TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『本朝廿四孝』『義経千本桜』国立劇場小劇場

物語のところで勘助が座る台、前半で狸寝入りするこたつなんだって。わかんねえよ!!

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4月大阪公演の後、浄瑠璃を復習した甲斐あってストーリーを把握してから観ることができたため、浄瑠璃や人形の演技のディティールをよく観察することができた。やっぱりちらしやパンフを読んだだけでは話が難しすぎるよ。周囲の席の人が「ちらしのあらすじの意味が全然わからない」と話していたり、上演中にちらしであらすじを確認している人がいたもの……。宣伝物のあらすじの書き方も工夫が必要だと思う。

 

 

 

桔梗原に登場する「槍弾正」こと越名弾正、文司さんがよかった。槍を振り回す演舞のところの肩関節の可動域のなめらかさ、豪快さ。越名弾正はかしらの通りに荒武者風なんだけど、動きが的確なため、野卑ではない、身分ある豪傑という感じ。手足が美しく伸び、アスリートのような力強さを感じさせる動きだった。大型の人形は肩の可動域の広さや腕の動きの自然さ、伸びやかな美しさが人形の見栄えに影響するように思う。文司さんの人形の動きは、(文司さんの?)見た目に反してわりと速い。フト、東映のヤクザ映画では安藤昇だけアクションシーンで異様に動きが速いことを思い出した。あと、子どもあやしの「いないいないばあ!」が心なしか大阪よりソフトになっておられた。もっと変顔してよ文司さ〜ん。子どもじゃなくてお客さんにはバカウケしていた。

「そんなふうに演技してたんだ!」と思ったのは、景勝〈吉田玉也〉の視線づくり。門のそばにいるときからずっと越路のほうを横目に見ているんだな。横を向いているので客席からは横顔になって見辛いが、視線(人形の目玉の向き)は越路のほうをじいっと見ている。登場する時間の短い役だが、そのぶんこだわりのある細かい所作が面白く、去り際の速いきびすの返し方なども締まっていて格好よかった。でも、玉也さんにしては一瞬役すぎて悲しかった……。

あと、前半の勘十郎さん越路のおばあちゃん度がアップしていた。枯れ木のようなヨボヨボになっていた。そこから後半の簑助さん越路になると急激に小柄で可愛い上品おばあちゃんになるのがなかなか興味深かった。簑助さんの越路は一番最後、打掛姿のお種が死んだ峰松を抱いて入ってきて、悲しみに打ち沈みながらも殊勝なことを言うところで、お種と一緒にじっと悲しげにうつむいていた。

お種〈吉田和生〉は優しい美しさ。彦山権現のほうを見慣れてしまって?、和生さんの娘ぶりも板についてきたなァ(何様?)と思っていたが、お種を見るとやっぱり和生さんてお母さん役が似合うと思った。独特の落ち着き感や優美さが光っていた。

慈悲蔵〈吉田玉男〉のクリアな美しさ。よかったのは桔梗原で子どもを捨てるところで、子どもの顔をじっと見て愛しそうに優しく頬ずりをするところ。ここが慈悲蔵が嘘偽りない姿で我が子と対面できる最後の機会なんですね。しみじみと優しい頬ずりだった。それと、タケノコ掘りに出かけるところで、簑を着て鍬をかつぎ、舞台下手から上手へゆっくり歩いていくところで、踊るように振り返る姿の美しさ。悲しげな姿にはっとさせられた。慈悲蔵は二枚目に使うようなかしらや着物を使っているわけじゃないけど、役柄そのものの持っている透明感が感じられたというか……。慈悲蔵って行動が文楽の中でもブッチギリにやばい部類の人だが、非情になりきれない心の弱さ、言い換えると心の優しさを持っている気がする。それがすごく美しい、人形らしい形で出てると感じた。あとは唐織を家から追い出した後、門扉を縄で結わえてキセルで錠をするところで、門扉の閂(?)に巻く縄の巻きつけ方が大阪より綺麗だった。どういうテク?

 

 

 

床では文字久さんの代役で桔梗原奥に出演された三輪太夫さんがよかった。桔梗原ってどんなところ? 慈悲蔵と高坂弾正、越名弾正はどう違うの? 唐織と入江は? 何人もがいっきに喋り始めたら、あのすすきの野っ原の雰囲気はどう変わる? ということがよくわかった。例えていうと……、若い子が一生懸命語るのが平面の板に彩度の高い油彩で描かれた桔梗原の風景だとしたら、三輪さんの語りは香木を透し彫りにした細密なレリーフで桔梗原の風景を描いている。みたいな感じ。においをかいだり、細かい彫りを時間をかけてじっくり見たり、ライティングを変えて細工をよく確認したりしたい感じ。三輪さんは普段こういうところにはご出演されないので、よりわかるのかもしれない。桔梗原に吹き渡る、寂しく冷え冷えとした風を感じた。

勘助住家後の呂勢太夫さんはとてもよかった。ここ最近の呂勢さんで一番よかったと思う。大阪では実は「一生懸命がんばっておられるのはわかるけど……」と思ったけど、今回東京で千秋楽直前に聞いた呂勢さんは、舞台を引っ張っていくような語りだった。多分、全体のバランス設計が成功しているのだと思う。

 

 

 

襲名披露口上。

メンバーは大阪と変わらず。唐突司会・簑二郎さんの人形遣いとは思えない美声がいかす。そして玉男様が大変ご立派に口上なされていてわたくしは感無量に存じます。和生さんが「三代目玉助さんが弁慶を1日に3度演じたのはわたしたち人形遣いのレジェンドでございます!」とまさかのウケを取りに行ったのが最高だった。そんな和生さん、客席スレスレを見るような微妙な目線のつけかたをされていたので、目が合いそうになってドキドキした。微妙に目を逸らしてくる和生さんvs人が話してるときはその人の目を見なきゃと思っている観客。和生さん勘十郎さんは大阪からお話をアレンジされていて面白かった。玉男様は同じでいいんですっ。簑助さんはお顔色も良く「ふむ!」って感じでお元気そうでよかった。

