き地)に置いて、手前にあったキャンプ場のような施設へ飲み物を買いに行く。入り口がわからなくて草むらから無理やり侵入してしまった。暑い日だったので、はじける炭酸飲料が旨い。

喉を潤してからお堂に伺うと、扉が締め切られているようだ。こちらも予約制で観光協会から世話方さんを紹介していただくタイプのお寺である。そういえば予約の電話をしたときに世話方さんが「近くに来たら電話して」とおっしゃっていたなと思い、電話しなきゃとスマホを取り出したら、同じ敷地内にプチなお堂がもうひとつ建っているではないか。その扉が開放されており、世話方さんが厨子を開けてお堂の中で待っておられた。事前連絡しなかったことをお詫びして、早速拝観する。かなり古色を帯びた、ふんわりと優しいお顔立ちの小柄な観音さま。穏やかな雰囲気がこの山里に似合う。このお寺のすごいところは、本当に間近で拝観ができるところ。説明がひととおり終わると、どうぞ上がってくださいと、須弥壇へ上らせてもらえる。こんな場所上がっていいの!?と驚いてしまったが、失礼して観音さまと同じ台に立ってツーショット自撮り級に寄り添ってみると、よりいっそう穏やかで優しい雰囲気が伝わってきた。近くで見るとよく木の痩せも少なく、往時のなめらかさを残した美しい像だった。

この像は明治時代に住職が古物商から買い入れてきたもので、元々どこにあったものかはわからないとのことだが、村の言い伝えでは、〇〇寺(忘れた……すいません)の住職が廃仏毀釈からこの像を守るために町の古物商に預けたのを、医王寺の住職さんが「この仏さんはこんなところにいるような方ではない!」と買い入れてここにやってきたものだという。そして、世話方さんによると、この観音さんは当初は医王寺の本堂(閉まっていたほう?)に薬師さんと一緒にまつられていたが、大正時代に近隣住民のあいだで「戸建ての独り住いじゃないとかわいそう!」という話になり、みんなで材料等を出し合ってこのお堂を建てたのだとか。そのとき、世話方さんのお父さん(おじいさん?)が木材を出したのが縁で愛着があり、世話方をなされているそうだ。この集落には30軒の家があり、うち人が住んでいるのは20軒。若い人は街に働きに出ていて、なにかあれば帰ってくるが、ふだんはお年寄りばかりなのだという。その自治会の選挙でこのお堂の世話方を決めるそうだが、世話方さんはずっと世話方をしていて、できれば死ぬまでやりたいとおっしゃっていた。世話方さんは、それこそ観音さまのように穏やかでお優しい方だった。お堂や村の雰囲気とあわせて、まるでジュブナイル小説の中に来た気分になった。

15:30、世話方さんと別れて木ノ本駅へ向かう。

↓近辺こんな感じ。子供たちが川で遊んでいた。

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H JR木ノ本駅 Kinomoto Station

医王寺の世話方さんから「トンネルをふたつ超えて、信号の向こうに駅がある」と昔話のような道案内を聞いたが、本当にそうだった。「ここらへんに信号はない」との言葉通り、山の中なので信号というものが存在せず、ひたすら一本道か、信号が必要ない程度の交差点(というほどたいしたものでもない)。うーん、のどかだ。しかし下り坂を調子こいて飛ばしまくっていたせいかなぜか道に迷ってしまい、気づいたらアサッテな場所を走っていた。でも轟音響くトンネルを通り抜けるのが面白かったので問題なし! 車だと窓を閉めているから気づかないけど、トンネルって音があんなにも響くんだねえ。

軌道修正して木ノ本駅へ向かっていると、木之本地蔵の参道に出たらしく、街道筋的に少し観光地っぽくなっていた。和菓子屋さんがたくさんあったり、お洒落な古本屋があったりと門前町の雰囲気。しかし疲れていたので立ち寄らず、そのまま駅へ向かう。木ノ本駅、16:00着。ちょっと早めだったので、レンタルサイクルを返却して保証金を返金してもらい、そのお金でそのままカウンターで売っているソフトクリームを買って外のベンチで食べる。静かで穏やかな町並み、のどかな休日。