 

 

以上、個々に書いたけど、個別に光る人はいるが、上演全体としてはまとまりに欠ける印象だった。なんかチグハグというか軸がぶれているというか……。プログラム編成要因(最後に中途半端に「道行初音旅」がついてる)もあるけど、舞台に一体感や締まりがなかった。その点、呂勢さんは散漫になっていた舞台全体を浄瑠璃の世界に引き込んでまとめようとする気概を感じた。

 

 

 

義経千本桜』道行初音旅。

謎のオマケ感で座りが悪い道行初音旅だが、内容は良い。お人形さんがとても可愛い。人形の踊りって、普通の演技とはまた違った才能が必要とされると思う。踊りがうまい人形遣いさんていますよね。人形がひとりでに動いているように見える人。やっぱり勘十郎さんは上手い。狐忠信のゆったりとした優雅な動きが美しい。実際にはケレンがなくとも、踊りだけで十二分に楽しめると思う。

 

 

 

4〜5月は第一部・第二部とも東西で同じ演目だったが、やはり、うまい人というのは2ヶ月の間でうまくなっていくのだなと感じた。先日『女殺油地獄』を3回観た感想を書いたときにも触れたが、うまい人って別にはじめからできるんですね。できるんだけど、回を重ねるごとに演技がどんどん役の性根に接近していって、ディティールが克明になってくる。さらには気温や湿度、匂い、時間の流れまで感じられるようになる。その意味では今回の5月公演は第二部のほうが良かった。

2ヶ月も同じ演目をやっていると(というのを1〜2月、4〜5月の2回も見ると)、向上する人とそうでない人に分かれていくのを感じる。向上する人はかなり向上する。勘十郎さんなどはトークショー等で回による出来のムラや、必ずしも最初のほうが下手で最後が上手いというわけではないとおっしゃっているが、そういった調子の良し悪しとは別の次元の部分で、あっ、この人こないだと違う!この人の中でなにかが変わったんだ!と思うことがあるのだ。それは若い人にでも、ベテランの人にでも感じる。出演者の方はご自分のパフォーマンスをどれだけ客観的にわかるのだろうと思う。色々な意味で、わかんないんだろうけど……。

とにかく私が言いたいのは、丁寧にやって欲しいということである。頑張っているから許すとか、そういう志は私にはありません。頑張ってるもんが見たいときはYoutubeで動物の赤ちゃん動画見てますんで(疲れている人)、よろしくお願いします……。

 

 

 

のぼり。

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お昼は久しぶりに食堂へ行ってみた。予約せず入ったら、このお弁当1種しか選べなかった(1600円)。最後の幕間にはあこがれの桔梗屋信玄餅クレープアイスもいただいた(速攻食ったため写真なし)。すごくおいしかったので、次回も食べたい。

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勘助住家で降った雪。

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文楽 赤坂文楽#19『絵本太功記』尼ヶ崎の段 赤坂区民センター

吉例! 赤坂文楽に行ってきた。今回は玉男さんメインの回。

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内容としては公演というより実演付きトークショーと言うべきだろうか。『絵本太功記』十段目「尼ヶ崎の段」から光秀の出、操のクドキ、松に登っての物見〜段切の3箇所をダイジェスト上演し、高木秀樹さんの司会で玉男さんが人形の解説をその場でのデモンストレーションを交えて話すというもの。

ダイジェストとは言え、一昨年5月東京で半通しを観たのと、十段目は津太夫のCDを持っているから内容や詞章が頭に入っているため、迷うことなく話に入っていけた。

以下、簡単に実演とお話の内容。

 

 

 

┃ 光秀の出

月漏る片庇
こゝに苅り取る真柴垣、夕顔棚のこなたより、現れ出でたる武智光秀
「必定久吉この内に、忍びゐるこそ究竟一。たゞひと討ち」 と気は張弓、心は矢竹藪垣の、見越しの竹をひつそぎ槍、小田の蛙の啼く音をば、留めて『敵に悟られじ』と、差し足抜き足、窺ひ寄り、聞こゆる物音、『心得たり』と、突つ込む手練の槍先に
『ワツ』と玉ぎる女の泣き声
『合点行かず』と引き出す手負ひ
真柴にあらで真実の、母のさつきが七転八倒
「ヤゝこは母人か、為成したり。残念至極」
と、ばかりにて、さすがの武智も仰天し、たゞ呆然たるばかりなり

一番最初に高木さんから『絵本太功記』自体のおおまかな解説があって、そのあと光秀の出の実演→玉男さんのお話の流れで進行。

セットは暗幕をバックに、障子をL字型に立てて奥の一間(湯殿)に見立てたものと竹やぶのみの簡素なもの。そんな舞台にも関わらず、「夕顔棚のこなたより」で笠を掲げてゆっくりと姿を表す光秀の人形は、月の光をまとったかのように美しく静かに輝いている。諸般の事情によりさつきがいない(涙)のがまことに残念至極なのだが、光秀だけでも意外と違和感がない。さつきは湯殿の中にとどまっているのかなと思う程度。というのはもちろん呂勢さん&燕三さんの浄瑠璃と玉男さんの技量によるものなんだけど、とにかくあの悪環境で人形が輝いて見えるというのはすごいなとシンプルに思った。赤坂区民センター、本当に音響が悪いし舞台も狭いので……。

この部分は手すりなしの舞台装置で、人形遣いの足元がどうなってるのかがよくわかる形での上演だった。手すりがないと人形と舞台下駄を履いた人形遣い自身にかなり迫力がある。足遣いの人の足拍子の所作もよく見える。もともとの姿勢が低いし、高い位置から足を振り下ろせるわけではないので、かなり大変そう。というか、古典芸能用の舞台ならともかく、こんな普通の床でよくあんな大きい音出せるなと思った。それともうひとつ。手すりがないことで介錯の人が何をやっているかわかるのが面白かった。この場面でいうと、光秀が脱ぎ捨てた笠を拾ったり、竹を斬って槍にするところで竹を支えて水平を保ち、人形の演技を助けたり。人形が出ている間は袖で待機されていて、ずっと腰を屈めているので大変そうだった。それにしても、手すりがなくても人形って見えないグランドラインの上を違和感なく歩くんですね……。当たり前だけど……。

最後、トークショーに入るため幕を一旦下ろしたときに、幕が降りきるまで時間がかかるからか、燕三さんが頭を下げながらふふっと少し微笑んでおられたのと、呂勢さんとそっと顔を見合わせて笑っておられたのが可愛かった。

 

玉男さんのお話(1)

  • 『絵本太功記』は思い出深い狂言。昭和41年か42年、中学二年生だったころ、文楽協会が設立されてから初めて『絵本太功記』が通し狂言で出た。『絵本太功記』は登場人物が多く、人形遣いの人手が足りないので、「誰か若い子おらんのか」ということで、当時近所に住んでいた人形遣いの玉昇さんに「遊びに来ぃへんか」と誘われ、ちょっと「手伝った」。
  • 同世代の手伝いがほかにもいて、勘十郎さん(当代)もその手伝いをしていた。勘十郎さんはそれよりも前から楽屋へ遊びに行っていたらしい。
  • 手伝いの内容は、横幕(小幕)の開け閉め、舞台下駄や草履を揃えて運ぶなど。人形を持つ(遣う)まではいかなかった。ただ、十一段目の「大徳寺焼香の段」にはたくさんの人形が必要。ほとんど動かない人形もいるため、じっとしている大徳寺のお坊さんの足を「持っていた」。
  • 当時の公演期間は二週間程度で、学校の放課後、4時くらいから行っていた。夜の部が始まったころに劇場に着くと、師匠(初代吉田玉男。この時点では弟子入り前)がうどんを食べさせてくれた。それから、師匠に頭巾や黒衣を借りて、下は学生ズボンで手伝っていた。
  • その一興業が終わった段階で文楽に入ろうと思ったわけではなかった。進路には迷っていて、中三になる頃は高校に行こうかな?と思っていた。が、高校には行かず、文楽に入ることに決めた。
  • 初代玉男師匠の弟子になったのは、手伝いの頃から部屋が一緒だったし(紹介してくれた玉昇さんが玉市師匠の弟子で、初代玉男師匠と同部屋だった)、実の親のように接してくれたから。(お話自体にはなかったが、私の印象だと、どなたの弟子になるか、はじめから心に決めておられたみたいでした)
  • 師匠には預かりの弟子がいたけれど、直弟子はいなかった。ほかに先に兄弟子がいたが、お辞めになって、自分が最初の直弟子になった。師匠にもらった名前は「玉女(たまめ)」。はじめは「玉若(たまわか)」にすると言っていたが、途中から「玉女」にしようと言い出した。何故かって……? そのころはかわいかった*1から……////(高木さんから「師匠ははじめから名前を継がせようとしてたんでしょう!そうでしょう!!」と迫られ、「わかりません!!そんなことないと思います!!」と照れまくる玉男様)

  • 本舞台での初めての光秀役。昭和57年の朝日座正月公演で吉田文吾師匠が襲名し、その襲名披露狂言が尼ヶ崎だった。文吾師匠が光秀、玉男師匠が十次郎、簑助師匠が初菊。尼ヶ崎は文楽のお客さんにも大変馴染みがあり、曲もよい、誰もが知っている狂言で、勘十郎さんも襲名披露狂言にしていた。そのころ、本興行が終わった後に「若手向上会」という若手の勉強会があって、そこで光秀の配役が来た。
  • 本興行では光秀の左に入っていたわけではなく、左は玉幸さん、足は文司さんが入っていた。ぼくは師匠(十次郎)の左に入っていて、じっと光秀を見ていた。師匠の左を遣っていても気もそぞろで、光秀のほうばかり見ていた(笑)。舞台ではそんなふうに人が遣っているのを見ている。
  • (先代玉男師匠は当時光秀を遣っていなかったんですよね?と高木さんに振られ)当時師匠は光秀などの大きな人形は遣っていなかった。そのころ荒物を遣っていたのは先代勘十郎師匠や亀松さん(四世)。その方々が亡くなり、師匠が遣うようになった。大きな人形の配役が来るようになったのは大変だったみたいですね。
  • 若手向上会は舞台稽古1日で、本番4日間。本興行中は「見ているだけ」なのに稽古1日で遣えるのは、本興行中に毎日楽屋で人形を持たせてもらって遣っていたから。人形を遣っていると、師匠がやってきて「こうやで」と教えてくれる。
  • 本番には師匠が2回左に入ってくれた。師匠が左に入るとやりやすいとも言えるが、左から引っ張られて止められたり、「重い」。間違っていると(指導で)引っ張ってくる。でも、決めのところはちゃんとやってくれて、勉強になった。そのころ文七の初役がたくさん来たんです。ほかには『一谷嫩軍記』の熊谷の物語、『菅原伝授手習鑑』の松王の首実検の左にも師匠に入ってもらった。もう、汗が出て大変だった。こういう経験は師匠とぼくだけじゃなく、簑助師匠も勘十郎さんの左に入っていた。菅原でも勘十郎さんの源蔵の左に入っておられたり。
  • 光秀の出。竹を刈って先を斬ったあと、槍の穂先を人形の額部分につける所作がある。これは穂先に油をつけて久吉を刺す刃先の通りをよくしようとするもの。ずっと昔からあった演技だと思う。昔は地方公演に行くとこの部分で「細かい!」という声がかかった(笑)。師匠も笑ってましたね。