16:54、近江塩津行きの列車に乗って*4長浜を後に。充実の8時間だった。

 

 

 

 

長浜は穏やかな場所で、世話方さんはじめ観光協会の方、食堂の方など、対応してくださった方みなさんふんわりと優しく、土地も人も素敵な町だった。観光客が増えたのはわりと最近、仏像ブーム以降だそうだ。とはいえそこまで人が押し寄せてくるわけでもないため、のんびりとしている。行ったのはお盆最後の休日だったが、人混みはなく静か。道路も自動車が少なくて自転車で走りやすい。今回通ったルートの一部の道路は琵琶湖サイクリングロードになっているようで、自転車が走りやすいようマーキング等されており、実際、ロードバイクで走っている方もちらほら見かけた。観光も移動もここちよく、ゆったりとした休日を過ごすにはぴったりの町である。

そして、どこの世話方の方も「うちの観音さまLOVE❤️❤️❤️見て見て❤️❤️❤️」なのがとても良かった。京都奈良の寺院だと、入り口でお金を払ったらあとは勝手に見てください方式だけど、今回巡ったところはどこも案内の方が丁寧に説明しながら見せてくださった。こういう案内ってある意味煩わしい場合もあるんだけど、どこの世話方さんも良い人で、押し付けがましくなく、しかしご自身の思い入れを含めて話してくださったので、楽しい時間を過ごすことができた。そしてどこも像にかなり近づかせてもらえるのもすごい(近くで見てくださいとめっちゃ勧められる)。世話方さんが一緒に拝観しながら「うちの観音さま、どこがいいのか!?」という細かいところまで説明してくださるのも良い。みなさんお寺の方(お坊さん等)ではなく近所の方で、観音さまラブ心で世話方をつとめられているようだった。世話方さんほとんどの方が観音さまデータにかなり詳しく、構造や技法などの美術的観点からのお話しもしやすかった。信仰の場だと美術的観点から仏像をじろじろ拝観するのを遠慮せざるを得ない状況もあるが、おそらくどの方も信仰というより親しみや愛着でもって観音さまを愛しておられる部分が大きいようで、その点において美術的観点から拝観するには回りやすかった。

いちばん印象に残ったのは黒田観音寺かなあ。厨子を開けていただいたとき、あまりの美しさに驚いた。こんなのどかな場所にこんな妖艶な仏さんがあるとは……不思議なことである。

しかしどこもゆったりと見られたのは本当にありがたいことである。京都の有名寺院などでは静かに拝観することはなかなか難しいが(拝観終了ギリギリ時間に行くなどの小細工を駆使しないといけない)、この湖北のお寺はどこも心ゆくまで静かに拝観することができた。そして、自転車で風を切りながら眺める長浜ののどかな風景も素晴らしいものであった。ひたすらにだだっ広い田んぼや、緑と清流が薫る森の中の道が最高だった……。

仏像ブーム以来、上野の国立博物館等が奈良京都等、遠隔地の仏像を借り受けて展示を行うことがあり、湖北の観音さま方も東京出張されたことがあるそうだが、世話方さんたちは、もううちの観音さまはどこにも貸さないようにしようとみんなで話しているとおっしゃっていた。最近はお客さんが多く、観音さまが留守ではわざわざ遠方から拝観に来てくれた方に申し訳ないという思いがあるそうだ。それもあるけど、やっぱり仏像は元々安置されている場所で拝観するのがいいよね。今回、里の人たちが観音さま超ラブ❤️の湖北を訪ねて、その考えはいっそう強まった。

今回は回りきれなかったお寺や、また拝観したい仏像もあるので、折を見て湖北を再訪したいと思っている。

 

 

 