 

 

┃ 操のクドキ

妻は涙にむせ返り
「コレ見給へ光秀殿。軍の門出にくれぐれもお諫め申したその時に、思ひ止まつて給はらば、かうした嘆きはあるまいに。知らぬ事とは言ひながら、現在母御を手に掛けて、殺すといふは何事ぞ。せめて母御のご最期に『善心に立ち帰る』と、たつたひと言聞かしてたべ。拝むわいの」
と手を合はし、諫めつ泣いつひと筋に、夫を思ふ恨み泣き、操の鏡曇りなき涙に誠顕せり
光秀は声荒らげ
「ヤア猪口才な諫言立て、無益の舌の根動かすな。遺恨を重ぬる尾田春長。勿論三代相恩の主君でなく、わが諫めを用ひずして神社仏閣を破却し、悪逆日々に増長すれば、武門の習ひ天下の為、討ち取つたるはわが器量。武王は殷の紂王を討ち、北条義時は帝を流し奉る。和漢共に、無道の君を弑するは、民を休むる英傑の志。女童の知る事ならず。退さりをらう」
と光秀が、一心変ぜぬ勇気の眼色、取り付く島もなかりけり。

ここは先にお話を聞いてから実演。玉男さんが高木さんから扇子を借りて、光秀の「取りつく島もなかりけり」で決まる部分をご自身で実演された。玉男さんは体格が良くていらっしゃるからかもしれないけど……、なんかこう……違和感がなかった。人形遣いさんてみんなこういうのできるんですかね。なんかそういう芝居を見ているみたいな気分に……。あまりに普通なので反応に困った。そして光秀の前で崩れる操は高木さんが演じていた。はじめ、「操がいませんねぇ〜、操が〜……」とキョロキョロしながらおっしゃったので、客席から誰か操役を選ぶのかと思ったら、突然ご自分でやりはじめて爆笑。まあ、確かにお客さんでは操のポーズがわからない人が大半ということでしょうね。

そして実演。てっきり素浄瑠璃かと思っていたら、なんとびっくり人形がついていた。光秀だけだけど。ひたすらじ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとしている光秀……………。本公演だと手前側で操が踊っているはずなのでそっちに目が行くが、今回は諸般の事情により操がいない(涙)ので、ステージに出ているのはじ〜っとしている光秀の人形のみ……。じ〜っとしているのって、大変なのねと思った。やっぱり足がちょっとフラついたりしちゃってたんで……。さすがに人形1体しか出てない状況でお客さんの全視線が集まるので、足を遣っている方も緊張してたと思うが……。じっとしている人形を見せるという趣旨はすごいと思う。

呂勢さんはなぜか(?)光秀の反論より操のクドキのほうがよかった。逆になるかと思っていたが。声量的にも操のほうが声の圧力があった。パフォーマンスそのものは良いんだけど、どういうバランス設計をされているのかがよくわからない……。前の知盛の回でも思ったけど、出来にムラがあるというか、こういう単発公演に弱い人なのだろうか……(東京の本公演はとても良かったんだけど)。

燕三さんはいついかなるときも上手い。お客さん全員知ってることだけど、まじうまい。決してこれみよがしだったりするわけではないんだけど、地力の高さ、その安定をしみじみと感じた。端正で清澄な音で、舞台が引き締まっている。嘆き伏す操の姿がまさに目の前に見えるような三味線。燕三さんは三味線の演奏者というより、あくまで文楽の三味線弾き……太夫さんがいて人形さんがいての三味線弾きって感じなのがとても好き。クドキの最後のほうは、ちょっと光秀から目を離して、しばらく燕三さんの手元を見て聴き入ってしまった。大変に美しい音色だった。

 

玉男さんのお話(2)

  • 操のクドキの間、光秀はじっとしている。大きい人形を高く差し上げ、ぐっ!と腹に力を入れていて……、休んでいるわけじゃないんです。ここは光秀の見せ場でもあって、「気」が入っていないと左や足がついてこない。
  • 光秀のような役は「立ち人形」と言って、動き回るので格好良く見せなければならない。十段目の光秀の人形は11kgほどある。太刀を吊っているので重い。本当は鎧を着ているはずだが、「千早」という甚平のような軽い衣装を着ている。これは明治時代に初代玉造師匠が人形を遣いやすいよう考案したのではないか。
  • 十段目は上演時間が一時間ほどあり、どこでイキを抜くか?気を抜くか?を考えている。若い頃はそれができなかった。人形を遣うのは腕力ではなく、コツがある。
  • 光秀が「取り付く島もなかりけり」で決まるところには2種類のやりかたがある。まず一つは、公演のチラシのビジュアルにもなっている、右足を手前の操のほうに下ろし、右手で鉄扇(軍扇)を顔の前に広げ、左手を頭の横で広げて突き出し、操のほうを見るやりかた(図A)。もうひとつが文吾師匠がやっていた古いやり方で、右足を下ろさず腰掛けて、閉じた鉄扇を両手で持ち、要を刀の根元に押し当てて力を入れて体重をかけ、顔は操のほうをぐっと見るやり方(図B)。

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  • 師匠は両方やっていて、これはむかしのフリや、グッと決まった(こっちの)ほうがラクや」と言っていたが、古いやり方はぼくらがやると「弱い」。師匠がやると力強いんですけど……。ぼくは古いやり方でやったことがない。
  • 師匠は一公演中でもいろいろやっていた。公演も一週間くらいすると左や足の気が抜けてくるので、違うことを突然やろうと思いつく。いきなりやられると、できないんですけど、今日は違う!!!とは思う。できます。(どっちやねん)
  • 人形の演技に手順はあるのだが、変わったりする(変えることができる)。フリがいきなり変わっても、左遣いはそれをこなさなければならない。ぼくも公演中慣れてきたらちょっとそういう変更をやることがある。滅多にはしませんけど……いまの足の子はそれに対応できないですね。でも、対応しなくちゃいけない。
  • 人形の持ち方。立役の大きな人形には「ツキアゲ」という棒がついている。この棒と右手の差し金を一緒に持つと肩が安定し、人形が決まる。指差す所作をするときなどは差し金のみを持ち、ツキアゲは離す(と言いながらさらさら実演する玉男さん。持ったり離したりが自然で、見ているぶんにはスムーズすぎて全然わからない)。人形の位置が高い姿勢のときなどは、ツキアゲをおなかに乗せる。
  • この舞台下駄はぼくが一番使いやすい高さのもの。こないだの六助でもこれを使っていた。(玉男さん背が高くていらっしゃるのでよくわからないが、そこそこ高さのある舞台下駄。見ているぶんには普通に歩いておられるけど、慣れるまでは大変そう。玉男さん身長があるからその高さですんでいるのだろうけど)

 

 

 

┃ 物見の松〜段切

またも聞こゆる人馬の物音、矢叫びの声かまびすく、手に取る如く聞こゆれば
光秀聞くより突つ立ち上がり
「アノ物音は敵か味方か。勝利如何に」
と庭先の、拗木の松が枝踏みしめ踏みしめよぢ登り、眼下の村手をきつと見下し
「和田の岬の弓手より追々続く数多の兵船、間く立つたる魚鱗の備へ、千成瓢の馬印は、疑ひもなき真柴久吉。風を喰らつてこの家を逃げ延び、手勢引き具し光秀を討つ取る術と覚えたり」
と言ふより早くひらりと飛び下り「草履摑みの猿面冠者イデひとひしぎ」と身繕ひ、勢ひ込んで駆け出だせば
「ヤアヤア武智光秀暫く待て。真柴筑前守久吉対面せん」
と呼ばはつて、三衣に替はる陣羽織、小手臑当も優美の骨柄悠然として立ち出づれば。光秀見るより仰天し、駆け戻つてはつたと睨み
「ヤア珍しゝ真柴久吉。武智十兵衛光秀が、この世の引導渡してくれん。観念せよ」
と詰め寄れば
「ホホヲ共に天を戴かぬ亡君の弔ひ軍。今この所で討ち取つては、義あつて勇を失ふ道理。諸国の武 士に久吉が軍功を知らさん為、時日を移さず山崎にて勝負の雌雄を決すべし。ガ如何に如何に」
「ヲゝさすがの久吉よく言うたり。我も惟任将軍と勅許を受けし身の本懐。ひと先づ都に立ち帰り、京洛中の者共へ、地子を赦すも母への追善、ガ互ひの運は天王山、洞ケ峠に陣所を構へ、たゞ一戦に駆け崩さん。首を洗つて観念せよ」
「ホゝゝゝゝ何さ何さ。たとへ項羽が勇あるとも、我また孫呉が秘術を振るひ、千変万化に駆け悩まし、勝鬨あぐるは瞬くうち」
と久吉が、詞はゆるがぬ大盤石
たちまち廻り小栗栖の、土に哀れを残すとは知らず
知られぬ敵
味方、睨み別るゝ二人の勇者
二世を固めの別れの涙、かゝれとてしもうば玉のその黒髪を敢へなくも、切り払うたる尼ケ崎。菩提の種と夕顔の軒にきらめく千成瓢箪
駒のいなゝき迎ひの軍卒、見渡す沖は中国より追々入り来る数万の兵船。威風りんりん凛然たる、真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と末の、世までも残しけり

ここは先にお話があってから、最後に人形浄瑠璃

お話パートでは大道具の松を特別に裏返して、人形遣いが登る階段が見えている状態で舞台下手に設置。御簾内で弾く三味線さんには今回は舞台上で立膝をして弾いてもらい、浄瑠璃を玉男さんがご自分で語りながら物見の所作を実演。本公演ではまったくの無表情で出演されている玉男さんが、笑顔で楽しげにこなされているのが印象的だった。このデモンストレーションでは、左遣い=玉佳さん、足遣い=玉路さんの動きも含めての解説。このお二人も黒衣の頭巾なしでの実演のため、お二人の目線がどこにいっているかがありありとわかった。足遣いの人はお顔をかなり上向きにされていて、ずっと人形の頭あたりを見てるんですね。左の人も上向きなんだけど、人形の姿自体をもっと細かくチェックしてコントロールしている感じ。物見に向かうとき光秀の人形は下手を向いて横向きになるが、解説では人形を正面に向け、玉男さんも左遣いの操演を実演してくれた。

物見はさすがに慣れておられるのか、スイスイと登っていたのでなんというかすごく普通に見えた。もはや裏から見ている意味がないほどのスイスイぶり……。いや、10kg以上の荷物持って段差を昇るのは大変だと思います。12月に観た『ひらかな盛衰記』逆櫓では、樋口の人形は綺麗に登っていたけれど、樋口役の玉志さんご自身は、人形を見上げてチェックしながら昇るのが結構大変げだったので……。松の木の裏に取り付けられた階段を上がるときは舞台下駄を脱ぎ、足袋の状態で昇るのだが、これもスムーズなので、さっと脱いで上がるために実際にはどういう工夫がなされているのかはよくわからなかった。なんか自然すぎて、ふーん。って感じでした(失礼)。

本番、人形浄瑠璃ではなんとびっくり!!! 諸事情によりいないかと思われていた真柴久吉が、いました!!! 玉佳さんが光秀の左から外れてここだけ出遣い(ちゃんと紋付袴にドレスアップ)でご出演。ほぼ本番一発勝負だったと思われるが、キラキラ系の瑞々しい久吉で良かった。詳しくは後述するが、段切のあたりで光秀・久吉がシンメトリーの演技をする部分があるので、久吉がいることで舞台にハリが出た。あと、お迎えの軍卒ツメ人形ちゃんがそっと出てきたのには笑った。そこはいるんかい!!!