おまけ1 仏像サイクリング必須アイテム

同じように湖北の仏像をサイクリングで回りたいと思っている方へ。

琵琶湖周辺は公営のレンタルサイクルが充実しており、ほとんどの駅でレンタルサイクルを借りることが可能。また、別駅での乗り捨ても可能なので(その場合保証金は返金なし)、たとえば木ノ本駅で借りて高月駅で返すということもできるようだ。私は木ノ本駅スタート&ゴールにしたが、別駅返却ができるのはありがたい。
レンタルサイクル取扱場所・料金など、詳しくはhttps://pluscycle.shiga.jp/rental/をご確認いただきたい。

自転車でお寺をめぐるにあたって持参が必要だなと思ったアイテムは、スマホ(googlemapアプリ)、モバイルバッテリー、そしてできれば自転車にスマホをマウントするホルダー。自分が設計したルートでは田んぼのあぜ道や用水路脇の道など、よそ者にはかなりわかりづらい道を通る必要がある。また、複雑な未舗装の農道を走らなくては行けない場合や、工事等の通行止めによって迂回路を通らねばならず謎の道を駆使しなければならない場合も多いため(今回の旅行では後日行った豊島でも同じ目に遭った)、予めルートを入れた地図アプリは必須。私はgooglemapのマイマップを使用した。かつ、地図を常時表示しているとかなりバッテリーを食うため、モバイルバッテリーは必須。できれば5000mAh以上あったほうが良いと思う。私はiPhone6使用でモバイルバッテリー6700mAhを持参し、行き帰りの電車でネットしたりしたのと合わせてほぼ消費した。それと、道が難しすぎて頻繁に地図を確認しなくてはならないので、できればスマホを自転車にマウントできるホルダーがあったほうが良いと思った。私はそこまで気がまわらず持っていかなかったので、自転車の前カゴにスマホを置いて時々チラ見確認というスタイルにしたがガタガタ道ではめちゃくちゃピョンピョンスマホが跳ねた。

長時間サイクリングをする上でひとつ注意しなくてはならないのは、木之本・高月近辺にはコンビニや自販機があまりないこと。特に夏場は、自販機を見つけたら飲み物を買っておいたほうがいいと思う。昼食を食べられるお店も少ないので、先にお店を調べておくか、長浜到着前に予め買っておいて持ち込むのが好ましい。現地で何か買うなら、国道8号線の高月近辺にはコンビニや大型スーパーがある。

 

 

 

おまけ2 予約制のお寺の拝観予約について

長浜市のお寺は、重文仏像を安置しているお寺でも無住のところが多く、事前に拝観予約が必要な場合が多々ある。予約の手順は以下の通り。

1. 担当の観光協会に電話する
観光案内ウェブサイトでは、各お寺で担当観光協会名が違っているが、実は電話番号は一緒で、同じところにつながる。観光協会に行きたいお寺の名前を知らせると、そのお寺の世話方さんの電話番号を教えてもらえる。

2. 世話方さんに電話する
観光協会から世話方さんの電話番号を聞いたら、自分で拝観の予約を取る。連絡先は個人のご自宅の場合が多い。私は希望日の5〜3日前の昼間に電話して、希望日と時間をお伝えした。こちらの連絡先は聞かれることはない(名前のみ聞かれる場合もある)。大丈夫か!?と思うが、個人情報保護等で聞かないようにされているのだろうか……。

3. 当日
到着前に連絡して〜♪と言われたところは、到着する少し前に電話したほうが良い。とはいえ、世話方さんは大抵早めに到着されてご準備いただいていることが多いようなので、早めに着いて電話しよ!という設計で回ると、電話する機会がなかったりもする。到着が遅れそうな場合は電話必須。

 

 

*1:学術的には准胝観音と推測される。

*2:あとで世話方さんに聞いたら実は道路に面した表口があるようで、私は近所の人が使う裏道を通ってきてしまったようだった。

*3:宿泊施設を併設しているようで、案内が充実しているようだった。

*4:近畿・四国周遊旅行の最中だったので、敦賀経由で舞鶴へ向かったのです