 

玉男さんのお話(3)

  • 物見の場面は「木登りのメリヤス」に合わせて松に登る。気に登る所作をする役にはこの武智光秀、『ひらかな盛衰記』の逆櫓の樋口、『鎌倉三代記』の佐々木高綱がある。
  • そのころは(なんの「そのころ」だったか忘れました……すみません)、主遣い師匠、左がぼく、足が玉佳だった。左遣いは人形を支えて遣うのが難しい。光秀が下手向きになって松に向かって歩いていくところでは、左遣いは人形の前に回り込み、人形の左手を使いながら人形の腰を支える。このとき人形は大きく両手を広げて前後に振り、足を踏み出すが、わずかに前傾姿勢になるので、そのときに姿勢が崩れないように胴を支えている。
  • 段切「威風りんりん凛然たる〜」では光秀と久吉の人形が足をばたばたさせるが、これは「長六法」というもので、弁慶の「飛び六方」とは異なるもの。ほかには『八陣守護城』の後藤又兵衛にもある演技。お互いが上下で同じように踏む。光秀が踏み始めたら久吉も踏み、手を回す所作をする。
  • 『絵本太功記』は「尼ヶ崎の段」が有名だが、師匠はそれより前の「妙心寺の段」が好きだった。光秀が主君を殺したことを苦悩し、切腹しようとする段で、人形の演技では実際に衝立へ毛筆で辞世の句を書く場面が有名。大きく遣ってカッコよく見せる十段目とは役の性根が違う。師匠は「十段目はしんどいばっかりやね〜ん」と言っていた。
  • 衝立に辞世の句を書く場面。ぼくも7年ほど前に大阪で遣わしてもらって……。毎日壁に紙を貼って衝立に見立てて、墨汁で書く稽古してました……。うまく書けたときもあるけど、ほとんどよくなかった……。あの衝立は人にあげたり、なくなったり、捨てたり……。師匠が書いていたのはすごかった。取り合いになって……、手ぬぐいにもなっていた……。

 

 

 

お人形の話をされる玉男さんは、ふんわりお優しい雰囲気は変わらないまま、お話ぶりがとってもイキイキされていて、お話しが大変にお上手になられていて超感動した。前回は「秘蔵の姫」って感じだったが、今回は「煌びやかな若武者」って感じ。キラキラと、とても楽しげに人形のお話をなさっていた。とくに玉佳さん(みんなのアイドル)、玉路さん(なんてしっかりした子なんでしょう)が舞台に呼び出されてからは、ご紹介から実演までもう超超超嬉しそうでいらっしゃって、よかったですね……😭✨と思った。お二人のことが大好きなんですね……。玉佳さんが高木さんからいきなり光秀の左の要点を話すよう振られたときには、さっと「こうやなっ!?」って感じにすかさずフォローされていて、玉男様の兄弟子らしさ(?)を見られたのもとてもよかった。6月の大阪鑑賞教室での玉佳さんの光秀役の宣伝もされていて、とにかく嬉しそうでいらっしゃった。お師匠様のお話も楽しげになされていて、そのすごく自然な雰囲気がとてもよかった。

お話も面白かったし、いずれの実演も素晴らしく、美しい人形と浄瑠璃を満喫できた夜だった。今度はぜひ燕三さんらにもトークにお出まし願いたいと思う。

そんなこんなで、実家に油田が湧いたら飛鳥IIの文楽クルーズに行きたい私でした。 

 

 

 

  • 赤坂文楽シリーズ#19「伝統を受け継ぐ其の九」
  • http://labunraku.jp/2018/03/29/赤坂文楽19/
  • 人形浄瑠璃文楽『絵本太功記』尼が崎の段より“武智光秀”
    第一部 武智光秀登場
    第二部 お話)吉田玉男 聞き手)高木秀樹
    光秀の妻、操のクドキ
    第三部 武智光秀と真柴久吉
  • 出演
    太 夫/豊竹呂勢太夫
    三味線/鶴澤燕三・鶴澤友之助・鶴澤清公・鶴澤燕二郎
    人 形/吉田玉男(武智光秀)・吉田玉佳(真柴久吉)・吉田玉勢・吉田玉翔・吉田玉路・吉田玉峻・吉田玉延・吉田玉征

 

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*1:かわいかった時代の玉男様のお写真は書籍『二代目吉田玉男 文楽をゆく』に載っています。なんでコレがアレに?(クソ失礼)という驚異のかわいさに五度見してしまいます。 

文楽をゆく (実用単行本)

文楽をゆく (実用単行本)

 

 

文楽 5月東京公演『彦山権現誓助剣』国立劇場小劇場

彦山と毛谷村がどこにあるかわかってない私ですが、大阪公演に続き東京公演も観に行きました。

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第二部、『彦山権現誓助剣』。 

今回は床の間際の席にしたため、太夫の声・三味線の音の生感を味わえてとてもよかった。床の直下は三味線の音の聞こえが違って、奏者それぞれの個性を感じ取れる……気がする。やはりなんだか錦糸さんは音の感じがちょっと違う気がするんだよね。楽器自体の個性なのか、調弦等なのか、演奏なのかはわからないけど……。

須磨浦・三輪さんは、合唱になる部分でも一本調子にせず、末尾の伸ばしの部分にまで声の調子の上下に気を使って語っていたり、わずかな声の強弱やニュアンスづけを言葉単位で行っていることに気づいた。太夫の真ん前の席だと合唱部分でも個々人がどう語っているのか聞き分けられるので、それがよくわかった。単独で語っているところもお菊の可愛らしさがよく出ていて、嘆き悲しむ鳥のような、あるいはまるで本当に女性が喋っているような語りで本当によかったのだけれど、今回はそこが印象に残った。

瓢箪棚の奥、津駒太夫さんはホント良い。津駒さんの少ししわがれたような声が、瓢箪棚のあの暗く妖しい雰囲気にすごく合っている。この段って、心情を吐露するような登場人物もなく、いかにも文楽らしい聴かせどころがあるわけじゃないと思うけど、振り絞るようなお園の気持ちが感じられて、しみじみとよかった。

あとは杉坂墓所の奥、靖太夫さんがよかった。どこがどういいとはうまく言えないけど、「きょうの靖さん、なんだかいつもとチガウ……(☆o☆)」って感じだった。声の響かせ方や、男性ばかりの登場人物のちょっとしたニュアンスの差とか……、がんばっておられた。

そして毛谷村奥、千歳さん&富助さんは超安定の良さ。春のやわらかい日差しや空気を感じさせる義太夫。一音一音のディティールが細やかで、日常の時間の流れから切り離されて、ユッタリした気分になる。しかしお園が「エエ〜わっけもないわっけもない、ナンの家来の一人や二人、どうなとしたがよいわいなっ❤️」と六助に迫るところを語る千歳さんが完全に乙女になっていたのには笑った。語りばかりか語っている姿勢(?)が乙女。周囲のお客さんがあまりに爆笑してたからなんだと思ったら、みなさんクネクネしている千歳さんを見てたのね。というのは別にしても、お園の「トウの立った」可愛らしさ現金さがとても良かった。千歳さん&富助さんはこないだNHKラジオでも毛谷村やってたけど、あれも人形が見えるようでほんとよかった。

 

 

そして今回は本当、人形が生きているみたいでびっくりしました(小学生の感想)。

ことに京極内匠〈吉田玉志〉がよくて、人形が表情を変える様子など、本当に人間の役者が演じているようだった。首を左右に続けて2度振る演技で、1度目と2度目で振り方のニュアンスが違うとか(1度目はわずかに下弦を描くように降り、2度目は大きく下弦を描いて速度を落として振るなど)、話に夢中になる前傾姿勢の微妙な身の乗り出し方、単なる前のめりにならない、目を見開いて前方をぐいっと見るような胴と首との関係値とか。杉坂墓所で六助を騙す誠実めいた強いメリハリのある演技、それに対してばあさんが座る前に石の上に笠を乗せてやったり着物の裾を払ってやる優しげな動きの芝居めき方も良い。いずれ人間の役者ならよく見るテクニックだと思うが、人形でもそれをやっている人がいるんだな〜と思った。本当細かいところまで洗練されていて、彦山権現ってケレンに目がいく演目だと思うけど、そこに乗っからないでよく考えられ練られた演技でとてもよかった。しかし瓢箪棚の段の棚の上で戦う場面では棚の端ぎりぎりまで人形を寄せるなど*1、派手にすべき部分は抑えられていて、演目上のスリルはキープされているのがよかった。

須磨の浦のお菊〈吉田勘彌〉のかわいらしさ。前半の亡父への思いを語る部分、はっと倒れ伏して泣くところは木蓮の花のような柔らかでふっくらとした花びらが春風に揺られて落ちるよう。後半、京極内匠が現れ靡く演技をする直前の、すこし外側に体を向けて座り、それこそ人形のようにシラっとした冷めた表情はそれと対極的であった。斬られて傷口を抑えてうずくまる姿が色っぽくてよかった。あっ、京極内匠の裾めくりはよく見ないとめくっているとわからない控えめさになっていました。

あとは和生さんのお園の娘ぶりが爆上がりしていて驚いた。六助が父の決めた許嫁だと気づいて「…………////」とうっとりと見とれるところ。人形の目が急にぼ〜っとなって、白い顔がほのかに桃色に染まっているようなうっとりぶり。お園のまわりだけ時間の進み方が変わったようだった。しかし最後、裃姿に改めた六助の膝に手をついて「油断なされな、こちの人」と言う部分は2ヶ月目なせいか人形太夫ともにかなり堂に入ってきていて、初々しい新妻感というよりラブラブ夫婦の奥さんになってきていた。でも、あそこの演技、いいですよね。普通、人形って客席から顔が見えるようにするけど、あのときのお園はぐっと後ろを向いて六助の顔をじっと見ていて、六助以外の誰もお園の顔を見ることができないのが、二人の世界って感じ。そのあとに紅梅を手折って六助に挿してやるところで親に遠慮して抱きつかないことになっているが、その直前にあの演技があるのがいい。しかしそれにしてもお園のかしら、とても可愛い。何か特別なかしらなのかと思わされる優しくふんわりとした可愛さがある。おそらくかしら自体に特別な作りがあるわけではなく、普通に老女方のかしらに眉を引いただけのもので、あの不思議な可愛さは和生さんの演技によるものだと思うけど……。和生さんは客を惑わせてくるんで……。

六助〈吉田玉男〉。六助は何があっても動じず、悠々とした動きでゆったりと構えているが、一味斎が闇討ちにされたことを聞いた後は怒りと悲しみをあらわにして、豪傑らしい演技になる。しかしわりと可愛いところもあって、京極内匠との立ち合いのあと、ハチマキを取ってツインテール(?)の左右のフサフサ髪をナデナデして直しているのが猫みたいだった。それと弥三松を寝かしつけながら肘をついて虚無僧(に化けたお園)を見ているところも図体のデカさに似合わずなんだか可愛い。お園が化けた虚無僧を偽と見破れるのに、なんで京極内匠の孝行芝居に騙されてんねんという気立ての良さぶりが謎な六助だけど、なぜか納得いく人物像になっているのはさすが玉男様……。アホなわけではなく相当賢くてまともなのにあそこまでピュアネスという掴めなさは、濃い味付けをしてわかりやすくするという手法では捌けないと思う。個人的に戯画的な「わかりやすいキャラ」に飽きてきているので、こういう役を見るのは面白かった。たぶん、あの独自の池部良的な「ぬぼ〜」オーラがマキシマムプラスに働いているんだと思いますが……。

細かい部分でよかったのは六助のファンその1・栗右衛門役の紋秀さん。細かいところまで気を遣った演技でとてもよかった。その役回り通りのコメディ的な愛らしい動きで、ところてんのようにプルンプルン首を振るのが可愛い。ディズニーアニメに出てきそうな、くにゃっとしたような、コテンとしたような仕草が楽しい。『美女と野獣』を文楽化したら、ルミエールは紋秀さんだね……。あと、『アナと雪の女王』の雪だるま(名前忘れた。突然全身バラバラになるのが文楽めいてた野郎)。かしらの動きに人間離れした文楽らしい味があって良かった。

そして謎の小道具ギミックシリーズ。大阪ではあんなにブクブクしていた瓢箪棚の池のブクブクがブクブクしないようになっていて爆笑した。あのブクブク、明智光秀の亡霊やなかったんかい。京極内匠が池と喋っている人になっていた。いや、ブクブクしていてもブクブクと話している人なんだけど。それと六助の家の前にあるあのドラム缶みたいなやつ。石だったんですね。なんかこう、枯葉燃やす用の一斗缶的なものかと思っていた(江戸時代に一斗缶はない)。そして京極内匠が持っている蛙丸。やはりこれだけ刀のつくりがほかの人形の持っているものと違うよね。刃が薄くて、スラリと抜いたときのその輝きが桁違い。模造刀を使っているのだろうか。細かいところだが、お園の刀の折れた刃先が瓢箪棚のヘリに刺さったのにはびっくりした。折れて刺さったようにしか見えなかったけど、ヘリに押し当ててから折っているのかしらん。一瞬のことだったので驚いた。

 

 

 

太夫・三味線・人形すべてすばらしい舞台だった。第二部は配役がとても良い。とにかく玉志さん、津駒さん、千歳さん&富助さんがよかった。本当にすばらしい、文楽観た〜っっっ!!て感じのパフォーマンスだった。この面々で是非文楽を代表するような大作をやって欲しい。今後の文楽を観る楽しみが増したように思った。

そして、やっぱり、丁寧にやっている人は丁寧にやっているんだなと思った。4・5月は2ヶ月連続で同じ演目になるため、それがより顕著になっているように感じた。さすが2ヶ月目ともなれば、丁寧にやっている人は当然技芸が向上する。大阪の初日より明らかに良かった。私は東西で同じ演目を興行することには反対だが、個々の技芸の向上という点では意味があることだと思う。当たり前だが、うまい人はうまい理由があると思った。客席からはいろんなことが結構見えるように思う。おそらく、ある意味、出演者ご本人方が思っている以上に見えているのではないだろうか。

 

 

 

 

今回の5月公演第二部では「アフター6 BUNRAKU」という特殊な当日券施策が行われている。予約で正規チケットも購入しているが、せっかくなのでこのアフター6に行ってみた。

「アフター6 BUNRAKU」チケットは、後半パート、18:35開演の杉坂墓所の段+毛谷村六助住家の段を4,000円で観られるというもの。指定日の5時30分から劇場のチケットカウンターのみで販売され、席は選べず一等席のいずれかの席に配席される。私が行った回だと元々席がかなり埋まっていたため、配席されたのは限りなく二等席に近い一等席だった。前列が空いていたとしても、極端な下手・上手等のような好みが出る席にはならないようになっているらしい。配席は決済・チケット発行後までわからない。6時05分の長休憩から入場可能。

一見、幕見席のような施策に感じられるが、安売りはしない正当な料金設定となっていて、また、実質毛谷村を聴くチケットになっているので、何度も観に行くようなかなりの玄人向けの施策、あるいは開演時間に間に合わず日によって都合のつく・つかないが事前にわからない勤め人向けの施策な気がする。私は後者なのでこのチケット使えるのはありがたいが、時間に余裕がある人は普通に正規料金で席を選んだ上で須磨浦か瓢箪棚から入ったほうが楽しいと思いました(素直すぎる意見)。

今後も空席がある場合はこの施策をするのだろうけど、仮にこれが菅原の半通しで出て、寺入り〜寺子屋が観られるのなら初めて文楽を観る人にもお勧めの超お得なチケットだと思う(その番組編成だと空席は出づらいと思うが)。というか、今回第二部に空席があるのは東西で同じ演目しかも地味なのを打っているからだと思う。出演者の技芸はぶっちゃけ第一部以上に秀でているのに大変にもったいない。せめて配役を東西でシャッフルしたり、若い技芸員さんにいい配役を回すならいいけど、してないし。制作の負担は私は客なんで知りません。技芸の保持や上演可能演目保持に意欲がないプログラム編成としか感じられない。同じプログラムやるならまず『義経千本桜』の通し上演を東西でやってくれ。

そんなこんなで初めて文楽観たときぶりに後列から見たけど、やっぱり後列から見てもうまい人はうまい。と思った。(突然の当たり前結論)

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ところで国立劇場インスタアカウントの人、玉志さん好きだよね。これは安全祈願に玉串を奉納する玉志さんの写真。「無」としか言いようのない玉志さんの表情が味わい深い。この次のページにある瓢箪棚に御幣を振る神主さんとその後ろにいる玉志さんの写真が最高で「あそこから飛び降りるのアナタですよっ!!!!」としか言えない「無」の表情の玉志さんが写っている。

 

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こちらは玉男様スペシャル。なんだかお園に迫られ慣れてきている六助。

 

 

4月 大阪公演の感想、あらすじ入り。

 

 

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*1:突然の批判ですが、瓢箪棚の上では京極内匠の左遣いはしゃがんで遣って欲しい。人形が這いつくばる姿勢になるので人形より位置が高くなっていて、客席から見るとかなり悪目立ちしている。他の人形遣いやお園の左遣いはしゃがんでいるので、やってください。